少年指揮官の日常   作:トレモ勢

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※タグを修正させていただきました。
 少し強めのキャラ崩壊と、独自設定や解釈の匂わせにご注意下さいませ……
 





憎んでいる、全てを

 

 

 閉じた瞼の向こうに、微かに光を感じた。眠気を頭の中から払いながら、執務室のソファに横になって仮眠を取っていたことを思い出す。一度大きく息を吸いこんで、ゆっくりと吐き出した。窓を開けていたからだろう。風が入ってきている。緩く、涼やかな空気の流れを頬に感じた。心地よい微睡のなかで、先ほどまでの記憶を手繰る。

 

 

 今日の秘書艦は、ビスマルクさんとツェッペリンさんだった。二人とも、とにかく仕事ができる。でき過ぎる。今日もデスクワークの大半があっという間に終わり、昼過ぎには時間に大きく余裕ができてしまった。そこでビスマルクさんが、「少し顔色が悪いわね。……しばらく横になるといいわ」と、僕に仮眠を取るように勧めてくれたのだ。僕は反射的に「いえ、大丈夫ですよ」と答えそうになった。だが、ツェッペリンさんが口を開く方が早かった。

 

「遠慮はいらんぞ。片付けられそうなものは此方で処理しておく」

 

 言いながら僕を横目で見たツェッペリンさんの声音は、有無を言わさない圧力を感じさせた。それで結局、「で、では、15分だけ仮眠を頂きます」と頭を下げ、僕は二人の厚意に大人しく甘えさせて貰うことになった。

 

 まだ目を覚ますように声を掛けて貰ってはいないから、15分が経ったわけではないのか。それとも、ビスマルクさんとツェッペリンさんの二人に、僕をもう少し長く休ませてくれようとする気遣いや意図があって、あえて僕を起こそうとしていないのか。いずれにせよ、そろそろ体を起こして仕事に戻ろうと思った時だった。

 

「ふふふ……」

 

 誰かの気配をすぐ近くに感じた。

 

「あら、おはよう」

 

 僕が目を開けると、悪戯っぽい笑みを浮かべるオイゲンさんが居た。携帯用端末をカメラのように構え、僕が寝ころんだソファの横にしゃがみこんでいる姿勢だった。

 

「あ、お、おはようございます」

 

 慌てて身を起こした僕は、髪が乱れていないか涎で口許を汚していないかを確認する。どうしてオイゲンさんが此処に? 僕の頭に浮かんだ疑問を察してくれたのだろう。

 

「今しがた、オイゲンが演習の報告書を持って来てくれてな。卿の寝顔は貴重だと、はしゃいでいたのだ」

 

 書類に目を落としていたツェッペリンさんが僕の方へと顔を上げ、唇の端に小さく笑みを浮かべた。

 

「……もう少し寝ていても、仕事の方は大丈夫よ?」

 

 ツェッペリンさんと同じく、ソファに身を起こした僕の方へと顔を向けたビスマルクさんは、僕を気遣うように言ってくれる。腕時計を確認すると、僕が仮眠を取り始めてから20分ほどが経っていた。15分で僕を起こさず、そのまま寝かせておいてくれたのだ。やはり二人は、より長く僕に休息をとらせてくれるつもりだったのだと分かった。

 

「お気遣い感謝します。でも、もう休ませて頂きましたから」

 

 そうと答えつつ、僕はソファから立ち上がろうとしたが、出来なかった。

 

「ビスマルクが言ってるんだから、指揮官はもう少し休んでいればいいのよ」

 

 オイゲンさんが僕の肩を抱くというか、しなだれ掛かるように身体を寄せてきたからだ。僕の太腿にオイゲンさんのお尻が乗ってくる勢いだったし、肩のあたりにも柔らかい体温がのしかかってくる感触が在った。

 

「私、凄く良いタイミングで執務室に来ちゃったみたいね」

 

 嬉しそうに言うオイゲンさんの手には携帯用端末があり、そのディスプレイには僕の寝顔が映っていた。端末のカメラ機能によって撮ったものなのだろうと分かる。

 

「それ、消してくださいよ……、恥ずかしいです」

 

 抗議するように僕は言うが、オイゲンさんは涼しい顔のままで更に身を寄せてくる。いや、それだけじゃなくて、ぺろっと唇を舐めて湿らせた彼女は、そのまま僕の耳元に顔を寄せてきた。

 

