少年指揮官の日常   作:トレモ勢

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番外編  潦の果てを想う

 母港内で催されるイベントで、KAN―SEN達が中心となってカフェを切り盛りするという企画が通ったのは、少し前。

 

 結果から言えば、鉄血陣営を中心に準備が進められたこの企画は大成功で、カフェの営業時間になれば、他の陣営からのKAN-SEN達も手伝いにくるほどの繁盛を見せている。

 

 数字に強く、分析と改善を得意とするビスマルクさんの手腕も遺憾なく発揮されており、それを補佐するティルピッツさんやフリードリヒさんの活躍もあって、売り上げも順調も伸ばし続けているという話だった。

 

 僕が店に訪れたのは、昼のピーク時は過ぎた時間だった筈だが、それでもホールと厨房の方からは忙しそうに動き回るKAN-SENの皆の気配を感じた。

 

「やってきたわね……。私の使い魔にして、御主人様」

 

 僕が注文したコーヒーを持ってきてくれた彼女は、唇の端を少しだけ持ち上げてみせる。妖艶な微笑みだった。ただ、その艶のある表情にも、いつもとは少し雰囲気が違うように感じた。彼女の声音が、微かに弾んで聞こえるからだろうか。

 

「……それ、矛盾してませんか?」

 

 僕が控えめに指摘すると、彼女──アウグストさんは目許を緩めて、微笑みを深めた。

 

「ふふふ。矛盾とは、道理が通ってこそ成り立つ言葉でしょう?」

 

 今の彼女が纏っている服装は、いつもの魔女装束ではない。少々露出度の高いメイド服である。

 

「今の貴方は、私の御主人様。私は“貴方に仕えもの”……。今はこの仮初の夢を楽しんでおきなさい」

 

 凄絶な艶を含んだ彼女の声は、周囲の騒がしさに掻き消されるどころか、逆に立体感と存在感を増して、僕の身体を縛ってくるかのようだった。

 

「えぇ。お邪魔させて貰います」

 

 白旗をあげるようにして肩を竦めた僕は、ゆっくりと息をついたあとで、さっきから気になっていたことを尋ねた。

 

「……でも、1人客である僕が、この席を使わせて貰ってもいいのでしょうか?」

 

 僕が案内されたのは、カフェの最奥にあるボックス席である。

 

 客席が並ぶホールから離れており、厨房に近い壁際に設けられた席だった。広々とした4人掛けで、高めの仕切りで区切られている。窓からは海が見えて、景色も良い。ただ、そんな上等な席に僕1人が陣取っているというのは、少々居心地が悪かった。

 

「気にする必要は無いわ」

 

 そんな僕の心境など、もう見透かしているのだろう。アウグストさんは小さく鼻を鳴らして、僕の正面の席に腰掛けた。

 

「この席は客用ではなく、スタッフが休憩する為のスペースに使っているから」

 

「あぁ、そうでしたか」

 

 このボックス席だけが、やけに客間から離れていることに納得する。

 

「貴方をこの席に案内したのは、ウルリッヒでしょう?」

 

 微笑みのまま、色っぽく僕を見下ろすような目つきになったアウグストさんが、テーブルに肘杖をつく。

 

 艶美で優雅な仕種だったが、彼女が纏っているメイド衣装の所為で、酷く煽情的でもあった。たっぷりとした彼女の胸の膨らみが、テーブルの上で柔らかそうに弾んでいた。

 

「ウルリッヒは休憩になっても、この席は使わず、裏口で1人の時間を過ごしていたはず。そのウルリッヒが貴方を此処に案内してきたところを見るに……。ふふふ。貴方、本当は客としてカフェに来たのではないのでしょう?」

 

 いつものように、何もかもを見透かしたような容赦のない口振りで、アウグストさんは朗々と言う。

 

「恐らく貴方は、カフェの様子を遠巻きに眺め、忙しそうだと気を遣い、せめてスタッフ達に労いの言葉を掛けようとして裏口に回り、そこで休憩していたウルリッヒに掴まった……。それで半ば強制的に、裏口からこの席に案内された、といったところかしら?」

