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元々暁歩は、朝に鍛錬を続けていたため、修業をすること自体に苦は無い。
だが、炭治郎たちに触発されてからは、全集中・常中の修業も取り入れ始めていた。彼らがやっていたように、竹垣の上を走ったり、麻紐で岩を持ち上げたり、さらには日常生活で全集中の呼吸を続けられる限り続けている。
だが、一日のほとんどを修業に費やした炭治郎たちも会得するまでに長い時間がかかったのだ。そこまで長い時間修業の時間を取れない暁歩が、すぐにものにできるはずもない。
「ひゅーっ・・・ヒューッ・・・」
しょっちゅう呼吸が乱れ、蹲ってしまう。
空見の下で修業をしていた時も、肺を大きくするための修業では悲鳴を上げていたが、今はそれ以上だ。全集中の呼吸はあくまで一時的に身体の機能を上げるのであり、それを昼夜兼行となれば、心肺に負担がかかる時間も当然長くなる。うっかりすると、心臓が耳からまろび出そうになるほどだ。
それに加えて、瞑想も始めている。炭治郎がやっていたこれは、呼吸をすることだけに集中できるので効果的だ。
(・・・・・・)
遠くから聞こえる鳥のさえずりや、穏やかな風、昇る太陽の光。それらの自然を身体全体で受け止めると、心が研ぎ澄まされていくような感覚がする。そして呼吸に集中し、吐くよりも吸う時間が長くなるようにし、身体の隅々まで酸素が行き渡るよう意識する。
そうして瞑想を続けていると、自分が暗闇の中に一人でいるような感覚になり、周りの音などが気にならなくなってくる。
ひた、ひた。
誰かの足音と、振動を感じる。
朝早くから鍛錬を始めていたが、もしかしたら誰かが呼びに来たのかもしれない。けれど申し訳ない気持ちを抱きながら、瞑想を続ける。声を掛けられない限りは止めないでおこうと決めた。
そして、他のことに意識を向けないように集中する。
ひた、ひた、すとん。
自分のすぐ傍で足音が止んで、誰かが座ったような感覚。
しかし目を開けない。何だか妙に甘い感じの優しい香りがしてくるが、気を乱してはならない。全集中の呼吸を止めないように、気を取られないようにする。
「ふーっ」
「!?」
だが、耳に息を吹きかけられるのは予想外だ。
ほんのり冷たく、包み込むようなそれに思わず目を開けてしまい、瞑想が途切れてしまう。全集中の呼吸も止めてしまった。
「これぐらいで呼吸を止めては駄目ですよ?」
そして息遣いを感じた方に目をやれば、すぐ傍にしのぶがいた。大きな菫色の瞳、そして綺麗な顔立ちを間近に見て、顔が熱を帯び始め、全集中の呼吸の反動とはまた違う理由で心臓がバクバクと跳ねる。そんなしのぶは、してやったりな笑みを浮かべていた。
「・・・集中を乱そうとするとは卑怯な」
「それは心外ですよ?全集中・常中は、どんな時であっても呼吸を乱さないようにするものですから」
緊張を悟らせまいと強がるが、しのぶに説き伏せられる。しかし、いつ何時たりとも全集中の呼吸を続けるのが真髄だから、その言い分も間違っていなかった。暁歩もそれ以上はあれこれ言わず、自分の鍛錬がまだまだだと思うことにした。
暁歩は頭を下げると、しのぶは改めて暁歩に向き直る。
「もうすぐ朝ごはんです」
「すみませんでした・・・」
元々そのために呼びに来たらしい。大分鍛錬に集中していたので、時間の経過も随分早く感じる。態々呼びに来てくれたことにお礼を言って、立ち上がり食卓へ向かう。
「しのぶさんは今日、外出でしたっけ?」
「はい、カナヲと一緒に。なので、もし怪我人が運びこまれた際は、アオイたちと協力してお願いしますね」
「分かりました」
しのぶが日中屋敷を留守にすることも珍しくない。その場合は暁歩とアオイに屋敷での裁量はすべて任される。そのしのぶの信頼には応えたいが、同時に何事もなければいいとは思う。鬼殺隊は常に危険と隣り合わせなのでそれは叶うはずもないのだが。
