別れ(東條希 Part2)
希「二日分寝込むなんて、うちもまだまだやね。」
気を失ってしまった日から丸一日以上経ってしまった。しばらくえりちの家で休ませてもらったから体調が回復したけど、いつまでもえりちに迷惑をかけるわけにもいかないし、自分の家に戻ることにした。それに、家ではほのかちゃんがひとりぼっちで待ってるやろうし、早く帰らないと心配させるやん。
希「一人で大丈夫やったのかな。」
一抹の不安がよぎる。初めて会ったときのほのかちゃんの瞳、それには深い海の底のような暗さがあった。うちにはほのかちゃんの抱えている問題がわからない。直接助けられるかはわからないし、そこまでしてあげる必要があるかどうかなんて知る由もない。それでも、何かしてあげたい。うちが守ってあげなければいけない、という母性本能のような何かをほのかちゃんにはずっと感じてしまう。
家に着いてドアを開けると、そこにはもぬけの殻となった部屋があった。ほのかちゃんの姿がない。ベランダやトイレを探してもいない。残っていたのは机の上に置いてある紙切れだけだった。置き手紙、かな。それは寝食を共にしたにしては味気ないというか、悲壮感が漂っている紙切れ。そして、うちは中身を読んで、その悲壮感の正体がハッキリとわかった。
『希ちゃんへ
今までありがとう。急にはなるけど、ここからは出て行くね。
私のせいでこんなことになってごめんなさい。早く元気になってね。
穂乃果より』
これはお別れの手紙だった。書いてある通り、秋風のように急な冷たい知らせ。気にやむ必要はないのかもしれないけど、心の中にポッカリと穴が空いてしまった感覚だった。何もやる気が起こらないけど、明日から登校するためにも準備を済ませてしまおう。そう思ってもう一度だけ手紙を見直して気づいた。
希「私のせいで?」
どうして?確かにほのかちゃんが来てから体調を崩したけど、何も思い当たる節がなければそんなマイナスな風に考えてしまうことはないはず。なら、ほのかちゃんが何かをしたってことなんやろか。それとも、誰かに責められたりしたとか。でも、あの中にそんな酷いことをする子なんていない。そう信じたい。
希「明日、えりちに聞こう。」
一番冷たく接するならえりち、それか反応が薄かったにこっち。どちらにせよ、うちが聞けばきっと話してくれる。このまま、またあんな風にほのかちゃんをひとりぼっちにさせてはいけないと、うちの心は見えない使命感の糸によって動かされていった。
次の日、登校すると、浮かない顔をしたえりちが教室にいた。
希「おはよう、えりち。」
絵里「希、良くなったのね。」
希「すっかりね。」
えりちの表情が少し緩む。緊張をしてたんやろか?うちの体調なら昨日の時点で知ってるはずやのに。色々と気になることもあるし、早速訊いてみようか。
希「なあ、えりち。」
絵里「どうしたの?」
希「うちの家に行ってくれたんよね?」
絵里「そうだけど、いきなりどうしたのよ?」
えりちの目が泳ぐ。これは何か隠し事のあるときのサインやね。
希「家に戻ったら、ほのかちゃんが居ないんや。」
絵里「……それで?」
半ば開き直ったような声色で聞き返してくる。なら、言わせてもらおう。
希「それじゃあ単刀直入に。ほのかちゃんをどうしたん?」
絵里「……私は知らないわ。」
希「とぼけたって無駄や。うちにはわかる。えりちが何かしたんやろ?」
絵里「私は何もしてない。」
希「じゃあ、これ、なんやと思う?」
えりちの顔が険しくなる。見たことのない紙切れを出されて訝しんでいるのだろう。
絵里「それは?」
希「そうやね、一般的に考えればお別れの手紙って言ったところや。」
絵里「なら、やっぱり」
希「一般的に、って言ったやん。」
そう、今回のこのメッセージは何か違う。きっと、ほのかちゃんは出たくて出たんやない。出ざるを得なかったんや。
絵里「私があの子に何かしたとして、それがどうだって話なの?」
希「仮にもそんな風に聞くってことは、やっぱりえりちのせいなんやね。」
絵里「カマをかけたのね。ひどいわ。」
希「酷いのはどっちや。こんな真冬に家もない子をよく追い出せたもんやね。」
