また、評価をしてくださったこと、感想を書いてくださったことと共に、本当にありがとうございます。とても励みになります。
柱の人間が輝哉の下へ呼び出されるのは、柱合会議の時か、あるいは重要な任務を言い渡される時だ。
だから、柱合会議から一か月後のある日の真昼、産屋敷邸に呼び出されたしのぶは新たな任務だと分かっていた。
「南東の
縁側に座る輝哉の言葉を、しのぶは庭に跪きながら聞く。
輝哉の声は、何故か心が落ち着くように柔らかく、頭の中に入り込みやすい。危険な任務をこれから与えられるはずなのに、心は少しも緊張していない。
「調査に向かわせた私の子供たちも、消息を絶っている」
「・・・はい」
自分が戦えないからこそ、輝哉は鬼殺隊の隊員を大切に思っている。病床に就く隊士の見舞いに赴き言葉をかけ、亡くなった隊士の名前と来歴はすべて記憶し、墓参りを欠かさないほどだ。
だからこそ、微笑を浮かべ淡々と事実を述べている輝哉も、内心では苦しんでいるだろうと思う。例え病に侵されていても、隊士を思う気持ちは変わっていないはずだ。そしてしのぶも、自分の感情を隠して微笑を浮かべることが多いから、それを感じ取れた。
「その山には、十二鬼月がいるのかもしれない」
「・・・」
「しのぶ。行ってきてくれるかい?」
十二鬼月と聞いて、しのぶは口を引き締める。
姉のカナエの命を奪った鬼も、十二鬼月。もしその山にいる鬼が十二鬼月で、それが上弦だとすれば、近づけるかもしれない。
「御意」
その推測を込めて、しのぶは頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
空いた時間、蝶屋敷の裏山で刀を振り鍛錬をしている暁歩は、いやに心が落ち着かない。
先日の蜜璃の不調事件以来、しのぶのことを考える機会が多くなっている。身を案じているのに変わりはないが、それとはもっと別の要因で気に掛けることが増えた。
刀を振るうたびに、しのぶの姿がちらつく。それにつれて、心の奥底から温まるような心地よい感覚が身体に広がる。
「ええい・・・」
巻藁を袈裟斬りにして、乱暴に息を吐く。
日輪刀に色が付いて以来、こうして刀を振るい鍛錬に励むようになった。それまでは木刀の素振りや走り込み、柔軟などで基礎体力を高めるだけだったが、今は刀術も磨いている。空見から教わった全集中の呼吸技をいくつか試してみたが、問題はなかった。
毎日コツコツと鍛錬を重ねているからだろうが、そうまでするのは、やはり有事の際に蝶屋敷を守れるようになりたいと思うからだ。夜間は藤の香を焚いているとはいえ、用心に越したことはない。
それに、しのぶだって『心強い』と言ってくれたのだ。その期待に応えられるよう、自分の力を磨くのは怠りたくない。
「・・・・・・」
そこまで考えて、転がっていた藁の束を断ち切る。
気が付けばどうしてもしのぶのことを考えてしまっていて、自分の思考を自分で把握できていないことに微妙に腹が立つ。
だが、自分の中にあるこの感情は、朧気ながらもその正体が見えつつある。あともう少しで確信が持てそうな、そんな状態だ。
けれど暁歩は、その感情を突き詰めようとはせずに、頭を振る。
「まったく・・・」
後始末を終えて、暁歩は裏山を下り蝶屋敷へと戻る。
すると、丁度しのぶが帰ってくるところだった。たったそれだけのことなのに、何故か妙に嬉しくなっている自分がいる。
「しのぶさん、お帰りなさい」
「暁歩さん。裏山で鍛錬を?」
「ええ、まあ」
さっきまでしのぶについて考え悶々としていたことは隠し、平静を装う。不審に思っていないことから、ひとまずバレてはいないようで安心した。
さて、しのぶは先刻、鎹鴉からの指令を受けて鬼殺隊の本部・産屋敷邸に行っていた。となれば、何かしらの指令を受けてきたに違いない。
「・・・任務ですか?」
「ええ。桐蔓山へ」
屋敷へ上がりながら、しのぶは任務のことを話してくれた。
数十名単位で行方不明者がいて、その山には十二鬼月がいるかもしれないと、聞くだけで不安が膨れ上がってくる。
「こうして柱が任務に出るのは、大体が階級の低い人たちの被害が増えた時です。これだけの被害が出たとなれば、十二鬼月がいる可能性も高いでしょう」
その言葉は、前にも同じような状況を経験したからこそ言えるのだろう。だとすれば、現場はそれだけ悲惨なもののはずだ。
「・・・しのぶさん」
「はい?」
暁歩は前に、決めていた。
いずれはしのぶが立つ戦場に赴き、彼女が見ている場所を自分も見ようと。でなければ、『支える』と言った自分の言葉も覚悟も軽いままだ。
「・・・その任務に、同行してもいいですか」
だから暁歩は、そう告げた。
予想外の申し出だっただろう、しのぶは虚を突かれたような表情になるが、すぐ困ったような笑みを浮かべた。
「それはできません」
そして、そう答える。暁歩もそれは分かっていた。
「十二鬼月は普通の鬼と違い、遥かに強いです。暁歩さんも自信を取り戻せたとはいえ、実戦経験は乏しい。そんな危ない場所へ、あなたを連れて行くわけにはいきません」
正論そのものであり、反論する余地は全くと言っていいほどない。
