俺は多分間違えてない 作:まっuk
「なっ…え?は?」
押し当たる柔らかい感触がアミズの姿をしたセムレグの小さい唇だと解ると俺の脳は静止した。
「なっなにするんだセムレグ!」
俺の顔を両手で押さえて唇を合わせる戦争神から、あわてて距離を取る。
「えっ?男性ってこういうのされると喜ぶじゃない?こうしてくれたら頑張ってくれるかな~って?女神の口付けよ?喜んでね」
セムレグがそう言うと、さっきまでの真面目な雰囲気は一気に霧散した。
「意味解らんぞ!?第一お前は女神じゃないだろ!一番最初の時は厳ついおっさんだったじゃないか!?」
たまらず俺は絶叫する。
セムレグが最初、俺の前に現れた時は皮の鎧を着た古代の兵士の姿だった。
詳述すると髭をたくえわえた白髪のおっさん。
喋り方だって舞台男優の如く逞しい声で、これぞ戦争神という風格があったのを覚えている。
「あら、私は神よ?定まった形がないのはナルアだって知ってるでしょう?それはナルアの頭が私の事を戦争の神だからって偏見で作り上げた幻想なの、それに今の私はアミズちゃん!」
ニッコリ笑ってウインクするセムレグ。
その顔は完璧に幼い頃のアミズである。
「いっいくら、今の姿が少女の頃のアミズだからって喜べるか!最初の姿が頭に過る!」
服の袖でセムレグの唾液が付いた唇を擦ると、すぐに摩擦熱で熱くなった。
(あーあ何でこんなこんな事したのコイツ?)
「ひど~い、私は大好きなナルアの為ならどんな形にもなれるのに、このアミズの姿は不満なの?」
言葉も発するのが嫌なので頭の中でそう考えると、セムレグは勿論反応した。
この夢の中では全ての思考は筒抜なのだ。
「不満って訳じゃないが…その姿は今でも俺の大事な思い出なんだ。変に茶化さないでくれ、それにこんな時のアミズと口付けをしたなんて思うと罪悪感を感じてしまう…まだ子供じゃないか」
「良いじゃない、これ夢よ?」
俺の言葉にキョトンとした顔になる戦争神。
「それでもだ」
「変なナルア…じゃあ他の人なら良い訳?」
「たとえば?」
「ナルアお気に入りの娼館の娘とか?」
「はっ?お前、そんな所も見てたのかっ!?」
「当たり前じゃない。私はナルアを祝福した時からずーーーっと貴方の事を見ているわ。勿論、ナルアがそういうお店で春を買っている時もよ?ナルアってああいう娘が好みなのね、アミズに教えて上げようかしら?」
「聖女にそんな事教えるなっ、でも…できるのか?」
「何を?」
「そのぉ…あの娘の姿になれるのか?」
「フッフ~ン?なぁんだ…何だかんだ言いつつ、やっぱり興味はあるんだぁ?いいわよ、成って…」
セムレグは俺の卑しい要望にニヤニヤと笑うが、その声は不意に中断された。
「…上げようかと思ったけど時間切れみたいね。」
そう言って神は真顔に戻る。
「なんだ、もう朝か」
時間切れ…俺の目覚めが近づいているのだろう。
「うーん、違うみたい、誰かがナルアを起こそうとしているわ、まぁ、娼婦の姿はまた今度ね」
セムレグがそう告げると、回りを囲んでいた景色が薄れていく。
父さんの釣具も、母さんお気に入りの花瓶も、目の前のアミズの顔をしたセムレグも…俺の家全体が水に絵の具を足らした様にぼやけて…
「また近い内に会いに来る、それまで良い夢を!我が勇者、ナルア・アズナン!」
最後にセムレグはそう言うと、一番最初の時のおっさんの姿で消えていった。
多分、嫌がらせだと思う。
───
「──さい」
俺を起こす声が聞こえる。
「─きて下さい」
目の覚める直前の微睡みの中、誰かが俺の肩を揺すっているのが解る。
「起きて下さい、ナルア」
俺を呼ぶ女性の声に瞼を開いた。
「アンセヴァ…?」
俺を起こそうと体を刺激していたのはエルフの少女アンセヴァだった。
だが、その佇まいを見て俺はまだ夢を見ていれば良かったと後悔する。
「ちょっとまて!どうして、そんな格好なんだ!?」
俺がそう声を上げるのも無理はない。
この小屋にいつの間にか入り込んでいたアンセヴァの体は、木の繊維で紡いだであろう薄い布切れ一枚しか纏っていないのだ。
