あいどる依田芳乃ちゃんと、そのぷろでゅーさーの、ちょっぴりファンタジーな感じのお話です。


※この作品には上記以外で以下のキャラが出演します
・千川ちひろ
・前川みく
・藤原肇

極力気を付けてはいますが、公式の設定との相違や解釈違いによって気分を害す方がいらっしゃったら申し訳ありません。

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たそがれの凪

【プロローグ】

 

夢を見ていた。

果ての見えない空間に、自分と真っ赤に滲む夕陽だけが、ゆらゆらとそこに在る。

靄のかかった意識の中で、燻った陽光を手で遮ると、ぽつりと「何か」の黒い影を捉えた。

俺は引き寄せられるように歩みを進める。小さかった影が次第にその輪郭を露わにした。

「踏切・・・」

それは紛れもなく、何の変哲もない、ただの踏切だ。

しかし、そこに線路はなく、遮断機も片側しかない。

何もない空間に、それこそ「ぽつんと置いてあった」。

斜陽に照らされ朱を帯びたそれを眺めていると、突然、かんかんかんかんと警報が響く。

聞きなれたその音に、自然と俺は一歩後ずさって、ゆっくりと下りてくる遮断機を眺めていた。

遮断機が下りきっても、一向に電車が来る気配はなく、延々と警報は鳴り続ける。

不思議だ。どこまでも広い空間にいるようなのに、警報は語りかけてくるかのように、俺の中で反響する。

辺りをぐるりと見まわし、視線を前へと戻すと、踏切の向こうに揺らめく影があった。

ぼんやりとした影は、真っ赤に染まった夕日と重なり、上手く姿は見えない。

しかし、その輪郭だけで分かる。これは・・・人だ。

俺は自然と手を伸ばしていた。危ないとか、こっちに来いだとか、そんな理屈っぽいことは一切考えず、

ただ、揺らめくその影の手を取ろうとして・・・

そこで、目が覚めた。

目覚まし時計は5時を少し越えた辺りを指している。

世界が起き始める少し手前の静寂と、凛と澄んだ朝の空気とは裏腹に、

纏わり付くように湿ったシャツを脱ぎ捨てて、俺はシャワーへと駆けこんだ。

 

 

【1章:黄昏を見つめて】

 

 

「おはようございます」

スーツ姿の男が、ぺこりと頭を下げ、事務所の扉を開いた。

「あっ、P(プロデューサー)さん。おはようございます」

コーヒーメーカーの前で鼻歌を歌っていた女性が振り返り、さわやかな笑顔を投げかける。

男はそれを見てもう一度軽くお辞儀をしてデスクに座ると、

ほのかに湯気の立ったカップを二つ持った女性がその片方をそっと彼のデスクの隅に置いた。

「Pさん、今日はいつもより早いですね」

対面のデスクに座った女性は、残ったカップを軽く啜り、そう語りかける。

「何故か、目が覚めてしまいまして」

Pは少し恥ずかしそうにそう言いながら、置かれたコーヒーを一口飲む。

「ちひろさんこそ、いつもこんなに早いんですか?」

ただでさえ、普段よりも一時間近く早く出社したPより、さらに前から出社していた様子の女性は、

「先週の仕事の残りがあったので、たまたまですよ~」

と言いながら、ぱたぱたとコーヒーメーカー横にある砂糖とミルクを取ってきた。

「あっ、それと今日はもう1人」

と、ちひろが話を続けたところで、小さな音を立てて事務所の扉が開く。

「おや、そなたー。今日は早いのですねー」

浅葱色の縞模様の着物を着た少女が、不思議そうに扉の向こうから顔を覗かせる。

「あぁ、芳乃。おはよう」

その声に振り向いて、Pが挨拶をすると、

「おはようございますー」

と、少女も微笑みながら事務所へと入った。

 

 

