少年指揮官の日常 作:トレモ勢
「指揮官、これを。戦局に関するメールだ。確認するといい」
「えぇ、有難う御座いざいます」
秘書艦であるモナークさんの集中力は凄まじく、大量のデスクワークに追い掛けられるどころか、逆に追い回して蹴散らす勢いだった。仕事中の彼女は静かなもので、僕との会話も必要最低限度の遣り取りだけだ。粛々と書類の山を片付ける彼女の仕事ぶりは、僕の出る幕などないのではないかと思う程だ。
「指揮官様ぁ、此方にも新しいメールですぅ~。毒見は、大鳳が舌でしておきましたわ」
「あ、あぁ……、えぇと、はい、ぁ、有難う御座います……」
もう一人の秘書艦である大鳳さんも、楽しげな高揚を巻き散らしつつ、モナークさんと甲乙つけがたい仕事ぶりを見せてくれている。はしゃぎながら書類を捌く彼女だが、実務でもミスが皆無であることは、その優秀さの証だろう。
秘書艦である彼女達に補佐されて仕事をこなす。それは普段と変わらない僕の仕事風景だが、ここ数週間の間は、少しだけ変わっていた。秘書艦の片方をモナークさんに固定しているのだ。勿論、理由もある。
「手を止めてすまない。指揮官、この報告書の確認を」
かなり重そうな書類の束を抱えたモナークさんが、僕にそれを手渡すため、秘書艦用の執務椅子から立ち上がった時だった。
「ぐっ……!」
モナークさんが低く呻き、その体がガクンと傾いた。倒れかけた彼女は執務机に手を付き、何とか身体を支える。すぐに動いてくれたのは大鳳さんだった。モナークさんの手から書類の束がバサバサと音を立てて零れるが、それよりも先に、大鳳さんは素早く椅子から立ち上がって駆け寄り、モナークさんの身体を支えてくれていた。僕もすぐに執務用の椅子から立ち上がり、モナークさんの傍に駆け寄ろうとしたが出来なかった。
「大丈夫だ……! 指揮官は座っていてくれ」
血を吐くように言うモナークさんに強く睨まれ、近づくことを拒絶されたからだ。僕に心配されることを極端に恐れているようであり、自身の状態を何とか軽く見せて、己の矜持を必死に守ろうとしているようにも見えた。
「……やはり、まだ傷が痛みますか?」
大鳳さんは気遣わしげに言いながら、支えたモナークさんの額に浮かぶ汗を、そっと指で拭った。
「すまない……。礼を言う。この程度、問題は無い」
大鳳さんに軽く頭を下げたモナークさんは、支えてくれる大鳳さんの手から逃れるように体を放し、一人で立とうとした。だが、やはり体がふらつくようで、すぐに執務机に寄りかかった。そのまま俯いて歯を食い縛り、自身の身体に巣くう苦痛をねじ伏せようとするモナークさんの様子は、僕も大鳳さんも声を掛けるのも憚られるほどだった。
前の任務でモナークさんは、大きな損傷を負った状態で母港へ帰還してきた。その身を挺した彼女の活躍のおかげで、同艦隊の他のKAN-SEN達も無傷とまではいかないまでも、無事に母港に帰還することが出来ていた。戦果よりも、一人も欠けることなく帰還してきてくれたことに、僕は本当に感謝していることも伝えた。
だがモナークさん自身は、ここ数日間、任務を完遂できなかった自分を強く責めている節が在った。束の間、緊迫した静寂が執務室に満ちる。その間に大鳳さんは、床に散らばった書類をテキパキと集めてくれていた。僕は一つ息をついて、椅子から立ち上がる。そして大鳳さんから書類を受け取るべく、彼女達に歩み寄った。モナークさんが顔を此方に上げ、眼の端を吊り上げる。
「……問題無いと言っているだろう」
彼女の低い声には怒気が僅かに滲んでおり、僕を威嚇するようだった。
「いえ、そうは見えません。……今日は、医務室へ行きましょう。僕も送っていきます」
僕はモナークさんに緩く首を振って見せてから、彼女の傍に居る大鳳さんから、拾い上げてくれた書類の束を受け取った。ざっと見てみると、報告書の束に混じる幾つかの書類には、次の任務に関するものもあった。
モナークさんの視線が、僕の手の中に注がれていることには気付いてはいたが、気付かないフリをした。僕は内容を軽く確かめてから、書類の束を自分の執務机に置きに行こうとした時だった。後ろから右肩を掴まれた。痛みを感じるほど、かなり強い力だった。ほとんど無理矢理に近いかたちで、僕は振り向かされた。
そして、僕の肩を掴んだモナークさんと目が合う。彼女は右手で僕の肩を掴み、左手で秘書艦用の執務机に捕まるようにして立っていた。その不安定な姿を、すぐ傍で大鳳さんが見守ってくれている。
「指揮官……。その任務は、私に任せて貰えないか」
強張った彼女の眼が、真っすぐに、縋るように僕を見詰めている。凛とした彼女の声が震えているのが分かった。その響きは哀願に近く、彼女が抱えている深甚な焦燥と不安をそのまま表しているようでもある。その理由も、僕は理解しているつもりだった。