「それじゃあ今夜、指揮官のベッドで一緒に添い寝して、私も寝顔を見せてあげるわ。それでおあいこにしましょう」

 

 僕の耳朶を擽るように、オイゲンさんは小声で言う。妖艶で蠱惑的な囁きだった。オイゲンさんの体温を含む吐息が、ゆるゆると僕の首筋を撫でていく。ゾワゾワとしたものを感じた。僕は思わず首をすっこめる。その仕草を見て、オイゲンさんは可笑しそうに笑う。悪戯が成功した少女のようだった。

 

「……オイゲン。そうやって貴女がはしゃいでいては、指揮官が休めないわ」

 

 秘書艦用の執務机で書類の束を揃えながら、ビスマルクさんが低い声を出した。じとっとした視線を向けられたオイゲンさんは「それもそうね」と肩を竦めて、すぐに僕から離れる。彼女の澱みの無い身のこなしは、まるで大きな猫のようだ。オイゲンさんから解放された僕は、自分の執務机に戻るか、このままソファに座っていていいものかと迷う。

 

 このまま仮眠を続けるにしても眠気は覚めてしまったし、ビスマルクさんとツェッペリンさんの厚意に遠慮して仕事に戻るのも気が引けた。かといってぼんやり座っているのも居心地が悪い。やることが無くなって手持無沙汰になるのは、僕にとっては贅沢過ぎる悩みに思えて落ち着かない。

 

「えぇと……、では休憩を頂いている間に、皆さんにコーヒーを淹れてきますね」

 

 何かできることは無いだろうかという思いで、僕はソファから立ち上がる。すると、「我も手伝おう」とツェッペリンさんも執務机から離れようとしたので、「いや、これくらいは僕にさせてください」と、僕はそれを慌てて手で制した。ビスマルクさんも何か言いたげな表情をしていたが、僕は気づかないフリをしてコーヒーの用意を始める。

 

「せっかく指揮官がコーヒーを用意してくれるなら、皆で一息つきましょうよ。もうすぐオヤツの時間だし。それにビスマルク達が秘書艦をしているんだから、どうせ仕事も殆ど片付いているんでしょ?」

 

 ソファに深く凭れ掛かったオイゲンさんが、ぐぐぐっと大きく伸びをしながら言う。実際その通りであるため、ビスマルクさんとツェッペリンさんの二人が顔を見合わせるタイミングで、「えぇ。そうしましょう」と僕も頷いた。秘書艦の二人から特に反対の声が挙がることも無く、4人でソファテーブルを囲むことになった。

 

 さっきは気づかなかったが、オイゲンさんは差し入れを持ってきてくれていた。高級そうな箱型パッケージに納められた、トリュフチョコレートの詰め合わせだ。それをソファテーブルの真ん中に置いて封を開けると、上品で濃厚な香りが広がってくる。

 

「……こんな高価そうなものを、我らに振舞っても良いのか?」

 

「もちろん。皆で食べようと思って取り寄せたんだから。ヒッパーやニーミ達の分もちゃんとあるから、遠慮しないで」

 

 オイゲンさんはツェッペリンさんに答えながら、チョコレートのパッケージに付属していたオシャレなプラスチックの楊枝でチョコを突き刺し、ひょいと口の中に放り込む。その仕草には、相手に気を遣わせない為の気遣いのような、オイゲンさんの繊細な心の配りようが見てとれた。

 

「そうか。では……」

 

「頂くわね」

 

 ツェッペリンさんとビスマルクさんも、プラスチックの楊枝を使ってチョコレートを口に運んだ。僕も一つ貰って口に含むと、すぐにチョコレートが舌の上で溶け出す。ほろ苦くも上品な甘さの後に、芳醇な香りが抜けていく。とても美味しい。僕は小声で「うわぁ、美味しい」と漏らしてしまう。

 

「コーヒーとよく合うでしょ?」

 

 嬉しそうな笑みを浮かべるオイゲンさんは、僕が淹れたコーヒーを啜りつつ、僕や、ビスマルクさん、ツェッペリンさんの反応を順に見ていた。位置的に、オイゲンが僕の隣に座り、僕とオイゲンさんと向かい合う格好で、ビスマルクさんとツェッペリンさんがソファに腰を下ろしている。だから僕からは、チョコレートをゆっくりと味わい、満足そうに息を漏らすビスマルクさんとツェッペリンさんの様子がよく分かった。

