郷原宗司は交際したい   作:沖縄の苦い野菜

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第十二話 空の中身

 

 

 キーボードを叩く手を止めて、大きく伸びを取る。屋上を吹き抜ける風も、近頃は骨身に染みる冷たさになってきた。身体の芯から凍えていくような、そんな感覚が襲ってくる。手を止めたのも、寒さで指先がうまく動かなくなってきたせいだ。

 

「……まだ、あるんだけどな」

 

 作業を続けるなら、比較的暖かい教室か、あるいは生徒会室にでもお邪魔してみるか。

 前者は彼としては有り得ない。教室に彼がいるだけで、周りの空気が妙に重苦しくなるのだ。まだ生徒がほとんど集まっている休憩時間ならまたしも、今は放課後。教室をたまり場にしている数名が居たとしたら、彼が教室の前を通れば会話を止めて、中に入ればそそくさとどこかに足を向けることだろう。まるで地上げの常套手段みたいで、意地なった心が教室に行くことを拒否している。

 

 生徒会室は悪くはないのだが、彼にとってあの空気というのはどうにも馴染めないものがある。というより、行ったら行ったで何かに巻き込まれて仕事にならない、という可能性の方が高い。それならまだ、実家の私室の方が集中できる――という保証もない。生徒会室も私室も、作業に集中する環境としては同じくらいにどうしようもない。

 

 かといって、外部のカフェを利用するのも気が引ける。今取り扱っているデータは、人目につけてはいけない類のものだ。後ろからの人目を気にしながらの作業というのも苦行である。

 

 学園というのは、ある意味で彼にとっての聖域だ。

 この場所に襲撃を掛ける馬鹿は当然いない。どこからか息のかかった生徒に対しての心配も、今までの悪評のおかげで負担が大きく減っている。そういった目で見られればあからさまにわかる。加えて、変に肩肘張る必要のない空間だ。威勢を張るべき相手がいないというのは思いの外、心が軽くなるものだ。

 

「そろそろカイロ買っとかないと」

 

 学園のベンチも屋上も、寒さという意味ではあまり変わらない。一人になれる空間という意味では、屋上の方が圧倒的に集中できる環境だ。入口から一番遠い位置に陣取れば、盗み見される心配もなく、誰かが来た時もすぐにわかる。だから彼は、作業をするときはいつも屋上で事を済ませる傾向がある。

 

 ――ガチャ、と風に乗って扉の開く音が聞こえた。パソコンを半分閉じて、入り口の方に素早く視線を向けてみれば。

 

「――何でこんなところに?」

「……それはこっちのセリフよ。こんな寒空の下で、パソコン広げて何やってるの?」

 

 どうにも頼りない足取りで、入ってきたのは四条眞妃だ。小さなツインテールを風に揺らしながら、知った顔を見たからか宗司の方に近づいてくる。

 

「これか? 資料作ってるだけだ」

「資料? あんた、生徒会じゃないでしょ」

「これはシノギの分だ」

「……あぁ、あんた会社経営やってるんだっけ」

「株主になって色々せっついてるだけだけどな。……というか、何で知ってんだ?」

「海外にもかなりの規模で手を伸ばしてるでしょ? パパから聞いたわよ。なかなか手強いって」

「……今は、それほどやっちゃいねぇよ。もう目標も到達したから、現状維持。要らねぇところは全部売ったしな。というか、四条に比べたら月と鼈だろ」

「ほとんど個人でこれだけやってるあんたが異常だって言ってんの」

「異常……ね」

 

 異常、と言われても宗司にはピンとこない。彼にとっては、ただ自分にできることをやっているに過ぎない。できることをやって、できないことには手を出さない。それを繰り返してきただけである。

 

「出来ることやり続けただけだ。出来ないことには手を出さない。俺がやってきたのは、それだけだ」

「簡単に言ってくれるわね。出来る範囲ってのはともかく、出来ないことに手を出さないって、思いの外難しいのよ。出来なくても、やらなきゃいけない時も出てくる。そうなる前に手を引くのって、かなり勇気が必要なの」

