蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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第16話:門出

 訓練場に木刀を打ち合う音が響く。

 炭治郎と手合わせをしている暁歩は、炭治郎の動きにキレが出てきて、また力も強くなってきているのを感じ取る。

 

(これは、マズイな・・・)

 

 木刀を押し合う力が、最初に手合わせをしていた時よりもさらに強い。気を抜いたらすぐやられてしまうと勘が叫んでいる。

 だが、暁歩もただではやられまいと、呼吸を使って一時的にでも腕に力を込めて木刀を押し戻そうとする。

 そこで炭治郎はいったん後ろへ引き、木刀を構えて前へと踏み出してきた。

 

―――水の呼吸・肆ノ型

―――打ち潮

 

 低くうねる太刀筋に、暁歩は木刀を横に構えて防ごうとするが、全集中・常中を会得した炭治郎の力は格段に上がっている。ただ横に構えただけでは防ぎきれず、木刀が折れてしまった。

 

「そこまでです」

 

 審判役のしのぶが告げると、木刀を折られた暁歩は肩の荷が下りるように息を吐く。

 完全に負けてしまった。

 

「「ありがとうございました!」」

 

 お互いに挨拶をする。

 負けたことに悔いはない。炭治郎がそれだけ強くなったということだし、暁歩も自分の刀の腕が誰にも負けないほどと自負もしていなかったから、仕方ないと処理している。ただ、やはりもう少し鍛錬を重ねる必要があるか、と自分で考えていた。

 炭治郎たちが運び込まれて早三か月。炭治郎だけでなく、善逸と伊之助も全集中・常中を会得しており、基礎体力は飛躍的に向上していた。特に善逸と伊之助は、しのぶにたきつけられたからか僅か九日で会得を成し遂げている。しのぶの教え方が上手かったのもあるが、彼らの向上心は素晴らしいものだと本当に思った。

 

「炭治郎さん、カナヲさんにも勝ちましたからね~」

「ああ・・・そりゃ敵わないか」

 

 手拭いを渡してくれるすみが告げると、暁歩も苦笑した。

 暁歩がたまたま留守にしている間に、機能回復訓練で炭治郎はついに全身訓練・反射訓練でカナヲに勝ったという。その瞬間を見届けられなかったのは残念だが、すみたちは我がことのように喜んだらしい。

 

「おら小歩!次はこの伊之助様が相手だ!」

「暁歩です」

 

 そうしてちょっと休んだ後で、今度は伊之助が木刀を二本持って勝負を仕掛けてくる。案の定、炭治郎と最初に手合わせをした後で、好戦的な伊之助も手合わせを依頼してきた。しのぶも手合わせを訓練の一環としようとしていたし、暁歩も自分の鍛錬になるからと頷いていたが、伊之助の相手は大分苦戦する。

 

「オラオラオラオラオラオラオラ!!!」

 

 何せ二刀流で太刀筋も不規則なので、動きが直線的であっても対処が難しい。暁歩としては隙を作らないように必死で防ぎつつ、隙を見て動きの速い技で対処するしかない。

 素早く木刀を振る伊之助から少し距離を取りつつ呼吸を整えて、技を構える。

 

―――樹の呼吸・参ノ型

―――樅葉尖突

 

 だが、最速の突き技をもってしても、伊之助には躱されてしまう。炭治郎のように直前で回避するのではなくて、それよりも余裕をもって攻撃を避ける。危機回避能力が高いのか、あるいは別の要因があるのかもしれない。

 

―――獣の呼吸・壱ノ牙

―――穿(うが)()

 

 そして、躱されたところで背中を二本の木刀で突かれた。これが滅茶苦茶痛い。

 

「ハッハァ!そんな動きで俺様の相手が務まるか!」

 

 体勢を整えるが、そこへ伊之助が木刀を交差させて突っ込んでくる。それを暁歩は木刀を縦に構えて動きを止めさせ、重ねたところを支点にして宙返りをし、背後に立ったところで木刀を薙ぐ。

