蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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最終話:本当の笑み

 月が沈み、日はまた昇る。

 それはこの世界で変わることのない自然の摂理で、はるか昔から繰り返され、これから先もずっと続いていくのだろう。

 だが、今日この日だけは、その摂理に特別な意味合いが込められる。

 

 鬼の祖である鬼舞辻無惨は消滅した。

 日の光を浴びて、この世のものとは思えないほどの声を上げて、消え去った。

 

 長きにわたる鬼との戦いが終わった。

 鬼殺隊は戦い抜き、そして耐えてみせたのだ。

 無惨の強さは十二鬼月の上弦など目じゃないほどであり、日の出までの持久戦であっても、多大な被害と犠牲を伴うものだった。通常の隊士はもちろん、柱でさえも命を落とすほどに。

 しかし今は、悲しみに暮れる暇も、勝利を喜ぶ猶予もない。

 この決戦に参加した隊士は大なり小なり怪我を負っている。中には危険な状態にある隊士もいた。

 そうした怪我人は、隠も総出で蝶屋敷へと搬送し、受け入れられる限り受け入れるのだ。

 

「暁歩さんは?」

「それが、どこにもいなくて・・・」

 

 朝になって鎹鴉からの連絡を受けたアオイたちは、受け入れる準備を始めていた。

 しかし、この屋敷では今や重要な存在である暁歩がいない。しのぶは昨日緊急招集がかかって不在なのは知っているし、鬼舞辻無惨との最終決戦があったのも鎹鴉経由で知っている。だが、なぜ戦闘要員ではない暁歩がいないのか分からなかった。

 だが、それでも怪我人が大勢運び込まれるまでの時間は迫っていて、暁歩のことを探す時間がない。やむなく今いる人だけで準備を進めることになった。

 

「こちらの病床はまだ空いています!」

「隠の方、そこの包帯取ってくださいぃ~!」

 

 それから数刻で一斉に怪我人が運び込まれ、これまでにないほど忙しくなる。それでも、運び込まれる隊員たちをテキパキと病床へ寝かせ、一人ひとり初期治療を行う。

 だが、やはり四人では手が回りきらないほど多いので、手が空いた隠にも協力してもらえるように頼み、どうにかやりくりをした。その甲斐あってか、大きな混乱も起きることなく、順調に怪我人の受け入れは進んでいる。

 

「重傷の方、二名お願いします!」

 

 そんな中で、また新たに隊士が運び込まれてきた。

 先に運び込まれた隊士の処置を終えたアオイときよは、駆け足で玄関へとむかう。まだ特別室に空きがあったので、その二人はそこへ運び入れようと頭の中で決める。

 だが、玄関先にいた隠が担架で運んでいた隊士の姿を見て。

 

「・・・え?」

 

 アオイときよは、言葉を失った。

 その二人の隊士は、担架に載せられていて、傷だらけで、生々しい血の跡が残っている。

 だが、信じられないような表情になってしまったのは、怪我を見たからではなくて、その運び込まれた人の顔を見たからだ。

 何故ならその二人は、この蝶屋敷ではかけがえのない存在である、しのぶと暁歩だったから。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 懐かしい光景だった。

 まだ、俺の家族が生きていた時、薬屋を営んでいた時のこと。

 小さな食卓を囲んでいる。今日来たお客さんのことを父さんが話して、母さんがご飯をよそいながらそれを静かに笑って聞いている。俺も手伝いながら、耳を傾けていた。

 それから俺は、薬のことを教えてもらった。どんな効能があるのか、どうやって作るのか、どんな薬種を使うのか。その話を聞いた時の俺は、面白そうな、興味深そうな顔をしていたはずだ。

 だけど。

 瞬きを一つした後は、自分の周りは真っ暗になった。

 優しかった俺の両親は鬼に殺されて、俺一人が残った。

 家族はいなくなって、俺は孤独になった。

 

「ごめんね」

 

 声が聞こえて、顔を上げた。

 真っ暗な場所に、優しい目つきをしている、俺の両親がいた。

 

「一人にしちゃって・・・ごめんね」

 

 母さん、謝ることなんてないのに。

 俺だって、鬼に対する復讐心で一杯だったのに、自分の心が弱くて、結局まともに戦えなくなったんだから。

 それに、母さんも父さんも、何も悪くないよ。

 一人になったのは寂しいけど、だからって二人が謝ることなんてない。

 