「そうか、芳乃は今日、地方ロケに行くんだったな」

予定表の書かれたホワイトボードを見ながら、Pがソファに腰掛けた芳乃に話しかける。

「はいー。山里の人々と、その暮らしに密着してまいりますー」

まるで遠足に行く前の子供のように、楽しみにしているのが滲み出ている。

「片道4時間かかるのに日帰りだったよな?ごめんな、体調に気を付けてな?」

ハードスケジュールになってしまった芳乃を、申し訳なさそうにPが気遣うも、

芳乃は小さな鞄から彼女の手のひらほどの煎餅を一枚取り出して、はいー、と言いながら齧っている。

本当にわかってるのか・・・?と苦笑いしながら、Pがデスクに向き直ると、

「大丈夫ですよー。そなたを悲しませることなど、万に一つもありませぬー」

と、いつの間にか背後に回っていた芳乃が、煎餅を一枚、Pの口元に持ってきていた。

香ばしく焦げた醤油の香りに混じって、彼女の髪の香りがふわりと漂ってくる。

Pは軽く跳ねた心臓を一息付けて落ち着かせると、煎餅をそのまま咥えた。

「おや、そなたー」

芳乃がじっとPの目を見つめる。Pの咥えた煎餅が音を立てて砕け、デスクに転がる。

一息の静寂。そこから先に解き放たれたのは芳乃だった。

彼女は持っていた鞄をおもむろに漁り始め、取り出した小さな石をPの掌へと載せた。

「こちらをどうぞー」

どこからどう見ても、「石ころ」としか形容できないそれを、Pはまじまじと見つめる。

「あの、これは・・・」

一体どういうつもりなのか、皆目見当もつかぬPに、悪戯っぽく微笑んだ芳乃は、

「お守り、でしてー」

と言って、Pの両手と共にその石を優しく握った。

体中の血が走り出す。みるみる熱を帯びるPの手とはうらはらに、芳乃の小さな手はほんのり冷たくて気持ちがいい。

彼女にこの熱が伝わってしまうのではないか、そう思うと居てもたってもいられなくなったPは、誤魔化すように、

「だーっもう!芳乃!お前はアイドルなの!あんまり過度なスキンシップは良くないの!わかった?大体いつもお前はそうやって」

早口で捲し立てるPをニコニコと見つめていた芳乃は、不意に袖を捲り上げ、

「おやー、もうこのような時間ですねー。それではー、行ってまいりますー」

と、ぱたぱた音を立てて事務所から走り去る。

「おい!お前腕時計なんかしてないだろ!ちょっと待て!おーい!」

Pの叫びは虚しく事務所に響き渡ったのだった。

 

 

「Pさんも意地悪ですね」

ぶつぶつと文句を言いながら、握っていた石を引き出しにしまい、

デスクへと向かい直すPに、くすくすと笑いながら、ちひろが話しかける。

「芳乃ちゃんが誰にでもそんなことするわけないの、本当はちゃんとわかってるんでしょう?」

いじらしく視線を送ってくるちひろに、Pはバツの悪そうな顔をしながら温んだコーヒーを啜った。

「まぁ・・・」

それは誰よりも理解している。彼女は馬鹿ではない。

特に身の振り方に関して言えば、その辺の大人よりもよっぽど大人びているというか、

どこか「人間離れしている」と思わされる節も多い。

Pが彼女と初めて出会った時、彼女の持つ不思議なオーラ、魅力に惹かれ、彼女をアイドルの世界へと連れ出した。

あまりオカルトめいたものは信じていないPでも、「彼女は不思議な力を持っている」と言われたら信じそうになる。

そんな形容し難い魅力を持つ彼女と仕事していくにつれ、導かれるままに、といった形だった彼女も、

今では先刻のように冗談やからかうような仕草を見せてくれるようになった。

アイドルとしての彼女の魅力は、ますます増しているようにさえ感じる。

それと同時に、一人の女性としても・・・

そんなことを考える度、Pは雑念を振り払うように「その先」を考える事をやめた。

お互いの立場もそうだが、そもそも彼女はアイドルだ。

誘われる形で始めた彼女にだって、アイドルとしての立派な目的と、そのための日々の努力が存在する。

それを分かっていて、彼女の積み上げたものを無残に崩すことはできない。

だから、絶対に「この先」へは踏み込まない。Pはそう決めていた。

深いため息が出る。コーヒーカップの水面が揺らぎ、うっすらと眉間に皺の寄ったPの顔が映りこむ。

Pは一気に残ったコーヒーを飲み干した。何故かいつもより苦い気がした。

 

 

【2章:誰そ彼と問う】

 

 

「お先に失礼しまーす。戸締り、お願いしますね」

ちひろがPの脇を足早に抜けていく。

「了解しました。お疲れ様です」

Pはチラリとちひろを見て、小さくお辞儀した。

用事があるからと、定時で退社したちひろが去ると、事務所にはPただ1人になった。

他のアイドル達も仕事を終え帰宅し、未だ仕事を終えていないものは直帰のため、Pが戸締りを任された。

「芳乃も・・・無事終わったみたいだな」

収録が無事終わった旨のメッセージが来ていることを確認し、Pはソファに座り込み、一息つく。

朝早くに起きたせいもあるのだろうか。それほど遅い時間でもないのに、どっと疲労感が押し寄せてくる。

「これは・・・今日はもう・・・無理だな・・・」

深く沈んだソファから勢いをつけてなんとか立ち上がったPは、一杯だけコーヒーを飲んで、事務所を後にした。

混み合う電車に揺られながら、霞む目を擦って何とか帰宅したものの、

あまりの疲労感に、着替えも満足にしないままベッドへと倒れ込んだ。

 

 

気が付いた時には、辺りが夕焼けで真っ赤に染まった踏切の前にPは居た。

遮断機は下がり、延々と警報機が響き渡る。

「これは・・・今朝見た夢と同じ?」

掠れた記憶の中に似た景色を見た事がある。そう、今朝の夢の中で見たあの景色だ。

鳴りやまぬ警報の音が、どこかPの心をざわつかせる。

「そうだ・・・この後は・・・」

妙な胸騒ぎがして、Pは辺りを見渡す。

刹那、視界に黒い影が映る。

遮断機と、沈みゆく夕日の間に黒く揺らめく人影。

「お前は誰だ・・・?」

Pが問いかけながら近づくたび、ぼんやりとした輪郭が歪み、揺らぎ、一つの形を成す。

それはもう幾度となく見てきた、1人の少女の形に。

「芳乃・・・!」

Pは思わず駆け出す。遮断機を押し上げ、その向こうで振り返る彼女の腕を掴む。

引き寄せようと力を入れた時、視界の隅から白く、とても強く光るものが迫る。

息が止まった。影も形もなかった電車が、今やP達のすぐそこまで迫っていた。

Pは思い切り芳乃を遮断機の向こうへと押し出した。

視界が真っ白に染まる中で、彼女は笑っていた気がした。

 