ここ数週間の出撃任務では、僕は彼女を一度も選んでいない。それは彼女の身体の傷が完全には癒えてはいないと判断したからであり、決して、僕が彼女に不信を抱いたからという理由では無かった。そのことも十分に説明してあるし、彼女も納得していた筈だ。実際、今もこうして苦しげに執務机に寄りかかっているのだ。
戦闘行動を控える為、暫くは秘書艦としての僕の補佐に入って貰っていたが、その判断は正しかったのだと、今のモナークさんを見て改めて思う。だが、戦場から遠のいている感覚は、僕が考えているよりも彼女を蝕んでいたのだろう。彼女が口癖のように言う、“最優”という言葉が脳裏を過る。任務を任せて欲しいと請うモナークさんの瞳には、自分の存在価値を取り戻そうとするような、余りにも必死な光が宿っていた。だが、僕は彼女に頷きを返す訳にはいかなかい。
「……それは、無理です」
僕は、モナークさんに首を振る。
「何故だ」
「僕が説明するまでもなく、モナークさん自身が理解している筈です」
眉間を険しく寄せた彼女が僕を睨み、見下ろし、ゴリゴリと奥歯を噛む音がした。凄い迫力だった。傍に居た大鳳さんが、「ひぃん……」と、肩を竦めて小さく悲鳴上げるのが分かった。
「……では、私が出る筈だった任務は、代わりに誰が出ている?」
その問いの答えは、既に彼女自身も知っている筈だった。
僕の手の中にある書類にも、その答えが散見できる。
ロイヤル陣営に任せる筈だった任務において、モナークさんが出撃できないとなれば、代わりが務まるKAN-SENと言えば、自ずと限られてくる。誰が、自分の代わりに戦果をこの母港に持ち帰っているのか。それは彼女自身が最も良く知っているし、それこそ、僕が答える必要などない。だが、唾を飲み、歯を食い縛るモナークさんの眼差しには、僕に沈黙を許さない気配が漲っていた。
「ジョージさんや、ウェールズさん、それに、ヨークさんですよ」
僕が答えると、モナークさんは一瞬だけ息を詰まらせ、頬を強張らせた。僕の肩を掴む右手に力が籠められ、彼女の指がギリギリと僕の肩に食い込んでくる。僕の肩の骨と筋肉が、ミシミシと音を立てるのが聞こえた。僕は痛みを覚えるが、その痛みよりも遥かに大きな苦悩を、モナークさんがこの数週間の間に味わい抜いたことを思った。
「指揮官、私は……!」
そう言い掛けた次の瞬間には、「ぐ……ぅ!」と呻き、身体を折り曲げるようして彼女はしゃがみ込みかけた。身体に力が入り、また痛みが走ったのだろう。
「あぁ!? はやく医務室に参りましょう!」
すぐに大鳳さんがモナークさんを後ろから支えてくれた。僕も、モナークさんの腕の下と肩に手を添え、彼女の身体を支える。倒れかけたモナークさんの顔が、僕のすぐ横にある。彼女が苦しそうに眉間を絞ったままで、また歯軋りをするのが聞こえた。
「……教えてくれ。私は」
彼女は、自身の不甲斐なさを呪うような、重く沈んでいくような声を洩らした。そのままゆっくりと身体を起こしたモナークさんは、支えてくれる大鳳さんの腕を解き、僕を見下ろし、両手で僕の指揮官服の襟首を掴むようにして、寄りかかって来た。彼女は僕に掴まり、立っている。彼女の体重を、僕が支える態勢になる。
「奴らよりも、劣っているのか……?」
それは問いかけと言うよりも、刃物で僕を斬り付けるかのような負の気迫に満ちていた。今までにない程に暗鬱な翳りを兆した彼女の眼は、どこまでも冷たく澄んだままで僕を見下ろしている。モナークさんの背後で、彼女の身体を支えなおそうとしていた大鳳さんが、息を呑んで体を硬直させる気配が伝わってきた。
ただ、モナークさん自身が己の自制を振りきり、あらゆる覚悟を乗せて発した問いかけに対しては、僕は明確に答えを持っていた。
「こんな事を偉そうに僕が言うのも難なのですが……、モナークさんは、間違いなく“最優”です。ただ、同じだけ、ウェールズさん達も優れています」
「私が訊きたいのは、そんな通り一辺倒の慰めではない……!」
歯を剝いたモナークさんは、僕の襟をねじり上げ、今にも僕の身体を持ち上げてネックハンギング状態にしそうだった。大鳳さんがモナークさんを制圧しようと、すっと身を沈めるのが見えた。僕は視線だけで大鳳さんに待ったをかける。大鳳さんは戸惑いを見せたが、ぐっと飛び出すのを堪えてくれた。それを確認した僕は、話を続ける。
「えぇ。分かっています。でも、それ以外に答えようがないのです」
モナークさんを追い詰めたのは、彼女を戦場から少し遠ざけようとした僕の判断にも一因があるはずだった。僕は申し訳ない想いで言う。
「……お前はいつもそうだ。綺麗事を並べて、私達を黙らせる」
「綺麗事のつもりはありません。僕にとっての……、いえ、この母港の基地機能から言って、“最優”とは、“最適”であることを意味していますから」