「全集中・常中の訓練の方はどうですか?」
「いやぁ・・・それはぼちぼち・・・でも中々上手くいかないですね・・・」
「まあ、最初は誰しもそんな感じですからね。天性の力でもない限りは、すぐに習得するのも難しいですよ」
思い出すのは、しのぶに焚きつけられた善逸と伊之助。あの二人は、炭治郎が一か月弱かかったのに対し、わずか九日で習得した。乗せられたからとはいえその速さは目を見張るものだったし、それを見るとどうしても焦りが生まれてしまう。
「それに、暁歩さんは焦る必要はないですよ。この屋敷にいる以上は治療の役割もありますから」
「・・・はい」
治療と修業を両立させるのは難しい。さらに、戦線に出ることもないためそこまで急ぐ必要もない。暁歩もそれは分かっているから、強くなるために急ぐこともないのだ。
もう少しゆったりとした気持ちで修業した方がいいのかもしれない、と思いながら二人で食卓へと向かう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日、予想だにしないことが起きた。
しのぶとカナヲが外出して少し経った後、無限列車の任務に就いていた炭治郎たちが運び込まれてきたのだ。善逸と伊之助の怪我は比較的軽かったが、炭治郎は腹部に刺し傷を負っており、すぐに処置をしなければならない状況にあった。
だが、那田蜘蛛山の後と比べればまだ三人とも軽い症状だったため、暁歩たち蝶屋敷の人間は真剣かつ必要以上に焦ることなく、治療に勤しむ。
そしてひと段落したところで、炭治郎たちを運んできた隠から詳しい話を聞いた。
「・・・亡くなられた?」
「はい・・・」
炎柱・煉獄杏寿郎が殉職した。
鬼殺隊で最も階級が高く、相応の実力も持っている柱が死んだということに、暁歩も息を呑む。
だが、何故そんなことになってしまったのかは後から駆けつけてきた隠には分からず、現場に到着した時には既に杏寿郎は息絶えていたと言うのだ。
「詳しい話は、彼らが知っているかと思いますが・・・」
治療を終えて休んでいる炭治郎たちを隠は見る。
だが、彼らには蝶屋敷を発つ前のような明るい様子が無い。彼らにとっても非常に胸の痛むことだったらしく、そんな彼らに今話を聞くのはあまりにも酷だ。
「・・・まあ、落ち着いたら事情を聞こうと思います」
「それが一番ですね・・・」
隠にとっても、柱が死ぬというのはとても衝撃的らしい。
現場の後始末という役割上、色々なところへと隠は出向くし、隊士とも交流が深い。柱の戦闘の後も当然その後処理もするので、柱の人となりはそこそこ分かっていると、以前後藤も言っていた。
杏寿郎は、溌溂とした性格をしていて、隠に対しても時に熱く、時に優しく接してくれていたらしい。柱で偉大な人だったからこそ、亡くなったことに対して大きな喪失感を抱いているのだろう。
『・・・・・・』
今一度、炭治郎たちの様子を確かめる。
腹部の傷の処置を行った炭治郎は眠っているが、傷が浅かった善逸と伊之助はやけに静かだ。騒々しい善逸、血気盛んな伊之助がああも落ち込んでいるということは、それだけ彼らにとっても杏寿郎という人は大きな存在だったのだろう。
そんな彼らをアオイたちも気の毒に思うのか、下手に声を掛けようとはしない。自分たちが戦いの場にいなかったから、どう言葉をかけていいのかも分からないのだ。暁歩もまた同様に、話しかけられない。
一先ず、炭治郎たちを運んできた隠たちにはお礼を伝えて引き上げてもらうように伝える。それと入れ違いになる形で、しのぶとカナヲが戻ってきた。
「炭治郎くんたち、戻ってきましたか?」
「はい。今は治療も終わって、休んでいるところです」
「分かりました」