多分、エルフの下着だろう。
そんな下着一枚の、扇情的な格好をした女のエルフがそこにはいた。
「勘違いしないで下さいね、これは別に貴方を好きだからとか、助けてもらったお礼なんかではありません。長に言われたから来たんです。責任を取る為にこうしているのです。」
「責任…?」
「はい、貴方を我々の仲間にしてしまった私の責任です。長も言っていたでしょう?責任は誰が取るんだと?貴方は先程、私達の力になると言ってくれました。しかし、それでは一方的な授与関係でしかありません…ですから、我々エルフは貴方が私達の力になる見返りとしてこの私、アンセヴァを差し出します。これから生涯をかけて貴方に従い、尽くしましょう。そして、どうかこの身にお情けを頂戴したく存じます…」
淡々と、それでいて丁寧に言葉を紡ぐアンセヴァ。
そんな彼女の金髪はこの薄暗い小屋の中でもくっきりと明るく映えていた。
「つまり、夫婦って事か?」
俺は彼女の言いたい事を要約する。
「…その辺を濁してたのに、そうハッキリと言わないで下さい。そうですよ、私達エルフは部族主義、人間のナルアでも私と家族になれば皆は受け入れてくれる筈です。それにナルアだって無償の協力より何か対価があった方が良いでしょう?そうだ、言い方を変えます。私の身体を貴方に上げます。だから、私達エルフを助けて下さい、そして絶対に裏切らないで…では」
アンセヴァはそれだけ言うと、その薄い布切れを脱ぎ始めた。
繊維でできた下着が捲れ、彼女のスレンダーな身体が露になる。
「…川で身は清めてきました。」
「まて!まて!まて!落ち着け、アンセヴァ!」
俺は大声を張り上げて彼女の動きを制した。
アンセヴァといい夢の中のセムレグといい、展開が急過ぎて理解が追い付かない。
どうやらあの老齢のエルフはアンセヴァを宛がうから、俺がエルフに力を貸しているという形にしたい様だ。
そうすれば俺も対価を得て働く事になるので、裏切る可能性も低くなると見積ったのだろう。
言わば報酬と枷の二つの意味合いが少女にはある。
だからあの時、長老は俺とアンセヴァの顔へ交互に視線を送っていたのだ。
彼女にその身を捧げさせる為に。
そしてアンセヴァは責任を取ると宣言し、俺の小屋に押し掛け女房の如くやって来たという訳だ。
「どうして止めるんですか!こっちは覚悟してきたと言うのにっ!」
俺が止めに入ると何故か声を荒げるアンセヴァ。
「もし俺がキミとそういうコトをしたら俺がキミを助けた意味が無くなる!力を貸すからキミを抱く、そんなの無理矢理と変わらない!アンセヴァは別に俺が好きではないんだろ?」
「はい!貴方にエルフの力になって欲しいからこの身を捧げる、そういう所存です!」
元気に即答する。
そんなにハッキリ言わなくてもいいと思うが…。
「なら、そういうコトは本当に好きな人の為にとっておきなさい!」
取りあえず俺は、極めて一般的な常識を彼女に説いた。
「何故です?私の顔は好みではありませんか?肉体関係から始まる恋愛もあるでしょう!もしかしたら数年して、私はナルアの事を好きになるかもしれません。」
だが、眼前のエルフの決心は固く下着を脱ごうとする手を止めない。
「いや、そう言う事じゃなくてだな…エルフの夫婦っていうのは基本的に一度決まるともう変えられないんだろ?例え配偶者が死んだとしても」
「よくご存知ですね?」
エルフの風習について知っていた俺にアンセヴァは少し意外な顔をした。
情報源を知ったら彼女はきっと悲しんでしまう。
この事を教えてくれたのは神征に参加していたエルフの弓兵なのだ。
つまり、彼はもう死んでいた。
「そうです、ですから私はナルアに一生を捧げます。貴方が私達を助けるその対価として、そして私が貴方を仲間にした責任として…!」
「なら尚更やめておけ、俺は人間でアンセヴァはエルフ。どう考えたって俺の方が先に死ぬ。そしたらその後の数百年、キミは未亡人として暮らさなきゃいけなくなる。種族も違うから子供も残せないだろう?」
「それは、そうですが…」