 だが、それでも滅多矢鱈な伊之助の太刀筋を相手にすると逆転の一手を出すことができず、大体床に背中をついてしまうことが多い。

 

「それでは、お願いします」

「お、お願いします・・・」

 

 ちなみに善逸は、最初は手合わせを嫌がっていた。けれど暁歩は、そんな善逸を見つつ、傍らで審判として立つしのぶの方を指差す。

 

「善逸くんのことを()()応援してくれているしのぶさんが見ていますよ?」

 

 と告げて、さらにしのぶが片目を瞑ってみせる。

 

「ッシャオラァ!やってやるぞェァ!!」

 

 すると、嬉々として木刀を握り、勇んで構えるのだ。こうも簡単に乗せられる善逸を見ると、その単純さも羨ましいと思わなくもない。

 そんな彼との手合わせだが、全集中・常中の基礎体力向上による木刀の振りだけで、呼吸法による技は使ってこない。何か理由があるのかもしれないが、暁歩はそれならばと自分も技を使わずに相手をする。そのため、比較的暁歩の中で一番相手をするのが楽なのは善逸だった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その後は、最終確認も兼ねてしのぶと暁歩で三人の診察をする。

 結果は、三人とも健康状態が良好。全快と言って問題ない状態だった。

 

「何か、ちょっと寂しいですね。彼らは特に長い間ここで療養していましたし」

 

 診察を終えたところで、暁歩がぽつりと呟く。

 しのぶが完治したと判断すれば、いつでも任務に出れる状態になる。だから、彼らがこの蝶屋敷を出る日も近いのだ。

 暁歩も、炭治郎とは禰豆子のこともあってそれなりに打ち解けられたし、善逸と伊之助も言動に難があったとはいえ修業に励んでいた。三人とも根は良かったし、何度か手合わせをしていたからこそ、接する時間も長かった。

 そして、怪我が快復したとなれば、また鬼との戦いに身を投じることになる。それが少し寂しかった。

 

「けれど彼らは、鬼殺の剣士ですからね。隊に身を置いている以上、戦える限りは鬼狩りの任務に就かなければなりませんし」

 

 それを聞いたしのぶの言葉にも、頷くしかない。彼らは、戦いの場から背を向けた暁歩とは違って、傷ついても怖くても戦い続けなければならない。

 ならば、彼らのことは無事を祈り笑って送り出す以外ないのだ。しんみりするのは少し違う。暁歩も『そうですよね』と自嘲気味に笑った。

 

「暁歩さんもあの子たちと手合わせをして、少し身になったのではありませんか?」

「確かに鍛錬にはなりましたけど、勝てたためしがなくて」

 

 炭治郎たちと手合わせをしてきたが、せいぜいが引き分けで、勝ったことがない。実力不足を痛感するが、今はそれで挫折するほど心が軟でもなかった。

 

「ゆっくりで大丈夫ですよ。私だって、柱になるまで長い日数がかかったんですから」

 

 柱になるための条件はいくつかある。それを実現できるかどうかは個人の実力とわずかな運にもよるのだ。中には刀を握って二か月で柱にまで上り詰めた霞柱がいるが、ある意味では特殊な事例だろう。

 

「ああ、そうだ暁歩さん」

「はい?」

「明日、悲鳴嶼さんの紹介で一人この屋敷へ来る方がいますので、来た際は対応していただいてもよろしいですか?診察は私がしますので」

「あ、はい。分かりました」

 

 しのぶの医療の腕は鬼殺隊随一であり、他の柱からも一目置かれている。岩柱・悲鳴嶼が自分が面倒を見ている隊士の診察を任せるぐらいには、信頼されているのだろう。とにかく、明日その隊士が来るということは念頭に置いておいた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 その翌日、早速炭治郎たちに鎹鴉から指令が届いた。夜行急行『無限列車』にて行方不明者が多発しており、調査にあたれとのことだ。また、現場にはすでに炎柱の煉獄杏寿郎が赴いているため、合流して任務に就くらしい。柱がついているのであれば安心だが、油断は禁物だ。