僕はこれ以上、この執務室の空気を深刻にしたくなかった。だから意識的に、少しだけ笑みを作った。命を預け合う彼女達の日常の背後には、各々のKAN-SENの過去と抱えた想いがあることを改めて思う。そこには未だに烟る因縁や、熾火のように燻ぶる怨恨の切れ端だってあるだろう。そういった複雑な想いや感情を力強く嚥下し、少しずつ互いの摩擦を希釈しながら、命と背中を預け合い、この日々を大切に紡いできた彼女達に、僕は毅然として平等でなくてはならない。
「駆逐艦である方も、潜水艦である方も、巡洋艦である方も、空母である方も、誰もが重要で、欠かすことのできない役割があります。僕も含めて、それを必要な時に演じることこそが、僕たちの使命でしょう」
僕は、指揮官服の襟を掴んでくるモナークさんの手に、そっと触れる。
「だから今のモナークさんには、身体の回復に努めて貰おうと考えています」
そのことを、今は頬を強張らせているモナークさんだって、頭では理解している。ただ、冷静で聡明な筈の彼女の判断を、これほどまでに大きく狂わせるほどに、その心の中で彼女の背負う過去が、制御できる許容範囲を超えて膨らんで来ているのだろう。
「今の御身体のままで出撃を求められるようでしたら、……モナークさんがいくら優秀であったとしても、僕は、貴女を必要とすることはできません」
僕はモナークさんの眼を見詰め返しながら言う。彼女は明らかに動揺していた。瞳が揺れ、唇を噛み、息を詰まらせている。僕の襟を掴んでいる手も、小刻みに震え始めた。
「指揮官、……やめてくれ。貴方は、私を必要だと言ってくれたじゃないか」
眉尻を下げたモナークさんの声は、涙の気配と共に掠れていた。指揮官服の襟を、また強く掴んでくる。ただその手つきも荒々しく乱暴なものではなく、縋る様な弱々しいものだった。僕は、触れていた彼女の手を握り返す。冷たい手だった。
「もちろん、僕はモナークさんを必要としています。でも、それは、モナークさんが“最優”だから、という理由ではありません」
僕は自分の言葉を、今の彼女の心に圧しこむような気分で紡ぐ。
「モナークさんが、自身の存在価値を“最優”であることに強く求めることを、咎めるつもりは僕にはありません」
この話は、笑顔ですべきだと思った。僕は頬の笑みを保ちながら緩く首を振って、この話の行方が、決して僕とモナークさんの関係を破壊するためのものではないと表明したかった。
「存在を証明する為に、“最優”であろうと自身を律し続けるのはきっと、モナークさんが自身の過去を克服し、自分の人生を愛しなおす為に必要な努力なのだと思います。でも今は、その努力そのものが、今度はモナークさん自身を追い詰めているのではありませんか?」
「私は……」
目を伏せたモナークさんの手の強張りが散って、余計な力が抜けるようにして、彼女の肩が少し下がっていくのが分かった。彼女が紡ごうとした言葉は途切れながら、その細い吐息の中に滲んでしまい、輪郭を持たなかった。僕とモナークさんを見守る大鳳さんも、静寂を守るようにして佇んでいる。少しの間、誰かの発言を待つような、遠慮深い静けさが執務室に流れていた。
「……“頼るがいい。この艦隊を、一隻も欠けることなく連れ帰って見せる! ”」
不意に、モナークさんの背後に居た大鳳さんが、凛々しい口調で言った。それは明らかに、モナークさんの口調を模したものだった。こんな時に何事かと、モナークさんが肩越しに大鳳さんを振り返ると、大鳳さんは茶目っ気のある笑顔を浮かべていた。
「小耳に挟んだのですが……、前の任務の時に、傷だらけになったモナークさんが、同じ艦隊の子たちを鼓舞する為に言い放った台詞だそうですね。なんと頼もしいお言葉でしょう!」
今の大鳳さんの笑みには嫌味も悪意も無く、純粋にモナークさんの勇敢さを湛える口振りだった。それに、堂々としている。大鳳さんが自分の言葉に、自信を持っているのが分かる。
「“最優”であろうとするモナークさんの強さも、それを支える弛まぬ鍛錬も、大鳳たちは知っています。でも、死地にあっても他者を救おうとするモナークさんの高潔な勇気は、“最優”という性質に帰らないものだと、大鳳は思います。あの言葉は、モナークさん自身の心から発せられたものでしょう?」
大鳳さんに尋ねられ、迷うように視線を動かしたモナークさんは、すぐには答えなかった。俯きがちに伏せられたモナークさんの瞳の中に、その真実を窺うように少し身を屈めた大鳳さんは、口許に優しい微笑を灯していた。
「きっと指揮官様は、そういう“最優”という言葉に回収されない、モナークさん“そのもの”を必要とされているのですよ?」
