今日はずっと重い空気が流れていた気がしました。原因はハッキリとしています。高坂さんのせいでしょう。部活での練習の雰囲気、部室での会話もチグハグしたもので、とても一年近く仲間として一緒にいたとは思えないような状況です。みんなの中で高坂さんへの気持ちが揺れ動いているのでしょう。もう一人いたはずの仲間が彼女だったとして、なぜ私たちは彼女のことを思い出せないのか。そして、なぜ彼女からは何もそのことについて話してこなかったのか。どうして立て続けに問題が起こっているのか、何もわからずじまいで今に至っています。練習が終わった後、ここまで誰一人として話し声を出さず、花陽を筆頭にことり以外のメンバー全員が早々に部室を去って行きました。真姫と希が来ないだけでこんなグルーミーな雰囲気にはなり得ません。やはり、この状況は高坂さんの問題が解決するまでは続くのでしょう。困り果てました。
ことり「今日はみんな何だか暗かったね。」
ことりが話しかけてくれたおかげで、気鬱さが少し和らぐ気がします。よくない雰囲気だと感じているのが共有できただけでも心は軽くなります。
海未「やはり、ことりもそう思いますよね。」
ことり「うん。ちょっと怖いくらい。」
ことりの眉がハの字になっていました。
海未「明日になったら希も来てくれるかもしれませんし、たまたま今日は機嫌が悪かっただけかもしれないですから、あまり考えすぎないようにしましょう。」
ことり「そうだね。」
正直、先行きは不透明です。事態が悪化しないとは言い切れないですし、でも今日のことが嘘だったようにいつも通り過ごせるかもしれません。とりあえず、ことりの表情から安堵が伝わってきたので良しとしましょう。
ことり「海未ちゃん、今日は一緒に帰れるの?」
海未「すみません。今日も一度弓道部に顔だけ出して行きます。」
ことり「そっか。じゃあ、また明日かな。」
海未「そうですね。」
ことり「うん。またね。」
ことりの寂しそうな表情に申し訳なさを感じつつも、私は部室を後にしました。弓道部にまだ在籍している私は、挨拶だけには参加するようにしています。兼部している身としては当然の責務ですね。挨拶をしに顔を出すと、弓道部の部員も私が暗い雰囲気だったことを察して心配をしてくれました。申し訳ない気持ちになりましたが、兼部というわがままを許してくれて、さらに気にかけてくれる仲間がいてくれることに感謝したいと思います。
学校からの帰り道の途中、持っていた携帯にことりから一件のメッセージが入っていました。
「私の家まで来てほしいの。」
急に来てほしいと頼むときはSOSのサインですね。やはり、今の状況を何とかしないといけないと感じているのですね。あなたがそんな責任を感じなくても良いのに……。
海未「とにかく向かいましょう。」
メッセージに返信を入れてから数分程度でことりの家に着くことができました。家の中に招き入れられると、ことりのお母さんはまだ仕事中だったようで、洋風の広い家には私とことりの二人だけでした。
ことり「ごめんね、急に来てもらって。」
海未「今更水くさいですよ。何年間の付き合いだと思っているんですか?」
ことり「海未ちゃん、本当に心強いなぁ。」
ことりに促されるようにベッドに腰掛けると、突然、驚くべきことを話しました。
ことり「私ね、最近足に違和感があるんだ。」
海未「え。」
衝撃が走りました。相談の内容は高坂さんのことだろうと考えていたので、その想定よりも斜め上の内容に動揺を隠せませんでした。
海未「それって、まさか。」
ことり「多分、手術したところかな。」
ここに来てあまりにも難しい選択を迫られてしまいました。普通に考えればことりのことを考えて休ませるべきでしょう。しかし、本戦までのアピールや本戦に向けての練習ができなくなってしまうのは、優勝から遠ざかってしまうことを意味しています。
ただ、私はチームの一員としてではなく、親友として、ことりには無理をしてほしくないという気持ちが先行しました。
海未「しばらく、休みましょう。」
ことり「やっぱり、休むべきかな……。」
海未「本番までは時間ありますし、何よりもことりの身体が心配です。」
ことり「でも、みんなのことを考えると……。」
海未「みんなのためにも、ですよ。初めからわかっていればみんなで支え合うこともできるはずです。」
ことり「そう、だね。ありがとう。」
ことりは悩みを抱え込みやすい性格ですから、私がしっかり注意していないといけないのだと改めて認識できました。
海未「今まで一人で悩んでいたんでしょう。もっと早く相談してくれてよかったんですよ?留学の件のときにも話したはずです。」
話したはずです。話したはずです?どのように話して私はことりを説得したんでしたっけ?
