蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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第22話:矛盾の走馬灯

「緊急招集―――ッ!緊急招集―――ッ!」

 

 それは、突然だった。

 

「産屋敷邸襲撃ィ!産屋敷邸襲撃ィィ!!」

 

 静かな夜を劈く鎹鴉の連絡を聞いた直後、しのぶは屋敷を飛び出す。向かうのはもちろん、尊敬してやまない輝哉がいる産屋敷邸だ。

 襲撃したのは恐らく、鬼舞辻無惨。

 輝哉は、数日前に鬼舞辻無惨が仕掛けてくることを予見していた。それは本人曰く『勘』らしいが、これはほとんど外れたことがないらしく、予知とほぼ同義でもあるらしい。だからこうなることを、しのぶだけでなく柱は分かっていただろう。

 日光を克服した禰豆子を狙ってか、それとも鬼殺隊の抹殺を目論んでのことか。狙いは分からないが、今は一刻も早く産屋敷邸へ向かわなければならない。

 鬼を人間に戻す薬は少し前に完成しており、珠代と愈史郎は既に蝶屋敷にはいない。そして禰豆子も、元柱である鱗滝左近次が連れて移動し、人間に戻す薬も既に投与している。あの薬が正常に機能すれば、禰豆子は人間に戻り無惨の野望も水泡に帰すだろう。

 だが、無惨が姿を現したこの機を逃すわけにもいかない。

 

(お館様・・・!)

 

 輝哉は、歴代鬼殺隊当主は、誰一人として自らの傍に柱はおろか一般の隊士さえも護衛につけていない。病に侵され動けない自分に代わり、鬼と戦い続けている隊士を、自分一人のために使役するのを良しとしていなかったから、と。柱でも最年長である悲鳴嶼行冥の申し出さえも、聞き入れてくれなかった。

 そして輝哉の病は深刻化しており、今は起き上がることもままならない。産屋敷家に鬼と戦える力を持つ者もいない。

 まさに丸腰の輝哉は、囮になったのだ。無惨をおびき出すための。

 

(早く・・・早く・・・!)

 

 とにかく今は、一刻も早く産屋敷邸に向かわなければならない。

 自分の身軽さを活かして、しのぶは木の枝から木の枝へと跳び、最短距離を移動する。他の柱も急行しているのか、周囲から気配を感じる。

 

(見えた、お屋敷・・・!お館様・・・!)

 

 しかし、屋敷を目前にしたところで、突然大きな爆発が屋敷で起こった。

 

「―――ッ!!」

 

 夜なのに、辺り一帯が昼のように明るくなり、爆炎と火の粉が舞い上がる。同時に漂う、火薬の匂い。

 誰の目に見ても、屋敷にいた輝哉とその家族が死んだのは明らかだ。目の前で、あと一歩のところで、間に合わなかった。

 だが、足を止める暇はない。輝哉が命を懸けてまで無惨を足止めしたのだ。それをふいにするわけにはいかない。

 怒りと後悔を噛み砕き、脚に力を込めてより高く、より前へと跳ぶ。

 森を抜けて、ついさっきまで屋敷があった爆心地の中心には、異様な光景があった。

 そこには黒い棘がいくつも生えており、その中心では一人の男が無数の棘に身体を串刺しにされて動けなくなっている。さらにその男の前には、腕を突き刺している珠代の姿があった。

 

「無惨だ!鬼舞辻無惨!こいつは頸を斬っても死なない!」

 

 一足早く到着し、既に攻撃を仕掛けていた行冥が叫ぶ。

 この男が鬼舞辻無惨。柱でさえ接触する機会がなかった鬼の根源であり、鬼殺隊が長年斃そうとしてきた存在。

 頸を斬っても死なない場合は、朝まで無惨を日光の当たる場所に拘束しなければならない。そのために技を一気に叩き込んで、まともに行動できなくさせて留まらせ続ける。

 柱が一斉に抜刀し、技を仕掛けようとする。

 

―――蟲の呼吸・蝶ノ舞・・・

 

 しのぶもまた、刀を抜いて毒を打ち込もうとする。自分の毒が無惨に通用するかは分からないが、珠代と協力してより強い毒を作ることはできている。足止めには向いているはずだ。