諭すように言う大鳳さんの言葉に、唾を飲み込んだモナークさんが顔を上げた。大鳳さんへと何かを言おうとして唇を動かした彼女は、結局は何も言わず、すぐに僕へと向き直った。モナークさんはやはり、何かを言いたげに唇を動かすだけで、黙したままだった。僕は微笑を崩さないままで頷く。
「えぇ。大鳳さんの仰る通りです。僕は、モナークさんが“最優”であるから必要としているのではありません。モナークさんが、モナークさんであるから、必要としているのです。そしてそれは、他のKAN-SENの皆さんにしたって同じですよ」
大鳳さんの言葉を引き受けることで、僕も、自分の気持ちをすんなりと言語化することが出来た。自身の存在価値を“最優”であることに括り付ける苦しみは、モナークさんを鼓舞してくれる強靭なものなのかもしれない。でもそれは翻って、柔軟さの無い脆さを孕んでいるのも、今のモナークさんの様子を見れば明らかだった。
「先程も言いましたが、モナークさんが“最優”を求めることを止める権利など、僕にはありません。でも、その“最優”という性質に関係なく、モナークさん自身を必要する皆さんが居ることは、忘れないで欲しいと思います」
モナークさんの持つ理想や信念が、その強さゆえにモナークさん自身を追い詰める時は、またやってくるだろう。その時になって、“最優”であること以外に、彼女が依って立つ存在価値の新しい足場として、この母港の仲間の姿があればと思う。それは、モナークさんの言う通り、青臭い綺麗事なのかもしれないが、僕の本心だった。
「指揮官……、私は……」
黙り込んでいたモナークさんが、何かを言い掛けた時だった。
「失礼する」
執務室の扉がノックされた。「先日の演習についての報告書だ」颯爽と執務室へと踏み込んできたのは、ウェールズさんだった。報告書を持ってきてくれた礼を僕が述べたところで、彼女は、「……むっ」と低い声を洩らした。そして、僕と、僕の胸倉を掴み上げているような態勢のモナークさんを見て、一瞬だけ立ち止まっていた。だが、すぐに深々と眉間に皺を刻んでから、ずんずんと此方に近づいてくる。
「何をやっている。モナーク」
「……何でもない。指揮官の襟の釦が外れていたから、直していただけだ」
僕の襟から手を離したモナークさんが、むすりとして答えてから、軽く舌打ちをするのが聞こえた。ウェールズさんの前では身体の痛みを我慢しているのか。モナークさんは辛そうに顔が歪んでいるのを不機嫌な表情で誤魔化しながら自力で立ち、見下ろすような下目遣いでウェールズさんに向き直った。
それと殆ど同じタイミングで、「此処からは大鳳の出る幕ではありませんねぇ……」と、僕に目配らせしてくれた大鳳さんが自分の執務机に戻りながら、ちょっと申し訳なさそうな小声で言うのも聞こえた。その間に、僕とモナークさんのすぐ近くまで歩み寄って来ていたウェールズさんは、僕に報告書を差し出してくれてから、横向き加減でモナークさんの方へと首を傾けた。
「……そうは見えなかったぞ」
「別に、お前には関係の無いことだ」
「何か、指揮官と揉めていたんじゃないのか」
「何度も言わせるな。お前には関係が無い」
一貫して、ムスッとした態度でモナークさんは応答する。
ウェールズさんが緩く息を吐いた。
「貴女が関わる任務や作戦なら、関係が無いことはない」
「何だと?」
モナークさんが詰め寄ろうとしたところで、彼女が短く呻いた。その体が僅かにふらついた。傍に居たウェールズさんが透かさず片腕を伸ばす。その腕をモナークさんの脇に潜らせる要領で、しっかりと支えた。まるでモナークさんがよろめくのを予測していたかのように、滑らかな動きだった。
「……今の貴女に無理をさせれば、貴女を危険に晒すだろう」
眉間に皺を寄せたままのウェールズさんだったが、その声音は険しいながらも、何処か気遣わしげな響きが在る。それにモナークさんに向ける眼差しにも、身体の具合を気に掛けている気配が滲んでいた。
モナークさんは何かを言いたげに唇を動かしていたが、その間にもウェールズさんは、モナークさんの身体を自然な形で支えたまま、彼女を執務用の椅子へと座らせてしまう。女性の扱いに慣れた男性が、デートの相手をエスコートするかのような優雅さと優しさに満ちていた。余りにも自然なその流れに、万全ではないモナークさんは、ウェールズさんに為されるが儘だった。
それが気に喰わなかったに違いない。
「……そうやって私から戦場と戦果を奪い続け、私の存在意義まで奪う肚か?」
モナークさんは執務椅子に座った姿勢のままで目に警戒を漲らせ、ウェールズさんを鋭く睨んだ。だが、ウェールズさんの方は「いったい何を言っているのか」という風に、怪訝そうに眉を下げるだけだった。
「次回の大規模任務では、貴女の力が必要だ。それまでに身体を癒して、調子を取り戻しておいて貰わねば、我々も困る」
そこまで言ってから、ウェールズさんは「そもそも……」と、ごく自然に言葉を継ぎ足した。
