ありがとうございます。
那田蜘蛛山の件から五日。
蝶屋敷も忙しいことに変わりはないが、大勢の隊士が運び込まれた直後ほどの慌ただしさもない。特に重症である炭治郎たちを除いた隊士は、戦線復帰やより精密な治療のために出ており、今この屋敷で療養しているのは炭治郎、善逸、伊之助だけとなった。
「うぇ・・・苦いよー・・・」
善逸は、薬を飲むたびに泣き言こそ変わらないが、最初の頃のようにがなり立てることもなくなった。先日の暁歩とアオイの喧嘩が自分に端を発したと自覚しているからか、ぶつぶつ言いつつも飲んでいる。
「伊之助くん、喉の具合はいかがですか?」
「・・・大丈夫ダヨ」
伊之助はまだ喉の調子が悪いため、相変わらず声がしゃがれている。運び込まれた時はその異様な外見に一同は戦慄したが、寝台の上では随分と大人しいものだった。ただ、炭治郎や善逸によれば伊之助は元々血気盛んな性格らしく、何が原因なのか落ち込んでいるらしい。
「炭治郎くんも、傷は大分治ってきたみたいですね」
「はい。皆さんのおかげでここまで治りました・・・ありがとうございます」
「お礼なんていいですよ。これが俺たちの仕事ですし」
炭治郎は、きちんと感謝の気持ちを伝えてくれる。治療に従事している暁歩やアオイ、きよたちもそれはとても嬉しいことだった。
「もう少し体の具合が良くなったら、機能回復訓練に参加すると良いかもしれませんね」
「?それはどんな訓練なんですか?」
「詳しい説明はまた後になると思いますが、治療で寝たきりになって鈍った身体を動かせるようにする訓練ですよ」
問診をしながら、暁歩が機能回復訓練について簡単に説明する。
炭治郎はともかく、善逸と伊之助はまだまだ起き上がって行動するのに不安があるため、当面の間は寝台の上にいることになるだろう。当然体も鈍るはずなので、判断するのはしのぶだが、恐らく機能回復訓練を受けるのは確定だろう。
とりあえず暁歩は、問診を終えると炭治郎への薬を置いて、病室を出る。
(善逸くんも薬は嫌々だけど飲んでるし、伊之助くんも首は動くようになってきた・・・。炭治郎くんも外傷はほとんど治っている。回復訓練もそろそろかな)
この後は、問診の結果をしのぶに報告する。蝶屋敷の責任者はしのぶであり、現場復帰に関しての判断も彼女がするのだ。まだ暁歩にはそこまで判断できないため、問診を終えたらそれをしのぶに報告するようになっていた。
その報告する内容を頭の中で考えていると、二階に続く階段が目に入る。
二階には特別室が設けてあり、そこは階級が上の隊士・・・例えば柱などが身体を休めるのだ。と言っても、柱ほどの隊士がここへ運び込まれることはほとんどないらしいが。
その特別室のある一部屋に、炭治郎の妹である禰豆子という鬼がいる。
「・・・・・・」
階段の上から、何か得体の知れない気配のようなものを感じる。
炭治郎はこの数日接しているうちに、とても心が優しい少年だということが分かった。それは暁歩だけでなく、鬼の話を聞いて驚いたアオイたちも同じだろう。
それでも暁歩は、まだ見ぬ鬼の禰豆子に対して恐怖心が今もなお拭えていない。しのぶの話を信用していないわけではないが、それでもやはり思うところはある。
しかし、鬼がいると言うのに、暁歩自身は緊張していても、傷つけられたり死んでしまうのでは、などの悪い予感が働かない。それはしのぶの言葉を少なからず信用しているからだろうか。
そんな気持ちを抱きつつ、暁歩はしのぶのいる診察室へと向かう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昼食の時間になり、暁歩は問診も兼ねて炭治郎たちの昼食を運びに行く。炭治郎と善逸の昼食は既に普通のものに戻っており、伊之助はまだ喉の調子が悪いため柔らかめのものだ。
そこで炭治郎が、暁歩に『すみません』と話しかけた。
「禰豆子の部屋を、一度掃除したいんですけど・・・」
申し出に、暁歩は少し考える。