 

「濃厚だけど、甘過ぎず口溶けも良いのね。好きな味だわ」

 

 ビスマルクさんは更に一つ、チョコレートに手を伸ばす。

 

「うむ。甘美なものだ……」

 

 チョコレートの余韻に浸るように瞳を閉じたツェッペリンさんは、ゆったりとした仕種でコーヒーを啜る。

 

 二人の様子を見ていたオイゲンさんが、嬉しそうな笑みをそっと深めていることに僕は気付く。その笑顔には僕をからかう時に浮かべるような妖艶な雰囲気はなく、自分が美味しいと思ったものを誰かと共有できた喜びから、自然と零れたものなのだろうと思えた。僕は、この場に暖かい温度が満ちていくのを感じながら、目の前に居るビスマルクさんとツェッペリンさんを順に見た。

 

 今のような平穏な時間を享受できるようになる前の、鉄血陣営を率いていた頃のビスマルクさんのことを思い出す。かつてのビスマルクさんは、張り詰めた空気を纏う、隙も余裕も全くないような人物だった。ツェッペリンさんも、周りの者を払うような強烈な威圧感を常に放っていたのを覚えている。オイゲンさんにしてみても、今のような悪戯っぽさのある親しい雰囲気など微塵も感じさせない、剥き出しの冷徹さを隠そうともしていなかった。

 

 それが今では、僕も一緒になって皆でチョコレートを食べながら、穏やかな時間を過ごしている。彼女達は、あの頃に比べて確かに変わったと思う。明確に笑顔が増えた。その変化を齎したものは、他の陣営の人々との交流であり、戦場海域での信頼であり、その中で育まれた友情なのだろう。人の精神を形作るのは、その人の交流関係と環境だ。

 

 ビスマルクさん達に大きな変化を与え得る貴重な出会いの場となったのであれば、この母港や指揮官としての僕の存在も、セイレーンとの戦争の為の基地や立場以上の意味が在ったのではないか。コーヒーを啜りながら、そんな勝手なことを考えた時だった。

 

「指揮官」

 

 隣から声を掛けられた。オイゲンさんだった。チョコを突き刺したままのプラスチック楊枝を僕に向け、小悪魔的と言っていい笑みを浮かべていた。状況が上手く理解できない僕が、オイゲンさんとチョコを見比べていると、さらにズイっとチョコが突き出されてきた。

 

「はい、あーん」

 

「えっ」

 

 僕は間抜けな声を漏らし、もう一度、突き出されたチョコとオイゲンさんを交互に見た。オイゲンさんは笑みを深めつつ、「ほら、口を開けて?」と、妙に色っぽい声で言ってくる。食べさせてくれる、という事だろうか。子供扱いされる気恥ずかしさから、オイゲンさんから視線を逸らした時だった。

 

 コーヒーカップに口を付けようとする姿勢のまま微動だにしないビスマルクさんと、チョコレートを口に入れる寸前の姿勢のままで動きを止めたツェッペリンさんが、僕の方を凝視していることに気付く。ただ、「あの、ど……、どうされました?」などと僕が二人に訊ねる間もなく、再びオイゲンさんが体ごと寄ってくる。

 

「いや、あの、一人で食べられますから……」

 

「遠慮しないの。ほら」

 

 オイゲンさんは全く引かない。

 

「ぅ……、ぃ、いただきます」

 

 ソファの端に追いやられた僕が殆ど観念したように口を開くと、オイゲンさんは優しくチョコレートを食べさせてくれた。ビスマルクさんとツェッペリンさんの視線を強く感じる。刃物の切っ先を向けられているような感覚だった。怖い。チョコを咀嚼するものの、ちゃんと味が分からなかった。

 

 僕にチョコを「あーん」で食べさせたことに、とりあえずは満足したのか、オイゲンさんは機嫌よさそうな笑みを浮かべ、それ以上はチョコを突き出してくるような事はなかった。僕が胸の内でホッとした次の瞬間だった。

 

「指揮官よ」

 

 真剣な表情のツェッペリンさんが、ソファテーブルから身を乗り出すようにして僕にチョコを突きつけてきた。彼女の纏う雰囲気が余りにも迫真で、僕は一瞬、チョコレートではなく大型の拳銃でも向けられているのかと錯覚し、ビクリと肩を撥ねさせてしまった。

 

「口を開けるがいい」

 

