花音ちゃん編の6回目、これがほんとのラストです!
というわけで、シリアル(誤字)風味で続いた花音ちゃん編もこれで終わり! なんだか微妙な空気だけど、鳴瀬君には頑張って欲しい(他人事)
ーーカラン。
手から伝わる熱で溶けた氷が、音を立ててグラスの底に沈む。どうやら自分が思ったよりも長く、そうやってじっとしていたようだ。
大和さんが、決意を固めて颯爽と店を去った後、俺と松原さんは残ったケーキと紅茶を黙々と口に運んでいた。
話すべきことはある。しかし、二人ともそのタイミングを逸していた。
……皿に乗ったケーキも、お互い後一口ってところか。よし、これを食ったらこっちから話すか。
そうやって腹を括ると、俺は目の前のケーキにフォークを突き立てそのまま口に放り込んだ。
「……私、負けちゃいました」
「……ん」
ケーキに乗ったフルーツの酸味が口の中にまだ残る内に、先に口を開いたのは松原さんの方だった。彼女は、ポツリとそう呟いた後、手の中のティーカップの水面に視線を落としている。
そこに映る彼女の顔は、一体どんな表情を浮かべているのだろう。絶望か、はたまたーー
「ーー松原さんは、大和さんに対して
松原さんから話を振ってきたということは、多少踏み込んでも問題はないよな。
敗北に関する話題はいつだってナーバスになる。それでも話すことを避けられない以上は、できれば心がそれを受け止められる状態で話したいところだ。
松原さんの方から、それを持ち出したということは、彼女は話を受け止める準備ができたということ、そう判断して俺は一気に核心に切り込んだ。
こういう手合いは、うじうじと長引かせるよりもスパッとやってしまうに限る。誰だって自分の中の病巣を取り除く手術に、だらだら時間はかけられたくないだろう。
松原さんは、しばらくカップの中の自分と対話した後に、スッと顔を上げた。
そこに浮かぶ表情は《覚悟》だ。
松原さんは、自分の敗北と正面から向き合おうとしていた。
「負けたと思ったことは二つあります。一つは、純粋に技術ですね。今の私にはスネア一本であそこまでの音を引き出すことはできません。大和さんは、技術的に私の先にいます」
「なるほどね」
確かに、大和さんのスティックワークには目を見張るものがあった。スティックが4本にも6本にも見えるほど、恐ろしい残像を残す速さで、それでいて正確にヘッドやリムを捉えるその動きは、最早アマチュアの域になかった。
でも、松原さんの話の核心はこっちじゃないな。
そんな松原さんの一つ目の敗北は、大した問題ではないと俺は判断した。
さっき、松原さんは「今の私には」という言葉を使った。
それは裏を返せば、「未来の私なら太刀打ちできるだろう」ということに他ならない。
実際、俺も今の松原さんの伸びを見れば、大和さんと同等の技術を身に付ける日はそう遠くないと思う。
だから、俺は二つ目の言葉を静かに待った。
こちらこそが、松原さんに敗北を刻み付けた本命だからだ。
「二つ目は……」
そんな俺の前で松原さんは二つ目の負けに言及しようとして言い淀んだ。
やはり、こちらこそが話の核心であるようで、彼女は刹那、視線を俺から外すと、すぐに先程の決意の表情を見せて口を開いた。
「二つ目は、
「情熱、か……」
「はい、情熱です。……大和さんは、多分本当に楽器が好きで、好きで、好きで堪らないんです。恐らくは私よりも長く、そして私よりもずっとドラムが好きなんですよ。それに対して、私は一度挫折して、ドラムを諦めようとしました。私は、本当にドラムに対して失礼なことをしたと思います。だから、この差は決して埋まることはありません。私の完全な敗北です……」
そこまで言って、松原さんは天を仰いだ。
それは涙を堪えるようにも、最早どうしようもない過去をまじまじと見つめているようにも見えた。
それからしばらくそうした後に、松原さんは再び俺と視線を合わせた。
「鳴瀬さん、質問してもいいですか」
「どうぞ」
返事を確かめて、松原さんが口を開く。
「私は《ハロー、ハッピーワールド!》のドラマーとして、負けたままではいられません。《ハロハピ》は、世界中のみんなを笑顔にする最高のバンドです。私も最高のバンドにふさわしい最高のドラマーでありたい。だから、質問します。鳴瀬さん、私はどうすれば大和さんを超えるような、最高のドラマーになれますか?」
強いなぁ、松原さん。本当に強くなったよ君は。
未来を見つめ、鋭さすら感じるその瞳に、俺は感慨深いものを感じてしまう。
