炭治郎たちが運び込まれて一週間。
しのぶの判断で、炭治郎と伊之助は機能回復訓練を受けることになった。善逸はまだ身体の状態が万全ではないため、二人よりも少し後に参加する。それでも、炭治郎は訓練と聞いて張り切って挑もうとしており、伊之助も大人しく従って参加してくれた。
しかし、彼らが訓練に参加する前の前向きな姿勢を見て、暁歩の良心はそれなりに痛んだ。
「せーのっ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛・・・」
暁歩は気の毒な思いで、きよたちによってうつ伏せの状態から海老ぞりさせられている伊之助を眺める。
寝たきりで鈍った身体を解すこの訓練。きよ、すみ、なほが主体となって行うのだが、暁歩はこの訓練を行えない。と言うのも、柔軟は無理に力を込めると逆に身体を痛めてしまうため、まだ幼く力が弱い彼女たちの方が適任だからだ。
けれど、硬くなった体を自分ではない誰かに動かされるのは相当に辛い。例えその力があまり強くなくても。
「それでは、はじめ!」
そして炭治郎は、アオイを相手に反射訓練を行っている。机の上に置いてある湯飲みを取り合うこの訓練は、暁歩も経験したことがある。アオイにはわずかな差で負けてしまったがその時浴びた薬湯の匂いは(自分で作ったのもあるが)克明に覚えている。
「はっ!」
「ぶぇっ」
そして炭治郎が押さえるよりも早く、アオイが湯飲みを取って中身を炭治郎に容赦なくぶっかける。
「全身訓練、開始!」
最後は柔軟・反射訓練で心身ともに疲れてから行う鬼ごっこ。ここで相手になるのはアオイとカナヲで、アオイは身軽だし、カナヲはそれ以上に動きが速い。カナヲは速いというより、相手の動きに反応する速度が常人のそれではなく、どれだけ速く近づいても躱されてしまう。炭治郎と伊之助の二人がかりで追いかけても、カナヲの髪の毛一本に触れないほどだ。
ちなみに暁歩は、反射訓練と全身訓練に教官側として参加することはできる。ただ、その実力はアオイとカナヲの中間程度なので、炭治郎たちがアオイに勝てばその次に相手になる感じだ。
「それでは、今日はここまでにします」
「ありがとうございました・・・」
「マタ明日・・・」
そして夕刻にアオイが締めると、炭治郎と伊之助はげっそりとした様子で病室へと戻っていく。一応自分一人の力で歩ける程度には回復しているようで、そこに関しては安心だ。
暁歩は反射訓練で使った湯飲みを片付けながら、こぼれた薬湯を拭くアオイに話しかける。
「明日からは善逸くんも参加する予定ですけど・・・」
「まあ、恐らく手こずるでしょうね」
達観した様子のアオイに、暁歩も同情する。ただでさえ薬が苦いと言うだけで大泣きする善逸だから、あの訓練の厳しさを見たら逃げ出してしまうかもしれない。何とも厄介な人だと思う。
「それでも、また戦えるようにしないといけませんから」
「ええ、それは分かっていますとも」
それでも炭治郎たちは、暁歩やアオイとは違い、例え怖くても前線で戦い続ける立派な剣士だ。善逸も、蝶屋敷での態度こそ目につくが、那田蜘蛛山ではあの厄介な毒を使う鬼を斃し、他の被害者の毒の進行を遅らせたとも聞いている。
戦い続けるからこそ、暁歩もアオイも、彼らが戦場に万全の状態で戻れるように支えている。
暁歩とアオイは、顔を合わせて頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そして訓練が始まると、暁歩もしのぶに仔細を報告することになっている。
「以上が、今日の報告です」
「はい、ありがとうございます。明日からは、善逸くんも参加しますのでよろしくお願いしますね」
「どうなることか不安ですが・・・」
先行き不安なのはしのぶも同様で、暁歩の言葉に苦笑する。
そこで診察室を後にしようとするが、しのぶがその前に『よろしいですか?』と呼び止めてくる。
「何ですか?」
「いえ、機能回復訓練について一つ考えていたことがありまして」
暁歩は部屋を出ようとするのをやめて、改めてしのぶの前に座る。