 

「暁歩さん、今日までお世話になりました」

 

 朝食を終えて最後の問診を行っていると、炭治郎がお礼を言ってくれる。暁歩はその言葉に、笑みを返した。

 

「戦う皆さんを支えるのが、俺たちの役目ですから」

「でも、手合わせをしてくれたのはとても助かりました。実戦に戻る前に、ちゃんと刀を振れるように動きを思い出したかったので・・・」

 

 機能回復訓練で、身体をほぐしたり反射神経を鍛えたり身体の動きを取り戻せただけではまだ足りないと、炭治郎は考えていたのだろう。それ以外で刀を振る機会と言えば、全集中・常中の修業で木刀を素振りする程度でしかなかったのだから。

 ともあれ、彼の怪我が完治し、全集中・常中を会得し、さらに刀の腕も衰えていないようならば何よりだ。

 

「また怪我をしてしまったら、ここのお世話になってしまうかもしれないですけど・・・」

「はは、そうならないのが一番なんですよね」

 

 炭治郎たちとの時間は、友好関係を築けたものだったし、暁歩自身も手合わせで鍛錬になった。それが無くなるのはやはり少々寂しいが、隊士たちにとっては何も怪我をしないことが一番なのだ。

 

「それでは、また機会があったら」

「はい!」

 

 そして、暁歩は病室を後にしてしのぶに問診の結果を報告しに行く。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 炭治郎たちが出発するのは午前中となったが、その前にしのぶが言っていた隊士がやってきた。

 

「・・・蝶屋敷はここでいいのか」

 

 その隊士は、険しい目つきと顔に入った傷、側頭部の剃られた髪が特徴的な大柄な青年だった。隊服の上には紫色の袖なし羽織を纏っている。

 最初に応対をしたのはたまたま手が空いていたすみだったが、そのぶっきらぼうな物言いと外見に、すみはすっかり怯え切っていた。

 

「そうですけど・・・悲鳴嶼さんの紹介でいらしたのでしょうか?」

「ああ、そうだ」

 

 それに代わって暁歩が応対すると、青年は懐から手紙を差し出してくる。内容を確認するのも憚られたし、しのぶが診る予定なので診察室に連れて行くことにした。

 

「かしこまりました。ではこちらへ」

 

 暁歩が青年を連れて行き、すみには炭治郎たちの出立の準備をしてもらうように伝える。

 だが、すみが青年にやや怯えていたのに対し、暁歩は特に恐れを抱いていない、というわけでもない。

 

(胃が痛い・・・)

 

 青年の目つきが悪いのと、大柄な体格による猛烈な威圧感が後ろからひしひしと伝わってきていて、暁歩の胃は悲鳴を上げている。思わずお腹を押さえたい気持ちになってしまうが、客人を前にそんな態度は失礼極まりないので我慢して前を歩く。

 そしてこの青年を見てから、少し暁歩の中で妙な予感が働いていた。痛みを催すほどのものでもないが、どこか違和感があるような気がする。

 そこで廊下の角を曲がると、出立の準備をしている途中らしき炭治郎とすれ違った。炭治郎が脇に避けてくれたので、暁歩は会釈をしてすれ違う。

 

「久しぶり!元気そうでよかった!」

 

 すると、後ろから炭治郎が声をかけてきた。口ぶりからして恐らくは、今連れている青年に向けての言葉だろうが、本人は全く反応を示さない。炭治郎はこの青年を知っているようだが、人違いだろうか。

 とにかく、暁歩はあまり深く考えずにしのぶのいる診察室まで連れてきた。

 

「失礼します、しのぶさん」

「はい」

「悲鳴嶼さんの紹介で来たという方がお見えになりました」

 

 戸を開けて伝えると、しのぶが中へ通すように頷く。暁歩が青年に入るように視線で促すと、青年は大人しく部屋に入った。最初はおっかない印象がしたが、きちんと言うことは聞いてくれる辺り悪い人ではないのだろう。