《ハロハピ》で技術的に一番伸びたのは、素人から作曲までこなすようになった奥沢さんだろうが、一番心が成長したのは間違いなく松原さんだ。
初めて出会ったあの時、ペグ子に引きずられるように俺の前に連れてこられた、今にも泣きそうな目をした彼女が、ここまで強くなれると一体誰が考えただろうか。
一人の人間をここまで変えてしまう。やはり、バンドは
俺は、バンドという文化の素晴らしさに心を震わせながら、同じバンドマンとして松原さんを導くために、まっすぐ彼女を見つめて言葉を紡ぐ。
彼女の大きな思い違いを正すために。
「松原さん、そもそも挫折するっていうことは、何かを諦めるということは悪いことなのか?」
「えっ……」
俺の言葉に松原さんが目を丸くして戸惑う。
それはそうだ。ついさっき自分が自分の敗因として挙げた「挫折」が、悪いものではないなどと正反対のことを言われたのだ。戸惑うな、というのが無理な話だ。
「『挫折』や『諦め』を『悪』とするのは日本人の悪癖だなって俺は思うな。まぁ、これは日本の終身雇用みたいな文化と絡んでるから仕方ないんだけどね。欧米なんかでは仕事でも何でも『自分に合わないな』とか『自分にもっと向いてるな』って思うことがあったら、スパッと今までのことを『諦め』て次に行くのが普通なんだ」
「そうなんですか」
素直な驚きをその声色に乗せる松原さんに、俺は軽く頷いた。
「うん、だから向こうでは日本以上に色んなことを経験してる人が多い。履歴書なんかも職歴だらけさ。日本は投げ出さないことが美徳だから、こういうタイプの人はまだまだ少ないけどね」
「なるほど、つまり鳴瀬さんが言いたいのは、私とドラムのは欧米型で、大和さんは日本型ということですね」
松原さんの答えに、俺は「正解」という代わりに人差し指をピンと立てた。
「欧米型と日本型、これは型が違うだけだから優劣では語れない。例えばピクニックに行くのに、まっすぐ目的地に向かってそこで長くピクニックを楽しむのと、道中で立ち止まって道端の草花を愛でながらゆっくり目的地に向かうことはどちらも間違っていないんだ。『目的地で長くいられて最高!』って人もいれば、『色んな草花を見られて楽しかった!』て人がいることもおかしくないだろ?」
「はい、おかしくないです」
松原さんが頷いたのを確かめて、俺は立てていた人差し指をビシッと松原さんに突きつける。
「俺はね、松原さんには『道端の草花を愛でる人』になって欲しいと思ってる。空ばかり見て歩んできた人間は、空の青さの素晴らしさは語れても、地に咲く花の美しさは決して語れない。だから、松原さんーー」
次に伝える最も核心に迫る言葉のために、俺はここで一呼吸溜める。
肺に十分に空気が行き渡ったことを実感してから、俺ははっきりとした口調でその言葉を口にした。
「ーー君には色々なものを見てほしい。そして、君にしか語れない、君だからこそ語れる美しさを見つけて欲しい」
諦めた。
挫折した。
涙を流した。
決してまっすぐな道ではなかった。
でも。
いや、だからこそ。
辿ってきた道の長さだけ、たくさんのものを見ることができることだってあるんだ。
「私だけに語れるもの……挫折した私にしか語れないもの……」
俺の言葉に自分の言葉を乗せて、松原さんは噛み締めるように呟いている。
「まぁ、これに関しては俺も松原さんと同じなんだけどなぁ」
「えっ?」
驚いて顔を上げた松原さんに、俺は苦笑いを浮かべた顔を向けた。
「だって俺も《バックドロップ》を抜けて、絶賛迷走中だからさ」
「あー……」
松原さんは「今思い出しました」みたいな表情で大きく口を開けた。俺が《バックドロップ》を抜けて《ハロハピ》のアドバイザーに収まった経緯は、彼女も知っているはずなのだが、どうやら頭から抜けていたらしい。
まぁ、それだけ俺が《ハロハピ》に染まってるってことなんだろうけどさ、ちょっと思うところがないわけではないんだよなぁ。
《ハロハピ》のアドバイザーであり、《ハロハピ》の一員である俺。
《バックドロップ》を抜けた、一人の野良のベーシストとしての俺。
自分の身の振り方を考えるときは、どんどん近づいてきている。
でも、今はまだそのときじゃないな。
俺は頭からその考えを追い払って、松原さんに向き合う。今度はその顔に笑みを浮かべて。
「だからさ、お互いに頑張ろうぜ。つらかった経験が、いつか俺たちの未来を支えてくれるような、そんな何かを見つけようじゃないか」
そう言うと、松原さんはにこりと微笑んだ。
それはとても自然な笑みで、松原さんらしい表情だった。
