ありがとうございます。
「怒ってますか?」
そう言われて、微笑を忘れてしまった。
夜、屋敷の屋根の上で全集中・常中の修業をしていた炭治郎くんに声をかけて、ちゃんと呼吸ができているか確かめるだけのつもりだった。全集中の呼吸を続けられるか試すために顔を近づけたら呼吸は止まってしまったけれど、私の心の奥を見抜いたようなその言葉に、私も息が止まりそうになってしまう。
「何だかいつも怒っている匂いがして・・・。ずっと笑顔だけど・・・」
「・・・」
「前に暁歩さんが笑いながら怒っていた時と似たような匂いなんですけど、少し違うというか・・・」
なるほど、どうやら彼は嗅覚が優れているらしい。まるで、カナヲの視力と同じようだ。
そうなれば、隠すことはもうやめよう。
「そう・・・そうですね。私はいつも怒っているのかもしれない」
私の中には、鬼によって命を奪われた人、大切な人を喪った人たちの痛みや悲しみ、絶望が募っている。それは、大切な家族を、そして大好きな姉さんさえも鬼に惨殺された時から心の中に燻り始め、今はそれが心の中でとてつもないほど大きくなっている
だけど私は、笑みを崩さないでいる。私の笑っている顔が大好きだと言っていた姉さんの言葉――だから、私は笑みを浮かべ続けてきた。
鬼となってしまった禰豆子さんを救おうとしている炭治郎くんの姿は、姉さんの姿を思い起こさせてくれる。姉さんは、鬼を可哀想な生き物と見て、仲良くなろう、救おうとしていたのだから。
けれど私は、心の底からそうとは思えない。嘘を重ね、自分のことを第一にしか考えず、理性なく人間を喰らう鬼を、私は何もなく赦せない。
それでも姉さんがそうなることを望んでいたのなら、遺された私はそれを受け継がないといけなかった。
「だけど少し・・・疲れまして」
でも、そうして何年も戦い続けていると、息が詰まるような思いをしてしまう。だから、そう言わずにはいられない。
けれど、禰豆子さんを人間に戻したい、鬼を見捨てないと炭治郎くんが信念を掲げているのを見ると、私は肩の荷が下りるような気がする。彼ならば、姉さんの『鬼と仲良くする』という願いを実現できそうだから、その願いを託すことにした。
「自分の代わりに君が頑張ってくれているのを見ると、私は安心する・・・気持ちが楽になる」
「・・・・・・」
炭治郎くんは、悲しげな表情で私の話を聞いてくれた。いきなりこんなことを語られてもどう反応すればいいか分からないだろうに、黙って聞いてくれる。皆の言っていた通り、彼は本当にいい子だ。
「・・・全集中の呼吸が切れてますよ」
「・・・あ!」
最後に伝えると、炭治郎くんは慌てたような声を洩らす。それを見て私は、少しだけ微笑を取り戻してその場を離れた。
(・・・疲れた、というのも少し違いますか)
炭治郎くんにはああ言ったけれど、私の心は以前と比べると少し軽くなっているような感じがしていた。
今よりも前に、私のことを支えると言ってくれる人が現れてから。
自分も家族を喪って、心が深く傷ついて、自分のことで手一杯のはずなのに、私のことを気に掛けてくれている。『頼ってほしい』という言葉に甘えて度々本音を洩らしているけれど、嫌な顔一つしないであの人・・・暁歩さんは話を聞いてくれている。
自分の中の気持ちを聞いてくれる人がいると、自然と心も楽になっていた。
「・・・・・・」
立ち止まって、自分の胸に手を置く。
心音も、脈も、普段と変わらない。
だけど、心が温かい。それでいて、心地よい。
暁歩さんのことを思うと、こうなることが最近増えている。それは決して、自分を支えてくれる人がいて安心しているから、だけではないと思う。
この穏やかな気持ちの正体は、一体何なのだろう。