 

【3章:凪】

 

 

「っは・・・!」

Pは跳ねるようにして起き上がる。頭から水を被ったかのように全身が汗で湿っている。

目覚ましはいつもの時間を10分過ぎたことを虚しく知らせていた。

ぬるいシャワーを浴び、足早に身支度を整え、Pは部屋を出る。

起きた時から止まぬ耳鳴りと頭痛が、電車に揺られる彼を絶えずノックする。

駅の売店で水を買い、喉を鳴らして流し込んだ。少し気分が楽になった気がする。

絶えず響く耳鳴りを足音で消すように、Pは足早に事務所へと向かった。

 

 

「おはようございます・・・」

Pが扉を開くと、ちひろと数名のアイドルが談笑しながらこちらを見る。

「おはようございます。あれ、もしかして体調悪いんですか?」

一人の少女が心配そうにPの顔を覗き込む。

「あぁ、おはよう肇。ちょっと頭痛がするだけだよ」

Pは少女に笑顔を作ってみせる。

「Pチャン、もしかして風邪~?体調管理が出来てないのは社会人として失格!」

そう言いながら、ちひろの傍にいた少女がぷんぷん怒った素振りを見せつつ、

ソファにかかっていたブランケットを投げつけてくる。

「はは、すまん・・・みく達にはうつさないようにするよ」

そう言って苦笑いするPと、当たり前にゃ!とそっぽを向くみくを見ながら笑っていたちひろは、

「でも本当に無理はしないでくださいね?あ、あと一応これもどうぞ」

と、エナジードリンクをデスクに置いていった。

「本当にありがとうございます」

深々とPがお辞儀をすると、かちゃ、と音を立てて事務所のドアが開く。

「あれ、芳乃さん。今日はオフでは?」

肇が驚きつつも嬉しそうにドアへと駆け寄る。

談笑しながら入ってくるその子をまじまじと見て、Pはちひろに尋ねる。

「あれ、新しい子入ったんですか?知らなかった」

事務所が静まり返った。突然の静寂と集まる視線を感じ、Pは動揺する。

「Pチャン・・・なんの冗談にゃ?自分の担当アイドルでしょ?」

最初に沈黙を破ったのは、訝しげな目でPを見つめる。

「そうですよ!流石に今のは面白くないですよ?」

と、肇も続いてPを問い詰める。

そう言われて、再度その少女と向き合ったPだが、動揺しきって言葉が出ない。

その様子をまじまじと見ていた芳乃は、

「・・・わたくし依田は芳乃と申しますー。以後、お見知りおきをー」

と、淡々とお辞儀をした。

「あ、どうも、よろしくお願いします」

何故か敬語になったPも釣られてお辞儀を返す。

この異様ともいえる光景を前に、その他の皆は、ただ顔を見合わせるばかりだった。

 

 

【4章:虹】

 

 

