前にもどこかで言ったことがあったかもしれないが、俺はネクタイというものが嫌いだ。
なぜかというと、こいつを着けると餌を与えられる代わりに、首輪とリードに繋がれることを選んだ犬のような気分になるからだ。俺は、いつだって自分の餌は自分で狩り捕る餓えた狼のようにありたいと願っている。
「……なんてことも今回は言ってられないんだけど」
市役所の壁に嵌め込まれた鏡に写る、スーツをビシッと決めてネクタイを首に巻いた自分の姿を見て、俺は思わずそうぼやいてしまう。
「おーう、鳴瀬くんったら、中々の男前じゃあないですかねー」
「アッくん先輩……茶化さないでくださいよ。それに、俺はスーツが似合う男にはなりたくないんですよ……」
俺は、いつの間にかしれっと隣に立っていた阿久津先輩にげんなりとした返事をする。ジーンズにTシャツかネルシャツというグランジファッションをこよなく愛する俺にとって、スーツが似合うというのは決して誉め言葉ではないのだ。
できれば、スーツなんて着ないほうがいいのだが、今回ばかりは信条を曲げざるを得ない。少しでも相手の心証を良くして、交渉をうまく運ぶためには、俺はなんだってする覚悟だ。
今回の
「へっへっへー、ちょーっとからかってみただけだよー。私もどちらかというと、スーツとなんてご一緒したくないからねー」
スーツの裾をつまみながら舌をぺろりと出しておどける阿久津先輩も、今は俺と同じようにパンツスーツ姿だ。確かに、おっとりとした性格でゆるふわタイプの服装の似合う先輩には、スーツでバリバリ働くキャリアウーマンのような姿は似合わないようにみえる。
しかし、その実、この先輩は「地方創生」を合言葉にした地方コミュニティの活性化プロジェクトを、大学のゼミで計画・運用して一定の成果を収めている遣り手なのだ。先輩が主導するグループが、シャッター街状態だった商店街に、おしゃれなカフェやブティックを誘致することで、地元の最先端スポットにしてしまったのは大学でも語り草となっている。
性格と実績のアンバランス感が半端ないが、ある意味ではバランスが取れているのかもしれない。
「んー? 鳴瀬くん、どったのー?」
「あ、いや、何でもないですよ」
「えー、今のは何かやましいことを考えてる視線をかんじたなぁー」
「そんなまさか。俺は裏表のないきれいな人間ですよー」
「ははっ、鳴瀬くんったら棒読みー」
そんなことを考えている内に、阿久津先輩の方を無意識に眺めていたようで、俺はそのことをはぐらかしつつ視線を市役所の入り口に向ける。俺たち二人にはあと一人待ち人がいるのだ。
先輩も、そんな俺の視線に釣られて入り口に目を遣る。
「それにしても、今日のキーパーソンの登場はまだかなー?」
「ええ、さっき連絡がありましたが、学校を抜けてきてもらうので少し遅れるとのことでした」
スマホのメールを確認しながら答える俺に、アッくん先輩が頷く。
「あー、女子高生だもんねぇー。私たちみたいに自主休講、って訳にもいかないかー」
「ちゃんと教師に話を通して、手続きを踏んで来てくれてるみたいですからね。彼女の熱意を無下にはできませんよ」
「うん、ここは先輩としてカッコいいところ見せちゃおっかなー」
「すみませーん! 遅くなりましたぁ!」
俺と先輩がそう決意を固めたそのとき、入り口の自動ドアが開いて、制服姿の女の子が元気いっぱいに手を振りながら入ってきた。
頭の両脇に、角のようなお団子を作った特徴的な髪型をしたその女の子はーー
「ーー戸山さん。今日は学校を抜けてまでありがとうね」
「いえいえ! 元はと言えば今回の件は私が無理を言っちゃったので、これぐらいなんてことないですよ!」
俺のお礼に元気いっぱいに応えてくれたのは《popin'party》のリーダー(?)、戸山香澄さんだった。
彼女には、商店街での秋祭りに代わるライブイベントを実行するため、そのイベント参加者という立場の代表者としてここに出向いてもらったのだ。
「今日は私もガンガン頑張って、絶対にライブを実現させて見せますから!」
戸山さんは鼻息荒く意気込みを語って、制服を腕捲りするような仕草をみせる。実際、それぐらい彼女のライブにかける熱量は高い。
そして、その熱量こそ今回の交渉に俺が必要としているものだ。