「それに俺は何も最後まで君達エルフと運命を共にしようとは考えていない。キミにその身体を捧げられても迷惑だ。」
「…どういう事ですか?」
俺がそう言うとアンセヴァは途端にそのサファイアの様な相貌を尖らせた。
連動する様に彼女の長い耳もピクリと動く。
「やはり人間ですか…結局は約束を違えるのですねっ!」
半裸のアンセヴァは口を広げ、今にも噛みつきそうな勢いで唾を飛ばす。
人間よりも発達したエルフの犬歯がチラリと見えた。
「違う!違う!ちゃんと君達の事は助ける!何とかその算段を建てている所だ!」
「では運命を共にしないとはどういう事です!?自分だけ逃げるつもりですか!?」
アンセヴァは色白の顔を真っ赤にした。
俺が逃げる、そう思っている。
「俺は確かに君達の力にはなる…なるが、ヤルストヴァ帝国と真正面から闘って勝てる程強くはない。だから俺は君達を安全な地へと移住させる、その手助けをしようと思う。その地へと移り、君達が安心して暮らせる用になったら、すぐにエルフ達の場所から去る。アンセヴァだって人間と一緒に住むのは嫌だろう?」
そんな真っ赤な彼女を宥める様に、俺はずっと考えていた事を口にした。
「我々にこの地を離れろ?そういう事ですか?」
エルフは土地への帰属意識が強い種族。
アンセヴァは思う所があるのか、数段声が小さくなった。
「あぁ、そうするしかエルフが帝国から解放される術はない、アンセヴァ、キミだって解っている筈だ。このまま帝国と戦えば滅ぶしかないって。」
「えぇ、解っています。それ位は…」
さっきの威勢はどこへやら、金髪のエルフは声を小さくしたまま目を伏せた。
そして、弱々しく言葉を紡ぐ。
「正直に言うと私は百年の間、ブドウを作らせ続けられたこの地にそこまでの愛着はありません。ですから、今の現状と照らし合わせ、ナルアが言った事にそれほど抵抗はないんです…ただ」
「長老がどう言うかだな?」
「えぇ、長はこの森で帝国相手に闘いを挑むつもりです。」
───森の民らしく森で戦って死ぬ
エルフの長老が言っていた事を思い出す。
彼自身、この蜂起が集団自殺と変わらないという事は覚悟の上だった。
そして、他のエルフも勿論、目の前のアンセヴァだってそれを理解して人間に立ち向かったのだろう。
そんな熱意を持ったエルフに逃げろと言って、果たして素直に言う事を聞いてくれるか…
「その事については日が明けたら改めて長老と話をしてみようと思う。アンセヴァ、キミも一緒について来てくれないか?」
俺は言葉をそう締めた。
「はい、それは勿論ご一緒します。で、結局ナルアは私に手を出さない、そういう事でいいんですね?」
折角話を上手いこと反らしたのにアンセヴァは再び話題を抱く抱かないという方向へ持ってきた。
自分が責任を取ると宣言した手前、易々とは引き下がれないのだろうが…このままだと本当に抱くぞ?
「だから手は出さないって…しつこいなぁ、そんなに責任感を持たなくても良いじゃないか?俺はちゃんと君達に力を貸すし、裏切らないから…」
「いえ、ただ不思議なんです。自慢する訳ではありませんが、私達エルフは美形です。それが建前と言えど身を許すと言っているのに手を出さないなんて、本当にナルアは紳士的ですね。それとも私に魅力はありませんか?貴方に助けられたのでまだ純潔ですよ?」
アンセヴァは下着を整えながら、不思議そうに呟いた。
「別にアンセヴァに魅力が無いって事じゃない。だが、自分を犠牲にする事なんてしないで欲しい、そんな事をしなくても俺は君達の為に力を使おう。それに身を許すたってキミはまだ子供じゃないか?」
布一枚の下着をはだけさせながら、俺へと迫るアンセヴァの外観。
彼女はまだ少女。
人間でいうとあと少しで青年期へと突入する。
そんな見た目だ。
そんな女の子にもう二十も中頃となる俺は邪な感情など抱けない。
「ナルアは私が子供っぽい、そう言うんですね?」
「子供っぽいて訳じゃないが、まだ若いんだからちゃんと身は固くしなさ…」
「141です」
アンセヴァは俺が言葉を言い切る前に何か数字を呟いた。
「え?何が?」
…何が141?