「貴女の任務の代わりを私達がいくら務めたところで、貴女の存在意義は揺るがない。貴女が何を危惧しているのかの見当はつくが、それを一々こちらが指摘する段階は、とうに過ぎている筈だろう」
何気なしに放たれた筈のウェールズさんの言葉には鋭い確信を籠められており、同時に、有無を言わさない説得力に満ちていた。僕が言葉を尽くしてモナークさんに伝えたかったことを、ウェールズさんはいとも簡単に口にして、モナークさんを動揺させている。心持ち目を瞠ったモナークさんは、ウェールズさんを見詰めたまま、喉の奥に何か言葉が閊えてしまったように黙り込んでいた。
「指揮官にとっても私達にとっても、貴女は一人しか居ないのだからな。……貴女が戦果に拘る性分なのは理解しているが、今は自愛してくれ。休むことも戦闘の一部だ」
滔々と語られるウェールズさんの顔色には、気負った様子はまるでないし、モナークさんに媚びを売っている訳でも決してない。ロイヤル陣営で十分に共有されている認識を、ただ冷静に言葉にしているだけだ。だからこそ、それを聴くモナークさんの心には深く響き、狭まった彼女の視野に、冷静さと客観を通し直すのではないか。
僕が特に何も言わず、ただ二人の遣り取りを見守っていると、大鳳さんと再び目が合う。彼女は「もう大丈夫そうですね」という風に、片目を瞑って見せた。誰にも気づかれない程度に息を吐いた僕は、大鳳さんに頷くように、ゆっくりと瞬きを返す。
ウェールズさんも、“最優”であるモナークさんではなく、この母港で存在を開始した“姉”を心配しているのは、傍から見ていても明確だった。モナークさんの過去が彼女自身を追い詰める時、彼女の手を引いてくれるのは僕などではなく、やはり、モナークさんの存在を継いだウェールズさん達なのだと思えた。
「それに、だ。貴女がこれ以上傷つけば、前の任務で貴女が救った子たちが悲しむ。それぐらい、貴女だって理解できるだろう?」
ウェールズさんが見せるぶっきらぼうな優しさを振り払うことが出来ないまま、モナークさんは不味そうな顔をして、ただ居心地が悪そうにそっぽを向いていた。どのような態度を取ればいいのか迷っている様子でもあった。
僕から見える二人の間柄は、互いの強さには信頼を置いているものの、仲が良いとは言えず、しかし憎み切れてはいないといった、慎重な距離感を保っているように見える。そして、その距離を少しずつ縮めようとしているのがウェールズさんの方で、モナークさんの方は、そのウェールズさんの態度に上手く対応できていない、といった感じだろうか。
「指揮官と何を揉めていたのかまでは訊かないが、それは肝に銘じておくべきだ」
ほんの僅かな苦笑を言葉尻に滲ませたウェールズさんは、姿勢を正してから僕と大鳳さんに礼をして、執務室をあとにした。入室してきたときと同じく、颯爽とした彼女の後ろ姿を見送った僕は、モナークさんを横目で見上げた。
「アイツ、言いたいことを言ってくれる……」
険しい表情のままで鼻を鳴らしたモナークさんだったが、ウェールズさんを見送ったその眼差しには、もう敵意も嫌悪も窺えなかった。彼女の唇の端には、本当に薄らとではあるが笑み浮かんでいる。モナークさんを見上げる僕からだとその表情は、お節介な妹に向けられた呆れ笑いを萌したようにも、妹にお節介を焼かれている自身への自嘲が漏れたようにも見えた。ただ少なくとも、張り詰めた執務室の空気が緩んだのは確かだった。
「……指揮官。見苦しいところを見せてすまなかった。……もう大丈夫だ。医務室ではなく、此処にいさせてくれ」
そう言って僕に向き直り、すっと頭を下げてくれたモナークさんからは、“最優”という言葉から少し距離を取るような落ち着いた余裕が窺えた。
「身体の痛みは、もう鎮まりましたか?」
「あぁ。問題ない。これから書類の束を持つときは気を付ける」
「分かりました。……では、少し休憩を入れましょうか」
僕はモナークさんと大鳳さんを順に見てから、笑みを作り直す。
「はぁい! では、飲み物の準備は大鳳がいたしますわぁ~」
明るい声を出した大鳳さんが、席を立った。緩みかけた執務室の空気を掻き混ぜ、先ほどまでの深刻な雰囲気を有耶無耶してしまう勢いだった。賢明な賑やかさを生み出してくれる彼女の存在は、とても有難かった。僕にはとても出来そうにないことだ。
「モナークさんは、お茶にしますか? コーヒーにしますか? あぁ、もちろん、大鳳は紅茶も御用意できますので、遠慮なく言ってくださいね~」
席から立ち上がったところで、大鳳さんがモナークさんへと微笑みかけた。含みの無い大鳳さんの爛漫さに背中を押されるようにして、モナークさんは絞っていた眉間を解いて、眉尻を下げた。
「……あぁ、では、指揮官と同じものを」