 ただ、暁歩もまだやることはある。

 任務に出る炭治郎たちのために、簡単な応急処置用の止血剤、包帯、縫合糸と針をまとめた腰袋を用意するのだ。止血剤は塗るだけで大丈夫なものを作り、手早く処置ができる。それ以上に傷が深ければ縫合糸を使って簡易的に縫い合わせるのだ。その手順をまとめた小さな紙も同梱しておく。

 これが、戦い続ける剣士たちの無事を祈る暁歩ができる、せめてもの行いだ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 腰袋を三つ用意し終えると、丁度なほが調剤室を訪ねてきた。

 

「暁歩さん、そろそろ炭治郎さんたちが出発するそうです」

「よし、分かった」

 

 用意した腰袋を持って、なほたちと一緒に玄関へと向かう。その際、人の背丈ほどある瓢箪をきよ、すみ、なほの三人が担ぎ、暁歩はおにぎりの詰まった籠を持った。どうやら巨大な瓢箪は、出発の前に今一度修業の成果を試すために使うらしい。

 そして玄関を出て、門戸の前に大きな瓢箪を三つ並べる。それぞれを炭治郎、善逸、伊之助が、一斉に吹いて破裂させようとする。最初よりも遥かに大きいこの瓢箪を破裂させるには、相応の肺活量が必要だ。

 

『がんばれがんばれがんばれー!!』

 

 きよたちの応援を聞きながら、炭治郎たちは一心不乱に空気を瓢箪の中へと送り続ける。全集中・常中を会得しても辛いのか、目の玉が飛び出そうな形相だ。

 しかしそれでも、普通の大きさの瓢箪よりも長い時間をかけて皹が入り、ついに瓢箪は内側から砕け散った。

 

『やったー!!』

 

 きよたちはもろ手を挙げて大喜び。暁歩も拍手を贈る。

 そうして三人におにぎりと、応急処置用の腰袋を渡す。炭治郎はお礼を告げるが、伊之助は早くもおにぎりを食べ始めようとし、善逸に止められている。そんな彼らの様子はこの屋敷でずっと見てきたが、それも今日で終わりだ。そのことがきよたちは寂しいのか、若干涙ぐんでいた。

 

「皆さん、お達者で!」

「皆、俺と別れるのが寂しいんだね!俺だけ残ってもいいよ~!」

 

 そして善逸ももらい泣きなのか任務に行きたくないのか、同じく涙ぐみながらきよたちに話しかける。一方伊之助は『ほわほわ・・・』と呟いているのが聞こえた。

 

「善逸さんは少し女の子に対して気遣いや節度を覚えてくださいね」

「・・・はい」

 

 きよからの辛辣な評価に、善逸も黙り込む。訓練場の裏手での発言や、機能回復訓練でアオイに過度な接触をしたことを未だ忘れていないらしい。小さな子の鋭い発言ってやたら胸に響くんだよな、と暁歩は同情した。

 一方で暁歩も、炭治郎と向かい合う。

 

「いよいよ任務ですね」

「はい、頑張ってきます!」

「期待していますよ。と言っても、そんな事偉そうに言える立場じゃありませんが・・・」

 

 暁歩は炭治郎の肩を軽く叩き、任務への門出と無事を心から祈る。

 そして暁歩たちに見送られながら、炭治郎たちは任務へと出発していった。

 

「・・・それじゃ、戻ろうか」

「はい」

 

 姿が見えなくなるまで見送ると、暁歩の言葉できよたちも屋敷へと戻る。これから先、また新たに隊士が運び込まれることだってあるのだ。いつまでも感傷に浸る余裕はない。

 きよたちを連れて屋敷へ戻ると、丁度しのぶが診ていた大柄な青年が屋敷を出るところだった。

 

「・・・・・・」

 

