蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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第11話:鬼を連れた剣士たち

 暁歩が蝶屋敷に来てから一年以上が経過する。

 当初は薬剤師として着任したが、今では怪我人の治療や診察も含めた医療全般に関わるようになった。だが、鬼殺隊と鬼との戦いは今なお続いているし、その中で重傷を負った隊士が運び込まれることも多い。その度に治療と調剤に追われる日々も、もう日常と化している。

 しかし、ここへ来た当初とは変わったこともある。

 

「師範、行ってまいります」

「ええ。気を付けて・・・」

 

 漆黒の詰襟、それと同色のハイカラな膝丈スカート、その上から白い羽織を着るカナヲが任務に発つ。

 暁歩がここへ来た頃はまだ修業中だったカナヲも、今は鬼殺隊の一員として前線で戦っている。暁歩も見たカナヲの強さはやはり本物のようで、着々と戦果を挙げ続け、今や階級は(つちのと)にまで上がっていた。

 

「カナヲは鬼殺隊の一員として・・・順調に成長しています」

 

 だが、そんなカナヲを見送るしのぶは浮かない顔をする。

 しのぶはカナヲの上官として、同じ任務に出ることがたまにある。その際は、カナヲの姉としてではなく、上官である柱としてカナヲのことをよく見ていた。

 

「けれど、成長して階級も上がれば、より危険な任務に一人で就くことにもなります。それだけ、命の危険も伴う」

「それがしのぶさんは、不安ですか」

「・・・はい」

 

 だが、蝶屋敷にいる時には、しのぶはカナヲのことを妹として見ている。

 姉である立場から見れば、カナヲが危険な任務に就くことを心配せずにはいられない。姉のカナエも、亡くなった継子たちも、鬼との戦いで命を落とした。これ以上家族を喪うことを恐れているのは分かるし、それは自然な気持ちだ。

 

「私はカナヲに『ただ鬼を斬るように』と伝えてあります。強い力を持ち、命令があればカナヲは戦えるから・・・」

 

 カナヲは未だ、自分で何かを決めることができない。硬貨を投げるか、命令を受けることでしか動けなかった。だからしのぶは、カナヲに『とにかく鬼を斬れ』と伝えたことで、鬼殺隊でカナヲが戦えるようにしている。

 カナヲは確かに強い。だから、命令さえあれば強く戦える。その言は間違いではないだろう。

 

「それでもやはり・・・心配です」

 

 しかし、しのぶはカナヲの身を案じている。心に不安定な面のあるカナヲが、この先どうなってしまうのかが気になってやまない。

 暁歩はそんな気持ちを聞いて少し考えてから、しのぶのことを見る。

 

「・・・けれど、鬼殺隊にいる以上は、カナヲさんも戦い続けるでしょう」

 

 カナヲはなぜ、最終選別に無断で参加して鬼殺隊に入ろうとしたのか。その理由を暁歩は本人の口から聞いている。それを考えれば、いまさら止めてもカナヲは鬼殺隊を辞めはしないだろう。

 その『理由』は、しのぶには伝えていない。

 カナヲが自分の意思を持ち始めていること自体はしのぶも喜ばしいだろう。しかし、それを伝えれば同時に苦しむと思ったからだ。カナヲが何か力になりたいと自分で考えた結果、カナエや継子が命を落とした鬼殺の剣士になることを選んだ。その選択をしのぶは知らず、自分から興味を持って始めたことだからとカナヲに稽古をつけて、結果説得する間もなく鬼殺隊に入ってしまったのだから。自分自身の行動を逆に責めかねない。

 

「それでも、しのぶさんが強いと信じ、鬼を斬るよう命じたのであれば、カナヲさんの強さを信じ続けましょう」

「・・・」

「それに、カナヲさんと話をしてみると良いと思います。カナヲさんの不調や異変に少しでも気付けるかもしれませんし、逆にしのぶさんが心配していることが少しでも伝われば、カナヲさんの心にも良い変化が生まれるかもしれませんから」

 

 過去に戻ってやり直す術はない。だからできるのは、カナヲの強さを信じて待ち続けること。そして、不安定な心を持つカナヲを支えられるように、しのぶがカナヲと向き合い続けることだ。

 