「芳乃さん!さっきのあれ!いいんですか?」

肇は慌てた様子で芳乃を問いただす。

結局、Pの体調を気遣って、みくとちひろはPを自宅へと送ることになり、事務所には二人だけが残された。

ソファにちょこんと座った芳乃はすすすとお茶を啜り、伏し目がちに口を開く。

「ああする他になかったかとー」

明らかにPの様子はおかしい。だが、あの場で取り乱したり、無理やり問い詰めたところで、

良い結果が返ってくるどころか、余計に負荷をかけてしまうかもしれない。芳乃はそう考えた。

しかし、肇は納得がいかぬ様子で、色々と渦巻いているであろう感情がふつふつと漏れて見えた。

「なんでよりにもよって芳乃さんだけ・・・私たちには普通なんですよ?おかしくないですか?」

言葉を積み上げるごとに、肇の語気に怒りに近い感情が満ちていく。

「肇さんー、落ち着いてくださいー」

一方、当人である芳乃は平静を保ったまま、自分のために感情を動かしてくれる彼女を諭す。

「おおよそ見当は付いているのですー」

揺れる湯呑みの水面を見つめながら、芳乃は続ける。

「・・・ぷろでゅーさーは、悪しきものに憑かれている様子でしてー」

肇の表情が強張る。一呼吸おいて、芳乃はさらに続けた。

「昨日の朝の時点で、悪しきものに魅入られている気配は感じましたー。

ゆえにー、去り際にお守りを残しておいたのですがー、上手くいかなかったようですねー」

芳乃の言葉を聞いていた肇からは先ほどの怒気がガスのように抜けていった。

そして、立ち替わるようにして不安の色が濃くなってゆく。

「そんな・・・芳乃さん、Pさんは大丈夫なんですか?」

すがるように芳乃の袖をぎゅっと握りしめた肇に、芳乃は笑顔を作ってみせる。

「はいー、特にこれ以上何か起きることはありませんよー」

その言葉を聞き、肇はふにゃふにゃと力が抜けたように、ソファに崩れ落ちた。

「よかったぁ・・・それじゃ、いずれ芳乃さんのことも思い出せますね」

さっきまでとは裏腹に、ぽかぽかの笑顔で肇は胸を撫でおろす。

「・・・何も、起きないのでして―」

芳乃はぽつりとつぶやく。

「芳乃さん?」

変わらず伏し目がちな芳乃を覗き込むように、肇は彼女の名前を呼ぶ。

「肇さん、『たそがれ』はご存知ですかー」

唐突に芳乃が尋ねる。肇は少し面食らったものの、

「ええと、たしか黄昏って夕方から夜にかけての時間の事ですよね」

と、指でくるくると空をなぞりながら答える。

「はいー、しかしまたそれ以外にもー、意味を持つ言葉なのですー。」

芳乃はすっと立ち上がると、まだ青い空を眺めるようにして窓際へと進む。

「黄昏時のー、夕陽と闇が混ざったころにはー、見えていたものも見えづらくなりますー。『たそがれ』というのはー、『誰そ彼』と書くこともあるのですー」

そう言うと芳乃はくるりと肇に向き直って、神妙な面持ちで肇を見つめる。

「『誰そ彼の凪』という妖がいますー」

妖。漫画や昔話でばかり耳にする言葉が平然と放たれ、肇の心臓が跳ねる。

「そ、その妖は・・・どんなことを」

肇は恐る恐る尋ねる。日常を生きている自分が、突然目の前に現れた非日常の扉を開いてしまった気がして、少しだけ気遅れしてしまう。

「『誰そ彼の凪』はー、迷いを抱えた人の心に巣食い、そして持ち去っていくのですー」

芳乃は淡々と続ける。

「人は誰しも迷い生きるものでしてー。何かのために、大切な何かを諦める選択を迫られることもあるでしょうー。『誰そ彼の凪』はー、人のそんな葛藤を嗅ぎ付け、持ち去ることでー、その人の心に凪を訪れさせますー」

凪・・・肇もよく知っている言葉だ。ピタリと風が止み、波風一つ立たなくなるあの時間が、Pにも訪れるというのだろうか。

「『誰そ彼の凪』はー・・・」

芳乃の言葉が止まる。そして小さく一呼吸した彼女は、感情を押し殺した声でまた続けた。

「『誰そ彼の凪』はー、その者の最も大切なものの姿を模して誘い込みー、そのものを想うすべての気持ちごと持ち去っていくのですー」

「えっ・・・」

肇の呼吸が止まる。

「えっ、それって、つまり、Pさんから持ち出されたのが、えっ」

芳乃は何も言わない。ただただ俯いて、表情を読ませまいとしている。それでも小さな肩が、小刻みに震えているのが分かる。

あぁ、芳乃さんは全部分かっていたのか。Pさんが何に憑かれ、何を失い、どうなってしまったのか。その意味を理解していたんだと肇はこのとき初めて気づいた。

「あの、芳乃さん、持ち出されたものって」

「戻ってくることはありませんよー」

肇が皆まで言い切る前に、彼女の表情から言いたいことを察した芳乃は、静かに言い放った。

「凪が訪れ、失われた心にもー、いつかは新たに風が吹くことでしょうー。しかしー、様々に形を変える波風に、一つたりとも同じものはありませんー。失われたものがそのまま戻ってくることなどないのですー」

終始、淡々と話し続ける芳乃を見ていた肇は、ぎゅっとこぶしを握って問いかける。

「芳乃さんは・・・芳乃さんはそれでいいんですか?」

一瞬の静寂。ゆっくりと進む時計の秒針の音が幾度か刻まれた末に、芳乃は

「たとえ道は異なろうとー、あいどるとぷろでゅーさーとして、共に歩んでいくことは可能かとー」

そう言った。それはまるで、彼女自身に少しずつ言い聞かせるように。

「Pさんの、芳乃さんの、お互いを想う気持ちはどうなるんですか?」

続けて放たれる肇の言葉に、またも沈黙が生まれる。

「・・・わたくし達はぷろでゅーさーとあいどる、共にふぁんの皆々を喜ばせるために在るのですー。それが成るのであれば、きっとー」

それは、幾度となく芳乃がプロデューサーに言われてきた言葉。それを今度は、彼女自身が自分に言い聞かせるように繰り返す。

そんな芳乃を見た肇の中で、何かがぷつりと切れる音がした。

「・・・だったらっ!なんでそんな顔をしてるんですか!?」

肇は俯いた芳乃の手を取り、ぐっと引き寄せる。驚きまじりで肇を見上げる芳乃の目には、僅かに涙が浮かんでいた。

はっとして空いた手で涙を拭う芳乃をよそに、肇は続ける。

「芳乃さんはいつだって私よりいろんなものが見えていて、すごいなって、憧れてます。尊敬する、大好きな人です。でも、だからこそ、ちゃんと言わせてください。今の芳乃さんは間違ってます!」

