それではさっそく、本編をお楽しみいただければ幸いです
「あー……」
ベンチに背中を預けて、空を仰いでだらしのない声を発する。少しずつ移動するいわし雲と群青が広がる空を見ていると、時間と共に嫌なことを忘れられた。
郷原宗司と龍珠桃の喧嘩というのは、何も今に始まったことではない。いつも、顔を合わせれば何かと憎まれ口を叩き合う仲だった。口では何と言っても、お互いに本気で嫌い合っているわけではない。お互いにただ意地を張って、挨拶のように口にするのだ。
そんな関係が崩れ去ったのは、一年ほど前の話。宗司は今でも、その日のことを鮮明に覚えている。
「俺は、何も間違っちゃいねぇ筈なのにな」
強いて言うのであれば、己の未熟こそが最大の過ちだった。
守ろうとして体を張っても、守りたかったものは気づけばその手からこぼれ落ちていた。
「……覚悟の決め時、見失っちまって」
「覚悟ねぇ。何の覚悟よ、それ」
トスン、と遠慮無用とばかりに彼の隣に少女が座り込む。怠そうに宗司が視線を向けてみれば、四条眞妃が我が物顔でそこに居座っていた。
「何の用だ?」
「別に。見知った顔だったから、気になっただけよ。で、覚悟って? また極道関係?」
「……いや、極道じゃねぇ。男として、な」
「そ。なら、さっさと覚悟固めなおした方がいいわよ。待つばかりじゃ――私みたいに好きな人と友達をいっぺんに失うわよ」
ズシッと腹の奥底から引っ張られるような実感のこもった言葉だった。言った張本人が顔に虚無を張り付けるものだから、宗司も返す言葉が見つからない。下手に触れない方がいいだろうと、宗司は相手の闇を避けて口を開く。
「言っただろ、覚悟の決め時を失った、って。もう遅いんだよ」
「同じ穴の狢ってわけねー」
「……さっきから、いちいち吐きそうなくらい実感こもった言葉だな」
「まあねー、経験者は語るわよ」
「重ぇ……」
――何でそこに着地するんだ……、と宗司はため息をひとつ吐き出した。
この空気から脱するには、何とか弁明をするしかないだろう。四条眞妃とは事情が違うんだ、と。
「俺は、別に痴情のもつれじゃねぇよ」
「痴情とか言うな」
「……守ろうと体張ったら、どっちも手からこぼしちまっただけだ」
ツッコミを敢えて無視して、宗司は簡潔に語る。それでも、詳細には踏み込まない。恥を触れて回る趣味は、彼にはないのだ。
「何それ。やっぱ同じじゃない」
「どこがだよ」
「全部うまくいってない感じが」
「別にテメエは仲悪いわけじゃないだろ」
先日話し合った別れ際。四条眞妃と彼女を迎えに来た二人、件の恋敵と想い人との仲は、傍目からは亀裂が入っているようには見えなかった。
そのことを指摘すれば、四条眞妃は「わかってないわねー」と口を開く。
「惚気とか、あの二人が主体に話して私が聞き役のときに笑うとね、嘘ついてる気分になるんだー。私、別に悪い事してないと思うんだけどねー」
ズシリ、と今度こそ内臓が下に引っ張られるような重圧を覚えた。事情が違うと説明しようとすれば、ドツボにはまった。もうどうアプローチしても着地点同じじゃないのか、と宗司の目から徐々に生気が失われていく。同じくらい、彼女の目からも生気が失われている。
「……気持ち、痛いほどわかるわ」
「やっぱりー?」
「自分にとっての最善と筋ってのは、どうしようもない時ほど、反対側にある」
「ほんと、そのとおりねー。私、好きな人か友達かの二者択一よ」
「俺は不義理通して守りたいもの拾うか、筋通して守りたいもの捨てるか、二者択一だった」
「あんたも大変ね」
「お互い様だろ」
どうしようもない鬱屈とした空気がこの場で沈殿する。お互いに、口を開けば大変なエピソードしか出てこない。傷の舐め合いというよりは、お互いに自分から傷を開いて膿を出している様相で、ますますどうしようもない。
「――どうやったらそこまで重い空気になるんですか」
