少年指揮官の日常   作:トレモ勢

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一歩前へ

 

 

 “ケッコン作戦会議”についての資料を纏めるべく、エセックスは以前と同じ会議室で作業を続けていた。空調の効いた部屋には、紙の束を忙しく捲る音や、タブレット端末に繋がれたキーボードを軽やかに叩く音が断続的に響いている。皆が作業に没頭しているためか、殆ど会話が無い。顔を上げて、なんとなく周囲を見回してみる。

 

 エセックスの傍ではエンタープライズが陣取っており、前方の席では赤城が資料の山を積み上げていた。そこから少し離れた席では、オイゲンとヒッパーが忙しそうに手を動かしている。更に、エセックスの後方では、真剣そのものといった表情のアークロイヤルがキーボードを高速で叩いていた。そこで妙な違和感を覚える。

 

 以前の会議準備の際には、アークロイヤルはあんなに熱意や積極性を見せていただろうか。もっと冷静な第三者的な立場で、指揮官とKAN-SENの皆の合間を取り持つような雰囲気だったような気がするのだが……。エセックスが以前の会議準備の時のことを思い返そうとしたところで、会議室の後方から凛とした声が響いた。

 

「皆様、紅茶の準備ができました」

 

 ベルファストだ。微笑みを浮かべた彼女は、長引く作業時間の休憩ために、紅茶を用意してくれていたようだ。人工的な冷気が漂う会議室の中に、紅茶の良い香りが緩やかに広がる。作業を続けていたエセックス達の強張っていた空気も、ふっと柔らかくなった。集まっていた面々もそこで集中を一旦解いて、ベルファストから紅茶を受け取りながら礼を述べた。

 

 前にアークロイヤルに用意して貰ったものも絶品だったが、ベルファストが淹れてくれた温かいストレートティーも、それに劣らず美味だった。エセックスは知らず知らずのうちに背凭れに体重を預け、ほっと息を吐いていた。ベルファストの紅茶の御蔭で、スイッチが切り替わるように自然と肩の力が抜けていく。紅茶にはリラックス効果があると聞いたことがあるが、それを本気で実感する。

 

 これが本物かと思う。ロイヤルで揃えている高級な茶葉と、それを扱うベルファストの技術が組み合わさることにより、こんなにもリッチで優雅な気分にもなれるのか。感動と共にゆっくりと深呼吸を繰り返していたエセックスは、他の面々も同じような様子であることに気付く。会議室が一気に寛いだ空気になったところで、「そう言えば」とオイゲンが口を開いた。

 

「そろそろ水着の季節がやってくるワケだけど」

 

 オイゲンはエセックス達を見回しながら、薄く笑みを浮かべている。

 

「今回こそは、指揮官をビーチに誘い出したいところよね」

 

 寛いでいた筈の会議室の空気が、再び硬直するのが分かった。エセックスが無意識のうちに頷いたところで、エンタープライズが「……あぁ」と重厚な声を出した。

 

「今回こそは必ず、指揮官に水着を着て貰うぞ」

 

 ティーカップを傾けながら鋭い眼差しになったエンタープライズが、決意を新たにするような声で言う。迷いが無く、自身の志を一切疑っていない声音だった。まるで悪の組織の幹部にも似た貫禄を醸し出すエンタープライズに対し、「えぇ。確認するまでもないわね」と即座に同意を示したのは赤城だった。彼女は酷薄そうに唇を歪め、その切れ長の眼を物騒に細めている。相変わらず、この二人は仲が良い。

 

 

「そのことについて何だが、私から一つ提案があるんだ。……この写真は、私とベルファストが秘書艦の時に撮影したものなんだがな」

 

 そこでアークロイヤルが、ティーカップをソーサーに戻しながら真面目くさった顔になって、この場の面々を順に見た。急にどうしたのだとエセックスは軽く緊張してしまうくらい、今のアークロイヤルの眼には妙な力が籠っていた。その力みが伝染したのかは分からないが、傍に居るベルファストも表情も引き締めているように見える。