暁歩は玄関先でしのぶに報告するが、どこかピリピリしているのが分かった。恐らくは鎹鴉を通して訃報を知ったのだろう。カナヲはやはり、感情の読めない笑みを浮かべていたが。
ただ、しのぶも、同じ柱として親交があったであろう杏寿郎の死に、少なからず憤りや悲しみを感じているのは窺える。鬼が憎いのは誰しも同じだが、しのぶは家族を二度鬼に殺されているからその『濃度』も違う。だから、親しい人を喪うことが辛いし、鬼に対する憎しみがより増幅する。
「・・・・・・」
そんなしのぶに対しても、暁歩は言葉を掛けられない。
支えることを誓いはしたが、今はしのぶも感情の整理をしたいだろう。そこへ無造作に首を突っ込んでしまえば、気を悪くさせてしまうに違いない。
今は自分の責務を全うしようと思い、暁歩は大人しく調剤室へと戻ることにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日の夜、当直の暁歩はどうも気持ちが落ち着かなかった。
薬品の資料を読んだり、薬種の残量を確認したりと、普段と何ら変わらないことをしていても、どこか心が穏やかではない。
その理由は、自分が身近な人の『死』に動揺しているからだと分かった。
「・・・・・・はぁ」
暁歩をはじめ、この蝶屋敷で暮らすしのぶたち、それに炭治郎も家族を喪っている身だ。鬼殺隊という命がけの戦いを繰り広げているのもあって、どうしても『死』は近いものとなっている。
けれど、それは決して慣れるものではない。命が尽きたと知った時は、喪失感がついて回る。暁歩の両親が死んだ時もそうだった。二度と言葉を交わせない、自分の前に姿を現さない、それを強く実感した時は泣き通しだったし、同時に心に大きな穴が開いた気分にもなった。その『心に穴が開いた気分』が、喪失感というものだと今は分かっている。
暁歩は、杏寿郎がどんな人物かを知らない。分かることと言えば、柱である以上は実力が高く、時に熱く時には優しくて、その『死』がしのぶや炭治郎たちに影響を与えるほどに慕われている人、ぐらいだ。
ただ、実際に会って話をしたことがないし、その死の間際にいなかったせいで、詳しいことが分からない。それが歯がゆい。
(・・・夜風にでも当たろうかな)
窓を開けて換気はしていたが、今日ばかりは部屋に籠っていると、どうしても暗い気持ちになってしまう。気分を変えようと思い、洋灯を持って部屋を出る。
そうして屋敷の南側に出ると、誰かがいるのを発見した。
「・・・何しているんですか、炭治郎くん」
治療服を着た炭治郎が、木刀の素振りをしていた。
暁歩が声を掛けると、炭治郎が顔を向ける。まだ傷も治っていないまま無理矢理身体を動かしているから、表情には苦痛の色が混じっている。
「まだ傷は治っていないんです。病室に戻ってください」
「いえ、俺は大丈夫です・・・」
「いや、大丈夫じゃないから言ってるんですよ」
戻るように言っても、炭治郎は木刀を離そうとはしない。顔色は良くないし、傷が痛いのが分かるほど息遣いも荒い。少々力づくになるが、暁歩が背中を押して戻ろうと促しても、炭治郎はそこを動こうとはしなかった。
「俺は・・・もっと強くならなくちゃいけないんです。煉獄さんの、気持ちを無駄にしないためにも・・・俺は・・・」
杏寿郎との間に、何かがあった。だから炭治郎は、傷ついた自分を奮い立たせて鍛錬をしようとしている。
それを見て暁歩は、小さく息を吐いて。
「落ち着け」
腕を掴み、本来の話し方で告げる。
普段の暁歩が怪我人に対して使っている敬語は、少しでも安心させるための『作った』口調だ。きよたちに対してはそれよりも砕けた口調で話しているが、それも幼い子供向けに柔らかくしている。暁歩本来の話し方は、それよりもさらに鋭いものだ。