だが、しのぶを見る暁歩の目は変わらず鋭い。普段は見せないようなその真剣な表情に、しのぶは少し違う空気を読み取って、笑みを消す。
「・・・何か理由があるのですか?どうしても行かなければならない、という」
頷いて、暁歩は告げる。
「・・・蝶屋敷で治療を続けていると、実際に鬼と戦い続ける皆さんの痛みや苦しみは本当の意味で理解できません。命がけで戦う皆さんと同じ場所に立って戦い、痛みや苦しみ、そして恐怖を知らなければ、皆さんの痛みを理解して支えることはできないと」
治療をする中で、『戦わない連中にどれだけ辛いかわかるもんか』と当たられることがたまにある。そしてそんな時、しのぶを除いた蝶屋敷の面々は何も言えなくなる。その通りで、蝶屋敷の中で実際に鬼と戦い続けているのはしのぶだけなのだから。
特に、そんな隊士の言葉を重く受け止めているのは、暁歩とアオイだ。二人ともに鬼との戦いに恐怖して、背を向けてしまったのだから。だからこそ、たとえ怖くても、傷ついても、死を間近に感じることがあっても戦い続ける隊士のことを、二人は尊敬している。
「そして、しのぶさん」
「?」
「あなたのことも支えると俺は言いました。けど、あなたがどんな場所で戦い、どんなものを見てきているのか。それを知らなければ、本当の意味で支えることはできませんから」
自分の正直な意思を伝える。
自分のことを引き合いに出されると思っていなかったのか、しのぶは少しだけ間をおいてから口を開く。その表情はやはり、心配しているようなそれだ。
「私のことを思ってくれるのはありがたいですが、それであなたが命を落としてしまえば、私はとても悲しみますよ。それに、アオイやきよたちも悲しむでしょう」
「それは俺たちも同じです」
意外な切り返しをしてきたので、しのぶは口を閉じる。
「柱とはいえ、あなたが命を落とす可能性もあります。そうなれば俺はもちろん、屋敷の皆が悲しむ。それは誰であっても同じです」
しのぶが任務に出ている間も、屋敷にいるアオイたちはしのぶのことを心配しているのだ。カナヲが無断で最終選別に参加した時に、しのぶが心配していたのと同じように。
蝶屋敷の誰かが鬼との戦いに出ている時、無事を願い、不安に思っているのは皆同じだ。だからこそ、皆が悲しむからという理由で、自分だけが戦いの場に行けないのは納得がいかない。
もちろん暁歩は、しのぶが自分に死んでほしくないと願っているのは分かっている。蝶屋敷に来る際も自分で『戦えない』と言ったからこそ、手前勝手と自覚していた。それでも、背を向けたくない。
「・・・・・・」
暁歩の目は、光を失っていない。鋭さが衰えていない。
その視線を受けて、しのぶはふぅと小さく息を吐く。
「・・・・・・分かりました」
暁歩は深く、頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
名目上、暁歩は状況確認及び負傷者の応急処置のために連れて行くことになった。
夕方頃に出発する際は、きよ、すみ、なほの三人からめちゃくちゃ心配されたし、普段はてきぱきしているアオイからも『気を付けてください』と伝えられた。カナヲは、単独で任務に就いているためここにはいない。
暁歩は心配をさせまいと笑みを浮かべて頷き、しのぶと共に蝶屋敷を発つ。
「何度も注意しますが、くれぐれも無茶はしないように。十分気を付けてください」
「はい」
目的地へ向かう途中、しのぶは暁歩に重ね重ね伝える。
暁歩だってむざむざ死にに行くつもりで同行を希望したわけではない。細心の注意を払って戦いに臨む。それにしのぶも、カナエや継子を何人も喪っているからこそ任務で親しい人が死ぬのを見たくないのだろう。なおさら暁歩は、そんなことがあってはならないと自分に言い聞かせる。
そして桐蔓山にたどり着いた時は夜になり、空には月が浮かんでいた。
桐蔓山は、そこそこに標高が高い。空気が薄いほどではないが、うっそうとした木々が生い茂り、昼間もあまり日光が当たらなそうな感じがする。
山には人が通ることを前提としたのか、ほどほどに雑草が刈られた細い道が続いており、暁歩はしのぶの後に続いて山に入る。
「・・・静かですね」
聞こえてくるのはわずかな風に草木が揺られる音や、虫や鳥の鳴き声。行方不明者が多数いるなんて思えないほど穏やかだ。
「油断は禁物ですよ。これが鬼のやり方なのかもしれませんから」
しのぶが釘をさす。暁歩は『もちろんです』と答えつつ、周囲の警戒を怠らない。
その途端、暁歩はの頭の右側辺りに鋭い痛みが走る。思わず顔を顰め、頭を押さえる。
「大丈夫ですか?」
「ええ・・・まあ・・・」
「『予感』・・・ですね?」
「はい・・・」
事情を知ってるしのぶは、暁歩の『嫌な予感』が働いたことに気づきつつ、心配してくる。それには及ばないと、暁歩は手を横に振った。
それから調べるために山を登ると、少し開けた場所にたどり着いた。辺りには立派な杉の木がいくつも生えており、さらに霧も出てきたせいで辺りが見づらくなる。
「・・・この匂いは・・・」
風に乗って漂う仄かな匂い。それは木や葉っぱなど自然由来のものだけでなく、蝶屋敷でも嗅ぐことの多い匂いも混じっていた。暁歩の頭痛が、より鋭くなる。