「・・・そうですね」

 

 少し気持ちが楽になったのか、しのぶは微笑む。

 桐蔓山での一件以来、しのぶの方からこうして不安や心情を打ち明けられることが増えた。あの時、しのぶの立っている場所を知ったことで、同じとまでは言わずとも、近い立場に立てたから、しのぶの気持ちを汲み取り支えることができていると思う。

 

「・・・ありがとうございます。話に付き合ってくださって」

「いえ・・・これが俺ができる少ない役目の一つですし」

 

 普段のしのぶは、自分の中の綯交ぜになった黒い感情を隠すために微笑を浮かべている。それは決して、本心からのものではない。

 だが、暁歩が接していく内に、しのぶはごく自然な笑みを浮かべる機会が増えた気がした。蝶屋敷の面々もそれには薄々気付いているようで、特にきよやすみ、なほは『最近しのぶ様、少し変わりましたね』と話している。

 そして、そんな笑みを向けられる暁歩は、自らの鼓動が高鳴るのを感じ取っていた。

 

「では、私は少し資料を読み直しますので」

「はい。それでは・・・」

 

 自室へと向かうしのぶ。

 それを見届けた暁歩は、調剤室に戻ると。

 

「・・・はー」

 

 額を押さえ、息を吐く。その口元は緩んでいた。

 蝶屋敷に来た当初とは大きく変わったこと。それは、暁歩がしのぶに対して明確な好意を抱いていることだった。

 自分の心の中に燻る感情に気づいていても、暁歩は普段通りを装って蝶屋敷で暮らし、しのぶとも接している。おそらくこの感情は、今はまだ誰にも気付かれていないはずだ。

 この想いを抱いた以上、いつかはしのぶに告げたいと思ってる。でも、今はできない。

 しのぶが柱として最前線に立っているのは、その心の中に鬼に対する強い怒りや憎しみを抱いているからだ。今の自分が想いを告げたところで迷惑でしかないだろう。

 そして恐れているのは、しのぶの強い意思にわずかでも揺らぎを与えてしまうことだ。悲しい思いを原動力に戦うしのぶが、その揺らぎが原因で傷つき、最悪死んでしまったら、それは一生拭えない後悔となる。

 だから、この想いを伝えるのは、すべてが終わった時。復讐を果たし、鬼との戦いが終わった時だ。それまでは、自分の中のこの気持ちは胸に秘めておく。

 生きているうちにそれが叶うか分からないが、今はそれを信じる。

 それでもこの感情は、容赦なく暁歩の心の中に募っていくのだ。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 ある日の早朝。

 当直で起きていた暁歩が調剤室にいると、コツコツと窓硝子を叩く軽い音が響いた。

 

「?」

 

 そちらを見ると、鎹鴉が窓硝子をくちばしで突いていた。それは任務に出ているしのぶの鴉で、脚には何かの紙が結ばれている。さっさと外せと言わんばかりに鎹鴉が脚を向けると、暁歩はそれを解く。

鎹鴉が飛び去るのを見届けながら紙を開き、暁歩は内容を確認する。

 そこには、那田蜘蛛山という場所で鬼との大規模な戦闘があり、負傷者が多数運び込まれる予定の旨が書かれていた。その山は十二鬼月の一角が根城としており、数十人の隊員が負傷あるいは死亡したとのことだ。中には毒に侵された隊士もいるため、蝶屋敷での治療は不可欠という。

 

「・・・」

 

 大人数を受け入れられるよう準備を、と手紙の最後には書かれていた。

 暁歩は苦い表情を浮かべながらそれを懐に仕舞い、準備に取り掛かる。事務的な文章だけでも、鬼との熾烈な戦いの様子が目に浮かぶし、死者が複数出たと聞くと悲しまざるを得ない。特に、桐蔓山の惨状を見たからこそ、悲痛な思いが強くなる、

 アオイやきよたちはまだ眠っている。起こして手伝ってもらうわけにはいかず、まずは自分だけでできる限りの準備を進める。

 差し当たり、まずは治療器具と寝台の準備だ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 七時頃に、アオイたちは起床した。