 だが、無惨の下へ柱が殺到し、地に足を着けようとしたその瞬間。

 

「!?」

 

 突如、地面に障子戸が出現した。

 そこはついさっきまで、焼け爛れた地面のはずだったのに、一瞬にして奇妙な戸が現れる。しかもその奥には、無限に続くような謎の空間が広がっていた。そしてその障子戸は、自分だけでない他の柱、さらには無惨本人の直下にも出現している。

 

「目障りな鬼狩り共!今宵、皆殺しにしてやろう!!」

 

 初めて聞いた、無惨の声。そこには、殺気と怒気を孕んでいた。しかし、謎の空間に落とされてしまい、姿も声も捉えられなくなる。

 障子戸の奥に広がっていたのは、上下左右に襖だの畳だの階段だのが張り巡らされている、城にも屋敷にも見える謎の空間。そして、すぐ近くにいたはずの他の柱の姿も見えなくなり、ここは十中八九敵の血鬼術で生み出されたものとしのぶは瞬時に理解した。

 

(どこかに掴まらないと・・・)

 

 落下しながらも冷静に状況を見るしのぶは、横に抜ける廊下を見つける。そこで空中で身体を捻り向きを変え、壁を蹴ってそこへ目掛けて着地する。こういう時に自分の身軽さは役に立った。

 

「!」

 

 しかし、ほっとしたのも束の間。着地した廊下の脇の襖を破って、口が七つもある異形の鬼が姿を現した。雄叫びとも悲鳴とも取れる奇声を発するそれを、しのぶは冷静に刀で突いて毒を注入する。するとその鬼は、苦しそうな濁った叫び声を上げ、やがて糸が切れたように沈黙する。

 それを確認すると、しのぶはその場を離れる。敵の領域であるこの空間でじっとしているのは危険すぎた。

 だが、一歩踏み出すたびに、自分の中にある黒い感情が次第に大きくなっていくのを感じ取る。それはここが敵の本陣であり、自分の仇敵がいるかもしれない、という予想が強まっているからだろう。

 

(血の匂いがする・・・)

 

 そうして廊下を進んでいると、鼻をつく独特の匂いがしてくる。長い戦いと、蝶屋敷での治療で嗅ぎ慣れてしまったものだ。

 周囲の状況を見る。天井にはなぜか襖があり、左手側には蓮の花が咲く溜池。そして右手には他とは違う重厚な扉があり、血の匂いはそこから漂ってきていた。

 その扉に手を掛けようとすると、自分の心臓の鼓動が早まってくる。この扉の向こうには、確実に『強力な存在』がいると本能が訴えかけていた。

 意を決して、扉を開く。

 部屋の中は広く、天井も二階分ほどの高さがある。下は床と言うよりも木製の橋が張り巡らされており、その下には水が溜まっていた。

 

 だが、すぐ近くの橋の上には、何人もの女性が同じような白い衣服を着て横たわっていた。血に塗れていて、生きているのか死んでいるのかも分からない。

 そしてそのそばで、胡坐をかいて、見なくても人の肉を喰っているのが分かる鬼がいる。

 

 その光景を目にしただけで、しのぶの中で憎悪と憤怒の感情が沸き上がってきた。

 すると、扉の開く音に気付いたのか、鬼が振り向く。

 

「あれぇ?来たの?」

 

 振り向いた鬼は、しのぶの姿を認めると、ぱっと表情を明るくする。口元についていた血を、ペロッと舐めとった。

 

「わあ、女の子だねえ!若くて美味しそうだなあ」

 

 身体中の細胞という細胞が沸騰しているように、身体が熱くなる。

 振り向いた鬼の瞳には、左右に『上弦』『弐』と文字が浮かんでいる。それはこの鬼が、十二鬼月の中でも最上級の強さを誇る上弦の弐であることを示している。

 だが、しのぶにとって重要なのは『最上級の強さ』と言う点ではない。『上弦の弐』と知って、しのぶの中でボコッと心が泡立つ感覚がする。

 

「やあやあ、初めまして。俺の名前は童磨(どうま)

 

 頭にかぶっていた冠のようなものを取って、童磨と名乗った鬼は陽気に挨拶をする。

 上から血を被ったかのように、童磨の髪は頭頂部が赤く、着ている服も同様に赤かった。それを見て、しのぶの目が見開かれる。

 