 

 手元にあったタブレットを手早く操作したアークロイヤルは、タブレットをスタンドに立たせ、「端末のカメラ機能でこれを撮ったんだが、ちょっと見てくれ」と、ディスプレイを皆に見える角度に固定した。そこに映っていたのは、ロイヤルのメイド隊衣装を着こんだ可愛らしい女の子が、顔全体を引き攣らせるような笑みを浮かべ、両手でピースを作っている写真だった。

 

 ……いや、違う。

 これは。女の子じゃない。

 

 長袖で筋肉が隠れているし、ウィッグか何かで髪の毛の量が増えて見えるが、これは指揮官だ。軽く化粧でもしているのか。本当に女の子のようだ。身長的に見て、シェフィールドのメイド服のサイズだろうか。それにしても……。……うわぁ、可愛い。エセックスは思わず溜息を漏らしてしまう。

 

 どう反応していいのか分からないようなしかめっ面を浮かべたヒッパーも、頬を赤くしながらじっと画面を見詰めている。眼を丸くしているオイゲンも、興味津々といった様子で食い入るようにタブレットに視線を注いでいた。

 

「こ、これは……っ!」

 

 赤城が物凄い衝撃を受けたような顔になって、タブレットを凝視している。

 

「大事件じゃないか……っ!!」

 

 エンタープライズが勢いよく立ち上がって叫ぶ。

 

 強烈な昂ぶりを見せる二人に対して、アークロイヤルは「まぁ落ち着け」とでも言うように、両手の掌を見せて、「私が思うに……」と意見を披露した。

 

「指揮官をビーチに誘い水着まで着て貰うのはハードルが高い。今までだってそうだったろう? だから、代わりと言っては難だが、こういう衣服をいくつか着て貰えないかと、何とか理由をつけてお願いするというのはどうだろうか? いや、何も疚しい気持ちはないんだ。ただ、そう、閣下の可愛らしさに私は気付いただけだ。そしてそれを心行くまで大切に愛でたいという気持ちは、皆にも分かるだろう?」

 

 話の途中から陶然し始めるアークロイヤルを見て、彼女が先ほどまで見せていた熱意や集中力に納得のいくものを感じた。要するにアークロイヤルは、指揮官に対して駆逐艦に似た可愛らしさを感じ取って激しく萌えていたということなのだろう。黙っていたベルファストが、そこで頷いて言葉を引き取った。

 

「ご覧ください。可愛らしく照れ笑い、はにかんだ御主人様の愛らしさを」

 

「いや……、はにかんでいるんですかね……」

 

 自信満々に胸を張るベルファストに、エセックスは困惑してしまう。指揮官のメイド姿の可愛さは認めるが、その笑顔が“はにかみ”に類するものだとは到底思えない。タブレットに映る指揮官の笑顔は大いに強張っていて、顔の筋肉をフルに使って何とか笑顔の形を保っているような様子にしか見えない。これを照れ笑いだと断じるベルファストのポンコツ具合も中々だ。

 

「……まぁでも、無理にビーチに連れ出したりするより、そっちの方が無難かもね。……アイツってさ、そういう海に行ったりして騒ぐの苦手っぽいじゃない?」

 

 タブレットの写真から視線を外したヒッパーが、緩く息を吐いた。

 

「将棋とかチェスとかゲームとか、ある程度の人数が限られてる場合とか、あとは、鉄血のパーティとかロイヤルのお茶会とかさ、そういう行事みたいなのはアイツも周りに合わせるっていうか、参加してくるみたいだけどさ」

 

 眉間に皺を寄せたヒッパーは、自分の記憶を辿るように視線を斜め上に放りながら、会議用の机に頬杖をついた。そして、下唇を突き出して面白くなさそうに、それでいて、拗ねているような、心配するような口調で続ける。

 

「基本的に、私達の輪の中に入ってくることに積極的じゃないでしょ、アイツ」

 