「実は、もし希望する方がいたら、暁歩さんに稽古をつけてもらおうかと思っているんです」
「は?」
思いもよらないしのぶの提案に、暁歩も思わず間抜けな声が出てしまう。相手が柱であることも、想い人であることも忘れての言葉だったが、内容が内容なだけに仕方ない。
「いえ、難しい話ではありませんよ。今行っている三つの訓練を全て終えたら、本格的な戦闘を想定して、どなたかと手合わせをしてもらおうかと思っているんですよ」
「はあ・・・」
「それで、ある程度鍛錬を積んでいる暁歩さんに、その役を任せようと思っていましてね」
「それは・・・」
しのぶの言っていることは分かるし、的を射ていると思う。
けれど分からないのは、なぜ自分が選ばれたのかということ。別にその役を任せられるのが嫌なわけではないが、自分が選ばれた理由が分からない。
「なぜ俺を・・・?」
「言うなら、強さの関係ですね。暁歩さんの隊士としての力は、機能が戻りつつある竈門くんたちが相手にするには丁度良いと思いまして」
要するに、暁歩の強さは病み上がりの人が相手にするにはもってこいなぐらいで、強すぎず弱すぎず、という意味だろう。
妙に褒められていない感じがするが、しのぶは言うに及ばず、カナヲもまた強い。アオイは分からないが、しのぶの見立てでは暁歩が一番いいというわけか。
「・・・まあ、自分でよければ」
「ありがとうございますね」
ただ、断る気はない。怪我をした炭治郎たちが戦線に復帰するためであれば力を貸したいと思っているし、しのぶからの頼み事でもあるので断ろうとは思わなかった。
そして、ふわっとした笑みを見ると、やはり頑張らなければと心の中で考えた。
□ □ □ □ □
そして翌日。善逸は炭治郎たちに連れられて訓練場へとやって来た。本人曰く、脚は元通りの尺に戻っているとのことだったが、確かに炭治郎や伊之助と背丈だけは同じに見える。腕の長さはまだ短いようで袖を余らせている感じだが。
そんな善逸は、訓練場に入ってきて暁歩の姿を認めると、質問をしてくる。
「あの、暁歩さん。機能回復訓練ってどういうことするんですか?」
「あれ、炭治郎くんたちから聞いていなかったんですか?」
「だって炭治郎たち、部屋に戻るなり布団にくるまって『ゴメン』だの『気にしないで』だのって教えてくれないんだもん!」
それを聞いて炭治郎と伊之助を見ると、炭治郎は決まりが悪そうに視線を逸らし、伊之助は話を聞いていないのか全く反応を示さない。
「あの炭治郎がやつれた顔してたんだよ!?あの蜘蛛だらけの山の後でさえあんな顔見せなかったのにさ!絶対なんか厳しい訓練なんだ!地獄みたいな訓練なんだぁぁ!!」
「大丈夫ですよ。機能回復訓練は、鈍った身体の機能を元に戻すための訓練ですから。怪我は絶対しません」
「厳しいのは否定しないんだ!地獄みたいなのも否定しないんだ!」
「いや、それは・・・うん」
「いーやーだー!!」
人によっては厳しいと思うし地獄とも思うだろう、と頭をよぎってしまい答えに詰まると、いよいよもって恐怖が限界に近付いたのか善逸がいつものように泣き叫ぶ。
「ちゃんと説明しますから、やる前から泣き言を言わないでください!」
ついにはアオイが手を叩いて注目を集めさせる。暁歩も、逃げ出す勢いで泣く善逸をどうにか宥めて座らせる。炭治郎と伊之助も正座した。
それから、今日が初日の善逸のためにアオイたちが実演も交えて昨日回復訓練の内容を説明する。その過程で伊之助はまたもきよたちの手によって海老ぞりにされ、炭治郎はカナヲに薬湯を顔面にぶっかけられる。手本を見せるという名目だが、本人たちがものすごく苦労しているのが同情を誘う。
そして、一通りの説明が終わると。
「すみません、ちょっといいですか?」
なにやら神妙な面持ちで挙手する善逸。その雰囲気が普段と少し違うのを感じ取ったのは、暁歩とアオイだ。
「?何か分からないことでも?」
「いえ、ちょっと」
アオイが聞き返すが、善逸は多くを語らずにゆっくりと立ち上がる。
「来い、二人共」
「え?」
そして、割と低めの声で炭治郎と伊之助を呼ぶ。なんだか善逸の様子がおかしい、とその場にいた誰もが分かった。
「行かねーヨ」