「た・・・たす、け・・・助けて・・・!」

 

 その時、童磨の傍に横たわっていた女性が、恐怖に満ちた表情でしのぶに手を伸ばし、助けを求めた。

 一瞬でしのぶは移動し、女性を抱えて童磨から距離を置く。『わぁ、速いね~。柱なのかな?』なんて童磨が言っているが無視した。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 しのぶは一度、自分の中に滾る激情を冷やし、笑みを浮かべて女性に話しかける。

 だが、女性の表情は未だ恐怖に染まったままで、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。そして次の瞬間には、女性の身体は細切れになってしまった。

 

「・・・・・・」

 

 自分の手から崩れ落ちた女性を見て、しのぶの思考が止まる。手についた血を呆然と眺めることしかできない。

 誰とも知れない人の命が、自分の腕の中で喪われてしまった。

 

「あ、大丈夫!そのままそこに置いといて!後でちゃんと喰べるから」

 

 童磨は変わらず、陽気な口調でしのぶに言葉を投げてくる。

 ゆっくりと、しのぶは童磨の方を振り向く。

 童磨の手には一対の鉄扇が握られており、それで先ほどの女性は一瞬で切り刻まれたのだと分かった。同時に、冷やしていた自らの感情に火が灯る。

 

「俺は『万世極楽教』の教祖なんだ。信者の皆と幸せになるのが俺の務め、その子も残さず綺麗に喰べるよ」

 

 しのぶは、今は亡きカナエの今際の時を思い出す。

 カナエはしのぶに、鬼殺隊を辞めるように言った。だが、しのぶはカナエを殺した鬼に復讐しなければ、この未練は消えないと、鬼に背を向けて生きるなんてできないと告げた。

 そしてカナエに、そいつがどんな鬼だったのかを聞いた。カナエが告げた特徴は、今目の前にいる童磨と一致している。

 

「・・・皆の幸せ?何を呆けたことを。この人は嫌がって助けを求めていましたよ」

「だから()()()()()()だろ?」

 

 怒りを抑えて冷静になろうと、しのぶは平板な口調になる。いつも浮かべている微笑なんて、とうに消えていた。

 だが童磨は、変わらない調子で、細切れになった女性を指差す。命が尽きたその首には、恐怖や苦痛の表情が張り付いている。

 

「その子はもう苦しくないし、辛くもないし、怯えることもない。死んで解放されたんだから」

 

 ゆらりと、しのぶは立ち上がり、童磨を見据える。

 

「俺は信者たちの想いを、血を、肉をしっかりと受け止めて救済し、高みへ導いている」

 

 自分の胸に手を当てて、うっとりとした様子で童磨が語る。

 しのぶの脳裏に、ここにはいない蝶屋敷の皆の顔が浮かび上がった。

 暁歩やアオイ、きよたちは、怪我をして運び込まれた隊士の怪我を治し、命を救おうと一生懸命だった。そこにあるのは、傷ついた人を助けたいと思う純粋な気持ちであり、それを原動力にして怪我に寄り添い、快復できるように尽くしている。

 それこそがしのぶにとっての、『救う』姿勢だ。

 

「正気とは思えませんね」

 

 けれど、この童磨の言う『救う』とは、それとはかけ離れている。蝶屋敷の皆と同じく命を救おうとしているしのぶにとっても、度し難い。

 

「貴方、頭大丈夫ですか?本当に吐き気がする・・・」

 

 目元が震え、自分の声にも怒りが滲み出てきているのが自分で分かる。

 けれど、童磨は『え~っ?』と微塵も傷ついていないような声で、キョトンとした表情をする。

 

「初対面なのに随分刺々しいなぁ・・・あっ、そうか」

 

 すると童磨は、何かに気づいたように笑う。

 そして、可哀想なものに向けるような表情を浮かべて、しのぶに話しかける。

 

()()()()()()があったんだね?聞いてあげよう。話してごらん?」

 

 抑えきれなかった。

 

 

「話すことなどあるものか・・・!」

 

 

 怒りを凝固させたような、低く荒い声が喉からついて出る。

 こんな声、出したことがない。

 