 確かにそうだったとエセックスも思う。花見や仕事を兼ねたイベント、母港内での大きな催しの準備などについては積極的に手伝ってくれるものの、いざ当日になってKAN-SEN達が楽しく過ごす空間に参加すること関しては、指揮官は消極的だった。

 

 常にKAN-SEN達から一歩引いているというか、離れた立ち位置から此方を見守っているというか、一定の距離感を維持しようとする頑固さが、ずっと指揮官にはあった。自分の存在が楽しい空気に水を差してしまわないかを恐れるようで、その姿勢は頑なだった印象がある。だから少し前に、ブレマートンがテニスの試合に指揮官を参加させたという話には驚いたものだ。

 

 そのついでのように、ブレマートンがテニスコート脇で指揮官を押し倒していたという情報が走ったのも同時期で、彼女が悩み相談として活用したりしている艦船通信では『指揮官を押し倒したというのは本当か?』という詰問とも尋問にもつかないもので溢れる事態となっていたのを思い出す。

 

 ただ、指揮官を巡る情報は常に錯綜していて、どれが真実なのか見当がつかない状態であるため、ブレマートンが指揮官をどうこうしたなどという話も、次から次へと湧いてくる噂に押し流されていった。つい最近では、『指揮官は妹キャラが好き』だという話が流れたが、真偽の程は定かではない。

 

 それはとにかくとして、ヒッパーとしては、指揮官を無理にビーチなどに連れ出すことに関しては賛成しない立場のようだ。

 

「ふぅん……」

 

 そこでオイゲンが意地悪なニヤニヤ笑いを浮かべて、ヒッパーを横目で見詰めた。

 

「な、何よ? 何か言いたいことでもあるわけ?」

 

「姉さんって、指揮官のこと大好きなのね」

 

「はぁ!? なんでそうなるのよ!」

 

「あら、違うの?」

 

「ちがっ、違うわよ!」

 

「その割には指揮官のこと、凄くよく見てるじゃない」

 

「アイツにはアンタを助けて貰った恩があるから、気にかけてやってるだけよ!」

 

 早口になって必死に言い返すヒッパーと、そんな姉を楽しそうに弄り倒すオイゲンのこういった遣り取りは、鉄血でも名物らしい。ティーカップを傾けていたアークロイヤルが「二人とも仲が良いんだな」と、くつくつと愉快そうに小さく笑う。

 

 渋い顔になったヒッパーが何かを言い返そうとしてアークロイヤルの方を見たが、唇をむにむにと動かしただけで結局何も言わずに、「ふん……!」と鼻を鳴らしつつ、その不自然な沈黙を誤魔化すようにティーカップを勢いよく口に運んで「熱っ!!」などと身体を仰け反らせていた。

 

「そう慌てずとも、お代わりも御用意してありますので」

 

 アークロイヤルの傍に控えるようにして佇んでいるベルファストも、微笑ましいものを見守る顔つきになっている。オイゲンはと言えば、仲が良いということを否定しなかった姉を愛おしむように横目で眺めてから、会議用のテーブルに身を乗り出した。

 

「確かに姉さんの言う通り。指揮官は、私達に対して慎重な距離を取っているわ。でも……」

 

 何事かを思案するように左手の人差し指で自分の唇に触れたオイゲンは、そこで伏し目がちに束の間の沈黙を一つ置いて、またすぐにエセックス達を順に見回した。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 

「最近の指揮官、ちょっと明るくなったと思わない?」

 

 それもまた、指揮官についてエセックスが感じていたことだった。

 

「分かる気がします。ちょっと砕けた感じになりましたよね」

 

 オイゲンの視線を受け止めたエセックスは、思わず頷いて居た。指揮官は基本的には、KAN-SEN達から適度に距離を取っている。それは間違いない。礼節を重んじ、職務にも誠実なところも変わらない。だが時折、エセックス達に控えめながらも甘えてくれるというか、KAN-SEN達を信頼しているが故の、いじらしい無防備さを見せてくれるようになった。

 

