「事件の顛末は理解できたな?ならばそいつを速やかに連行して僕を解放してもらおうか」
ある場所で起きた殺人未遂事件。黒いフードを目深にかぶり、黒いコートを身に纏った男は警察に向かってまくしたてる。
一連の犯行は、かの睡眠探偵が紐解いた。事に至った動機が犯人自らの口から告白されようとしたところで、この男が遮るように話に割り込んだ。
「こいつが事件を起こした理由なんて僕には関係の無い事だ。黙って話を聞いてやる義理も無い。医者である僕の時間を健康な者に態々割く事に何の意味がある?合理的じゃない」
他人事とは言え、ここまであっさりと切り捨てられるものなのか。現場にいる人間の視線が集中するが、男の主張は変わる事は無い。
「分からないのか?事件が起きれば警察が来るように、患者がいるなら医者である僕の出番なんだよ。特にこの米花町ではひっきりなしに患者が発生するからな。終わった事件に構っている暇は無い。新たな患者が僕を待っている。
ほら早くしろ。遅れれば遅れるほどに死人が増えるぞこの町は」
事件現場を後にして、街をさまよう彼は感じ取る。
新たな血の匂い。
新たな患者の気配。
「…クク、最高だな米花町は。ただ歩き回るだけで珍しい患者が運び込まれてくる。病気の類は少ないが、怪我の症例は類を見ない程に多い。
この町にいれば医術は大きく進歩するに違いない。事実、この町で僕の医術の経験値は他の場所など比較にならない程に溜まっているのを感じるぞ…
ハッ、ここには死神が居憑いているなんて噂も聞くが、医者にとっては理想郷だな。ざまあないな、死神め!!」
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眠りの小五郎が有名になる遥か前から、米花町にはとある医者が住み着くようになった。
事件が起きた時に必ずと言っていいほどその場におり、被害者の治療及び蘇生を試みている。加害者が頭をひねって絞り出したトリックの殆どが、その場で蘇生されて意識を取り戻した被害者の証言でおじゃんになり、結果的に事件解決になっている事からも警察から一目置かれている存在。
米花町以外にも日本各地や外国まで飛び回り、珍しい症状の患者を探し回っては治療する。マッドサイエンティストと噂されるが、概ねその通りである。
現在は高校生から小学生になるという毒物の被害を受けた患者の治療中。何かと事件に巻き込まれる彼の体質を利用し、溢れ出る患者を治療しながら医術の進歩に向かってまっしぐらに突き進んでいく。
見た目はマッド、素顔もマッド。
その名も、神医アスクレピオス。
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「阿笠、追加の麻酔針を持ってきた。確認してくれ」
「おお。毎度の事ながらスマンのぉ、先生」
ケースに丁寧に梱包された麻酔針を一本一本確かめる阿笠。眠りの小五郎のカラクリに使用する小道具のため、不備がないか念入りに調べている。
「どうだ、江戸川。前の健診から体調に変化は起きていないか」
「これといって何もねーよ…。大体、前って言ったって三日前の話だろ?」
「お前の体に起きている事象は興味深い。できれば毎日検査したいところだ」
「勘弁してくれよ…」
げんなりとした表情を浮かべる工藤新一――現在は小学生の体になってしまった江戸川コナン。思えば、阿笠の次にこの男に頼ろうとしたのが始まりだった。
「(お医者さんにそんな顔するもんじゃないぞ新一。こんなオカルトまがいの出来事を事実として動いてくれとるんじゃから)」
「(それには感謝してるけどよ…予想以上に食いつきが良くて恐いんだよ。被検体っつーかサンプルっつーか、明らかにそういう目で俺の事見てるしよ)」
「(推理出来たじゃろそんな事。なのに何で彼に助けを求めたんじゃ?)」
「(あっちこっちで難病やら大怪我やら治しちまう奴だからな…。俺が高校生探偵やってた時に現場でかち合った事も一度や二度じゃねーし。常識は通用しねーが……医者としてなら俺の周りで一番信用できる)」
ワンチャン治せる手段持ってるかも、なんて望みを懸けて相談したのだが、流石に経口摂取の毒物による幼児化の前例は無かった。当たり前だが。
「…チッ。症状が出てからもうずいぶん経つというのに、体調に変化は見られないか。風邪をひいた事は何度かあるが、常人と変わらん症状だった。特に治りが早かったり遅かったりもしない。
せめて、幼児化の瞬間を見る事ができれば何か分かるかもしれないが…」
険しい顔でカルテを読み込むアスクレピオス。特に代わり映えしないデータの羅列に思わず舌打ちをする。
「俺が毒を飲まされたのは取引の現場だったからな。目撃者もいなけりゃ映像も残ってねーよ」
「今は無害とは言え、元が毒だ。本来殺害を目的にして作られているなら、無暗にあれこれ中和を試すのも危険だな。採取した血液にも毒物の反応は出なかった。現状は経過観察しか出来ることが無い」
「くそっ……もどかしいな」
「ま~慌てても仕方なかろうて。どうじゃ先生、良い和菓子が手に入ったからお茶でもどうじゃ?」
「そんな暇は無い。この後も予定が詰まっているんでな。江戸川、何か変化が起きたら僕に連絡しろ」
「おう」
そう言ってアスクレピオスは次の患者のもとへと向かう。せわしなく動き続ける医者の背中を見届けるコナンと阿笠。
「よくもまあ、毎日毎日ああも動けるもんだな」
「新一とて、毎日毎日推理の事しか頭にないじゃろ」
「流石にあの医者ほどじゃねーよ。
―――――なあ博士、知ってっか?」
「何をじゃ?」
「アスクレピオス先生がこの町に来てから、死人の数がぐっと減ったんだってよ。毛利のおっちゃんが言ってた」
「そうじゃな」
「人を救うって、大変なんだな…」
「そうじゃな…」