「だから、私の年齢は141歳です。ナルア、貴方より年上です。」
…そっかぁ、エルフだもんねぇ。
───
「安住の地への移住か…いいだろう」
翌日、まだ鳥のさえずりが聞こえる早朝。
再び長老の家へと脚を運んだ俺とアンセヴァは彼の答えに拍子抜けした。
「えっいいのか?」
帰属意識の強い、それも部族をまとめる族長があっさりと移住の提案に同意したからだ。
「貴様の言いたい事は解る。私だってエルフの種を存続させたいから蜂起したのだ。地と血の重さを計れぬ程、私の天秤は錆び付いていない。」
「長、よろしいのですか?」
恐ろしい程に早い即決にアンセヴァも驚きの顔を隠せない様子。
老人が頑固だという常識は人もエルフも同じらしい。
「アンセヴァ、今の我々にとって大事なのは信仰でも伝統でもなく存続だ。特に若いお前の様なエルフには、もっと広い目で世界を見て欲しい。この森に住むからエルフではないのだ。我々が生きているからエルフなのだ。」
森の賢者、古い書物に記されていたエルフの昔の呼び名を思い出す。
目の前でその考え方を説く長老はまさに森の賢者を連想させた。
「それにまだ認めた訳ではない…ナルア・アズナン、貴様の計画にもよる。話せ、全く検討がなかったのなら当初の予定通り、ここで徹底抗戦だ。」
「あぁ、解った。昨日、帝国の兵士達を殺した時からずっと考えていたんだ。まずはこれを見てくれ」
俺は長老に催促され、懐から地図を取り出し木目の床に拡げる。
「おお、なんと詳細な地図か…!」
「これが地図…百年でこれ程進歩していたんですね。」
「帝国の測量士の引いた最新の地図だ。これを国外へ持ち出すと死刑だよ。」
目の前に拡げられた地図を見て長老とアンセヴァは目を見開く。
二人とも百年振りに見る本格的な軍事地図に感嘆の声を漏らした。
それもその筈、帝国は亜人に地図の作成や所有を許可していないのだ。
他種族の支配に必要なのは地理的情報を奪う事。
そうする事で彼等の行動範囲を狭め、協力を未然に防ぐ。
そして、一生を檻の無い牢獄に閉じ込めるのだ。
場所が解らない事には移動しようという勇気も起きない。
まれに移動を決心する者いるが、所詮それは蛮勇。
一月もしない内に自分が何処にいるかも解らず、力尽きるのだ。
「ここが今俺達のいる場所だ。」
俺はこの周辺領域を記した地図の一点、エルフの住む地を指差さした。
「キミ達は知らなかったかもしれないが、実はこの地点は国境に近い方なんだ。実はこれが皇帝が戒厳令を敷いた理由の一つでもある。国境に近い所で起きた小火騒ぎが、すぐ近くの隣国に飛び火して大火事にならんとも限らんからな。」
そう言うと俺は指を地図の端へとずらす。
そこから先は赤字で線がくっきりと引いてあり、帝国の限界である事が強調されている。
「そうだったのか…でもどうしてその隣国は独立を保っていられる?」
長老のエルフは初めて見た帝国の国境線を不思議そうに眺めた。
どうやら彼の想像するヤルストヴァ帝国は実際よりかなり大きな物だったらしい。
「簡単な話だ。前回の神征はここが限界だったんだ。百年前の勇者はエルフの森を侵略した後、当然その先へと歩を進めたがそこでデカい壁にぶち当たった…龍人族だ。」
俺は龍人族という言葉を強調する。
「龍人族!龍の民はまだ帝国に支配されていないのか!?」
長老にも俺の口から飛び出したビックネームのインパクトが伝わった。
龍人族。
古の呼び名では龍の民。
エルフ達は未だにそう呼称する様だ。
「あぁ、百年前、流石の帝国も龍人族の領地の全てを攻略できなかった。前回の神征はエルフの森を通過した後、龍人族の領地を三分の一程進んだ所で止まった。そして、それが今の帝国の限界線だ。そこまで行くのに関所は二つしかない、そこは俺が破壊する。だからこの龍人族の国、アイグルニブへと逃げよう!」
アイグルニブ王国。
それは龍人族の国。
この大陸でまだ独立を保てている数少ない国家の一つだ。
百年間、ブドウ畑に囚われていたエルフ達はその存在すら知らなかった。
おそらくは自分達が人間に支配された後、すぐ隣で生活を営んでいた彼等も森の民と同じ末路を辿ったと考えていたのだろう。
