随分と大きな屋敷だ。
周りはしっかりとした垣根で囲まれ、門戸もそこそこ立派な造り。玄関まで続く石畳の脇には綺麗な紫陽花が植えられていて、丁寧に手入れされているのが分かる。ひらひらと舞う蝶が時折目に入り、心が和む。
それもさることながら、母屋も立派だ。昨今街の方で増えている洋風な造りではなく、古風な二階建て。広さも一反はくだらないだろうし、何も知らない人がここを見ればよほどの良家と思うはずだ。
「はー・・・すごいな・・・」
そんな屋敷を見上げて、青年は圧倒のあまり感嘆の息を洩らす。
持っている地図と見比べて、ここが目的の場所で問題ないのを確認すると、青年は門戸をくぐり敷地へ足を踏み入れる。一歩一歩と足を進めていく度に、自分の中で緊張と不安が大きくなるのを感じた。
玄関の引き戸を開けて、中へ入る。屋敷が広いからか、少しひんやりとした空気が伝わってくる。
「ごめんくださーい」
そこで青年は、少し声を大にして人を呼ぶ。
しかし、誰かが出てくる気配がない。この屋敷の『役割』からして全くの無人ではないはずだから、恐らく忙しいのだろう。試しにもう一度、呼びかけてみるがやはり反応はない。
とはいえ、勝手に上がるわけにもいかないので、一度外で待とうと踵を返す。
と、そこでパタパタと小走りの足音が近づいてきた。
「何か御用でしょうか?」
姿を見せたのは、黒い髪を青い蝶の髪飾りで二つに結んだ少女。漆黒の詰襟の上から医療用の白衣を着ていて、背丈は青年よりも少し低いが、気の強そうな表情と青い瞳が特徴的だ。
「蝶屋敷は、こちらでよろしいでしょうか?」
「そうですが・・・あなたは?」
青年の質問に少女は頷くが、青年のことを調べるように眺める。
青年の髪は耳にかからない程度の黒髪だが、よく目を凝らすと深藍色が混じっている。目元は少々垂れているようで、優しい目つきをしている。そして、少女と同じ漆黒の詰襟を着て、風に揺られる草が描かれた若葉色の羽織を上に纏っていた。
そんな風体の青年は、姿勢を正して頭を下げる。
「本日より、こちらの『蝶屋敷』で薬剤師としてお世話になります
鬼。
西洋の文化が浸透し始めている今や伝承や御伽噺として語られる存在だが、それは今も実在している。
栄養価の高い人間の肉を主食として喰らい、人間よりも遥かに強靭な肉体と鋭い歯、爪を持っている。心臓や脳を突き刺しても死なず、傷はたちどころに治り、身体を斬っても繋げたり、新しく手足を生やすこともできる。さらに『血鬼術』と言う異能を使う鬼も存在する。
だが、陽の光を浴びると灰になるため日光の下で活動できず、夜に行動することが多い。比較的人目の少ない時間帯と場所で行動するからこそ、その存在は空想のものとなっているのだ。
鬼殺隊。
鬼と同様に実在しない空想の産物とされているが、彼らもまた古より確かに存在する。
数百名の規模を誇る政府非公認の組織で、夜の闇に紛れて人を喰らう鬼を斬り、民衆の生活を陰ながら護っている。
これに属するものは皆、漆黒の詰襟の隊服を着用しており、これは通気性が良いが燃えにくく、濡れにくい。さらに雑魚鬼の爪や牙では傷一つ入らない特殊な繊維で出来ている。背中に描かれた『滅』の文字は、人々の生活を脅かす鬼を滅する彼らの強い意志を表していた。
そして、彼らの得物である刀・日輪刀は、鬼の頸を斬ることで日光に当てずとも鬼を殺せる、鬼狩りに欠かせない武器だ。
鬼殺隊もまた、鬼が活動する夜に戦っているからこそ、人々に存在が広く知られていない。
鬼と、鬼殺隊。
どちらも、民衆にとっては伝承でしかない存在。
だが、両者の戦いは遥か昔から今に至るまで、人知れず繰り広げられている。