「私の姉を殺したのはお前だな・・・」

 

 怒りのあまり血管が浮かび上がり、自ら噛み砕きそうになるほど歯を軋らせる。眉間に皺が寄る。

 こんな顔、したことがない。

 

「この羽織に見覚えはあるか・・・?」

 

 この能天気な鬼に思い出させるように、羽織を掴んで前に出して見せつける。

 こんな態度、とったことがない。

 

「ん?」

 

 言われて童磨は、羽織を見て首を傾げ、記憶を辿るように少しの間沈黙する。やがて思い当たる節があったのか、『ああ!』と軽く手を叩いた。

 

「花の呼吸を使ってた女の子かな?」

 

 花の呼吸は、水の呼吸から派生した、カナエが編み出した呼吸法。それを使っているのは、見よう見まねで呼吸法を真似したカナヲと、当人のカナエしかいない。

 だから、確定した。

 この童磨こそが、しのぶにとって最愛の姉を殺した仇だ。

 

「優しくて可愛い子だったなぁ。朝日が昇って喰いそびれちゃった子だよ、覚えてる。ちゃんと喰べてあげたかっ」

 

 ならばもう、こいつの言葉を最後まで聞く道理も義理もない。

 

「た」

 

―――蟲の呼吸・蜂牙ノ舞

―――真靡き

 

 自分にとって憎くてたまらない仇敵を前にした時、自分はどうなるのだろうとしのぶは考えていた。もちろん、ずっと憎んでいたし、感情が荒ぶるのは予想できたが、自分がどんな気持ちになり、どんな行動をするのかまでは、正直想像できなかった。

 しかし今、心はこの童磨を殺すことしか考えられない。コイツのせいで愛する姉と永遠に別れることになってしまったことが、今になって心を鷲掴みにされるように苦しく、悲しくなる。同時に、猛烈な殺意が心に広がっていく。

 それらの感情が混濁とした渦を巻き、自分の身体を満たしている。今すぐにでも怒号を挙げなければ内側から砕け散りそうになるほどだ。

 その自分の中で確実に蓄積されてきた黒い気持ちを、自らの日輪刀に込めて、童磨に突き刺した。

 

◆ ◆

 

 カナヲは、突然引き込まれた謎の異空間を駆ける。

 柱稽古から帰ってくる途中で、急に足元に謎の障子戸が開いたかと思ったら、こんな奇妙な空間に放り込まれた。天井に襖があったり、壁に廊下のような板が張ってあったり、床にも引き戸があったりと、上下左右の感覚が狂わせられるようだ。

 しかし今は、そんなことは心底どうでもいい。平衡感覚を保って走り続ける。

 

「ッ・・・!」

 

 天井の襖から姿を現した、獣のような頭の鬼の頸(らしき部分)を斬り、先へ進む。

 これまでもまた異形の鬼を何体も斬ってきたが、これだけの数がいるとなればここは間違いなく敵の本拠地と見ていい。もしかしたら、ここ数週間鬼の情報が全く無くなったのは、ここに鬼を潜ませるためだったのかもしれない。

 そして本拠地であれば、まだ残っている十二鬼月もいるはず。

 つまり、カナエの仇である上弦の弐だっているかもしれないのだ。

 

(しのぶ・・・)

 

 カナヲは、柱稽古が始まってからしのぶと二人きりで話をする時間があった。

 話の内容は、カナエを殺した上弦の弐を斃す方法について。しかしながら、その方法はカナヲにとって受け入れがたいものだった。

 

 ―――私は鬼に喰われて死ななければなりません

 

 大前提からして、納得できなかった。

 まず、仇敵である上弦の弐は、若い人間の女性を好んで喰らう底意地の悪い奴だという。

 次に、鬼にとって女性の肉とは、男性の肉よりも栄養価が高いらしい。というのも、女性は子供をお腹の中で育てるために、より多くの力を宿しているからだ。

 それらの要素に加えて、しのぶは柱であり、通常の女性以上の力を持っている。まさに稀有な肉体の持ち主だ。

 そこを狙って、しのぶは自ら喰われて、死ぬと言うのだ。

 しのぶの体内には、現在非常に高純度の藤の花の毒が巡っており、頭の天辺から爪先まで毒で満たされているも同然の状態。しかもこの状態になるまでおよそ一年、藤の花の毒を摂取し続けているという。