そして、普段は使わない話し方をすると注意を引き付けやすい。事実、炭治郎は暁歩の方を向いて動きを止めていた。
「・・・・・・」
やがて、肩の力が抜けたのが、掴んでいる腕から分かる。持っていた木刀を暁歩が回収しても、抵抗しなかった。
そうして病室に連れ帰ろうとするが、暁歩が止めに入った今のままでは炭治郎も気持ちが落ち着かないだろう。
「・・・少し、待っていてください」
傷が開いていないのを確認すると、暁歩は一度調剤室へと戻る。そして、自分用に置いてあった白湯を湯飲みに移して、炭治郎の下へと持っていく。
「・・・白湯です。飲んで、少し落ち着いてください」
縁側に座るよう促すと、炭治郎は湯飲みを受け取ってゆっくりと白湯を飲む。
その隣に暁歩は腰かけて、語り掛けた。
「言ったかと思いますが、俺は蝶屋敷で治療にあたっているため、戦うことはほとんどありません。だから、無限列車で何が起こったのかも、詳しくは知らないです」
「・・・・・・」
「けど、亡くなられた煉獄さんが、炭治郎くんたちに大きな影響を与えていたのは先の様子を見て分かりました」
口調は元に戻し、先ほどとは違い優しく言い聞かせるように話す。
白湯を飲み終えた炭治郎は、湯飲みを傍らに置く。だが、やはり杏寿郎の死からまだ立ち直れていないのか、視線は庭の土に向いていた。反対に暁歩は、夜空に浮かぶ三日月を眺めながら続ける。
「炭治郎くんの傷は浅くありません。運び込まれたその日に起きて無理矢理鍛錬などすると、傷口が開きますよ」
炭治郎は『すみません・・・』と本当に申し訳なさそうに謝る。大分冷静になってきているようだ。
その謝罪を聞きながら、暁歩はさらに伝える。
「傷口が開いて怪我が悪化すれば、最悪刀を振ることはもうできなくなるかもしれません」
「!」
「それを煉獄さんは、望んでいましたか?」
もちろん、この蝶屋敷にいる以上は極力そうさせない。
だが、時に自分を見失ってがむしゃらになろうとする人には、そうした最悪の場合のことを伝えて宥める方法もある。無暗に不安にさせるようであまり使いたくはないが、その分相手にも事の重大さを伝えやすい。少なくとも、今の炭治郎には有効だったようだ。
「亡くなった方の期待に応えたい、思いを無駄にしたくない。それはとても真っ当で、素晴らしいことだと思います」
炭治郎の肩に手を置く。歳相応の少年とは思えないほどがっちりとした身体つきで、相当の鍛錬を積んでいることが窺える。
「けれど、亡くなられた方がそれを望むのか、どう思うのか。それを考えて行動することも重要です」
死んだ両親が今の自分を見たらどう思うのか、と暁歩は考えることがたまにある。その度に、最終選別での醜態や鬼殺の剣士の道を正しく歩めなかったことを悔いているが、同時にそれを帳消しにできるようこの蝶屋敷で頑張ろうと決意をしている。
だが、自分が身体を壊してまで鍛錬をしたり戦い続けることを両親は望まないだろう、と暁歩は思っている。薬屋という人の身体に関する仕事をしていたからこそ、命の大切さを知っていたし、そして優しかった。もしかしたら、命の危険がある鬼殺隊に入ることそのものを望んでいなかったかも知れない。
しかしながら、もう言葉を交わせないからこそ本心は分からない。だから今は、その亡くなった人がどう思うのかを考えながら、恥ずかしくないように生きるしかないのだ。
「・・・煉獄さんは、
十二鬼月の上弦。そんな鬼が現れていたことに暁歩は驚いたが、炭治郎の話に耳を傾ける。
無限列車で人がいなくなっている事件の首謀者は下弦の壱で、これを斃したのは炭治郎だった。
しかしその後、猗窩座と名乗る上弦の参がそこへ襲来し、怪我をしていた炭治郎に代わって杏寿郎が交戦。相手が好戦的なのもあって杏寿郎と猗窩座の一騎打ちとなったが、炭治郎は腹部に怪我を負ったせいで、ただ戦いを見ていることしかできなかったという。
