その夜は皆で食卓を囲み、食事の後片付けが終わると子どもたちはすぐに眠りについた。
「……寝ないヤツは、地下の開かずの間に閉じ込めるぞ」
何やら得体のしれないフロアがあるらしい。子どもに言うことを聞かせるための七不思議の一つだろう。
しかし、そんな七不思議よりも、目の前のサオリに得も知れぬ気迫のほうが正直かなり怖い。
「冥土の土産話を聞きたいのは誰だ?」
メイドだけに……ということだろう。どこかの特殊部隊出身の格闘メイドの一声で、やんちゃなレオンですらすくみあがり、大急ぎで寝室へ駆け込んでいった。おそらくこのサオリという女は、霊長類最強であるに違いなかった。
みんなが寝静まった夜、私は書庫に置いてあるポケモン図鑑を眺めた。
ガラル図鑑、全国図鑑……たくさんのものがあった。それらを隅々まで読み込み、私の知らないポケモンの知識を身につけていく。また、マグノリア博士のダイマックス研究に関する資料にも一通り目を通した。
中には、なぜか他の研究者の時間旅行に関する著作も混ざっていた。ウルトラホールという概念が少し興味を引いたが、あまり私にとっては有益ではないと判断し、流し読みした。
なにせ膨大な量なのだ。すべてに目を通していると時間が足りない。
窓の外を見る。月が高く上っている。頃合いだろう。仮眠をとっている少女を起こす。少女はいつも子どもたちが寝たあとに出発すると言っていたので、この時間がベストだろう。
「いよいよキョピカだね。楽しみだなあ」
布団から出てきた少女が発したワードで、私は疑問に感じていたことを思い出し、尋ねる。
『キョピカは巨大ピカチュウの略ですね。他に、イロレイドとか、ハーフバックとか……何のことですか? あと、コードネームとか妙なワン・オク・ロックの暗号とかは何の意味があるのですか?』
「レイドの土産話に聞かせてあげよう! 色レイドは、色違いポケモンのゲットできる巣穴のバトルのこと。確かな知識と経験に裏付けされたトレーナーしか、見つけることができないの。それをできるのが、コウタロー」
なるほど、と思った。しかし何だろう、レイドの土産話とは。
「希少価値の高いポケモンが出るから、ワイルドエリアには、乱獲し密輸しようとする悪徳売人が出てくるのね。だから、暗号を用いて、素性が割れにくいようにコードネームを使ってるの。だったら知り合い同士でコードネームを使う必要ってあるのかって不思議に思うよね? コウタローが言うには、どこに密偵がいるかわからないからなんだってさ。あのワンオクロックの暗号は、外見をそっくりに似せたトレーナーを見分けるため。だいたい仲良くなると雰囲気で別の人だって分かるもんだけど、念のためだってさ。……でも、実際暗号とか、かっこよくない? スパイ映画みたいで燃えるよね?」
コウタローは随分と用心深い男であるが悪人ではない。私が初めて彼を見たときに警戒したのは、この少女の反応からであるが、どうやらあれは映画の登場人物になりきっていただけであるらしい。
コウタローの考え方は正しい。希少価値のあるものと争い事は紙一重だ。ロケット団が他人のポケモンを平気で奪い取り、売り捌いていたように、人間には善人と悪人がいるのだ。
「ハーフバックは、ゲットした数の半分を、元締めのコウタローに返すこと。あたしはここの子たちの人数の2倍をゲットして残りを返すの」
『バックされたポケモンたちは?』
「マッシュのオークションで次の親を探すの。遠い外国の人や、レイドに参加できない事情のある人に渡っていく……マッシュは私利私欲でオークションをやってないの。それに、その売上をこのホームに寄附してくれる。一見悪そうだけど、とてもイイ人なんだよ。コウタローと二人でワイルドエリアをパトロールしたりなんかもしてる」
単なる良い人というわけではない事情がそこにあることを私は知っている。マッシュは
「あたし、ほんとは知ってるのにね。マッシュは気づいてないと思ってるんだよ。彼はひとりで苦しんでる。罪は、許されるべきだと思う……」
マッシュの苦しみに光を射せるとすれは、それはあのイーブイ少女のハルなのかもしれなかった。