 つまり上弦の弐が、毒の塊と化しているしのぶを喰えば、殺せるかどうかは分からないが、確実に弱体化させられる。そこにカナヲが止めを刺すという寸法だ。

 

(しのぶ姉さん・・・)

 

 しかしカナヲは、そのしのぶの考えを理解することはできても、納得ができていない。

 理屈では理解できても、根元の部分にある感情は拒んでいる。

 家族に捨てられたカナヲにとって、しのぶは今日まで自分に愛情を注いでくれた、いわば姉のような存在。

 最初は感情をほとんど失ってしまったカナヲだが、炭治郎と出逢ったことで再び心に色が付いて、自分を出せるようになってきたのだ。それはしのぶも喜んでくれていた。

 だからこそ、自ら進んで死のうとするしのぶのことを止めたかった。何とかして、しのぶが死なないで勝つ方法を考えたかった。

 

 ―――そのような甘い考えは今すぐこの場で捨てなさい

 

 それを口にした時の、しのぶの冷たい言葉が心に蘇る。

 上弦の弐の強さは、カナヲがこれまで戦ってきたそこらの鬼とは比べ物にならないほどなのは分かる。蝶屋敷に運び込まれていた炭治郎だって、これまでに上弦の鬼と二回戦っており、その度に傷つき短くない時間眠り続けていた。それに、上弦の参の強さは柱を殺すほどだ。

 それ以上の存在である上弦の弐を相手に、全員が生きて勝つなんて話は、所詮夢物語なのかもしれない。

 そしてしのぶが、揺るがない覚悟を決めているのであれば、カナヲはそれを無駄にしないように戦うしかない。

 だが、しのぶもわざと喰われる腹積もりなのを悟らせないために、全力で戦うだろう。それに、自分が喰われる覚悟を決めていても、喰われずに勝とうとするはずだ。

 だから少しでもカナヲが早くそこへ辿り着いて、一緒に戦って勝てばいい。

 

(早く・・・早く行かないと・・・!)

 

 異空間を走るカナヲの足に力が籠る。足元の障子戸や左手側の襖から異形の鬼が何体も姿を現すが、迷わず斬り、身体を捻って攻撃を避けて走り続ける。

 自分以外の戦闘の音は聞こえない。いかんせん構造が複雑なうえに広大なだけで、恐らく他の隊士もこの空間に引き込まれてしまっているだろうが、状況が分からなかった。

 それでもカナヲは、耳を澄ませて、目を凝らしてしのぶの姿を探す。途中で現れる鬼も手早く斬って走り続ける。

 やがて前方に、扉が開いている部屋が見えた。その目の前には、蓮の花が浮く溜池のようなものがある。

 あの部屋に何かがある、そう思ってカナヲはより脚を速く動かしてそこへ向かう。

 

「え?」

 

 だが、その部屋の近くであるものを見つけた。

 

◆ ◆

 

 すれ違いざまに、毒を打ち込もうとする。けれど、もうこいつに毒は通用しなかった。

 そして、私の身体に深い傷が刻まれた。

 

「こふっ・・・」

 

 口から血が流れ出る。身体からも血が零れてくる。ここまでの怪我を負ったのは、初めてだ。

 呼吸で止血しようとしても、片方の肺は血鬼術で凍り付き、もう片方の肺も斬られた。立ったままでいられなくて、膝をついてしまう。

 

「ごめんごめん。半端に斬っちゃったね」

 

 後ろから、けらけらと耳障りな童磨の声が聞こえてくるけれど、私にはもう何かを言い返すほどの気力さえ残っていない。

 毒はもう五回打ち込んでいるのに、全部分解された。しかも、打ち込むたびに効き目が弱くなってしまって、()()()毒はもう通じない。

 床についている、自分の小さな手にも血が滴り落ちる。

 私は姉さんのように上背はないし、悲鳴嶼さんのように力もない。鬼の頸を斬れないからこそ、毒を打ち込んで殺すしか鬼を斃す術が無かった。それなのに、あの童磨にはもうその毒も効かない。