 青年は軽く会釈をして、門戸をくぐり去っていく。暁歩たちも同様に会釈を返したが、やはり妙な威圧感と、違和感のような予感がした。

 

「炭治郎くんたちは、無事に出発しましたか?」

「ええ。たった今」

 

 先の青年を送り出していたしのぶが聞くと、暁歩が答えてきよたちも頷く。

 それからはまたそれぞれの役割に戻るが、その際に暁歩はカナヲを呼ぶようにしのぶから言われた。

 

「どこにいるかな・・・」

 

 屋敷を歩き回ってカナヲを探す。炭治郎も、訓練に付き合ってくれたカナヲに挨拶をしたと言っていたので、屋敷の中にいるはずだ。

 やがて、南側の縁側にカナヲが座っているのを見つけた。

 

「あ、カナヲさん。しのぶさんがお呼びですよ」

 

 この時、暁歩はびっくりさせようとしたつもりはなく、大声を出したわけでもない。

 にもかかわらず、カナヲは驚いたようにびくっと身体を震わせたかと思うと、庭へとずっこけてしまった。

 

「っ!」

「え、大丈夫ですか!?」

 

 思わず暁歩は駆け寄るが、カナヲ自身も困惑した様子。

 そもそも暁歩は、カナヲのここまで動揺した素振りを見たことがない。ここへ来て一年以上経ち、初めて見せたその姿には驚きを隠せなかった。

 やがて立ち上がったカナヲは、暁歩に言われたことを理解してはいたのか、ふらふらとしのぶの下へと向かった。

 そんなカナヲの珍しい一面を見て驚いたが、暁歩は自分の役目である病室の掃除に掛かる。炭治郎たちの治療用の服の洗濯はきよたちに任せた。彼らが使っていた布団は、アオイが先んじて洗っている。

 それだけを見れば、蝶屋敷のいつもの日常が戻ってきたかのようだった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 それぞれ役割を果たして、昼食の時間になる。

 だが、そこでもまだカナヲの異変は続いていた。

 

「カナヲ様?もしもし?」

 

 椅子に座っているカナヲは、心ここにあらずと言った様子。すみの呼びかけにも答えない。普段からどこか浮世離れしているような雰囲気だったが、今はむしろ何か一つのことを考えているだけのように見える。

 

「カナヲ、何かあったのかしら?」

「いや、俺にもさっぱり・・・」

 

 しのぶが訊いてくるが、暁歩は首を横に振る。先ほど暁歩が声をかけた際に派手に前につんのめったが、その理由はやはり暁歩にも思いつかなかった。

 

「アオイさん、お茶!お茶溢れてます!」

「・・・あ、ごめん・・・」

 

 そこできよが声を上げたのでそちらを見ると、アオイが湯飲みにお茶を注いでいたが、溢れてしまって机にまで零れている。慌ててきよが拭くが、普段てきぱきしているアオイがあんな失敗をするのも珍しい。そして、カナヲの異変も相まって絶対に何かあったと暁歩たちは確信する。

 

「二人とも、どうかしたのかしら?」

 

 しのぶが二人に問いかけるが、カナヲはやはり反応せず、アオイも『何でもないです・・・』と普段の覇気が感じられないような返事をする。誰が聞いても異常があるのは明らかだ。

 

「・・・・・・」

 

 しのぶが暁歩に視線を送る。

 この中では暁歩が一番の新参者だが、しのぶと会話を交わして時間を過ごすうちに、視線で何を望んでいるのかは分かってきたつもりだ。

 そして、しのぶの言いたいことを汲み取った暁歩は頷き返し、昼食の後でそれを行動に移そうと決めた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 歪な雰囲気の昼食の時間が過ぎ、午後になって暁歩はアオイと共に二階の特別室の掃除にあたることとなった。禰豆子は出発直前まで眠っていたので、その部屋の掃除も兼ねてのことだ。

 

「アオイさん、大丈夫ですか?」

 