 この僅かな変化が覗くのは笑顔の種類であったり、言葉の端に滲むリラックスした雰囲気であったり、KAN-SEN達の冗談に対する反応であったりする。エセックス達に対する少年らしい無垢な信頼感を、指揮官も隠さなくなったからかもしれない。大勢のKAN-SEN達の中に積極的に混ざってくるようなことは無いが、指揮官とKAN-SEN達の個々の距離は、確かに近づいたように思う。

 

「私も、今の指揮官様は私達を大事にして下さりながらも、少しずつ心を開いてくれているのを感じるわ……」

 

 しっとりとした声でエセックスに続いた赤城も、手の中のカップを見下ろしながら遠い眼になっている。

 

「もしかしたらだが、何か指揮官に変化を与えるような出来事があったのかもしれない」

 

 腕を組んだエンタープライズが、赤城を横目に見てから鷹揚として頷いてから、何かにふと気付いたかのように顎に触れ、会議室に視線を流してから赤城に視線を戻した。

 

「今日は加賀の姿が見えないな。……演習か任務に出ているのか?」

 

 そう言えばと、エセックスも思う。会議準備には毎回のように顔を出していた筈の加賀の姿が見えない。重桜空母の加賀が出撃する類の任務も無かった筈だ。アークロイヤルやベルファスト、それにオイゲンやヒッパーもやはり、「そう言えば」といった表情になって顔を見合わせてから、エンタープライズに倣い、赤城に視線を向ける。

 

「加賀は今、自室で泥のように眠っているわ。ここ最近、碌に飲まず食わずで睡眠も削って、セイレーンに関する資料を読み漁っているのよ」

 

 頬に片手をあてた赤城は、妹の突然の行動に困惑と心配を乗せた溜息をまじらせて、「あの子ったら、何を考えているのかしらね」と零す。表情を曇らせた赤城を一瞥したオイゲンが、何かを思い出す顔になってからヒッパーを横目で見た。

 

「今朝の話だけど、私も加賀とばったり会ったわ。……ビスマルクの書斎から出てきたところでね。どっさりと文献を抱えて、これを借りていくとか言って重桜寮へ戻って行ったけど」

 

「急に研究職に目覚めたのかしらね。……なんか随分と憔悴した様子だったわ。足もふらついてたし、目の下もクマも凄かったし……。きつく瞬きを繰り返しているのも、頭痛を堪えてるみたいだったわね」

 

 ヒッパーがオイゲンに頷いてから心配そうに言うと、オイゲンが肩を竦めた。

 

「手伝おうかって声を掛けたんだけど、『問題ない』って断られちゃったわ」

 

 そこで、「ふむ……」と思案顔になったアークロイヤルも加賀について何か知っているようだ。

 

「加賀が何を調べているのかは私にも分からない、だが、加賀は前にも増して敵に苛烈になったな。戦っているというよりも、何かを必死に探しているようでもある」

 

 腕を組んだアークロイヤルは、戦闘海域の加賀の姿を思い出すようにして瞑目している。

 

「そうなんですよ。最近の加賀さん、海に出た時は常に誰かを探すような目つきなんですよね」

 

 エセックスも思うところがあり、アークロイヤルの発言に自分の言葉を繋げたところで、頭の中で不気味に光るものを感じた。加賀が妙に切迫した雰囲気を纏いだしたのと、指揮官が変化を見せ始めたのは同じ時期ではないかと思ったのだ。ただ、それを口にするのは何となく憚られた。妙な胸騒ぎがする。

 

「……戦いの中に自分の存在価値を見出す方は、KAN-SENの中にも少なからず居られます。強力な力を持つ加賀様のことですから、己に相応しい強敵をセイレーンの中に見つけようとしてるのかもしれません」

 

 ベルファストがエセックスに続いて、控えめに言う。

 

「確かに、ピュリファイアーやオブザーバーなんかを探しているのなら、あの眼つきも頷ける気がしますね」

 