だが、伊之助は正座したままで拒絶する。
すると次の瞬間。
「いいから来いって言ってんだろうがァァァ!!」
突然叫んだ。しかも泣き叫ぶのではなく、怒りを孕んだ叫び声。
これには全員が肩を震わせて驚くが、その驚きが引かないまま善逸は炭治郎と伊之助の首根っこを掴んで『来いコラァ!!クソ共が!!ゴミ共が!!』と怒鳴りながら引きずって訓練場を後にしてしまう。
「・・・一体何が」
「さぁ・・・」
暁歩が訊くが、アオイは首を横に振る。怒っている様子だったが、何が彼の琴線に触れたのか分からない。もしや、訓練の厳しさを目の当たりにして、何も言わなかった二人に激怒しているのか。
だが、少しの間悩んでいると。
『正座しろ正座!この馬鹿野郎どもがァ!!』
外から善逸の怒気を孕む声が聞こえた。
暁歩たちが一斉にそちらを向くと、次の瞬間訓練場の壁に『ズドン』という音と共に振動が伝わる。近くにいたきよたちがビクッと驚いて体を震わせた。
「ひゃっ・・・!?」
なほが思わず腰を抜かす。
流石にただ事ではないと思った暁歩は、『ちょっと様子を見てきます』と訓練場を後にする。
音がした訓練場の裏手に回ろうとすると、善逸が炭治郎と伊之助を糾弾しているような場面を目にした。やはり訓練のことで怒っているのか、と暁歩が思いながら仲裁に入ろうとすると。
「女の子に触れるんだぞ!?体揉んでもらえて!!湯飲みで遊んでる時は手を!!鬼ごっこの時は身体触れるだろうがアア!!」
駆け付けようとした足が、ぴたりと止まった。
「女の子一人につきおっぱい二つ!お尻二つ!太もも二つついてんだよ!!すれ違えばいい匂いがするし見てるだけでも楽しいじゃろがい!!」
終いには顔を真っ赤にして跳び上がって『幸せ!!うわあああ幸せ!!』と叫んでいた。人間離れしたその動きに、もう完治したんじゃないかと思わなくもない。
そんな彼らの一部始終を見届けた暁歩は、気付かれないように静かに訓練場へと戻る。
どうやら善逸には、炭治郎と伊之助が訓練を受けている様子が、アオイたちと楽しく遊んでいるように見えたらしい。それは勘違い以外の何物でもないが、とりあえず大事ではないのでそれをアオイたちに伝えることにした。
「・・・えーっとですね」
「言わないでください」
訓練場に戻り、事の顛末をやんわりと伝えようとしたが、アオイがそれを阻んだ。
「全部聞こえてましたから」
明らかに嫌悪感を抱いているような声。きよ、すみ、なほの三人も心底辟易しているような表情だった。表情が変わらないのはカナヲだけだが、最初の善逸の怒鳴り声も聞こえたし、あんな大声で言い争いをしていたら聞こえても仕方ないか、と暁歩は諦める。
それから少しして、三人は戻ってきた。善逸は一周回って清々しいほど下心に溢れた笑みを浮かべており、伊之助はなぜか勇み足、炭治郎はなぜか申し訳なさそうな表情で。
「・・・それでは、始めます」
しかしながら、善逸だって腐っても鬼殺隊士であり怪我人。受ける以上は全力で訓練に協力しなければならない。
まずは最初に柔軟。伊之助の時と同様にきよたちがうつ伏せの善逸を押さえ、腕を掴んで海老ぞりにさせる。
「えへへへ~」
しかし驚いたことに、善逸は終始それに笑顔で耐えた。その後の前屈、手足同時伸ばしにも全く動じず、あれらの柔軟に呻いていた伊之助も認めている様子だ。ただ、暁歩と炭治郎は、善逸の下心が痛みに勝っていると気付いていたが。
「それでは、はじめ!」
続く反射訓練、善逸の相手はアオイだ。
暁歩もそうだったが、通常の隊士であれば数秒程度アオイと湯飲みの取り合いになるところだ。しかし、善逸は開始の合図の直後、湯飲みを持とうとしたアオイの右手を素早く左手で握って押さえ、残る右手で湯飲みを持ち上げる。
その速い動きには、流石に暁歩も驚く。
しかし善逸は、薬湯をアオイに掛けてはおらず、湯飲みの口をアオイに向けただけだ。
「俺は女の子にお茶をぶっかけたりしないぜ」
そして決め顔で決め台詞。尤も、先の訓練場裏での言葉が丸聞こえだったため、アオイの目は完全に冷め切っており、きよたちも引き気味だ。
何はともあれ、最後の全身訓練に移る。