 暁歩が問いかけるが、アオイは反応しない。

 そう訊いたのも、昼のことがあるが、今もまたからくり人形のように同じところで左右に箒を無機質に動かしているだけだからだ。その動きはもとより、暁歩の言葉にも全く反応しないのが、普段のアオイらしくない。

 ここで少々申し訳ない気持ちを抱きながら、肩を叩く。

 

「しのぶさんも心配していましたよ」

 

 アオイが信頼しているしのぶの名前を出す。これでも反応しなければ手詰まりだったが、実際に肩に触れられたのもあってか、ようやく暁歩の方を見てくれた。

 

「何があったんです?」

 

 改めて質問すると、アオイは箒を掃く手を止めて、肩を落として息を吐く。

 

「・・・さっき、炭治郎さんが挨拶に来てくれたんです。世話になったから、と」

 

 布団が敷かれていない寝台に、アオイは箒を持ったまま腰かける。

 

「でも・・・私は、自分が鬼が恐ろしくて戦えなくなったからこそ、ここで皆さんの世話をしていたので、お礼を言われるまでもないって言ったんです」

 

 アオイの過去は知っている。暁歩と同じように、最終選別を生き延びても鬼との戦いを恐れてしまい、結局戦線に出られなくなってしまったと。

 その経験があるからこそ、アオイはこの蝶屋敷で怪我人の治療に専念し、しのぶに薬の調合の仕方も教えてもらったのだ。そして、ここではその役目を全うしようと真面目に徹していた。彼女からすれば、そんな自分が怪我人の世話をするのは当然のことだから、お礼を言われるまでもないと言ったのだろう。

 

「そうしたら、炭治郎さんが・・・」

 

 ―――俺を手助けしてくれたアオイさんはもう俺の一部だし。アオイさんの想いは、俺が戦場に持っていく

 

 その炭治郎の言葉の優しさを、アオイは覚えている。表情は洗濯物に向いていたから見えなかったけれど、きっと笑っていたのだろう。

 

「・・・何だか、胸のつかえが取れた気分でした。ずっと私が悩んできたことが、炭治郎さんの言葉で取り除かれような」

 

 アオイの表情は穏やかだった。本当に憑き物が取れたような、自分の心に刺さった楔が抜けたような、優しげな表情。

 それを見て暁歩は、安心した。アオイの不調は、悪い理由から来るものではなかったのだ。むしろその逆で、安心できるとても良い理由。ずっと心の中で渦巻いていた苦悩が晴れて、悩んでいたことの反動だった。

 

「それが嬉しくて・・・少しぼーっとしてたんですね」

「ぼーっとって・・・してましたか?」

「お茶を零したり、箒でずっと同じ場所を掃いたりしていたじゃないですか」

 

 自分にとって本当に嬉しい言葉を受け取ると、その嬉しさのあまり他のことに身が入らなくなる。その経験は暁歩も記憶にあるが、アオイのように普段てきぱきとした人がそうなるのを見るのは、少し面白かった。

 

「・・・さ、掃除に戻りますよ」

「はい」

 

 指摘されたのが少し恥ずかしかったのか、すくっと立ち上がり再び箒を動かし始めるアオイ。その動きは先ほどと違ってちゃんとしたものだった。暁歩もそれを見て笑みを浮かべながら、掃除を再開する。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 掃除を終えた後で、何があったのかを報告するように言われていたので、暁歩はしのぶのいる診察室へと向かう。

 

「どうでしたか?」

「まあ、悪いことではありませんでしたよ」

 

 後でアオイも心配をかけたことを謝ると言っていたので、その時に全て話すだろうと思い、一部始終は言わないでおく。ただ、悪いことではなかったことを伝えると、しのぶは安心したようだ。

 

「カナヲさんの方はどうでした?」

「ええ、カナヲの方も・・・大丈夫でしたよ」

 