「・・・血の匂いですね。それに、腐敗臭でしょうか」
しのぶもその匂いに気づいたらしい。辛そうな気持ちが、わずかに声に乗っている。
霧で見づらくなったうえに悪い匂いがしたことで、二人は歩く速度を少し遅くし、注意深く歩く。すると、道のわきに何かが落ちているのを見つけた。
「・・・人の、腕?」
肘から先しかないそれは、何かに引きちぎられたかのようだった。
それを見て暁歩は、最終選抜の時のこと、異形の鬼に喰われた少年のことを思い出し、身体の芯から恐怖しそうになる。
だが、すぐ隣にしのぶがいることを確認すると、気持ちが少し楽になった。
と、その時。
「「!」」
右側から何かが迫ってきているのをしのぶと暁歩は感じ取る。
それに気づいた時には、暁歩はすでに刀を抜き、『クゥゥゥゥゥ・・・』と呼吸を整えていた。
―――樹の呼吸・弐ノ型
―――樫幹返し
しのぶの前に出て、迫ってきた『何か』を刀で弾き、その勢いで斬る。
暁歩が刀を振った時、しのぶに聞こえたのは、その『何か』を斬った音だけだ。刀や暁歩の身体が動くような音もしなかった。それでしのぶも、暁歩の使う『樹の呼吸』は音を立てないものだと気づく。
「・・・これは?」
斬り落とされた何かを見て、暁歩は疑問を口にする。
そこにあったのは、植物の蔓のような細い黄緑色の物体だ。見ようによっては、変色したタコの足にも見える。その切れ端は、やがて灰になるように消えてしまった。
すると今度は、ガサガサと葉が揺れるような音が頭上から聞こえてきた。
「っ・・・!」
二本の蔓が暁歩としのぶ目掛けて襲い掛かってくる。二人は同時に後ろへ飛び退いて避けるが、蔓はしつこく迫ってくる。
―――樹の呼吸・漆ノ型
―――
そこで暁歩は、身体の正面で円を描くように刀を振る。その時も、刀を振る音は聞こえず、襲い掛かってきた蔓は細切れになってしまった。
「呼吸技、ちゃんと使えるんですね」
「まあ、鍛錬は続けていましたから・・・」
細切れになった蔓が塵と化すのを見ながらしのぶは話しかける。
この時しのぶは、正直言うと少し助かっていた。
しのぶには、鬼の頸を斬るほどの力がないため、攻撃は突き技に特化している。そのため、先ほどのような蔓の攻撃ではしのぶは避けるか弾くしかないので、普通の刀で戦う暁歩がありがたかった。
しかしながら、しのぶも柱の一人。他の隊士に頼りきりでは駄目だ。
「下です!」
ぼごっ、と大きな音と共に二人の足元から巨大な蔓が出現する。それは先ほどの蔓よりも遥かに太く長い。
「はっ!」
その蔓を、しのぶは日輪刀で一突きする。切っ先と根本以外の刀身がない独特の刀は、突き技に特化するしのぶ特有のもの。そして、特別な機能もある。
「おお・・・」
刀を突き刺された蔓は、動きを止める。そしてめきめきと軋むような音を立てながら縮んでいき、ついには地面に倒れた。
「毒ですか」
「はい。つまり、この蔓も鬼の身体の一部なのかもしれませんね」
以前教えてもらったが、しのぶの刀は鞘の中で毒の調合ができる。さらに、研究の末に生み出した藤の花の毒で、頸を斬らずに鬼を殺せる。最初に初めてその技を見た時は驚いたが、改めて間近で見た暁歩は感心する。
すると、一連の戦闘で霧が晴れ、周囲の様子が見やすくなる。
「・・・っ」
そして、霧の向こうにあったものを見て暁歩は絶句した。
そこでは、何本もの蔓が幾重にも絡み合い、一本の太い蔓のような様相を呈していた。しかもその巨大な蔓は血にまみれ、合間から人の手や腕、果ては首が出ている。あの蔓ですり潰されて死んでいるのだと、脳が認識した。さらに、蔓の先には何本もの細い蔓が垂れ下がり、その先にも人が吊るされている。男も女も問わず、鬼殺隊員や一般人の姿があった。
「・・・生きている人は、いないみたいですね」
状況を冷静に見るしのぶは、普段の微笑みを浮かべていない。
暁歩は、あまりの凄惨さに思わず口元を押さえる。血と肉が腐る匂いに眩暈がしそうで、頭の中は痛みが蔓延している。
だが、目を逸らしては駄目だ。これがしのぶが見ている現場なのだから。普段屋敷で優しく振る舞うしのぶは、いつもこんな残酷な現場を見ているのだと、身をもって思い知っている。そんな彼女を暁歩は自分で『支える』と言ったのだから、目を逸らすわけにはいかない。
◆ ◆
そこから少し離れた場所で、石の上に腰掛けている『誰か』は、両腕を森の中へと向けて伸ばしていた。
その『誰か』は、肩に届かない程度の白い髪で、頬に赤い線上の刺青が入っている。紅色の着物の首周りには白い綿のようなものが巻かれている。体系や体つきから、女性であることは窺えた。
「二人いる・・・一人は普通の隊員か」
だが、おかしなことに、その肌は不健康にもほどがあるほど白く、眼は血で染まっているように瞳以外が赤い。そして左目の瞳には『下肆』と文字が浮かんでおり、極めつけに額からは二本の角が伸びている。
「もう一人は・・・この気配・・・柱?」
鬼の中でもひと際高い実力を持つ十二鬼月の下弦の肆・
それが彼女の、この桐蔓山に潜む鬼の正体だ。
(まずい・・・柱まで来るなんて、派手に事を起こしすぎた・・・!)