連鎖するように肇の瞳からも涙が溢れ出す。

肇にとって芳乃はいつだって自分を導いてくれる存在だった。時には憧れもしたし、人一倍感謝している。

そんな彼女が、自分の前で初めて道に迷いそうになっている。ならば、この手を離すものか。肇の掴んだ手に力が入る。

「アイドルだから?プロデューサーだから?そんなことを理由にして芳乃さんは逃げるんですか?いままで一度だってそんな素振り見せなかったのに!」

芳乃は視線を逸らし、バツの悪そうな顔をしている。

「ファンの皆さんを大事にする、芳乃さんの今言ったことは間違いなく正しいです。でもっ!」

そう言って肇は芳乃の肩を掴み、ほどけた視線を結び直す。

「自分一人幸せにしてやれない人に、たくさんのファンを幸せにすることなんてできません!」

肇は叫んだ。ぐしゃぐしゃになった顔と声で。

彼女は芳乃のために、こんなになってまで鍵をかけた自分の扉を叩き続けてくれた。

芳乃は、むせび泣く肇の肩をきゅっと抱きしめる。

「しかと、しかと受け取りました」

二人はしばし、互いの袖を濡らし合った。

 

 

「して、肇さんー」

互いに落ち着きを取り戻し、しばらくして肇が

「どうしてあんなことを」と先刻のやり取りを回顧して悶えているところに、芳乃は声を掛ける。

「はっ、はい芳乃さん」

肇は正座に居直る。どうして正座でしてと軽いツッコミを入れながら芳乃は

「先ほど『このままでいいのか』と訊かれましたがー、具体的にどうしたらいいとお考えでー?」

と尋ねる。そして沈黙。

「ま・・・全く案はありませんでした・・・」

正座した状態から深々と頭を下げて土下座の姿勢を取った肇を見てくすくすと笑った芳乃は、すっと立ち上がる。

「あれ、芳乃さん、どうしたんですか」

顔を上げながら尋ねた肇に芳乃はキリっとした表情で言う。

「実家に帰らせていただくのでしてー」

「えっ」

肇のきょとんとした顔を見て、芳乃はまた悪戯っぽく笑った。

 

 

【5章:風待ち】

 

 

芳乃が実家に帰ると言ってから二日。

特に音沙汰もなく、Pもアイドル達もそれぞれの仕事をこなしていた。

幸いにも芳乃に関しては、「誰そ彼の凪」と出会う前のPが彼女の地方ロケを考慮し、

余裕をもって休みを作っておいたために何とかなった。

 

 

「ただいま帰りましてー」

芳乃がお土産を片手に事務所の扉を開く。

「芳乃さん!おかえりなさい!」

芳乃の姿を見るや否や、跳ねるようにして肇が芳乃のもとへと駆け寄った。

公には「帰省」という理由で通っているものの、肇だけは今回の帰省の真の意味を聞かされていた。

「『誰そ彼の凪』の討伐」、それが彼女の目的だった。

芳乃は実家で巫女のようなことを経験してきたものの、妖は分野が微妙に異なる。

彼女が幼いころから慣れ親しんだ親族や書物から見分を得たものの、不完全な記憶にしか過ぎない。

そのため、しっかりと戦略を練るため、実家で調べ物などをしてくると言って彼女は出発した。

「どうですか、なんとかなりそうですか」

肇は芳乃に小声で話しかける。

「ご心配なくー、しっかりと調べてまいりましたよー」

芳乃はにっこりと微笑んだ。

 

 

芳乃の話によると、「誰そ彼の凪」は人々の迷いの中に隠れた強い想いを蓄え、

自身の大きさを増したあと、別の宿主を探しに行く。

もともと「想い」というものは強い力を持つ反面、その所有者と引き合う力が強い。

だからこそ、意志の剥がれやすい夢の中に現れ、

その人の大切なものに擬態することで、不安定にさせた相手から想いを剥ぎ取る。

だが逆に、そこまでしないと剥がせない引力を「想い」は持っているのだから、

彼奴が完全に取り込むまでの間に叩くことが出来れば、想いを取り返すことも出来るかもしれないとのこと。

ただ、そのためには一度、「誰そ彼の凪」の中に侵入する必要がある。

その中で侵入したものが逆に「誰そ彼の凪」に取り込まれてしまうかもしれない、というリスクがあると芳乃は話した。

「だ、大丈夫なんですか?」

話を聞いた肇は不安そうに尋ねる。

「ふふー、導くことはわたくしの得意とするところー、肇さんもよくご存じでしょー?」

芳乃がそう言って微笑むと、つられて肇もそうでしたと笑った。

 

 

【6章:逢禍】

 

 