 彼女の予想に追従するように意見を述べたエセックスも、そうであって欲しいという自身の希望的観測なのかもしれない。

 

「……何にせよ、無理は禁物だ。赤城。私に手伝えることがあるなら遠慮なく言ってくれと、加賀に伝えておいてくれ」

 

 口許に少しの笑みを浮かべたエンタープライズは、赤城に気を遣わせない程度な鷹揚さで言う。エセックス達もエンタープライズに続いて頷き、赤城を見遣った。

 

 皆が加賀を案ずる気配に触れた赤城は、少しのあいだ驚いたような表情になっていたが、すぐに表情を緩めた。それからこの場の面々を順に見ながら「あの子のことを心配してくれて、ありがとう」と、感謝を述べた。無敵艨艟と称えられ、戦場海域では常に威風を漂わせる赤城だが、こういう時に見せる彼女の真摯な態度からは、妹を想う優しさと芯の通った誠実さが伺える。

 

 そこで、アークロイヤルがスタンドに立てていたタブレットにメールが届いた。それが明石からのものであると分かり、全員に緊張が走る。現時点での全員分の解析が終わったのであろう、指揮官からの好感度LVの報告メールだ。ただ、エセックス達の間の緊張は長続きせずにすぐに緩み、会議室を冷やす空調の中に解けていく。その好感度に大きな変化はないと、皆が分かっているからだ。

 

 指揮官の好感度は、一定値から上がらない。

 指揮官は誰に対しても平等だからだ。

 

「まぁ今回も、前と同じ数値だろう」

 

 そう言って軽く笑ったエンタープライズが、タブレットに指を滑らせた。メールのファイルを開いたところで、『えらいこっちゃにゃ!!』という、明石の手書きの注釈が大きく入っていることにエセックスは気付く。

 

「なんかメッセージがあるけど」

 

 肩眉を下げたヒッパーが不審そうに言う。

 

「冷やかしかも」

 

 緩く笑みを作ったオイゲンが人差し指を伸ばした。

 

「そうかもしれませんね」

 

 エセックスも苦笑を洩らしたところで、アークロイヤルやベルファスト、それに赤城もつられて小さく笑みを零した。タブレットが数値の羅列を表示される。好感度LVの一覧だ。

 

 まずはエンタープライズがタブレットに視線を流し、自身の好感度LVを確認したところで、「なっ!!?」と緊迫した声を上げた。かと思えば、勢いよく立ち上がりながら満面の笑みを浮かべ、右拳を握り固めて高々と掲げた。迫真のガッツポーズだ。

 

「優勝だ!! 優勝したぞ!!」

 

 ……この人はいったい、何を言っているのだろう。

 

 僅かに身を引いたエセックスは不審者を見る目になって、エンタープライズを観察してしまう。

 

 物凄く嬉しそうな顔で叫び出すエンタープライズは、エセックス達を見回し涙目になっていた。野球を熱心に観戦している酔っ払いオジサンのような風情であり、自身の内に溢れる感動に翻弄されている様子だ。エンタープライズが見せる唐突な高揚に、アークロイヤルも呆気に取られているし、ヒッパーやオイゲン、赤城にしても警戒を滲ませた表情で彼女を見守っている。

 

 一体何があったのかとタブレットを確認したベルファストまでもが、次の瞬間には力強いガッツポーズを作り、「このベルファスト、優勝致しました!」などと感極まった声で言いだしたので、本当に何事かと思った。

 

 もしや明石は、見た者の正気を失わせる呪いのファイルか何かを送って来たのではないか。或いは、この会議室内に、著しくⅠQを低下させる魔法陣でも展開されているのか。

 

 少々身構えつつ、エセックスは慎重にタブレットの画面に視線を向ける。特に変わったところはない。この時は無意識のうちに自分の数値を探していた。すぐに見つかる。エセックスの好感度LVは『好き・LV90』だった。それを確認した瞬間、頭の中に火花が散る思いだった。今までの記憶がスパークする。

 

 明石によって解析された“指揮官からのKAN-SENに対する好感度”は、

 