 そこで暁歩も気になっていたカナヲのことも訊くと、しのぶは何故か嬉しそうに笑いつつも、多くを言おうとはしなかった。

 その笑みは、また普段見せるものとは違う。嬉しいのには間違いないが、『良い報せを聞けた』だけでなく、もっと他の要因があるような気がしてならない。

 そんな風に暁歩が疑問を抱いているのを見て、しのぶもふむと少し考えてから答える。

 

「強いて言うなら、カナヲもようやく()()()なった、という感じですね」

 

 実に楽しそうに、そう告げる。なおさら気になるが、そのしのぶの言葉と表情で悪いことではないのだろうと思い、それ以上は聞かないことにした。

 

「しのぶさん。これは気になったことなんですが・・・」

 

 暁歩は、『失礼します』と言って患者用の椅子に座り、しのぶの方を向く。

 

「今朝ここに来た、あの青年はどういった症状だったんですか?」

「気になりますか?」

「炭治郎くんと面識があるようでしたので」

 

 あの時廊下で声をかけたのは、どうも見間違いとは言いにくい。何せ、あの青年のような体格と人相の人はそういないだろうと思ってしまったから。

 しのぶもわずかに考えてから、『いずれ世話をするかもしれませんし』と口の中でつぶやいてから、彼が持ってきたと思しき手紙を取り出す。

 

「彼は、不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)くん。炭治郎くんやカナヲの同期で、風柱の不死川実弥さんの弟さんです」

「へぇ、柱の・・・」

 

 なるほど、炭治郎の同期となれば廊下での彼の言葉も納得がいく。玄弥の方は、何か炭治郎に気に喰わないところでもあるのか無視していたが。

 それと柱の弟というのも驚きである。暁歩の記憶している限り、兄弟揃って鬼殺隊員という例は、今は元であるがしのぶしか知らない。特に兄が柱となれば、もしかしたら玄弥も強くなるかもしれない。

 

「ただ、少々厄介な症状でして」

「え?」

 

 しのぶをもってしても『厄介な症状』と言うのには、暁歩も不安になる。まさか不治の病にでも罹っているのでは、と不安になるが、どうもそういうわけではないらしい。

 

「彼は特異な体質の持ち主なんです」

「特異な体質、ですか」

「はい。暁歩さんの知っている人で言うと、甘露寺さんでしょうか」

 

 以前も、蜜璃は特殊な体質であると暁歩は聞いていた。それはあの奇抜な髪の色ではなく、その筋力。あの細い身体には、常人のおよそ八倍の密度の筋肉が備わっており、とてつもない力持ちだと言う。筋力が高い人は基礎代謝も高くなり、筋力を維持するために相応の栄養も必要とする。以前蝶屋敷を訪れた際にお茶菓子をモリモリ食べていたのもそれが理由か、と暁歩はようやく理解した。

 だが、玄弥の特異体質はそれ以上に異常とも言えるものだった。

 

「彼は、鬼の肉を喰らうことで、一時的に鬼の力を得るんです」

「鬼を・・・喰う?」

 

 耳を疑う言葉だった。

 鬼が人を喰うのは知っているが、人が鬼を喰うなど聞いたことがない。

 だが玄弥は、鬼の肉を喰って一時的でも鬼の力を吸収し、常人よりも遥かに強い力と回復力を獲得するらしい。元々強い咬合力を持っているから、硬い鬼の身体も噛み千切ることができるとのことだ。

 

「正直、『何故そんなことを』と言わざるを得ませんでした。鬼の身体の解明は進めていますが、もし取り返しのつかないことになったらどうするのかと」

 

 元々玄弥は、鬼殺隊に入れはしたものの、呼吸法や刀の腕には恵まれず、追い込まれたところで鬼の肉を喰らって、偶然その体質に気付いたらしい。

 だが、いくら追い詰められたからとはいえ、鬼の肉を喰うなど普通は考えつかないことだ。それを追い詰められたからという理由で実行するのはあまりにも向こう見ずなことだと、しのぶは注意した。異常体質のおかげで助かっているものの、そうでなければどうなったかは見当もつかない。最悪、鬼殺隊から鬼を出してしまうかもしれなかった。