「……そんなものか? 固執しなきゃいいだけの話なんだが」

 

 屋上の手すりに腰掛けて、彼女はジッと宗司のことを見る。見つめるだけで何も言葉は出してこない。少し待てば何か言うだろう、と考えていた宗司は沈黙を貫くが、しばらく経っても風の音がむなしく響くばかりだった。

 

「……さっきから何だ」

 

 結果、先に口を開いたのは宗司からだった。

 彼が四条眞妃に視線を向けてみれば、してやった、と口元を緩める姿があった。

 

「別に? ただ、不思議だったのよね」

「不思議?」

 

 細い風が、二人の間を通り抜ける。笛のように音を立てながら、それはいつの間にか宙に溶けてなくなった。

 彼女は世間話でもするように、あるいは今日の天気でも聞くように。

 

 純真な瞳を彼に向けたまま、その口を開く。

 

「あんた、何で極道にこだわっているの?」

「――あ?」

 

 あまりにも唐突な質問は、宗司の頭の中に不意打ち気味の衝撃を走らせた。死角からタックルを受けて転がされたような、三半規管が狂っていく気持ち悪さが、頭の中と胃を渦巻くように刺激する。

 

「だってあんた、極道やらなくても食っていけるじゃない。むしろ、お金持ちになるなら極道よりそっち本業にした方がよさそうだし。難しいこと考えずに、一般人として振る舞えば、あんたのお目当てとのしがらみだってなくなるわよ?」

 

 宗司が極道でなければならない理由。それは四条眞妃がいくら考えてもわからないことだった。

 何せこの男、会社の運営、株のやりくりだけで数千億を平気で稼ぐ男だ。それだけ稼げるのに、『郷原会』の会長の座が魅力的に映るものなのだろうか? 普段の稼ぎの足枷となる称号に、四条眞妃はデメリットの方が大きいと考える。

 

「――それにあんた、悪人には致命的に向いてないわよ」

 

 見透かすような瞳が、宗司の視界に焼き付くように映り込む。見ているだけで、眼孔を通して頭の中に侵入されるような、強い異物感が襲ってくる。実際はそんなことない筈なのに、錯覚が宗司を苛める。

 

「――俺は、悪人の方が性に合ってる」

「そんな弱った雀みたいな声で言われたって、誰が信用するのよ」

 

 絞り出した声も、四条眞妃はすぐさま一刀両断してみせる。宗司はこれに顔をしかめるが、どこか呆れたようで瞳を細かく揺らす彼女を見て、視線を空に逃がした。

 

「合ってるさ。俺の家系は、代々悪人の親玉を貫いてきた。蛙の子は蛙、っていうだろ?」

「あんたが悪人になる必要あるの? 他に向いてそうなのがごまんと居そうだけど」

「単なるチンピラなら、ごまんと居るだろうな」

 

 いや、うちには3万ちょっとしか居ねぇけど、と冗談のように口にする。呆れたような視線が横顔に突き刺さるが、彼はそれを無視して続きを紡ぐ。

 

「でもな。必要悪だけは、一握りの人間にしか出来ねぇ苦行だ」

 

 例えばの話だ、と宗司は右手の親指と人差し指を立てて銃の形を作る。

 

「あるところに壊れかけの船があったとする。乗客は百人だが、百人乗せたままじゃ重量オーバーで浸水していき、港に着く前に沈んでしまう。あと十人ほど降りれば、船の浸水も止まり、無事に港にたどり着けるだろう。そんな時に、その十人を誰が、どうやって決めるのか? 早く降りなければ浸水が進み、さらに多くの人間が降りなければいけなくなる。そんな時に必要なのは何か」

 

 バン、と吹けば飛ぶような口調と共に、右手を傾けた。

 

「必要なのは、その十人をさっさと海に叩き落とす冷血漢だ。殺してでも、船から突き落とすクソ野郎が必要だ。じゃなきゃ全員、船と心中だ。誰がやるのか? ――俺たちクソ野郎共に決まってる」

