いよいよ花音先輩と大和さんが出会います。二人のセッションがどんなケミストリーを引き起こすのか。続きは本編で。
「あっ、基音さん。お待ちしてましたよー!」
松原さんを連れた俺が試打可能なブースに近づくと、それに気付いた大和さんが大きく手を振ってくる。
「お待たせー。言われた通りに、レモのコーテッド1プライ持ってきたよ。ボトムの方はこっちの判断でレモのクリアの1プライにしたよ。はいどうぞ」
「わはー! ありがとうございます! ボトムのチョイスもバッチリですよ!」
俺がスネアのトップとボトムを手渡すと、大和さんは目をキラキラと輝かせてそれを受けとる。
「さーて、これでいよいよ試打ですね……って、あ!? そこにいるのは、《ハロハピ》の松原さんじゃないですか!?」
「気づくの遅いな!?」
そんな感じで今さらながら松原さんの存在に気づいて驚く大和さんに、俺は思わずツッコミを入れてしまった。
ほんとに、ドラムのことしか頭になかったんだなぁ。やっぱりすごいわ、大和さん。
大和さんの集中力に舌を巻いていると、隣の松原さんがおずおずとこちらを見上げていることに気付き、俺は松原さんと目を合わせた。
「あ、あの、鳴瀬さん。こちらの方はどなたでしょうか?」
「あー、松原さんはステージにしか行ってないから覚えてないか」
羽女でのライブのとき、松原さんはドラムのセッティングに追われていたので、それ以外のステージのことにはノータッチだった。大和さんは照明のような楽器以外の電送系統なんかをチェック・運用してくれていたので、ちょうどすれ違うかたちになったのだ。
一応、最所の挨拶では、演劇部の裏方も含めステージ担当の人たちに顔見せはしたが、大勢の中の一人では印象も薄いだろう。
特に、シャイな松原さんはそこまで人の顔をまじまじと見ることもないだろうし、余計に記憶に残ってないだろうなぁ。
そのことを思い出した俺は、改めて松原さんに大和さんのことを紹介する。
「こちら、大和麻弥さん。この間、薫の希望で羽女でライブしたときに、演劇部の裏方として舞台照明を担当してくれたんだ。一応、最初の挨拶のときに顔合わせはしてるぞ」
「あっ、そうだったんですね! すみません、あのときは恥ずかしくてあまり顔も見てなくて……」
自分の行為を恥じるように頬を赤らめて顔を伏せる松原さんに、大和さんが慌てて「違う、違う」という風に両手を振る。
「いえいえ! あのときは自分も何十人もいる裏方の一人だったんで仕方ないですよ!」
「そう言ってもらえると助かります。これからよろしくお願いしますね、麻弥さん」
「こちらこそよろしくお願いします、花音さん!」
そう言ってお互いに微笑み合う二人。本当の意味での初めての顔合わせを済ませた二人は、お互いに中々に好感触のようだ。
これが上手く反応し合ってくれればいいんだが、さて、どう転ぶかな。
バンドマンというものは、触れ合えば必ず反応し合う。
しかし、それが常にこちらの望む反応をしてくれるとは限らない。最悪、周囲を巻き込んで毒ガスを撒き散らすテロじみた結果になることだってあり得るのだ。
ただ、俺の見立てでは、この二人はそこまで激しく反応をするタイプではない。どちらかというと、穏やかにお互いの良いところが溶け合い染み込むような、そんな反応が期待できる二人だ。
こんな反応の場合、中途半端なバンドマンなら個性が潰されてしまったりするんだが……今の松原さんなら心配ないな。
出会ってすぐの頃ならいざ知らず、今や松原さんも場数を踏んで、一ドラマーとして自分の世界を持っている。そう易々とは自分を失うことはないはずだ。
俺は、そう考えながら、ブースのスツールに座っている大和さんに、二枚のヘッドを手渡した。
「それじゃ、早速打ってみようか」
「そうですね! じゃあちゃちゃっと取り付けちゃいますねー」
そう言うやいなや、大和さんは鞄からチューニングキーを取り出すと目まぐるしい早さでフープを外してヘッドを組み込んでいく。鼻歌混じりで淀みない手つきによって行われる一連の作業に、松原さんの口から思わず「すごい」と呟きが漏れた。
そんな中で、両面のヘッドを張り終えた大和さんはスネアを持ち上げてくるりと回転軸させてからスタンドの上に取り付けた。
「はーい、完成ー! いやー、ヘッドをつけた感じ、シェルが歪んでるって訳でも無さそうですね。パーツの動きも悪くないし、いいスネアですよ、これ!」
スネアのコンディションを誉めて、今すぐにでも叩きたいというような表情の大和さんを見て、俺は首を傾げる。
「んー、でも、そんなにコンディションがいいなら値段設定がますます謎だな」
大和さんが文句なしというなら、恐らく問題はないのだろう。実際、彼女の目利きは光るものがある。
