野良ベーシストは運命と出会う   作:なんJお嬢様部

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なんだかんだでのらりくらりと続いておりますが、定期的に見てくださって感謝感激でございます。

今回からは初ライブに向けての場面になります。全2話か3話でさくっと終わります(終わるとは言っていない)。

一応、全20話+エピローグで終わるつもりなので、名目上の折り返し地点となります。年内完走を目指すので良ければもうしばらくお付き合い下さい。

【駄文】
 ちょっと前にドラムを再開したのに続いて、ベースも買い直しました。なんと地元の某リサイクルショップにMotionB MB-40ウッドカラーの美品が入荷されていたので衝動買いしてしまいました。これで今月のお小遣いはゼロです(微笑)
 ベースは学生時代にそこまで弾いてきてないので、すごいぼちぼちな感じですが、弦楽器はやっぱりいいですねー。ドラム以上に自分が音を作ってる感じがします。


野良ベーシストは気配り上手である

「おーい、薫ー? どうして君はAメロからサビに入るところで決めポーズをしてるのかなー?」

「ふっ、だってその方が儚いだろう? つまりそういうことさ」

「儚くなってるのはメロディラインだよこの阿呆! サビの頭がグズグズになってるわ! キメ顔だけで我慢しろ!」

 

……………

 

「あうー、またずれたー」

「あー、北沢さん。ずれたら無理にそのまま修正していこうとせずに一旦演奏切ってもいいぞ。松原さんのドラムがリズムキープしてくれるから、一呼吸置いて合流させよう」

「はーい! でも、はぐみもずっと弾いていたいからコードチェンジ頑張るよ!」

「おーう。どうしてもダメなら代用コードの投入も考えるから早めに言いなよ」

 

……………

 

「鳴瀬さん、どうですか……?」

「いいね、悪くないよ。でも、まだbetterな演奏であって、bestではないから改善の余地はあるな。フィルインをもっと飾ってもいいかもしれない」

「も、もっとですか……?」

「うん、一応今はこれで曲を組んでるわけだけど、これは一番シンプルな進行で組んでるからね。松原さんの技術からしたら俺としては物足りない。松原さんがいいなら新しいフィルインを組み込むけど、どうする?」

「や、やってみます!」

 

…………

 

「ふふふ~ん♪ 鳴瀬! わたしの歌声はどうかしら?」

「おー、いいぞー(棒) 歌う度に毎回メロディが変わってることを除けばなー(棒)」

「あら、そうだったかしら? でも、より良い歌を追求する方が素敵じゃないかしら!」

「作曲や編曲する側の身にもなろうなー(泣)」

 

…………

 

「あ゛ー……、鳴瀬さん。こころさんの鼻歌の譜面、また起こしたんで確認お願いします~……」

「よーし、……ふんふん……なるほど。えーと、奥沢さん。いい知らせと悪い知らせがある、どちらから聞きたい?」

「え゛。……じゃあいい知らせからで」

「よし、この曲かなり形になったよ。コード進行も最初から比べれば格段に弾けるレベルになった」

「や゛っだ~(涙) ……じゃあ、悪い知らせは?」

「……こころの鼻歌がまた更新された。この譜面、リテイクだ(泣)」

「……(白眼)」

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 俺と《ハロー、ハッピーワールド!》のメンバーが《arrows》のスタジオで初練習してから早くも1ヶ月が経とうとしていた。新緑が眩しかった季節はとうに過ぎて、今では雨の香りが遠くから漂ってくるような感覚を覚える。

 

 この1ヶ月間、ペグ子が財力にものを言わせたお陰で、俺たちはなんと週5ペースで《arrows》の練習を入れていた。個人の予定があるので全員が毎日最初から揃うわけではないが、それでもみんな週の半分は練習に明け暮れている。

 当然、《ハロハピ》は《arrows》における最大のヘビーユーザーと化して、四方津さんはますますペグ子たちに入れ込んだ。スタジオの常連客たちともかなり顔見知りになって、今では《ハロハピ》のメンバーは軽いアイドル扱いを受けている。

 

 練習は週を重ねるごとに苛烈さを増していき、メンバーは日増しにそのスキルを伸ばしていった。

 