モナークさんは頬の端に、微かな笑みを過らせている。余計な力の抜けた、自然な佇まいだった。「はい、了解ですぅ!」と答えた大鳳さんは、次は僕にくるっと回って向き直り、「では、指揮官様は、如何いたします?」と、僕にしか見えない角度で上目遣いになった。その口振りは殆ど、「一件落着ですね♪」と言うようだった。
仕事が終わってから僕は一人、陽が沈んだ埠頭で夜の海を眺めていた。
あの日のオブザーバーの言葉が耳に蘇るとき、この暗い海は僕を落ち着かせてくれるのだ。
砂浜ならば波音も大きく響いてくるのだろうが、整備された足場からは、水面が揺れるようなちゃぷちゃぷとした水音が時折、聞こえるだけだ。設備としての照明が設置されているため、埠頭に立つ僕の周りは完全な暗闇ではない。だからその分、海の暗さが際立って見える。
じんわりと夜の暗さが薄まっているこの場所から、空を見上げる。
明る過ぎる市街地では星の瞬きもなかなか見えなくなっていると聞くが、この埠頭からは眺めることが出来る。今日は月も出ている。満月でも三日月でもない、半端に欠けた、痩せた月が浮かんでいた。
その月をぼんやりと見ていると、視界の中で、その月以外が暈けやけていく。夜の海と空の境界が曖昧になって、黒々とした無限遠の空僻が目の前に広がっているような感覚だった。
この余りにも茫漠で輪郭すら掴めない広大な闇は、いつも僕の心を落ち着かせてくれた。足元を見ると、薄い影が出来ている。当然、それは僕の影だ。埠頭施設から漏れる光が僕の背中に当たり、夜の海に向けて僕の影が伸びている。僕の影の上半身は黒い海の中に溶け込んでいて、埠頭の足場に残っているのは、細長くなった僕の脚の影だけだった。
夜風が吹いた。海の匂いを含んだ風が、僕を荒々しく触っていく。水の揺れる音が聞こえる。その音に誘われるように、一歩、海へと近づく。母港と海の間に立つ僕の影が、より深く海に飲み込まれる。僕を執拗に手招くように、またちゃぷちゃぷと水の音が上ってくる。
僕は、呼ばれているような感覚になる。
暗い海に、溶融していく自分の姿が見える。
更に一歩、僕は海に近づく。
母港からは二歩分離れる。更に一歩。
そして、また一歩踏み出そうとした時だった。
「今日もお勤め、お疲れ様ですぅ」
ぎゅっと、後ろから抱きつかれた。背中に柔らかい感触があり、僕の右肩に呼吸の気配が乗ってくる。清潔感のある爽やかな香りがした。柑橘系の香水だろうか。僕に纏わりついていた、冷たい潮水の匂いが剥がれて、代わりに、彼女の体温が僕を包んでくれていた。
「いえ、大鳳さんもお疲れ様です」
僕は顔を動かさず、視線だけを右肩へと動かした。首を回すと、僕の頬が彼女の唇に振れそうな距離だったからだ。ただ、身体が密着しているからと言って、夜の海を恋人同士で眺めるようなロマンチックな空気と言うには程遠い。僕は、物凄く大きな猫にじゃれつかれているような風情だし、大鳳さんにしたって、人畜無害の、大型の愛玩動物に抱き着いているような雰囲気であるからだ。
「もう指揮官様は、お食事を済まされましたか?」
「いえ、まだですよ。……もう少ししてから、自室で摂ろうと思います」
「まぁまぁ! では、この大鳳に夕食を作らせていただけませんか?」
「えっ、でも、大鳳さんに悪いですよ。今日は秘書艦としてもお世話になったのに」
僕が言うと、僕の右肩に顎を乗せていた大鳳さんは、拗ねた子供みたいに下唇を突き出して、じとっとした眼差しで僕の横顔を見詰めてきた。
「……大鳳は指揮官様に尽くすことを喜びとしているのですから、そのような意地悪なことは仰らないで下さいませ」
「い、意地悪のつもりなんて無いですよ」
少し焦った声を出した僕を見て、大鳳さんは悪戯が成功した少女のようにクスクスと笑みを零してから、「分かっております」と呟いた。彼女の澄んだ声は、暗い海を前にしても良く通る。
「指揮官様は、どうして此処に?」
「いえ、少し考えごとを……」
「それは、今日のモナークさんのことですか?」
僕の右肩に顎を乗せたままの大鳳さんは眉を少し下げたが、口許の微笑みを崩していない。優しく問いかけてくるような口調の彼女に、僕は観念するように頷いた。
「僕のような者が、なんだか偉そうなことを言ってしまったな……、と。反省と言うか、ほとんど自己嫌悪に近い感情なんですが、それを上手く消化できなくて。ぼんやりと海を眺めに来たんです」
僕が答えると、「えぇ~?」なんて言いながら、大鳳さんはあからさまに不味そうな顔になった。
「夜戦に向けて士気を高めるならともかく、陸の上から真っ暗な海を眺めるだけでは、気分転換どころか気が滅入ってしまいませんかぁ?」
黒い海と僕を見比べながら、大鳳さんは不可解そうに言う。
「大鳳と一緒にお風呂に入って体を温めたほうが、きっと元気が出ると思いますよ?」
