本来なら前話でここまで行きたかった。
西の空に太陽が沈み、その名残りで上空が僅かに赤みがかっている、まもなくこの街に夜の帷が降りようとしている。
そんな街に周囲を忙しなく窺い、困惑する少女の姿があった。
道行く人に話し掛けるも言葉が通じないためか、誰1人立ち止まってはくれない。
(うぅ、どうしましょう。道をお聞きしたいのに言葉が通じません)
その場に俯き、瞳に涙を浮かべる少女。
「うぉ!」
少女が瞳から零れ落ちた涙が地面を濡らしたのと同時に前方から男の叫び声が辺りに響き、オレンジと思われる果物が少女の足先を掠める。
「しまった」
男はバランスを崩したのか、地面には紙袋から落ちたであろう果物が転がっている。
男は余程急いでいるのだろうか、落ちた果物を慌てて拾う。
「ふっ、3秒ルール」
男が何を言っているのか理解出来なかったが、少女は足元に落ちているオレンジを拾い上げる。
「此処にも落ちていました!」
そう言った後で、少女は自分の言葉が通じないことを思い出す。
「グラッツェ!」
男にオレンジを手渡し、流暢な母国語を操る男に少女は目を見開き、男の顔をじっと見つめる。
「私の言葉が解るのですか?」
少女はこの街に来て、初めて言葉の通じる相手に出会った。
「イタリア語だよね?少しだけど話せるし、理解も出来るよ」
少女にとっての幸運は目の前の男がイタリア料理の店で働いていたことだった。
彼の働いている店にはイタリア人の客はもちろん、厨房スタッフの中にも数人のイタリア人が在籍しており、彼はいつか自分の店を持つ時のために仕事の合間を縫ってイタリア語を教えてもらっていた。
「あぁ、これも主のお導きでしょうか」
少女は胸元で手を組み、その場で祈りを捧げる。
「実はこの街の教会に行きたいのですが、道に迷ってしまって」
少女の話すイタリア語を1音1音ゆっくりと聞きながら、少女の言わんとしていることを理解していく。
「教会に行きたいけど、道に迷ったってことね」
見れば少女はヴェールを被り、修道服にも似た服装をしている。
「わかった。案内するよ」
男は目線を少女に合わせて優しく微笑む。
「ほ、本当ですか!あ、ありがとうございますぅ!」
少女が頭部を覆っていたヴェールを取ると、勢いよく頭を下げる。
ヴェールを取ったことで少女の可憐な容姿が男の目に飛び込んでくる。
腰元まで伸びた美しい金色の髪がほんの少しだけ風に靡いたことで宙を舞い、まるで少女だけを照らす光が背後に存在してるかのような錯覚を起こす。
大きく見開いた目の中心の瞳は翡翠を連想させ、その双眸は見る者を惹き付け、虜にするだろう。
少し幼さが残るものの、男の友人である美女2人に負けず劣らずの美少女と言って差し支えないだろう。
「私はアーシア・アルジェントと言います!シスターとしてこの街に赴任してきました。アーシアと呼んでください!」
少女改め、アーシアはそう言うと弾けるような笑顔を浮かべた。
「菅原ユウです。この街にある駒王学園の学生です。呼び方は好きに呼んでください」
お互いに自己紹介を済ませると、2人は教会に向かって歩き始める。
ピピピピ
と思われたが、ユウの上着のポケットから機械音が響く。
「やべぇ、ちょっと待ってて」
ユウはポケットから携帯を取り出すと、画面に表示された相手に顔を歪める。
「買い出しにいつまで時間掛けてんだ!さっさと戻ってこい!」
電話越しに怒号が響き渡り、ユウは耳を指で塞ぐ。その雄叫びにも似た声はアーシアにも聞こえており、目をぱちくりさせている。
「料理長これにはって、切れてるし」
ユウは携帯をポケットに押し込むと、気まずそうにアーシアに向き直る。
「えっと、アーシア?」
アーシアが可愛らしく頭を傾ける。
「教会って、今すぐ行かなきゃダメ?」
「ユウ!この野郎!どこで油売ってやがった!」
ユウがアーシアを伴って店に戻ると、料理長の愛のムチをお見舞いされる。