彼らが寝ている病室も、清潔感を保つために一日一回掃除をしている。だが、禰豆子の部屋は運び込まれてから五日間、一度も掃除のために入っていない。部屋で何をしているのかは分からないが、一度ぐらいは掃除だけでなく部屋の換気、布団の交換もしなければならないだろう。
しかし暁歩は、首を縦に振って賛成とはいかない。
「いや、炭治郎くんはまだ完治していませんから・・・。何なら俺がやっておきますよ」
最後の発言は我ながら勇気を振り絞った発言だと思う。けれど、炭治郎の傷はまだ完全には癒えていないため、一人で行動させることに少し不安があった。
だが、今度は炭治郎が首を横に振る。
「でも、禰豆子は俺が連れてきて、部屋まで用意させてもらっていますから」
「いえ、それは別に気にしなくても・・・」
礼儀正しい炭治郎は、どうしても他人様の手を煩わせることを良しとしないらしい。ここに世話になっていて、かつ禰豆子が鬼と考えれば炭治郎が遠慮するのも仕方ないが、暁歩としても病人に掃除をさせるのは嫌だった。
「あ、それなら暁歩さんが手伝ってくれますか?」
「え?」
そこで炭治郎が折衷案として挙げたのが、二人で協力することだった。
確かに炭治郎一人で掃除をさせるよりは幾分かマシだし、炭治郎の『世話になっている人に掃除までさせたくない』と遠慮する気持ちも軽くなる。
少しだけ暁歩は考えて、やがて頷いた。
「しのぶさんの許可が下りればですけどね・・・。俺の方から話してみます」
「お願いします」
「暁歩さ~ん、禰豆子ちゃんの部屋を掃除するなら俺が・・・」
「あなたはまだ手足が元に戻っていないでしょう!」
そこへ話を聞いていた善逸が手伝いを名乗り出たが、アオイに一蹴された。いつになくやる気になってくれることは感心だが、アオイの言う通り手足が元に戻ってないので、炭治郎以上に単独行動をさせることに不安がある。気持ちだけ受け取ることにした。
そして、しのぶのいる診察室へと向かう。
「しのぶさん、ちょっとご相談があるんですが・・・」
「はい、何か?」
そこで暁歩は、炭治郎が禰豆子の部屋を掃除したい点と、まだ一人で活動させるのは心もとない点、そして結果暁歩が手伝う形になった点を伝える。
聞き終えるとしのぶは、ふむと顎に指をやって考える。
「暁歩さんの見立てでは、竈門くんはまだ一人だけで歩き回らせることが不安と?」
「はい。擦過傷や創傷といった外傷は大体治っていますが、肉離れなども炭治郎くんは患ってましたから」
厄介なことに、目に見えない体内の怪我は本人の発言を頼りにするしかない。身体の内部を透視できればいいのにと思う。だからこそ、実際に動いてみて炭治郎の容態を確認する必要があった。
「・・・なるほど、分かりました。それでしたら大丈夫です」
「ありがとうございます」
しのぶが頷くと、暁歩は頭を下げる。これも炭治郎の平時の身体の機能がどれだけ戻っているかを確認する機会だからか、許可はすんなりと下りた。
ただ、そこでしのぶが立ち上がって暁歩にの耳元にそっと口を寄せる。
「・・・禰豆子さんも人を喰わないことは証明されていますが、お気をつけて」
しのぶの顔が至近距離にあって、声と吐息を直に感じて思わず顔が熱くなる。だが、告げられた言葉自体は重要なものだったので、頷いて部屋を出た。
その忠告と、急接近していたことを胸に留めながら炭治郎の下へと向かい、許可が下りたことを伝えると、炭治郎は笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。それでは、お願いします」
それから暁歩は、炭治郎を先導する形で掃除道具を持ち、二階に上がる。
やがて禰豆子がいる、北側の洋室の前に立つと、暁歩の中で意識が張り詰められる感覚がした。
「・・・・・・」
流れでこうなってしまったが、今から自分は鬼のいる部屋に入る。
禰豆子がここにいると知って以来、暁歩は二階に上がろうとはしていなかった。何か妙な気配のようなものを感じていたし、例え鬼殺隊から認められていても鬼に疑問を抱いているからだと自分で分かっている。しのぶの『気を付けて』という忠告も忘れていない。
