GOTH Over the Grave   作:方南

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第8話:11月(木)

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 朝永が携帯電話の紛失に気づいたのは仕事から帰宅した際のことだった。

 何処で落としたか見当もつかなかった。家の中を探しても携帯は姿をみせず、試しに備え付けの家の電話からかけるが一向に繋がらない。普段から管理を怠っていたことをこの時ばかりは後悔した。

 だがデジカメの紛失でなかったのは不幸中の幸いだろう。森野の撮影に困る事態は避けられたからだ。それに引き換え携帯はただの便利な機器にすぎない。もっとも、外出時の連絡に少々困る程度の影響は出るだろう。

 朝永ははじめ警察に届け出ようか思案した。だが過去の行為が脳裏をよぎり、警察への接触をためらわせた。

 

 家の電話が鳴ったのはその夜だった。電話機に表示された番号は、紛失した携帯のものだ。朝永は慌てて受話器を取った。

「はい……」

『朝永さん、ですね』

 知らない人間の声だった。朝永は怪訝な表情を浮かべる。

「失礼ですがどなたですか?」

『ああ、すいません。ぶしつけに電話をかけてしまいましたね。夜遅くに失礼します。僕はこの携帯電話を拾った者です』

 若い男と思わしき電話の声の主は続けて言った。

『といっても、駅に落ちていたのを見つけたのは僕の友人です。そしてその友人から携帯を預かった僕は持ち主を探そうと思い、登録された番号から推測して電話をかけました』

「なるほど……わざわざありがとうございます」

 朝永は安堵した。何処で落としたかも定かではなかった携帯を見つけてくれた人たちに。

 しかし同時に朝永はかすかな違和感を抱いた。この電話相手のとった行動には、何かおかしなところがある。

「なぜ、警察へ届けずに連絡を?」

『……確かにいったんは警察に持ち込むことも考えました。しかし警察という人種は無駄に疑り深い。怪しげな高校生が携帯を持ち込んだぞ、と僕のことを疑う光景が目に浮かぶのです。おわかりでしょうか』

 高校生、という言葉をその耳が拾う。電話の主は少年と呼べる年齢なのだろう。しかし彼は警察を毛嫌いしているらしく、朝永は妙な共感を抱いた。

『僕は携帯を使ってあなたに直接連絡を入れた方が良いと思いました。失礼ながら記載されていたあなたの個人情報をのぞき見してしまいました。それついては謝りたいと思います。非常識だったかもしれませんね』

「いえ、お気になさらず。むしろ私の方がお礼を言いたいほどです」

 こちらとしても警察と関わり合いにならない方が良い。朝永は自らの後ろ暗さを自覚していた。

『ところで朝永さん、携帯はあなたにお返しするつもりなのですが、日時をこちらで指定したい。あなたの家まで伺うのはこちらとしても気が引けるので』

「私の家まで来てもらっても構いませんよ。住所も携帯に登録されたもので間違いありませんから」

『僕もそうしたいのですが……生憎僕にはしなくてはならないことがあるのです。そこで友人にまた預け直し、僕の代わりにあなたにお返ししようと考えました』

「友人? というと携帯を拾った人ですか?」

『ええ、モリノヨルという名前の女の子です……』

 

 心臓の鼓動が跳ね上がる。

 受話器を持つ手がにわかに震えた。

 手の震えはやがて全身に伝わり、朝永から思考の流れを奪い去った。

 

『どうしました……?』

 少年の言葉に朝永ははっとした。

「い、いえ。何でもありません」

 言葉を絞るように言う。

『朝永さん、声の様子が先ほどよりも良くないようですね。体調がすぐれないのであれば、やはり警察に届けてお返ししましょうか……』

「だ、大丈夫です。問題はありません。あなたの指定した場所に向かいます。ですからあなたの友達にもそうお伝えください」

 この機を逃すわけにはいかない。あの少女に直接会える機会などまたとないのだから。

『……わかりました』

 電話の向こうで少年が笑みを浮かべているのを感じた。

 少年が告げた場所はあの駅のホームだった。

 日時は明後日の土曜日、朝八時半。そこに泣きぼくろが特徴の黒髪の少女が待っており、少年はその時間に確認のため、改めて少女へ電話をかけるという。

 朝永は急いで壁掛けのカレンダーを確認した。幸い、その日は塾の仕事がなかった。

『森野には僕から伝えておこうと思います。もしあなたの都合がつかない時は明日中に連絡をお願いします。それでは……』

 