「・・・すまなかった、暁歩」

 

 父さん、謝らなくても大丈夫だって。

 

「生きていたら・・・もっとお前に色々なことをしてやれただろうけど・・・」

 

 十分だよ。

 俺のことを大切に育ててくれたし、薬のことも教えてくれた。

 父さんが教えてくれたことは、ちゃんと今も覚えてる。それに、鬼との戦いで、役に立ったよ。

 そりゃあ、もっと一緒にいたかったけど、父さんも母さんも、謝ることなんてないよ。

 

「・・・そうか。ありがとう」

「あなたは・・・そういう優しい子だったものね」

 

 そう言われると、悪い気はしない。

 けど、どうして俺は、死んだはずの父さんと母さんと顔を合わせられるんだろう。

 俺は、死んだのか?

 

「いや、お前はまだ死んでいない」

 

 じゃあ、何で?

 

「あなたを、送り返すためよ」

 

 母さんが微笑む。生きている間は、何度も俺や父さんに向けていた、懐かしい顔。久しぶりに見たけど、だからこそ涙があふれてきそうだ。

 父さんもまた、小さく笑っていた。

 

「お前がこっちへ来るのは、もう少し先だ。それまでは、ずっと待っているよ」

 

 肩に手を置いてくれる。大きくて、温かい手。

 

「子供だったあなたを置いて先に逝くなんて・・・親として、情けないと思う」

「だからこそ、暁歩にはもっと永く生きてほしい」

 

 父さんと母さんの後ろが、ぼんやりと明るくなってくる。

 どうやら、お別れみたいだ。それは分かる。

 

「そして、僕たちが暁歩にしてやれなかった分まで・・・」

「幸せに生きてほしい」

 

 ぐらっと、身体が後ろに倒れるような感覚。

 自然と父さんたちに手を伸ばしたけど、二人は俺の手を掴もうとはしなかった。

 そして俺も、自分が倒れるようなその感覚に、逆らおうとはしなかった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 目を開けたら、そこは懐かしい匂いがして、見覚えのある天井が見えた。

 

「・・・・・・」

 

 先ほどまで、真っ暗な空間にいたような記憶。亡くなった両親と、話をしていた気がする。

 けれど、朧げな意識の中でここが蝶屋敷だと気づくと、暁歩の意識はようやく覚醒した。そして同時に、背中には何か柔らかい感触がして、自分は寝台の上に寝転がっていたのだと思い至る。

 それから、起き上がろうとすると。

 

「痛っ・・・!」

 

 強烈な痛みが身体に走った。

 自分の身体を見てみると、腕や脚、腹部に包帯を巻かれているような感触がする。特に右脚と腹部は念入りに手当てされているようで、右脚には添木の感触もあった。そして、両腕には点滴用と輸血用の管が通されている。

 その時、バタバタという足音が、壁の向こうから聞こえてくる。その音はどんどん大きくなってきて、その直後に部屋の戸が開け放たれ、小さな影が駆け込んできた。

 

「暁歩さん!目が覚めたんですね・・・!」

 

 その正体は、きよだった。涙目になりながら暁歩へと駆け寄り、ついには寝台に泣きつく。

 

「よかったですぅ・・一か月も目が覚めなかったんですよぉ・・・」

「・・・そう、だったのか」

 

 一か月眠り続けるなど、普通なら考えられない。だが、怪我がひどかったからか、それだけ意識が戻るのにも時間がかかったのだろう。よく自分の状態を確かめると、怪我はまだ痛むものの、何だか疲れが取れているような気がする。

 さらに部屋の外から足音が響き、すみとなほ、アオイも心様子を見に来てくれた。心配だったのか、彼女たちの顔には安堵や不安の表情が浮かんでいる。

 

「よかった・・・目が覚めたんですね・・・」

「急にいなくなってて心配しましたぁ・・・」

 

 心の底から安心したように、アオイが涙を滲ませている。さらに、なほとすみもきよと同様に暁歩のことを涙目で見ていた。

 そこで暁歩は、何があったのかをゆっくりと思い出す。

 あの夜に突然変な異空間に落とされて、童磨とかいう上弦の弐と戦ったのだ。できる限りの技を出し尽くし、カナヲと伊之助と協力して、ボロボロになりながらもどうにか頸を取って勝利した。けれど、腕や脚、腹部を斬られ、それに右脚の腱も切れてしまい、失血で気を失ったのだと思う。