カタンカタン、と音をたて、電車が進む。

目的地も停車駅も、すべてが白く塗りつぶされた車内に、時折車窓から差すオレンジ色の斜陽が被さっていく。

音も、色も、風景も、すべてが規則的に流れ、永遠の時の中を泳いでいるような感覚に陥る。

それでも、退屈を感じるどころか、幸せにすら感じてしまう。

それは俺に寄り添う君がいるからだろうか。

そんな臭いことを考えてしまうほど、穏やかな時間が流れている。

あぁ、何を我慢していたんだろうか。

俺は、ずっと、君とこうして―――

「そうやって過ごすのはまたの機会にしてほしいのでしてー」

ギュイン、という激しい音と共に、車内が上下真っ二つに割れる。

頭上を掠めた何かに接触したのか、はらりと俺の黒い髪が何本か舞い落ちていくのが見えた。

「なっ、なんだ?!」

座席からずり落ちるようにして車体の切断面から外を見ると、先ほどまでの夕陽が嘘のように真っ黒に染まった空と対面する。

何が起こったか分からずに唖然としていると、ひょいっと切断部を越えて外から一人の少女が入ってくる。

「よ・・・芳乃!?」

俺は驚愕を顔に浮かべる。

「はいー、わたくし依田は芳乃でしてー」

芳乃はにっこりと笑った。

 

 

「なぁ、これ、一体なんなんだ?」

ぜぇぜぇと息を切らしながら、前方を走る芳乃にPが尋ねる。

「だからー、そなたの夢の中と言ってましてー」

芳乃は息一つ乱さず、どこかへ向けて駆けていく。

星1つない真っ暗に染まった空のせいか、辺りは何も見えない。

それどころか、こうして走っていても進んでいるのかさえ曖昧になる。

呼吸は決して楽ではないが、喋っていないととても保たないと感じたPは、また芳乃に問いかける。

「なんで、芳乃が、俺の、夢に?」

芳乃はちらっとこちらを見たものの、またすぐ前を向いて

「そなたを助けにまいりましたー」

とだけ答える。

「助けに、って・・・俺、なんか、危ないことになってるのか?」

ただでさえ苦しそうなPの顔が更に歪む。

「そなたは今、妖に取り込まれかけておりましてー」

「妖?そりゃまた偉いファンタジックな夢で・・・」

Pは思わず笑ってしまいそうになったところで、不意に足を止めた芳乃に驚き、躱そうとしてその場に倒れる。

「いてて・・・どうした?」

倒れたまま芳乃の顔を見上げると、真剣な表情で空を見つめる芳乃が映る。

「あれが本丸でしてー」

「なんだ・・・ありゃ・・・」

芳乃に言われて空を見上げたPは、何か黒く渦巻く球体のようなものを目にした。

 

 

「あれが『誰そ彼の凪』でしてー」

「誰そ彼の・・・凪・・・?」

宙に浮かぶその黒い球体は、時折夕焼けのように赤い粒子を吹き出しているが、

それらを覆うように収縮を続ける黒い「何か」が渦巻いている。

得体の知れないそれを指して、芳乃は続けた。

「あれに飲まれたせいで、そなたは現世(うつしよ)でわたくしをお忘れになっておりますー」

「えっ!?そうなの!?」

思いもよらぬ話をされたPは、その後、芳乃から今起きていること、そして、「誰そ彼の凪」のことについて教わった。

「それで助けに来てくれたのか。ありがとうな芳乃」

未だすべては受けとめきれない様子のPも、ひとまずお礼を言った後、ひとつの疑問にたどり着く。

「ところで、どうやって夢に入ってきたんだ?」

芳乃に視線を向けるP。彼女は目を合わせない。

「・・・そなたが寝ているところにー、忍び込みましてー」

「ちょっと待って俺の貞操!というか忍び込むって!鍵は?」

「・・・大家さんに彼女と申したところー、合鍵をー」

「セキュリティ&プライバシーが存在しない!」

Pが頭を抱えて喚いていると、横にいた芳乃がひゅっと音をたてて飛び上がり、持っていた薙刀を一振りする。

芳乃によって切られた何かの片割れが、Pの脇に鈍い音と共に落ちる。

真っ黒い塊のようなそれは、地面に落ちると、どろりと溶け出し、やがて地と一体化した。

「それに当たるとー、彼の者に飲まれてしまいますー。ご用心をー」

それを聞いたPの背筋が震え上がる。

「いやいやいや!ご用心も何もどうやって!」

Pが涙目で訴えると、芳乃はふふっと微笑んで

「ただ、わたくしの後ろに居てくださればー」

と言い、身の丈よりも長い薙刀を華麗にひゅんひゅんと回して見せる。

「す、すごいな・・・芳乃、そんなに動けたのか・・・」

Pが唖然としていると、芳乃は何食わぬ顔で

「まぁ、夢の中ですからー」

と答える。なるほど合点がいくなとPは納得した。

「あれ、ってことは俺もそういうこと出来るって事!?」

ハッとしてPはキラキラと目を輝かせる。

それもそうだ、男の子ならだれでも憧れることがあるファンタジーな戦闘、それが目の前にあるのだ。

自分もやってみたいと思うものだろう。

「ふむー、それは難しいですねー」

芳乃はひゅんひゅん飛来する物体を切り落としながら言う。

「なんでだよ!夢の中だろ!」

Pは不満げに口をとがらせる。

「夢というものはー、想像力の賜物でありますー。ゆえにー、己の知り得る事でのみ構築され、力を得ることができるものー。全く経験したことのないものの実現は難しいかとー」

