「うぅ……」
ムクリと上体を起こす。
「……頭、痛い」
頭の内側から発する痛みに顔をしかめる。
こめかみを押さえて、目を閉じて痛みが弱くなるのを待つ。痛みが弱くなるとゆっくりと周囲を見渡す。
カーテンの隙間から入ってくる光に照らされたテーブルが真っ先に視界に入ってかた。
「……ッ!!」
しかも、テーブルに置いてある銀色の灰皿が光を反射しているから、その反射した光で目がチカチカして弱まった頭痛が強くなった。
目を閉じて痛みを堪える。何で頭が痛いんだ?
ガンガンと痛みを発する頭を片手で押さえつつ立ち上がる。
胃の辺りもムカムカするし……一体どうしたんだろうか?
昨日のことを思い出そうにも思い出せない。記憶が大広間に夕食を食べるために移動したところで途切れている。
それよりも頭が痛い……。完全に調子が悪い。
フラフラとした足取りで洗面所に向かう。
「……っ~~!!!」
鏡で自分の顔を見ると……思わず悲鳴を上げそうになった。
死人のように青白くなった肌に、ボサボサの髪の毛。……完全にゾンビみたいだ
「痛っ……!」
心臓の鼓動に合わせるように頭痛が酷くなった。
うぅ……今日は厄日か何かか? そう思わずにはいられない。
そういえば、部屋にいたのは俺だけだったような……。起きてから部屋の中を見渡したときに誰も見ていないので俺だけ一人部屋であってるのか?
洗面所から出て、確認すると……やっぱり誰もいなかった。
そして、どうしようか……と悩むことは出来なかった。何故なら……頭痛が酷いので考えるのも億劫になってきたからだ。
ガンッ! ガンッ! と激しく叩きつけるような痛みにその場から動くことが出来ない。
「はぁ……はぁ……」
呼吸も荒くなり、ついには立っていることも出来なくなった。
目を閉じて痛みが過ぎ去るのをジッと待つ。
それから、お姉ちゃんが様子を見に来るまで俺はその場に踞ったままだった。
● ● ●
「…………」
サッと顔を背けるすずか。
部屋にやって来たお姉ちゃんに頭痛薬を飲ませてもらい、何とか頭痛から解放されて朝食を食べることが出来たが……すずかは俺の顔を見るなりサッと顔を背けるのだ。
アリサやなのはは理由を知っているのか、やれやれと肩をすくめたり、苦笑いを浮かべている。
やっぱり、昨日……俺は何かをやってしまったのか? でも、何をやってしまったのか分からない。
「ねえ、蓮君。……昨日のことは何処まで覚えてる?」
唐突にそんなことを忍さんに訊かれる。
「えっと……乾杯するまでですかね?」
それ以降になると思い出せない……。本当に俺は何をやってしまったのだ?
「本当に?」
「はい」
本当に分からないのだ。
ふと、視線をすずかに向けると目があった。だが、すぐに反らされてしまった。
…………避けられてる。その事にかなりのショックを受けた。でも、顔には出さないようにする。
どうやら俺はすずかに避けられるほどのことをしてしまったようだ……。本当にどうしよう……。どうすれば……。
「……君? 蓮君? 」
「あ、はい、何ですか?」
どうやら、どうすればいいのか考えるのに集中していて周りのことが見えていなかったようだ。
「調子が悪いようならもう少し部屋で寝てる?」
その調子が悪くなった原因を作ったのはあなたなんですけどね……。まあ、飲んだ俺が悪いと言われたらそうなのだが。
「いえ、風通しのいい場所でゆっくりしてます」
そこで、どうすればいいのか考えよう。とりあえず今はすずかと距離をおいた方がいいはずだ。
もしかしたら時間が解決してくれるかもしれないし。そんな淡い希望を持ったりしてるが……やっぱり何が原因なのかを思い出さないと根本的な解決にはならないだろうから頑張って思い出さないと。
● ● ●
ホテルの近くにある雑木林の中で一番大きな木の枝に腰をかける。
「……何が原因なんだ?」
おおよその検討はついている。昨日の記憶が途切れた後に何があったのだ。
思い出せ……何があったのかを……。
酒入りの血を飲んだのは確かなのだ。問題はそれから何をやってしまったのかだ。
………………。
…………。
……。
……思い出せない。
その事に俺は両手で頭を抱える。
何故だ、何故思い出せない。あれか、酒のせいなのか?