海未「……。」
ことり「海未ちゃん?」
海未「あっ。すみません。」
ことり「海未ちゃんも何か困ってたりする?」
海未「いえ、困っているわけではいんですけど。」
ことり「ほのかちゃんのこと?」
私がことりのことをわかっているように、ことりも私のことをわかっているようです。隠し事は無意味ですね。
海未「はい。」
ことり「みんなの様子がおかしいのも、きっとほのかちゃんが原因だよね。」
海未「おそらく。」
二人の中で次の言葉を探っているような間が空きました。何と話せばいいのか。お互いに彼女に対してどう思っているのかを伺っているような気もします。
ことり「私ね、ほのかちゃんは友達だったって思ってるんだ。」
海未「そういえば、高坂さんについて悪い子ではないと話していましたね。何か覚えていることがあるんですか?」
ことり「ううんううん。何となくそう思うってだけだよ。」
海未「そうですか。」
ことり「それにね、ただの友達ってわけじゃなくて、私たちとずっと仲良しだったんじゃないかなって。」
ことりの顔が緩む。ことりの記憶には楽しかった過去があったのだろうと思わせる表情でした。一昨日の話でも、もう一人のメンバーがいるとすれば、その子は私たちと仲が良かっただろうと話をしたくらいでしたね。
高坂さんが本当にメンバーなら、この問題を解決するために動かなければならなかったのは私だったのかもしれません。にこに任せっきりにしていては進展が無いということでしょうか。
海未「ですが、ならなぜ私たちは高坂さんのことを思い出せずにいるのでしょうか。」
私の質問にことりは萎縮してしまいました。
ことり「夢でね、引きこもってたの。」
海未「引きこもっていた?」
ことり「うん。それもケガのせいで。」
夢はよくその人の心を映し出すと言われています。つまり、ことりはケガのせいで皆に迷惑をかけるかもしれないと恐れていたんですね。
海未「大丈夫ですよ。今日相談してくれたわけですし、もうそのようにはなりません。」
ことり「うん、ありがとう。でも、私の見た夢はね……。」
海未「はい。」
次の一言が出る直前、ことりの顔がとても切ないものに変わりました。
ことり「きっと、昔にあったことだと思うの。」
ことりの話を理解するのに時間がかかりました。それは、果たして夢なのですか?
ことり「そしてきっとその事故にはほのかちゃんが関係してると思うの。」
そこで高坂さんが出てくるのですね。ことりの怪我に関わる問題を彼女が引き起こしたのなら、にこが敵視するのも、その事故が起きていないこの世界も、何もかも辻褄が合います。ただ、やはりいくつかの疑問は残っています。
海未「ですが、真姫だけが覚えているは釈然としません。それに、この世界は様子がおかしい気がしませんか。」
ことりが首を縦に振る。
海未「明日、真姫に会いに行きましょう。あれから何か進展もあったでしょう。」
ことり「そうだね。」
海未「それと、ひとまず明日からは激しい練習は控えましょう。いいですか?」
ことり「うん、ありがとう。」
明日のこともあるので、ことりの家を早々に離れることとしました。最近はメンバー内でもバタバタしているせいか、疲れを濃く感じます。帰宅路では、いけないとはわかっているものの、今感じている責任を放棄したくなる気持ちに少しなりました。
なぜ私はスクールアイドルになったのでしょう。そして、なぜ私はリーダーになんかに……。今までのことを考えると明らかにおかしいです。そんなふうに考えれば考えるほど、高坂さんの姿が脳裏にちらつきます。
家に帰ると、いつものように過ごし、作詞用のノートにいくつかの言葉を溜めてから寝ることにしました。私の場合、勉強や歌詞作りを寝る前にするため、大抵疲れ果ててしまってからの睡眠になります。なので目が醒めるまでに夢を見ることは滅多になく、例えあったとしても記憶に残るような鮮明な夢を見たことはありません。
しかし、今日は違ったのです。寝床に着いてから目を瞑ると、先ほどまでの部屋の景色から、小さい頃によく遊んだ懐かしい公園の景色へと周りが変わっていて、しっかりと立っているはずなのに目線が明らかに低い。違和感を感じた私は近くの建物に歩み寄り、窓に映り込む自分の姿を確認しようと思いました。
そこに映っていたのは、小さな頃の私。今の私とは違って、おどおどとした表情を浮かべている大人しい少女でした。
「たぁーっ!!」
突然、大きな声が公園に響き渡る。何があったのかと振り向くと、公園の真ん中にできた水たまりに向かって一人の少女が走っていました。彼女はそのまま勢いよく水たまりを飛び越えようとしましたが、大きい音を立てながら水たまりに落ちてしまったのでした。
「くぅ〜。くやしいぃ!」
悔しさを爆発させる彼女の髪型を見て確信しました。あれは、小さい頃の高坂さんのようです。
ほのか「なんで!なんでーっ!!」
ことり「もうやめようよ〜っ!」
ほのか「もういっかい!!」
視線を移すとずぶ濡れになった高坂さんに向かって、これまた小さな姿になっていることりが話しかけています。どこか懐かしいと感じる情景が目の前にありました。
ことり「ほのかちゃん、もうビショビショだし……。」
ほのか「もうぬれてるなら、かんけいないもん!!」
高坂さんがまたスタート位置まで歩いていく。そして、威勢よく飛び出していって、また水たまりに着水してしまいました。なんの工夫もせずに、ただ愚直に大きな水たまりに向かっていました。小さな私たちにとっては、本当に大きな水たまりです。その水たまりに諦めずに挑み続ける高坂さんは、向こう見ずではありましたがその瞳にはキラキラと光る輝きがあり、それがカッコよく見えてしまったのでした。
高坂さん、と声をかけようとすると目の前がグニャリと歪んで暗闇の世界へと変わってしまいました。結局、高坂さんに話しかけることなく夢が終わり、なぜあのような夢を見たのかわからずじまいなまま朝を迎えてしまいました。ただ、嫌な気持ちはあまりしません。
海未「……ほのか。」
私が相手の名前を苗字ではなく、名前で呼ぶのは限られた人だけです。でも、この響きはいつも通りのように感じて、私はますます彼女のことを知りたいと思ってしまいました。グループのリーダーとして、みんなを守っていかなければならない身として、私は彼女と接点を持ってはいけないのでしょう。それでも、私は彼女を知りたいと心の底から思ってしまう。また、友達になれるでしょうか。思い出せるなら早く思い出したいと、今日までは思っていたんです。
そう。あんな事件が起こるまでは……。