龍人族が神征を退けた理由、それは彼等のある特性に由来する。
かつて、神話の時代、その空に大翼を拡げて太陽を遮ったと言われる伝説の爬虫類。
そんな、今は存在しない龍と交わったと言い伝えられているのが龍人族だ。
普段は人間と変わらないが、彼等は高い魔力を有しており、その姿を龍へと変化させる事ができる。
これが龍人族が龍と子を成したと言われる所以である。
だが、実際の所それは違う。
龍人族は大地の神に祝福された種族で、龍に姿を変えられるのはその祝福による旧式魔法のお陰なのだ。
そもそも神話に記された龍の正体が龍人族であり、龍人族こそが龍そのものなのである。
人を龍へと変える魔法。
俺はそれを実際に目にしている。
聖女アミズがそれを使えた。
ともあれ、その身を固い鱗で覆い、強靭な牙爪を備え、人の三倍もの大きさに姿を変える龍人族に帝国は敗北を喫したのだ。
そして、皮肉にも百年前のその攻撃が国を持たずバラバラに暮らしていた彼等に国家を作る刺激を与え、軍事大国を形成。
アイグルニブ王国と成り、百年間、ヤルストヴァ帝国と睨み合いを続けていた。
今回の神征でもアイグルニブへの進攻も考えられたが百年前の損害を考慮し、早い段階で案から外されている。
俺はその軍事大国への亡命をエルフ達へ提案したのだ。
「しかし、その龍の民の国は我々の事を受け入れるのか?」
長老は尤もな事を口にする。
「認めないだろう…奴等はキミ達エルフ以上に保守的だ。だが、保守的で軍事力のある分、彼等の領土にさえ入れば帝国はエルフへの追跡を諦めるんだ。聖女だって戦う事を嫌がる、アイグルニブはそんな国だ。」
「では、どうしろとと言うのだ!行った所で追い返されれば、今度こそ本当に絶滅してしまう!」
「でも、行って見なければ解らない!国境地帯はここと同じく山林が広がっている。もし上手くいけばこっそりと国境を跨ぎアイグルニブへと入国できる。そしたら、そこでひっそりと龍人族にバレない様に気配を消して暮らせばいい!得意だろ!?」
「…」
俯き気味に視線を落とす長老。
錆び付いていないと言った彼の天秤が、ここで徹底抗戦する事とアイグルニブへ目指す事を計っているに違いない。
「アイグルニブでの命の保証はできない…だが、ここにいたら確実に死ぬぞ?」
押し黙る長老に訴えかける。
すると、彼ではなく俺の隣に座るアンセヴァが口を開いた。
「長、我々は必要以上に木を切りません…」
「アンセヴァ…?」
「水に汚物を流す事もしません、それに本来ならば土を耕す農耕もしません…ですから人知れず、こっそりと暮らしていけます。残念な事ですがこの百年、私達は只でさえ少なかった数をさらに大きく減らしました。もう過去の水準に戻ることはない筈です、ひっそりと慎ましく龍の地で生きましょう。」
アンセヴァの紡いだ一連の言葉が最後の一押しとなった。
「そうか…そうだな、ナルア・アズナン…貴様の提案を受け入れよう。我々をアイグルニブへと案内して欲しい。」
そして、彼はこう言って、深々と頭を下げた。
───
「あら、このお茶とても美味しいわ」
白磁のカップを傾ける聖女アミズ。
彼女は今、大きなテーブルの前に座りある人物と対談していた。
「それはどうも、我が都市自慢の一品でございます。東の地より仕入れました。聖女様のお口にあった様で何よりです。」
彼女の対面に座る人物はこの都市の市長。
憐れにも神征の九番目の目標となった街の代表者だ。
彼は聖女という化物を目の前に、笑みを絶やさず言葉を続ける。
少しでもアミズの機嫌を損ねない様、細心の注意を払っていた。
「この他にも多数の異国の物品を取り揃えております!何か気に入った物があれば是非お持ち"帰り"下さい!」
「ふふっ…」
あくまでも丁寧な言葉遣いで、彼は帰れという言葉を強調する。
───潮風香るこの街は小さいながら良港を有しており、交易で栄えた豊かな都市。
彼はアミズにこの街をそう紹介したが、それが理由で狙われているのは皮肉以外の何物でもない。
「ふーん、そうなの…でもありがとうね、素直に城門を開いてくれて本当に感謝してるわ。」