 

「あぁ。その通りだ」

 

 アウグストさんの推測を肯定したのは僕ではなく、のっそりとボックス席に入ってきたウルリッヒさんだった。怜悧な美貌に気怠そうな表情を張り付けている彼女は、露出度の高いメイド服を着こみ、手にタルトケーキを乗せた小皿を持っていた。

 

「コイツの他人行儀が、今日はやけに癇に障った。だから、店の中に連れ込んでやったんだ」

 

 僕の隣の席にどっかりと腰を下ろしたウルリッヒさんは、ぶっきらぼうな手つきで、ケーキを僕の前に置いてくれた。それから、横目で睨むような目線を向けてくる。

 

「せっかく来たんだ。温かいコーヒーを飲んで、ケーキでも食べて行け。私の奢りだ。遠慮などするなよ」

 

 彼女の琥珀色の瞳には、僕を責めるような険しさと、親身な優しさがあった。その声音も、厳しさよりは、僕を労うような温もりが感じられるものだった。

 

 冷然とした雰囲気を纏うウルリッヒさんだが、彼女が他の鉄血KAN-SENの皆と同じく、思慮深く仲間想いであることは僕も知っている。その彼女が、わざわざ僕の為にケーキを用意してきてくれたのだ。

 

 僕は、ウルリッヒさんに気を遣わせてしまっていることを自覚した。そう言えば、と思う。ウルリッヒさんが秘書艦を務めてくれたのは、つい数日前だ。

 

 あの時も、僕は彼女に気を遣わせるような態度や表情を無意識にしていたのだろうか。そのことを意識すると心苦しかった。自己嫌悪と後悔を覚えながら、今は確かに、遠慮などすべきではないと思った。

 

「……すみません。ありがとうございます」

 

「ふん」

 

 上手く笑みを作れているかどうか不安だったが、ゆっくりと瞬きをしたウルリッヒさんは、特に何も言わず鬱陶しそうに鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった。

 

「えぇっ、あの……っ」

 

 ただ、そっぽを向いたままの彼女が、ずいっと身体を寄せてくるだけでなく、腕を回し、僕の肩をしっかりと抱いてきたので驚いた。

 

 僕の向かいの席で肘杖をついていたアウグストさんも、思わずといった様子で背筋を伸ばし、目を見開き、僅かに頬を染め、何度か瞬きをしていた。

 

 僕とアウグストさんが、一瞬だけ目を見合わせた時だった。僕の肩を抱いたウルリッヒさんが腕に力をこめて、ぐいっと僕の身体を更に引き寄せてきた。当たり前ではあるが、凄い力だった。

 

 何の抵抗も出来ず身体を傾けられた僕は、すっぽりとウルリッヒさんの腕の中に納められてしまった。ほとんど抱き寄せられるような恰好である。密着してくる彼女の体温の柔らかさに、僕は焦る。だって。僕の右頬の下あたりに、ふるるん、という感触がある。ウルリッヒさんの左胸の側面が直に当たっているのだ。というか、押し付けられている。

 

 束の間、狼狽した僕は声を出せないまま、再びアウグストさんと目が合った。アウグストさんは拗ねたように唇を少し尖らせ、眉をハの字にして、細く窄めた目で僕を睨んでいた。そんな顔をされても、僕にはどうしようもない。

 

「他の者や駆逐艦の子達はどうか知らないが、私はお前の笑顔が好きになれない」

 

 僕の肩を強く抱いたウルリッヒさんが、静かな琥珀色の瞳を向けてくる。

 

「お前の笑みは、整い過ぎているんだ」

 

 穏やかで落ち着いた彼女の声音には、やはり僕のことを心配する響きがあった。

 

「作り笑いが精巧であれば精巧あるほど、お前の心は見えなくなる。お前の本心から、私たちは遠ざかってしまう」

 