 楽器というのは練習し始めの頃は、スポンジに水を吸わせるが如く様々なスキルを身に付けていけるものだ。

 だから、しばらくして力の伸びが頭打ちになるところまではとても楽しい。昨日までできなかったことが次の日にはできるようになって、自分の成長をありありと実感できるからだ。

 

「わー! 薫くん今のところすごくかっこよかったよ!」

「ありがとう、はぐみ。今のは私も儚い演奏だったと思っていたところさ」

「よーし、はぐみもやるぞー!」

 

 この恩恵を享受しているのは、なんといっても薫と北沢さんの二人だ。ビギナーの二人はその秘めた才能を開花させ、その成長の早さには俺も驚かされる。

 

 薫は、正確なリズムキープはそのままに、コード進行の引き出しが明らかに増えた。演劇部との掛け持ちでの練習はかなり厳しいはずだが、表面上はそんなことは一切見せない。まさに役者の鑑といってもいい。

 これから薫には、エフェクターを咬ませての本格的な音作りをさせるのもいいかもしれない。

 しかし、あまり誉めるとすぐに調子にのって謎の決めポーズなんかをやり始めるので、薫は基本的に要所でしか誉めない。エフェクターの提案も実際にやる直前でいいだろう。

 

 逆に北沢さんは誉めると勢いに乗るタイプなので、ちょくちょく誉め言葉をかける。

 北沢さんはとにかく体力があるので、練習中はずっとベースを弾き続けている。彼女もソフトボールとの兼ね合いもあり練習に参加できない日もあるので、その分練習できる日に注力しているようだ。

 北沢さんはとにかく音の粒が綺麗で、最近はルート弾きも上手くなった。ソフトボールで鍛えた指を活かしたツーフィンガーも習得しつつある。

 

 本業のベーシストとして、ゴーストノート、スライド、スラップなど北沢さんに教えるテクニックは多い。彼女にはより多くの力をつけてもらい、早く一人前の変態……ではなく、ベーシストになって欲しいものだ。

 

 このように、二人にとってのバンド活動は順風満帆のように見える。

 

 しかし、一度頭打ちを経験すると楽器は途端に苦しくなる。自分の限界をそこに見て、もがいてももがいても前に進まない粘度の高い液体の中にいるような感覚に陥る。ここで耐えきれずに楽器を置いてしまう者は後を絶たない。

 だが、ここを乗り越え殻を破りさえすれば、第二次成長期を迎えることができる。たとえ未来が見通せなくてもがむしゃらにもがくことが大切なのだ。

 

「ふぇぇ……、また間違えたよぅ……」

「ファイトよ、花音!」

「うん、もう一度頑張るね……」

 

 そして、今この時を迎えているのは松原さんだ。彼女は自分が限界を迎えたと感じてドラムから離れようとしたようだが、その限界の殻は今まさに破られつつある。

 

「……ハイ、ロー、ハイとフロア……、バスは切らさないで………よし、もう一回……!」

「いっけー! わたしが見てるわよ、花音!」

 

 松原さんはどちらかと言えば理論的で大人しく、がむしゃらになれるタイプではないのだが、《ハロハピ(ここ)》では周囲が彼女をがむしゃらにさせる。

 《ハロハピ》は間違いなく彼女のドラム人生にとって、良い化学反応を起こしてくれている。

 

「……最後にクラッシュ! で、できたぁ!」

「すごいわ! おめでとう花音!」

「わっ、あ、ありがとうこころちゃん……」

 

 俺が教えた海外の著名なドラマーのフィルインを叩き終えた松原さんにペグ子が飛び付く。一瞬怯んだ表情になった松原さんだったが、すぐに嬉しそうにはにかむ。

 

 《ハロハピ》が松原さんを必要とするように、彼女にもまた《ハロハピ》が必要だったのだ。今、運命は間違いなく彼女に微笑んでいる。

 

 相変わらず、笑顔以外の表情を忘れたようなペグ子はともかく、他のみんなもとてもいい表情で練習に向かっている。スタジオの空気は明るく晴れやかだ。

 

 ……今は特に俺が出る幕じゃないな。

 

 そう感じた俺はスタジオを後にして、一階のラウンジスペースに向かう。数個のテーブルとソファが設けられた《arrows》のラウンジスペースでは、気心の知れたバンドマン同士が語らう姿がよく見られるのだがーー