 

「・・・これから、玄弥くんはどうするんですか?」

「診た限りでは健康状態に問題はなく、腑や血液にも異常はありませんでした。しばらくは様子見として、定期的にウチに来るように言ってあります」

 

 詳細な身体の構造と、鬼の能力を吸収する仕組みが解明されるまで、ここに来てもらうしかない。それと、もしも身体の不調に気付いた際にもここへ来るように言ってあるらしい。

 

「しのぶさんは、そう言った症状の人を診たことは・・・」

「ありませんねぇ」

 

 暁歩の問いには即答するしのぶ。特に奇妙な症状の患者をしのぶはしっかりと覚えている。だからこそ、玄弥の症状が初めて見るもので、かつ厄介な体質の持ち主だからこそ衝撃的だったのだ。

 だからこそ、どうすればいいのかはこれから手当たり次第で見つけるしかない。

 

「・・・まあ、鬼殺隊にはいろいろな事情を抱えている方がいますからね。私もですが・・・」

 

 玄弥のことを話し終えたところで、しのぶは嘆息する。

 鬼殺隊に入隊した背景は、人それぞれだ。しのぶのような辛く悲しい理由で入った人がいれば、蜜璃のような前向きな理由で入る人もいる。カナヲのように誰かのためにという理由で入隊する人もいれば、炭治郎のような特殊な背景を持っている人もいる。しのぶの言う通りで、本当に抱えている事情は様々だ。

 

「・・・ここに来れてよかったと思います」

「え?」

 

 ぽつりと呟くと、しのぶは訊き返してきた。

 

「ここへ来なければ、そうして色々な事情の方とは出会えませんでしたし・・・。あの最終選別でヘマをして良かった、とは思いませんが・・・そうでなければこの屋敷で多くの方と出会うこともなかったと思います」

 

 もし自分が、普通の鬼殺隊の一隊士として戦えていたら、ここへ来て他の鬼殺隊員の複雑な過去や事情に触れることは無かっただろう。

 そして、しのぶやカナヲたちのように、想像を絶するほどの悲しい過去を背負う人と出逢い、その重荷を共に背負おうと決意することもなかった。その覚悟を決めた時から、自分の見るものは他とは少し違うものとなり、それは決して無駄にならず暁歩の血肉となっている。

 他の誰かの事情を知らなくても、暁歩自身の人生には何ら影響はなかったのかもしれない。だが、そうした背景を持つ多くの人との出会いは、自分の中の価値観や世界を広げてくれるものだ。むしろ、他人の話を聞くことは、自分にとっても心の成長につながる。

 

「だから・・・しのぶさんたちが俺を受け入れてくれて、本当に良かったと思っています。調剤と治療はもちろんこれからも頑張りますが・・・またいろいろな人の話を聞ければと思いますよ」

「・・・加えて、全集中・常中も身に付けようとしているんですよね?なかなか大変そうです」

 

 しのぶに言われて、暁歩も苦笑する。

 炭治郎たちに触発され、その修業も始めようかと考えているところだ。これも、普通の隊士として彼らに出会わずにいたら、全集中・常中の話を聞くのはずっと後になっていたことだろう。

 ともかく、修業に関しては空いている時間を縫ってやるしかない。暁歩も蝶屋敷での役割がちゃんとあるからこそ、それを疎かにしてはならないのだ。だが、修業と自分の業務の二つを両立させることは、しのぶの言う通り大変だろう。

 

「応援しますね」

「・・・ありがとうございます」

 

 だが、それでもしのぶは自分のことを応援してくれるらしい。

 ならばできることは、その応援と期待に応えることしかない。だから暁歩は、強く頷いた。




≪おまけ≫

きよ・すみ・なほから見た蝶屋敷の面々の印象
・暁歩 :父親
・しのぶ:母親
・アオイ:長女
・カナヲ:次女

・炭治郎:兄
・善逸 :炭治郎の悪友1
・伊之助:炭治郎の悪友2

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