零余子は、何かにおびえるように歯ぎしりをし、脂汗を垂らす。
そして手をくいっと捻ると、足元から細い蔓が何本も姿を現し、暗い森の中へと伸びていく。
◆ ◆
「来ますよ」
しのぶが告げると、暁歩は辛い気持ちを飲み込んで刀を構える。この蔓に巻き込まれて死んでいる人たちの無念を晴らすためにも、負けられない。
その直後、先ほどとは比べ物にならない速さで蔓が迫ってきた。暁歩は咄嗟に刀を振るうが、蔓はしなやかにそれを避けて暁歩の左腕に巻き付く。
(なんだ・・・っ)
その直後、左腕から力が抜けた。
即座に右手に握っていた刀で蔓を斬ると、バラバラと地面に落ちる。しかし、左腕に思うように力が入らない。
蔓をすべて避けたしのぶが、様子を窺うように暁歩のそばに立つと、暁歩は起きたことを伝える。
「なるほど・・・それが敵の能力かもしれませんね。蔓が巻き付いたところから力を奪う・・・かなり厄介です」
恐らくは、鬼が使う妖しい力・血鬼術の一種。
蔓は、細くなればなるほど動きが俊敏になり、斬るのが難しくなる。そして隙を突いて身体に巻き付き、弱ったところを締め上げるのだろう。そして最後に、あの巨大な蔓に取り込まれて殺される。
「さっき私が毒を打ち込んだ太い蔓・・・毒は効いたようですが、本体に影響はないようですね」
「今も攻撃が続いているとなると、ですか」
しのぶはこれまで、上弦の鬼と遭遇したことはないが、下弦の鬼を相手にしたことはある。その時にしのぶの毒は効果があったし、仮にこの山に潜む鬼が十二鬼月でなくても、毒は通用するはずだ。
しかし、話している合間も蔓の攻撃は止まらず、暁歩としのぶは蔓を斬ったり避けたりいなしたりするしかない。
「せめて本体の場所が分かればいいのですが・・・」
蔓の攻撃は、時に足元から、時に森の奥から迫ってくるので出所が分からない。加えて先ほどよりも本数が増えてきたので、元を辿ることも難しい。それ以前に本体と繋がっていないのであれば、辿るのも無意味だ。
「消耗させるのも向こうの作戦でしょうねぇ。こうして無数の蔓を相手にさせて、疲れたところで縛るのでしょうし」
蔓の攻撃をひらひらと舞うように躱しながら、しのぶは焦る様子もなく言う。確かに蔓に巻き付かれれば体力を無理矢理奪われ、長期戦に持ち込み消耗したところも狙える。実に厄介な戦術だ。
暁歩も刀を振って蔓を斬りつつ、上に跳んだり木を蹴ったりして攻撃を躱す。
「暁歩さんも身軽なんですね」
「樹の呼吸はそういう戦い方をするので・・・」
地面に降り立ち、並んだところでしのぶが余裕の調子で話しかける。
樹の呼吸は、刀を振る際や体を動かす時に音を立てず、軽い身のこなしで戦う。それを叩きこむ空見も容赦がなかったので、いやでも身に付いてしまった。
「けれどこれでは、夜が明けてしまうかも・・・」
迫ってくる蔓を切り刻みながら、暁歩は息を吐く。
あまり呼吸法で技を使いすぎると早々にばててしまうため、今は普通に刀を振るだけにしている。しかしながら、夜が明ければまた鬼は姿を隠してしまうだろうし、もしかしたらこの山から離れてしまうかもしれない。そうなれば振り出しだ。
「・・・?」
その時しのぶは、気付いた。
暁歩が斬った蔓の切れ端が塵芥へと変わり、そして森の中へと向かって流れていくのに。
「暁歩さん。何か一つ、技を使って蔓を一気に斬ることはできますか?」
「一度だけなら・・・」
しのぶが何か感づいたのは暁歩も分かったが、いちいち聞く暇もない。何本もの蔓が迫ってきていたのだ。けれどその太さはあまり細くなく、動きもそこまで速くない。暁歩でも見切れた。
―――樹の呼吸・漆ノ型
―――年輪回し
円を描くように刀を薙ぎ、蔓はバラバラに斬れてしまう。
そしてしのぶは、その蔓の破片を注意深く観察し、やがて塵芥と化して森の中へ流れていくのをしっかりと確認した。
「あれを追いましょう」
「はい!」
今は風も吹いていない。にもかかわらず、斬られた蔓の屑は同じ方角へと流れて行っていた。何もないとは考えにくく、しのぶと暁歩はそれを追う。
だが、後ろからは蔓がしつこく迫ってきており、暁歩は後ろから来る蔓を刀で斬ったり弾いたりして防ぐ。さらに進路上に突然蔓が出現することもあり、それらも避けて先へと進む。
「いました」
しのぶの声に、暁歩は前方を見る。
奥に見える石の上に、誰かが腰かけていた。けれどあれが鬼だと、暁歩は直感でそう判断した。
