第23話
ザアァァァァァ……!
鉄格子越しに雨の音と跳ねた雨が部屋の中に入ってきた。
梅雨……だっけかな? 夏の前にたくさん雨が降る時期は……。
ぼー、と鉄格子越しに外を見ているとノイズが走る。
とても不快なノイズが……。不快だと感じるその時は少し感情が戻ってきているがノイズが消えるとその不快だと感じなくなる。
部屋の中はほぼ赤黒く染め上げられている。それも、俺の血で……。
でも、死ぬことはない。失った分がすぐに再生されるから。
ここから出るのは簡単だが出ようとは思えない。
出る理由がないし、出たとしても何も目的が無いから。
だから、目を閉じて時が経つのを待つ。
いつまで続くから分からない雨の音を聞きながら。ただ、時が過ぎていく。
● ● ●
あれから何日経ったのだろう。
俺の手、足、首に繋がっていた鎖は千切れている。そして、目の前にいる女は白い粉のような薬を一気に飲んだかと思うと喀血して、動かなくなった。
大方、鎖は自分でなんとかしたんだと思う。時折、意識が飛んでいるのでその時だろう。
でも、この女については分からない。急に白い粉のような薬を一気に飲んで喀血して倒れたのだから。
かれこれ数時間ジッとその女を見つめているが動く様子はない。
自殺したのだろうか? それとも、病気だったのか今はもう知ることも出来ない。これから、何をしようかと考えるが何を考えても何も感じないのだから決まることなく虚空を眺める。
それからしばらくして手、足、首に付いている鎖を外して床に落とすと俺は死んでいるであろう女を燃やす。
肉の焦げる臭いがするが部屋の中の臭いと比べると全然臭くないので気にならなかった。
多分、気にならなかったのではなく何も感じなかっただけなのだろうが……。
部屋から出て薄暗く湿っぽい通路を進む。
左右には俺がいた部屋と同じように錆びた鉛色の扉が幾つも存在した。
そのまま真っ直ぐに歩いていくと大きな扉があった。
「…………開けるか」
その扉を押し開けると眩しい光が射し込んできた。
目を細目ながら扉を開ける。やがて、目がなれるとそこに部屋はなく森だけがあった。背後を振り替えると屋根があったので今はまで俺がいた場所は何かの施設だったのだろう。
俺はそのまま森の中へと足を踏み入れていった。
● ● ●
「…………落ちないか」
森の中をさ迷っていると川を見つけたので体と服を洗う目的で着の身着のまま川に入ったのだ。
川の流れは緩やかで、綺麗だったのでちょうどよかった。
でも、服に染み付いた血の跡はほとんど落ちなかったが……。
水気を飛ばして一瞬で服を乾かす。所々に空いた穴から入る風が気になるが些事なので方っておく。
いくあても何も無いので川の下流を目指して進む。
空腹になったら適当な動物を捕まえて、それを食べながらひたすらに下流へと進んで行った。
やがて、アスファルトで舗装された道路が見えてきた。どうやら、人が通る道に出たらしい。
でも、全く人影が見当たらないが……。
山道を歩くよりも道路を歩いた方が早く移動出来るので道路を歩いていく。
太陽が沈み始める時間になっても誰とも遭遇しない。車すらも通ることがなかった。
夕陽が徐々に沈んでいき、月が出てくる。
「……ほう」
完全に日が沈み。月明かりと夜空に輝く星が大地を照らす。
道路の真ん中で立ち止まり、満点の星空を見上げる。と、少しだけ何かを感じた気がした。
そして、この時に目的が決まった。
記憶と感情を思い出すと言う目的が……。人形ではなくなるために。そして……時折、走るノイズの正体を知るために。
あのノイズが走ってる時だけ明確な感情が甦るのだから。きっと、記憶を思い出せば感情も戻ってくるはずだ。
何が切っ掛けで思い出すのか分からないので何の宛もないがそれ以外にすることがない。
さて、行こうか。
俺は月と星に照らされた道路を歩いていくのだった。
● ● ●
多分、深夜であろう時間帯に山小屋を見つけた。
今日はそこで朝まで休もうと思い、山小屋の扉の前に立つ。