 

「美咲ちゃん、ここのコードは置き換えた方がよくない? 結構運指が厳しいと思うけど」

「あー、やっぱりそう思います? でも、曲のニュアンスを考えるならここはこのままの方が良いのかも」

「なら、前後のどっちかを置き換えた方がいいぞ。俺は後ろがオススメだな。曲の流れを考えると直前の部分は変えたくないだろ」

「ん? しかし、そうなるとドラムの進行も変えた方がいいですな。この部分はそのコードありきの進行なのではないですか?」

「あちゃー、やっぱりそうですよねー。うへー、また書き直しかー(涙)」

「頑張れ美咲ちゃん!」

「どんどんよくなってるぞ!」

「ここが踏ん張りどころですよ!」

 

 ーー語らうバンドマンたちの中心、そこには必死に譜面にペンを走らせる奥沢さんの姿があった。

 

「皆さん、お疲れ様です。奥沢さん、調子はどう?」

 

 軽く手をあげながらラウンジに近づいていくと、俺に気付いたバンドマンたちが顔を上げる。

 

「おっ、鳴瀬くんじゃーん。お疲れー」

「ナルか、今日も頑張ってんな」

「お疲れ様ですな、鳴瀬くん」

 

 譜面にペンを走らせていた奥沢さんは、みんなの返事からしばらくしてペンの動きが止まってからゆっくりと顔を上げた。

 

「あー、鳴瀬さん。皆さんのお陰でなんとか形になってきましたよ。あ、そうだ。こころさんにこれ以上鼻歌を更新しないように釘刺してくれました?」

「あ、忘れてたわ」

 

 この一言を聞いた瞬間、奥沢さんは天を仰いで頭を抱えて絶叫した。

 

「ぐへー!? 鳴瀬さん、なにやってるんですか! ここはいいですから早くスタジオに戻ってください! そして、一刻も早くこころさんの鼻歌を止めてください!」

「わ、わかったよ」

「鳴瀬くん、ここは僕たちが見ておくからすぐに行って! これ以上美咲ちゃんのメンタルが壊れる前に!」

「すみません、お願いします!」

 

 頭を抱えて悶え続ける奥沢さんを顔見知りのバンドマンたちに託して、俺は踵を返してスタジオへ駆け戻った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 この1ヶ月の間に、奥沢さんは《ハロハピ》の作曲担当者になっていた。

 

 気まぐれに、そして無秩序に生み出されるこころの歌を曲という形にする。これは生真面目なタイプの人種にしか無理だ。

 《ハロハピ》の生真面目担当は松原さんと奥沢さんだが、松原さんは現在自分の限界を超えることに手一杯で、作曲に注ぐだけのリソースが残っていない。必然、残る作曲の担当候補は奥沢さんだけということになる。

 

 ペグ子たちの中では舞台に立つのは相変わらずミッシェルということになっていたことも相まって、ペグ子の鶴の一声で《ハロハピ》の作曲担当になってしまった。

 

 当然、学校の授業で音楽を習ってきただけの奥沢さんに作曲などは不可能であり、この1ヶ月間で俺が最も熱心に指導したのは楽器ではなく、奥沢さんの作曲指導だったかもしれない。

 

 音符の読み取りや演奏記号の類いから始めて、譜面の書き方、全体の進行のパターンやトレンド、tab譜の起こし方などとにかくあらゆるものを一気に詰め込んだ。

 そして、俺がスマホで録音しておいたペグ子の鼻歌から一緒にメロディを考えて、そこにリズムを当て嵌めていく形で作曲は進んだ。

 

 あまり俺がでしゃばり過ぎると《ハロハピ》の曲にならないし、楽器のメンバーにも指導が必要なので、その間は奥沢さんをラウンジに残して一人で作曲する時間にしたのだが、これが意外な方向に発展した。

 

 ある時、ラウンジで一人頭を抱えていた奥沢さんを見た一人のバンドマンが、彼女に声をかけた。

 奥沢さんが作曲中で悩んでいることを告げると、彼は譜面を見てアドバイスを送った。

 

 すると、それを周囲で見ていたバンドマンたちが「俺にも見せてみな」と集まり始めて、次から次へとアドバイスが飛んだ。

 

 真面目な奥沢さんがお礼を言いながら、アドバイスを丁寧に譜面に落とし込む姿がむさ苦しいバンドマンたちの心を掴んだのか。いつの間にか、奥沢さんはラウンジのアイドルのような存在と化していた。

 ラウンジで作曲に勤しむ彼女の側には、いつもスタジオの順番待ちや休憩中のバンドマンが集っている。その中には、ステージに立つなら見に行くよ、などと声をかける者も何人もいた。

 

 ……残念なことに、あなた方がステージ上で見るのは奥沢さんじゃなくてピンクのクマなんだがな!