 彼女の紅い眼が、真っ直ぐに僕を視ている。

 

「あ、あの、まだ口の中に、チョコレートが残っていますので」

 

 舌の上で溶けかかっているチョコレートを頬の内側に寄せ、口許を手で隠し、僕はモゴモゴと喋る。すると、ソファテーブルに身を乗り出したままのツェッペリンさんが眉尻を下げて、傷ついたような顔になった。

 

「わ、我のチョコレートは、口に入れることは出来ないと?」

 

 明らかにしょんぼりとした彼女の声音に、僕は焦る。

 

「いえ、ぃ、いただきますね……」

 

 相変わらずモゴモゴと喋った僕は、ツェッペリンさんが差しだしてくれたチョコレートを口に含み、必死に味わう。

 

「うむ」

 

 低い声を出したツェッペリンさんはと言えば、妙に晴れやかな顔になってソファに深く凭れ掛かり、長く奇麗な脚を組もうとしているところだった。静かな貫禄と聡明な優雅さに満ちた彼女だが、こういう時に僕の遠慮が全く伝わらないというのはどういうことなのだろう。理不尽を通り越して神秘的ですらある。大粒のトリュフチョコを2つも頬張り、不可解な顔をしたリスみたいになっているだろう僕を見たオイゲンさんが、可笑しそうに笑った。

 

「……次は、私の番ね」

 

 緊張を押し殺すかのような硬い声を出したのは、ビスマルクさんだった。いそいそとチョコレートにプラスチック楊枝を突き刺している。そんなビスマルクさんを横目に見たオイゲンさんが、また僕の方へと身を寄せてきた。

 

「前から訊きたかったんだけど、指揮官はどんな女性がタイプなの?」

 

 隣にいるオイゲンさんから、何の脈絡もない質問を投げかけられる。突然のことに僕はうまく受け止めることが出来ず、一瞬の間だけ固まってしまった。この場の空気に奇妙な緊張感が走るのが分かった。中途半端に腕を伸ばし、チョコレートを僕に向けて差しだそうとしていたビスマルクさんは、ソファから半分ほど立ち上がった姿勢で動きを止め、オイゲンさんに抗議するような視線を向けている。

 

「ちょっとオイゲン、次は私が……」

 

 ビスマルクさんが言いかけたところで、「ふむ、興味深いな」と、足を組みかえたツェッペリンさんが鋭い眼差しを向けてくる。「でしょ?」とオイゲンさんが、楽しそうに相槌を打ちつつ、僕の口にチョコレートを押し込んできた。僕は再び、必死に口を動かして、口の中一杯にあるチョコレートを必死に溶かす。美味しいのだが、もうちょっとゆっくりと味わいたい。ビスマルクさんは釈然としない様子でソファに座り直し、僕に差し向けていたチョコを自分の口に含み、もむもむと唇を動かしている。

 

「それで、さっきの質問なんだけど」

 

 オイゲンさんが、僕をからかうような流し目を送ってくる。

 

「……明確にお答えするのは、僕にはまだ難しいですね」

 

 僕は苦笑を返すしかない。

 

「それじゃ、もっと大雑把な訊き方に変えるわ」

 

 楽しげに言って、オイゲンさんは質問を重ねてくる。

 

「指揮官は、私達みたいな重巡や戦艦、空母より、駆逐艦とか潜水艦の子の方が好み?」

 

「ぃ、いえ、誰と比べて、誰の方が好みとか、そういうことはありませんよ」

 

 母港にいる彼女達に優劣をつけて、区別するつもりは僕には毛頭なかった。「ふぅん……」と、何かを探るかのような目つきになったオイゲンさんは、「じゃあ、髪の色は?」と、ついでのように言葉を足した。

 

「髪、ですか?」

 

「そう。噂では、指揮官はビスマルクみたいな金髪が好きって聞いたんだけど」

 

 オイゲンさんが言うと、ハッとした顔になったビスマルクさんが、コーヒーカップを口に付けた姿勢のままでガタっと立ち上がって、すぐに座り、慌てた手つきでコーヒーカップをテーブルに置いてから、自分の髪にさっと触れながら何かを言いたげに唇を動かし、結局なにも言わず、またソファから立ち上がりかけて、すぐに座り直した。

 

「……挙動不審だぞ、どうした?」

 

 半目になったツェッペリンさんが、自分の豪奢な銀髪を弄りながら面白くなさそうに言う。

 