しかし、そうなってくると、やはりこの不当につけられた安さが気になってくる。
「すみません、このスネアめちゃくちゃ安いと思うんですけど、何か訳有りですかね?」
その疑問を解消するため、俺は先程から側についてくれていた店員の志戸さんに声をかけた。
「あー、やっぱりそう思いますよね」
俺の言葉に、志戸さんは「ですよねー」といった表情を浮かべて相づちを打った。
「というと、やはり訳有りですか」
「そうなんですよ。処理がプロ顔負けだから気付かないと思うんですけど、実はこのシェル、元はもっと深胴だったんですけど、前のオーナーが音の抜けをよくするために両端を切り詰めて浅くしてるんですよ」
「……! なるほど!」
志戸さんの説明でようやく俺も合点がいった。
このスネアの前のオーナーは、このスネアの音の粒をさらに際立たせるために、深胴のもたらすサスティーンを捨ててまで、音の抜けの良さをとるための加工を施したのだ。
その言葉を聞いていた大和さんも、納得の表情で「うんうん」と頷いている。
「なるほどー。確かに、個人改造の楽器はどんなによいパーツを入れたりしても、ジャンク扱いになることが多いですからねぇ。特に今回みたいに、既存のパーツを削って加工したとなれば、値段が下がるのもやむ無しですねぇ」
「だなぁ、特にシェルはドラムの命というか、最早ドラムそのものだからな。どんなに上手く加工しててもしかたないか」
「答えが分かったらなんだかすっきりしましたねー!」
大和さんは満足げな表情を浮かべると、両手の指を組んで腕を前に付き出して、大きく伸びをする。
「んー! それじゃ、謎も解けたところでお先に叩かせてもらってもよろしいですかね、基音さん?」
探るような上目遣いでこちらを見る大和さんに頷く。
「ああ、こっちは後から叩かせてもらうよ」
「ありがとうございます! それじゃ、いきますよー、ふへへ……」
独特の笑い声を漏らしながら、大和さんは鞄からスティックを取り出す。ティアドロップ型のチップのついたおそらくメイプル材のスティックだ。
さぁ、いよいよだ。大和さんはどれだけ叩けるんだろうな。
機材に精通しているからといって、その人が良いドラマーとは限らない。逆もまた然りである。
実際に、演奏はできないけれど、機材が好きだからという理由でPAなんかの裏方に回る人も多い。
だが、それでも。
俺が感じ取った大和さんから漂うオーラは、玄人のドラマーの纏うそれだった。
そして、それが正しかったことは、彼女の演奏が始まってすぐにその場の誰もが理解することとなった。
トン トン トン トントントントントントトトト……
始めはゆっくりとした立ち上がり。スネア一本で2.4.8ビートと徐々に駆け足に。
プラクティスでは基本的なストロークの動きだが、もうすでにこの時点で音の違いが分かる。
粒立ちがきれいだ……スティックコントロールが正確な証拠だな。
大和さんがスネアから生み出す音は均質で、これはスティックが叩くヘッドの位置と、スティックの角度が毎回揃っているからに他ならない。
ストロークの安定感はスティックのチップにも左右される。先端が細いティアドロップは制御が難しい部類だが、彼女のそれは完璧だ。
「……っ!」
隣で松原さんが息を飲むのが分かる。彼女もドラマーとしては
この時点で、俺が二人を引き合わせた目的の半分は達成したといっていい。
さぁ、たっぷり良質な音を味わってくれよ、松原さん。
良質な演奏に触れるということは、それだけ自分が持つ音楽の世界を広げてくれる。
俺たちの聴く前で、大和さんは更に世界の果てを押し広げていく。
パラタタタ……パラタタタ……チッチッドッチ,チッチッドッチ……
目の前のスネアから、およそこのスネアで表現できるであろうありとあらゆる音が生まれている。
オープンとクローズ、2つのリムショットも使い分けて、あらゆる奏法の見本市と呼べるような複雑な動きを披露しながら、しかし、大和さんのリズムは乱れない。
例えるなら、トゥール・ビヨンの時計のメカニズムってところかな。いや、それにしてはいささかエモーショナルに過ぎるな。
恐ろしく正確な演奏。
しかし、それでいてエモーショナルさを感じさせる二律背反。
その矛盾を結束ロープで括って一つにしてしまえるのが大和さんというドラマーの力量なのだ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか演奏にはハイハットとバスが加わり、いよいよ乱れ華やかになる。
裏打ち、ダブル、シャッフル。様々な技術が大和さんのセンスで噛み合わされて、それでいて演奏としてのまとまりを決して失わない。
タラタタッタタタターン!
