お雪は、力なく江戸の町を彷徨っていた。
生き物を殺さなければ、雪女であるお雪は生きていく事ができなくなる。
それでも、心優しいお雪には、それができなかった。
「怪は怪」と言うキユウの冷徹さに、勇気は戸惑うばかりだった。
巳之吉の家の前に吊るされたキセルの看板が夜風に揺れている。
畳敷きの狭い部屋で、勇気、ディアーナ、巳之吉の三人は向かい合って座った。
巳之吉は酷く悩んだ様子で、ぽつりぽつりとここ最近の事を語り始めた。
「数週間、両親に捨てられたらしい少年を受け入れる事になったんだよ。
実はお雪も迷子だったのを俺が預かったんだ。お雪も弟が出来て、幸せになれると思った。
でも、その子が来てから奇妙な夢を見るようになって……」
「奇妙な夢?」
「ああ、子供の時に、おじいちゃんと山に登ったんだが、突然の吹雪に遭ってしまってね。
それで山小屋にこもったけど、おじいちゃんは凍死したんだ。
その時に、奇妙なものを見て……」
「それで?」
「いや、この話はすっかり忘れていたんだ。
というか、忘れないといけないと自分に言い聞かせてた。
それを突然、夢で見るようになってしまって。それで、お雪にその夢を話したんだ」
「話したのね?」
「ああ、話をしたらお雪は突然泣き出して、それから顔さえ合わせないようになった。
ところが、数日前から以前のように接してくれるようになった。
でも、夜中にどこかに出かけるようになって……。
訳を聞いても答えてくれないし、どんどんやつれていくし……何がなんだか……」
「それで、その少年は……?」
「それがお雪に夢の話をした日から突然、いなくなってしまって……」
「その子の名前は?」
「俺やお雪は太郎と呼んでいたけど、本当の名前は自分でも分からないと言っていた。
家族も故郷も覚えてないと言っていたな」
「名前の分からない少年……?」
キユウがぼそりと呟いた。
巳之吉は膝の辺りをグッと握り、涙を堪えて呻いた。
「お雪は本当の自分の子だと思って暮らしてきたんだ……。
妻と子供が流行病で死んでどうしようもなかった時に、お雪が来てくれたんだ。
お雪のおかげで幸せに生きてこられたのに、俺はお雪が苦しんでいても何も出来ないし、
挙句、お雪が人間ではない、別の何かのようにさえ思えてしまって……」
巳之吉の辛さが勇気とディアーナにも痛いほど伝わってきた。
子供を守りたいが、何かおかしいという気持ちもある。
その葛藤の中で苦しんでいる……そう思うと、
勇気は、とてもお雪をこの世から消し去る気にはなれなかった。
ディアーナも同じ気持ちになった。
「あたしは彼女を助けたいわ」
「何を言ってる! 怪だぞ! 見捨里市がどうなってもいいのか?」
「でも、さっきだって猫達を助けていたし……」
巳之吉はそんな勇気とディアーナを不思議そうに見る。
「お嬢ちゃん、君は誰と話してるんだ?」
その頃、町をふらふらとうろつくお雪の足取りが、ズズッ、ズズッと重くなっていた。
「巳之吉おとっつぁんと一緒に暮らすようになって、私はすっかりダメになってしまった。
もう、生き物の命を奪うなんて出来ない」
「……というわけで、僕達はその……彼女を倒さないといけないんです……」
巳之吉の家では、勇気が巳之吉に全てを説明し終えたところだった。
「『こんな話、信じられないですよね?』と僕の背後のキユウが言ってます」
勇気の話をじっと聞いていた巳之吉は独り言のように語り出す。
「ああ、信じられないよ。絶対に信じられないよ」
巳之吉の言葉は戸惑いを強めていく。
「……確かにお雪と一緒に暮らしていると、色々不思議に思う事があった。
真冬のどんな寒い時でも、火鉢の傍には絶対に来なかったしね。
変だと思ってたんだ。でも、わざと気にしないようにしていた。
優しい……本当に優しい子なんだ。信じられない! お雪が雪女だなんて絶対に信じない!」