頭を押さえ、蹲る彼の頭上から料理長の小言がコンコンと降り注ぐ。
「違うんです料理長さん!ユウさんを引き留めてしまったのは私で!だから、ユウさんは悪くないんですぅ!」
天使だ。
その場に居た誰もがユウを庇うように両手を広げて料理長に前に立つアーシアの姿に胸をキュンとさせる。
ユウも出会ったばかりの自分のために、鬼に立ち向かわんとするアーシアに憧憬の念を抱く。
しかし、相手が悪かった。
目の前の可憐な少女の行動に鬼は怒りを静めるどころか、火に油を注ぐが如く料理長の怒りは最高潮に達する。
「ユウ!てめぇ!買い出し中にナンパとは何事だ!しかもこんな可愛い子を言葉の巧みにこんなとこに連れ込みやがって!なんのためにイタリア語の勉強してやがった、女を誑かすためか!」
話を聞け。
その様子を観ていた全スタッフ達の心の声が聞こえるようだ。
怒りに我を忘れた鬼がアーシアの横を通り抜け、ユウの胸元を両手で掴み、前後に激しく揺らす。
「本当に違うんですぅ!話を聞いてくださいぃ!」
鬼の腕に縋り付きながら、なんとかその行為を止めさせようとするアーシアに、周囲に居たスタッフも一緒になって止めに入る。
数分後、ようやく鬼をユウから引き離したアーシアとスタッフ達は息を切らして床に手を着く。
数分間、脳を揺らされ続けたユウはへなへなと床に横たわる。
「がははっ!悪かったな嬢ちゃん!そんな訳が有ったとは!俺はてっきりあいつが困ってる嬢ちゃんを言葉の巧みに誑かして連れ回したと思ってな!」
アーシアの懸命の嘆願により、ようやく料理長の誤解を解くことに成功した。
「ユウさんはそんな人じゃないですよ料理長さん!困っている私に主がお与え下さったメシア様なのですから!」
アーシアは両手を胸元で合わせ、先程と同じように祈りを捧げる。
「がははっ!あいつがメシア様とは面白い嬢ちゃんだ!気に入った!うちの店の料理を食っていきな。懐かしい故郷の味ってのをご馳走してやるよ!」
流暢なイタリア語で話に華を咲かせる料理長。
若い頃、料理の勉強をするため単身イタリアへ。
イタリア料理の巨匠と呼ばれる料理人のもとで長く辛い修行に耐え抜き、帰国後は某有名ホテルで腕を振るうと、3年前に駒王町で自分の城であるグランデをオープンさせた。
生涯現役料理人を宣言をしており、店長やオーナーと呼ばれることを嫌っている。
因みに店名のグランデとはイタリア語で【偉大な】と言う意味があり、偉大な店になるようにとの願いが込められているらしい。
「料理長、アーシアの相手をしてくれるのは有難いけど、早く厨房に入ってくださいよ」
厨房から皿を持ったユウがカウンターに座っているアーシアの前に料理をサーブする。
「断る!俺は今日アーシアちゃんの相手をする」
料理長のその発言にユウを含めたホールに居るスタッフ達が驚愕する。
料理の鬼が厨房に入らない。
なにを置いても料理を第一に考え、一切の妥協を許さず、材料の仕入れから使用する食器や調理器具に至るまで全て自分で決めなければ気が済まず、客に提供される皿は必ずチェックを入れる。
その鬼が厨房に入らないと言うのだ。
開店以来の珍事であると同時に、鬼にそこまで言わせたアーシアという少女は正に神に仕える聖女に相応しいと言えた。
その日以降、彼女は店のスタッフ達から店名を捩り【グランデ アーシア】と呼ばれることになる。
「料理長さん。私のことはお気に為さらず、お仕事頑張ってくださいね」
アーシアの弾ける笑顔に、料理長はだらしなく目尻を下げながら厨房へ戻って行く。
その日のグランデの料理はこころなしか、まろやかであったとネット上で話題になったのはまた別の話である。
「いいか!絶対にアーシアちゃんを危険な目に遭わすんじゃねーぞ!」
夜も更け、仕事が一段落したため料理長にアーシアを街の教会まで案内する約束をしていることを伝える。
厨房内の空気が凍りつく。