「開始!」
しかしここでも、善逸の動きの速さが光る。
なほの開始の合図とともに、善逸の姿が消えた。病み上がりにもかかわらず、それだけ速い動きができるのはすごいことだ。
「速い・・・!」
暁歩も思わず言葉にしてしまうし、対峙していたアオイも見失っている。
その直後、『わっしょい!!』と謎の掛け声と共に善逸の姿がはっきりと目に映るが、その時には既にアオイに抱き着いているところだった。
だが、それでアオイも堪忍袋の緒が切れたようで、逆に善逸をボコボコに殴ってしまった。ここで暁歩は待ったをかける。
「ちょっとアオイさん!何やってるんですか!」
『勝負に勝ち戦いに負けた・・・』などと訳の分からないことを話している善逸の顔の怪我を診ながら、暁歩はアオイに声をかける。当のアオイは、いきなり抱き着かれたことが相当嫌だったらしく、自分の身体を抱くように腕を回している。
「だって善逸さんが急に抱き着いてきたから!」
「だからって怪我人を殴って余計怪我を増やしたら駄目です!」
きよたち三人娘が二人の仲介をするようにオロオロとして、善逸は怪我を診てもらいながら、庇ってくれている暁歩に感動の眼差しを向けている。
ところが。
「そりゃ確かにさっきは下品な発言はしましたし、女性にいきなり抱き着くなんて男として見下げ果てたこともしましたけど、だからって殴るのは駄目ですよ!」
「聞いたか炭治郎!コイツ俺のこと庇うふりしてサラッと追い打ちしてきた!」
「落ち着け善逸!それに女の子に急に抱き着くのも駄目だ、今のは善逸が悪い!」
「チキショー!!」
怪我の手当てをされながら叫ぶ善逸。暁歩はそんな状態の善逸にも優しく言葉をかける。
「善逸くん。あんなことをされたらほとんどの女性は嫌がります。怪我を増やしたくなかったら、みだりにああしたことはしないように」
しかしながら善逸は、なまじ暁歩の言っていることが正論な上に、先ほどの
「大体暁歩さんも暁歩さんだよ!俺の薬結局苦いままだったじゃない!調合変えるとかなんとか言ってたくせに!」
「あれはアオイさんと相談した結果ですよ。やはり一刻も早い快復のためには薬の調合は変えるべきでないということになりまして」
「って言うかそうだ!この屋敷で暮らしてるってことは、アオイちゃんやきよちゃん、そんでもって滅茶苦茶美人なしのぶさんと一つ屋根の下で暮らしてるってことだろ!?」
「それが何か・・・?」
「あんな可愛い人たちに囲まれてキャッキャのウフフで楽しく暮らしてるなんてこの卑怯者―――――あ」
善逸の言葉は、途中で止まった。
暁歩が、ゆらりと立ち上がったのだ。
ここにいる人間の中で炭治郎と伊之助しか知らないが、善逸は聴覚が非常に優れている。血の流れる音や心音、脈拍の音で、人の思考や感情まで読み取れるほどに。
だから善逸の耳は、暁歩から激しい怒りの『音』が聞こえてくるのを感じ取った。それで、不満をぶつけるのを止めたのだ。
そして、鼻が利く炭治郎。彼もまた、暁歩から『怒り』の匂いを感じ取り、口が引き締まる。
「・・・そうですか。俺がしのぶさんやアオイさんたちと遊んで暮らしている様に見える、と」
声が平坦だった。とてつもなく。
善逸は今更ながら、自分が何かとんでもない逆鱗に触れてしまったのではないかと気付き、身体を小刻みに震えさせる。
「それは間違いですよ、善逸くん?」
顔を上げた暁歩は笑顔だった。春の訪れを感じさせるような、爽やかな。
しかし、それを見た善逸の背中に猛烈な悪寒が走る。今なお聞こえてくる暁歩の『音』は激怒のそれなのに、表情が正反対もいいところだったから。これにはアオイやきよたちも恐ろしくなったようで、表情が固まる。炭治郎も、匂いで暁歩が怒っていることに気付き、表情と感情の乖離性を目の当たりにして冷や汗が出てくる。
「良いですか善逸くん?この屋敷に暮らす皆さんは、ここで日々傷ついた隊士の皆さんの怪我を治して、また戦えるように尽力しているんです。薬を調合し、怪我を診て治し、こうして戦えるよう訓練を付ける。決して、君が思っているように遊んで暮らしているのではないのですよ?」