 どれだけ童磨が憎くても、私には姉さんや悲鳴嶼さん、煉獄さんたちみたいにちゃんと刀を振って戦う力がない。

 もっと私の背が高くて、もっと力があれば、ちゃんと戦えたかもしれないのに。

 力が弱くて、毒も効かない今の私には、もう何もできない。

 考えても意味がないことばかりが思い浮かんで、今の自分の無力さに涙が出そうになる。

 

『しっかりしなさい。泣くことは許しません』

 

 弱気になっている私の頭上から、声が聞こえた。

 優しくて、それでいて強い意思が籠っているような声。

 姉さんの声だ。

 

『立ちなさい』

 

 鬼殺隊に入ったばかりの頃、挫けそうになった私を奮い立たせる時と同じような話し方。普段姉さんは、ふわふわした喋り方をしていたから、その時の話し方はよく覚えている。それを聞くたびに私は、自分を奮い立たせてきた。

 けど、ごめんなさい、姉さん。

 私の受けた傷が深すぎて、呼吸することさえままならなくて。

 私の作った毒も通用しなくなって。

 私はもう、立つことさえ・・・

 

『関係ありません。立ちなさい。()()・胡蝶しのぶ』

 

 透き通るようで、強い芯が通った言葉。

 私の中で消えかけていた、心の炎がもう一度灯る。

 例え力が弱くても、私は柱だ。まだやれるのに、弱気になって、戦いを捨てるなんてことは、許されない。

 姉さんの言葉に、私の中で消えかかっていた意思が、もう一度くっきりと浮かび上がる。

 ゆっくりと、身体に負担を掛けないように、立ち上がる。

 

「え、立つの?立っちゃうの?」

 

 背後にいる童磨が、心底不思議そうに呟いているが気にするものか。

 

「えー・・・君、ホントに人間?」

 

 どう言われようと、関係ない。

 たとえ今の私が人間でなくても、お前のことは絶対に殺す。

 

「く・・・っ」

 

 けれど、胸の傷は深い。肺は傷つき、呼吸もおぼつかない。呼吸法の技も、後一回程度しか使えないだろう。

 

(・・・頸を狙う)

 

 鬼の急所は頸。そこへ毒を打ち込めば、効くはずだ。今までは、眼だの手だのにしか毒を打ち込めていなかったから、やる価値は十分ある。

 飄々と笑う童磨を見据えて、慎重に呼吸を整える。

 

―――蟲の呼吸・蜈蚣ノ舞

 

 最後の力を振り絞って、脚に力を込めて、床を蹴って前に駆け出す。

 一瞬で、童磨との距離を詰める。

 

「わー、すごいね!怪我してるのにそんなに動けるなんて!」

 

 全く危機感を覚えないような口調でいる童磨。

 撹乱するように動いて、最後に体勢を低くして頸目掛けて刀を突き出す。

 

「え」

 

 いきなり低い位置から狙ってきたことに驚いたのか、童磨が間抜けな声を洩らした。

 その喉に、喰らわせてやる。

 

―――百足蛇腹(ひゃくそくじゃばら)

 

 脚の力を最大限に引き出して、喉に刀を突き刺して、童磨を天井まで突き上げる。見ていなかったけど、木でできた橋を砕くほどの脚力を出せたみたいだ。

 

「ぐぇっ・・・」

 

 天井にめり込む童磨は、空気が洩れるような声を吐く。

 ただ私は、支えるものがないからそのまま下に落ちていく。この高さでこのまま頭から落ちれば、無事では済まないだろう。

 けれど、例え相討ちになってでも、この童磨は殺す。

 そうすれば仇は討てる。この先多くの人が殺されることもないから。

 

 ―――まだ壊されていない誰かの幸せを守るために、戦いましょう

 

 姉さんの言葉が、頭を過ぎる。

 私たちが鬼と戦うのは、その理由があったから。

 鬼を斃せば、何人、何十人という命が救える。それが十二鬼月、それも上弦なら、何百人と命を救うことだってできるだろう。それだけの人の幸せが、壊されないでいいのだ。

 そのためなら、私一人の命なんて軽いものだろう。

 

 ―――俺だけじゃなくて、アオイさんやカナヲさん、きよちゃんたちも、しのぶさんがいなくなってしまったら悲しむでしょう

 ―――しのぶさんは、皆にとっても大切で・・・かけがえのない人なんですから

 

 暁歩さんの言葉が蘇る。

 私がいなくなることを悲しんでくれる人がいてくれる。それだけ私は大切に思われているのだから、それは嬉しい。

 だけど、ごめんなさい。

 私は、こうでもしないと上弦の鬼を斃せないような強さしかないから。

 悲しませるようなことをして、ごめんなさい。

 

「・・・・・・」

 

 ―――怒ってますか?

