13
展示会の日から一週間が経過した放課後のことだった。
チャイムが鳴って、終礼を終えたクラスの生徒たちが散り散りに教室を離れていく中、日直の当番として残った僕は、ふと教室に残った森野に気づいた。
日の傾いた教室の中で彼女は席から離れず、机の上の地図をじっと見つめていた。そばには無地の用紙があり、森野はシャーペンを動かして見取り図を書き写そうとしていたようだ。僕が覗き込むと用紙は奇怪なシマウマ迷路に変わっていた。
図書室に行って地図をコピーした方がいいよ、とアドバイスすると森野は顔を上げた。
「記念写真を撮りに行くの」
脈絡のない言葉の意図を、僕は知っていた。
これは少し先の話だが、十二月六日に森野はとある山奥を訪れるつもりだった。そこは昔、女子高生の死体が発見された場所で、近々ゴミ処理施設が建設される予定だった。森野は原形をとどめているうちにその現場を訪れ、記念写真を撮るつもりでいた。
なぜ僕がそのことを知っているかというと、僕もそこに向かうつもりだったからだ。
「それにしても、このところずいぶん活動的だね」
僕は森野にたずねた。率直な疑問を口にしたのだが、どうやら向こうには思う所があったらしい。軽く息を吐き出し、自分の机にうつむいたままだった。
沈黙が生まれた。
僕はその沈黙を利用して、黒板消しの粉をはたくために窓を開けた。白い粉が教室に逆流しないよう風の流れを読んで黒板消しを叩く。
「この前した話、覚えてる……?」
今度は言葉の意図がわからなかった。僕は想像力を働かせた。
「化学講義室できみが見た夢の話?」
窓を閉じた僕はあてずっぽうに答えた。彼女はうなずいた。どうやら正解を引き当てたようだった。
「……ときどき不思議な夢を見るの。いつか、わたしの命が突然だれかに奪われるんじゃないかって。あの夢に出てきたお墓の下に引き込まれるような気がして……」
僕は森野の言葉を注意深く伺った。
「でも、わたしはきっとそれを拒むことができないと思う」
「どうして?」
長い沈黙が流れた。それでも僕は待った。彼女が何か言葉を出そうともがいているように見えたからだ。
「わたしに姉さんがいたこと、知っているよね?」
僕はうなずいた。彼女にはかつて双子の姉がいた。かつて、というのは既にこの世にいないことを意味する。姉はどこか遠い墓の下に眠っていた。
「ときどき、もし姉さんが生きていたらと思うの。その日は永遠に来ないけど、それでもわたしは姉さんとうまく仲を保っていたのかなって」
森野は深く息を吸ってわずかにうつむく。長い黒髪に覆われて表情は見えない。
「でも、わたしはあの時……自分を隠して『森野夜』として生きていこうとした時から、ひどい嘘つきになったわ。姉さんのお墓には『本当の名前』さえ刻まれない。わたしは姉さんを裏切ってしまった」
森野の放つ声は微かな悲しみを湛えていた。
「そんなわたしを姉さんは決して許しはしないでしょう。だから、きっと今も、あの夢に出てきた墓の下からわたしを呼んでいる……そんな気がするの」
言い終えると、森野は窓の外を見やった。いつのまにか日が落ちて、窓ガラスの向こうは闇に覆われていた。冬の訪れを感じさせる。
僕はこれまで森野に降りかかった災難の数々に思いをはせた。おそらく、これからもその宿命は続くのだろう。
「僕は前にも言ったはずだよ」
日直の仕事を終えた僕は言った。
「その墓に眠るのは、きみとよく似た別人だ。似ていても、それはきみ自身ではない」
自分の席に戻って鞄を手に取る。森野はゆっくりとこちらに顔を向けた。いつものような無表情の内側に、心なしか柔らいだような感情が見えた。
「おかしなことを言ってごめんなさい。それでもせめて、わたしは悔いなく生きようと思うの」
「そうしたいならそうすればいい。きみの自由だ。でも、もしきみが死にたくなったなら、その時は……」
……僕が殺してあげる。
最後にそう森野に言い残し、僕は教室を離れた。
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家に戻り、僕は自室の本棚からナイフセットを取り出した。
そのうちの一本を選び取る。静けさに包まれた部屋の中で、それは変わらぬ輝きを放つ。
巷では新たな殺人事件が起きていた。殺害されたのは北沢博子という女性だ。遺体が同じ市内の廃墟で見つかったことから、殺人犯がこの近くに潜んでいる可能性はあった。
つまり、その人間が次の標的に森野を狙う可能性も十分にありえた。
周りを注意深く観察していれば、きっと犯人に出会えるにちがいない。
枯渇するナイフの声が僕には聞こえた。(終)
最後までお読みいただきありがとうございます。
『GOTH Over the Grave』は乙一先生の『GOTH リストカット事件』の二次創作で、原作の時間軸における『土(Grave)』と『声(Voice)』の間を想定して書いた物語です。なので作品のタイトル名もそれを意識したものに決めました。
また、この作品は原作小説の出版された時代(2000年代初頭)を意識して話を作ったため、今の時代に合わない部分もいくつかあると思います。今は主要な駅に転落防止用のホームドアが設置されていますし、消費税も5%から上がりましたし……。
ちなみに制作前に、原作・番外編『モリノヨル』・実写映画・漫画版全ての要素を盛り込むという制約を設けて書き始めました。話の各所にそれらの要素をちりばめるのは難儀しましたが、お楽しみいただけたなら幸いです。
なお、原作の重大なネタバレも含まれているため、原作未読の方には推奨しませんでした。このあとがきを読まれる方の中で(仮に)新規の方がいらっしゃれば、これをきっかけに原作小説に興味を持っていただければ幸いです。
最後に、オリジナルキャラの名前は乙一先生のペンネームから拝借しました。申し訳ありませんでした。それでは。