そんなことを考えながら、私は再び足を動かして、任務へと向かった。
□ □ □ □ □
とんでもない修行が始まろうとしていた。
「よろしいですか?」
「いや、よろしいって言われても・・・」
昼の問診が終わったところでなほが訊ねてきたが、暁歩は素直に頷けない。
なほのお願いは炭治郎の修業に付きたいとのことだったが、問題はその修業の内容だ。全集中・常中を会得するために、眠っている間も全集中の呼吸を続ける。ただし、寝ている間に全集中の呼吸を止めてしまったら、布団たたきで文字通り叩き起こすというものだった。
「怪我をしない程度の強さにしますから」
「それは当たり前だけどさ・・・」
すみの言葉には当然だと暁歩は頷く。それでも、暁歩は唸る。
寝てる間となれば夜間になる。きよ、すみ、なほの三人とも夜の当直はできるからその面は問題ないが、ある程度回復し、さらに怪我をしない程度とはいえ、怪我人を叩くなどという行為は少し判断しにくい。
「炭治郎くんから手伝ってほしいって言われたんだよね?」
「はい」
暁歩が問い返すと、きよが頷く。
「アオイさんに相談はしてあるの?」
「はい。アオイさんも修業を手伝うから大丈夫、って言ってました」
「そっか・・・それなら大丈夫かな」
暁歩同様に裁量を任され、怪我を診ているアオイが認めているのであればよいのだろう。暁歩もそれなら問題はないと思い、許可を出すことにした。すると三人はぱっと顔を明るくする。
「あ、炭治郎さんは暁歩さんにも手伝ってほしそうでしたよ」
「えぇ・・・」
□ □ □ □ □
その言葉通りで、暁歩が当直の日になると、布団叩きを持って炭治郎の病床のそばで待機することになった。当直自体は問題ないが、修業とは言え寝ている人を叩くことは気が引ける。
「ヒュゥゥゥゥゥ・・・」
暁歩のすぐそばで眠りについている炭治郎の寝息は、通常の寝息とは違う。全集中の呼吸を続けている証拠だ。炭治郎は水の呼吸の使い手だという。呼吸法によって音も違うという話であり、確かに暁歩の全集中の呼吸とは息遣いが違った。
それにしても、と暁歩は炭治郎を見て思う。強くなるために努力を惜しまず、さらに周りの人に素直に頭を下げて協力を乞うのは、誰でも簡単にできることではない。それをすぐ実践できることは、炭治郎の強みだろう。
「・・・ぐー」
なんて思っていたら、寝息が普通のいびきになった。
直後、暁歩は持っていた布団叩きを炭治郎のお腹の辺りに叩きこむ。
「へぐっ!」
空気が漏れるような声と共に炭治郎が目を覚ます。
やがて意識が覚醒すると、暁歩に向って声をかけた。
「不甲斐ない・・・もう一度お願いします!」
「了解です」
そして炭治郎は、再び全集中の呼吸のまま眠りに就く。
その後も、数刻おきに普通のいびきになってしまい、その度に暁歩が叩き起こすという何とも奇妙な夜が更けていった。
□ □ □ □ □
その修業の甲斐あってか、全集中・常中の修業を始めてから数週間後。
炭治郎は瓢箪を持ち、鼻で長く息を吸ってから瓢箪に息を吹き込み始める。
「「「がんばれ!がんばれ!がんばれ!」」」
それをきよ、すみ、なほが見届け、全力で応援する。
炭治郎は顔を真っ赤にしながらも瓢箪に息を吹き込み続ける。すると、特別硬い瓢箪の外皮に皹が入る。
そしてついに、瓢箪が内側から破裂した。
『やったー!!』
炭治郎たちは手を取り合って喜びを分かち合っている。
しのぶ曰く、この瓢箪を割れるほどになれば、それだけ体内に取り込める酸素の量が増えているということで、全集中・常中を完全に体得するのももう少しらしい。