笑みを崩さないまま、いっそ寒気すら感じられそうなほど優しい口調で暁歩は善逸に諭す。善逸は最早口答えすることもできず、ただ震えながら暁歩の説教を聞いている。
「それと、俺のことはどう言っても構いませんが、しのぶさんやアオイさんたちも辛い過去を持っているんです。だから、みだりに先ほどのようなことをしたり、当てずっぽうで物を言ったりするのは止めましょうね?」
「はい・・・・・・」
「特にアオイさんは、善逸さんのことを考えて診てくれていたんですからね?そんな人に不躾なことを言ったりやったりしてはいけませんよ?」
「分かりました・・・」
「分かればよろしい」
最後に善逸の肩をポンポンと叩き、暁歩は表情を崩さないまま、アオイたちに伝える。
「さて、それでは訓練を再開しましょうか」
『はい』
仕切り直すと、カナヲを除いた全員が姿勢を正して返事をする。
そしてこの時、暁歩と過ごした時間が長いアオイ、きよ、すみ、なほの四人は察した。笑いながら怒りを見せる性質の暁歩は、根底の部分がしのぶと同じだと。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
仕切り直して、伊之助が訓練を受ける番になる。
昨日まではアオイ相手に手も足も出なかった彼だが、今日が初日の善逸が(下心があっても)成果を挙げたことに触発されたのか、目覚ましい成長を遂げた。
「ッシャァ!!」
「うっ・・・」
反射訓練では、アオイ相手に余裕の速さで湯飲みを確保し、躊躇なく薬湯を掛けることに成功。
さらに全身訓練では本来の動きを取り戻したのか、素早くアオイを捕まえ、さらには足首を掴んで逆さ吊りにするほどにまで体力を取り戻している。
その様子を見て、暁歩は感心しながら炭治郎に話しかけた。
「炭治郎くんも、頑張ってください」
「はい・・・」
だが、炭治郎は少し気まずそうに立ち上がって、反射訓練に挑む。結果は、今日もまたアオイを相手に勝つことができず、薬湯をぶっかけられてしまう。全身訓練でもアオイを捉えることができず、時間切れになってしまった。
今日の炭治郎の動きは、全体的に少し落ち気味だ。最初のあまり気乗りしない様子もあって、気になった暁歩は訓練後に炭治郎に訊いてみる。
「・・・どうかしたんですか?」
「・・・よこしまな気持ちで訓練をするのはいけないと思って」
炭治郎はどこまでも真面目な少年だと、暁歩は思った。ただ、炭治郎はこのままコツコツ訓練を積んでいくとして、飛躍的に動きの精度が上がった善逸と伊之助はどうするか。
「暁歩さん、あの二人の相手をしていただいてよろしいですか・・・?」
するとそこへ、手拭いで髪に掛かった薬湯を拭くアオイが話しかけてきた。元々暁歩もそのつもりだったので、頷いて相手になる。
まずは、善逸相手の反射訓練。
「・・・・・・」
善逸はやけに真剣な表情をしており、女の子を相手にする時だけでなく、やる時はやる子なんだと暁歩は思った。ちなみに善逸だが、暁歩に勝てば傍目に見ても可愛いカナヲと勝負できると思っているため、結局下心故の表情だが暁歩はそれに気づかない。
「はじめ!」
審判のすみの合図で暁歩と善逸の手が同時に動く。
アオイとの訓練を見ていた時も思ったが、善逸の動きはやはり速い。暁歩も目を凝らして動きを捉えようとするが、それ以上に善逸の動きは速いのだ。瞬殺とはいかなかったが、数秒の駆け引きののち、暁歩は善逸に薬湯を掛けられてしまう。
「動きは問題なさそうですね・・・後は、カナヲさん相手に勝てれば問題はないでしょうか」
手拭いで顔を拭きながら善逸に話しかけるが、『カナヲ』と言った瞬間に目が光った。その意図を理解して、見境なさすぎじゃないだろうかと思う。
続けて伊之助を相手に反射訓練が始まる。彼は彼で、戦えるのであれば誰でもいいのか、とても張り切った様子だった。
「おい暁吉、俺の速さに恐れおののくがいいぜ」
「誰ですか暁吉って」
「お前だお前!暁太郎!」
「暁歩です」
ただ、伊之助は人の名前を覚えるのが苦手らしく、これまで三~四回ほど名前を間違えられている。名前が珍しい方という自覚がある暁歩だが、間違って覚えられるのは悲しい。