 起き抜けに申し訳ない気持ちを抱きながら、暁歩はアオイたちにしのぶからの連絡を伝える。その直後、彼女たちの意識は覚醒し、アオイときよも一緒に受け入れの準備を手伝ってくれる。朝食はなほとすみが協力しておにぎりを作ることになった。

 やがて日が完全に昇ると、怪我人を背負ったり担架に載せた隠が蝶屋敷へと慌しくやってくる。

 

「けが人です!」

「はい、こちらの病室へ!」

「重傷の方はどちらの病床に寝かせれば・・・」

「この空いているところへお願いします!」

 

 この規模になると、蝶屋敷総出で受け入れを始める。きよたちが主体となって怪我人を病室へと案内し、アオイと暁歩で手分けして初期診療を行う。そして手が空いたら、包帯を巻いたりガーゼを貼ったり折れた骨を固定する。

 怪我人の傷の深さは、相当のものだった。身体に深い創傷が刻まれていたり、手や足の骨が皮膚を突き破る複雑骨折、毒の影響か頭髪がほとんど抜け落ちていたりと、いずれも痛ましい。那田蜘蛛山の戦いがどれだけ悲惨だったかを訴えかけてきて、暁歩も心が突き刺されたように痛い。

 だが、それでも怪我人に不安を与えるような表情をしてはならない。治療する立場にある人間は、怪我人に不安を与えてはならないのだ。どれだけ怪我を見て心が痛んでも、鬼が憎くても、それを表情に出してはならない。

 

 そうして治療を進める中で、とりわけひどい怪我を負っている隊士がいた。

 一人は、珍しい黄色の髪の少年。名前は我妻(あがつま)善逸(ぜんいつ)、毒の影響で四肢が縮んでしまっている。また、左腕の痙攣も発生していた。

 もう一人は、猪の頭部の生皮を被った少年。嘴平(はしびら)伊之助(いのすけ)という彼は、首に強い圧力をかけられたからか喉頭と声帯が傷ついており、頚椎も怪しい。

 伊之助については、あまり首を動かさず、また大きな声も出さないようにして安静にすれば一応は大丈夫だ。

 しかし、問題は善逸。しのぶが現場で解毒薬を打ち、毒の進行は止まっているが、縮んだ四肢を元通りの寸法に戻す必要がある。そのための薬を、採取した血液から分析した毒素を基に調合していた。

 

「大分苦い薬になるな・・・」

 

 唸る暁歩。

 調合の段階で猛烈に苦い薬と分かる。喰らった毒が強力で厄介だから仕方ないのだが、治療に時間がかかる上に薬も苦くなる。仕方なくても、暁歩は申し訳ない気持ちになる。

 ただ、しのぶの資料によれば、鬼の毒は日光に当たっていることでも分解できるらしい。鬼が日光に当たると消滅してしまうから、それと同じ理論なのかもしれない。

 と言っても、それだけでは回復速度が遅いので、それを補うために薬がある。なので、善逸には薬を服用しつつ日光に当たって毒素を地道に分解してもらうしかないのだ。

 そんな方針が決まったところで、またしても調剤室の窓がコツコツと叩かれる。窓を開けると、そこにいたのは今朝と同じしのぶの鎹鴉だった。しかし今度は、脚に手紙を付けてはいない。

 

「佐薙暁歩!しのぶヨリ伝令!新タニ一名ノ負傷者アリ!蝶屋敷ニ運ビ込マレル!病床ヲ確保セヨ!」

 

 伝令に、暁歩はまた怪我人が増えるのかと辟易するが、鎹鴉はまだ伝令があるのか飛び去らない。

 

「サラニ、二階ノ特別室ヲ一部屋用意セヨ!北側ノ洋室ヲ用意セヨ!」

 

 その伝令に、暁歩は疑問を抱く。怪我人は一人のはずなのに、通常の病床に加えて特別室まで用意するというのは異例だ。しかも、部屋の場所まで指定されている。

 だが、鎹鴉は用が済んだとばかりに飛び去って行った。暁歩は疑問を脇に置いておき、しのぶからの伝令をアオイたちにも伝えるために部屋を出る。

 

「さらに一人怪我人が運び込まれるようですので、病床を一つ準備してください」

「分かりました」

「それと、二階の北側の洋室も別途準備してほしいとの伝令だったので、手が空いていたらそっちの掃除もしましょう」

「はい!」

 