そして、鬼の方も気づいたようでこちらを見ると。
「・・・こんばんは。今日は月が綺麗ですね」
しのぶは大声を出してはいない。普段と同じ声量で話しかけただけだ。
にもかかわらず、暁歩の耳にするりと入ったその声は、言い知れぬ奇妙な恐怖心を感じさせた。
「!」
そしてそれは鬼にも聞こえたらしく、必死の形相で二人に向けて腕を突き出す。
直後、二人の足元から太い蔓が出現し、鬼との間に立ちはだかる壁のように聳え立つ。
だが、しのぶは地面を蹴って跳び上がり、さらにその蔓を蹴って鬼の下へと飛びかかった。
―――樹の呼吸・壱ノ型
―――大樹倒斬
しのぶが蔓を蹴ったのを見てから、暁歩は刀で蔓を斬り、太い蔓は崩れ落ちる。
すると鬼・・・零余子は、後ろへ飛び退いてしのぶに斬られるのを躱した。
「おや、十二鬼月の方でしたか」
「っ・・・」
しのぶが降り立ち、零余子の目の文字を見ると微笑を浮かべる。対照的に零余子の表情は、苦虫を噛み潰したようだ。
暁歩もしのぶの横に立ち、零余子の目を注視する。『下肆』と浮かんでいる文字が、十二鬼月の証なのかと理解した。
「・・・十二鬼月だったら何よ」
零余子は言葉こそ強気だが、足はじりじりと後ずさっている。隙を見て逃げようとしているのは暁歩にも分かった。
「特別扱いするつもりはないですよ?鬼は皆、人を喰っていることに変わりはないですから」
「・・・」
「先ほど見た大きな蔓に巻き込まれている人の数からして、四十人ぐらいでしょうか?でも、十二鬼月になるまでにはそれ以上喰っているでしょうね?確実に百人は越しているでしょうねぇ」
しのぶの言葉を聞きながら、暁歩の刀を握る手に力が入る。
先ほど見た、蔓に巻き込まれて死んでいた人々。鬼殺隊も、そうでない人々も、大勢死んでいる。罪のない人が、弱い人たちの命を守る隊士が、何百人も死んでいる。自分もさっき喰らった蔓を巻き付けて、無理矢理力を奪って殺している。
その事実に、猛烈に怒りを覚えた。
「ただ・・・お嬢さんが罪を悔い改めるというのであれば、助けてあげましょう」
「「え?」」
しかし、唐突なしのぶの提案には、零余子と揃って暁歩は驚く。
何を急に言い出すんだと思ったが、以前のしのぶの言葉を思い出した。
―――まだ壊されていない、誰かの幸せを守る為に。そして・・・鬼を助け、仲良くなるために
しのぶは、姉の遺志を受け継いで鬼と戦っている。その遺志からくる言葉だと、暁歩は理解した。
けれど何故か、冷や汗が止まらない。
「悔い改める・・・?」
「はい。お嬢さんは大勢の人を喰っていますから、何のお咎めもなく助けるわけにはいきません。それでは亡くなった方や遺された方が浮かばれないですから」
悪い子に言い聞かせるように、優しくしのぶは笑って首を横に振っている。
暁歩は悪寒が収まらない。押さえつけていないと腕まで震えてしまいそうだ。脳の奥が焼けるように嫌な予感が働いていて、しのぶの口調がいつもと変わらないのに違和感しかない。
「そうですねぇ・・・」
しのぶは、木々の合間から見える月を見上げる。そして、次に零余子を見た時はにこりと笑って。
「お嬢さんが人を喰った分だけお腹を裂いて内臓を引きずり出したり、目玉を穿ったり、手足をもいだりして、私が拷問して罰を与えます」
ぶわっ、と暁歩の全身から冷や汗が噴き出す。
零余子も恐怖したのか、『ひっ』と喉の奥が引っ付いたような悲鳴を上げた。
「怖がらなくても大丈夫ですよ?お嬢さんは鬼なのですから、その程度では死にませんし、後遺症もありませんから。そうして罰を耐え抜いたらお嬢さんは生まれ変わります。そしたら仲良くしましょう」
先ほど蔓が巻き付いた暁歩の左腕は、力が入るようになった。
刀を両手で握って構えるが、隣に立つしのぶから感じる歪な優しさと怒りの混ざった雰囲気に中てられ、思うように力が入らない。
「誰が聞くかそんなバカげたこと!」
案の定、零余子は話を蹴った。
そして、怒りに任せて太い蔓を伸ばしてしのぶと暁歩を叩き潰そうとする。
―――樹の呼吸・弐ノ型
―――樫幹返し
その押し迫る蔓を、恐怖から脱した暁歩は刀を薙いで弾き、斬り落とす。
「あら・・・仲良くすることは無理そうですねぇ。残念です」
「いいからさっさと死んで私の栄養素になれ!」
しのぶの言葉も聞かず、零余子は蔓をさらにいくつも伸ばして本気で殺しにかかってきている。太い蔓や細い蔓が絡み合うように迫ってきて、暁歩としのぶは上へと跳んで蔓を避ける。