 

 まぁ、なんにせよ《ハロハピ》内での立ち位置に困っていた奥沢さんにとって、作曲という作業は難しいながらも充実したものになっているようである。

 

 ……流石に、五度目の譜面リテイクでは目から光が消えてたけどな。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「こころ! お前また勝手に鼻歌をバージョンアップしてないだろうな!?」

「鳴瀬! いいところに戻って来たわね!」

 

 滑り込むような速さでスタジオの扉を開けた俺を待っていたのは、「いいことを思いついたわ!」と言わんばかりの表情のペグ子だった。

 

 ……嫌な予感しかしねぇ。

 

「あー、俺、ちょっと様子見に顔出しただけだからさ。またラウンジに戻るよ」

「大丈夫よ! すぐに済むわ!」

「あー! 腕を引っ張るのをやめろー!」

 

 さらりとペグ子を避けようとした俺だったが、やはり大魔王ペグ子からは逃れられない。残像の残りそうな速さで腕を絡め取られると、スタジオ内部に引きずり込まれた。

 そのときの俺の脳裏に浮かんだのは、昔の教育テレビで見たウツボに噛みつかれてそのまま岩穴に引きずり込まれるカニの姿だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「……ライブねぇ」

「そう、ライブなのよ! 私たちもこの1ヶ月の練習でパワーアップしたわ! だからそろそろ世の中にハッピーを届けにいく頃だと思うの!」

 

 スタジオに連れ込まれスツールに座らされた俺がペグ子から聞かされたのは《ハロー、ハッピーワールド!》の初ライブの話だった。

 演奏技術も向上し、《ハロハピ》オリジナルの曲の完成も見えたこのタイミングで、大きな目標を立ててどかんと一発いきたいというのが彼女の意見らしい。

 

 なるほど。確かに言いたいことは分かる。

 

 しかし。

 

「んー、残念だけど、今のライブは時期尚早だな」 

 

 俺の口から出たのは「NO」の言葉だった。

 

「あら、どうしてダメなの、鳴瀬?」

「Mr.鳴瀬はまだ私たちの力は不十分だと?」

「そんなー、はぐみ、いっぱい練習したのにー」

 

 《ハロハピ》のお花畑三人衆が抗議の声を上げたが、俺はそれを手で制する。

 

 俺は別に彼女たちの技術を疑っているわけではない。経験者の松原さんはとっくにクリアしているが、他の二人も十分に人前に立てるスキルはある。

 

 彼女たちが抱えているのは別の問題だ。

 

「いや、技術云々じゃなくてさ。《ハロハピ》って持ち曲がまだ一個しかないだろ。それじゃライブには出れないぞ」

「えっ? 一曲だけじゃダメなの?」

 

 俺の言葉に目を丸くするペグ子。

 

 そして、俺の言葉への援護射撃は別のところからも飛んだ。

 

「な、鳴瀬さんの言う通りだよ、こころちゃん。ライブはね、やるときにステージ側にセットリストを提出するんだけど、最低3曲ぐらいはやらないといけないんだよ」

「本当なの、花音?」

 

 経験者である松原さんの援護を受けた俺は大きく頷く。

 

「松原さんの言う通りだよ。ライブは基本的に最低3曲はまともに弾けないとダメだ。1曲だけだと、次のバンドの準備が間に合わないし、短時間でガチャガチャとバンドに入れ替わられるとハコの空気が冷める。まだ知名度がない《ハロハピ》なら、オリジナル1曲とメジャーな版権曲2曲が弾けるのが最低ラインかな」

「ふむ、オリジナルよりも他のバンドの曲が多い方がいいのかい?」

 

 疑問の声を上げたのは薫だ。

 