 

「しのぶさんは?」

 

 今頃になって、一番重要なことを訊ねる。

 しのぶもまた重傷を負っていたはずだ。暁歩がその場でやれるだけの手当てをして命をつなぎとめようと必死だったが、途中で気を失ったせいでどうなったか分からない。

 

「・・・・・・」

 

 だが、それを聞いた瞬間、空気が重くなった。

 アオイたちの表情が翳って、暁歩と視線を逸らす。

 それを目の当たりにして、暁歩の中の熱が一気に冷めていく。

 

「・・・え?」

 

 嘘だ。

 そんな反応を見ると、嫌でも『助からなかった』という残酷な結末を思い浮かべてしまう。カナヲと伊之助が奮戦して、仇も討って、力を尽くしたのに、それでも駄目だったのかと。

 

「・・・隣に」

 

 なほが小さく告げると、暁歩は首を左に向ける。

 その時、僅かに開かれていた窓から風が吹き込み、窓掛けがふわりと揺れ、隣の寝台が見えた。

 

「・・・しのぶ、さん」

 

 そこで、しのぶは眠っていた。

 暁歩と同じように、両腕に点滴と血管の管が通されていて、腕や顔にもガーゼが貼られている。

 

「・・・生きておられます。ただし、重症です」

 

 生きている。

 ただそれだけで、暁歩は泣き出してしまいそうになる。あの異空間では、瀕死だったのだから。童磨との戦いも、自分の手当ても、決して無駄ではなかったのだと実感する。

 

「隠の方が、発見した時は暁歩さんも傍に倒れていた、と言ってました・・・」

「応急処置の跡がありましたけど、暁歩さんが・・・?」

「・・・はい。止血剤と包帯、縫合糸をあるだけ使って」

 

 アオイの質問に答えながら暁歩は起き上がろうとするが、それをすみが腕に手を添えて制する。

 

「駄目ですよ、暁歩さんも深い怪我をしたんですから・・・」

「運び込まれた時、失血で危ない状態だったんですから・・・」

 

 アオイからも諫められて、暁歩も仕方なく寝台に寝転がる。

 

「でも、どうして暁歩さんまで巻き込まれたんでしょう・・・?」

 

 なほが首を傾げる。

 だが、アオイがここに運び込まれた風柱の不死川実弥に聞いたところによれば、、隊士のすぐ近くを鬼の使い魔がうろついており、それに捕捉された者があの異空間に引きずり込まれたらしい。そう言えば暁歩も、薬を届けに行った帰り道で何か不気味な視線を感じた覚えがある。恐らくは、それがその使い魔の視線だったのだろう。

 そして、この蝶屋敷にいて、同じ隊士であるアオイが巻き込まれなかったのは、夜に外を出歩いていなかったからだ。使い魔も鬼と同様に日光の下で活動ができないから、夜に屋敷にいたアオイは捕捉されなかったのだ。

 

「・・・カナヲさんと伊之助くんは?」

「二人も怪我をしていましたが・・・大丈夫です・・・」

 

 一緒に戦ってくれた二人も無事だ。それをアオイから聞いて、ほっとする。

 ただ、やはり今の暁歩にとって一番の心配事は、隣の寝台で眠り続けているしのぶだ。暁歩は目覚めるまで一か月かかったらしいが、しのぶはまだ一度も目覚めていないらしい。左の鎖骨から腹部にかけて斜めに、肺とあばらが傷つくほどに深く斬られた。暁歩による応急処置がなければ、今頃は別の場所に安置されていたという。

 

「・・・あの、我妻さんが痛みで眠れないと・・・」

「あ、はい。すぐに行きます」

 

 そこで隠の一人が控えめに声を掛けてきた。

 戦いから一か月が過ぎても、蝶屋敷には未だ多くの怪我人が残っている。暁歩たちよりも重症だった隊士もいて、今もまだ隠の力を借りなければ忙しいらしい。そんな人たちの治療をするために、アオイたちは一度病室を出ていった。

 

(しのぶさん・・・)

 

 横になりながら、しのぶの方を見る。

 髪飾りを外して髪が下ろされているが、その姿は随分と久々に見た気がする。最後に見たのは確か誕生日の日の夜で、その時は綺麗と思ったが、こんな形でまた見るとは思わなかった。それに今見ても、弱っているからこそ悲しい気持ちにしかなれない。

 

(・・・頑張ってください・・・死なないでください)