それを意識した途端、脚が竦み上がった。
「暁歩さん・・・?」
しかし、今自分の後ろに立っている炭治郎は、そんな暁歩の心境を知ったらどう思うだろう。
彼がここまで禰豆子を見捨てずに連れてきたのは、まだ彼が禰豆子を妹として見ていて、何かしらの方法で助けようとしているのかもしれない。そして恐らく、鬼であることは分かっていても、周りから異端視されていることに胸が痛んでいる。
炭治郎の内心は読めないが、そうだとしたらと思うと暁歩の心も痛い。
「・・・すみません、何でもないです」
戸の前で突っ立ったままだったのが不安だったのか、炭治郎が後ろから心配そうに見ていた。安心させるように暁歩は首を横に振り、意を決して戸を開ける。
中は、薄暗かった。明かりはついておらず、窓掛けも閉じてあるため日の光さえ入らない。さらに換気もほとんどされていなかったせいか、空気が少しむわっとしている。そんな中に、かすかに女性特有の甘い香りが混じっていることに暁歩は気づいた。
そして、寝台を見ると、そこには一人の少女が眠っている。
「・・・・・・」
眠っている少女は、背丈は見る限り炭治郎より少し低い程度で、長い黒髪、綺麗な顔立ちをしている。だが、その口には竹でできた猿轡が噛ませられていて、それは人を襲わないようにするためのものだろう。
眠っているのか、すぅすぅと定期的で小さな息遣い音が聞こえ、布団のお腹の辺りもわずかに律動している。
彼女こそが、鬼であるはずの禰豆子だ。
「ごめんな、禰豆子・・・少しうるさくしちゃうかもしれないけど、ちょっと部屋を綺麗にしたいんだ」
眠っている禰豆子に、炭治郎は優しく頭を撫でながら話しかける。禰豆子は起きる様子もないが、それでも十分なのか炭治郎は笑みを浮かべた。
一方で暁歩は、あれだけ自分が恐れていたはずの存在を前にしても、恐怖や忌避の感情が全く湧いてこない。自分だけでない、しのぶやアオイたちから大切な人を奪ったものと同じ『鬼』のはずなのに、憎いだとか許せないだとかそういった気持ちが少しも浮かばなかった。
「・・・できる限り、音は立てないようにしましょう。それと、空気を少し入れ替えるために戸も開けて」
「はい」
そんな不思議な気持ちになりながら、暁歩は炭治郎に伝えて掃除を始める。
禰豆子が特異な鬼であっても日光に当ててはならないことに変わりはないため、窓掛けは開けない。家具を動かしたりするわけではなく、軽く箒で床を掃いたり雑巾で拭く程度だ。そこまで音が出る作業でもない。布団については、眠っているところを態々起こすのも申し訳ないため、また後日改めて行うことにした。
「・・・まあ、これであらかた終わりですかね」
「はい、ありがとうございます」
「炭治郎くんは、身体の調子に問題はなさそうですか?」
「そうですね・・・肉離れも治っているみたいです」
一通りの掃除を終えて、炭治郎に話しかける。掃除をしながらも暁歩は、炭治郎の状態にも気を配っていた。だが、見る限りでは痛みを我慢している様子や、びっこを引いている感じもなかったので問題ないと思う。あとは、これをしのぶに報告すればそれで完了だ。
「ん?」
そうして部屋を出ようとしたところで、後ろからモゾモゾと布が動く音が聞こえた。さらに暁歩は、視線を向けられている感じもする。
振り向いてみると、眠っていたはずの禰豆子がのっそりと上体を起こし、暁歩と炭治郎のことを見ていた。
「おはよう禰豆子、よく眠れたか?」
「~♪」
同じく気づいた炭治郎が禰豆子に歩み寄り、もう一度頭を優しく撫でる。すると禰豆子は、嬉しそうににっこりと笑っていた。
「・・・・・・」
やはり、起きている禰豆子を前にしても、不思議と自分の中には憎悪や悲哀など黒い気持ちが浮かんでこない。炭治郎に頭を撫でられて嬉しそうな禰豆子の姿は、いたいけな普通の少女のようで、言われなければ鬼と分からないようだ。
「?」
「ああ、禰豆子。この屋敷で俺たちの薬を作ってくれてる暁歩さんだ」
そこで禰豆子は、暁歩の方を見てキョトンとする。炭治郎が紹介してくれると、暁歩も会釈をした。だが、禰豆子は不思議なものを見る目でぼーっと暁歩を眺めるだけだ。
