甘口といってもカレーの話ではないよ!
当然お酒の話でもないよ!
「オッケー、譜面の確認は済んだかな?」
「ああ、大丈夫だ」
「はぐみもオッケー!」
「一応は読みました、でも実際に叩けるかは分からないです……」
三人の返事を聞いた俺は軽く頷く。
普段はやいのやいのと騒がしいが、こいつらのここ一番の集中力はなかなかのものだ。譜面を見ている間は誰一人として喋ることはなかったし、ある程度譜面の確認が済んだあとはみんながそれぞれの楽器で運指やスティックワークの確認に努めていた。
そういう音楽に対して真摯な姿勢を、俺は一人のバンドマンとして好ましく思う。
だったらちょっとは本気で見てやらないとな。
「まぁ、これはあくまでも実力を測るための課題だから最後までできなくても問題ない。視力検査みたいなもんだ。その代わり、できる範囲では全力を尽くすこと、オーケー?」
「はい!」×3
いい返事だ。教える側としては悪い気はしない。
「じゃあ、一人ずつ行こうか。まずは薫、準備してくれ」
「任せたまえMr.鳴瀬。最高に儚い演奏を披露しようじゃないか!」
俺の声でホワイトファルコンを携えた薫が一歩前に進み出る。
「薫、カッコいいとこ見せてね!」
「薫くんがんばれー!」
「が、頑張ってください!」
みんなの声援を受けて薫がギターを構える。
「よし、いくぞ。BPMは100からスタート、変化は楽譜の指示に従うこと。じゃあ始め!」
開始宣言と同時にスマホのメトロノームアプリのスイッチをタップ、スピーカーからはコッチコッチと無機質で規則的な音が流れる。
数度の音が響いた後、薫の指先が指板を踊り、ピックが弦をかき鳴らして旋律が始まった。
◇◇◇
「よーし、そこまで!」
「……ふぅ、どうだい仔猫ちゃんたち。儚い演奏を楽しんで貰えたかな」
薫の両手がギターを離れ、左手がその前髪を掻き上げ、人差し指と中指の間にピックを挟んだ右手がビシッとこちらに突き出される。
芝居がかったキザな仕草だが、薫がやるとかなり様になる。ステージに立てばさぞかし黄色い歓声を集めることだろう。
実際、残りの《ハロハピ》のメンバーは大いに沸いているし、黒服の中にもうんうんと頷く者がいる。
俺自身も思ったより全然悪くなかったと思う。
だが、《ハロハピ》のアドバイザーを任されている以上は手放しで誉めるだけではなく、苦言も呈さないといけないだろう。
それに最初に誉めすぎて増長させるのも一長一短がある。気を良くしてより練習に打ち込む者もいれば、増長が過ぎて勝手な行動を取る者もいるからだ。
薫がどちらのタイプかはまだ判断がつきにくいところだが、先程の演奏を見た限り釘は指しておくべきだろう。
様々な考えを瞬時に巡らせてから、俺はこちらを向いて言葉を待つ薫の方を見つめて口を開いた。
「じゃあ、まずは良いところから」
「ふふっ、私のベストを尽くしたのだから、良いところだらけなのは当然だね」
「その根拠の無い自信はどっから湧いてくるんだ……まぁ、いいか。とりあえず、薫の良いところはコード進行が正確なところだな。一応経験ありってことだから、一部は中級者向けのエッセンスも入れたんだけど、結構いけてた。まだ音が濁ったところはあるけど、反復練習すればすぐに弾けるだろ」
「お誉めに与り光栄だね」
薫はどや顔というに相応しい表情で腰を折って優雅に一礼する。普通ならうざったく感じるそれも、やはり彼女がやると無駄に様になった。
……やっぱりずるいなこいつ。
「はいはい、それじゃあ残りも言うぞ。二つ目はBPMの変化に敏感だったこと。変化に合わせて自分でリズムを作ってうまく対応してたよ」
バンドはチームプレイだから、リズム担当が作ったリズムに合わせるのはメロディ担当の必須スキルだ。これができないと各々が勝手に走り出して演奏は崩壊することになる。