 そこで言葉を切ったウルリッヒさんは、形の良い眉を下げて、寂しげな表情になる。彼女の琥珀色の瞳に映り込む僕が、潤むようにして微かに揺らぐのが分かった。

 

「前にも言ったが、言いたいことがあるなら全部吐き出せ。私には何も隠すな」

 

「えぇ。それは、もちろん……」

 

 指を向けてくるウルリッヒさんに、僕は目線だけで頷く。顔を動かすと、彼女の胸がより強く密着してしまうからだ。

 

「相談すべきことは、ちゃんと相談させて貰っているつもりですよ」

 

「……ふぅん。果たして、それは本当かしら?」

 

 横から低い声を挟んできたのは、疑わしいものを見る顔になったアウグストさんだった。

 

 僕の表情だけなく、目の動き、呼吸、鼓動、それら全てを探るような彼女の眼差しは、まさに魔女という言葉が相応しいほどに容赦なく、冷徹だった。それでも残酷でないのは、アウグストさんが僕のことを、ある程度は信頼してくれている証だろうと思った。

 

「皆さんに隠し事ができるほど、僕は器用ではないですよ」

 

 そう答える僕は、やはり笑みを作るしかなかった。出来るだけ無様で、頼りない笑顔を意識した。それが功を奏したのかは分からないが、ウルリッヒさんはこの場の深刻な空気に区切りをつけるように、そして、僕の内部に踏み入るのを諦めるように緩く息を吐き出した。

 

「……まぁ、お前は人を疑うことを知らない腑抜けだからな。何かを隠し通す根性など、確かに無さそうだ」

 

 諦念を籠めた呆れ口調で言うウルリッヒさんに続いて、アウグストさんも何かを言いたげに唇を動かしていたが、結局は黙ったままで、僕を睨むように見つめてくるだけだった。

 

 僕のことを使い魔と呼ぶアウグストさんは、普段から僕と彼女との関係の中にある、何らかの“勝利”や“敗北”を重要視している様子だった。だが僕は、彼女の言う“勝利”や“敗北”にも、執着することがなかった。

 

 それは、僕がアウグストさんを軽視していた、というワケではない。指揮官として僕にとって重要なのは、アウグストさんに信頼して貰い、鉄血の皆と、そして他陣営のKAN-SEN達とも力を合わせて貰うことだった。

 

 無論、アウグストさんの言う“勝利”や“敗北”が、この僕たちの信頼関係や戦力に関わってくるのであれば、僕も意識を改めていただろう。結局のところ、ウルリッヒさんの言う通り、僕は『他者を疑うことを知らない腑抜け』なのだ。

 

 そもそも消滅を待つ僕は、KAN-SENの誰かを疑うことに意味を見出せなかった。だから僕は、自分自身を疑うべきだった。つまりは、『KAN-SENの皆に、僕が出来ることは何なのか』と──。

 

「おい」

 

 賑やかなカフェの中で、このボックス席にだけ沈黙が降りつつあった。だが、それを許さなかったのは、落ち着いた表情のウルリッヒさんだった。

 

「こっちを向け」

 

 未だに僕の肩を抱いたままのウルリッヒさんは、空いている方の腕を伸ばして、テーブルの上に置いてあったフォークを手に取った。それから、フォークでケーキを切り分けて、突き刺し、僕の顔の前に持ってくる。

 

「食べさせてやる」

 

 前にもこんなことがあったような気がする。あれは確か、オイゲンさんがトリュフチョコを持ってきた時だった筈だ。

 

「いや、自分で食べられますよ。というか、そろそろ……」

 

 抱いている肩を放して欲しいと伝えるべく、僕がやんわりと言ったところで、またアウグストさんと目が合う。アウグストさんは眉をハの字にして、唇をヘの字にひん曲げていた。今まで見たことのない種類の表情だった。……あれは一体、どのような感情を表現しているのか。

 

 そんなことを暢気に思っていると、ケーキを刺したフォークが、ずいっと顔に寄って来る。

 