くっ……どうすれば普段と同じように話せるようになる……。
プレゼントか? でも、今の状態のままだと近寄っても避けられる可能性が高いからそれは却下だ。
だとすれば……他の誰かに頼むか、でも、それもすずかが拒否したら、何も出来ない。
ああ、どうすればいいんだ。
頭を描きながらあーでもないこーでもないと必死にどうすればいいかを考える。
この言い表しにくい思いの丈を吐き出したいが、そうすると周囲に確実に被害が出るのでそのまま溜め込んでおく。
何の解決策も浮かばないまま時間だけが過ぎていく。
「……はぁ、そろそろ戻らないと駄目か」
朝食を食べたのが遅いこともあって昼までの時間がかなり短い。
木の枝から地面に飛び降りる。
その際に音を立てないように注意を払っておく。あまりにも大きな音を立てると気にした人がこっちにやって来るからだ。
「さて、戻りますか」
ホテルに向かって歩き出したその時……。
「ねえ、ちょっといいかしら」
背後から声をかけられた。
〇 〇 〇
時間は蓮が外に行った時に遡る。
「ねえ、すずか」
「何? アリサちゃん」
返事を返しながらもすずかの視線は先ほど蓮が出ていったホテルの入り口に向けられていた。
「そんなに気にしてるなら話してきたらどうなの?」
「……でも、昨日のことを思い出すと」
スッとすずかが右手の指を唇に触れさせる。
と、同時に頬が自然と赤くなっていく。
「あ~、そうね……」
「うん、だよね……」
苦笑いを浮かべるアリサとなのは。
その二人も昨日、蓮がすずかに口移しで飲み物を飲ませた時の光景を思い出す。
あれは完全に予想外だった。誰もが目を見張ったのだから。
まさか、蓮があんな行動をするなんてと……。
「でも、このままずるずるとそうしてると蓮の方がまた何かやりそうじゃない?」
「さすがにそれは……」
アリサの言葉になのはが微妙な顔をするが無いとは言えないのでそのまま黙ってしまう。
すずかは内心そうかもと思っていた。
普段から自分に対しては異様になついていた。もちろん、蓮がお姉ちゃんと呼ぶノエルを除いてではあるが……。
「……何て話せばいいんだろう」
「昨日のことは覚えてないみたいだから……普段と同じように話せばいいんじゃないのかしら」
すがるように見つめてくるすずかに腕を胸の前で組ながら答えるアリサ。
「そ、そうかな」
「そうなの。蓮君が覚えてないならアリサちゃんの言う通り普段と同じように話せばいいと思うの」
それでも不安がるすずかにアリサの意見を後押しするようになのはがそう言う。
それから少しして意を決したようにうんとすずかは頷く。
「……蓮君のところに行ってくるね」
すずかはアリサとなのはにそう言うとホテルの外に駆けていった。
「とりあえず、これでギクシャクした空気にはならないわね」
アリサがすずかの姿が見えなくなるとそう言った。それに対してはなのはも同意見だった。
「そうなの。せっかくの旅行なんだから楽しまなきゃ」
そう笑顔で言い切るなのはにアリサも笑顔を浮かべるのだった。
〇 〇 〇
「あはははははははははははは!!」
ようやく叶った出来事に一人の女性が甲高い声で高笑いを上げる。
その女性の相貌には狂喜の色が濃く出ていた。
ニヤァと口を吊り上げて、その女性は車の中にいる
その視線は雄弁に語る……どう壊してしまおうか、と。
少年はその視線を向けられても動じることなく
その瞳から何も感じられない。ただ、虚空を眺めるのみである。
ひとしきり笑い終えると女性は車の運転席に乗り込む。
ドルルンッ!!