「最初の内は特にな。だって、初めて聴く曲ってさ、あんまりノれないだろ?」

「確かに……」

「ライブは客のノリが第一。いくらいい演奏してもハコが沸かなければそれは失敗だ。ライブに来るような客は、ライブでしか味わえないグルーヴ感を求めてるからな」

 

 曲の流れやライブのテーマによってはこの限りではないのだが、基本的にライブは盛り上がれば盛り上がるだけいい。特にロックやパンクバンドに関してはハコを沸かせてなんぼのもんだというところがある。

 

「なるほどね」

 

 薫も得心がいったようで一つ頷く。

 

「分かってくれたようで何より。薫も演劇をやってるときに客が、静かに舞台を見ないでお喋りしてたら失敗だと思うだろ?」

「ふっ、私が出る舞台に限ってそれはないが、確かにそういうことがあれば失敗だと思うだろうね」

「すげー自信だな、おい。ま、というわけで、最初は版権、オリジナル、版権みたいに全体的な盛り上がり重視のセットにするか、版権、版権、オリジナルみたいにノリをよくしてオリジナルを味わってもらうのがいいかもなー」

 

 版権曲を頭に持ってきて客のノリをよくするのは、知名度がなかった頃の《バックドロップ》でもよく使った手法だ。《ブルーハーツ》の《リンダリンダ》や《人にやさしく》、《train-train》にはどれだけお世話になったか分からない。

 

「鳴瀬くん、それじゃあ有名な曲ってどんなのがいいのー?」

 

 今度は手を挙げて北沢さんが質問する。

 

「んー、《ブルーハーツ》なんかは大概ノってくれるけど《ハロハピ》とは毛色が違うんだよな。定番なら《MONGOL800》の《小さな恋の歌》とか《アジカン》の《リライト》なんかかな。比較的新しいやつなら《WANIMA》の《ともに》とか、《sumika》の《ふっかつのじゅもん》なんかもありだな。《ヤバT》の《カワE》とかも《ハロハピ》っぽいぞ。この辺りはどれもそこまで難しくないし、今の演奏技術があれば、後は譜面を暗記するだけでいい」

「おー! なるほどー! 確かにはぐみも全部知ってるよ!」

「おー、やっぱり北沢さんはお兄さんがバンドマンだから曲に関しては知識が豊富だな」

 

 俺の挙げたバンドはどれもメジャーだが、全部を知っているかと問われれば、知らないという人も必ず中にはいるだろう。

 そういった点で、お兄さんから色々なバンドの話を聞いてアンテナを張っている北沢さんは有利だ。大概の曲を耳にしていれば、演奏するためのハードルは確実に下がる。

 

「えへへ、ありがとー! また、お兄ちゃんに話を聞いて勉強しておくね!」

「ああ、それはいいことだ。あと、今挙げた曲のスコアは俺が全部持ってるから、やりたい曲があればいつでも見れるぞ」

 

 北沢さんの言葉に対して何気なく放った俺のこの言葉。

 

 まさかこの言葉が俺の肝を氷点下まで冷やすことになるとは、一体誰が予想しただろうか?

 

 そして、俺の肝を冷やす人間といえば。

 

「そうだわ! いいことを思いついたわ、鳴瀬!」

「今度はなんだ?」

「今から鳴瀬の家にスコアを取りに行きましょう! そうすれば、早く練習ができて早くライブもできるわ!」

「え゛」

 

 それはやはり、ペグ子に他ならなかった。

 

「えー!?」(×3)

 

 叫び声を上げたのは北沢さんと松原さん、そしてもちろん俺だ。ただし、とんでもないことになったという焦りの叫びを上げたのは松原さんと俺の二人で、北沢さんは何か面白いことになったぞという歓喜の叫びだった。

 

「いやいやいやいや、ないから。それはないから」

「えー、でもわたしは少しでも早く練習がしたいのよ!」

 

 いや、お前はボーカルだからあんまり関係ないじゃん!

 

 心の底から叫びたかったがなんとかグッとこらえ、努めて冷静な態度を作るとペグ子に向き直る。

 

「いや、スコアは明日また持ってくるからさ」

「鳴瀬は明日バイトじゃない」

「ぐっ……じゃあ、明後日持ってくるよ」

「それじゃあ遅いわ! やっぱり今日行くべきよ!」

 

 ペグ子は頑なに食い下がってくるが、流石にこればかりは譲れない。

 

 ……コイツらに家の場所が特定されるとか洒落になんねーんだよ!