 

 まだ暁歩は、しのぶに自分の気持ちを伝えられていない。このまま永遠の離別など、考えたくもなかった。カナヲと伊之助、蝶屋敷の皆が繋いでくれた命を、簡単に喪ってほしくない。

 どうか、生きて欲しい。

 無意識に、暁歩は布団を強く掴んでいた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 暁歩が目覚めた翌日。

 

「暁歩さん、お客様ですよ」

「・・・?」

 

 病床の上で微睡んでいると、なほが戸を開けて声を掛けてきた。暁歩は頷くと、そのお見舞いに来てくれた人が入ってくる。

 

「・・・師匠」

 

 それは、暁歩に修業をつけていた育手の空見。二年近く会っていなかったが、やはりその厳格な顔つきと、初老に合わないしゃんとした姿勢は変わらなかった。

 『お久しぶりです』と暁歩が寝台の上で頭を下げると、空見は目だけで応え暁歩の傍の椅子に座る。

 

「大分、厳しい戦いだったようだな」

「ええ、まあ・・・」

 

 寝台の上の暁歩の痛ましい姿を見て、空見が評する。暁歩だって死の淵を彷徨っていたのだから、実際のところ厳しいなんてものではなかった。

 それでも、空見は暁歩から目を逸らさない。

 

「ワシには戦えない、と言ったはずだが戦ったのか」

「・・・すみません」

 

 厳つい顔付きなので、どうしても責められているようにしか聞こえない。反射的に謝ってしまう。

 

「何を謝る必要がある」

 

 だが、そんな暁歩に空見は言葉を投げてきた。

 

「あの時弱気になっていたお前が、今回戦って生き残ったのは、それだけお前の心が成長したからだ。そこにお前が謝る必要はない」

 

 空見は、弟子の成長を喜んでくれていたのだ。修業中は厳しいところがあって勘違いされやすいが、こうして褒めるべき点、喜ばしいところはきちんと言ってくれる。だからこそ、その言葉は胸に響くのだ。

 思わず、暁歩の唇も少し緩む。

 

「今回の戦い・・・何が起こったのか、話してくれるか」

 

 空見が訊いてくると、暁歩は頷いてぽつぽつと話す。なぜ自分が戦いに巻き込まれたのか、どんな敵だったのか、どうやって戦い、どうやって勝ったのか。

 

「上弦の鬼と・・・」

「ええ、結果はこの通りですが・・・」

 

 やはり空見は、藤襲山から帰ってきて弱音を吐いた暁歩が、鬼の中でも最上級の強さを誇る十二鬼月の上弦と戦って、大怪我を負ったとはいえ生きていたことに驚きを隠せないらしい。暁歩だって、今もまだ自分が生き残ったなんて、と思わずにはいられない。

 

「・・・俺一人だったら多分、何もできず死んでました。けど、一緒に戦ってくれる人がいましたし、それに・・・」

 

 暁歩は、隣の寝台で眠ったままのしのぶを見る。

 

「・・・どうしても、負けられなかったので」

 

 暁歩にとって一番大切な人であるしのぶを長い間苦しめ、歪んだ思想を抱き人の命を弄ぶ存在である童磨。暁歩と対極の存在であるあの鬼には、負けたくなかった。戦っている間は自分の死なんて二の次になるほどに真剣で、カナヲと伊之助と協力して斃せたことは、本当に嬉しく思う。

 

「そうか・・・」

 

 空見が初めて暁歩に会った時、その顔は悲しみに暮れているような顔をしていた。

 だが、鬼のことを知った時は怒りや憎しみの色が混じったものとなり、藤襲山の最終選別の後は、弱気な顔だったのを空見は覚えている。

 そして今の暁歩は、そのどれとも違う表情だ。大怪我の後で目覚めたのも感じさせないほど、自信に満ちている。

 そんな暁歩の頭に、空見はそっと手を載せた。

 

「・・・本当に、よくやった」

 

 暁歩は、空見の顔を見る。

 温かい表情を浮かべていた。

 

「・・・ワシは、お前を誇りに思う」

 

 その載せられた手と、言葉の温かさに、暁歩も少しだけ涙を滲ませてしまった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 右脚の腱が切れたのが割と深刻で、暁歩が立ち上がるまでには、目覚めてからさらに八日かかった。それでもまだ、杖がなければ満足に歩けないのでもどかしい。