扉には南京錠が掛けられていたがそれを壊して山小屋の中に入る。
小屋の中には小さな机と椅子が一組置いてあり、後はここを使っている人物のであろう着替えが置いてあった。
「…………ちょうどいいか」
ボロボロになっている服を脱いで、明らかに大きい山小屋に置いてあった服を着る。
長い分は切り落として短くしたが……どうにもブカブカである。こればかりはしょうがないとして、ズボンのジーパンはビニール紐をベルト代わりにしてずり落ちないようにしておく。
それらが一段落すると山小屋の中を改めて見直す。
すると、一冊の本が置いてあった。これ一冊だけなのでおそらく忘れていったのだろう。
その本を手に取り、内容を確かめる。
「…………ッ!」
その時、頭にノイズが走った。
―――うーん……■君はどんな話が好き? それによって私がオススメ出来るのが変わるんだけど……。
―――ミステリーものかな。トリックとかが面白くて。
また、あの
彼女を探せば思い出せるのか? 失われた記憶と感情を……。
その事も踏まえた上で動くか……。手に取った本を机の上に戻して俺は畳んであった毛布にくるまり目を閉じた。
● ● ●
日の出と共に山小屋を後にする。
まだ完全に日が上りきっていないので辺りの空気が涼しい。人によっては寒いと言うぐらいの気温だ。
そして、若干ではあるが霧が出ているため視界が悪い。百メートル先が見えないので注意しなくてはいけないだろう。
なので一応、道路の端っこの方を歩いている。
道路の真ん中を歩いていたら万が一があるかもしれないからだ。
「………………」
しばらく道路を歩いていると家を見つけたが明らかに人が住んでいるのか疑ってしまうレベルでボロボロになっていた。
ちょうどその家の前を通った時にガタンッ! と音がした。
その音の原因は家の屋根が落ちたからだ。
廃屋と言っても過言ではない家の中から小さな呻き声のようなものが聞こえてきた。
「……………………」
少し考えたのち俺は家の中に向かうことにした。
今が何月何日か訊くのとここが何処なのかを訊くためである。
家の中はボロボロで廃屋にしか見えない外観とはうって違い新品とは言わないが綺麗に掃除してあった。
床の端には埃が落ちてなく掃除してからまだそんなに時間が経っていないことを連想させた。そうなると先ほど聞こえた呻き声はなんだったのだろうか?
その疑問はすぐに解消された。
そこにはラジオが置いてあったからだ。大方、このラジオの音が呻き声に聞こえたのだろう。
だったらここの主は誰なのだろうかと思ったがすぐに一つの可能性に思い当たった。
昨日、白い粉のような薬を一気に飲んで喀血した女が掃除していたのではと。
少しばかり何かないかと部屋の中を漁ると一冊の日記が見つかった。
その日記を開いて内容を確かめる。
『やっと……あの子の仇を見つけることが出来た。これでようやくあの子の仇を取ることが出来る』
あの子の仇か……。
『あの化物は私の力によって記憶と感情を封印した。命を削るほどの暗示を掛けたのだまず解けることはないと践んでいる』
化物とは俺のことだろう。記憶と感情を封印したと明記されているし。
続きを読むためにページを捲る。
『ただ、誤算だったのはあの化物のしぶとさだった。直接心臓にナイフを突き刺してもすぐに再生してしまい一向に死ぬ気配がない。腹部を切り開き、内臓を直接手で潰しても叫び声すら上げない。気持ち悪い……手には今でも握り潰した内臓の感触が残っている』
そのページには血が滴ったようにこびり付いておりそれ以上は何が書いてあるのか分からなかった。
更に、ページを捲る。
『あの化物は時折、ノイズが走ると言っていた。何故だ、能力が解けかかっているのか? だから、それ毎に封印を重ねていった。薬を使って能力を強化しながら暗示を掛けていたがそろそろ限界だろう。私の体が持たなくなってきている。薬の副作用が更に拍車をかけるのだからしょうがない』
ペラッと次のページを開くそこには1枚の写真が貼ってあり、一組の男女が幸せそうな笑みを浮かべて写っていた。