すぐさまPは芳乃の言葉に違和感を感じる。

「えっ、じゃあその薙刀とか身のこなしは・・・?」

芳乃はくるりと宙で一回りし、無数に迫る塊を切り落とす。

「薙刀は幼少のころに少しだけ教わりましてー、それを先日鍛え直してまいりましたー。身のこなしのほうはー」

切り上げた塊が宙でバラバラになり飛沫へと変わる。芳乃は懐から一枚の札を取り出し宙へ放ると、

そこから球体上の結界の様なものが張られる。

「少しばかり、神様の力を借りましてー」

パラパラと解けていく結界から剥がれ、舞い落ちる札を捉えながら、彼女は顔色一つ変えずに言った。

「すっげえ・・・こんなこと実際にできるなら、もっと早く教えてくれよ!」

Pは興奮しながら芳乃の背中をぽんぽんと叩く。

「・・・過ぎた力には、代償が伴うものでして―」

芳乃はぽつりとつぶやく。

「え?」

笑顔を浮かべていたPの表情が固まる。

「代償・・・って?」

恐る恐る訊くPのことをチラリと見て、芳乃は一息つくと

「寿命を少しばかり捧げておりますー」

とだけ言った。みるみるPの顔は青ざめる。

「おい!何やってんだ!俺なんかのためにそんなことする必要・・・」

捲し立てるPの口元に芳乃は人差し指を当てる。駆け足が言の葉から鼓動へと移る。

芳乃はPの口元からその指を自分の口元へと移すと

「愛する者のおらぬ世界で、幾年も時を重ねることに意味などありましょうかー」

といい、柔らかな微笑みを見せた。

「・・・芳乃さん、今日はいつにも増して積極的デスネ・・・」

真っ赤に蒸気したPは、何故か片言気味にそう言う。

「夢の中ですからねー」

こころなしか、芳乃は上機嫌だ。

 

 

あれからどれくらいの時間が流れたのか、流石に延々と薙刀を振るい続ける芳乃にも疲れが見える。

「このままでは、埒が明きませんねー」

芳乃が焦れた様子で、懐から両の手いっぱいの札を取り出す。

そのうちの1枚をPのもとに放り、先ほどと同じ結界を張ると、

残りを1つ1つ宙へ放り、結界の足場を生み出し、ひょいひょいと飛んでいく。

「そなたはそこで待っていてくださいー」

遠くなっていく芳乃の声。Pは結界の中で座り込む。

「なんだか俺、守られっぱなしだな・・・」

次第に小さくなっていく芳乃の姿を眺めながら、Pは呟いた。

 

 

「ようやくたどり着きまして―」

Pと別れて数分後、芳乃は「誰そ彼の凪」の核の前へとたどり着いた。

巨大な夜の渦へと薙刀を構えた瞬間、突如、「誰そ彼の凪」が勢いよく収縮を始める。

周りの闇ごと飲み込むかのような引力に抗いながら、芳乃は収縮が収まっていく様を見つめていた。

「まったく、妖というものは本当にー」

呆れたように収縮の収まりゆく「誰そ彼の凪」に向かい、芳乃は薙刀を向ける。

「性格の悪いものですねー」

Pの姿をしたそれは、不敵な笑みを浮かべた。

 

 

【7章:誰そ彼の凪】

 

 