「この組んでいる肩を解けと言うのか? 馬鹿なことを。どっぷりとハマった相手とは、一緒に居たいと思うのが人情というものだろう?」

 

 見れば、ウルリッヒさんは唇の端を持ち上げて、機嫌の良さそうな、冗談めかした不敵な笑みを過らせていた。

 

「さぁ、口を開けろ」

 

 命令口調で言われ、僕は何と抗弁するべきかを考える。だが、今のウルリッヒさんを説得するよりは、大人しく従う方が、場の空気にも角が立たない気がした。

 

「……わ、分かりました」

 

 僕は言いながら、おずおずと口を開ける。そこにケーキが押し込まれて、咀嚼する。アウグストさんの視線が突き刺さってくるが、敢えて無視した。

 

「美味いか?」

 

 無邪気な聞き方をしてくるウルリッヒさんに、口を手で抑えた僕は、「ふぁい」と答える。「そうか」と満足そうに目を細める彼女を見て、僕は少しだけ胸が詰まった。

 

 こういう時の彼女の表情こそは、KAN-SENでとしてのウルリッヒさんのものではなく、彼女という“個人”のものなのだと思った。

 

 無闇な感傷に流されたくなくて、僕はケーキの味に集中する。このカフェの手作りなのだろうケーキは、本当に美味しかった。香りのよいコーヒーもだ。思わずホッと息を吐いてしまう。

 

 あぁ。このコーヒーは、マインツさんが淹れてくれたものだと分かった。程よい酸味と苦味の余韻を味わっていると、「おい、次だ」と勢いのある言い方をするウルリッヒさんが、更にケーキを僕の口に運ぼうとしてくる。

 

 勿論、僕はケーキを残すようなことはしたくないので大人しく食べさせて貰うのだが、こうも次々と『あーん』をして貰うと、まるでピッチングマシーンから飛んでくる球に向かい合い、バットを振っているかのような感覚になる。

 

 もう少しゆっくりと食べたい気持ちもあったが、世話好きなウルリッヒさんが楽しそうなので、僕は何も言わずに、急ぎながらもケーキとコーヒーを大事に味わう。

 

 一方で、さっきから唇を尖らせているアウグストさんは眉根を寄せ、テーブルに肘杖をつき、そのテーブルを指でトントンと叩いている。

 

「……従順なのは見ていて退屈よ。指揮官。抵抗こそが、私と貴方を繋ぐ絆だと言うのに」

 

 拗ねたような口調になったアウグストさんは、ワケの分かるような分からないようなことを言ってくる。一体彼女は、僕にどうしろと言うのか。

 

 僕が思わずアウグストさんの方を横目で見ると、彼女は「私もケーキを持ってくるから、待っていなさい」などと、澄ました涼しい顔のまま、いそいそとボックス席を立とうとしていた。

 

「そんなに幾つも甘いモノを食べたら、コイツが虫歯になる」

 

 そのアウグストさんを制したのは、緩く首を振ったウルリッヒさんだ。

 

「あぁ。そうだ。お前も、ここで少し休憩していくといい。私が膝枕をしてやろう」

 

 保護者然とした優しい口振りになった彼女に、僕は、いや、僕だけでなくだけでなくアウグストさんも当惑気味になっている。

 

「いえ、もうケーキもコーヒーも頂いたので、そろそろ執務室に戻りますよ。それに、ウルリッヒさんの休憩時間を、これ以上僕の為に使って貰うのも悪いですし」

 

「私とお前との関係だろう。今更、何を気にしているんだ? ……それに私は、私の為に、お前と過ごしたいんだ」

 

 僕の肩を掴んだままで放そうとしないウルリッヒさんの声が、途中で切実な響きを宿すのが分かった。僕はウルリッヒさんを見詰めてしまう。彼女の琥珀色の瞳は、底知れない暗さを湛えて居ながらも、まっすぐに僕を見ていた。

 