暁歩と名乗った青年が訪れた蝶屋敷は、そんな鬼との死闘を繰り広げる鬼殺隊の隊士を治療するための施設だ。
けれどここは、元々鬼殺隊のある隊士の私邸であり、その主の意思によって現在の形態になった。さらにこの屋敷には、治療を受ける隊士とは別に、鬼によって家族を喪ってしまった身寄りのない子供たちも暮らしていると言う。
「ですのであなたには、薬剤師として薬を調合するだけではなく、隊の方たちの治療にも当たってもらいたいと思っています」
玄関で出会った少女は
蝶屋敷は、第一印象の通りで本当に広い。それでいて塵や埃も見当たらず、やはり医療施設として衛生面には気を遣っているようだ。
「ここが病床です。隊士の皆さんは主にここで身体を休め、治療に専念してもらっています」
アオイが最初に見せたのは、寝台が五つ並んでいる部屋。今も隊士が数名ほど治療を受けており、アオイよりもさらに幼い少女が、包帯を巻き直したり検温したりと甲斐甲斐しく働いていた。また、治療中の隊士は専用の衣服を着ており、その洗濯もここでしているとのことだ。
ちなみに、この病床は二部屋あり、さらに二階には階級が上の隊士用の個室が用意されている。今は二階の部屋で治療中の隊士はいないらしい。
その病室から少し歩いたところには、診察室があった。現在使用しているのは一部屋だけで、今後暁歩が治療に携わるようになった際は、もう一部屋で診察をしてもらうとのことだ。暁歩も、経験上は人体の構造もある程度分かっていたが、本格的な治療となると経験が無い。足りない知識を蓄えるために勉強はしなければと思う。
「薬の調合は、基本的にこの部屋で行ってもらいます」
次に通された部屋は、六畳ほどの広さがある部屋だった。
窓に向かって机が置かれており、左の壁際には賽の目状の引き出しがいくつもある棚が据えられている。右手側には、様々な資料が収められた本棚と、多くの箱が置かれた棚。そしてお湯を沸かす簡単な道具があり、やや窮屈な印象がある部屋だ。しかしここも、綺麗に掃除がされているような清潔感がある。
そしてこの部屋には、暁歩も嗅ぎ慣れた香りが漂っていた。
「左の棚に薬種が入っています。その他の薬や資料は右の棚にありますが・・・ご自分で見られた方が良いかと思いますので、説明は省きますね」
「分かりました。それで大丈夫です」
やはり、左の棚には薬を作るための生薬が入っているらしい。匂いと、棚の形で暁歩はある程度予想できていた。
その部屋の次は、一旦母屋を出て、同じ敷地内にある道場のような場所に案内された。壁際には畳が張られ、中央部には板が張られている。
「ここは、治療が長く体が鈍った人の機能を回復させるための訓練を行う場所です。今日は訓練を受ける人がいないので、説明はまた訓練を行う際にします」
広々とした室内を眺めるだけにして、訓練場を後にする。
その後は母屋へ戻り、蝶屋敷の住人が普段生活をする区画を案内される。
「後で紹介しますが、この屋敷には鬼によって家族を亡くした子供たちも暮らしています。くれぐれも、喧嘩などはなさいませんように」
「・・・分かりました」
家族を亡くした。
その言葉を聞いて、胸が痛まずにはいられない。表情はどうしても翳ってしまう。
暁歩自身も同じような境遇だから、それがどれだけ悲しくて、どんな思いをしたのかも分かるつもりだ。無論、そんな子供たちと進んで諍いを起こすほど気性が荒くもない。
「それと、ここで暮らす方は治療中の隊士を除いて女性ですので、その点に関しましてもご注意を」
「はい」
それに関しては、ここを紹介してくれた人から重々に注意されている。粗相をするなと何度も言い聞かせられていたし、その時の真剣な口調と表情ときたら般若のようだった。命が惜しいし、自分から不埒な真似もしないつもりでいるからしっかりと返事はする。