「い、いえ、何でも無いわ」

 

 そう答えたビスマルクさんは、俯きがちにコーヒーを啜った。

 

「ねぇ、どうなの?」

 

 こちらの顔を隣から覗き込んでくるオイゲンさんは楽しそうだ。

 

「その噂がどういったものなのかは知りませんが、僕は、そういう話を誰かと話したことはありません」

 

 僕は、やはり苦笑を返すしかない。

 

「そういった容姿の一部だけを切り取って、特別に心を惹かれた経験は、まだありませんから」

 

「じゃあ、ティルピッツと一緒にお風呂に入ってたっていう話は?」

 

「えぇ……」

 

 そんな噂が出回っているのか……。強い困惑を感じながらも、その噂の内容を早急に否定しようと僕が口を開くよりも早く、ビスマルクさんとツェッペリンさんが同時にソファから立ち上がった。二人はソファテーブルを蹴飛ばすような勢いだった。コーヒーカップがガチャンと揺れる。

 

「それは本当!?」

 

「それは本当か……」

 

 揃った二人の声は、いまにも艤装を纏い出撃しそうな程の迫真性と緊張感に溢れていた。そんな二人の様子を楽しそうな顔で眺めたオイゲンさんが「冗談よ、冗談」と、肩を竦めながら茶目っ気たっぷりに言う。

 

「そういう冗談はやめてくださいよ……」

 

 僕は思わず疲れた声を出てしまう。

 

「指揮官は真面目な話ばかりするから、これくらいの冗談でバランスが取れるのよ」

 

 全く悪びれないオイゲンさんが、この場の空気を混ぜっ返して面白がっているのは明らかだったが、一方で僕は痛いところ突かれた気分になる。僕は何をするにしても遠慮と逡巡ばかりで、場を和ませるような冗談を言うのが得意でないのは事実だ。

 

「……でも、そういう冗談は感心しないわ。オイゲン」

 

「全くだ。焦ったぞ」

 

 ビスマルクさんとツェッペリンさんがソファに腰を下ろし、ふぅ……と息を吐いているのを見てから、「あっ、そうだ」とオイゲンさんがソファに座ったままで二人に向きなおった。

 

「さっき指揮官が仮眠を取っていた時のことなんだけど」

 

 人差し指で自分の唇に振れたオイゲンさんは、そこで勿体ぶるようにそこで言葉を切って、横目で僕を見詰めてくる。視線を向けられて黙っているわけにもいかず、とりあえずと言った感じで、「は、はい……」と頼りない相槌を打つ。

 

「ビスマルクが、指揮官の寝顔をチラチラ見てたわよ」

 

「いえ、み、見ていないわ」

 

 即座に答えたビスマルクさんだったが、その落ち着いた声には微かな動揺が見えた。

 

「そう言われてみれば……、指揮官が仮眠についてからは、ビスマルクの手元の書類もなかなか片付いていなかったな」

 

「……そんなことは無いわ。気のせいよ」

 

 ソファに姿勢よく腰掛けているビスマルクさんは、ゆったりとした仕種でコーヒーを啜る。穏やかさのある余裕に満ちた態度だ。だが、僕の方を見た彼女の視線が、一瞬だけ泳ぐのが分かった。なんとなく気まずさを感じた僕はソファに座ったままで、秘書艦用の執務机を見遣る。ビスマルクさんは背も高いし、秘書艦用の執務机で仕事をしていても、ソファで横になっている僕の全身が見ることが出来るだろう。

 

 仮眠を取るように勧めてくれたビスマルクさんは、僕の体調を気遣ってくれていた。仮眠を取っている僕のことをチラチラと見ていたのなら、それはきっと、僕の様子を気にかけてくれていたのだろうと思う。ただ、そのことで僕に気を遣わせまいとして、ビスマルクさんが否定をしているのであれば、僕はどうやって礼を述べるべきだろうか。そんな風に考え始めた時だった。

 

「見たければ見せてあげるわよ」

 

 軽やかな口調で言うオイゲンさんが携帯用端末を取り出し、指を滑らせ、ディスプレイをビスマルクさんとツェッペリンさんに見せるように持った。きっと僕の寝顔が表示されているのだろう。気恥ずかしさを覚えるが、まぁ、別に良いかと思う。僕の間抜けな寝顔で、場の空気が重くならずに済むのなら。

 