 だが、脚以外の機能には問題がなくなったので、暁歩も他の患者の治療に当たることになる。まだ目を覚まさないしのぶのことが気がかりだが、必ず助かると信じて、他の人の治療も進めなければならない。

 しかし今は、強力な助っ人もいた。

 

「暁歩さん」

 

 声を掛けられて振り返る。アオイやきよたちとも違うその声の主は、禰豆子だった。

 

「どうしました?」

「包帯の予備って、どこに置いてありますか?」

「ああ、それは向こうの棚に・・・取ってきますよ」

「いえ、暁歩さんも怪我がまだ治っていないんですから・・・言ってくだされば私が取ってきます」

 

 あの異空間での戦いが始まる少し前、禰豆子は珠代としのぶが作った鬼を人間に戻す薬を投与され、それが上手く作用した今は人間に戻っている。縦長の瞳孔も、鋭かった歯も今や元通りとなっており、言葉遣いも流暢で、可愛らしい人間の姿をしていた。

 そして禰豆子は、兄の炭治郎譲りとでも言うべきか、とても献身的で優しい性格だった。色々なことが起きて混乱しているだろうに、こうして蝶屋敷での手伝いをしてくれている。正直言って、人手が足りない今は本当に助かっていた。

 

「暁歩さん、無事だったんですね・・・」

「ええ、どうにか・・・」

 

 病室へ診察のために赴くと、寝台に横になっている炭治郎が声を掛けてくれた。彼もまた重症だったらしいが、今は安定しているらしい。表情こそやつれているものの、じきに良くなると暁歩は診ていて分かった。

 

「禰豆子さん・・・元に戻って、良かったですね」

「はい・・・本当に・・・」

 

 近くで甲斐甲斐しく怪我人の治療をする禰豆子の姿を見て、暁歩も炭治郎も安堵の声になる。禰豆子を人間に戻したいと切望していたからこそ、それが叶い、人間に戻った禰豆子がいることに、炭治郎はとても安心している。

 

「・・・珠代さんとしのぶさんのおかげですね・・・」

「はい・・・」

 

 鬼を人間に戻る薬を開発していた二人。だが、珠代は鬼舞辻との戦いで命を落としてしまったという。他の鬼とはどこか違った雰囲気がする彼女だったが、暁歩も一時行動を共にして薬を作ってたから、悲しくもある。そしてしのぶも、今は眠り続けている。

 

「しのぶさん、身体の方は・・・」

「・・・安定はしていますが、気が抜けない状況です」

 

 炭治郎は暁歩よりも前に起きたが、ずっと寝たきりなのでしのぶの容態を掴めていない。改めて調べた今の状態を暁歩が伝えると、表情を曇らせた。

 

「よくなると、いいですね」

「はい」

 

 炭治郎のその言葉には、大きく頷く。それこそが暁歩が今、強く願っていることだ。

 そこへ、水差しに水を溜めたるために外にいたカナヲが戻ってくる。

 カナヲの左目には、包帯が巻かれている。童磨との戦いで使った『彼岸朱眼』は相応の代償を伴うものだったらしく、当初は左目があまり見えていない程だった。それも、新たに調合した薬で少しずつ治している状態だ。

 

「炭治郎・・・大丈夫・・・?」

「うん・・・ありがとう。カナヲ」

 

 彼女も同じく傷を負っているものの、甲斐甲斐しく炭治郎の手当てをしていた。やはりカナヲにとっても想い人である彼が無事なのは嬉しいのだろうと、微笑みがこぼれる。

 

「善逸さん、大丈夫ですか?」

「ああ禰豆子ちゃん・・・可愛すぎてもう死んじゃいそう・・・」

 

 その近くの寝台では、身体の広範囲に怪我を負った善逸の看病を禰豆子がしている。

 元々禰豆子にぞっこんだった善逸は、彼女の姿を見るたびに身もだえている。鬼であった時も超音波を発するほどに狂喜乱舞していたが、ああして普通の少女となった彼女を見ると普通に照れていた。

 そんな禰豆子の前では、暁歩が調合した苦い薬であっても平気で飲んでいるので、アオイが『今度騒がしくなったら禰豆子さんを呼んであげてください』と耳打ちしたのには、暁歩も苦笑した。

 

「・・・お前、何か母ちゃんみたいだな」

「んなっ!?」

 