「さて、どうしましょうかねぇ」
「・・・どうすると言われても」
普段と全く変わらない、屋敷で夕飯の相談でもするような調子でしのぶが話しかけてくる。先ほどの零余子に持ち掛けた取引のことが頭から離れないが、暁歩は考える。こうして跳んで逃げている間にも蔓は伸びてきている。無限に跳ぶことはできないから、技を使って斬るしかない。
―――樹の呼吸・陸ノ型
―――
暁歩は落下の勢いを利用して、刀を地面に向けて振り下ろし、迫り来る蔓を両断する。
障害を排除して着地すると、しのぶが隣にふわりと降り立つ。
「どうして逃げようとするんですか?」
しのぶはなお微笑みを浮かべて零余子に話しかける。零余子はしのぶたちと距離を取ろうとしていた。
「あなたは曲がりなりにも十二鬼月なのですし」
零余子が歯ぎしりをする。
十二鬼月は鬼の中でも上位の個体。先ほどの蔓に巻き込まれ死んでいた隊士の数を見るに、零余子の実力も高い方だろう。
だが、遠距離攻撃で極力接触しようとせず、いざ見つかると逃走を図ろうとするのは、暁歩も確かに疑問に思う。そういう性格なのかもしれないが。
「ああ、そういえば・・・柱の間でも話題になっていました。何度も逃走しようとする下弦の鬼がいるって・・・」
「!」
「あなたのことでしょうかね?」
笑って小首を傾げるしのぶ。傍目に見ても煽っているようにしか見えないが、暁歩は構わず刀を構える。
(・・・見る限り、男の方はそこまで大した腕じゃない。けど、女の方は間違いなく柱・・・なら)
零余子は、暁歩としのぶを見比べるように観察し、構えや緊張の度合いから暁歩があまり強くないことを見抜いた。そして、そこからどういう戦術で行くかを決めて、腕を前に伸ばす。
「「!」」
しのぶと暁歩の間から蔓が出現し、お互いに左右へ分かれ攻撃を躱す。
暁歩は零余子から目を離さないようにしようとしたが、出現した蔓から枝分かれするように別の蔓が自分の方へと伸びてくる。
しかもその蔓は、茨のように棘がびっしりと生えている。すかさず暁歩は刀を薙ぐが、その後ろからさらに幾重にも枝分かれした棘の蔓が迫ってくる。しかも動きがそれなりに速かったせいで即座に反応できず、腕や脚を棘が掠め、傷がいくつも刻まれる。
「ぎっ・・・!」
あまりの痛みに叫びたくなるが、耐える。他の隊員たちはこんな痛みや苦しみにまみれて戦い続けているのだ。それに、あの蔓に呑まれて死んだ人たちと比べれば、こんな痛みは何でもない。唇を強く噛んで痛みに耐え、力を振り絞って呼吸を整える。
―――樹の呼吸・漆ノ型
―――年輪回し
刀で円を描き、迫ってくる棘の蔓を全て斬り落とす。傷がいくつもついた腕を激しく動かして、腕が千切れそうになるが耐える。
一方でしのぶは、同様に棘の蔓が差し迫っていても舞うように動いて蔓を避け、零余子へと接近する。それを見て零余子は、地面に手のひらをかざした。
―――蟲の呼吸・蜂牙ノ舞
それを見たしのぶは、何か仕掛ける気だと直感で気づき、呼吸を整えて最速の技で仕留めようとする。
―――
次の瞬間には、零余子の眼前までしのぶが迫っていたが、ほんの一瞬の差で零余子を取り囲むように蔓が地中から伸びてきた。
「隠れないでくださいよ」
その蔓へとしのぶは刀を突き刺し毒を注入する。毒を打たれた蔓は軋むような音を立てるが、倒れるには至らない。
―――樹の呼吸・壱ノ型
―――大樹倒斬
そこへ、体中に傷を負った暁歩がしのぶの真上から飛びかかり、横に素早く薙ぐ。取り囲むように束ねていた蔓はまとめて斬られ、零余子がいるであろうはずの部分も斬れる。
「・・・いない」
だが、蔓の中に零余子の姿はなかった。
中を覗き込むと、地面に人一人分が入れるような穴が開いている。
「・・・地中を辿って逃げたみたいです」
「では、探しましょうか。穴の中に入るのは危険ですし、地上から・・・暁歩さんが動ければですけど」
しのぶは暁歩の様子を改めて確認する。棘の蔓の攻撃を受けたせいで身体中に傷があるが、致命傷ではない。少し体に力を入れると痛みが走る程度で、まだまだ動ける。
「まだ、やれます」
「では、行きましょう」
そして、しのぶと共に暗い山の中を進んだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
やがて空が白み始めたところで、暁歩としのぶは最初の開けた場所まで戻ってきた。
