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朝永寛一(あさながひろかず)。
二十八歳。近隣にある大学受験の学習塾において講師を勤めており、学習塾のホームページにも顔写真と名前が掲載されている。名前は尾行時に彼の住むアパートの表札から特定していた。
出勤時は常に電車を利用している。そして僕の通う高校の最寄り駅から仕事場の学習塾へと向かい、遅くまで授業をしているらしかった。
ホームページによれば担当科目は生物。趣味はデジカメでの写真撮影。おそらく偽りはないだろう。
僕はパソコンから目を離して思索を始めた。
何者かの存在に気付き、特定に至るまでの数週間、僕は彼の行動をできる限り追っていた。
尾行するうちに、僕は森野をつけ狙う彼の目に宿る密かな闇を垣間見た。今のところ、朝永は森野につきまとうばかりで何も手を出してこない。だが今後も危険が及ばないとは限らない。
これまでも何度か森野は命の危機にさらされている。今回も放っておけば僕の知らない所で予想外の事態が起きるかもしれない。
そのためにもまず彼の目的を知りたかった。もっと深い奥底にまで探らねばならない予感があったからだ。
探りを入れる手段は考えてある。
朝永の勤める学習塾のホームページには一週間の時間割も掲載されている。そこから朝永の担当する授業の時間を割り出すことは容易だった。
つまり、その授業の間、彼は確実に外出している事を意味する。
十一月中旬を過ぎた水曜日の放課後、僕は朝永の家に向かうことにした。
駅の裏手を少し歩いた所に朝永の住むアパートがある。二階建ての古いアパートで、僕の肩ほどの高さはあるブロック塀が建物を取り囲んでいる。
この時間、彼は学習塾で授業を行っている。時間割から考えて夜まで戻ってこない。そして朝永に同居人はいない。
「こんにちは」
アパートの門前で住人とおぼしき女性がこちらに話しかけてくる。僕は会釈を交わした。そのまま女性は買い物袋を携えて出かけていく。アパートに住む友人の家へ遊びに来た高校生とでも思われたのだろう。ほんのわずかでも怪しまれることがあってはならない。
朝永の住居は一階の角部屋だった。念のため玄関のチャイムを鳴らす。反応はない。朝永の不在を確信する。
鍵は旧式のものだ。ピッキングによって開けられない構造ではないが、他に侵入の手立てがないか確かめる。すると、玄関脇の小さなスペースで人が入れる大きさの窓を発見した。
窓は鍵がかかっていない。塀がすぐ後ろにあり、その向こうの隣家は一面が白い壁になっている。人の視線が入らない安心感からか、換気用の窓として鍵をかけずに使っているのだろう。
耳を澄ませ、辺りに人の気配がない事を確かめる。レールの上を走る電車の音が遠くから聴こえる。
指紋が付かないように、あらかじめ持ってきた手袋を装着する。
そうして僕は静かに窓を開け、部屋に足を踏み入れた。
持ってきた鞄の中に靴を仕舞う。部屋は片付けられておらず雑然としていた。仕事用とおぼしきスーツが床に放置された様子から、細かな事にあまり関心を払わない家主の性格を想起させる。
大きな物音を立てないよう慎重に動く。朝永がいま仕事場にいることはアパートの他の住人も知っているかもしれない。ならば本来誰もいない部屋から物音があれば不審に思うだろう。そんなことがあってはならない。
人の家に侵入するのはこれで二度目だ。しかしその時と事情の異なる今回は、侵入を悟られないよう動く必要があった。つまり、ここに来た目的もあの時とは異なるということだ。
僕は、朝永が森野をつけ狙う理由を知りたかった。
だが彼を尾行し続けたところで表面上の行動を追うだけでは手がかりを掴めない。彼女をどうするつもりなのか、何の狙いがあるか。本人に聞いたところで無駄だろう。警戒されて終わるだけだ。だから本人の気付かない所で何らかの手がかりを掴むほかなかった。
とはいえ情報を調べ出すための心当たりはある。
森野を盗撮した映像に、朝永の意図がなにか隠れ潜んでいるかもしれない。
注意深く観察し続けた結果、彼が常に胸ポケットに隠したデジカメから撮影していることに気付いた。ならば撮った映像はどこかに保存されているはずである。僕の推測では、朝永のパソコンにその映像データが見つかるかもしれないと考えた。
果たしてデスクトップ型のパソコンが机の上にあった。電源を入れる。幸いパスワードはかかっておらず、自由にファイルを閲覧することができた。
大抵のファイルは塾講師としての仕事で使う資料のようだった。膨大な量のファイルを一つ一つクリックして確かめる。しかし探したい情報は見つからない。無関係なファイルに時間を取られ、僕はかすかな焦りを覚える。
だがそれも長くは続かなかった。隠しファイルの存在を見つけたからだ。
僕の予感は当たった。クリックすると、そこには森野夜を隠し撮りしたデジカメの写真と映像が並んでいた。
もし僕がこの盗撮物を警察に送ったら、おそらく彼は捕まるに違いない。もっとも、そんな真似をする気はなかった。どうやってこのファイルを取得したのかと僕の方が警察に問い詰められるだろう。
僕はそれらをひとつずつチェックしていった。
だが期待に反してそれは何の変哲もない盗撮物でしかなかった。次第に疑念が浮かんだ。
この男は本当にただの盗撮魔でしかないのだろうか。
もしそうなら、あてが外れたことになる。森野にとって迷惑であっても、命を奪う事態にはつながらないだろう。
こうして大きなリスクを冒し部屋に侵入する必要もなく、何かがあると思ったのは単なる僕の見込み違いだったことになる。
僕はわずかに落胆した。だがその時僕は新たなファイルを見つけた。ファイルは画面をスクロールした最下層にあった。
『Grave』
墓標、と名付けられたファイルの中身は大量のテキストだった。
僕は直感で彼個人の日記に近いものだと悟った。
僕は鞄から一枚のディスクを取り出した。
データを保存するためだった。パソコンに何らかの情報が隠されていることを想定して事前に用意したものだ。ここは長居していい場所ではない。限られた時間を使って、このデータを持ち帰る必要がある。僕はそう判断した。
パソコンに保存用のディスクを差し込む。データをコピーする間、僕は念のため部屋をくまなく見て回ろうと考えた。
居間、台所、玄関と見て回る。
足の裏におかしな感触があった。危うくバランスを崩しそうになる。
見ると、折りたたみ式の小型の携帯電話が先ほどの無造作に投げ捨てられたジャケットのそばに転がっていた。
忘れ物だろうか、と僕はにわかに思った。仕事で使うものかもしれない。もしそうなら忘れ物に気づいた朝永は急いで部屋に引き返すのではないか。
つまり、早めに帰宅する朝永と鉢合わせになる可能性も否定できない……。
……玄関の向こうから物音が聴こえた。