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その後、待ち合わせた展示会場で森野は刺すような雰囲気をまとっていた。
「あれはいったいどういうつもりなの?」
何の話かわからないので僕はたずねてみたところ、電話をかけた時のことらしかった。
「なんなのよ、『気をつけろ。きみの背後からどうもうな犬が襲いかかってくるぞ』って。いきなりあなたが言うものだからびっくりしたわ」
「電話越しに危ない気配がしたんだ。きっと電車の走る音と犬のうなり声をきき間違えたのかもしれない」
「そう。おかげで後ろに並んでいた人にとても迷惑がかかったわ」
話を聞くと、あのあと電車に乗った森野は盲導犬とカゴの中の小型犬にはさまれたらしい。混んでいたため場所を変えることもできず、乗っている間ずっと小型犬が盲導犬に吠えかかっていたという。
「これもあなたが不吉なことを言ったせいに違いないわね」
「僕に責任はないよ」
あの時、僕は最初から駅のホームにいた。朝永が改札口で待つよりも前に、同じ現場にいたことになる。
しかし彼が用心深く周囲を注意しても、遠くにいる僕の姿は見えなかっただろう。
なぜなら僕のいた場所は、朝永たちと真逆のホーム先端部分だったからだ。何事もなく展示会場行きの電車が駅に到着したことさえ確認できればよかった。
それに、朝永の挙動をいちいち見張る必要はない。僕のやったことは、八時半に電話を入れて、森野を飛びのかせる言葉をかけるだけだ。タイミングを合わせれば造作もないことだった。
ところで、森野を動かす言葉を思いついたのは、金曜日の朝に飼い犬のユカをみたときだった。思い出したのだ。森野の犬嫌いを。
皮肉にも、彼女は大型犬によって命を救われたことになる。
後日、僕は朝永の住んでいたアパートの住人から話を聞いた。
朝永はすぐに部屋を引き払ったらしい。聞くところによると、塾講師の仕事もやめて、どこか遠い町に移り住んだという。
今になって思う。もしかしたら、朝永の計画は本当に成功できたのかもしれない。
森野の運の悪さを考えると、彼が撮影に成功して警察の捜査を逃れ、自室でゆっくりと作品を鑑賞する未来がありえただろう。
実は、僕も最初そのつもりで計画を立てていた。森野のスナッフフィルムを見てみたいという思いは今も頭の片隅に残っている。
しかし、僕と朝永ではスナッフフィルムに対する好みの違いがあった。朝永は森野の絶望する表情を見たがっていた。けれども僕なら、電車に轢かれた森野の死体もじっくりと観察したい。
あの日の朝永にその映像を撮り収める時間はなかっただろう。撮影する間に人が駆け寄ってくるからだ。それに、僕の望む表情がきちんと撮れるとは限らない。
そう考えた僕は当初の計画を変更した。朝永に森野を諦めさせることにしたのだ。
結果的に、彼は最良の選択をしたことになる。
もし朝永があきらめの悪い男だったなら、その場合、文字通りの『排除』に向けて動いていただろう。僕は本棚の奥に大量のナイフを持て余していた。
また、約束の日に彼が警戒して駅に来ない可能性もあった。携帯の返却を後日にしてほしいと言い出すことも考えられた。しかしこの場合、彼は別の意味でおしまいだった。なぜなら僕が朝永のデータを警察にリークするつもりだったからだ。彼の盗撮と過去の殺人を示す証拠として。それはそれで、大きな騒動となっただろう。
結局のところ、『森野を諦めて町を去る』のが彼にとって最良の選択なのだ。
「ところで、そんなひどい目にあったのによく家に帰ろうと思わなかったね」
僕は森野にたずねた。
「展示会の目玉を見たかったの。人間の目玉という意味ではなくて、スナッフフィルムにまつわるドキュメンタリー映像を流すと聞いて興味がわいたのよ」
「知ってるよ。ヨーロッパで二人の青年が起こした二十一人もの殺害映像を見た犯罪心理学者のインタビューだね」
「本物の映像を視聴できたなんて羨ましいわ」
森野はなにも知らない。あの駅のホームで後ろに並んでいた男の正体にも、自分がスナッフフィルムの被写体にされていたことにも、これからも気づくことはないだろう。