 

 ただでさえ週の半分くらいをコイツらに注いでいるのに、これ以上時間を割かれるのは勘弁だ。

 それに練習以外の時間は大学の講義や、バイトだって入っているのだ。そこに家の位置まで特定されたら俺の心が休まる時間がなくなってしまう。

 

 それだけはなんとしても避けーー

 

「鳴瀬の家ならここから20分ぐらいで着くじゃない。往復して帰って来ても、まだ練習の時間は十分にあるわ!」

「ーーえ? こころ、今なんてった?」

「ん? まだ練習の時間は十分にあるって」

「いや、その前」

「ああ、鳴瀬の家ってここから20分ぐらいの方ね」

「何で俺の家の場所知ってるんだよ!?」

 

 ペグ子が俺の家の場所を知っている。

 

 たった今明かされた衝撃の事実に俺の肝は絶対零度まで冷えた。このままいけば、冷気は全身を巡って俺はまもなく活動停止に追い込まれるだろう。

 

 そんな俺の絶望的な状況など全く理解していないペグ子は、俺の絶望などどこ吹く風といった様子である。

 

「んー、前にわたしが『鳴瀬って一体どこに住んでるのかしら?』って呟いたら、黒服の人がすぐに教えてくれたわよ?」

 

 なにやってくれてんの黒服の人!?

 

 周囲を見回すと、いつの間にか控えていた数人の黒服が俺の方を見てグッとサムズアップしていた。

 

 何いい仕事したみたいな表情してんだよ!

 

 そう叫びそうになってからふと思った。

 あんまり意識はしていなかったが、ペグ子は正真正銘のお嬢様だ。交流する人間の身辺調査ぐらいは当然のようにして然るべきだろう。

 

 しかも、他の《ハロハピ》メンバーと違って俺は男だ。ペグ子の親からすれば、どこの馬の骨とも知れぬ男が年頃の娘に近づいている(実際は逆だが)のだから気が気ではないだろう。黒服に命じて俺のことを調べさせるぐらいのことはしてもおかしくない。

 

 例えその関係が、死後硬直が1週間前に始まった死体レベルで脈なしであってもだ。

 

 そう考えれば黒服の人たちの満足気な表情も納得だ。彼女たちは確かに「いい仕事」をしているのだから。

 

 そして、俺がその事実に思い当たっている時にもペグ子の猛攻は続いていた。

 

「もう! ちょっとぐらい家に入れてくれてもいいじゃない!」

 

 いや、そのちょっとを許したらもうおしまいなんだよ。

 

 俺がそう返事をする前に、ペグ子は更に畳み掛ける。

 

「ねぇ、みんなも鳴瀬の家に行きたいわよね?」

 

 くそっ、今度は他のメンバーの同意を求める作戦か!

 

 なんだかんだで、俺は押しが弱いところがあって、こいつらが結託して要求してくると大概のことは押しきられてしまう。

 実際、年下の少女たちに頼み込まれたらそれを断ることがいかに困難なのか、世の男性諸氏には察しがつくのではないだろうか?

 

「ふっ、確かにMr.鳴瀬の家には私も興味があるよ。噂では西欧の貴重な文献が山のようにあるそうじゃないか」

「あるけど見せんぞ?」

 

 真っ先にペグ子に同調した薫に素早く釘を刺す。

 

 前にぽろっと自宅に置いてある本のことを喋って以来、薫は俺の家に興味があるらしい。

 大学の研究用の専門資料な上に、一部は古代アイルランド語で書かれているので多分薫には読めないと伝えてはいるのだが、遅れてきた厨二病に罹患してそうな彼女はどうしても一目見たいらしかった。

 

「はぐみも行きたーい! 鳴瀬くんとはこの前ベースの本やDVDを貸してくれるって約束したもんね!」

「うっ、確かに約束したけどそれもまた今度で……」

「えー! はぐみ、ソフトボールで忙しくなるから、少しでも早く練習したいのにー!」

「それは分かってるけど……」

 

 北沢さんには確かにベース関係の本や映像を貸すと約束した。

 それに、これからのサマーシーズンに、彼女はソフトボールの試合が入って今以上に忙しくなることも理解している。

 

「花音先輩も鳴瀬くんの家にいきたいよねっ、ねっ?」

「ふえっ!?」

 

 そんな北沢さんに突然話を振られた松原さんはあからさまに狼狽えている。チラチラと横目でこちらを伺ってどう言ったものか思案しているようだ。

 

 頼む、松原さん! 君が最後の砦なんだ!