「治療の仕方や生活に関しては、都度説明をしますので」
半刻ほどで屋敷を回り、説明が終わると最後に畳張りの客間へ通される。この屋敷の主がもうすぐ戻ってくるので、それまでここで待つようにとのことだった。
暁歩は許可を貰ってから、荷物を畳に置いて正座する。
「・・・日輪刀をお持ちなんですね」
「ええ」
机を挟んで正面に座ったアオイが、暁歩の荷物の中にある刀を見て話しかける。鞘に収まっているが、鬼殺隊員が所持している刀など日輪刀以外考えられない。
「鬼と戦っていたことがあるんですか?」
「・・・いえ、隊士として正式に任務で戦ったことは無いです」
「・・・そうでしたか。失礼しました」
事実を告げると、アオイは視線を控えめに逸らす。
気になっているだろうことは察しが付く。暁歩には正式に隊服と日輪刀が支給され、鬼と戦うための準備が整えられているのだ。にもかかわらず、鬼と戦うのではなく薬剤師としてここへ来たのだから、不思議に思わないはずがない。
そこには必ず、何かしらの『事情』がある。そしてそれを、アオイは訊こうとはしない。来て早々に触れてはならない部分だと認識しているからだろうが、それは暁歩にとってもありがたかった。
「あら?」
すると突然、背後から人の声がした。
足音も気配も直前まで感じ取れなかったせいで、暁歩は吃驚する。
「しのぶ様、お帰りなさいませ」
「ありがとう、アオイ。こちらの方は?」
アオイは見えていたのか、大して動じもせず平然と挨拶をする。
暁歩がゆっくりと振り返ると、そこにいたのは華奢な女性だった。紺に近い艶やかな黒髪に、大きな蝶の髪飾りを付けている。非常に綺麗な顔立ちで、大きな菫色の瞳が特徴的だ。
そしてこの女性もまた、暁歩やアオイと同じ詰襟を着ている。その上に、蝶の翅脈のような模様の入った淡い色の羽織を纏っていた。
その女性の視線が自分に向いているのに気付き、暁歩は頭を下げる。
「本日からお世話になります、佐薙暁歩です。よろしくお願いします」
「ああ、あなたが薬剤師の?」
名乗ると、女性がゆったりとした微笑みを暁歩に向ける。
その微笑みを見ると、暁歩の頭の右側がわずかに痛んだ。
「私は
透き通るような声と優しい微笑みに、暁歩は『綺麗な人だ』と率直に思う。
だが、同時に思い出す。しのぶこそが、鬼殺隊でも最高位である階級『柱』に位置する蟲柱であると。
「この度は、自分のような若輩者を受け入れてくださってありがとうございます。お気遣い感謝いたします」
それを認識した瞬間、畳に額を擦りつけるほどに頭を下げる。より丁寧な挨拶をしなければと意識する。
柱は、幾度となく鬼との戦いで死線を乗り越え、さらに上位の鬼の滅殺までも成した存在。一般の隊士からすればまさに尊敬すべき人物なのだ。
「そこまで畏まらなくて大丈夫ですよ。私たちも、薬学に詳しい方が来てありがたいですから」
頭を下げたままの暁歩に、優しくしのぶは話しかけてくれる。
暁歩はもう一度頭を上げて、しのぶの顔を見る。
変わらない微笑みがそこにあった。
「・・・ありがとうございます」
今一度、暁歩はお礼の言葉を伝える。
しかしながら、そのしのぶの微笑みを見ていると、何故だか自分の中に妙な不安などの『嫌な予感』が働いた。
こんばんは。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
鬼滅の刃を読む中で、
しのぶさん、そして蝶屋敷の話を自然と書きたくなりました。
ゆっくりと進んでいく物語ですが、
最後までお付き合いいただければ幸いですので、
どうぞよろしくお願いいたします。