 

 興奮が冷め止まないまま日付は変わった。

 少年との電話を終えた朝永は夢見心地だった。森野と会う奇跡的なチャンスに、布団に入ってもなお眠りにつけない。願ってもなかった『撮影』ができる。初めて出会ったあの夏の日のように、久しくなかった感情を噛みしめていた。

 しかし、時がたつにつれ朝永の脳裏に別の感情が湧き上がる。

 一抹の不安があった。

 もし撮影に失敗した時、警察に捕まる可能性は高い。自分には社会的な立場がある。ささやかながら塾講師として教壇に立ち生徒を指導する立場にある。そのような人間が事を起こすなど誰が考えるだろう。

 仮に警察に捕まれば周囲の見る目は一変するだろう。失うものはあまりに大きい。

 今ならまだ事は起きていない。やめるのは簡単だ。その場合は少年に連絡して素直に警察へ届けるよう指示すればいい。向こうが返さなければ仕方ないが、こちらで警察に被害届を出すまでだ。

 しかし、不安のもとは他にもあった。

 

 布団から起き上がり、パソコンに向かい合う。

 机の蛍光灯のスイッチを入れる。電源の落ちたモニターが朝永の輪郭をおぼろげに映し出す。

 少年の行動にはどこか違和感が残る。

 都合の良い舞台が用意され、あたかも自分がそこへ誘導されているように感じるのだ。電話の少年は自分に名乗らなかったことも気になった。

 果たして素直に信じていいのだろうか?

 もしや携帯は自分が落としたのではなく、少年が盗んだのではないか。

 仮にあの電話の声の主になにか企みがあるとするなら、先んじて推測する必要がある。

 その一、単に少年がからかっている場合。

 少年は現場に来て朝永を監視するだろう。なにか悪戯を仕掛けてくるかもしれない。だがこれはまだかわいい方だ。

 問題はその二、自分が森野をつけ狙っている事を電話相手が知っている場合。

 これは極めて問題だ。少年が何か重大な証拠を握っていた場合、まず駅に森野を来させないはず。わざと森野の名を口にして自分をおびき寄せ、そこで盗撮の証拠を突き付けるだろう。

 盗撮は誰にも気づかれないよう用心していたはずだが、どこかでミスを犯したのかもしれない。

 ならばすでに相手が警察と連携している可能性は……さすがにないだろう。

 世間体を気にする警察が、果たして一般の高校生を危険に晒すだろうか?

 警察の関与はまず考えなくていい。おそらく少年は警察に通報すらしていない。

 しかし、だからといって、相手が盗撮の証拠を握っていないとは言い切れない……。

 あの電話相手を調べる必要があると朝永は感じた。

 少年は森野とつながりを持っている。おそらく知人かそれ以上の関係にあるだろう。学校の掲示板でそれとなく噂されていた友人かもしれない。

 念のために仕事先の学習塾にM高生が在籍していないかチェックしておこう。同じ学校の生徒への聞き取りも塾講師という立場なら不可能ではない。首尾よくいけば、そこから彼の素性を割り出す糸口が見つかるはずだ。

 

 淡い光がモニターをともした。

 朝永がファイルを開くためパソコンの電源を入れたためだった。『Grave』と名付けたそのファイルにある日記の中身は、いつの日か森野夜のスナッフフィルムを収めることを想定してつづられた実行計画にほかならない。

 少年の存在に言い知れない一抹の不安はある。撮影をしくじり、警察に捕まる可能性も高い。

 しかし、運命というものは時に全てを超越し、成功をもたらすものだ。かつて姉を殺害した自分は罪を逃れることができたのだから。

 もし運命が朝永に森野の死を許すなら、針の穴を通すような奇跡が成り、警察の手を逃れ、悠々と映像を持ち帰ることができるだろう。

 今度こそ、しっかりとこのレンズに収めたい。

 死の運命に魅入られたあどけない少女の、最期の表情を見てみたい。

 朝永は机に飾られた姉の写真に目を向けた。今も色褪せぬその表情が森野と重なって見えた。

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