その言葉がどこまで本気なのか判然しないが、大鳳さんが僕を励まそうとしてくれているのは分かった。「上手く言えないのですが、此処に居ると不思議と落ち着くんです」僕は苦笑を洩らしながら答えて、「……今日は、有難う御座いました」と、遅くなった礼を述べた。
「大鳳さんの御蔭で、僕の気持ちを上手くモナークさんに伝えられました」
「何を仰います。あの時に大鳳がしたのは、ただ指揮官様の御言葉に、余計なものが付着しないように気を付けただけですわ」
大鳳さんは昼間のことを思い起こすように視線を海に流しつつ、緩く息を吐いた。
「より真実に近い形で、指揮官様の御言葉をモナークさんに受け渡したのは、大鳳ではなく、ウェールズさんの方です。ああやって遠慮も気遣いも無く、心の壁を軽々と飛び越えていけるのは、やっぱり姉妹の特権なのでしょうねぇ」
しみじみとした様子で言ってから、僕の右肩に顎を乗せたままの大鳳さんは、横目で僕を見詰めてくる。
「自分の心を圧し潰すほどに苦悩が積もってくると、誰の言葉も素直に受け取れなくなりますから。モナークさんのような実直な方や、指揮官様のような方は特に……」
赤い瞳をすぅっと細めた大鳳の口振りは、此処からはモナークさんの話ではなく、指揮官についての話をしますよ、という意思表示に違いなかった。ここからの質問の答えを、半端にはぐらかすことを僕に許さない雰囲気も、にわかに漂い始めていた。
「このような暗い場所で一人で居られるなんて、やはり、指揮官様も何か御悩み事がありますの?」
「僕は他の誰よりも恵まれていますよ。悩みごとなんて、贅沢な話です」
「……本当ですかぁ?」
「えぇ。僕は、この日常に感謝しています」
はっきりと僕が答えると、大鳳さんが抱きしめてくる腕の力を強めた。
「指揮官様がモナークさんに語った内容は、そのまま翻って、指揮官様にも当てはまりますよ? 指揮官様が、指揮官様だからこそ……、大鳳は身も心も捧げているのです。大鳳は、もうこれ以上、同じ質問はいたしません。真偽を探る様な真似も。でも……」
ゆったりとした口調で語る大鳳さんは、悩みごとなど無いと言い張る僕を責めるかのようだった。彼女の赤い眼が、動きを止めて僕を映している。
「指揮官様。どうか大鳳に、嘘だけは吐かないでくださいね……?」
そう言い終えて微笑んだ大鳳さんの声音は、しっとりとした艶を持っていて、切実に僕のことを案じてくれているものだった。僕と彼女の会話は少し遠回りしたかもしれないが、今の言葉こそが、この場で大鳳さんが僕に伝えたかったことなのだと、なんとなく分かった。目の前に渺茫として広がる暗い海と、実体と過去を持つ彼女の体温の狭間で、僕は頷きを返した。
「えぇ。嘘は言いませんよ」
「……指揮官様は、お優しいですからね。それも嘘でしょう?」
「やめてくださいよ。まるで僕が、ろくでなしみたいじゃないですか」
僕が言うと、大鳳さんは微笑を湛えたままで、すっと体を引いた。僕を捕まえていた腕を解き、身体から離れる。と見せかけて、僕の横顔に唇を近づけてきた。驚く間もなかった。ぷっくりとした大鳳さんの唇が、僕の顎と頬の中間あたりに一瞬だけ触れて、すぐに離れた。
「えっ」
間抜けな声を上げた僕が振り返るあいだ夜風が滑り込んできて、彼女の唇の感触はすぐに攫われていった。だが、彼女の切なげな熱を含んだ吐息の余韻は、僕の肌の上に残ったままだった。向き直った僕と目が合うと、大鳳さんはチロリと自分の唇を舌で舐めて見せた。そして、その濡れた唇に白い指を這わせながら、悪戯っぽくも嫣然と赤い眼を細め、僕を見下ろしてくる。
「ふふ、大鳳に嘘を吐いた罰ですよ」
「ば、罰って……」
僕が戸惑っていいのか、恥ずかしがっていいのか分からないままで大鳳さんを見上げていると、軽い電子音が響いた。携帯用端末に通信が入ったのだ。一瞬だけムッとした表情を浮かべた大鳳さんだったが、すぐに「どうぞ」というふうに、何も言わずに掌を差し出してくれた。通話にでてくれても構わないということだろう。
携帯端末を懐から取り出してから大鳳さんを見ると、彼女は自分の唇にゆっくりと触れながら頷いてくれた。色っぽい仕種だった。顎と頬の間に残る彼女の唇の感触が思い出してしまいそうになりながらも、僕は大鳳さんに小さく頭を下げてから、携帯用端末の通話を繋いだ。
『やっほー! 指揮官! いま、暇かな~!?』
通信の相手はアルバコアさんだった。彼女の物凄く元気な大声が、端末の向こうから塊となって飛んでくるかのようだ。僕は思わず、耳に近づけた端末を離してしまう。
「あっ、アルバ……ッ」
声を上擦らせた大鳳さんがビクッと肩を震わせ、一歩後ずさった。それが不味かった。大鳳さんが埠頭から転げ落ちそうになった。真っ暗な空間に吸い寄せられるように、彼女の身体が傾く。僕は端末を持っていない方での腕で、咄嗟に大鳳さんの腰に手を回して、ぐっと抱き寄せる。「ひんっ!?」と、腕の中の大鳳さんが体を強張らせて、背中を伸び上がらせるのが分かった。