(・・・普通の瞳だ)
鬼の瞳は、基本的に瞳孔が獣のように縦に長い。けれど禰豆子のそれは、普通の人間と同じように円形で、その点を見ても鬼には見えない。
「・・・あ、起きたのなら布団を替えましょうか」
「ああ、そうですね。禰豆子も綺麗な布団で眠りたいと思うし」
そこでふと気づいた暁歩の言葉に、炭治郎も頷く。
すぐに暁歩は一階へ下りて押し入れから新しい布団を取り出し、二階へと戻る。部屋に戻ってくると、炭治郎が元あった布団を寝台から下ろしていて、禰豆子は床にぺたんと座っていた。日光が嫌いなのは本能か、窓から少し離れた場所に座っていたが。
ただ、いつまでも座らせているわけにもいかないので、『すぐに敷きますね』と暁歩はてきぱきと布団を敷き直す。
「ん~・・・」
敷き直したところで、禰豆子は布団にぽすんと寝転がる。新しい布団の匂いが気に入ったのか、のどかな笑みを浮かべる。ほどなくして眠ったのか、また規則的な寝息が聞こえてきた。
「禰豆子、最近寝不足だったからな・・・」
炭治郎は、今一度眠っている禰豆子の髪を優しく撫でると、布団をゆっくりと掛けてやる。それを暁歩は見届けた後、炭治郎と共に部屋を出て戸を静かに閉めた。
「ありがとうございます、暁歩さん」
「いえ・・・お礼なんて結構ですよ」
布団を抱えて階段を下りていると、炭治郎がお礼を言ってくれる。
こうして感謝の気持ちを隠さず伝えてくれる炭治郎、そして実際目にして鬼とは思えなかった禰豆子を前にして、暁歩はとてつもない自責の念に駆られた。
事情や経緯がどうであれ、鬼というだけで禰豆子に対し恐怖心や忌避感を抱いていたが、ほんの少しの時間だけでも自分の目で見て、それも今や消え去った。そして残ったのは、そんな自分が恥ずかしく、炭治郎たちに申し訳ないという気持ちだった。
「・・・炭治郎くん」
「はい?」
「何か・・・ごめんなさい」
「え、どうして急に謝るんですか・・・?むしろ俺の方が謝りたいのに・・・」
急に謝られてもそうなるか、と暁歩は苦笑する。一階まで下りて布団を後で洗うことを念頭に置いて洗濯場に持って行ったあと、『少しいいですか?』と暁歩は炭治郎と客間へと向かう。
「最初にしのぶさんから言われてたんですよ。炭治郎くんが、鬼を連れているって」
向かい合って腰を下ろし、暁歩が切り出すと炭治郎はばつが悪そうな表情を浮かべる。
「俺は両親を鬼に殺されて、復讐心で鬼殺隊に入りました。けど、最終選別でトラウマを植え付けられて・・・縁あってこの屋敷で治療にあたっています」
「・・・」
「だから鬼には・・・正直良い印象を持っていませんでした。禰豆子さんのことも、話を聞いた時は少し怖かったんです」
縁側の向こうから、鳥のさえずりや風で木々がざわめく音が聞こえてくる。そんな自然の音が、二人の間に微妙な沈黙が生まれるのを防いでくれている。
「けどさっき、禰豆子さんの姿を見たら・・・まるで普通の女の子のようでした。怖いとか恐ろしいとか、そんな気持ちは少しも湧いてこなかった」
普通の女の子のよう、と聞いて炭治郎の表情が明るくなる。
炭治郎は、自分の唯一となってしまった家族が鬼になってしまったことを悲しく思っている。だからこそ、鬼ではなく少女のように見てくれている暁歩の言葉は、とても嬉しかった。
「だから・・・鬼だからと見もしないで拒絶しようとした自分が恥ずかしくなりました。同時に申し訳なく思ってしまって・・・改めて、すみませんでした」
「そんな、謝ることなんてないですよ!」
頭を下げると、炭治郎は慌てて膝立ちになって頭を上げるように訴えてくる。
「禰豆子が普通の女の子みたいって言ってくれたのは俺も嬉しいですし、禰豆子だって嬉しく思うはずです!人にはそれぞれ過去がありますから、鬼をどう思うかもそれぞれですし・・・」
炭治郎の言葉に暁歩は、これまで大変なことがあったんだろうと伺える。