結局、山を一回りして頂上の方も見てみたが、零余子は見つからなかった。それどころか、蔓の攻撃さえもなかった。
「もうこの山にはいないのかもしれませんね」
しのぶの言う通りで、恐らくあの穴を通って山を抜け出したのかもしれない。
そして、蔓に締め上げられて殺された人は、ここ以外にもまだ多数いた。山の中の数か所で、同じように巨大な蔓に挟まれて死んでいる人が大勢いて、その数は数百人に届くかと言ったほどだ。
「・・・・・・」
最初の場所まで戻った暁歩は、その人々を飲み込んだ巨大な蔓へと歩み寄る。近づくにつれて血と肉が腐るような匂いに鼻がもげそうになるが、気にしない。
やがて足を止めると、亡くなった人たちに対して手を合わせて、静かに祈りを捧げる。
(安らかに・・・お眠りください)
仇であろう零余子は倒せなかった。だが、死者に対する祈りは欠かせない。
しのぶもまた、暁歩の隣に立ち、同じように手を合わせて目を閉じ祈りを捧げる。
「・・・後は『隠』に任せましょう」
「・・・はい」
祈りを終えて後ろを振り向くと、黒装束が特徴の隠の集団がやってきた。おそらく、他の犠牲者の下にも向かっているだろう。
その隠の中の一人・・・三白眼の後藤は、暁歩を見て驚いた様子だ。
「あれ、あんた確か前線に出れないって話じゃ・・・」
「いやぁ、ちょっと事情がありまして」
「っていうか、出血、怪我してるし」
「ああ、俺のことはお気になさらず・・・」
暁歩の創傷は、自分で止血剤を使っており、痛みも引いてきたため問題ない。こんなこともあろうかと、簡単な医療器具を詰めた腰袋を持ってきて正解だった。
その後は、隠に指示を出し、被害を改めて確認しながら後処理に付き合う。隠の活動を見るのは暁歩も初めてだったので、その手際の良さには舌を巻いた。
そして全ての処理が終了すると、暁歩としのぶは山を下りて帰路に就く。
「帰ったら、念のためアオイたちにも診てもらいましょうね」
「はい・・・」
暁歩は怪我をしているが、自分の力で歩けないほどでもない。だが、行きのように走って移動するのは無理だったので徒歩だ。しのぶも暁歩を気遣ってか歩調を合わせてくれている。
「でも、十二鬼月を相手にそのぐらいの怪我で済んだのですから、運がいい方かもしれませんね」
「いや~・・・」
十二鬼月を相手にすると、手足の一本や二本を失うのもざらだと言う。最悪の場合は死んでしまうので、しのぶの言い分も分かるが、そう言うしのぶはあの戦闘で傷一つ負っていない。そこからもしのぶの柱としての実力の高さが見えた。
そこで思い出すのは、零余子との戦いでしのぶが放った言葉。
―――お嬢さんが人を喰った分だけお腹を裂いて内臓を引きずり出したり、目玉を穿ったり、手足をもいだりして、私が拷問して罰を与えます
―――罰を耐え抜いたらお嬢さんは生まれ変わります。そしたら仲良くしましょう
あの言葉を聞いてから、暁歩の心臓が小刻みに震えるような感じが収まらない。今も隣を歩いている、近くを流れる川と桜を見ながら『桜が見頃ですねぇ』と微笑み呟くしのぶに対して、妙な恐怖心が消えない。
「・・・暁歩さん」
「・・・はい?」
そこで、少ししのぶが控えめに声をかけてきた。
暁歩が応えると、しのぶは川の方を指差して微笑みかけてきた。
「少し、休みましょうか」
別に疲れているわけではなかったが、しのぶも心配してくれているのだろうと思い、その厚意に甘えて休憩をとることにした。
並んで川べりに座り、穏やかな川の流れを見下ろす形になる。頭上には、枝垂桜の花が咲いている。
「・・・何か、気になることでもあるんですか?」
腰を下ろしたところで、切り出された。考え事をしているのを見抜かれていたらしい。
こうなってしまえば、隠し通すことはできないので、素直に明かすしかない。。
「・・・鬼との戦いで、『鬼を助ける』って言って、『拷問する』と言っていたのが少し、気になって」
自分の中の恐怖の根源を突き止めるように、しのぶに対して申し訳ないと思いながらも暁歩は口にした。
しのぶは、川の方を眺めながら言葉を紡ぎ出す。
「・・・前に、話したでしょうか。姉は、鬼を助け、仲良くなりたいと願っていたと」
「覚えてます」
覚えているからこそ、さっきは同じようなことをしのぶが言った時、最初は理解しかけた。その時のしのぶの雰囲気に悪寒を感じて、妙な気分だったが。
「大好きだった姉の遺志を受け継ぐのが、鬼狩りでもある遺された私の役目だと思っています」
「・・・」