 

 炭治郎くんに言われたことを思い出す。

 私は怒っているんですよ、炭治郎くん。家族を喪った時から。理性なく人を喰らう鬼と戦って、惨たらしく死んでしまった人たちを目にして、目の前で命を助けられなくて、自分の力の弱さを思い知って。

 姉さんを殺した鬼を前にして、必殺の一撃を喰らわせたのに。

 

 童磨は、笑っていた。

 なんで毒が効かないのよ、コイツ。

 馬鹿野郎。

 

 私が床に落ちる直前で、童磨が氷の触手を伸ばしてきて、それは私の身体に巻き付いた。気持ち悪い。

 そして触手は、私を童磨の下へと運ぶように縮んでいく。童磨は天井にめり込んだまま、まるで私を迎え入れるように腕を広げた。

 

「えらい!頑張ったね!俺は感動したよ!」

 

 あろうことか、私を抱き締めてきた。

 不快だ。気持ちが悪い。吐き気がする。

 姉さんを殺して、私まで殺そうとしている鬼なんかに抱き締められるなんて、虫唾が走る。童磨は何事かを言っているけれど、聞く耳も持てない。

 しかもコイツ、私を殺そうとするために腕に力を込めている。このままいくと私は、身体の骨を折られて死ぬだろう。

 

 やっぱり、私だけじゃ敵わなかった。

 

 頸を斬るほど力がなくて、毒でしか鬼を斃せない私では、この童磨には勝てなかった。

 それを見越して姉さんは、私に鬼殺隊を辞めるように言ったのだろう。

 けれど、私がこのまま死んで、童磨が私を喰えば、それでいい。致死量以上の毒が巡って弱ったところに、カナヲが止めを刺せばいい。

 カナヲなら、やってくれるはずだ。

 だって、私と違って、ちゃんと刀を振って戦うことができて、強いんだから。

 

(・・・気持ち悪い)

 

 でも、それ以前に、こんな奴に抱き締められるなんて、最悪の気分だ。しかも、ひと思いに殺そうとしない。

 本当に、気持ち悪い。

 

 

 だけど、ほんの少し前に、同じようなことがあった気がする。

 その時は、今みたいな不快感しか抱かないものじゃなくて、もっと温かくて、穏やかな気持ちになれたような。

 

 ―――いなくても、なんて悲しいこと・・・言わないでください

 

 そうだ、暁歩さんだ。

 この童磨なんかとは全然違う、もっと優しく抱き締めてくれた。

 そして抱き締められた時、私の胸はとても高鳴った。

 

 ―――今までが辛かったのなら、この先愛情を注げばいいんです

 

 記憶が、経験が脳裏に蘇ってくる。

 ああ、走馬灯だ。

 私はもう、死ぬんだ。

 

 ―――人の死には、慣れない方がいいと思います

 ―――慣れてしまったら、命がどれだけ大切か見失ってしまいそうですから

 

 ・・・。

 

 ―――しのぶさんたちが俺を受け入れてくれて、本当に良かったと思っています

 

 ・・・あれ?

 

 ―――何というか、俺もまだまだ頑張らないとと思います

 

 走馬灯は、死の間際、自分の過去を遡って、死を回避する方法を見つけるためのもののはずなのに。

 

 ―――家族との思い出を覚えているのは、それだけしのぶさんが、家族が大好きだったということですよ

 

 今思い返していることは、暁歩さんと交わした言葉や、思い出のことばかり。

 死を回避する方法なんて、見つからない。

 

 ―――ここに来て日が浅い自分が言うのも何ですが、何か悲しい気持ちや辛い思いがあるようでしたら、自分が受け止め、支えます

 ―――どうか、頼ってください

 