 そのアオイだが、戦いから目覚めて少し大人しくなった伊之助にいいように言われている。人間の母親のことを思い出し、『母性』というものを理解した伊之助は、いつもテキパキと真面目にし、時には尻叩きをしたアオイに母性的な何かを感じ取ったらしい。それを指摘されたアオイの表情ときたら、見たことがないほど真っ赤だった。

 ただ、こうした光景を見ていると、戦いも終わって、日常が戻りつつあるんだと暁歩も思う。未だ自分の最大の心配事は消えていないが、今の皆が穏やかな時間を過ごせているのは、暁歩にとっても嬉しかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 暁歩が眠っている一か月の間、怪我人の治療で使った薬は、あらかじめ作り置いていた薬で、それ以外のものはアオイが手順書をよく見て少しずつでも作っていたらしい。

 だが、暁歩が目覚めたのであれば、本来の役割を果たそうと調剤室で薬を調合し始める。まだ足回りが不安だったので、きよたちの手伝いも借りながらだ。

 

「擦過傷、創傷・・・肺とあばらも少し傷ついていて、骨にも少し皹・・・厳しいな」

 

 その調合する薬の中には、しのぶに投与する薬もある。

 しのぶの現在の容態はやや安定しているが、それでも気が抜けないことに変わりはない。

 点滴用の薬は、普通の薬とはまた違うやり方で作るのだが、それも言ってしまえば応用でしかない。これまでも、炭治郎や伊之助が運び込まれた際に点滴薬は調合したことがあるので、それ自体に不安なこともなかった。

 

「あとは・・・藤の花の毒、か」

 

 ただ、最大の懸念すべき点は、しのぶの体内に溜まっている藤の花の毒。カナヲ曰く、一年以上かけて摂取してきたその毒は、非常に純度が高く、量もしのぶの全体重と同じ量であるらしい。

 これほどの量を解毒するには、相応の時間、そして解毒薬が必要だ。

 そしてしのぶは、やはり自分から死ぬつもりでいたのか、解毒薬を作っていなかった。だから、解毒するにはしのぶの血液から毒を分析し、一から作らなければならない。

 藤の花の毒は、人体にはほとんど害はないとしのぶは言っていた。そうは言っても、どんな形でも体内に毒が巡っているなど恐ろしいので、何としても解毒するべきだ。

 

(絶対に・・・治さないと・・・)

 

 しのぶの身体を治したいと思わずにはいられない。あの戦いを生き延び、鬼との戦いも、復讐も終わりを迎えた。しのぶの心に強くのしかかっていた負担も無くなったからこそ、生き残ったしのぶにはこの先永く生きてほしい。

 そのためにはやはり、怪我を治さなければならなかった。

 それができる立場に、暁歩はいる。

 それができる技術が、暁歩にある。

 しのぶの命を絶やさないために、暁歩は薬を調合する手を止めはしなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 暁歩は、寝る前には必ずしのぶの様子を見に来ている。暁歩たちが忙しくしている間にも、しのぶが目覚めているかもしれなかったから。

 だが、この日もしのぶが目を覚ますことは無かった。

 日中も、床に就く前も、不安と隣り合わせだ。ある日突然、しのぶの命が途切れてしまうなんてことも考えられたのだから。脈拍も心音も安定しているのが、今の暁歩にとっての微かな希望である。

 

「・・・暁歩」

 

 そこで、後ろから声を掛けられた。

 カナヲは、花が生けられた花瓶を持っている。それを寝台の傍にある机に花瓶を置き、未だ眠っているしのぶの顔を見る。

 

「・・・しのぶ、元気になるよね?」

「なります、必ず」

 

 それを暁歩は疑ったことがない。

 治療する側にある暁歩がそこに自信を持てなくなったら、その時点で終わりだ。何よりしのぶが、このまま目覚めないなんて信じたくない。

 

「・・・しのぶのことは、本当の姉さんのように思ってる」

 

 実の家族に捨てられたカナヲにとっては、今まで育ててくれた本当の家族、姉のような存在であるしのぶ。だからこそ、彼女を傷つけた童磨に激しい憤りを抱き、あれほどまでに怒りを露に言葉をぶつけていた。

 

「・・・だから、本当は死んでほしくなかった」

 

 毒の塊となったしのぶが自ら命を絶ち、童磨に喰わせ大きな弱体化を謀る計画。最初はカナヲも頷けなかったし、止む無く頷いてからもずっと心の中にそれがしこりとして残っていた。