絵里「家がないなんてワガママだわ。彼女には家族がいるはずよ。だから早くその家に帰るべきだった、そうじゃない?」
希「それはえりちの主観や。」
えりちの険しい表情がさらに強張った。ただ、先程の苛立ちとは違って少し戸惑いも感じさせるような変化だった。
絵里「そうね。私の主観よ。あなたを守るためのね。」
希「うちを守るため?」
絵里「あなたが体調を崩したのは彼女のせいだわ。」
希「根拠はあるん?」
絵里「にこが言ってたのよ。原因は高坂さんだって。」
さらにガッカリしてしまった。ここでにこっちの名前が出てきてしまうんやね。
希「えりちは、にこっちの言ってることを鵜呑みにするん?」
絵里「私たちにとって今は大事な時期だし、少しでも悪影響がありそうなものは取り除きたいってだけ。」
希「凝り固まった考えをして行動するのはえりちの悪い癖や。」
絵里「凝り固まってなんかいないわ。これは私だけの意見ではないのよ。」
希「みんなの意見だったら正しいと決めつけてるところから違うんやない?」
うちの一言でやり取りが止まる。えりちの表情からは先ほどまでの険しさが消えて、とても悲しそうなものへと変わっていた。
絵里「希、あなたはμ'sのことが好きなんでしょ?違うの?」
希「もちろん大好きに決まってる。だからこそ、あの子は助けないといけないんや。ほのかちゃんは仲間だったかもしれない。真姫ちゃんだってそう言ってたやん。」
絵里「でも、高坂さんはメンバーではないとあなたも認識していたじゃない。」
真姫ちゃんの確認に対して、確かにうちはミューズが全員で八人だと話してしまった。でも、違和感がビンビンとする。何かがおかしいってうちの第六感がそう叫んでいる気がしてしまう。
希「忘れさせられたんや、ほのかちゃんに。」
絵里「忘れさせられた?」
希「それなら説明がつくんよ。最近ずっと感じてた妙な違和感も、それならわかる気がする。」
呆気にとられた様子のえりちは、首を横に素早く振ってから続けて話した。
絵里「そんなの都市伝説レベルの話よ。」
希「でも、そうじゃなきゃこの状況は説明できないんよ。」
絵里「説明する必要なんてないわ。被害はもう出てるの。ノンビリなんてしていられないわ。」
希「被害なんて言い過ぎや。」
絵里「昨日ね、花陽も気を失っているの。それに、目の前には高坂さんがいた。これは動かない事実よ。」
背中に冷や水をかけられた気分だった。うち以外にも影響が出てしまったのか。
絵里「わかったでしょ。これ以上は彼女と関わるべきではないわ。」
えりちはそう言ってうちの隣を通り過ぎて廊下に出て行く。そして去り際に「例え、友達だったとしてもね。」と言った。
お昼休み、どこかに行ってしまったえりちとにこっちを探しながら外に出ると、中庭にはことりちゃんがいた。
ことり「もう大丈夫になったんだね。」
希「心配かけてごめんな。」
ことり「気にしないで。とにかくよかったよ。」
ことりちゃんの柔らかい笑顔がうちの荒んでいる心を少し癒してくれた気がした。でも、この笑顔は作り物やね。悩み事を悟られないようにするためのカモフラージュや。
希「うちに何か相談でもあるん?」
ことり「え?」
希「顔にそう書いてあるよ。」
動揺することりちゃん。隠せてないよ。うちもことりちゃんの腰掛けているベンチに座ると、ことりちゃんは観念したように話し始めた。
ことり「ほのかちゃんのこと、希ちゃんはどう思ってるか、教えてほしいな。」
希「急やね。」
ことり「ほのかちゃんのことが気になって、夢にまで出て来ちゃったから。」
ことりちゃんの声色は少しくらい。きっといい夢ではなかったのだろう。
希「スピリチュアル少女のんたんが、その夢を占ってあげよう。」
なるべく明るめな声を作ってそう話すと、ことりちゃんが夢の内容を話してくれた。その話を要約すると、ライブ中にステージから落ちそうになったことりちゃんを助けたほのかちゃんが代わりに落ちてしまった、というものだった。夢でよかったと、うちは思った。
希「具体的な夢だってことと、登場した子が身近で本当にいる子だったのを考えると、これは近い未来の話やと思う。」
ことりちゃんの目が大きく開いていくのが見えた。
