研究所に戻ると既にマスターは私を待ちながらリビングで眠りこけていたので、ソニアに案内され、マスターを抱いたまま私は寝室にあてがわれた部屋へ向かった。
「きっと、列車強奪事件やら、色々あったし、疲れたんだろうねえ。早く寝かせてあげなよ」
ソニアはそう言うと、ベッドの掛け布団をまくる。そこにそっと、マスターの小さな体を寝かせた。
「これでチャンピオンなんだからねー。不思議なもんだよ……さて、私も寝よかな」
『不思議なのですか?』
「ポケモントレーナーでめっちゃ鍛えてる人とか居るでしょ? 普通は、ポケモンの強さとその人の強さは比例するものなのよ。それが肉体的な強さであったり、精神的な強さであったり、ちょっと形は違うのだけれど。何にしても、ポケモンは認めないと、その人についていかないのよ。貴方もそうなんでしょ?」
たまに空手王を名乗ったり、悪の組織でむしろ自分が闘った方が強そうなトレーナーがいるが、それはそういう理由なのだという。
しかし、私がこのマスターについていく理由。それはこの子の強さに惹かれたからか。むしろ逆かもしれない。
マスターの手持ちの他のポケモンたちは、彼女のトレーナーとしての何か秘めた強さに惹かれたのか、それはわからない。だけど私はどうか。
「さあて、私も寝るかー!」
『あの、ありがとうございます』
部屋を去ろうとしたソニアに間一髪で礼を言うと、ソニアは一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに笑ってみせた。
「サナちゃんって不思議ちゃんだよね。クールかと思ったら、やけに人間くさいとこがあったりさ。それになんだか、その子の保護者みたいで、ふふ、なんだか面白い」
ひとしきり笑うと、おやすみ、と部屋を出ていった。本当に明るい女性だ。
灯りを念力で消し、布団に腰掛ける。暗闇に月明かりが窓から差し込んでおり、虫の音だけが響きわたる。
「おねえちゃん……」
寝言だ。
そっと顔を覗き込むと、安らかな表情で寝ている。
寝息を立てる少女に、掛け布団をかけてやり、ふと、私も横に潜り込んでみた。少し肌寒いかもしれない。マスターは私に抱きついてくる。ひどく小さくて、どこか儚さを感じる。
先ほどのソニアとの話を思い出す。
私はマスターの強さに惹かれたのではない。私は、この頼りない少女のその弱さに惹かれたのかもしれない。
守ってあげたい。そっと、その細い体を抱き返した。抱きしめるのは、抱擁ポケモンである私の特権だ。
※
「いくつもの世界があるのを、ポケモンであるきみなら理解しているだろう」
黒い背広を着た男は、口角をあげる。胸に刺繍された悪趣味なカラフルな色合いのマークがやけに目につく。
サカキ。
カントーの地で暗躍し、そして敗れたロケット団が首領。歴史の表舞台を去ったはずだった。その引き際は、決して悪と一言に表せられないものだった、と私の中にあるかつての記憶の断片がそう告げている。
「今、こうしてメガシンカしたきみに敗れたわけだが、メガシンカの存在しなかった世界もある。大昔の、いずれかの、今となっては分からないだろう歴史に残らない僅かな差異が世界を大きく隔てたのだ」
サカキが何を言おうとしているのか、理解しがたかった。だが、その目は、その気配は。いくつもの旅の中で見てきた、世界をその手に入れようと、あるいは滅ぼそうとしてきた、黒い野望を胸に秘めた悪の組織の主のいずれよりも強く、恐ろしさを感じた。
「サーナイトよ。私のことを知っている様子だな。恐らくはカントー絡みだろう。だが、きみの知る私とは別人だよ」
サカキは呆気なく、言ってみせた。
だが、それを証明するのは先ほどメガシンカした私に敗れたミュウツーだ。
マスターボールから次々とポケモンたちを繰り出し、手持ちの最後の一体はあのハナダシティの外れの洞窟深くに潜んでいたミュウツーであった。それをサカキが保有しているはずがないのだ。
「ああ。このミュウツーか。ハナダシティで捕まえた。そうだな、私の元いた世界には居なかったが、赤い帽子の少年が殆どの世界では活躍し、私が負け、ミュウツーもその少年の元に居るようだな」
何を言っているのか。今ひとつ理解が追いつけないでいた。それは隣に立つマスターも同じ様子だった。