《ハロー、ハッピーワールド!》は構成上メロディ担当は薫のみなので、彼女さえリズムに忠実なら演奏はうまくまとまる。今の薫を見たら、その当たりの心配は無用だったようだ。
「ああ、流石にMr.鳴瀬はよく見てくれているね。舞台で演じるものとして、他の演者との調和や時間配分はお手のものさ」
「あー、そうか、薫はバンドではないけどステージ経験者なんだったな。視野の広さはその辺りから来てる訳だ」
俺の言葉に薫が大きく頷く。
「その通りさ、『人生万事塞翁が馬』というやつだね」
「お、珍しく引用した格言が誤用じゃないな」
「はっはっは! 私はいつだって正しいことを言っているさ!」
「薫はもっと普段の自分の言動を省みた方がいいな」
薫は何かにつけて格言、それもシェイクスピアのものを引用したがるが、とにかく頓珍漢なことが多い上に、格言の意味もいまいち分かっていないことが多々ある。
しかし、たまにズバッと核心を突いた引用をするので、それが無駄に彼女を大物っぽく見せている。
しかも、どうやら薫もその辺りのことには気付いているようで、「とりあえず合ってそうだから、カッコいいこと言っとくか」みたいなノリで格言を突っ込んでくるのが質が悪い。
「よーし、じゃあ次は課題な」
「ふっ、完璧な私に課題なんてあるのk……」
「薫、演奏中にメロディの合間合間で決めポーズを取る理由を述べよ」
「……」
しばしの沈黙。
薫はしばらく俺の顔をじっと見つめた後、「やれやれ」と言わんばかりの表情で「ふっ」と小さく笑った。
なんかムカつく。
「だってその方がカッコいいだろう?」
「だろう? じゃねーよ! ポーズ決める度にそこだけリズムキープが乱れてるんだよ! なんで自分から持ち味を殺しに行ってるんだよ!」
思わず激しいツッコミを入れてしまったが、それも薫はどこ吹く風といった様子だ。
「ふっ、彼のシェイクスピア曰く、『行動は雄弁である』。私は、自分の魅力を最大限に伝えるために最適な行動を取ったまでのことさ」
「俺には薫のポンコツ具合が最大限に伝わってきてるぞ」
「おやおや、Mr.鳴瀬はまだ私の魅力を受信するためのアンテナが立っていないようだね」
ああ言えばこう言うとはまさにこの事か。
短い付き合いでも分かったが、薫は頭の回転が早い上に弁も立つ。しかも時たま確信犯的な行動も取るのが始末に終えない。政治家にでもしておけばさぞかし上手に有権者を手玉に取ることだろう。
しかし、俺は薫に手玉に取られることはない。彼女の魅力攻撃はスルーできるし、それに彼女に話を聞かせるための方法も大体見当がついている。
そして、俺は早速その方法を実践することにした。
「Ms.薫。君は、"The road to hell is paved with good intentions"という格言を知っているかな?」
「……! いや、寡聞にして聞かないな。どういう意味かご教示願えるかな」
よし、食いついた。
今までのやりとりの中で分かったことだが、薫は「カッコいい言葉」にめっぽう弱い。恐らく、より自分をカッコよく見せるためのそれっぽい語彙を集めて、あわよくば自分で使ってやろうと思っているのだろう。
だから、彼女と話す時はまずカッコいい格言を突っ込んでいくと、そこから先の会話の主導権を握ることができるのだ。
実際、すでに薫は興味津々といった表情で俺の言葉を待っている。
それを確認した俺はあえて尊大な態度をとった。
「これは和訳すると『地獄への道は善意によって舗装されている』という意味の格言なんだがね。まぁ、解釈としては色々あるんだが、今回は『自分がよかれと思ってやったことが相手を地獄に引きずり込む』位の意味で捉えてくれ」
薫がこくこくと頷く。その手にはいつの間にかメモとペンが握られていた。
いや、メモを取り出すタイミングはここじゃないだろ!