それはともかく、反射訓練での伊之助の動きは、善逸ほどではないがそれでも速い。加えて、猪の生皮を被っているので視線がどこを向いているのか分からず、離れたところの湯飲みを取って掛けてくるので防ぎきれずに敗北した。
「ッシャオラァ!!」
しかも勢いよく薬湯を掛けてくるので、すぐに反応しなければ目に薬湯が入ってしまう。実際わずかに目に入って、しばらくの間目を開けるのが難しいほどになってしまった。アオイの気持ちが分かる。
そして、全身訓練へと移るのだが、善逸は相変わらず暁歩に勝てばカナヲと訓練ができると躍起になり、アオイの時ほどではないがそれでも十分速く動き、暁歩の腕を掴んでこれを突破した。
「・・・・・・」
その腕を掴まれた時、アオイから敵意に満ちた視線が善逸に向けられていた。やはり、先ほど抱き着かれたのは、女性であるアオイだったからこそだと気づいたようで、憤慨するのも致し方ない。
そのあとは、伊之助が相手になる。彼は直線的な動きが目立つ方だが、姿勢を低くして迫ってくるので、こちらも動きが速い。しかも『猪突猛進!』など叫びながら突っ込んでくるので、別の意味で恐怖してしまう。
そして、追われる側の暁歩だったが、脚を掴まれて前のめりに倒れてしまう。
「ハッハァ!!山育ちの俺に敵はいねぇ!!」
そして背中を踏んづけられ、高らかに宣言された。
一方で暁歩は割と地味に凹んでいた。それぞれの要因で躍起になっていたとはいえ、病み上がりの善逸と伊之助を相手に負けてしまうのは、少々心に響く。もう少し鍛錬しないとダメか、と暁歩は伊之助に足蹴にされながら考えた。
だが、善逸と伊之助が好調だったのはここまで。
カナヲは、善逸や伊之助以上に動きが速く、反射訓練で湯飲みを押さえる前に薬湯を掛けられ、全身訓練でも髪の毛一本触れることさえできず、善逸と伊之助は勝てないまま、その日の訓練は終了となってしまった。
□ □ □ □ □
そうして三人がカナヲに負け続けて五日。
善逸と伊之助は訓練場に来なくなってしまった。
「・・・お二人は?」
「それが・・・二人とも不貞腐れてしまって」
唯一来た炭治郎が申し訳なさそうに告げると、暁歩とアオイは顔を見合わせて、嘆息する。炭治郎曰く、善逸はもともと自分に自信が持てない性質で、伊之助もまた負け続けることに慣れていないかららしい。だから、カナヲを相手に手も足も出ない現状が続いたせいで、少し自信を失くしてしまったのだろう。
「・・・まあ、無理強いはできませんからね」
「全く・・・」
「すみません。明日は連れてきますので・・・」
仕方ない、と暁歩とアオイが嘆息すると、炭治郎が謝る。
ただ、炭治郎もこの五日で大分身体の機能が回復してきている。
「痛くないですか~?」
「うん、大丈夫だよ・・・」
きよたちが背中を押して前屈させたり、海老ぞりにしても、炭治郎は苦しむ様子を見せない。それだけ身体が柔らかくなってきている証拠だ。
「はじめ!」
反射訓練で暁歩が相手になるが、炭治郎とはほぼ互角の戦いになっている。一瞬の差で湯飲みを押さえられ、炭治郎が持ち上げようとする湯飲みを寸でのところで押さえつける。そうしたギリギリの攻防が続き、制限時間一杯までお互いに薬湯を掛けることはできなかった。
「そこまで!」
「「はぁ・・・」」
審判のアオイが告げると、暁歩と炭治郎は力を抜く。
無意識に呼吸が少なくなってしまったので、息を整えてから暁歩は炭治郎に話しかけた。
「大分身体の調子は戻っているようですね」
「ええ、何とか・・・まだ体力はあまり戻ってない感じですけど・・・」
「カナヲさんは自分よりずっと強いですから、より本格的に動けますよ」
「分かりました」
そして、炭治郎は立ち上がってカナヲの方を見る。
「お願いします!」
□ □ □ □ □
そして炭治郎がカナヲに負け続けて、十日が経つ。
その間、善逸と伊之助は訓練に参加しておらず、それについて炭治郎は謝罪をしてくるが、アオイは『もう気にしなくていい』と半ば切り捨て気味になっていた。暁歩も苦笑し、炭治郎が謝ることはない、とやんわりと伝える。