 すみとなほ、アオイに話を通し、暁歩は調合のため調剤室に戻る。

 やがて薬が完成し、病室にいる善逸たちの下へ向かうと、途中で怪我人を診て回っていたきよにばったり会った。先ほどの伝令をきよにも話して、さらに暁歩は訊ねる。

 

「怪我をした人たちは問題なさそう?」

「はい、皆さん落ち着いています。ただ、我妻さんという方が先ほど目覚めたんですけど・・・」

「?」

 

 何やら心配事があるらしいきよに、暁歩は話してごらんと促すように顔を見る。すると、きよは少し困ったような表情を浮かべる。

 

「起きたら手足が短くなっているのが怖いのか、すごく泣き叫んでしまって。アオイさんがちゃんと薬で治しますって言っても、収まらなくって・・・」

「あー・・・なるほど。不安だ・・・」

「アオイさんもちょっと手を焼いているみたいです・・・」

 

 まだ話もしていないのに、善逸がどんな人か分かった気がする。それと、薬で治すとアオイが言ってくれたが、その薬が調合段階で凄まじく苦いと分かっているので、それを飲ませることが申し訳ない。

 そんな内心の暁歩の心配とは別に、きよの表情が暗くなる。

 

「今回も、また大変な戦いだったみたいですね・・・」

「そうだね・・・俺が行った桐蔓山も相当だったけど、今回も・・・」

 

 桐蔓山の時は、生存者がいなかった。それと比べれば今回は、生きて帰ってくるだけでも幸いかもしれないが、激しい戦いだったことは想像に難くない。

 そして、怪我をした人々の苦しみを思うと、下弦の肆との戦いで暁歩が受けた全身の傷が疼く。今は痛みもなくなり傷口も目立たなくなったが、あの時のことを思い出す度に塞がった傷が開いて血が溢れ出そうになるほど痛む。

 

「暁歩さん?」

「大丈夫。何でもないよ」

 

 きよが心配そうに見上げてくるが、暁歩は笑みを浮かべて首を横に振る。

 さて、本題は善逸の薬だ。しのぶが研究した解毒薬の基礎に加え、血液から採取した毒素を分解する効能がある薬種を調合したこの薬、飲む前から苦いと分かる。

 これを飲ませると、どうなるか。

 

「にっがぁ!かっらぁ!」

 

 案の定だった。

 

「何なのこの薬、超苦いし超辛いんですけど!え、これを飲み続けろって言うの!?地獄過ぎない!?死ぬより辛いんですけど!」

 

 先ほどまで落ち着いていたのに、薬を飲んだ途端堰を切ったように騒ぎ出す善逸。思わず暁歩もきよもたじろぐほどだ。隣の寝台で眠っている伊之助の迷惑にならないか不安だが、彼は眠っているのか何の反応も示さない。生皮を被っているせいで表情が分からないが。

 それはともかくとして、暁歩は善逸に薬のことを話しておく。

 

「我妻さん、あなたの受けた毒はかなり強力なもので、治すのにはそれなりに時間がかかります。それに伴い、強い薬も飲まなければなりません。辛いのは分かりますが・・・」

「時間がかかるって、どれぐらい・・・?」

 

 善逸に問われて、暁歩は今の容態から概算してみる。

 

「・・・最低でも、三か月。薬も一日五回ぐらいでしょうかね・・・」

 

 苦笑して答えると、善逸は黙り込む。

 だが。

 

「五回!?五回飲むの!?一日に!?三か月間飲み続けるのこの薬!?」

 

 当然の不安と不満を涙ながらに訴えかけてくる善逸。暁歩ときよは揃って困った表情になる。

 

「って言うか、薬飲むだけで俺の足と腕治るわけ!?本当!?ねぇ治るわけ!?」

「静かにしてくださぁい!」

 

 ついには泣き叫びだす善逸。それを宥めようと、きよは声を頑張って大にする。

 暁歩も『苦い』と不満を言われるのは覚悟していたが、ここまで騒ぐのは予想外だった。けれど、自分も幼い頃は苦い薬が嫌いだった記憶があるので、一概に馬鹿にできない。

 それにしても、きよの話を聞いて思ったが、彼は情緒不安定らしい。こんな感じの彼に苦い薬を三か月間処方し続けられるだろうか、と不安になる。

 すると、後ろからツカツカと足音が聞こえてきた。

 