そんな空気を流す様に、新たな風が舞い込んだ。宗司が首をベンチの背もたれに垂らしてみてみれば、黒い長髪で片眼を隠した男、石上が立っていた。……声とは裏腹に、その目がキラキラと期待に満ちているのは、気のせいだと思いたい。
「石上か。回れ右した方が精神のためだぞ」
「そうね。二人して愚痴吐くだけの地獄よここ」
「ほんとどうしてそんなことに……。じゃあ、ますます聞き専門が必要でしょう? 僕でよければ付き合いますよ」
話し合いに石上が加わった。三人寄れば文殊の知恵という。もしかすれば、この話し合いの着地点を、彼がどうにか修正してくれるかもしれない、と。
宗司は「じゃあ」と先手を打つ。
「石上はどう思う? 別に恋愛感情のない女の尊厳を守るために娶るか、そんな不誠実を働かないために女にケジメつけさせるか。どっちが正しいと思う?」
「いきなり重すぎませんか!? ほんとにどんな状況なんですかそれ」
「女とは、まぁ兄妹みたいなマブだと思ってくれ」
「もっと重い!」
「私は後者ね。そんなの、その場しのぎじゃない。そういう感情もないのに娶るなんて、それこそ屈辱に決まってるわ」
石上が足踏みしているうちに、四条眞妃はさっさと自分の答えを提示した。それは女性の視点から考えられた答えだ。
「……ちなみに、尊厳ってどの程度のものですか?」
「俺の顔面の傷より重いぞ」
「やっぱり娶るわ。女がそんなことになったら貰い手なんて居なくなるじゃない。男らしく責任とりなさい不調法者」
「えぇぇぇ――!? さっきと真逆!?」
「当たり前よ! こんな厳つい傷より重いなんて、女としての命消し飛ぶレベルじゃない。なら、最初は嘘でもいいわ。でも、未来には真実にしなさい。それが責任を取るってことよ」
最もらしい言葉を並べて手のひらを返した彼女に、石上と宗司は微妙な視線を向ける。しかし、その視線に対して強気に睨み返されれば、もう何も言う気にはなれない。
「……僕も、娶ります。もともと兄妹みたいに親しかったんでしょう? なら、好きになれると思います。相手の尊厳守るために、男の見せ所ってやつですね」
「そっか。……そっかぁ」
二人の答えを聞いて、宗司は弱々しく声を上げて――
「俺、クソ野郎じゃねえか」
前のめりに倒れ込むように、腰と首を曲げて俯いた。その落ち込み具合ときたら、宗司の周りだけ夜の帳でも張っているかのようだった。
「えっ、宗司さんもしかして女にケジメとらせたんですか!?」
「はぁ――!? 何、最低なことしてんのこの不調法者! 今すぐにでも責任とって娶ってきなさい!」
「そんなコロコロと、男が自分で決めたこと曲げて堪るか! 大体、今も別にそういう感情抱いてねぇのに――」
「だったら、相手を好きになる努力から始めなさい! それすら怠るというなら、どうしようもない恥知らずよ!」
「そうですよ宗司さん。相手を傷物にしたんなら、責任くらいとりましょう? 僕も応援しますから」
「お前ら急に結託しやがって……」
「で、相手は誰よ?」
言葉のバットでタコ殴りにされた後、四条眞妃はさっさと宗司に問い詰める。嘘は許さない、と彼女の鋭い視線が突き刺さってくるのが、見ていなくてもわかった。
「それ聞いてどうすんだよ」
「決まってるわ。恋のキューピッドになってあげる。だからあんたも早く話しなさい」
「……めちゃくちゃだな」
「早く」
(うわ、ツンデレ先輩本気だ)
有無を言わせない気迫。間髪入れない言葉。
これに、宗司はしばらくの沈黙を保った。本当に、今からどうこう蒸し返していい話なのだろうか、と。
どうすれば、筋を通しながら責任を取れるのか。考えて、考えて――二人との会話を思い出した。
「……龍珠だ」
「まだ同じ生徒ってだけマシね。よし」
「龍珠先輩って……えぇ? ちょ、どう攻略するんですか? 手のひら返すような男絶対に嫌いでしょあの人」