キーを回し、エンジンをかけると女性はバックミラー越しに、虚空を眺める少年を一度だけ見ると車を発進させたのだった。
そして、この日より……蓮・K・エーアリヒカイトは姿を消した。
● ● ●
「……………………」
鉄格子の隙間から入る光が部屋の中を照らす。
鉛色に錆び付いた金属製の重厚な扉が鉄格子の隙間から入る光によってその存在感を増している。
そして、手、足、首を動かす毎にジャラっと鎖が音を立てて、部屋の中で音が反響する。
「………………」
この場所には一人以外誰も来ない。来るのはいつも同じ女性。
その女性の暴力を受けるのが俺。
何故、そうなっているのか分からない。
記憶が無いから。同時に感情も……。
だから、鞭で皮膚を裂かれようが痛みしか感じない。それによる恐怖もである。
いや……喜怒哀楽そのすべてを感じない。
表情は言われた通りのを作るだけで、生きた人形と言われても不思議ではない。でも、時折頭のなかを走るノイズだけは別だ。
あの時だけはモヤモヤとしたものを感じることが出来た。
首を動かして鉄格子越しに外を伺う。
そこから見えるのは……空と森だけ。他の景色は見えない。
「……ちゃんと起きてるかな?」
ギィィィ、と鈍い音を出しながら扉が開いた。
そこには銀色に輝くナイフを持った、女性が立っていた。
時間か……。
この女が来ると言うことは、鞭で叩かれてから数時間経ったと言うことだ。
俺の目の前に来るとその女は奇声を発しながら俺めがけてナイフを降り下ろしたのだった。
〇 〇 〇
蓮が姿を消してからすでに1ヶ月以上が経過している。
その1ヶ月の間にジュエルシードに関する事件は終息した。
当時はジュエルシードが原因だと疑われていたが……二十一個、すべてのジュエルシードが封印されても蓮が見つかることはなかった。
それ故に蓮の失踪とジュエルシードは無関係とされた。
何者かに誘拐された可能性があるため警察に捜索してもらっているが状況は芳しくなく、何一つ情報がなかった。夜の一族のネットワークでもだ。
ただ、蓮の失踪を影で喜んでいる輩が幾人か存在していた。主に氷村家の者たちであるが。
「すずか……そろそろ、時間よ」
「……うん」
学園では蓮の話題については誰も触れない。
生きてるかも死んでるかも分からないからだ。学園側からも話題にしないようにと徹底されているからと言うのもあるが……。
「いってらっしゃいませ、すずかお嬢様」
「いってきます」
ノエルとファリンに見送られてすずかが家を出る。
その表情は晴れない。学園ではそれなりに取り繕っているが、家族の前や自分一人でいるときは取り繕っていない。
取り繕う必要がないから。
特にすずかは……蓮が失踪する当日に蓮を避けていたから、いまだにその時のことを気にしているのだ。
あの時、私が蓮君を避けなければこんなことにはならなかったのにと……。
その事がすずかの心の中に暗い影を作り出している。
「おはよう、すずか」
「おはよう、アリサちゃん」
背後から声をかけてきた親友とも呼べる友達であるアリサにすずかは振り向き、挨拶する。
こうして、一人欠けた日常がまた始まるのだった。
● ● ●
「ゴホッ……ゴホッ……」
咳き込む毎に吐き出される血が床を汚していく。
刺された箇所はすでに完治しており、傷痕すら残っていない。
俺のことを滅多刺した女は満足したのか部屋から出ていっている。
「………………」
咳も止まり、血を吐き出さなくてよくなったので改めて自分の格好を見る。
着ている服はズタボロで俺の血で真っ赤に染まっている。所々に穴が開いており、そこにナイフを刺したのだとすぐに分かった。
記憶と感情を失う前だったら何を思っていたのだろうか?
そんなことを考えてしまうがすぐに考えるのを止める。どうせ、考えたところで意味はないのだから。
それに……この生活も長くは続かないと予想している。
俺が死ぬか……あの女が死ぬかのどちらかしかないのだから。
それよりも……あの
彼女は記憶を失う前の俺にとってはなんだったのだろう。何故か気になった。