鬼となってもなお禰豆子を見捨てずここまで連れてきて、それまでの間にたくさんのことがあっただろう。暁歩が話に聞いた柱合裁判でも、柱からは糾弾されたに違いない。それでもなお、炭治郎は他人のことを考えてくれている。
「炭治郎くんは、本当に優しい人ですね・・・。禰豆子さんを見捨てず、それでいて他の人にも思いやりを忘れないんですから」
蝶屋敷でのこれまでの素行を含めてそう告げる。すると、炭治郎の表情が引き締まる。何か、並々ならぬ覚悟を背負っているようだと、暁歩も見るだけで分かった。
「俺は、禰豆子を絶対に見捨てません。必ず人間に戻してみせると、誓っていますから」
鬼を人間に戻す。
それは難しいことだと暁歩も直感で分かったが、それでも炭治郎の言葉には芯が通っている。それができると強く信じるほどの何かがあるようだ。
「俺の家族は・・・禰豆子以外、鬼舞辻無惨に殺されました」
ある村の山奥で、炭治郎の家族は代々続く炭焼き業を営んでいた。しかし、六人兄妹の長男だった炭治郎が留守にした一夜にして、親と弟妹は無惨に喰い殺され、禰豆子は鬼になってしまった。
それでも炭治郎は、ただ一人の家族となってしまった禰豆子を見捨てられなかった。偶然にも水柱・冨岡義勇と遭遇して鬼殺隊の存在を知り、鬼になった禰豆子を人間に戻す方法を探るために鬼殺隊に入ったという。それが二年前のことだ。
それから入隊後の任務で
「鬼と戦っている中で・・・鬼は悲しい生き物なんだと知りました」
「?」
鬼を人間に戻す薬、と聞いて暁歩は引っ掛かりを覚えたが、さらに炭治郎の言葉を聞いて疑問を抱く。
「・・・鬼は皆、もともと自分たちと同じ人間だったのに、鬼舞辻の手で鬼にされ、人間を喰い、人間と戦うことになってしまった」
鬼は悲しい生き物。
その言葉を暁歩は、別の人から聞いたことがあった。しのぶの言ではあるが、彼女の姉であるカナエも同じような考えを持っていたという。人間ならば当たり前であるはずの日の光や、朝日の美しさを二度と経験できず、忌み嫌われる存在となったからと。
「何の罪もない人まで傷つけられ、何より俺の家族を殺した・・・。この悲しみの連鎖を断ち切るために、俺は鬼舞辻無惨を必ず倒します」
炭治郎が、机の上で強く自分の拳を握りしめている。
その言葉は、暁歩よりまだ歳が低い少年とは思えないほどの固い信念、強い決意を含んでいるように聞こえた。多くの悲しみを背負っていても、自分を強く保ち、信じるものを曲げない。炭治郎はそういう人なんだと、暁歩は理解した。
「・・・頑張ってくださいね」
「と言っても、お館様にはまず十二鬼月を倒そうって言われたんですけどね」
応援するが、炭治郎は苦笑して頭を掻く。
柱の前で決意を示したら、今は無理だからまずは十二鬼月を倒そうね、と優しく諭されてしまった。あれは炭治郎も恥ずかしかったし、後で聞けば柱は皆笑いを堪えていたらしい。
「でも、暁歩さんは禰豆子を怖がっていなかったみたいですね」
「え?」
「俺は鼻が利くんです。だから、禰豆子を見た時や部屋に入る時、暁歩さんからは緊張したり禰豆子に興味を持っていたりしているような匂いはしたんですけど・・・怖がっているようなにおいはしなかったんです」
鼻が利くという理由で人の感情まで読み取れるだろうか、という疑念はひとまず置いておく。暁歩の勘のこともあるので深入りするのは止めておこうと思う。
それにしても、自分が最初から恐怖していなかったと他人から言われるのは驚きだった。確かに緊張したり、禰豆子を実際に見て興味を持っていたような自覚はあるが、恐怖心は抱いていなかった、と他人から指摘されて気付く。
「だからなおさら、いきなり謝られてびっくりしたんですよ」
「・・・そうでしたか」
自分が恐怖していなかったかどうかはともかく、炭治郎も出まかせを言っている風には見えない。とりあえず今は、その言葉を否定せずに聞いておくことにした。
「それでは、炭治郎くんがまた戦えるように、俺も全力で応援しますね」
「ありがとうございます!」