男の方が名前を南雲 悠斗。女の方が南雲
写真の貼ってあるページの下の方にそう書いてあった。
化物とだけ呼ばれ俺の名前は分からずじまいであったが……記憶を失う前の俺はこの南雲 千陽に恨まれるようなことをしてしまったのだろう。
記憶と感情を封印して、殺しに来るほどなのだそれはとてつもない恨みだったはずだ。
俺は日記を閉じて、あった場所に戻すと家の中から出ていく。
そして、一度だけ振り替えるとすぐにその場を後にしたのだった。
〇 〇 〇
その日の夜。
肝試しに訪れた数人の若者たちによって一名の焼死体が発見される。
それだけでは大きく騒がれることをは無かったのだが……その死体が発見された場所に問題があった。
その死体が発見された部屋にはおびただしい量の血の跡があり、更に鎖の破片が落ちていた。それだけなら凶悪な事件なのだが……死体の方は焼け死んだのではなく薬を飲んだことによる中毒であり、部屋を汚していた血はその死体のものではなかったのだ。
そして、ある噂が流れた。
死体を燃やしたのは血の跡を残した人物だと……。
● ● ●
「いつになったら人と会えるのだろうか」
こんがりと焼いた熊の肉をかじりながらそう呟く。
現在地不明。鳥になって空を飛んで移動してもいいのだがそうなると俺のことを知っているであろう彼女を探すのが難しくなる。
上からだと顔を見て探すことが出来ないからだ。
どっち道、大変なのは変わらないが……。
熊の肉を食べ終わると骨を森の中に投げ捨てる。ビニールとかじゃないから問題ないだろう。
「ごちそうさまっと」
手に付いた汚れを分子レベルで分解して、手を綺麗にする。
それから、再び道路を歩き始めた。
歩くこと数時間。
目の前に門が見えた。
道理で人がいないわけだ。この門が閉じているから人が来ないのだ。
これで今まで誰にも遭遇しなかった理由が分かった。
俺はその門をジャンプして飛び越える。
着地は音も立てずに静かにだ。体が覚えているのか勝手にそうなるのだ。
となると……記憶を失う前は結構飛び降りたりしていたことが伺える。
それだけ分かっても肝心の記憶が戻らないので意味などないのだが……。
名前すら思い出せないから……俺を知ってる人を探さなければ名前すら分からない。
それまで、何て名乗ればいいのだろうか……。
まあ、今すぐ必要なことじゃないから考えなくていいか。あくまでも優先するのは記憶を取り戻す事なのだから。
そう言えば靴も新しいのにしないといけないな。ボロボロな上に汚れてるし……。
それに、そろそろ血が飲みたくなってきたし。やっぱり動物の血だと誤魔化しぐらいにしかならないか……。
道路の端を歩いていると一台の車を見つけた。
しかも、1人らしく運転席から出て煙草を吸っていた。ちょうどいいかあの人から血を吸おう。
「すいません」
「ん? なん…………」
煙草を吸っていた男性が振り返った瞬間に暗示を掛ける。
記憶を失っても忘れることのなかった力だ。失敗することはない。
今から十分間ほどの記憶を忘れてもらう。
それから、軽く男性の腕を切ってそこから血をいただく。
「……不味い」
でも、飲んでおかないと次はいつ吸血出来るか分からないので飲み続ける。
今度から吸血するのは健康そうな人からにしようと決めた。
誰が好んで不味い血を吸うのだろうか。記憶を失う前はもっと美味しい血を吸っていたような気がする。
ある程度血を吸うと男性の腕の止血をしてからその場を離れる。
血を飲んだことで足取りが軽くなったから、これでしばらくは休むことなく移動できる。さて、何処に行こうか……。
田舎の方に行くか都会に行くか……。まあ、何よりも時折、ノイズが走るときに見える彼女を探し出さなくては。
そっちの方が大切だ。しらみつぶしに探すしかないのが現状であるが……。
とりあえず……動くしかないか。邪魔は全て踏み越えて、真っ直ぐに記憶を取り戻すために。
「………………」
全ては記憶を失う前の俺に戻るためにね……。