その炭治郎も、今日もまたカナヲに勝つことができないまま、薬湯を拭くこともなく訓練場を後にする。どうやら何かを考えていて、自分の身体のことに気が回っていないらしい。
「手拭いを持っていきますね」
「うん、お願い」
そんな炭治郎を見かねて、きよたちは後を追う。あの三人は炭治郎の優しい雰囲気が好きらしく、最近になってよく懐くようになっていた。善逸と伊之助の性格にやや難があるため、消去法的なものなのかもしれないが。
そして、残った暁歩とアオイで訓練の後片付けをする。
「善逸くんと伊之助くん、なかなか来ませんね・・・」
「・・・怪我人に無理強いすることもできませんし」
アオイの言う通りで、訓練は無理強いしてはならないのが鉄則だ。だから、病室まで行って訓練に参加するように言ったり引っ張り出したりできない。全ては受ける人の自主性に任せている。
「来てくれるといいんですけど」
暁歩がぽつりとつぶやくが、アオイは机を拭いたまま何も言わない。
そうして湯飲みやこぼれた薬湯を片付け終えたところで、きよたちが戻ってきた。手拭いを渡すだけにしては少し時間がかかっているような気がする。
「炭治郎さんに、全集中・常中のことを教えてきました」
「それって、柱の人やカナヲさんがやっている?」
「はい。それを会得すれば強くなれるって伝えたんです」
きよたちが教えてくれる。全集中・常中は門外不出の技でもなく、隊士一人一人の基礎的な力を底上げするのは、ひいては鬼殺隊の戦力増強にも繋がるから問題ないだろう。
ただ一つ、気がかりなことがあった。
「でも、その修業はすごく厳しいって聞いたけど・・・」
「はい。だから、空いた時間に私たちが見てあげようと思います」
「しのぶ様にも許可はとっていますので」
全集中・常中の修業は、ひたすら肺を鍛えて大きくし、身体の中に多くの酸素を取り入れて、基礎体力を向上させることだ。だが、通常の全集中の呼吸でさえ短時間使うだけでも疲れやすい。それを一昼夜できるようになるためには、とても厳しい道のりだろうと思った。
しかし、しのぶの許可が下りているのなら大丈夫だと思う。訓練を監督していた暁歩から見ても、炭治郎の身体には問題もなさそうなので、異論はない。
「・・・じゃあ、炭治郎くんは機能回復訓練の時間を少し縮めて、他をその修業の時間にしようか」
「はい!」
「アオイさんもそれで大丈夫ですか?」
「ええ、問題ありません」
病人に無理強いはしないが、自分から努力しようとする人のことは全力で応援する。それは蝶屋敷の皆の総意だった。
□ □ □ □ □
肺を鍛えるやり方は、走り込みをしたり、重いものを持ち上げること。とにかく身体を動かして肺活量を増やし、肺を大きくする。
炭治郎もまた、空いている時間は庭で木刀を素振りしたり、庭の木々の合間を縫うように走り抜け、細い竹垣の上を全力で駆ける。さらに、麻紐を借りたかと思えば岩を縛って、木の枝に紐を掛けて持ち上げるという独自の訓練も始めた。
「竈門くん、頑張っていますねぇ」
「本当ですね・・・」
そんな炭治郎の様子を、しのぶと暁歩は静かに見守っている。
特に暁歩は、炭治郎がひたむきに鍛錬をしている様子を見て、感心すると同時に自分ももっと鍛錬しようかなと思い始めている。機能回復訓練で善逸と伊之助に負けたのもあるが、ああして彼が頑張っている姿を見るとどうも自分も何かしなければと思う。毎朝の鍛錬は続けているし、裏山で呼吸法を使った技も試しているが、それ以上にもっと強くならなければと思う。
「炭治郎さん、お茶が入りましたので休憩にしましょう」
「わ、ありがとう!助かるよ~」
修業に励む炭治郎に、きよが声を掛ける。炭治郎は笑顔で答えて、お茶とおにぎり、手拭いを縁側で用意していたきよたちの下へと向かう。
炭治郎と仲良くなったきよたちを見て、しのぶは表情を綻ばせた。
「きよたちは、炭治郎くんのことを兄のように慕っているみたいですね」
「あー・・・まあ、多分歳が近いからでしょうね。炭治郎くんも禰豆子さんがいますし」