 そう思ったが、どうやら違うようだ。ビスマルクさんが飲んでいたコーヒーで噎せ帰り、ツェッペリンさんが「ほぅ……」などと、新種の花でも発見したかのような声を出している。何事かと思い、僕はオイゲンさんの方へと顔を向ける。

 

「あら、間違えちゃった」

 

 ワザとらしく言うオイゲンさんは、携帯用端末の画面を僕にも見せてくれた。そこに映し出されていたのは、書斎か何かの机の上に突っ伏し、分厚い本やセイレーンに関する資料の束、書類の山に囲まれたままで居眠りをする、ビスマルクさんの寝顔だった。組んだ腕に乗った彼女の頬が、柔らかそうに形を変えている。普段の怜悧な美貌を剥がした、リラックスしきった無防備な姿がそこにある。

 

「どう、ビスマルクも中々可愛いでしょ?」

 

 微笑みながら言うオイゲンさんは、友人を自慢する口振りだ。

 その嫌味のない笑顔に、僕は素直に頷いてしまう。

 

「オイゲン……!」

 

 一頻りゲホゲホとやったビスマルクさんは、前のめりにソファから立ち上がった。ついでに、オイゲンさんの持つ携帯用端末を奪い取ろうと腕を伸ばす。プロボクサーのフリッカージャブのような疾さだった。だが、ビスマルクさんの手は届かない。オイゲンさんもソファから立ち上がり、すっと身を引いたからだ。

 

「そんなに怒らないでよ。ちょっとした冗談でしょ?」

 

「そういう冗談は感心しないと言っているのよ……!」

 

「指揮官にも可愛いって言って貰えたし、素直に喜べばいいのに」

 

 そう言いながら、オイゲンさんはそのままソファから離れ、執務室を後にしようとする。

 

「指揮官もビスマルクも、働き過ぎると死ぬわよ?」

 

「待ちなさい……、ちょっと……!」

 

 ビスマルクさんがソファから離れた時には、オイゲンさんは執務室の扉に手をかけ廊下に出ていくところだった。「指揮官、美味しいコーヒーをありがとう。御馳走様」と言い残し、颯爽と執務室を後にした。此方こそ、美味しいチョコレートをありがとうございますと礼を言おうとしたのだが、間に合わなかった。

 

「指揮官、すぐに戻るわ……!」

 

 早口で言うビスマルクさんも、オイゲンさんを追いかけていく。その背中に、あまり急ぐと危ないですよ、気を付けてくださいね、と声を掛けたものの、果たして届いたのだろうか。執務室には、僕とツェッペリンさんが残される形になる。

 

 

 

「ふん。騒がしいことだ」

 

 コーヒーの残りを飲み終えたツェッペリンさんは口元に微笑みを浮かべ、さっきまで騒がしさの余熱を楽しむように言う。

 

「それだけ、あの二人の関係が良好だということでしょう」

 

「……ビスマルクもオイゲンも、あの頃から変わったものだ。それに我ら鉄血と、他の陣営との在り方もな。卿の下では過去も現在もなく、多くの蟠りが独りでに解消されていくかのようだな」

 

 口許の笑みを残したままのツェッペリンさんは、伏し目がちに遠い眼になって、低い声を洩らす。

 

「僕は、この母港を機能させるための神輿みたいなものですよ。僕の手腕が皆さんを取り纏めている訳ではありません」

 

 僅かに居心地の悪さを感じた僕は、食べ終えたチョコレートの箱と、コーヒーのカップを片付け始める。

 

「セイレーンと戦うために、皆さん一人ひとりが積極的に協力態勢をとってくれているからこそ、その交流の中で、皆さんの中に良好な関係が築かれ、補強されて、今のような平穏を享受できるまでになったのは間違いありません」

 

 カップを片付けながら、人に影響を与えるのは、その人の持つ交流であるという言葉を思い出す。ビスマルクさんやツェッペリンさん、それにオイゲンさんもまた、波音が響き合うように、誰かに良い影響を与えているのも間違いない。

 

「誰か一人でも欠けていれば、母港が今のような平穏さを保っていることも無かったでしょう」

 

「……ならば卿も同じだ。卿が欠ければ、この母港は在り様を一変させるであろう」

 

 ツェッペリンさんは言いながらソファから立ち上がり、テーブルの上に置かれたコーヒーカップやソーサー、スプーンを手に持つ。片づけを手伝ってくれるようだ。

 