「けれど私はやはり・・・家族を奪った鬼を赦せない」
姉の遺志を無駄にはしたくない。
だが、自分の家族を殺めた鬼を簡単に赦すこともできない。
その相反する二つの感情が混ざった結果が、あの時の言葉なのか、と暁歩は理解する。
「・・・鬼に傷つけられ、命を奪われた人を見るたびに、私の中に鬼に対する怒りや憎しみが積み重なっていく。私の中で、黒い感情が渦巻いているのが分かる・・・」
自分の胸に手を当てるしのぶ。そう感じていることは暁歩には分かっていたし、以前蜜璃が『しのぶちゃんからは黒い気持ちが見えることがある』と指摘されていたのも同時に思い出す。
「傷つけられ、亡くなった方々がどれだけ苦しみ、恐怖し、そして絶望したか・・・。それが私の中に流れ込んでくるのです」
蔓に締め上げられていた人々に祈りを捧げた時、しのぶも人間として当たり前の、悲しみや怒りを抱いていたのだ。暁歩も同じだが、亡くなった人のことを思うと、うら悲しくなってしまう。
「・・・暁歩さん」
しのぶが、普段の柔らかい感じではなく、そのままの愁いを帯びた様子で話しかけてくる。
「今回・・・私が実際にどんな場所で戦い、どんなものを見てきているのかを知って・・・私を本当の意味で支えたい・・・そう言って同行を求めましたよね?」
微笑みを浮かべずに、しのぶは問いかける。
自然と暁歩の表情も引き締まったものとなり、頷く。
「知ることは、できましたか?」
「・・・はい。どれだけ凄惨な場所で戦い、辛い現実を見ているのか。どれだけの暗い気持ちを感じているのか」
今回同行した戦いだけが、しのぶの戦いではないだろう。
だが、今回だけでも、立っている戦場、何を思いどう感じているのかは、痛いほど伝わった。それを汲み取ることは、多少なりともできていると思う。
「では・・・少しだけ、失礼しますね」
そう言ってしのぶは、隣に座る暁歩に寄り掛かった。
身体の力を抜いているのか、暁歩の左腕に程よい重みと温もりが伝わってくる。不意の接触に暁歩は心臓が飛び跳ねそうになるほど驚くが、しのぶは少しだけ目を閉じて、ぽつぽつと言葉を洩らす。
「・・・中々、こうして誰かを頼ったり、誰かに支えてもらうことがなくて」
「・・・・・・」
「だから・・・私を知ってもらったあなたに、今だけ、ほんの少しの間だけ・・・こうしてほしいです」
自分の中にある黒い感情を制御するには、相応の強い心が必要だ。
しかし、どれだけ強靭な心を持っていても、どこかでその溜め込んだ感情を吐き出して、それを誰かが受け止めなければ心は歪む。それに、大切な家族を喪い、復讐心で鬼と戦い続け、惨たらしい場を何度も見ていれば、より心は疲弊する。
そうなってもしのぶには、心中を全て明かせる人が、心から頼れる人がいなかった。柱という立場、蝶屋敷の主、そう言った立場が誰かに頼ることを止めさせていた。
「・・・今だけじゃなくて」
だからこそ暁歩は、今ここで誓う。
「これから先・・・しのぶさんが辛いと思ったり、支えてほしいと思ったら、俺はいつでも力になります」
しのぶの置かれている『今』を知ったからこそ、自分の中で固まった決意を伝える。今までずっと孤独に戦ってきたしのぶを支えたいと、切に願う。
「・・・ありがとう、暁歩さん」
隣に座るしのぶの雰囲気が、穏やかになったのを言葉で感じ取る。
そして、そのお礼の気持ちを受け取った暁歩は、ようやっと自分の抱いている感情を理解した。自分の心に一輪の花が咲いたような、纏わりついた雲が晴れたような、心地よい気分だ。
しのぶのことを思うと、支えたい、力になりたいと強く思う。それは自分が、しのぶに対して同情や心配の念を抱いているからだと思っていた。
だが、ここ最近になって、暁歩はしのぶの言葉や笑み、振る舞いなどの女性的な面を意識するようになって、身を案じているだけではないと分かった。
そして今日、しのぶのことを知って、自分を頼ってくれていると思うことを嬉しく思い、同時に支え続けたいと切望するようになった。
それは、暁歩がしのぶのことを、尊敬していたり、身を案じているだけではない。
暁歩は、しのぶに恋をしているのだ。
≪設定こぼれ話≫
下弦の肆・零余子は無惨に『柱を前にするといつも逃走を図っている』と指摘されていたので、恐らくは遠距離攻撃で安全圏から攻撃しつつ、見つかったら逃走を繰り返していたのではないかと考えて、今回のような戦術・能力を持たせようと思いました。