「夢とは言えど、流石に、きついものです、ねー」

息を切らしながら、芳乃は薙刀で「誰そ彼の凪」の掌底を受け流す。

先ほどから芳乃は防戦一方、それどころか、未だ一太刀すら入れることが出来ていない。

ただ延々と相手の攻撃を捌き、疲弊していく一方だった。

明らかに常人離れをした動きをするこの者がPであるわけがない。

頭ではそう分かっているのに、一太刀が伸びない。

無理やり伸ばしたところで、迷いのある太刀などひらりと躱されてしまう。

正直に言って、八方塞がりだと芳乃は感じていた。

「わたくしのことを取り込んだら、腹を満たしてくれませんかねー」

苦し紛れの冗談を言ったつもりが、それは時間が経つにつれ、次第に選択肢として現実味を帯びてきた。

そもそも「誰そ彼の凪」は、誘い込んだ者の想いの強さというエネルギー源を得て、満足したら出ていく。

自分のそれが満ち足りるものかはわからないものの、既にPから吸収したエネルギーが多少ある。

完全に取り戻すことにはならなくとも、今よりもずっといい状態で事態は終息するのではないか。

雨のように降り注ぐ彼の者の攻撃を紙一重で躱し続けてきた芳乃だったが、ついにその時は訪れる。

「くっ―――」

下段から突き上げられた掌底を薙刀の柄で正面から受けた衝撃で、薙刀が宙を舞う。

「誰そ彼の凪」その一瞬の隙を見逃さなかった。

体勢を崩した芳乃に、間髪入れず回し蹴りを放つ。

両の手で辛うじて護ることはできたものの、芳乃の体は大きく後方へとのけ反る。

反撃の一手を打とうと立て直した芳乃は、飛ばされた得物を探す。

薙刀は―――、どこに―――。

宙を回った薙刀は、無情にも、「誰そ彼の凪」の背後の地へと突き刺さる。

「ここで、打ち止めというわけです、ね」

芳乃は乾いた笑いを浮かべる。

結局、自己犠牲で解決してしまうのか。

彼女の脳裏には、先日の肇の言葉が蘇っていた。

『自分一人幸せにしてやれない人に、たくさんのファンを幸せにすることなんてできません!』

結局、「あいどる」としての道半ばにいる自分には、まだ誰かを、さらには自分を救うことなどできなかった。

黒く沈んだ空を見上げる。その瞳からは一筋の雨が流れた。

「誰そ彼の凪」は一歩、また一歩と芳乃へ歩み寄り、そして目の前へと辿り着く。

振り上げられた拳に、芳乃はゆっくりと目を閉じた。

「まだだろ!」

響く声に芳乃はハッと目を開く。刹那、自分の横を駆け抜ける男の姿が映る。

「そなた・・・!」

芳乃が言い切る前に、Pは「誰そ彼の凪」の腕にしがみつく。

「捉えたぞ、『誰そ彼の凪』ッ・・・!」

Pは不敵に笑って見せる。

「そなた、すぐに離れて―――」

「取り込めよ」

ニヤリと笑うPの視線が「誰そ彼の凪」とぶつかる。苛立ちを浮かべた彼の者は、自分にしがみついた腕をすぐさまどす黒く液化した自分で覆い始める。

「そなたっ―――」

芳乃が声を上げた刹那、「誰そ彼の凪」の形が崩れる。収縮が始まり、それはやがて、見覚えのある姿へと変わる。

―――先ほどまで彼の者に立ち向かっていた、一人の少女の姿に。

「今だ!芳乃!やれ!」

Pは聞かされたいた。「誰そ彼の凪」の話をされた際、その特性を。

『取り込む者の者の最も大切なものの姿を模して誘い込む』、彼はそこに賭けた。

芳乃が「誰そ彼の凪」の核へと向かったすぐあと、彼は自分から結界を抜け、芳乃を追った。

そして、自分の姿をした敵と戦う芳乃の姿を見た。

どこまでも非力で臆病な自分の前で、彼女は勇敢に戦い続けてくれた。

そんな彼女のことを考えると、震えは自然と止まっていた。

「誰そ彼の凪」に飲み込まれ始めても尚、自分の名を呼び続けるPの姿に芳乃はくすっと笑い、

「一切合切の闇を、薙ぎ払ってみせましょー」

と呟き、宙を舞う。

ひらりと「誰そ彼の凪」の背後へ舞い降りた芳乃は、目の前に突き刺さった薙刀を抜き取ると、そのまま反転し、

「てやっ―――」

一閃。白く輝く薙刀の刃が、一筋の流星のように走り抜け「誰そ彼の凪」を2つに切り裂く。

ぼろぼろと崩れ去る「誰そ彼の凪」から零れ落ちた赤い粒子は、空に舞い、やがて白く燦然と輝き始める。

「まるで夜空に輝く星々のようでしてー」

芳乃が辺りを見渡し、にこにこと微笑む。

「ああ、本当に・・・」

Pも一緒になってぐるぐる回った。真っ黒に染まった世界の隅は、いつの間にか白み始めている。

「・・・夜明けが近いようですねー」

芳乃の見つめた彼方を追う。闇に慣れた目にはいささか眩しすぎて、思わず瞳を閉じそうになる。

「すごい夢だったな」

「・・・ええ、本当にー」

子供のころにも観たことないような、突拍子もない夢。朝起きてもまだこのことを覚えていられるのだろうか。

Pが少し名残惜しんでいると、芳乃がPの袖をくいくいと引く。

「ねーねーそなたー」

「ん?なんだ芳乃」

Pは芳乃のほうを向く。

刹那、芳乃はPのネクタイを軽く引き寄せ、背伸びをする。

 

 

 

そうして、最高に五月蠅い目覚ましが鳴り響いた。

 

 

【エピローグ】

 

 

「なんだか幸せな夢を見てた気がするんだけど」

霞がかかったようにその内容を思い出せず、頭を掻きながらPは事務所のドアを開く。

「おはようございます」

いつも通りのあいさつ。

「おはようございます、Pさん。体調はいかがですか?」

ちひろがひょこっとデスクの向こうから顔を出す。

「Pチャン!もう大丈夫?これから行く来週の収録の打ち合わせ、ちょっと付き合ってほしいにゃ」

ソファで本を読んでいたみくも、Pの姿を見るなりぴょんと立ち上がって手を振る。

「体調?・・・っ!」

今朝の夢が次第に蘇ってくる。頭の中にかかった靄が晴れていく。

「おはようございますー」

背後のドアがかちゃりと開き、見慣れたリボンと着物姿の少女が顔を出す。

「芳乃!」

Pはすぐさま芳乃の肩をつかんで、耳元で囁く。

「あの、今朝の夢って・・・」

彼女は悪戯っぽく、そして世界一愛しい笑顔でPにこう囁いた。

「あまり過度なスキンシップは良くないでしてー」

 

 

-fin-

 

 


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