「理解しがたいだろう。世界を亘ると普通は記憶が混濁するからな。だが、少しずつ思い出しているだろう。そうであれば、ポニ島のバトルツリーを訪ねてみるがいい。カントーの頂点に上り詰めた、赤帽子の懐かしい顔が見れる。だが、果たして、それはお前の知る者と同じかな? 姿形は同じでも、その性質は同じでも……正真正銘、同一だと言えるか?」
幾つもの世界を超えて、このサカキはどういうわけかこのアローラの地にいる。記憶に残る様々な悪の組織の首領たちを束ねる、新生・ロケット団の頭領として。
「ふっ、まあいい。私は敗れたわけだ。闘う前にも言ったが、この局面、敗北など。このサカキの人生で初めてのことであるはずが、なぜか懐かしくもある……この既視感は、別の世界の私の魂の記憶なのだろう。不思議な感覚だ」
目の前の男は、アローラの地に執着しているわけではなさそうだった。だが、なぜか私に向き直り口角をあげる。
「またな」
嘯いて、サカキは踵を返す。
「待って!」
声を上げたのはマスターだ。アローラの気候に合わせた涼し気な格好をしている。
島巡りを果たし、アローラの精霊の加護を受けた少女は真っ直ぐな眼でサカキを睨みつけていた。
「なぜ本気を出さなかったの?」
マスターが問いかけると、サカキは肩を震わせて笑った。
「きみはとても大事にポケモンを育てているな。そんな子供と本気でつぶしあいをするのは愚かだな。ふっ。エーテルパラダイスはきみに預けておくとするか」
背を向けたまま、サカキは立ち去っていく。
「しかし我がレインボーロケット団は不滅だ
……そのことを忘れるなよ」
突如、地震のように建物全体が激しく揺れ始める。サカキは再び振り返り、こちらを見つめる。
「ここは一度、身を引こう! きみとはまたどこかで戦いたいものだ……!」
そして、ひっそりと夜の闇に消えていった。
アローラのマスターは私と目を見合わせる。彼女は何かを言いたそうにしていたが、肩をすくめ、何事か口にしようとして――
――そして、目が覚めた。
夢だった。アローラの、ここに来る以前の別の世界の。
ガラルに来るときに失われた記憶の断片を、夢として見たのだろう。あの時のサカキの目線は確かに私に向けられていたように感じた。
「うーん……」
隣で寝息を立てる少女の顔を見つめる。ガラルのマスターだ。その髪をそっと撫でると、身をよじり、口をもごもごさせ、何事か呟いた。
「……おねえちゃん。あと五分……」
寝言だ。ひどく愛おしい想いにかられ、思わずまた抱きしめる。
今は、この世界が私の居場所なのだ。
※
ソニアやホップに見送られ、ブラッシータウンを後にした。
一番道路を、ハロンタウンに向かって歩いていく。はじまりの場所へ。
「旅立ちの日は、この道を逆に歩いたのに、今は戻ってる。変な感じだなあ」
マスターはにこにこと笑っている。普段はアーマーガアタクシーが移動手段になっているのだろう。しかし、今はこうして、ガラルを知らない私のためにあえて周り道をするように旅をしてくれているのだ。
ウールーが飛び出し、マスターはその度に器用に避けながら歩く。のどかな田舎道だ。
『幼馴染と別れるとまた寂しくなりますね』
「あれ、サナたん? ホップは幼馴染ってほどじゃないよ。あたし、ガラルに来てそんなに経ってないんだ。だから、ガラル地方のトーナメントでチャンピオンを決めるシステムは新鮮だったし、仕組みがよくわかってなくて、ホップに色々教えてもらったんだ。あたしの中では、バッジを集めてポケモンリーグの挑戦権を得たら、その後には四天王が居て、チャンピオンと闘うものだと思ってたからさ」
そういえば、マスターはホウエン地方の生まれだと教えてくれたことがある。だから、聞いておきたかったことがあった。
『マスターは、メガシンカって知ってますか?』
「メガシンダ……目が死んだ?」
どうやら知らない様子である。
話していると、ハロンタウンの町にたどり着く。牧場の匂いに包まれた、こじんまりとした風情で、家は数軒あるだけだ。
マスターの実家がある小さな町、マスターにとってはガラル地方のはじまりの場所。
「サナたん……どうしよう。緊張してきた」
スボミーのいる古びた一軒家の玄関まで来て、突然言う。
「どうやって、サナたんを紹介しよう? あたしが責任持ってサナたんを幸せにしますって宣言したらいいかな?」
よくわからないことを言うので、とりあえず、『幸せにしてください』とだけ言っておいた。