『友好』

『好き』

『ラブ』

 

 の3段階に分類される。だが、今まで誰も『友好』の枠から出た者が居ない。だが、今回のエセックスはついに『友好』の枠を飛び超え、『好き』のカテゴリに突入していた。しかも、LVは90と、かなり高い数値を記録している。そう。つまり、『ラブ』まであと一歩のところまで来ているということだ。

 

「優勝!! 私も優勝しました!!」

 

 気付けばエセックスも、頭の悪いことを叫びながら拳を天へと突きあげていた。

 

「エセックス様も優勝されたのですね!」

 

 エセックスの優勝を、優しい笑みを湛えたベルファストが祝ってくれる。

 

「優勝おめでとう、エセックス!」

 

 颯爽としたエンタープライズが握手を求めてくる。自分でも意味不明な感動に翻弄されるエセックスは涙ぐみながら、「ありがとうございます!」と、球児が監督に頭を下げるような勢いで会釈を返して握手を交わし、その後にはベルファストとも硬い握手を交わした。3人で存分に祝賀ムードを満喫する。瓶ビールがあったら頭から被りたい気分だった。

 

「あっ!」

 

 タブレット睨んでいたヒッパーも、高い声を出してガッツポーズを作り、ぱっと表情を輝かせた。

 

「私もよ! 私も優勝!!」

 

「……ちょっと待って、姉さん」

 

 はしゃぎだそうとするヒッパーに対し、冷や水をぶっかけるような冷静な声を掛けたのはオイゲンだった。表情を動かさないままのオイゲンはタブレットに指を滑らせ、表データの隅々まで視線を届かせている。オイゲンの両隣では、赤城とアークロイヤルの二人もタブレットを睨んでいた。

 

「明石の言う“えらいこっちゃ”というのは、なるほど、……こういう事か」

 

 アークロイヤルが納得顔に笑みを過らせながら、感慨深そうな声を洩らした。

 

「えぇ。確かにこれは、大きな事件ね」

 

 微かに涙ぐむ気配を見せた赤城も、タブレットを見詰めながら微笑んでいる。

 

 彼女達の冷静さに引き摺られるようにして、エンタープライズとベルファストも、再びタブレットを覗き込み、エセックスもそれに倣う。表示されている図表データに目を通したところで、エセックスも気づく。好感度が『好き』になっているのは、エセックスだけではない。エンタープライズやベルファストだけでもなく、全員だ。

 

 この母港に所属するKAN-SENの全員の好感度が、『友好』から『好き』に上昇している。そして、データに表示されている殆どの好感度LVが90以上の高い水準である。これでは全員が優勝ではないかと、エセックスは愕然とする思いだった。

 

「これは、いったい……」

 

 エセックスは混乱しつつ、少々困惑気味のエンタープライズやベルファストと顔を見合わせたところで、オイゲンが緩く鼻を鳴らした。

 

「さっきまでの話に立ち戻るなら……、指揮官と私達の距離が近づいたのも、このデータに現れているということかしら」

 

 何かを思考する時の癖なのか。先程と同じように、オイゲンは人差し指で自分の唇に触れながら思案顔になる。だが、すぐにその唇の端を持ち上げて余裕のある笑みを作り、この場の面々を見回した。

 

「これだけ皆の好感度が高いのなら、水着もメイド服も、指揮官は難なく着てくれそうね」

 

 どこまで本気なのか分からない声で言うオイゲンだが、その琥珀色の眼には、潤むような穏やかな光が佇んでいた。冗談めかした口振りが、オイゲン自身の感情の揺らぎを覆い隠すものだということは、エセックスにはすぐに分かった。指揮官に救われた身である彼女にとって、この好感度の大きな変化には動揺しているに違いない。

 

 エセックスは、先程のエンタープライズが言っていた「指揮官に変化を与える何かが在ったのかもしれない」という言葉を思い出す。そして同時に、今まで指揮官の好感度が一定値から上昇しなかったのは、KAN-SEN達に要因があったのではなく、指揮官の心に蟠る何かが、その好感度を抑えていたのではないかと思った。