「恐らくだが卿は、自分の代わりなどいくらでも居ると考えているのだろう? 以前、この母港にセイレーンの襲撃が在った時もそうだ。……卿は己の傷よりも他者のことを気に掛けていたな」

 

 片付ける手を止めたツェッペリンさんが、僕の方を見下ろす。

 

「数日間の昏睡の後、眼を覚ました卿が開口一番に何を言ったのか覚えているか? 『ビスマルクさんとオイゲンさんは、無事ですか?』と、卿は言ったのだ」

 

 滔々と語るツェッペリンさんの声に力が籠るのが分かった。彼女の紅い眼が、今は怒っているように見える。僕は反応に困りつつも、直ぐにあの時の記憶が色濃く蘇ってくる。

 

 

 

 

 鉄血の駆逐艦、潜水艦を逃がすため、時間を稼ごうとしたオイゲンさんとビスマルクさんが、人型のセイレーン──、オブザーバーの触手に捕まったのだ。ちょうどその場に居合わせた僕は、手にしていた軍刀を抜き放ち、駆け出していた。僕の身体は、逃走よりも攻撃を選択していた。

 

 今にして思えば、すべてが仕組まれたようなタイミングだった。

 

 生物型の艤装を駆るオブザーバーは、その艤装から生える触手をゆらゆらと揺らしながら、僕を見下ろしていた。あの眼は何かを確かめる眼だった。試験管の中の化学反応を観察する冷徹な眼差しだった。同時に、年の離れた弟を遊びに誘うような、不気味な親近感を孕んだ眼差しでもあった。ただ、あの時の僕はそんなことを気にしなかった。そんな余裕も無かった。文字通り必死だった。何の工夫も創意もなく突っ込んで行った僕は、オブザーバーの触手の標的にされた。

 

 伸びて伸びて伸びまくって押し寄せてくる触手は、僕の腕や脚や肩の肉を切り裂き、打ち据え、削った。ひどい出血であることは僕も分かった。自分の体の中から、生きていくために大切な何かが零れていく感覚は今でも覚えている。それでも、僕は止まらなかった。自分の中から出発する何かが、僕を衝き動かしていた。無力に逃げるよりも、オイゲンさん達を助けられる可能性に賭け、微力ながらも戦って死ぬことを無意識に選んだ僕の身体は、傷ついても信じられないほどに速く動いた。

 

 迫ってくる無数の触手を躱し、潜り、飛び越え、飛び乗り、触手から触手へ飛び移り、触手の上を駆け上がっていた。興味深そうな表情を作った彼女が、唇を動かしていた。何を言っているのかは、どうでもよかった。僕は、少女の姿をしたセイレーンへと刀を振り上げて、そして──。

 

 

 そこまで思い出すと、急速に口の中が渇いてきて、喉の奥に血の味がした。

 

 

 

 

「あの時は、僕も無我夢中だったんですよ……」

 

 自分が何を弁解しようとしているか分からなくなる。

 

「すまない。卿を責めるつもりでは無かったのだ。我は、オイゲンのように話をするのが得意ではなくてな。……訊き方を変えよう」

 

 ツェッペリンさんは暫く黙ってから、一つ息を吐いた。

 

「卿は、我が沈んでも、我の代わりが居ると思うか?」

 

「そ、それは……!」

 

 思わず語気が強くなりそうになり、僕は慌てて言葉を飲み込む。そんな僕の様子を見たツェッペリンさんは、ふっと微笑んだ。

 

「我にとっても、卿の代わりなどいない。卿さえ居なければ、我は未だ、全てを憎んでいられたのだろうがな。……卿が、我の憎悪の破れ目になったのだ」

 

 普段よりも幾分か柔らかく、しかし、何処までも心の籠った声だった。ツェッペリンさんはカップやソーサーを持った手とは反対の手で、僕の頬に振れた。その手袋越しに、ツェッペリンさんの体温を微かに感じる。

 

「命を粗末して、我らの前から居なくなるようなことは許さん。そうなれば我は全てを差し置いて、卿こそを憎むぞ」

 

「それは、……怖いですね。気を付けます」

 

 僕の答えは全く気の利いたものでは無かったかもしれないが、ツェッペリンさんは気に入ってくれたようだ。

 

「精々、肝に銘じておくことだ」

 

 威圧的な言葉とは裏腹に、声音は優しいものだった。

 













 最後まで読んで下さり、ありうがとう御座います!
 

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