一生懸命に修業している成果を目にして、暁歩も『すごい』と素直な賞賛の言葉を炭治郎へと贈った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
炭治郎が瓢箪を破裂させたことで、善逸と伊之助もようやく行動を起こし始めた。どうやら、自分たちがへそを曲げている間に炭治郎が急成長を遂げたため、焦りを感じたらしい。
炭治郎が何をしているのかと聞いてきた二人に、任務から戻ったしのぶは全集中・常中についてのことを話す。
「全集中の呼吸を四六時中やり続けることにより、基礎体力が飛躍的に上がります。早速やってみましょう」
ニコッと笑ってしのぶが言う。だが、炭治郎も言われてすぐにはできなかったのだ。聞いたばかりの善逸たちがすぐにできるはずもない。
「無理~!できないよ~!!」
「ぜぇ・・・はぁ・・・」
善逸はまたいつものように泣きべそをかき、伊之助は肩で息をしている。
そうして二人は炭治郎に助言を求めたのだが、ここへ来て彼もまた曲者と判明した。
「肺をこう!こうやって大きくするんだ!血が驚いたら筋肉がぼん!ぼん!って言ってくるから留めるんだ!」
「「・・・・・・」」
「後は、死ぬほど鍛える!」
身振り手振りを交えているが、教え方が致命的に下手だった。挙句の果てに根性論なので、善逸と伊之助はやっぱりやめようかなと首を横に振る。
「・・・あれでは、ちょっと無理ですね」
「こういう時はひと工夫が大切ですよ」
様子を見に来た暁歩がしのぶに話しかけると、しのぶは笑みを浮かべて立ち上がり、悪戦苦闘する炭治郎たちの下へと歩み寄る。
「まぁまぁ。これは基本の技と言うか初歩的な技術なので
何故か『できて当然』を強調してしのぶが告げる。
そして、しのぶは伊之助の正面に座って、肩を優しく叩き。
「まあ、
二回言った。朗らかな笑顔で。
伊之助から『ビキッ』と血管が浮き出る音が聞こえたのは、気のせいではないと思う。
「伊之助くんなら簡単と思っていたのですが、できないんですか~?できて当然ですけれど~。仕方ないです、できないなら」
子供に諭すような優しい口調、さらににっこりと優しい笑顔で、煽る。
「しょうがない、しょうがない」
とどめに肩をポンポンと叩くと、伊之助は。
「ハアァン!?できるっつーの!当然に!!ナメるんじゃねぇよ!!乳もぎ取るぞゴルァ!!」
大奮起。元々血気盛んな伊之助は、見事なまでに挑発に乗せられた。
だが、しのぶは激昂する伊之助を見て小さく頷くと、今度は善逸の前に座る。そして、善逸の手を包むようにそっと両手で握った。
「へ・・・?」
突然の行為に善逸もドギマギするが。
「頑張ってください、善逸くん。
同じくにっこりと笑顔でしのぶが告げると。
「ハイッッッッッ!!!」
大奮起。しのぶのような美人からそう言われたらそうなるか、と暁歩も同情する。
そんな感じで、炭治郎がどれだけ言っても聞かなかった二人を見事短時間でやる気にさせたしのぶの手練手管に、炭治郎と暁歩は感心すると同時に唖然とする。特に暁歩は、まさかしのぶが煽るようなことまで言うとは思わなくて、新たに垣間見えた一面に内心微妙な気持ちだ。
「あ、そうだ暁歩さん」
「はい?」
するとそこで、何かを思い出したように炭治郎が話しかけてくる。
「一つお願いがあるんですけど・・・」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昼食を終えた午後、暁歩と炭治郎は訓練場で木刀を手に対峙していた。そこには、カナヲを除く蝶屋敷の面々、さらに善逸と伊之助もいる。
「お願いします」
木刀を構える炭治郎は、怪我人用の衣服ではなく、鬼と戦う際に着る漆黒の隊服を着ていた。
「本当にいいんですか?」