ことり「じゃあ、ほのかちゃんは私のせいで!」
希「逆。夢占いは、行動の向きが逆になるんよ。」
ことり「えっ。じゃ、じゃあ?」
希「そうや。」
実際にステージで起こることかはさておき、近い将来にほのかちゃんを庇ったことで、ことりちゃんは事故に巻き込まれてしまうって暗示になってしまう。
ことり「私が、落ちちゃうんだ……。」
希「安心して。占いはあくまでその人がどう歩んで行くべきかを指す道しるべにしかすぎない。これからどうするかをよく考えて未来を変えていけばいい。」
ことりちゃんは「ありがとう。」と言ってから、立ち上がった。そのまま手を振って校舎の方へと戻って行く。その後ろ姿からは、先ほどの悩みは見えなくて、どこか吹っ切れたようなそんな姿に見えた。
そして放課後、教室の掃除が終わって部室に行こうと思って廊下を歩いているときやった。まだ遠くにいるはずなのに、屋上に行くための階段から話し声がした。かなり大きな声で話しているらしい。先に海未ちゃん、凛ちゃん、真姫ちゃん、にこっちの姿があるのが見える。声の主は一体誰なんやろうと思って早足で近づくと、その途中で「もう、やめてよ!!」と誰かが叫んでいる声がした。
そして、その数秒後にうちもギャラリーの中に着いてその先を見上げると
踊り場から倒れるように落ちてくるえりちと、その踊り場から呆然と立ち尽くして様子を眺めているほのかちゃんの姿があった。
一番下の段まで転げ落ちたえりちは苦悶の表情を浮かべながら腕を押さえていた。これは骨が折れてしまったかもしれない。そう考えると頭が真っ白になって、一気にえりちのことしか見えなくなってしまった。
希「えりち!大丈夫?えりち!!」
絵里「痛い、痛い、痛いぃ。」
悶えるえりちの姿が痛々しくて、思わず泣きそうになる。戸惑ううちや凛ちゃんと違って、えりちの介抱をしている真姫ちゃんは冷静だった。冷静と言うか、ここまでくると感情が消えてしまっていると思いたくなるほど。真姫ちゃんはえりちの腕を庇いながらなんとか立たせて、そのまま保健室に連れて行こうとしていた。その最中、誰かが階段を駆け上っていったのが見えた。刹那、弾けるような痛烈な音が階段中に響き渡った。平手打ちをしたであろう海未ちゃんと、されたであろうほのかちゃんが踊り場にいる。この状況を見て、えりちが落ちたのはほのかちゃんのせいだということがわかった。
海未「あなたを友達だと、信じたかった。」
海未ちゃんの声が震えている。あまりの怒りにか声にその震えが現れてしまっていた。正直、えりちを傷つけた以上は、うちも同じ気持ちだ。
海未「早く、消えなさい。この場からすぐに!!」
海未ちゃんの指示通りに階段をフラフラと下りるほのかちゃん。うちはそのほのかちゃんにどんな顔をしていたかわからない。でもきっと、睨んでしまっただろう。みんなのほのかちゃんに向ける視線にも敵意しかなかった。
凛「許さない!!!!」
ようやく驚きが収まって、今度は怒りに感情が変化した凛ちゃんは、階段を降りて行くほのかちゃんに掴みかかろうとした。既のところでうちが押さえ込んだけど、凛ちゃんの気持ちは言葉にしてほのかちゃんを攻撃し続けた。
凛「もう誰も傷つけないでって言ったのに!どうしてこんなことするの!?凛たちは何もしてないじゃん!」
希「凛ちゃん!」
凛「こんなのってないよ!ねえ、聞いてるの!?」
希「落ち着いて。」
凛「とにかく、もう二度とこないで!早くどこか行ってよ!早くっ!!!」
凛ちゃんの叫び声を聞いて先生たちが集まってくる。その場にいたみんなは先生から事情聴取される。すでにその場からいなくなったえりちや真姫ちゃんのところにもあとで先生が行くだろう。その場にいないことを考えると、ほのかちゃんはそのまま逃げたのだろうか。
終始沈黙を貫いたにこっちの表情は、怒りよりもどこか悲しげな雰囲気だった。こんな時は誰よりも先に怒りをぶつけるにこっちなだけに、今の態度は明らかにおかしくて不気味にすら感じてしまった。
希「にこっち。」
グチャグチャになってしまったうちらは、えりちの無事を祈ることしかできなかった。そんな惨状を覆い隠してくれようとしているのか、外には雪がちらつき始めていた。