「別にいいのよ。後から好きになって告るなら、順序が逆になっても関係ないわ。手のひら返したんじゃないの。後から惚れちゃって、男らしく告白するの」
「うわ詭弁」
「こういう理屈ってのは、納得できればいいのよ」
うんうん、と一人頷く四条眞妃。
そういうものかな、と懐疑的ながら一応は納得の姿勢を見せる石上優。
「宗司さんが乗り気なら、僕も協力しますよ。龍珠先輩とあんな険悪な雰囲気、勘弁してほしいので」
「お前最後が本音じゃねぇか。……まぁ、そうだな」
宗司は顔を上げると、空を見ながら大きく深呼吸をする。目を閉じて、心を落ち着ける。
――覚悟を、決める。
「……もし協力するなら、約束しろ。今から話すことは、他言無用だ。口外したら、命無いと思え」
「言われなくたって、別に言いふらす真似なんてしないわよ」
「物騒ですけど、まぁ。……会長には話していいですか?」
「いや、やめろ。御行まで巻き込むな。何とか誤魔化せ」
「えぇぇ……」
「今から話すのは、『郷原会』の最重要機密だ。……わかったな?」
「……僕、降りていいですか」
「今更尻込みするんじゃないわよ不調法者」
「……はい」
宗司は周りに人が居ないか、周囲を見回す。奇跡的というべきか、周りには下校する生徒も歩いている者もいない。お誂え向きの状況だ。
「今、『郷原会』は次期会長を決める時期に入ってる。詳細は省くが、俺はあと二つ条件をクリアすれば、次期会長としての座に就くことができる」
「へぇ。じゃあ、あんたが見回りしてるのも?」
「そこは関係ない。下手に首突っ込むな」
「はいはい」
「すっごい大事ですけど……え、それと今の話、何が関係あるんですか?」
「いいか、よく聞け」
宗司は、二人に説明する。自分に出題されたあと二つの課題のことを。これを高校卒業までに解決できなければ、次期会長の候補から除外されることを。
重い口調で、ズシリと頭に圧し掛かる言葉の数々。
石上は聞いていくうちに青ざめていき。
四条は聞いていくうちに、表情を険しくして、最後には「あちゃー」と額に手を当てた。
「――と、いうわけだ」
「ちょ、そんなの龍珠先輩振り向かせるの無理に決まってるじゃないですか!? どんだけ言葉取り繕っても、その条件とやらのために無理して選んでるようにしか見えないですよ!」
「加えて、ケジメのこともあるわね。あー、もう。何でそんなグチャグチャになる前にさっさと覚悟決めないのよ!」
「……耳が痛ぇよ」
それでも、そんな話を聞いても。
四条眞妃は真っ直ぐ宗司の目を射抜き、ベンチから立ち上がる。強気で、自信満々な様子を崩さず「任せなさい」と胸を張って言い切った。
「この私と、ついでに石上に任せなさい。必ず、あんたが龍珠桃を好きになるようにしてあげるわ」
「僕、ついでですか。……乗りかかった舟ですからね。僕だって、全力で手助けしますよ」
四条眞妃と石上優は、ベンチにまだ座っている郷原宗司に手を差し伸べる。
宗司が二人の顔を見てみれば、憎めない顔をしていた。どこから湧いてくるのか、自信に満ちた表情で、瞳は真っ直ぐと、輝いている。
「……あぁ」
郷原宗司は、二人の手をとった。どちらも、小さくて、握れば壊れそうなほどか弱く思えたが。
握り返されてベンチから立たされるときには、不思議な引力が働いた。まるで羽のように軽く、ベンチから引っ張り上げられる。どこからそんな力が湧いてくるのか、宗司にはわからないが。
その力は、何よりも心強かった。
「よろしく頼む」
「任せなさい」
「任せてください」
ここに、龍珠桃攻略班が結成される。
思惑が交差するように擦れ違うが。
それでも一歩、彼は確実に前に進むのであった。
(……会長にどう説明しよ)
そんな三人が一通り話を終えて解散した後。
石上はひとり頭を抱えて、生徒会室に戻っていくのであった。
思惑は交錯する。
四条眞妃の二人称「アンタ」→「あんた」に修正(2020年5月23日)
※「あんた」が正解です。「アンタ」は誤字