その結末は、杏寿郎が鳩尾から背中まで貫く猗窩座の拳を喰らってしまうも、力を振り絞って猗窩座を朝日が昇る時までその場に留めようとした。結局猗窩座は自ら腕を引きちぎって逃走し、炭治郎は最後のあがきと背中に刀を投げ刺すことしかできなかったのだ。
そして杏寿郎は、炭治郎たちの目の前で息を引き取った。
「俺は、煉獄さんが戦っている時、何もできませんでした・・・。怪我をしていたのもそうだし、何より煉獄さんと猗窩座の戦いは入り込む余地もないほど激しくて・・・。俺がもっと強かったら、煉獄さんを助けられたかもしれないのにって・・・」
「それで・・・焦ってしまったと」
「・・・はい」
自分の弱さを素直に受け入れるのは、難しい。弱いと分かっていても、それを認めることには悔しさがどうしても混じってしまうから。
けれど炭治郎は、たとえ悔しくても自分の弱さを認めていた。自分の目の前で助けられなかったからこそ、それを強く痛感して、どうにかしたいと強い意思を持っている。自分の怪我を顧みないところはいただけないが、杏寿郎の言う通りで炭治郎は決して弱くない、強いと暁歩も思った。
「強くなりたいと願うことは悪くありません。ですが今は、自分の怪我を治すことを最優先としてください」
「・・・はい」
「そして、煉獄さんが何を望んでいるのか。それをよく考えることが大切ですよ」
背中を優しく叩く。
少しだけ炭治郎は目を閉じた後、やがて少しだけ笑みを浮かべて『分かりました』と答える。どうやら、気持ちは少し晴れたようだ。
それを確信した暁歩は、炭治郎を支えて病室へと向かった。
□ □ □ □ □
「炭治郎さんがいませぇん!」
炭治郎たちが運び込まれて四日。朝の問診を終えて、しのぶへ三人の症状を報告した後、調剤室へ戻って鎮痛剤を調合していたところに、困り果てた様子のきよが駆け込んできてそう告げた。
「いないって・・・厠とかじゃなくて・・・?」
「二階で休んでいた禰豆子さんもいません~!隊服と羽織もなくなってますぅ!」
きよが半泣きで状況を報告すると、暁歩の表情にも焦りが生まれる。
以前炭治郎に『今は自分の怪我を治すことが最優先』と言ったのに、何故勝手に屋敷を出てしまったのか。
「どこへ行ったか分かる?」
「分からないです・・・鎹鴉の連絡もなかったので、任務ではないと思いますが・・・」
暁歩の見立てでは、炭治郎の怪我も日常生活に支障が出ない程度に回復はしたが、まだ完全回復には至っていない。それはしのぶに伝えてあるし、この屋敷にいる以上はしのぶが完治したと判断しない限り、次の任務には出られない。
任務ではないのは確かで、どこへ行ったかも分からないのであれば、しのぶにまずは報告するしかない。
「しのぶさんに報告はした?」
「それが・・・しのぶ様、最近ピリピリしていまして・・・」
どうやら、神経を張り詰めているらしいしのぶに声を掛けるのが怖くて、最初に暁歩のところへ来たらしい。そんな状態なのは暁歩も若干感じ取ってはいたので、話しかけることに抵抗があったきよの気持ちも分かる。
しかし、それはそれ、これはこれだ。
「とにかく報告はしなくちゃ駄目だ。一緒に行こう」
「はい・・・」
炭治郎がいなくなってしまったことに少なからず罪悪感を抱いており、また今のしのぶに報告することが怖いのか、きよはとても震え慄いている。
だが、暁歩ときよの二人だけで当てもなく探しに行くのも得策ではなく、しのぶに報告する以外に方法がないため、何にせよ指示が必要だ。だから、きよが怖がらないように、そして自分にも思うところがあるから、暁歩はきよと一緒にしのぶの下へと向かう。
「・・・そうですか。炭治郎くんがですか」
診察室にいたしのぶに報告すると、ゆらりとしのぶは立ち上がる。