思わずツッコミそうになったが、折角作った空気が壊れそうだったのでグッとこらえる。
「薫、君はよかれと思って決めポーズを取っているようだが、そのせいでリズムキープが乱れれば割りを食うのは他のメンバーだ」
薫がハッとした表情になる。
「確かに君の決めポーズでオーディエンスは盛り上がるだろう。しかし、それで肝心の演奏が疎かになると本末転倒だ。まずは演奏を完璧に仕上げる、しかる後にパフォーマンスを入れる。大切なのは"step by step"だ、確実に事をこなせ。"God is in the details(神は細部に宿る)"とも言うしな。精度が落ちれば、それだけで演奏は良いものたり得なくなる。オーケーかな、Ms.薫?」
薫はさながら赤べこ人形のようにかくかくと首を振っている。どうやら格言を引用した俺の言葉は効果抜群のようだ。
「分かったよMr.鳴瀬。まずは演奏に全力を注ごうじゃないか」
「よろしい」
「その代わり、後でさっきのカッコいい格言をもっと私に教えてくれないか」
「考えておこう」
「よろしく頼むよ」
満足気に笑みを浮かべて引き下がっていく薫から目を離すと、俺は今度は北沢さんの方へと視線を移す。
「よーし、待たせたね北沢さん。次は君の番だ」
「うん、はぐみ頑張るよ!」
俺の言葉に北沢さんはにこにことした笑顔で応える。薫とはまた違ったベクトルの魅力がある笑顔だ。
「北沢さんはベースは初めてだからね、ミスは気にせずに最後までのびのびと楽しんで弾くこと。これを意識して」
「楽しむこと、か。分かったよ鳴瀬くん!」
元気よく返事した北沢さんがベースを構える。口元には笑みを湛え、しかし、その表情には程よい緊張が見られる。いいコンディションだ。
「じゃあメトロノーム流すぞー。好きなタイミングで入ってくれ」
「いっくよー!」
無機質なメトロノームの音が一瞬響くと、それを覆い尽くすようにキレのあるベースの音がスタジオに響いた。
◇◇◇
「オッケー、演奏止めていいぞー」
「はーい! あー、楽しかったー!」
満面の笑みでベースから手を離す北沢さんを見て、思わずこちらも笑みがこぼれる。
やはり楽器は楽しんで弾いてなんぼのものだ。自分で音を生み出す歓びを、一人の表現者として人前に立てる素晴らしさを感じるそのときこそが楽器を弾くときの最も尊い瞬間だ。
北沢さんは今、その歓びを十分に感じている。それをベースを通じて感じてくれていることが、同じ楽器を扱う先輩として純粋に嬉しい。
正直、彼女は現時点ではこれで十分なのだが、やはりアドバイザーとしては正鵠を射たコメントをする必要があるだろう。
まぁ、少しは甘めにしてあげようかな。
そんなことを考えつつ、発する言葉の内容を頭で練りながら俺は口を開く。
「よっし、まずは良いところ。北沢さんの良いところはなんといっても音にパワーがあるところだな。しかもでたらめに力任せにぶん回すんじゃなくて、きちんと制御下に置かれたパワーだ」
「ホントに!? やったぁ!」
俺の言葉に飛び上がって喜ぶ北沢さんに頷いて、俺は言葉を続ける。
「んで、左手の指がきちんと弦を押さえられてる。ベースは弦が太いから意外と押さえるのにパワーがいるんだ。初心者や女性は特に、ちゃんと押さえたと思っても弦が浮いたりしていて、それが音のビビりや詰まりになるんだけど、北沢さんはそれが無い」
「はえー、そうなんだ」
ベースという楽器はギターと比べてかなりのパワーを求められる楽器だ。平均的に本体の重量がギターと比べて重めなのももちろんだが、太くて強い弦を押さえ爪弾くにはとにかく指の力がいる。
北沢さんがソフトボールチームではエースで四番を任されていることは以前に聞いていた。恐らく、そこで球を扱っているうちに指の力が鍛えられていたのだろう。しっかりした音でリズムを支えるベースとの相性は恐ろしく抜群だ。
「正直、初めてベースに触ったのだとしたらかなりできる方だと思うね」
「おー! やったー!」
「んじゃ、次は課題ね」
「あ、やっぱり課題もあるんだ……」