目の前で俯く巳之吉があまりにも切ない。
しかし、勇気は背後から語りかけられて、再び重い口を開いた。
「あの、キユウが言っています。『巳之吉さんの気持ちは分かるけど、
このままでは巳之吉さんの命が危ないし、それ以外の人々も危険になる』って……」
「そんな、馬鹿な事があるか!」
巳之吉は首を振ってますます項垂れる。
「キユウが『ここは任せてくれないか?』と言っています」
苦しみに目を潤ませる巳之吉が顔を上げた。
「……」
巳之吉の家に戻ってきたお雪は、引き戸を開けて目を丸くした。
出かける時は布団が二つ敷かれて、その一方には巳之吉が眠っていたはずだった。
しかし目の前の部屋には、巳之吉の姿はなく、布団も片付けられていた。
そして何より、部屋の真ん中に火鉢が置かれている。
「どうして、私が大嫌いな火鉢が……?」
恐る恐る近づくと、炭が赤々と燃えていた。
その熱がお雪の顔を温めると、くらくらとする。
お雪は反射的に冷気で火を吹き消そうとしたが、すぐにハッと辺りを見回した。
「おとっつぁんに見られたら大変だ……。おとっつぁん、巳之吉おとっつぁん!」
お雪は巳之吉を探して、隣の部屋に続く襖に手をかけた。
「お雪という少女は雪女である」
突然の声にお雪が振り向くと、部屋の物陰からキユウが姿を現した。
「お前は昨日の! おとっつぁんをどうした?」
「質問するのはこっちだ。何故、×印に力を使う? 何故、無意味な悪さをする?」
「無意味? そんな事より、私の正体を知った以上、お前を殺さなければならない」
お雪は口を窄め、冷気を一気に吹き出した。
今までで一番強い冷気はキユウをすり抜け、その先の障子を見る見る白い氷壁に変えていく。
「お、お雪!」
勇気、ディアーナと共に、隣の部屋に隠れていた巳之吉がお雪の正体を知り、
崩折れた巳之吉を勇気が支えた。
障子がすっかり凍りついた頃、キユウがゆっくりと口を開いた。
「残念だな。僕には効かないよ。僕はお前と同じ、この世の者じゃない」
諦めたお雪に、キユウは改めて尋ねた。
「なんで、見捨里市に悪さをするんだ?」
「……だって、だって!
巳之吉おとっつぁんと幸せに暮らしていたのに、
おとっつぁんが、私の事を思い出して喋ってきたから……」
お雪は悔しそうに語り出した。
「だから、私はおとっつぁんを殺さなければならなくなった。
でも、太郎が『別の世界に行けば、巳之吉おとっつぁんを殺さずに済む力が手に入れられる。
そのためには別の世界を恐怖に陥れて、×印のトンネルの入り口を広げないとならない』って、
教えてくれて……」
「それはその少年の嘘だ。
雪女は人間が寝たり、食べたりしないと生きていけないように、
自分の話をした相手を殺さないと生きていけない怪なんだ」
お雪は痛いところを突かれたと思い、顔を覆った。
「でも、私はおとっつぁんと! 巳之吉おとっつぁんと一緒にいたいんです!
殺すなんてとても出来ない!」
「お雪!」
「おとっつぁん!」
襖が勢いよく開いて巳之吉が飛び出し、二人は抱き合った。
巳之吉はキユウが立っていると思われる場所に向かって頭を下げた。
「キユウさん、お願いです! 何とか助けてください!」
隣の部屋から出てきた勇気の耳元に、キユウが顔を寄せた。
やがて、勇気は首を振った。
「『それは無理だ』そうです。
『お雪ちゃんがあなたを助ければ、いずれお雪ちゃんが衰弱して死ぬ』そうです」
「え? そんな……!」
「『それは、お雪ちゃんが一番分かってるはずだ』とキユウは言ってます」
巳之吉はお雪をしっかり見つめて尋ねる。
「そうなのか? お雪」
お雪は悲しい目をして頷いた。
巳之吉は愕然としたが、やがて決意に満ちた表情でお雪を見た。
「だったら……だったら、おとっつぁんに……。おとっつぁんに、その息をかけてくれ!