普段以上にゆったりとした様相に、暁歩もきよの怯える気持ちが分かった気がした。
そしてしのぶは、『まったく・・・』と呟きながら振り返ると。
「・・・どいつもこいつも、ですよ」
額に青筋を浮かべて、拳で素振りをしていた。しかもその表情は笑っている。
きよもそろそろ半泣きでは済まなそうなので、いつになく険しいしのぶが暁歩も怖かったが助け舟を出す。
「あの、しのぶさん・・・」
「はい?」
「実は先日、ですね・・・」
怖かったが、それでも先日の夜に炭治郎と話をしたことを明かす。その時に暁歩が、杏寿郎が何を望んでいるのかをよく考えるべきだ、と伝えたことも話した。
「今朝の問診で、炭治郎くんは万全の状態には至っていませんが、日常生活を行う上では問題はありません」
「ほう・・・それで?」
「なのでもしかしたら、煉獄さんつながりの何かのために炭治郎くんは外出したのではないかと・・・」
全ては憶測にすぎないが、炭治郎ほど真面目な人が行動に出る理由としてはそれが一番あり得る。しのぶも顎に手をやって、その可能性もあるのだろうか、と考えている。
「あの、すみません・・・」
そこで、戸を開けて話しかけてきたのは、善逸だった。
三人が視線を向けると、善逸は『えっと・・・』と少し視線を逸らして頬を掻きながら話す。
「煉獄さん、自分の弟と父親に伝えてほしいって言葉を遺してたんです。炭治郎がいなくなったのって、多分それで・・・」
つまり炭治郎は、杏寿郎の遺言を伝えに家族に会うために、杏寿郎の生家へと向かった。
それを踏まえて暁歩は、今一度しのぶに訊ねる。
「・・・どうしますか」
「煉獄さんの実家は私にも分かりませんから・・・どうしようもありませんね」
お手上げ、とばかりにしのぶは肩を竦める。
「戻ってくるのを待ちましょう。そのまま任務へ行こうとするほど、炭治郎くんも自分の身体が分からないこともないでしょうし」
最終的に待つということになり、その場はそれで落ち着いた。
きよは、洗濯をしているアオイたちを手伝いに向かい、暁歩もまた調剤室へ戻ろうとする。だが、そこで暁歩は足を止めてしのぶの方を向いた。
「・・・しのぶさん、今少し大丈夫ですか?」
確認すると、しのぶは多少の疑問を抱きながらも頷いた。
二人は場所を移して、東側の縁側へと移動する。まだ日が昇ってから間もないので、縁側には明るい太陽の光が注がれていた。
「珍しいですね。暁歩さんからお話とは」
「まあ・・・気になる点もありましたので」
しのぶの言う通りで、暁歩からしのぶを連れ出しで話をしたいと言うのもなかった気がする。だが、今重要なのはそう言うことではない。
「しのぶさんも、煉獄さんが亡くなられたことで、少し動揺しているみたいですね」
「動揺・・・ですか?」
「はい」
指摘されて、しのぶは少しキョトンとする。
「普段と比べて、少しピリピリしているみたいで。きよちゃんも言ってました」
「・・・そう、見えましたか?」
「はい、あの報せを聞いた日も」
炭治郎たちが運び込まれ、杏寿郎の訃報を聞いた日、しのぶが戻ってきた時はどこか穏やかでないように暁歩は見えた。そして今日、きよが『ピリピリしている』と言っていたのも、先ほどの反応を見て納得がいった。感情の変化は、幼い子供の方が感じ取りやすいものである。
「・・・そうですね。動揺、しているんですね。私は」
縁側の外を見て、呟くしのぶ。
今に至るまで、自分が動揺していることに気付けていなかったらしい。あるいは、自分の変化に気付けていても、それが動揺であると気づけなかったのか。
「・・・私も今回は、感情を抑えるのが少し難しかったです。煉獄さんは、とても面倒見の良い方でしたから・・・」
柱としての交流はあった。それに、無限列車の任務に杏寿郎が発つ前も言葉を交わしていたからこそ、それが最後に見た姿となるなんて、と衝撃を受けたものだ。