「はい。呼吸法も使って構いません。いえ、使ってください」
炭治郎のお願いとは、暁歩と手合わせをしてほしいということ。
元々訓練の過程で暁歩が模擬戦の相手をするという話はあったので、そこまで驚きはしなかったが、炭治郎の方から頼まれるとは思わなかった。
そうして、改めてしのぶに話をして許可をもらい、彼女の監督下で模擬戦が決まったのだ。
「それでは・・・」
審判を務めるしのぶが口にすると、お互いに木刀を構え、握る手に力を籠める。
炭治郎と対峙して思うのは、握っているのが日輪刀でなく木刀でも、戦意というものを強く感じ取れる。強敵との戦いを何度も制したのに加え、全集中・常中も会得間近であるからかもしれない。
そんな炭治郎を相手に、暁歩は怖気づいたりなどせず木刀を握る。
「はじめ」
静かに、しのぶが告げる。
その直後、一瞬で炭治郎と暁歩は前に跳び出し、木刀がぶつかり合う。
(速い・・・あと少し遅れてたら確実に一発貰ってた・・・)
目の前で刀を構え押さえこんでいる炭治郎を見て、暁歩は内心で焦る。木刀なので死にはしないだろうが、この力で一発喰らっていれば失神していたかもしれない。
お互いに力で押し込もうとするが、無理と判断した二人は同時に後ろへ跳ぶ。その途中で、暁歩は呼吸を整えて技を使う準備をした。
―――樹の呼吸・肆ノ型
―――
そして、音もなく暁歩は炭治郎の懐まで一気に距離を詰め、木刀を振るう。
「ふんっ!」
だが、振るった木刀が当たる直前で、炭治郎は上に跳んで攻撃を躱した。その反応速度に、暁歩も口にはせずとも見事だと思う。
樹の呼吸は、軽い身のこなしで音を立てずに移動・刀を振って相手を斬る。中でも『落葉一閃』の攻撃速度はとても速いから、これに対応できるのは本当に大したものである。暁歩自身の腕がまだ成長過程にあるからでもあるが。
―――水の呼吸・弐ノ型
さらに攻撃を躱した炭治郎は、跳びながら体をねじり、技を構える。全集中・常中を短時間とはいえ会得しているから、呼吸を整える必要もないのだ。
―――
身体を前に回転させながら木刀を振ってくる。暁歩は横に避けて攻撃を躱すが、着地した炭治郎はすぐに体勢を整えて暁歩に肉薄する。咄嗟に木刀を横に構えるが、やはり炭治郎の力は強く、押し返すのがどうにも難しい。そして膠着状態になり、互いに一歩も引かなくなる。
するとそこで、炭治郎は頭を後ろに引く。何をする気だと思ったが、そこで頭突きを仕掛けてきた。
「あぶなっ・・・!」
寸でのところで後ろへ跳び、これを避ける。前に炭治郎の額はとても硬いと聞いていたので、あれを喰らったら脳震盪でも起こしそうだと冷や汗をかく。
そして、再び距離が開いてお互いに木刀を構え向かい合う。
―――樹の呼吸・参ノ型
―――
『落葉一閃』よりも速い突き技。呼吸を整えて、炭治郎との距離を刹那で詰める。
しかし、それでも炭治郎はわずかな差で横に避け、最速の突き技も躱す。ただ、羽織っていた市松模様の羽織がわずかに切れた。
それも気にせず暁歩は体の向きを変えて炭治郎の方を見るが、彼はすでに技を構えているところだった。
―――水の呼吸・肆ノ型
―――
うねる様な曲線を描く太刀筋。ただ木刀を構えても防ぎきれないと判断した暁歩は、真上に跳んで攻撃の範囲外に出る。
そして炭治郎の後ろに着地し、そこで木刀を振り込もうとするが、炭治郎はすぐに対応して木刀を防ぐ。
そんな二人の打ち合いを、見ている者たちは固唾を呑んで見守っている。特に、蝶屋敷に来て大分経つが初めて見る暁歩と、自分たちが修業を見ていた炭治郎に、きよ、すみ、なほの三人は驚きと緊張が止まらない。
「ッ!」