 “自分の為に生きろ”。

 

 以前、ウルリッヒさんが言ってくれた言葉を、僕は思い出す。そして、僕という存在が、彼女の人生の中に存在していることを実感した。それと同時に、僕は、彼女の人生に“存在していた”と、過去形になることを想ったときだった。

 

「……ひとは、つくづく感情には逆らえないものね」

 

 僕とウルリッヒさんを眺めて居たアウグストさんが、艶のある溜息を吐いた。やれやれといった口振りではあるが、彼女の表情自体は、どこか満足そうだった。何らかの確信を得て、嬉しそうでもある。

 

「愛情というものには、特に」

 

 アウグストさんの青みがかった鈍色の瞳は、冷たく冴え渡っていた。彼女は、僕を見ていたのではないのだと、このときに分かった。アウグストさんは、僕を見つめるウルリッヒさんの眼差しの中にあるものを、注意深く観察していたのだ。

 

「あぁ。間違いない」

 

 ウルリッヒさんは愉し気に頷いて、気を取り直すようにして、挑むような笑みを浮かべて僕を見た。

 

「指揮官。お前は、私達のことを愛しているか?」

 

 それはあまりに真っ直ぐでありながらも、予想外の問いかけだった。

 

 ウルリッヒさんは、僕の肩を抱いているというよりも、肩を組んでくるような体勢である。この状況で、「私のことを愛しているか?」と尋ねられたのならば、それは恋人同士の語らいのような風情もあっただろう。そして、僕とウルリッヒさんの間だけで完結する遣り取りだった筈だ。

 

 だが彼女は、「私達を愛しているか」と訊いてきたのだ。それは、ただ僕の感情の在り方を訊いてくるのとは、大きな違いがあるはずだった。

 

 僕はウルリッヒさんからの問いかけを通して、自分自身に問いかけねばならなかった。つまりは、僕にとっての“愛”とは一体何なのか、ということだ。鏡の中に映る自分の姿を眺めるような気分で、僕は自分の内部に言葉を探ってから、答えた。

 

「えぇ。僕は、皆さんを愛していますよ」

 

 ウルリッヒさんが微かに息を詰まらせ、アウグストさんが言葉を飲み込む気配があった。

 

 愛とは不安定で、自由なものだと思う。歴史の中に人類が誕生してから、数百億の人口が抱いた感情である筈なのに、未だに定義すらできていない感情だ。愛には多くの形があり、深さがあり、色合いや濃淡があり、そのどれもが真実である。

 

 僕を殺害することで、僕の存在を永遠にしようとしたローンさんの決意を、1つの愛の在り方だと捉えることが、決して間違いではないのと同じように。

 

 僕は指揮官として、この母港の基地機能の、その装置の一部としてあるべきであり、そうあろうとしてきた。その僕が何かを“愛する”とは、やはり、僕を指揮官たらしめてくれていたKAN-SENの皆に感謝し、彼女達の幸福な未来を願い、祈ることだった。

 

 僕は、彼女達の未来に存在しない。だが、僕が彼女達を“愛する”ということは、結局は、僕の消滅したあとの世界を想うことだ。そして、未来を受け容れるということは、過去を肯定することと表裏一体であるはずだった。

 

 ならば僕は、KAN-SENの皆を愛することを介して、僕自身が生きた時間を愛することも出来るのだと思った。

 

 “自分の為に生きろ”。

 

 あのウルリッヒさんの言葉が、僕の人生と重なっていくのを感じた。僕が、僕の為にKAN-SENの皆を想うことを──、僕が、僕を愛することを肯定してくれる言葉だった。

 

「……貴方らしいわ」

 

 緩い息を吐いたアウグストさんが、冷然と澄んだ瞳を僕に向けている。「実に下らなくて、つまらない答えね。でも、それでこそ……」徐々に熱を帯びてくるアウグストさんの声音からは、確かに、僕に向けられた“愛情”を感じた。

 