 

「指揮官はやっぱり、少しずつ私達に心を開いてくれてるんですね」

 

 優勝だ! などと騒いでいた熱もすっかり冷めてしまったエセックスがポツリと洩らすと、隣にいたエンタープライズが難しい顔になった。

 

「……その言い方だと、指揮官は今まで私達に心を開いてくれていなかったみたいじゃないか?」

 

 遺憾そうに言うエンタープライズに、エセックスは「あぁ、いや、決してそう意味では無いのですが」と、慌てて違う言葉を探そうとした。

 

「彼女が言っているのは、指揮官様が私達とより親密になろうとしてくれている、という意味でしょう」

 

 そこで助け船を出してくれたのは、穏やかな表情で一つ頷いて見せた赤城だった。

 

「その言い方が一番しっくり来る」赤城に続いてアークロイヤルが頷いた。「今も多少は砕けた態度にはなったが、もう少し気楽にしてもらった方が我々も仕事がしやすい。今までの閣下は、我々に気を遣い過ぎだったからな」

 

「えぇ。御主人様は我々を労うことに第一として、心をいつも砕いて下さいます。……思えば、全く困った御主人様です」

 

 敬愛を含ませて静かに言い切ったベルファストが、上品な笑みを零す。

 

「言えてる」眉を寄せながらも口許に笑みをつくったヒッパーが、小さく肩を竦めた。「アイツの気遣いとか遠慮って、やり過ぎててこっちにも伝染ってくるし」

 

「姉さんは繊細ツンデレの癖にツンの部分が強いから、指揮官からしてみても扱いが難しいのよ。きっと」

 

 平然とした顔のオイゲンが指摘すると、ヒッパーが眉を吊り上げた。

 

「誰がツンデレよ!? 私はアイツにデレたことなんて一度もないわよ! 何を勘違いワケ!?」

 

「ふふ……、はいはい」

 

 オイゲンは微笑ましいものを見る表情になってひらひらと手を振った。「アンタさぁ……」とヒッパーが言い返そうとしたところで、

 

「そのヒッパー様の発言こそが“デレ”なのではありませんか?」

 

 ベルファストが伝統芸能を堪能するかのような眼差しで言う。エンタープライズが、「奥深いものだな」などと感じ入るような口振りで続いて、ヒッパーの言動に注目し始めた。

 

 ヒッパーの方はと言えば、肩をいからせ眉を吊り上げてはいたが、これ以上何かを言うとまたオイゲンに弄られて墓穴を掘ると判断したようで、ムスッとした顔になって腕を組み、黙り込んだ。愛嬌のある彼女の仕種に、場の空気がふわりと軽くなる。拗ねてしまった姉を見て、オイゲンも可笑しそうに笑った。

 

 エセックスも小さく笑みを零しながら、タブレットをもう一度見遣る。数多くのKAN-SENの名前の其々に、指揮官とのエピソードが詰まっている。今までの日常で育まれたものが力強く宿り、KAN-SEN一人一人に良い影響を与えている。心を開いてくれつつある指揮官との日常が、これからも続いていくことを想う。

 

 ただ、その日常は永遠ではない。この母港も、ずっと今のままであり続けることは無い。各々の陣営に分かれ、道を違える時も来るだろう。だが、この暖かい日々の思い出を携えて、心の中で温め直すことはできる筈だ。

 

 今日この日を懐かしく思う時、エセックスは重桜や鉄血のKAN-SENと対立しているかもしれない。だが、そんな過酷な未来があったとしても、今のエセックスが抱いている穏やかで温かな感情は真実であり、仲間や指揮官を想う気持ちも、共に過ごして来た時間も嘘ではない。

 

 この風景と今の感情は、いつか必ずエセックスを鼓舞してくれるだろう。その確信をそっと胸にしまい込むと、緩い溜息が漏れた。

 

 

 

 








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