やがて、炭治郎が腕に力を籠めて押し込もうとしてくる。暁歩は一端距離を置いて仕切り直そうと思い、敢えて後ろに引く。
だが、炭治郎は前に踏み込んで隙を与えずに一撃を加えようとしてきた。
―――樹の呼吸・弐ノ型
―――樫幹返し
その攻撃を弾き、さらにそのまま木刀を炭治郎に向けて振るが、炭治郎は体勢を低くしてこれを避ける。その瞬間、暁歩はこのままだと体の前面ががら空きなために、一撃をもろに喰らうと判断。炭治郎の身体を飛び越えるように前に出て着地する。
―――水の呼吸・漆ノ型
―――
だが、着地した後ろから呼吸音と共に、炭治郎が技を構えた気配に気付く。
咄嗟に前転することで直撃は避けたが、暁歩の羽織の背中の部分から『ビッ』と切れるような音がする。木刀が掠ったらしい。
起き上がって再び木刀を構えると、炭治郎は木刀を突き出した体勢から起き上がるところだった。突き技をした後は、すぐに立ち上がって前へ進むのが難しいのだ。
―――樹の呼吸・捌ノ型
それを幸いと見た暁歩は、呼吸を整えて前へと駆け出す。
―――
体を捻り木刀を構えながら、炭治郎へと突進を仕掛ける。
音もなく、瞬く間に距離を詰められ、しかも木刀に回転が加わっているため威力も上がっている。しかし炭治郎は、暁歩の動きが直線的であることを見切り、横に避けるも羽織の肩の部分が切れる。
―――水の呼吸・壱ノ型
だが、避けたところで刀を構え、着地して暁歩が見せた無防備な背中へ木刀を振り入れようとする。
―――樹の呼吸・壱ノ型
そして、着地した暁歩もまた、避けた炭治郎が技を繰り出してくると思っていたから、振り向きざまに木刀を打ち込もうとする。
―――
―――大樹倒斬
炭治郎は暁歩の身体に一撃を入れようとし、暁歩は威力を相殺しようとして刀を振る。
そして、両者の刀がぶつかると、木刀が折れてしまった。
「はい、そこまでです」
そして、二人の間にしのぶが降り立つ。
稽古終了の合図に、暁歩と炭治郎は身体に入っていた力を抜いて立ち上がり、お互いに礼をする。
「「ありがとうございました」」
そうしてお礼を終えると、炭治郎にはきよが、暁歩にはなほが手拭いと水を渡してくれる。『ありがとう』と炭治郎と暁歩はお礼を言いながら受け取った。
「炭治郎くん、病み上がりとは思えないほど強いですね・・・。何度もやられると思ってしまいました」
「ありがとうございます!けど、俺も途中で全集中の呼吸が少し切れてしまうことが何度もあって・・・。それに暁歩さんの攻撃も、何度か掠ってしまいましたから・・・」
言いながら、炭治郎は自分の羽織を見る。裾や肩辺りに切れ目が入ってしまっている。それを見たアオイは、『縫っておきますね』と羽織を回収した。
那田蜘蛛山での戦いで、炭治郎や善逸の羽織はところどころが切れてしまったが、それはアオイが直してくれていた。さらに、柱合裁判でのいざこざで傷ついた禰豆子が入っていた木箱も彼女が直しており、中々器用でもある。
「樹の呼吸って初めて見ました・・・音や刀を振る音がしないんですね」
「ええ、まあ。ただ、俺もまだ力は未熟な方ですから・・・師匠なんてもっとすごかったですし」
「へぇ~・・・」
そうして、暁歩が炭治郎と稽古を終えて話をしているところに、しのぶがやって来た。
「炭治郎くんも、全集中・常中に近づいていますね。暁歩さんとの打ち合いでも、あまり途切れていませんでしたから」
「本当ですか?」
「はい。なので、この調子で頑張りましょう」
「分かりました!」
しのぶが炭治郎を評価すると、炭治郎は頭を下げる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夕方になり、暁歩は縁側に座って炭治郎たちが鍛錬している様子を見届けつつ、斬れてしまった自分の羽織を縫い直していた。裁縫自体は、師匠・空見の下で修業をしていた時から服がしょっちゅう裂けたり破れたりし、その度に縫い直していたので慣れたものだ。