「あぁ。何の捻りも無くて、月並みで、どうしようもなく陳腐で、面白みに欠ける答えだ」

 

 喉を低く鳴らすように笑ったウルリッヒさんは、僕と組んでいた肩を解いて、ゆったりと席に凭れた。

 

「もう少し、肩の力を抜いたらどうだ? 真面目なのはいいが、過ぎると視野が狭まるぞ。ストレスも溜まるしな」

 

 優しい顔になったウルリッヒさんは、そこで「あぁ」と、何かを思い付いたような声を発してから、僕を見据えた。

 

「お前もメイドをやれ」

 

「……はい?」

 

 彼女は何を言っているのだろう。しかも命令口調で。場の空気を和ませるには、少々唐突な冗談ではないか。僕は首を傾げそうになるが、「あぁ。それは名案ね」と、アウグストさんが愉快そうに声を弾ませるのを聞いて、背筋に生ぬるいものを感じた。

 

「ロイヤルのメイドから聞いたわ、指揮官。あなた、メイド服が良く似合うそうね」

 

 優雅で意地悪そうな笑みを浮かべたアウグストさんが、チロリと唇の端を舐めた。思わず僕が眉間を曇らせるのを見たウルリッヒさんが、「そう警戒するな」と笑みを深めるので、より警戒してしまう。

 

「さっきも言ったが、お前は真面目過ぎるんだ。溜めているものは、発散できるときに発散しろ。祭りのあとが虚しくともな」

 

「……その発散のために、僕もメイドになれということですか?」

 

「あぁ。いい気分転換になる。それに、私もベルファストから聞いた。お前はメイド服が似合うと。きっと、店に来るKAN-SEN達も狂喜乱舞するだろう」

 

 クールな表情をしたままで、ウルリッヒさんは無邪気なことを言う。

 

「ふふ。通り雨に打たれたとでも思って、身を任せてみなさいな」

 

 既にメイド服を纏っているアウグストさんの口調も、他人事を眺めるような気楽さだった。奇妙な熱と期待の籠った2人の視線に曝されてしまうと、僕はもう頷くしかなった。「決まりだな」と唇を歪めるウルリッヒさんは嬉しそうだ。

 

「ふふ。指揮官も、この仮初の夢をちゃんと楽しむ気になったようね」

 

 感心するような言い方をするアウグストさんも、少女の様な笑みを浮かべていた。彼女達は立ち上がり、僕のためのメイド服を持ってくるつもりらしい。そもそも、僕が着るようなメイド服などあるのかと疑問に思ったが、ベルファストさん辺りが既に用意していても不思議ではないように思えた。

 

 ボックス席に残された僕は、カフェの店内に満ちている、活き活きとして厚みのある喧騒に耳を澄ませる。この騒がしさを改めて愛しく感じながら、アウグストさんが先ほど口にした、「通り雨」という言葉の感触を、胸の内で確かめ直していた。

 

 僕がメイドをするという予定外のトラブルを通り雨と言うならば、僕の消滅もまた、KAN-SENの皆にとって、通り雨のようなものであって欲しいと思った。

 

 音も無く去って行く悲しみのように、優しく雨水が流れていくように、彼女達の中にある僕の存在もまた、時間と共に薄れていってくれることを願う。

 

 “お前は咲くな”

 

 いつかの加賀さんの言葉が胸の奥で甦ってきて、その僕の想いと、あの桜吹雪の景色が混ざり合う。雨水に揺れる花弁が、どこか、誰の意識も届かない場所まで運ばれていく情景が浮かんだ。

 

 加賀さんは言っていた。咲いた花は必ず散るのだと。だが種が実るのは、花弁が全て散ってからだ。僕は、僕が消滅したあとの世界を真に愛せること確信することができた。それは独りよがりな幸福かもしれない。だが僕にとっては、自分自身の存在を託すべき、最後の祈りなのだった。

 

 

 









キャラクターの描写など、不自然な点や気になる点などがありましたら、ご指導頂ければ幸いです……。今回も最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

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