 だから今、しのぶが弱っているとはいえ、まだ生きていることにカナヲは安心しているのだ。

 

「・・・暁歩」

「?」

 

 カナヲの顔を見ると、無事だった右目は潤んでいた。

 

「・・・ありがとう」

 

 初めて、カナヲからお礼の言葉を受け取った。

 暁歩もまた、カナヲのことを見る。

 

「カナヲさんも・・・ありがとうございます」

「?」

「童磨との戦いは、カナヲさんの力がなければ勝つことはできませんでした・・・そうでなければ、きっと俺もしのぶさんも死んでいたでしょうから」

 

 あの場でしのぶの怪我を診て、できる限りの処置をしたのは暁歩だが、カナヲや伊之助の力がなければそれもできなかった。それに、童磨との戦いも、カナヲの高い実力に助けられていたので、今暁歩が生きているのもカナヲのおかげだと思う。だからこそ、暁歩はカナヲに頭を下げて、お礼を伝えた。

 そして暁歩とカナヲは、今なお目覚めないしのぶに視線を下ろす。

 

「・・・しのぶさんが元気になると、信じましょう」

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 暁歩が目覚め、しのぶの目が覚めないまま半月が過ぎる。

 傷が完治した患者や、蝶屋敷で治療を続けるほどではない浅い傷の隊士は、屋敷を出て今後の身の振り方を考え始めている。

 鬼の祖である無惨が消滅したことで、無惨の力が宿ったすべての鬼はいなくなり、鬼殺隊も晴れてお役御免、解隊となる。そうなれば、隊士たちは新しい人生を歩むことになるのだ。真面目に働くか、剣の腕を活かして道場でも開くか、あるいは気ままに旅に出るか。それは個人の自由であり、鬼殺隊にいる間は考えもしなかった、新しい悩みの種である。

 

「炭治郎くんたちはどうしますか?」

「俺は、自分の家に帰ります。実家の炭焼きもありますし、善逸と伊之助も連れて」

 

 まだ怪我が治っていない炭治郎は、病床で暁歩の問いにそう答える。実家にはもう二年以上帰っていないらしく、色々大変だろう。けれど、自分たちを苦しめていた鬼がいなくなったからか、やはり彼もまたどこか清々しい表情である。

 また、善逸と伊之助は、それぞれが事情を抱えていて、自分の生家と言うものがないという。そんな彼らを連れて、炭治郎と禰豆子は帰るとのことだ。その事情については、聞かないでおく。

 

「暁歩さんはどうしますか?」

 

 炭治郎が聞き返すが、その瞬間に暁歩の表情が少し翳る。そこで炭治郎は、暁歩から『不安』や『愁い』など悲しい匂いを感じ取り、軽率なことを聞いてしまったと気づいた。

 

「・・・今はまだ、決められませんよ。まだ怪我をした方はいますし」

「そうでしたね・・・すみません」

「それに・・・しのぶさんもまだ起きませんから」

 

 炭治郎もそうだし、善逸と伊之助の怪我も後を引いていて完治には至らない。完治するまでは、暁歩たちも後のことなど考えるわけにはいかなかった。

 何よりも、しのぶのことがある。

 どんな道を選ぶにしろ、自分たちを引き取ってくれたこの屋敷の主であるしのぶの意向も考えなければならない。

 それ以前に、しのぶは未だ目を覚ましていないのだ。容態は安定しているもののまだ安心はできず、暁歩もまたしのぶが起きて、言葉を交わすことができるまで、不安は尽きない。

 ある日気付いたら、いつの間にかひっそりと息を引き取っていたら、何て不安は何度頭を過ぎったかも覚えていない。

 これは暁歩だけでなく、カナヲやアオイ、きよたちも同じだ。

 早く目を覚ましてほしい。

 そしてまた、言葉を交わしたい。

 蝶屋敷の皆がそう思わない日は、一日たりともなかった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 ある夜、しのぶの眠る病室の外に暁歩は立っていた。

 今は中で、カナヲがしのぶの包帯を巻き直しているところだ。やり方は以前の吉原遊郭の後で巻き方を教えてあるので、信用はしている。

 異空間の戦いの時は、ただしのぶの怪我をどうにかしなければと思い、余計なことを考えないでいた。しかしこの屋敷で、男の暁歩が女のしのぶの包帯―――とくに胸の辺り―――を交換するのは気が引けた。なので、同じ女であるカナヲに代わってもらっているわけである。これまでも、しのぶの包帯はアオイやきよたちが交換していた。