「さあ行こうか、キョピカが待ってる!」
夜の帳は降り、今からはレイドの時間だ。私は初めてのレイドバトルに期待を膨らませる以外なかった。
「……来たな。1(ワン)と言えば?」
コウタローが例の秘密の暗号を言うと、少女も身構え、何か怪しい取り引きをしているかのごとく成り切って応える。
「……億(オク)よ」
「ロックだな、よし」
コウタローが合図すると物影に潜んでいたマッシュと、二足歩行したニャースを連れた黒のハット帽を被り、仮面をつけた礼装の男が姿を表した。仮面は目元だけを隠すような形で、一見して表情がわからないようになっている。
「よう、“聖母”」
「昨日ぶりね。コードネーム“管理人”。ところで、そちらの仮面の方は? 見ない顔ね」
少女の口調が秘密組織のそれっぽくなっており、完全に何かのワンシーンを演じ切っていた。
「カイトだ。通りすがりの仮面ナントカでも、怪盗カイトでも、好きに呼んでくれれば――」
「――コードネーム“怪盗”だ」
セリフをコウタローが遮る。
「ちょっ!? 最後まで言わせてくれよ!!」
カイトという男は声を荒げ早口にまくし立てる。キザな見た目とキャラのギャップが大きいが、どうやら怪盗のコスチュームらしかった。
「カイトが喋ると無駄に長いニャ。コウタローが正しいのニャ」
コウタローとカイトの間に割って入ったのは……原種のニャースだった。二足歩行していた時に既に違和感があったが、人語を発した時点で普通のニャースではないと確信した。
『あなた……エスパータイプでもないのに喋れるの?』
「ニャーは人間のようになろうと特訓したニャ。努力は夢を裏切らないニャ。おみゃーは何て名前だにゃん? ニャーは“シャケ”というニャン」
食べ物の名前から、誰が名付け親か一瞬で理解した。しかし原種であるあたり、遠い地から来たのだと推測する。
『私はサナ。あなたもガラル出身じゃないのね』
「カントーから来て行き場の無かったところをマッシュに拾われたにゃん。色々あって、今はカイトと旅してるにゃん」
不思議なニャースであるが、そういうこともあるだろう。世界は謎と新しい発見で満ちている。
「挨拶はそこまで。行くぞ」
警官姿のコウタローが合図し、一行を導く。
5分ほど進んだところに、赤い柱が立っていた。ライフストリームと呼ばれる星のエネルギーで満ちた柱だ。
「ここの下には今、巨大ピカチュウの色違いの群れが巣食ってる。発見後、数日経過しているため、明確な期限はわからないが、今日明日で居なくなると見るべきだろう。だが今日いっぱいは大丈夫だ。レイド初参加のメンバーも居ることだし、効率重視のニャイキング路線はやめ、楽しむこととしよう……行け、“ナオミ”!」
そして、コウタローはウルトラボールを投げた。出て来たのはザマゼンタだ。それを見たマッシュが「そういうことな」と笑みを浮かべ、
古の昔、大災厄からガラルを救ったといわれる二匹の英雄が並ぶ。滅多に見られる光景ではないが……目の前のこれも滅多に見られるものではなかった。
「キャウン」
悲鳴をあげて逃げようとしたのは
「いや、月夜だからな。
「最近、高いベーコンしか食わねぇから、ちっとばかりお灸を据えてやろーと思ってたところだったんだ。ちょうど良かったぜ」
マッシュがけらけら笑う。
「よし、来たぞ。放っといて始めるぞ」
赤い柱から、巨大なピカチュウが姿を表した。普通のピカチュウと異なり、丸みを帯びており、ずんぐりむっくりという言葉がピッタリ当てはまる。
「おお、昔のヤツかニャー。最近見にゃいにゃーと思ってたにゃ。昔はピカチュウもこんな形だったニャ」
カントー出身の
そうか、あの頃のマスターはそのことを言っていたのか。あれから何年経つだろう。少なくとも十年以上を経て、私はトキワの森でマスターが言っていた「昔のピカチュウ」のことを理解することができた。
「サナたん、行くよ」
トレーナーとポケモン、全員が並ぶ。
それは見ないふりして、私は巨大ピカチュウを見上げる。かなりでかい。
ピカチュウが野太い声で鳴き声をあげ、レイドバトルの始まりを告げた。
なお、このあと滅茶苦茶レイドした。