正直な話、単に交渉を進めるだけなら俺とアッくん先輩で十分だ。いや、むしろ先輩だけの方がスピーチなら上手くまとめるだろう。先輩は、この手の交渉事では人後に落ちない。双方の妥協点などを見つけて、必ず交渉を上手くまとめる才能がある。
しかし、それでは足りないものがある。
それは何かというと「地元の人間の熱意」だ。
俺は瀬戸内海の田舎出身だし、アッくん先輩も「地方創生」を掲げないと衰退の一途をたどるような田舎から、都会のこの街へ出てきた人間だ。だから、この土地に根差した人間ではない。
それに対して、商店街は地域に根差した空間だ。その土地と密接に交わる場所で、しかも、祭りという既存の文化に置き換わるイベントを提案するのが部外者であるのは締まらない。
そこで、今回活きてくるのが戸山さんの存在だ。
彼女がいてくれることで、俺たちの提案は「地域の人が望んだ提案」という体裁を取れる。
しかも都合のいいことに、戸山さんの所属する《ポピパ》には商店街でパン屋を営む山吹さんという完璧に商店街に根差した人間がいる。更に、うちのバンドには「北沢精肉店」の北沢さんが、《Afterglow》には「羽沢珈琲店」の羽沢さんが商店街の住人として所属している。こうしてステージに上がる人間に地元民を混ぜておくことで、「路上ライブ」と「商店街」という二つの要素に接点を持たせれば、「地元で作ったイベント」という印象を与えることができる。
そうなると市役所側も、地元の人間の提案を無下には断れないだろう。
今回俺たちは、市役所側が難色を示す予算の問題を解決する服案を持ち込んでいる。その服案と地元民の後押しで計画を通すというのが俺の目論見だ。
この絵図は、アッくん先輩にだけ既にばらしてある。戸山さんに伝えていないのは、彼女には作戦なんかに囚われない、生の感情を役所の人間にぶつけて欲しかったからだ。飾り気のない純粋な思いは、時に何よりも強く人の心を射つのだ。
「おー、気合い十分だねー。初めまして、私は阿久津っていうんだー。早応大学の3回生で、《フラジール》ってバンドをやってるんだー。ドラムが男の子だから、ガールズバンドではないんだけどねー」
「あっ、こちらこそよろしくお願いします! 花咲川女子学園1年の戸山香澄です! 今日はわざわざ来てくださって本当にありがとうございます!」
「ふふっ、そんなに肩に力を入れなくてもいいよー。私がいればこの案件は勝ったも同然だからねー。ゆるりゆるりと行こうじゃないかー」
「おおー、頼もしい! じゃあ、私も遠慮なくゆるゆるしますよー! ゆるゆる~」
「いいね、いいねー。じゃあ、もっとゆらゆらしていこうぜー」
「はい! ゆらゆら~、ゆらゆら~……こうですかね!」
「なにやってるんですか二人とも。役所ではしゃがないでくださいよ、恥ずかしい……」
「はーい」(×2)
俺が今日の流れを脳内でシミュレートしている間に、挨拶を交わしたアッくん先輩と戸山さんは、なんだかもう既に意気投合していた。
そうして、水を得たタコのように手足をくねらせる二人を嗜めると、俺はもう一度ネクタイをしっかりと絞め直す。
「とりあえず、リラックスはしているみたいだから、このまま窓口に向かいますか。約束の時刻まであと5分ですから丁度いい頃合いでしょう」
「よーし、気合い入れていくぞー!」
「おー!」
「だから、テンション! テンションをTPOに合わせて!」
……ガチガチになるよりはいいんだろうけど、なんだかなぁ。先輩がいるといつも締まらない雰囲気になるんだよなぁ。はぁ。
これから決戦に臨むのに、そんな気配を微塵も感じさせずはしゃぎ合うアッくん先輩と戸山さん。そんな二人を引き連れてた俺は、心の中でため息を吐きながら窓口へと向かうのだった。
仕事で配置換えがあって、想定していた休みがほとんど取れなくなって投稿がおくれましたわよ!
お盆にはなるべく書き進めたいと思っていましたが、お盆も休みが微妙でしてよ!
神は死にましたわ!
奥沢さんのサイドストーリー、読みたいのはどちら?
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結婚式場ルート。着ぐるみで疑似結婚式。
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田舎ルート。おばあちゃまの家でお泊まり。