課題と聞いて明らかに肩を落とした北沢さんを見ると少し心苦しいが、やはりここはアドバイザーとして心を鬼にせねばなるまい。
すまぬ、北沢さん。全てはペグ子が悪いのだ(暴論)。
心の中で責任をペグ子に擦り付けてから、俺は口を開いた。
「課題としては、やっぱりテンポのキープかな。ドリルではコードを使ったルート弾きをやって貰ったんだけど、やっぱりコードチェンジの時にたまに息継ぎが混じるな」
「あー、確かに。組み合わせによっては指がついてこないんだよねー」
北沢さんは納得といった表情になる。
「あと、指定されたBPMを無視してたとこが結構あったな。リズム担当が途中で乱れると、もう取り返しがつかないからそこは気をつけた方がいいな」
「うーん、どうしてもテンションが上がると、釣られて弾くのも速くなるみたいなんだ。はぐみも気付いてたんだけどなー」
分かってはいるけれどできなかったことに対して北沢さんがガックリと肩を落とす。
しょんぼりとした彼女に対して、気にするなという風に首を左右に振る。
「まあまあ、最初は誰でもそんなもんだよ。実際に演奏するときは経験者の松原さんもリズムを担当してくれるから、初めの頃はよく聞いて合わせるぐらいの気持ちでいいかな」
「うん、分かった!」
「オッケー、それじゃあ北沢さんはここまで。お疲れさん」
「はーい、鳴瀬くんありがとー!」
元気よくお辞儀をして下がる北沢さんにかるく手を挙げて応えると、俺はすぐに次のメンバーに顔を向けた。
「じゃあ、松原さん。次、お願いできるかな?」
「あっ、は、はい!」
びくりと肩を震わせてから、松原さんが必死に振り絞ったような声で返事をする。
彼女はそのまま、どこかぎこちないおどおどした動きでドラムのスローンに座った。
さあ、いよいよこの時がきたか。
俺は、スローンに座ってシンバルやタムの位置や傾きを確かめる松原さんに熱い視線を注ぐ。
さて、松原さんはどれぐらい叩ける人間なのかな。
松原さんのドラムスキル。これが今後の《ハロー、ハッピーワールド!》の方向性を大きく左右するファクターになる。
松原さんがかなり叩ける人間ならなら、《ハロハピ》で演奏できる曲にも様々なバリエーションが生まれる。リズムの要であるドラムが正確なリズムを作ることができれば複雑な進行の曲だって演奏できる。
要は、ドラムがトリッキーだろうと、メロディやベースラインはシンプルな構成にしても大して問題無いからだ。
しかし、その逆は許されない。メロディ等が複雑なのにドラムがシンプルになると、途端にリズムが上手く取れず曲が空中分解する原因となる。
ドラムのレベル=バンドの最大レベル。そう言っても過言ではないほど、ドラムは重要な楽器なのだ。
練習を軽く見た感じでは、叩けるオーラは出てたんだけど、ドラムを辞めようとしていたのは少し気になるな……。
松原さんがドラムを辞めようとしていた理由が精神的なものか、技術的なものなのかは分からない。
しかし、いずれにせよその辺りはしっかりとケアしないと後々になってじわじわ効いてくる問題となるかもしれない。
ま、今は考えても詮無き話しか。とりあえず演奏を見ないとな。
気持ちを切り替えると、俺は松原さんに意識を集中する。
「よし、松原さん。機材のチェックはオーケーかな?」
「はい、多分大丈夫です。」
「じゃあメトロノームいくよ。自分のタイミングでいつでも入って」
「わ、分かりました! すぅー……はぁー……」
メトロノームの音が響く中、そのBPMに合わせるように松原さんが深呼吸する。
ゆっくり数度の呼吸が行われた後、松原さんの手がするりと動く。何度も反復したような淀みの無い動き。
その手に従い、スティックが宙を泳ぐ。
そして、音が
甘口なのはコメントのことでした。
……もうちょい辛口でもよかったかな?
次は花音ちゃんとミッシェルパート。常識人の二人がメインで動くよ!
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