そうして、最後にスネアのフィルインをひとつ入れると、大和さんの
◇◇◇
「はー! 最高ですねー!」
「いやー、よかったよ大和さん」
スティックを天高く掲げて声を上げる大和さんに、俺は賞賛の言葉を送る。
「あ、いやー、夢中になっちゃって、お恥ずかしい……」
「いや、そんなことはないさ。あれだけの演奏をして恥ずかしがる要素なんて何一つないよ」
「そ、そうですよ! 本当に演奏の引き出しが多くて、私、感動しました!」
今度は松原さんも俺の言葉に追随した。
「そ、そうですかねー、ふへへ……」
俺たちの言葉に松原さんは照れた様子で後頭部を掻きながら、しきりにペコペコと頭を下げた。
そして、ひとしきりそうした後に「あっ!?」と声を上げて、慌てたようにスツールから立ち上がった。
「す、すみません! 今度は基音さんたちの番ですよね」
大和さんは脇にずれると手のひらで俺たちにスツールを勧める。
「ありがとう、大和さん。じゃあ、松原さんも叩いとこうか」
「……っ、はい!」
声をかけると、いつもよりも張り詰めた調子で松原さんが返事をする。
……ちょっと硬いな。まぁ、あれだけの演奏を見せられたら致し方ないか。
程よい緊張は、演奏にいい張りをもたらしてくれるが、今の松原さんはステージに向かうそのときよりもまだ緊張しているように見える。
うーん、先に演奏させてもらった方がよかったか? いや、それも今となっては詮無きことだな。松原さんにはちょっと頑張ってもらおうか。
事ここに及んでは、最早どうすることもできない。あとは、松原さんの持つ地力にかけるしかない。
そう考えながら、俺はスツールに座る松原さんが、まるで強く祈るように力を込めてスティックを握る手をじっと眺めていた。
「……それでは、いきます」
松原さんは俺の目の前で、ひとつ大きな息をすると、そのスティックをスネアに向けて振り下ろした。
◇◇◇《side 松原花音》◇◇◇
ーー音楽に優劣は存在しない。
誰かが言ったそんな言葉を覚えている。
ーー人それぞれの心に響く音楽は、それぞれに違う。1000人集まれば、音楽は1000人それぞれに違って響く。だから、音楽に優劣はないんだ。
私も全くその通りだと思う。
人の心にはみんなそれぞれに鍵がかかっていて。
それを開いてくれる鍵は、それぞれみんな微妙に違っているんだ。
だから、人の心を開く音楽には優劣がないのはとても自然なことだと思う。
でも、
演奏は、その人が今まで積み上げてきた
そうなると、当然積み上げた世界の大きさが違えば、そこに優劣は生まれてしまうわけで。
…………負けている。
ドラムを叩き始めてしばらくして、私の頭を過ったのはそんな考えだった。
でも、それほどまでに大和さんは完璧だった。
スネアを、ハイハットを、バスを。リズムを必死に刻みながら思う。
どうしたら、あんな音が出せるんだろう。
どこに、あんな音が眠っていたんだろう。
どれだけ積み上げたら、それだけ叩けるんだろう。
どんな世界が、彼女には見えているんだろう。
疑問が疑問を呼んで、坂道を転がる雪玉みたいに頭の中で膨らんでいくのが分かった。
それでも、手足が動き続けるのは日頃の練習の賜物だ。圧倒的な優劣の差を見せつけられても、皮肉だけれど今まで積み上げたものが私を動かしてくれていたんだ。
それに、私の手の中には鳴瀬さんがくれたスティックと同じモデルの、新調したばかりのスティックが握られている。
再び戻ってきた、私の力。そのことが私に勇気を与えてくれる。
それでも、やっぱりそれは最高の私とは程遠くて。
そんなもやもやを抱えた私を、大和さんと鳴瀬さんはじっと眺めていた。
ああ、どうか私を見ないでください。
こんな私を見ないでください。
本当の私はもっとーー
そこで思考が切れた。
「もっと」どうだというんだろう。たとえ「もっと」の私を見せられたとしても、決して大和さんには及ばないのに。
私は「もっと」の先に行かなくちゃいけないんだ。
でも、どうやって?
どうすれば「もっと」の先に行けるんだろう?
そもそも、私に「もっと」の先なんてあるのーー
ジャーン!
ダン!
「……っ!」
何か恐ろしい考えが頭の中に形を結びそうになったとき、それを掻き消すように力強く打ち抜かれたハイハットとスネアの音が響いた。
「わー! やっぱり花音さんの演奏はいいですねぇ! こんなに近くで聴けて最高ですよ!」
気が付くと、大和さんが楽しげに笑って拍手を送ってくれていた。
どうやら私は演奏を終わらせていたみたいだった。
あのまま続けていれば、私はどうなっていたのかな。
そんな考えが頭を過る。
しかし、それが決していい結果を生まないだろうということは、少し険しい表情を浮かべた鳴瀬さんを見れば一目で分かったのだった。
というわけでシリアス風味で引きを作って次回に続きますわ!
なるべく早く次は投下したいのですけれど、リアルがくっそ多忙でして、6月末まで予断を許さない状況が続くのでやっぱりお待たせしそうですわ!
申し訳ないですけれど気長にお待ちくださいませ!
奥沢さんのサイドストーリー、読みたいのはどちら?
-
結婚式場ルート。着ぐるみで疑似結婚式。
-
田舎ルート。おばあちゃまの家でお泊まり。