 

 俺は松原さんに祈るような視線を注ぐ。

 

 《ハロハピ》は、全会一致で合同することが多く、誰かが難色を示すと計画が取り止めになることがある。

 この場合、難色を示すのは大抵常識人枠の松原さんか奥沢さんだ。奥沢さんがいない現状、その役目は松原さん一人に委ねられている。

 

 そして、恐らく引っ込み思案で根が臆病な松原さんなら年上の男の家にお邪魔するなんて暴挙には出ないはず……!

 

 俺は固唾を飲んで彼女の反応を待つ。

 

 しかし。

 

 ここでも俺の邪魔をしてくれるのは、やはりペグ子だった。

 

「そういえば、花音も鳴瀬から何か借りるって言ってなかったかしら? ほら、あのフィ……フィルハーモニー大全? とか言うのだったかしら?」

「も、もしかしてフィルイン大全のことかな?」

「そう、それよ! 折角だから花音も鳴瀬の家に行って回収しましょうよ!」

「ふえぇぇ……!」

 

 ペグ子ががっしりと松原さんの手を握り、松原さんは当惑の叫び声を上げる。

 

 ……ペグ子め、余計なことを!

 

 確かにペグ子の言う通り、俺は松原さんにフィルインに関する本を貸すと約束している。

 

 だが、松原さんに関しては今もいくらかの課題を与えた状態なので、そこまで急いで貸す必要はないものである。

 

 でも、押しに弱い松原さんのことだ。ペグ子に詰め寄られてしまっては、最悪の事態にーー

 

「そ、それじゃあ、わ、私も鳴瀬さんの家にお邪魔しようかな……?」

 

 ーーなった。神は死んだ。

 

 松原さんは「本当にいいんですか?」と言わんばかりの不安げな上目遣いで俺の方を見てくる。彼女にそんな表情をされて「ダメだ」と断るだけの意思の強さを、俺は持ち合わせてはいなかった。

 

 強くなりてぇ…………。

 

 そんな切実な思いは俺の口から漏れることはなく。

 

「……わかったよ。その代わり、借りるもん借りたらすぐ帰れよ?」

 

 零れた言葉は全面降伏のそれだった。

 

「やったー!」(×3)

 

 そして、その言葉を聞いた瞬間、跳び跳ねて喜ぶお花畑三人衆。

 

 そちらと俺をチラチラ交互に見ながら、申し訳なさそうな視線を送ってくる松原さんの気遣いが今はすぅっと心に沁みた。

 

 そんなときに「ガチャリ」と音を立ててスタジオの扉が開く。

 

「あー、お疲れ様ですー。鳴瀬さーん、今度こそ曲が完成しましたよー」

 

 扉を開けて入って来たのは奥沢さんだ。

 

「鳴瀬さーん、ちゃんとこころさんを止めてくれましたー? ……って、何ですかこの雰囲気?」

 

 今までこのスタジオで行われていたやり取りを露知らぬ奥沢さんは、狂喜乱舞する三人衆とガックリと肩を落とす俺、そしてその間でおろおろする松原さんを見てキョトンとした表情をしている。

 

「あら、美咲。たった今話がまとまったところよ!」

「話? なんのです?」

 

 首を傾げる奥沢さんにペグ子が事のあらましを説明した直後。

 

「えー!?」

 

 どこかで似たようなのを聞いたことのある叫び声が、再びスタジオに木霊した。

 

 

 

 




というわけで、次回は鳴瀬くんのお宅訪問パートとなります。思ったより長い一万字超えのパートになってしまった。

前回のミッシェルパートが短い気がしたので、途中にちょっと奥沢さん成分を多めに注ぎました。



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奥沢さんのサイドストーリー、読みたいのはどちら?

  • 結婚式場ルート。着ぐるみで疑似結婚式。
  • 田舎ルート。おばあちゃまの家でお泊まり。

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