「もっとグッと!グワーッと行け善逸!」
「おらもっと力入れろこの弱味噌がァ!!」
「俺は一番応援された男おおおおおお!!!」
木の下で、善逸が朝紐で縛られた岩を引っ張り上げようとしている。炭治郎と伊之助も檄を飛ばし、善逸は善逸でしのぶに言われた言葉で自らを奮い立たせている。言葉一つでああも変われるものなのか、と暁歩は笑いながら羽織の切れた部分を縫う。
「今日はお疲れさまでした」
そうしていると、突然しのぶが肩をポンと叩きながら優しく話しかけてきた。いきなり声を掛けられた上に足音が聞こえなかったため、吃驚して思わず縫い針を落としそうになる。それでも動揺を隠して、『いえいえ』と軽く頷く。
「暁歩さんにとっても良い鍛錬になったのではありませんか?」
「まあ、そうですね・・・。けど、炭治郎くんは本当に強かったですよ」
手合わせの途中、何度も木刀を押し合い拮抗することもあったし、『負ける』『危ない』と危機を察知することも度々あった。それを、『予感』もあってどうにかこうにか避けた末の引き分けなので、全体的に暁歩は自分が押され気味だったと思っている。
「彼はすごく頑張ってましたからね。何せ寝てる間でさえ修業してたんですから」
日中は素振りや走り込み、夜は布団叩きを使うあの修業。それらに裏打ちされた強い実力を、今日の手合わせでその身をもって思い知った。
「ただ暁歩さんも、実戦経験が少ないからか、やはり動きに若干ムラがありましたね」
「あ・・・やっぱりですか・・・」
しのぶから指摘されて、苦笑する。
炭治郎と戦っている中でも、速い技を見極められたり、攻撃が外れるところから分かっていた。桐蔓山での戦いの時もそうだったし、やはりどうしても暁歩には力が足りていないところがある。
「・・・何というか、俺もまだまだ頑張らないとと思います」
「ほう?」
「この先、戦う機会はあるのかどうかも分かりませんが、鍛錬するに越したことは無いですし。それに・・・」
今一度、修業に励む炭治郎たちを見る。今は三人で並んで竹垣の上を全集中の呼吸を維持したまま疾走しているところだった。
「ああして頑張っているのを見ると、自分も何かしなくちゃ、頑張らなきゃって思うようになって」
羽織を縫う手を一度置く。
ひたむきな彼らを見て触発された。自分ももっと頑張らないと、力をつけなければ、と。
「それでは、次は伊之助くんや善逸くんとも手合わせしてはどうでしょう?元々、訓練の一環で手合わせするつもりだったのだし」
「そうですね・・・」
特に血気盛んな伊之助は、しのぶの煽りもあって修業には大分躍起になっている。最初の頃の機能回復訓練のこともあるし、炭治郎の手合わせも見ていたから、自分もと木刀を持ってかかってくるかもしれない。善逸も時間の問題だろう。
それがお互いにとっての修業になるのは間違いないが、先は厳しそうだと暁歩が苦笑を浮かべる。
「頑張ってくださいね」
するとしのぶが、言葉と共に暁歩の空いている手を両手で包むように優しく握ってきた。その上、にこりと本来の笑みを向けられて顔の中心が熱くなるが、一度冷静になる。善逸を焚きつけたのと同じやり方。手を握られて、笑顔を向けられてこそばゆいのは確かだが、裏が見えていると気持ちも幾分か冷静になる。
「あなたが私を支えてくれているように、私もあなたのことを見守り支えますから」
だが、続く言葉を聞いて、顔が赤くなるのを止められはしなかった。
それは初めて聞いた言葉で、向ける笑みは素に近く、真意が掴めないから。