「はい、そうですね。お互いに頑張りましょう、鳴瀬さん!」
「ああ、頑張ろう」
笑顔に笑顔で返事をして、松原さんの問いに対する答えはこれで出た。
あとは、お互いに頑張って、苦しかった過去が自分のことを支えてくれる経験に変わるような何かを手探りで見つけていくのだ。
たとえ泥臭いことだろうと、正解にたどり着くにはそれしか方法がないことだってあるのだから。
と、そんなことを考えている内に、俺はふとあることを思い出していた。
「あ、そうだ『支える』って言ったときに思い出したんだけど……」
「はい、どうしましたか?」
急に話を変えた俺に不思議そうな表情を浮かべる松原さんの前で、俺は鞄を漁ると、そこからラッピングされた細長いケースを取り出した。
同じ表情のまま、ケースを見つめる松原さんに俺はスッとそれを差し出してみせる。
「……はい、松原さん。これ俺からのプレゼント」
「へっ?」
「さっき、スネアのケース買ったときに『これ、いいな』って思ったから一緒に買ってたんだよ。だから、松原さんにあげるね」
「ふ、ふぇぇぇ~!? ぷ、ププ、プレゼントですか!?」
俺の言葉を聞いた松原さんは、フェノールフタレイン溶液*1もかくやという勢いで顔を真っ赤にした。
「あ、ありがとうございましゅ。あ、あの、開けてみてもいいでひょうか!?」
「どうぞどうぞ」
松原さんはしどろもどろになりながらも、ケースを手に取りラッピングを丁寧に剥がしていく。
そして、ケースの蓋を開けると、中に鎮座していたそれを手にとって店内の照明にかざした。
光を浴びて艶やかに光るそれは、スネアドラムとスティックを模したペンダントのついたネックレスだった。
「わぁ……! かわいい……」
スネアのペンダントをつまみ上げて、それに負けないほどキラキラと輝く目で見つめる松原さんを見て、悪くない買い物だったなと、俺も少し饒舌になってしまう。
「めちゃくちゃ細工が細かいだろ? 金属パーツとスティックはシルバーで、スネアのシェルはブルーのアクリル、ヘッドは本物のヘッドを切って嵌め込んでるんだってさ。ちょうどラディックのビスタライト*2みたいな感じだな」
「ふぇ~、なんだか拘りの一品って感じですね。あ、あの、本当に貰っていいんですか?」
おずおずとした態度で尋ねる松原さんに、大きく頷く。
「ああ、是非貰ってほしい。俺は松原さんと同じステージには立てないからさ、ステージにいるときになんか俺も支えになれないかなって思ったときに、ショーケースのこれが目にはいってさ」
俺が松原さんと大和さんを比べて、大きく違うなと感じたことがひとつある。
それは大和さんは一人でもベストのパフォーマンスを出せるのに対して、松原さんは仲間に囲まれてこそベストのパフォーマンスを出せるという点だった。
松原さんにとって、自分を光の中に連れ出してくれたペグ子たち《ハロハピ》のメンバーは、想像以上に大きな役割を果たしているようだ。
「オプションパーツでキーホルダーにもなるらしいから、よければ俺の代わりにステージの上につれていってやってくれよ。松原さんはさ、周りに仲間がいればいるほど強くなれる人だから」
だからこそ、同じステージに立てない俺でも、何かしらの形で松原さんを支える力になってあげたかったのだ。
俺の言葉を聞き終えた松原さんは、ネックレスを胸元でぎゅっと握り締めた。強く、強く、手の中のそれの感覚を確かめるようにじっとして、しばらくしてから彼女は口を開いた。
「鳴瀬さん、本当にありがとうございます。今日はスティックを買いに行くだけだと思っていたのに、本当にいい経験をさせてもらいました」
「それはよかった」
「はい。……鳴瀬さん、私は、鳴瀬さんの期待に応えられるような、そして、《ハロハピ》という最高のバンドにふさわしいような、最高のドラマーになります。絶対になりますから」
「ああ、期待してるよ」
そう応えると俺は松原さんを眺めて思わず目を細める。
力強い決意表明をした彼女が眩しく見えたのは、夜が近づき強くなったカフェの照明のせいだけでは決してないだろう。
「それじゃ、そろそろ出ようか」
「わかりました、なんだか帰ってもっともっと練習したい気分です」
「スティックも買い足したしな」
「はい!」
そして、俺たちは二人同時に席から立ち上がった。
それから店を出て、逸る気持ちから何度も駅までの道を間違えそうになる松原さんをなんとかエスコートして、俺たちはなんとか帰路に着いたのだった。
◇◇◇《side 松原花音》◇◇◇
「ふわぁ~……つかれたなぁ……」
そう呟きながら、私はベッドに体を投げ出した。