見た感じ、きよたちと禰豆子の年齢はさほど変わらないようなので、炭治郎からしてみてもきよたちは妹のように懐いてくれていると思っているのだろう。それに、炭治郎は六人兄妹の長男だった。ああして小さい子供の相手をするのは苦ではないだろうし、むしろ炭治郎にとっても良いことかもしれない。
「ちなみに、暁歩さんのことはお父さんみたいだときよたちは言ってました」
「それは・・・」
どう反応すればいいのか分からない。まだ二十歳にもなっていないのに、あんな少女たちから父親扱いされても素直に喜べなかった。
「なら、差し詰めしのぶさんはお母さんのような感じでしょうかね」
「おや、それは褒めているのでしょうか?」
「まあ褒めているつもりですけどね」
そんな切り返しは予想していなかったのか、意外そうな目で暁歩を見てくるしのぶ。大体皮肉のつもりだったが、暁歩としてはしのぶは蝶屋敷の皆をまとめる存在でもあるので、その評価もあながち間違ってはいないのではないかと思っている。
「ただ、きよたちも懐いてくれるのは良いことだと思っていますよ」
「?」
「あの子たちもまた・・・『家族』を喪っていますから」
下がり気味のしのぶの言葉に、唇を噛む暁歩。
忘れてはいないが、今も炭治郎と楽しそうに話しているきよ、すみ、なほもまた、暁歩やアオイ、そしてしのぶと同じで家族を鬼によって喪っている。それがどれだけ悲しいことか、辛いことかは暁歩も分かっているつもりだ。
加えて、きよたちは暁歩よりもまだ幼く、『家族との死別』という大きな心の傷を一人できちんと整理するのが難しい年頃だ。そんな彼女たちには、一人でも多くの支えてやれる人が必要だと思っている。それが、蝶屋敷で暮らすしのぶやアオイ、そして暁歩であり、接している炭治郎でもあるのだろう。
「・・・例え代わりであっても、家族のように見られる人がいると、心が安らぎますからね」
さらにしのぶが告げると、暁歩は頷く。
だからこそ、しのぶもまた蝶屋敷で暮らす皆のことを家族のように見ていて、大切に思っている。最初こそ『可哀想だから』『放っておけない』と言ったある種情けの気持ちを抱いていたかもしれないが、一緒に過ごす中でそれも『本当の家族のように思う』気持ちへと変わり、お互いに安心でき、大切に思い合う関係になれた。
それは、拾われたきよたちも同じはずだ。慕っている、懐いているとはそれだけ心を許しているからであり、暁歩を『父親のよう』と思うのも、やはり本当の家族のように見てくれているからだ。だから、それを考えれば嬉しいことだった。
「・・・家族を喪ったことは、きよちゃんたちも忘れられないでしょうけど・・・ああして、今楽しそうにしているのを見ると安心します」
「・・・ええ」
「それだけ皆も・・・前を向いて、立ち直れているってことですから」
過去は消えない。『親を喪った』なんて重大な出来事ならば、なお簡単に目を逸らせないし、吹っ切れない。
それなら、その過去を上書きできるほどに今を生きる。その手助けをしてやるのが、彼女たちよりも少しだけ年上の暁歩たちにできることだ。それはしのぶも理解している。
「わー、炭治郎さんのおでこ硬い・・・」
「あはは、よく頭突きもしたなぁ」
縁側でおにぎりを食べる炭治郎、その額に無邪気に触るきよたち。和やかに接する姿を見て、暁歩は小さく息を吐く。
「さて・・・。後は、善逸くんと伊之助くんも訓練に戻ってくれるといいんですが」
結局、五日目を最後にあの二人は未だ訓練に参加していなかった。それと同時期に戸棚のお菓子が無くなっていたり、裏山が若干荒れてくるようになったが、あえて何も言わない。
ただ、いつまでもへそを曲げたままでは実戦で命を落としかねないので、ちゃんと身体の機能を元に戻してもらいたいのが暁歩たちの願いでもある。そして願わくば、全集中・常中の訓練も受けるようになれば、とも。
「・・・そうですねぇ」
そう相槌を打つしのぶだったが、何か考えでもあるかのような笑みを浮かべていた。
≪大正コソコソ噂話≫
蝶屋敷には住人用と怪我人用の二つの風呂があり、蝶屋敷の女性陣は住人用、暁歩は怪我人用の風呂を一番最後に使って掃除もしています。
しのぶ「どうしてこれを今言うんです?」
暁歩「言っておかないと駄目な気がしました」