「静かにしてください!説明は何度もしましたでしょう!いい加減にしないと縛りますからね!」

 

 横から姿を見せたのはアオイ。真面目な口調はそのままに、重傷者に対しても厳しく叱る。元々キビキビ真面目なアオイがここまで怪我人に厳しくするのも初めて見るが、その様はまるで肝っ玉母ちゃんだ。善逸は善逸で、アオイに叱られたのが怖いのか、ガタガタと震えている。

 

「善逸!善逸!」

 

 さらにそこへ、また別の少年の声が響く。

 暁歩が後ろを振り返ると、隠の後藤が立っていた。暁歩は会釈をするが、どうやら声の主は後藤が背負っていた少年らしい。

 赤みがかった黒髪と、額に痣がある少年。花札のような耳飾りを付けていて、顔には戦闘で負ったと思しき傷がいくつも刻まれている。この少年とは善逸、伊之助も仲が良いらしく、少年の姿を認めると善逸も少し落ち着きを取り戻す。さらに少年は、伊之助に助けに行けなかったことを悔やみ、同時に無事だったことにとても安心したと気持ちを伝えた。

 そんな彼は、伊之助の隣の寝台に寝かせる。その脇には、別の隠が運んできた、彼のものと思しき木箱が置かれた。

 

「お名前を伺っても?」

「はい。階級(みずのと)竈門(かまど)炭治郎(たんじろう)です―――あたっ・・・」

 

 元気よく名乗ろうとしたところで、炭治郎と名乗った少年は顎を押さえる。さらに咽て咳き込んでしまい、暁歩は炭治郎の背中をさすって落ち着かせる。

 

「顎を痛めてるみたいですね・・・あまり大声を出さないようにしてください」

「はい・・・」

「自分は、この屋敷で治療を担当している佐薙暁歩です。よろしく」

 

 怪我人用の服に着替えさせながら、暁歩は炭治郎の身体を診る。善逸や伊之助と比べればまだ症状は軽いが、身体全体に切創や擦過傷、打撲や肉離れもあった。彼は彼で、十分注意しなければならない容態である。

 

「大分怪我が深刻ですし、当分はここで静養しましょう」

「分かりました・・・」

「きよちゃん。包帯とガーゼをお願い」

「はい」

 

 きよが医療具を取りに行くと、そこで暁歩は気になったことを炭治郎に聞く。

 

「竈門さん。俺たちはしのぶさん・・・この屋敷の主からもう一部屋用意しておくように言われていたのですが、どなたかお連れの方でもいらっしゃいますか?」

 

 しのぶの鎹鴉から伝令を受けてからまだそこまで時間は経っていないが、恐らくは彼が『追加で運び込まれる隊士』だと暁歩は思っている。別に一部屋用意するよう言われたのは彼が同伴者を連れているからだと思ったが、その姿はない。

 それを訊くと、炭治郎は少しだけ視線を逸らした。

 

「ええ、まあ・・・」

「そのお連れの方はどちらにいます?よろしければ自分が案内しますけど・・・」

「いえ、大丈夫です!俺が案内しますので!」

「いや、竈門さんは怪我を・・・」

「本当に大丈夫ですから!」

 

 頑なに遠慮する炭治郎に暁歩は疑問を抱きつつも、診察を続ける。そして、具合が悪くなったりしたらすぐに呼ぶよう炭治郎に念押ししておいた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 運び込まれた怪我人が多いため、夕食を用意するのも一苦労だ。さらに量だけでなく、それぞれの怪我の状態に合わせて用意するので、一律で作ることもできない。

 基本的に隊士に出す料理は全員同じだが、例えば喉にけがを負っている伊之助や、顎を痛めている炭治郎には、あまり固形物の無いように煮物を通常以上に煮込んで柔らかくしたり、お粥を用意する。

 

「苦ッ!!」

 

 食事が普通だった善逸は、食後の薬を飲むと一気に表情が歪む。食事と薬を運んできた暁歩を恨めしそうに見るが、とりあえず曖昧な笑みを浮かべておく。

 