確固たる目標を掲げ、強い意思をもってそれを実現しようとする人を見ると、暁歩も自然と背中を押したくなる。彼もまた多くのものを背負っているからこそ、親しみを感じる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「・・・といった具合でした」
そして暁歩は、診察室でしのぶに首尾を報告する。その報告を途中で止めることなく全て聞き終えてから、しのぶは頷いた。
「では、炭治郎くんの身体の方はほぼほぼ完治していると言った感じでしょうか?」
「はい。近くで見ても、痛みを我慢している感じもなかったですし」
「それでしたら、そろそろ機能回復訓練を始めましょうか」
しのぶが方針を決めると、暁歩も頷く。訓練が始まることに関しては、アオイたちにも伝えた方がいいだろう。
「禰豆子さんの方はどうでしたか?」
「いえ・・・特に何の問題ありませんでした。ほとんど眠っていましたし、見た感じ普通の女の子のようでした」
自分が感じたことをありのまま伝えると、しのぶは安心したように息を吐いた。炭治郎がいたとはいえ、やはり鬼のいる部屋に足を踏み入れたことが心配だったのかもしれない。
「暁歩さんがそう言うのであれば、私も安心ですね」
そう言ってしのぶは笑ってくれた。実際に禰豆子と接した暁歩の言葉を信じて、気持ちが落ち着いたらしい。
そしてそれは、あと少しのところで納得していなかったしのぶが、ようやく認められたということ。そうなるまでに至った自分の言葉を信じてくれたことが嬉しくて、同時に自分の中で好意が増長するのを感じ、暁歩ははにかむ。
「・・・あ、そう言えば」
「?」
「炭治郎くんが、『ある人に鬼を人間に戻す薬を研究してもらってる』って言ってたんですけど・・・」
「鬼を人間に戻す薬・・・?」
炭治郎との話で少し気になったことを伝えると、しのぶも首を傾げた。
鬼のことを知っているのは、当然ながら鬼殺隊と、藤の花の家紋の家、さらには鬼に襲われかけた人だ。しかしながら、それ以外となると流石に気になる。
「しのぶさんは、何かご存じだったりしますか?」
「いえ、それは・・・私も思い当たりませんね」
しのぶでさえも知らない、鬼にまつわる薬を作っている人となると、暁歩も気になる。だが、それに関してはしのぶも多少調べておくとのことになり、この件についての報告は終了になった。
それから暁歩は調剤室に向かおうとすると、きよ、すみ、なほ、そしてアオイに呼び止められる。
「あの、暁歩さん・・・」
「はい?」
「アオイさんから、禰豆子さんの部屋を掃除したって聞いたんですけど・・・」
不安そうにきよが話しかけてくる。後ろに立っているアオイたちも、少し怖がっているような様子がした。
よく考えてみれば、四人とも禰豆子の姿は見ていないし、話もしのぶから聞いているだけだから、怖がるのも仕方ないことだ。
「大丈夫でしたか・・・?」
「うん、少しも怖くなかったよ。禰豆子さんも普通の女の子みたいだったし」
だから、安心させるように暁歩が膝を屈めて視線を合わせそう伝える。
けれど、まだきよたちの不安は拭い去ることができないらしい。表情がそれを語っていた。
「新しい布団を持っていくと、気持ちよさそうに寝ちゃったし」
ついでの情報を伝えると、少しだけ緊張が和らいだ感じがした。自分たちと同じような、親近感が湧く出来事となれば、より安心しやすくなる。
そこから暁歩は、やはり禰豆子は鬼であっても人間に近いんだなと思った。
「禰豆子さんのことは、怖がらなくて大丈夫だよ」
もう一度そう伝えると、今度はきよたちも頷いてくれた。
言葉だけで全面的に信じてもらえるかどうかは不安だったが、自分は心配には及ばなかったこと、そして禰豆子が害のないことが伝わったので一応は安心だ。
後は、炭治郎たちの訓練が始まることも、留意してもらおうと思う。
≪おまけ≫
暁歩が禰豆子の部屋を掃除してから少し経って。
「すぅ・・・すぅ・・・」
(禰豆子さん、よく眠ってるね・・・)
(うん、可愛いね~)
(起こさないようにしなきゃ・・・)
きよ、すみ、なほの三人は、禰豆子の部屋で寝顔を見て微笑みながら、静かに掃除をすることが増えたという。