「そんな都合よく人数で浸水が止まるワケないじゃない」

「例え話だつってんだろ」

 

 重々しく決めたつもりが、彼女の軽口によって台無しになった。話の腰を折るような指摘に、一気に気力が削がれてしまった。

 

「……まぁ、あれだ。『郷原会』の会長に求められるのは、必要悪を貫けるだけの強さだ」

「あんたじゃ無理ね。さっさと真っ当な道に戻りなさい」

「俺にとっての真っ当は極道だ。言われなくたって、看板背負う覚悟はガキの頃から出来てる」

「ならさ」

 

 四条眞妃は動かない。

 平坦な声のまま、指摘するように鋭く言葉の刃で切り込むのだ。

 

「何であんた、そんな泣きそうな顔してんのよ」

 

 四条眞妃は容赦しない。もともと、手心を加えるような性格でもない。相手が本気で弱っているとしても、叱咤激励を飛ばして嫌われてでも立ち直らせる。損な性格と自覚していても、それを貫き通すお人好しと芯の強さが合わさった、そんな人間なのだ。

 

 だから、言葉に加減を一切しない。表情も冷たく突き放す様に取り繕った。

 

「――俺が、泣きそう? ……テメエ、ちゃんとその目見えてんのか?」

「失礼ね。私の目に狂い何てないわよ。そうじゃなくて」

 

 四条眞妃は腰を上げて立ち上がると、座って空を見上げていた宗司の顔を上から覗き込むように移動する。そして彼女は意地を張るように、力強い視線を激突させる。

 

「あんた、どこまで本気なワケ?」

「一から十まで本気に決まってんだろ。俺が今まで、どんだけ血反吐出るような思いで苦労してきたか、テメエは知らねぇだろうけどな。俺は、本気で『郷原会』会長の座につくために、力を尽くしてきた」

 

 事実だ。これまでの人生、その半分以上を極道に注ぎ込んできた男の言葉は、重みが違う。身体を地に引っ張る、強い重力のように圧し掛かってくる。

 

「ずっと爺の背中見て育ってきて、憧れた。あんな男になりてぇ、って思った。背中で語って、その背中にみんながついてくる。あの姿は――カッコよかった」

 

 遠いところを見る瞳は、既に彼女のことを捉えてはいなかった。こことは別の場所を、網膜の裏に投影でもしているのか、彼はどこも見ていなかった。

 

 今にもどこかに行きそうな遠い目をしながら、まなじりは緩やかに垂れて、口元は複雑な模様を結ぶ。一文字に見えて、少し歪んでいる。その歪みは笑っているようにも、噛み締めて何かに耐えているようにも見える。

 

 

 

「私の目に狂いはないの」

 

 ――はぁ、とため息が彼の横顔をかすめて通り過ぎる。

 宗司もそれには気づいていた。射抜くような視線で覗き込まれていることも、どこか責めるようにしかめられた表情にも。それでも、彼は遠い場所を見続ける。

 

「あんた、ちっぽけね。子どもみたいにちっぽけ」

 

 宗司の頭の上に、小さな手が乗せられる。

 

「外側ばっかり成長して、中身は小さいままじゃない」

 

 乗せられた手が、髪を梳くように柔らかく動く。

 その様は、まるで寝ている我が子を撫でるように、慈愛に溢れていた。

 

「次の日曜日、予定あけときなさい。会わせたいヤツが居るから」

 

 そっと手を離せば、彼女はさっさとそれだけ言い残して、屋上を後にする。

 彼女の背中を追うようにそよ風が吹くが、間に合うことなく屋上の入り口に衝突し、空に流れて霧散する。

 

「……何、わかんだよ」

 

 空を見つめた瞳は、力なく無機質に、ただ一点を見つめ続ける。

 

 頬を撫でるようなそよ風が、暖かかった横顔を冷やした。

 

 





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