 何でそのことばかり、思い出すんだろう。

 

 ―――しのぶ・・・

 

 姉さんの姿が浮かび上がる。息絶える直前の記憶が、蘇ってきた。

 

 ―――鬼殺隊を、辞めなさい・・・

 

 何で今になって、このことを思い出すのだろう。

 

 ―――普通の()()()()()()を手に入れて・・・

 ―――お婆さんになるまで生きてほしいのよ・・・

 

 

 

 ・・・そういうことか。

 やっと、やっと、分かった。

 

 

 

 ―――俺にとってしのぶさんは・・・失っていた自信を取り戻させてくれた、そして見守ってくれたとても大切な人です

 

 あの時、暁歩さんに抱き留められて、鼓動が高鳴って、安心したのも。

 

 ―――別に・・・何とも思ってないはずなんですけどね

 

 宇髄さんとその奥様のやり取りを暁歩さんと見てしまって、悶々として、自分の気持ちが分からなくなってしまっていたのも。

 

 ―――自分の心が分からなくなる日が来るなんて

 

 きよと仲がよさそうな暁歩さんを見て、引っ掛かりを抱いたのも。

 

 ―――私にもああして、誰かを想ったり、誰かに想われたりすることはあったのでしょうかね

 ―――それは今からでも、できますよ

 

 甘露寺さんと伊黒さんのように、親密な関係にある二人を羨ましく思ったのも。

 

 ―――私を知ってもらったあなたに、今だけ、ほんの少しの間だけ・・・こうしてほしいです

 ―――これから先・・・しのぶさんが辛いと思ったり、支えてほしいと思ったら、俺はいつでも力になります

 

 あの人の傍にいると安心するのも。

 全ては純粋な、一つの気持ちから来るものだった。

 その気持ちの欠片は、たくさんあった。けれど、なかなかそれに気付けなかった。それは、私のような女がこの気持ちを抱くことはないだろうと、ある意味諦めていたからなのかもしれない。

 だけどこうして、暁歩さんとのことを思い出して、姉さんの言葉も思い出して、気付かされた。

 私は心の中で笑ってしまう。

 鬼殺隊を続けていたからこそ、あの人に出逢えたけど、私は永く生きられない。

 鬼殺隊を辞めていれば、私は永く生きていただろうけど、あの人に出逢えない。

 

 どちらを選んでいても、私は『女の子の幸せ』を掴めないのだから。

 

 童磨が力を籠めているのか、私の身体からミシミシと骨が軋む音が聞こえてくる。もう間もなく、私は死んでしまうだろう。

 最期にこの気持ちに気付けて、良かったと思う。

 この気持ちを抱いた時、胸がこんなにも温かくなると知れたから。

 最期にこの気持ちに気付いたのは、残念だと思う。

 だってもう、私はあの人に、この気持ちを伝えられないのだから。

 

「・・・・・・」

 

 今になって、死ぬのが怖くなってしまった。涙が自然と零れ落ちる。

 この気持ちを、伝えられないままでいるなんて。

 

 

 

 暁歩さん。

 私は、あなたのことが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

―――樹の呼吸・伍ノ型

―――柳枝抱擁(りゅうしほうよう)

 

 その時だった。

 私の身体が、別の何かにふわっと包み込まれるような感覚がした。涙で視界がぼやけてよく見えない。

 だけど私は、童磨ではない誰かに抱きかかえられているのが分かる。

 その『誰か』の香りはどこか懐かしさを感じるようで、それでいて優しくて、温かい。さっきまで殺すつもりでいた童磨なんかとは、比べ物にならないほど心地よいものだ。

 

「・・・しのぶさん」

 

 その『誰か』の声は、とても聞き覚えのあるものだった。

 傷ついた私に衝撃を与えないように静かに着地したその人は、私の顔を覗き込んでいるようで。

 

「・・・遅くなって、ごめんなさい」

 

 悲しそうで、それなのに優しい雰囲気のする言葉。

一度目を閉じて、もう一度開いて、やっと私はその人の顔をちゃんと見ることができた。

 

「・・・暁歩、さん・・・?」

 

 今だけは、心からの安心の笑みを浮かべられていると思う。

 だって、今の私が一番愛している人が、助けに来てくれたのだから。

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