見れば、大鳳さんは驚いたような顔のままで硬直し、頬を染め、激しく動揺したように唇を震わせていた。つい先程までの妖艶な雰囲気など吹き飛んでしまって、その代わりに、まるで初心な少女のような反応を見せている。その変わりように、いったいどうしたのだと僕の方が困惑してしまうが、一先ずは、彼女が海に落ちずに良かったと安堵する。
『あれぇ? なんか変な声が聞こえた気がしたけど……』
僕が大鳳さんを放したタイミングで、端末の向こうアルバコアさんが暢気な声で言う。その背後では、綾波さんやロングアイランドさんの声も聞こえる。何やら白熱している様子で、盛り上がった雰囲気が伝わってくる。ゲームの音が聞こえてくるので、何らかの対戦を行っているのだろうと予想できた。
『ねぇねぇ指揮官、おっきい犬でも近くに居るの?』
「だっ、誰が躾のなっていない雌犬ですってぇ!?」
はっと我に返った様子の大鳳さんが、僕の手ごと端末を引っ掴み、噛みつくように叫んだ。誰もそこまでは言っていませんよと僕がツッコもうとするよりも先に、端末の向こうのアルバコアさんが『わっ、びっくりした!』と、愉快そうな声を上げた。
『大鳳も一緒だったんだ。そっか、今日は大鳳が秘書艦だったもんね』
楽しげに言うアルバコアさんの声には、大鳳さんに対する含みらしきものは全くない。
『まだ仕事中なの?』
「取り込み中でしたわ!」
僕の代わりに、大鳳さんが威勢よく答える。
『過去形じゃん。今も忙しいの?』
アルバコアさんの問いに、今度は僕が答える。
「いえ、仕事は終わっていますよ。……そちらは盛り上がっている様子ですね。ゲームのお誘いですか?」
『そうそう! 話題のレースゲームなんだけど、一緒に遊ぼうよ!』
仲の良い友人を誘うようなアルバコアさんの無邪気な声は、埠頭の暗がりをパッと明るく照らすようだった。僕も自然と頬が綻んでくる。大鳳さんと目が合うと、「指揮官様さえよろしければ、行ってあげてください」と、彼女は肩竦めて笑みを作った。その大鳳さんの笑みの気配を、端末の向こうで察したのかもしれない。
『大鳳も一緒にどう?』
アルバコアさんの声は視線でも流すかのように、自然と大鳳さんにも向けられていた。
「……大鳳は遠慮しておきます」
ワザとらしい程にすげなく答える大鳳さんに、僕は苦笑を洩らす。どうも大鳳さんは、アルバコアさんと仲が悪いわけではないが、相性がよくないらしい。
『そっかー。大鳳、ゲーム下手っぴだもんね……』
「そんな残念そうに言われる筋合いはありませんわ! それに、この大鳳……、そのレースゲームに関してはなかなか腕だと自負していますわよ?」
『えぇ~、うっそだぁ。前にやった時は散々だったじゃん』
「あの時の悔しさをバネに、密かに特訓を積んでいますもの。今の大鳳は、この母港で最速であることは間違いないですわ」
『へぇ~、言うじゃん。是非そのスピードを見せに来てよ』
賑やかに言い合う二人を眺めているだけで、僕は何物にも代えがたい幸福感を覚えていた。二人の間を行き交う言葉の中には、過去に向けられた生々しい憎悪や、暗い屈託が垣間見えることも無い。互いに持つ因縁も、彼女たちの遠慮のない遣り取りに影を落とす気配も感じられなかった。今の大鳳さんとアルバコアさんの関係の中に、昼間のモナークさんとウェールズさんの関係が重なって見えた。
それは恐らく、彼女達の背負う過去に帰属しない、彼女たち自身の交流だからだろう。過去は過去であり、現在とは関係ないと切り離してしまうのでもなく、その過去を見据えた上で、相手の人格に敬意を払っている。そしてそれは、大鳳さんとアルバコアさんだけではない。KAN-SEN皆の、そういった誠実さの実践と努力の集積こそが、この母港の日常なのだ。
自分たちが過ごす日々を美化するつもりはないが、僕のこういう考え方も、モナークさんは“綺麗事”だといって嫌がるだろうか。二人が楽しそうに言い合う声を聞きながら、僕は肩越しに夜の海を見遣る。
この広漠とした暗がりは、僕たちの日常になど全く関心を払わない。ただ、その徹底された無関心さは同時に、この母港に流れる時間や、KAN-SEN達の尊さも否定しない。その強硬な姿勢に触れる時、僕はいつも心強さを覚える。
この世界の僕たちに対する不干渉と無関心は、つまり、その存在や在り方を許容されているということだ。
こっそりとため息を吐き出した僕は、視線だけで空を見る。僕のすぐ傍に居る大鳳さんとアルバコアさんが、遠慮なく言葉を交わし、日常の小さな一コマ紡いでいる。
その様子を、囁くようにして瞬く星々と、黙ったまま澄んだ月だけが見下ろしていた。