「とても慕われる人柄の方でした。だからこそ、煉獄さんのような方がお亡くなりになるのはとても悲しいものです。そしてやはり、鬼に対する怒りや憎しみもまた増長する・・・」
その結果が、何度も見たしのぶのやや穏やかではない態度だった。その正体をようやく理解して、暁歩の身体から少し力が抜ける。
「どれだけ経験してきても、身近な人の死とは慣れないものですよ」
そう言いながらしのぶは、仏間にある仏壇を見る。
しのぶはすでに、両親、姉、多くの継子の死を間近で経験している。それでもなお、死とは心に強く深く突き刺さるもので、それが誰であっても悲しくなる。
「・・・人の死には、慣れない方がいいと思いますけどね」
「・・・・・・」
「慣れてしまったら、命がどれだけ大切かを見失ってしまいそうですから」
暁歩が言うと、しのぶも悲哀を交えた笑みを浮かべる。
命は失ってしまったら、二度と戻ってくることはない。親しい人でも、愛すべき人でも、命が尽きれば言葉を交わして表情を見せ合うこともなくなる。
だからこそ、そうなってしまう『死』を恐れ、それに直面すると心が深く痛み傷つく。それに慣れてしまったら、命の重みを忘れてしまう悲しい生き方をしてしまうだろう。
「・・・そうですね」
しのぶはそう告げて、仏間へと向かう。
「きよには後で謝らなければなりませんね。怖がらせてしまったことを」
「・・・ええ、ぜひそうした方がいいかと」
「そして暁歩さん」
しのぶが振り返り、目を伏せる。暁歩は一瞬行動の意味が分からなかったが、それは謝罪の表れかとすぐに分かった。
「以前、アオイと喧嘩した時は怒りましたけど・・・私も人のことを言えた義理ではありませんでしたね」
「いえ・・・今回はまた事情が違いますから・・・」
いくら同じように屋敷の雰囲気を少し乱したとはいえ、流石に個人間の主張の対立と人の死は、同列に語っていいものではないだろう。暁歩が首を横に振ると、しのぶは苦笑した。
そうして二人で仏壇の前に正座し、しのぶが鈴を鳴らすと、揃って手を合わせて黙祷を捧げる。
亡くなった人と言葉を交わすことはできないし、自分たちがどう思っているのかも伝わらないだろう。だから、遺された人たちにできるのは、亡くなった人の思いを掬い、安らかに眠れるよう祈ることだ。
炭治郎は今、杏寿郎の思いを持って生家へと行っている。
そして暁歩としのぶは、亡くなったしのぶの家族の安らかな眠りを祈る。
命がけの戦いを強いられる鬼殺隊にいる限り、死は隣り合わせにあるものだ。
それでも暁歩は、人の死には慣れることなく、命の重さも見失わないでいたいと強く思う。
≪おまけ≫
「やっと、帰れた・・・」
夜が明けてから、炭治郎は杏寿郎の実家から蝶屋敷に戻ってきた。本当は昨日の日中に帰れたはずだったが、屋敷の前で担当の刀鍛冶・
「ごめんな、禰豆子・・・すぐ休ませてやるから・・・」
背中の木箱からカリカリと引っ掻くような音が聞こえると、炭治郎は声をかける。中にいる禰豆子も、長い間箱に詰められて窮屈だろう。
おまけに、炭治郎の傷も完全には癒えていない。昨日は暁歩に『治ってきているが無理な運動は控えるように』と言われていたが、鋼鐡塚に追い回されてしまったので傷が開きそうである。
申し訳ない気持ちを抱きながら、蝶屋敷の戸を開けると。
「おかえりなさい、炭治郎くん」
ニッコリ笑顔のしのぶがいた。
その瞬間、怒りの匂いを嗅ぎ取った炭治郎の表情が固まる。その匂いは、以前善逸の発言に笑いながら怒っていた暁歩のそれと同じだ。
「まだ治っていないのに勝手に屋敷を出るとはどういう料簡でしょうかねー?」
笑って訊ねるしのぶの後ろから暁歩が姿を見せ、炭治郎が背負っていた禰豆子のいる木箱を回収する。その途中で、暁歩は炭治郎の肩を叩き、告げた。
「・・・頑張れ」