「バカヤロー!なんでもっと早く言わねえんだ!もうこんな時間じゃねえか!こんなことどうだっていいから、さっさとアーシアちゃんを送っていきやがれ!」
もはや鬼と呼ばれた男の面影はなく、完全にアーシアの虜となった料理長は愛する料理さえもこんなことと言って切って捨てる。
アーシアちゃん恐るべし。
スタッフ全員の心の声が綺麗にハモった。
「ありがとうございました!お料理とてもおいしかったです!」
ペコリと頭を下げ、太陽のような笑顔を見せるアーシア。
まだ営業中だというのに全員でアーシアを見送るスタッフ達。
「またいつでも遊びに来てくれよアーシアちゃん!金なんかいらねぇよ!アーシアちゃんが来てくれるだけでおじさん嬉しくなるからよ!」
いつもならに雷を落とす料理長がいの一番にアーシアに声を掛ける。
「行こうかアーシア」
アーシアはスタッフに今一度深く頭を下げ、ユウの後を追って行く。
「良い子だったなアーシア」
誰ともなく声を上げる。
「また来てくれるといいな」
スタッフ全員が頷く。
「よし!もうひと頑張りするぞ!」
料理長が手を鳴らし、スタッフ達に檄を飛ばす。
「とても楽しかったです!お料理もとてもおいしかったですし、お店の皆様も良い方ばかりですね!」
店での出来事が余程楽しかったのか、アーシアは目の前でくるくると回りながら笑顔を見せる。
「ちゃんと前を見て歩かないと危ないよアーシア」
えへへっと笑いながらアーシアは道路の段差に躓き、バランスを崩す。
咄嗟にアーシアの手を掴み、腰に手を回し、自分の方に引き寄せる。
「す、すみません。1人で舞い上がってしまって」
そう言うとアーシアが顔を上げる。
すると、彼女の翡翠の瞳にユウの顔が大きく写し出される。
「危なかった、大丈夫かアーシア?」
俺の胸のすっぽりと収まった彼女の様子を窺うと、頬を紅色に染め俺の顔をじっと見つめている。
「アーシア?」
俺の声で我に返ったアーシアがいきなり身体を離し、距離を取る。
「だ、大丈夫です!わ、私!そ、その!」
顔を真っ赤にしながら視線を泳がせ、動揺するアーシア。
俺はそんな彼女の様子がとても愛らしく思い、アーシアとの距離を再び埋め、目線を合わせて頭部に自分の手を置き微笑む。
「大丈夫だから、ね?」
俺の声に安心したのか彼女は落ち着きを取り戻し、2人は再び教会を目指して歩き始めてる。
その道中、アーシアは不思議な感覚を覚える。
2人は並んで歩いている。
彼との身長差は30㎝近くある。普通に考えれば自分は早足になって彼の背中を追い掛けるのが当然である。
考えられることは1つだった。
彼が自分に合わせてくれているのだ。
自分に気を使わせることなく自然に。
そんな些細なことでアーシアの心が満たされていく。
その後も2人はユウの働く店の事、スタッフの事を話しながら歩く。
「あれが教会だよ」
彼が指を指す方向に目を向けると、そこにはお世辞にも立派とは言えない小さな教会がポツリと佇んでいた。
それでも彼女の胸は高鳴っていた。
これからは毎日、この教会で敬愛する神に祈りを捧げる事ができる。
これまで彼女が歩んで来た道は決して平坦なものではなかった。
涙を流すことも多くあった。
それでも彼女は神に祈りを捧げること辞めなかった。
いつか自分の想いを聞き届けるくれると信じて。
そして彼女は彼に出会った。
祈りを捧げ続けた自分に神が与えてくれた宝物。
だからこそ、これからも彼女は祈りを捧げ続けるだろう、敬愛する神を信じて。
第2話更新しました。
アーシアの口調って特徴がないようでありますよね。
一応、原作と見比べながら書いたんですが、どうだったでしょうか?
今話も本当ならもっと書きたかったのですが、自分的にとてもスッキリ締まったのでここまでにしました。
文字数は前話のなんと半分!
次話は戦闘描写になると思いますが、原作を参考書けたら良いなと思ってます。
最後まで閲覧して下さった方、誤字・脱字を修正してくださる方ありがとうございます。
ではまた次回。