「アリガトウネ・・・」

 

 次に伊之助。きよが持ってきたお粥を、しゃがれた声と共に受け取りもそもそと食べている。生皮の下は意外にも端正な顔立ちだったが、その声が低いし濁っているので怖い。

 

「ありがとう、すごく美味しいよ」

 

 そして炭治郎は、少し柔らかめのご飯でも笑みを返してくれた。それには、食事を運んできたなほとすみ、さらに近くにいたきよと暁歩も心が温かくなる。穏やかな性格の子なんだなと、暁歩は思った。

 ただ、彼の寝台の脇に置いてあった木箱が無くなっているのを見て、少しだけ疑問を抱いたが。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 その翌日。朝の問診や包帯の交換、洗濯など一通りの業務を終えて一息ついたところで、蝶屋敷で暮らす面々は食卓へしのぶに呼び出された。そこにはカナヲもいる。

 

「皆に一つ、伝えておきたいことがあります」

 

 普段浮かべている微笑もない、やけに神妙な表情のしのぶ。昨日は柱合会議で帰りが遅くなり、できなかった話を今したいらしい。

 

「昨日運び込まれた、竈門炭治郎くんはご存じですね?」

 

 しのぶの問いかけに、暁歩たち全員は頷く。

 

「彼は昨日、柱合裁判にかけられたんです」

「柱合裁判・・・?」

「まあ分かりやすく言うと、著しく隊律を破った隊員に対して、柱が裁判を行うんです」

 

 暁歩は、昨日今日と接していた炭治郎のことを思い出す。彼はとても礼儀正しく、食事を運ぶ際や問診をする際も『よろしくお願いします』『ありがとうございます』と挨拶を欠かさない。怪我が辛いだろうに、それを感じさせない真面目な姿に暁歩も好感を抱いている。

 

「・・・竈門さんが、何か?」

 

 そんな彼が隊律違反、と聞いて暁歩は改めて訊ねる。

 しのぶは頷いた。

 

「単刀直入に言うと、彼は鬼を連れていたんですよ」

 

 しのぶが告げたことに、全員が目を見開いた。

 あの心優しそうな少年が、鬼を連れている。

 そこで暁歩は、昨日しのぶからの伝令で別室を用意したことと、炭治郎がその『連れ』を案内させようとしたのを頑なに拒否したのを思い出して、全てに合点がいった。

 この屋敷に、その連れている鬼はいる。

 

「それには何か・・・理由があるんですよね?」

 

 それは紛れもない異常事態だ。にもかかわらず、炭治郎はこうしてここにいて、しのぶも冷静で、隊もバタバタしていない。だとすれば、お咎めなしとなった理由もあるはずだ。

 暁歩が問いかけると、しのぶも頷き、順を追って事情を説明した。

 

―――――――――

 

 鬼は、炭治郎の妹である竈門(かまど)禰豆子(ねずこ)

 鬼になったのは二年ほど前で、その間に人を喰ったことはないと炭治郎は言っていた。

 しかしながら柱は、身内である炭治郎の証言を信じず、鬼の禰豆子と隊律違反を犯した炭治郎を処刑する方針でいた。

 そこで二人を庇ったのは、鬼殺隊当主の産屋敷輝哉。炭治郎と禰豆子の事情を知った上で黙っており、両名の存在を柱にも認めてほしいと願う。

 それでも柱は納得しなかったが、実際に彼らを二年間見てきた、炭治郎の育手であり元柱である鱗滝(うろこだき)左近次(さこんじ)が輝哉に送った書状を、抜粋し読み上げたことで流れは変わった。

 実際に禰豆子が二年以上人を喰っていないと左近次は証言し、この先禰豆子が人を喰った場合は炭治郎、左近次、さらにはその存在を知っていた水柱・冨岡義勇の三人が切腹して詫びると宣言。

 そして輝哉が、炭治郎が鬼を生み出した諸悪の根源である鬼舞辻無惨と接触していることを明かすと、柱も炭治郎に生かしておく価値があると考え始めた。柱でさえ無惨を見たことがないからこそ、炭治郎は貴重だと。