でも、本当に今日は疲れたのだ。
鳴瀬さんと二人のお出かけで緊張したし、鳴瀬さんが家まで迎えにきたのにもびっくりしたし、麻弥ちゃんとのドラムの演奏では胸がずきずきした。
そして、そのあとのカフェでの鳴瀬さんのプレゼントでは本当に胸がドキドキしたんだ。
ごろりとベッドの上で寝返りをうつと、私はベッドのサイドボードに乗せていたケースを手に取る。中からネックレスを取り出してナイトランプの笠越しに光にかざす。
「綺麗だなぁ……」
柔らかな光を受けてきらめく小さなスネアドラムとスティックを見て、思わずうっとりと呟いてしまう。
でも、それはしょうがないことなんだ。
スティックを始め、今まで鳴瀬さんから貰ったものは色々あった。でも、それは私にだけというわけではなく、他の《ハロハピ》のみんなも何か代わりになるものを受け取っていた。
でも、これは違うんだよね。これは、鳴瀬さんが私だけに贈ってくれた、私だけのプレゼントなんだ。
ステージに登る私を支えてくれるために、鳴瀬さんが贈ってくれたネックレス。そう考えるだけで胸の奥が暖かくなる。
「ふふっ、ちょっとつけてみようかな……」
家に帰ってからもう何度も着けたり外したりを繰り返した上に、その姿をお母さんに見られて冷やかされたりもしたけれど、それでもやはり身に付けたいと思ってしまう。
チェーンの留め具を外し、ネックレスを首に巻く。そして、姿見の前に立つとネックレスが確かに私の首に巻かれているのが見える。
それはまるで、鳴瀬さんが後ろから腕を回して私を抱き締めてくれているようなーー
「ふぇぇぇ~!」
ーーふぇぇぇ~! わ、私ったらなんて恥ずかしいことを考えてるの~!?
思わず叫び声を上げると、私はベッドに飛び込んで両足をぱたぱたする。そうでもしないと、胸の内から際限なく生まれてくるエネルギーが発散できず、この体が爆発してしまいそうな気がしてくる。
い、いけない! もっとエネルギーを発散しないと!
そう思った、私が今度はベッドの上を左右にゴロゴロ転がっていると、階段を上がる音がして部屋の扉がノックされた。
「ふぁい!?」
思わず上ずった声で返事をして体を起こすと、扉が開いて不機嫌モードのお母さんがゆっくりと顔を覗かせた。
「花音、いい感じの男の子からプレゼントを貰って嬉しいのはわかるわ。けど、あんまりバタバタ騒ぐのはうるさいからやめなさい。これ以上やるとネックレスは没収しますからね」
「ふぇぇぇ!? ご、ごめんなさい~! そ、それだけは勘弁してください~!」
私があわててベッドの上で土下座して謝ると、お母さんは呆れたような表情で溜め息をついた。
「はぁ~、ちゃんと気を付けるのよ。ネックレスは逃げないんだから、早く外して今日は寝なさい」
「は、はーい。お休みなさい、お母さん」
「はい、お休み」
お母さんが最後は笑顔で部屋の扉を閉めていったのを確かめると、私はすぐにネックレスを外してケースにしまった。
……ネックレスは今の私にはちょっと刺激が強いなぁ。キーホルダーにも付けられるみたいだから、しばらくはキーホルダーにして使おう、うん。
残念だけど、ネックレスとしてこれを使うのは今の私の女子力(?)では荷が重いみたいだ。
「……でも、いつかきっとネックレスとして使いたいなぁ」
もう少し人生経験を積めば、私もこれをネックレスとして身に付けられるだろうか。
そんなことを考える内に、まぶたがどんどんと落ちていく。
「……もし、これを……ネックレスで……使えたら……その、ときは……」
まぶたの裏側に浮かぶ私は、鳴瀬さんのネックレスをつけて自然に微笑んでいる。その視線の先には鳴瀬さんがいて。それで、私たちはーー
「……私たちは…………鳴瀬………さん………むにゃ……」
ーーそこから先のイメージが形になる前に、私の意識は幸福に包まれたまま、夢の淵へと落ちていったのだった。
というわけで、花音ちゃん編終了ですわ!
なんだか最後に乙女チックがめっちゃ放たれて驚きましたわ!
というわけで(?)、次回からお話は本編に戻りますわね。商店街ライブに向けて鳴瀬君が奔走します! 頑張れ、鳴瀬君!
奥沢さんのサイドストーリー、読みたいのはどちら?
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結婚式場ルート。着ぐるみで疑似結婚式。
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田舎ルート。おばあちゃまの家でお泊まり。