頼む! 冷たい息を一思いにかけてくれ! 頼むから!」
お雪はあり得ないとばかりに首を横に振った。
「おとっつぁん! 何言ってるの!」
「頼むよ! その方がよっぽど良い!」
抜けるような白い肌の少女は、大粒の涙を流して大きく首を横に振った。
目尻から飛んだ涙がポトリ、ポトリと畳で音を立てる。
「そんな事出来ないよ! おとっつぁん!」
「お雪!」
お雪は泣きながら叫び、巳之吉はお雪を抱き寄せた。
その姿は本物の親子以上に仲の良い親子に思えた。
二人の姿があまりに悲しすぎる。
勇気もこみ上げるものを抑えられず、涙が溢れてきた。
すると……。
「さっきから黙って聞いてれば、悲しくて辛い話ばかり」
ディアーナが拳を握り締めていた。
彼女の表情は、どうにもならない事への怒りで歪んでいる。
「こっちの世界と比べるのは野暮だけど、
人と、あなた達が怪と呼ぶ存在が共存している世界もあるのよ。
どうして共存できないの? どうして人は怪を排除しなければならないの?
信じられないっ! あたし、そんなの認めたくないっ!!」
巳之吉とお雪が共に生きられない事に、
ディアーナが押さえていた怒りが、ついに爆発したのだ。
彼女はお雪の腕を掴む。
「な、何するの!?」
「あたしがこの子を妖怪屋敷に連れて行く。
そして、賢者に引き取ってもらって、この子には幸せになってもらう!
この世界のルールより、別の世界のルールの方が、この子には似合うんだから……!」
「ディアーナ!!」
「何をするんだ!!」
ディアーナは片手で空間を開くと、お雪と共にその中に飛び込んだ。
そして、しばらくすると、ディアーナは空間を飛び越えてこの時代に戻った。
お雪の姿は、もうなかった。
「な、何をしたの……?」
「あの子には、幸せになってほしいの。巳之吉からも彼女の記憶を奪いたくない。
でも、この世界のルールではできなかった。だから、あたしが別の世界に連れて行った」
「……」
自分と「ある人物」以外にも、時を超える力がいたとは。
キユウはただ、唖然とした。
「……巳之吉。あの子はいつかまた、あなたのところに戻ってくるわ。
だから、もう、その事は、忘れてね……」
ディアーナはそう言って、眠りの精霊を召喚し、巳之吉を眠らせた。
次の瞬間、巳之吉はぐっすりと眠りについた。
本当は妖怪屋敷で永住する事になるのだが、嘘も方便なのだ。
翌朝、長屋の一室から生き生きとした表情の勇気とディアーナが出てきた。
あれから大家が貸してくれた部屋に戻り、お雪も救われた事により、
二人はぐっすりと眠る事ができるようになった。
「おはよう」
「おはようございます。あの、巳之吉さんは?」
「まだ、家にいるはずだよ」
「じゃ、お雪ちゃんは?」
「お雪……そんな子がいたな。白くて可愛い女の子……」
巳之吉の部屋には、長屋の子供達が上がり込んではしゃいでいる。
ディアーナの行動により、お雪の記憶は朧げながら残っていたようだ。
「おお! お前達も上がれよ!」
勇気とディアーナが顔を見せると、手招きした。
「巳之吉さん、私をここの子供にして!」
子供達の中の少女が無邪気に言う。
「よし! もちろんだ! お前達は俺の子供だよ。いっぱい遊んで早く大きくなれよ!」
「わーい」
少女や子供達がはしゃぐ。
その様子を見た勇気も笑った。
今頃お雪も、妖怪屋敷で平和に暮らしているだろう。
ディアーナのおかげだ。
勇気は大いに、彼女に感謝した。
「勇気、エルフ、帰るぞ」
「うん。……ディアーナは本当に、凄い子だったな」
悲しい結末を幸せな結末に変えたディアーナは、まさしく勇者だろう。
勇気、キユウ、ディアーナは長屋の片隅に向かった。
キユウは左手をかざすと『時のトンネル』を作り、三人はその中に消えていった。
灼熱の太陽の下、一人の少年が立っていた。
黒髪を結い、右目を包帯で隠して、黒い着流しを風に靡かせている。
包帯の外から覗く目の色は、紫だ。
少年は腰に差した刀を抜くと、二回、十字に空を斬った。
すると、空中にあの×印状の罅が生まれた。
「さあ、また楽しませてくれよ」
そう言って、不敵に笑う。
少年が立っているのは、巨大なピラミッドの頂上だった。
~次回予告~
突然、謎の病に倒れた勇気の幼馴染、白鳥羽心。
その病は、古代エジプトの王「ツタンカーメン」がかけた呪いだった。
勇気は羽心や町の人々の命を守るため、怪を狩る使命を負うのだった。
だがそこで、思わぬ人物と出会う事になる……。
~要するに~
2020年8月、エピソード2「さまよう呪い」の二次創作を予約投稿します。