「・・・顔、赤いですよ?」
「・・・気のせいです」
指摘にもまともに返せない程度には動揺している。
その姿に、しのぶはころころと笑った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日の夕食後、善逸がしのぶのいる診察室を訪ねてきた。
「えっと・・・禰豆子ちゃんを連れて、少しだけ外へ出てもいいですか?」
思いがけない申し出に、しのぶは少し面食らう。
詳しく話を聞くと、禰豆子は日中部屋に籠って眠っており、せめて夜だけでも外へ出て気分転換をしてあげたいらしい。丁度、近くには花畑もあるので楽しめるだろうとのことだ。
「炭治郎は『大丈夫』って言っていたので、許可を貰えればと・・・」
もじもじと、顔を赤らめながら善逸が切り出す。
その表情からして、どうやら彼は禰豆子にお熱のようだ。それを悟ったしのぶは、善逸の怪我の具合がほとんど問題ない点と、訓練に復帰して―――自分が焚きつけたのもあるが―――全集中・常中の修業にも踏み出したので、そのご褒美も兼ねて大丈夫かと判断した。
「・・・分かりました。でも、あまり長い時間は駄目ですよ?」
「はい、ありがとうございます!」
そして善逸は、実に嬉しそうな足取りで診察室を出て、『ねーずこちゃーん!』と完全に浮かれた様子で行ってしまった。
それを見届けてから、しのぶは机に向かい鬼や薬に関する資料を読む。柱となっても取り入れるべき知識は数多く存在し、特に医療や薬品に関しては日進月歩だからこそ、絶えず新たに学ぶべきことが増え続ける。
(・・・善逸くんも若いですね)
そうして資料を読みながら、先ほどの嬉しそうな善逸の姿を思い出す。小芭内と蜜璃の時も思ったが、好きな異性と出掛けることや一緒の時間を過ごすことは、それだけで尊いものらしい。
誰かを好きになるのは良いことだ、と思いながらしのぶは資料をめくる。
だが、一緒の時間を過ごす、という点でしのぶが思い出すのは、暁歩とのことだ。ここ最近では、話す機会も含め一緒にいる時間が長く感じる。それと、気を悪くするような出来事もないから、その時間は心地よいと感じる自分もいるのだ。
「・・・・・・」
資料をめくる手が止まってしまったが、しのぶは小さく笑って読むのを再開する。
今、少しだけ思考がズレてしまっていたような気がした。けれど今は、それよりも目の前にある資料を読むことが重要なはずだ、と自分に言い聞かせて目線を資料の上の文字にだけ向ける。
ただ、最近は暁歩のことを考えることが少し増えてきたような、としのぶは自分で妙な疑問を抱いていた。
≪おまけ≫
「ところで暁歩さん」
「?」
ある時、しのぶが暁歩に問いかける。
「先日炭治郎くんとお話したんですけど、なんだか笑いながら怒っていた時があったみたいですね?」
「・・・あー、それは・・・」
しのぶに言われて思い出すのは、機能回復訓練で善逸が暴走した際のことだ。あの時は久々に怒り、自分の表情は笑顔だったような記憶がある。
「まあ、ちょっとカチンとくるようなことを言われたもので」
「ほう・・・暁歩さんって普段怒らないものですから、逆に気になるんですけれど・・・。どんな感じのことを言われたんですか?」
「それは・・・」
言おうとして、あの時の善逸の言葉を思い出す。
―――この屋敷で暮らしてるってことは、アオイちゃんやきよちゃん、そんでもって
―――あんな
残念ながら暁歩は、このような言葉を婉曲的に表現できるほどの力がない。
だが、黙っているとしのぶは俄然興味が湧いてきたのか笑顔で詰めてくる。
「どんなことを言われたんです?」
どうしたものか、と暁歩は少しの間悩む羽目になった。