和やかな雰囲気の聖女。
再び白磁を傾けてお茶を楽しむ様に目を細める。
「ヤルストヴァの聖女様の力は広くこの大陸に知れ渡っております。我々のような商人の街が恐れ多くも戦おうなどとは思えません。」
アミズ率いる神征の軍がこの港街に近づいた時、市長は抵抗する事なく都市の城門を解放した。
そして、軍勢を招き入れて盛大なもてなしをすると共に、聖女を市長の屋敷に招待し、こうやって会談の場を設けたのだ。
会談場所は屋外の庭園に設置された談笑用のテーブルで、そこからは綺麗な海を展望する事ができる。
時折吹く潮風が、アミズの絹の様な銀髪をくすぐった。
「えぇ、私も無駄な血は流したくないもの…でも、お茶に"毒"を入れるのはいただけないわね。」
アミズは白磁のカップを黒檀の机に置く。
カチャリと食器の音が鳴ると、彼女の纏う雰囲気が変わった。
「何を仰っているのですか?確かに異国の茶故、多少独特な風味は…」
「シュロソウ…シュロソウの毒よね?これ?この大陸ではあまり見ない花だからこれも東方の地より取り寄せたのかしら?」
「なっ…」
市長は言葉を失う。
茶に毒を混ぜた事ばかりか、毒草の名前まで当てられたからだ。
この時の為に備え、薬剤師と錬金術師に三日三晩と調合させたシュロソウの毒は殆ど無味無臭に近かった。
「それに隠れて私に武器を構えている兵士も気に入らないわ、弓ではないようだけど…飛び道具よね?」
「うっ撃てっ!」
アミズがそこまで言うと、もう、隠す気はないと言わんばかりに市長は右手を上げて攻撃の合図を出す。
直後、物陰に隠れた兵士達は手に持つ武器の"引き金"を引いた。
───パッパパッパン!
四方八方から軽快な発砲音が連鎖的に鳴り響き、鉛の殺意がアミズに殺到する。
「すっごい!すごいわ!!何これ!?魔法じゃないわよね!?」
しかし、放たれた弾丸はアミズに着弾するその一歩手前で、まるで地面に引き寄せられるかの様に落下した。
アミズの回りにはドングリみたいな黒く丸い鉛玉が散乱する。
「火薬を使って飛ばしてるの!?じゃあ大砲と原理は一緒ね!解ったぁっ!大砲を小型化したんだ!そうでしょ!?」
アミズはこの日一番の興奮で眼前の市長に言葉をぶつけた。
攻撃されたと言うのに罵声でも、恫喝でも、軽蔑でもなく、単純に知的好奇心を満たしたい…そういう口調。
そして、その正体不明の武器の原理を彼女なりに推察し始めた。
「でもこんな物を作れる様な工廠なんてこの港街にはないわよね?これも輸入?」
「ばっ化物…!」
───パンッ!
市長は懐から伏兵達が持っていた物よりも小型化された同種の武器を取り出すと、アミズに狙いを定めて引き金を引いた。
だが、煙る硝煙の匂いも虚しく、さっきと全く同じ結果となる。
「なぁんだ、貴方も持っていたのね?」
聖女はテーブルから身を乗りだし、市長の手からその武器を奪い取った。
「あー、やっぱりそうだ!こんな事できる人なんて居るんだ!」
満足そうに手に取った武器を眺めるアミズ。
その眼は玩具を手にした子供の様。
「へー鉄の筒に火薬を詰めて…この火打石で発火すると…私、これを気に入ったわ!持って帰るわね!」
「…っヤルストヴァの腐れ女がっ!」
「聖女様っ!何事ですか!」
市長がそう毒づいた時、近くに待機していた聖女の護衛が駆け付けた。
その手には抜き身の軍刀を持っている。
静かな会談の現場に流れた雷鳴の様な音に何事かと考えたのだろう。
「私、攻撃されちゃったみたいです」
手に持つ未知の武器を手でプラプラさせながらアミズは護衛にそう言った。
「何っ!貴様っ!」
すかさず振り下ろされる白刃。
あっけなく市長はその護衛に斬り殺される。
漆黒の黒檀のテーブルは彼の返り血で朱に染まった。
「申し訳ありません、私がついていながら…!」
一仕事終えた護衛の兵士は血濡れた軍刀を鞘に仕舞うとすぐに彼女の前へと跪く。
「いいんですよ、別に、お陰で面白い物も見れました。後はいつもの通りにお願いします。」
「ハッ!」
この港湾都市の末路は語るまでもない。
アミズの見下ろす海はどこまでも青く広がっていた。