 それでも鬼である禰豆子は認められず、風柱・不死川実弥が自らの血を使って禰豆子が人を喰わないかどうかを試そうとした。が、結果的に禰豆子はそれを振り切り、人を喰わないことが証明されたのだ。

 これにより、炭治郎と禰豆子の処刑は無効となり、炭治郎は今後も鬼殺隊に身を置くことになったという。

 

―――――――――

 

「私も当初は信じられない話でした。けれど、不死川さんが実際に自分の血を使って試したことで信憑性が増し、()()()()()()()()()()()わけです」

 

 妙に引っかかる言い方に、暁歩はしのぶの顔を見る。その顔には微笑みもない凛とした顔だったが、それだけではまだ内面にある感情まで読み取れない。

 

「ですので、柱の皆さんが認めたので、問題はありません。なので皆も、普段通り暮らして大丈夫ですからね」

 

 しのぶは微笑を戻してそう告げる。

 だが、それなら一安心、と簡単にはいかない。

 暁歩をはじめ、この屋敷に暮らすほとんどの人が鬼によって家族を喪っている。普段はそんな素振りを見せずとも、心に傷を負っているかもしれない。いくら鬼殺隊当主から認められたと言っても、そうすぐに受け入れることは難しいだろう。

 そしてそれは、しのぶも同じなのではないか。暁歩はそんな疑念を抱いた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「まあ私も・・・腑に落ちたと言えるほど納得はしていませんね」

 

 時間を改めて暁歩がそれを訊くと、しのぶは表情を曇らせてそう告げた。

 

「那田蜘蛛山で遭遇した鬼も・・・自分が生き残るために平気で嘘を吐き、罪のない人を喰っていました」

 

 蜘蛛の糸を操る少女の鬼を思い出す。繭玉に人を閉じ込めて溶解液で溶かし、栄養として吸収する。確認できる範囲でも十数人の命が喪われていた。しかも、その鬼は自分が殺した人の数を少なく言って、少しでも罪から逃れようと嘘を吐いた。あれこそが、しのぶの最も嫌う鬼の面、自己保身のために嘘を重ねる狡猾さだ。

 

「那田蜘蛛山だけではありません。多くの鬼が、それぞれの場所で罪のない人間を喰って生き永らえています。どんな事情があっても、私は何の罰もなく赦すことはできない」

「・・・」

「けれど、禰豆子さんは今回事情が少し違います。人を喰っていないことも、この先喰わないことも柱の前で証明されていますから」

 

 その上で、禰豆子のために三人の命が賭けられている。

 これだけの材料を揃えられれば、疑う余地などないし、それ以上の追及もできない。だから、『論理的には』納得しているのだ。

 

「でも、しのぶさんは・・・」

 

 だが、しのぶは家族を鬼によって喪い、自分が大切に思う蝶屋敷の皆もまた、鬼によって悲しみを植え付けられた。そして、亡くなった人々の無念の思いも感じ取っているからこそ、鬼という種に対する怒りや憎しみが尽きない。

 だがらこそ、事情が違い、理論的に納得していても、鬼である禰豆子を本心から認められるのか。

 

「大丈夫ですよ」

 

 しのぶは、気丈に笑っている。

 

「禰豆子さんは、私の家族を殺した鬼ではありませんし、禰豆子さんには普通の鬼とは違うところもあります。問答無用で斬ったりはしませんよ」

 

 そしてしのぶは、暁歩の前に立って微笑む。

 それは、本心からくる微笑だ。

 

「だから、暁歩さんも心配しないでくださいね」

「・・・分かりました」

 

 そう言ってしのぶは、任務があるのかその場を去った。

 しのぶがああ言うのであれば、暁歩も必要以上に不安に思ったりすることはないのかもしれない。

 けれど暁歩は、今なお穏やかでない気持ちを抱きながら、調剤室へと戻った。




≪大正コソコソ噂話≫

しのぶの鎹鴉(オス)は、しのぶを取られると思い込み暁歩によくちょっかいをかけてきます。けれどしのぶはそれに気づかず、両者とも仲が良いと思っています。

鎹鴉「カァー!カァー!」
暁歩「痛っ!脛をつつくのは止めてください!痛いですって!」
しのぶ(二人とも仲が良いんですねぇ)

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