 

「・・・終わった」

「ありがとうございます」

 

 そして戸を開けてカナヲが呼ぶと、暁歩は頷いて病室に入る。

 やはりしのぶは、眠ったままだ。

 

「・・・しのぶさん、まだ起きていませんよね」

「・・・うん」

 

 包帯を巻き直している最中に起きていないかと思ったが、カナヲは首を横に振る。それを訊いたのも、以前炭治郎が目覚めた際にカナヲは特に報告せず、後藤と揃って盛大なツッコミを入れた前例があるからだ。

 ただ、そこで暁歩はふと思い出す。

 

「・・・炭治郎くんが前に、吉原の戦いの後で二か月眠っていたこと、ありましたよね」

「?」

 

 暁歩が話しかけると、カナヲは首を傾げる。どうしてその話を今するんだろう、と言いたげだ。

 

「カナヲさんの気持ち、今なら分かりますよ」

「え?」

「自分にとって大切で、好きな人が眠り続けていると、こんな気持ちになっていたんだろうな、と」

「ふぇっ!?」

 

 暁歩が言うと、途端カナヲは顔を真っ赤にして、実に可愛らしい声を上げる。本当に女の子らしくなって、最初に来た時とはずいぶん変わったなと思う。

 ただ、悪意を持って茶化したつもりではない。同じ状況にあったカナヲの心境を理解して、感慨深くなったのだ。

 今もまだ不安と心配は尽きず、一日でも早く目覚めてくれるのを祈っている。

 

「・・・じゃあ、暁歩も・・・?」

「・・・ええ」

 

 ただし、カナヲは先ほどの暁歩の発言で、暁歩のしのぶに対する気持ちに気付いたらしい。暁歩も隠すことなく、それに頷く。

 だからこそ、尚更しのぶには起きてほしい。返事がどうであれ、自分の中で十分に育っているこの感情を、しのぶに伝えたい。

 また一緒に、言葉を交わしたい。

 微笑んでいる姿を、また見たい。

 そう強く願い、暁歩は横たわるしのぶの手をそっと握る。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「しのぶ」

 

 誰かが私のことを呼んでいる。

 けれど、私の周りには何も見えない。ただ真っ暗で、声を掛けた人の姿なんて、見えなかった。

 

「こっちよ、しのぶ」

 

 だけどまた、聞こえてくる。優しくて、どこか懐かしい声。

 その声が聞こえた方へ、ゆっくりと歩き出す。歩いているのに、足音がしない。ここは不思議な場所だ。

 それでも、聞こえてくる声に導かれるように歩いていると、ぼうっと明るくなってくる。

 そこには、満開に咲く枝垂桜があって、その下には誰かがいた。

 二つの蝶の髪飾り、艶やかな髪、そして優しい瞳。私と同じ羽織を着ている。

 見間違えるはずのない、私の大好きな、カナエ姉さんだ。

 たまらず、駆け出した。

 

「しのぶ」

「また、会えたわね・・・」

 

 傍には、私がずっと小さい頃に死んでしまった、お父さんとお母さんもいる。

 どうして、喪ってしまったはずの、大好きな家族とまた会えるのかは分からない。

 もしかして私は、助からなかったのかな。

 

「しのぶ・・・」

 

 姉さんが、私を抱き締めてくれた。

 とても温かい、懐かしい香り。全てを包み込んでくれるような、優しい温もり。

 思わず、涙が滲んでしまう。抑え込んでいた自分の気持ちを、全部こぼしてしまいそうになる。

 

「・・・よく、頑張ったね」

 

 ・・・姉さん。

 私・・・仇を討ったよ。

 

「うん・・・」

 

 私には無理だったけど、皆が助けてくれたの。

 

「・・・うん」

 

 ひらひらと舞い落ちた桜の花びらが、私の肩に載る。そこにお父さんとお母さんが、手を重ねるように置いてくれた。

 ようやく、家族全員で一緒になれたんだ。

 これからは、ずっと一緒にいられるのかな。

 

「・・・しのぶは、もうちょっと後になっちゃうかな」

 

 え?

 姉さんは、私の頭をそっと撫でてくれた。幾度となく撫でてくれたその手付きは、やっぱり優しい。

 

「しのぶはまだ、こっちに来る時じゃないわ」

 

 どうして・・・?

 

「しのぶはまだ、生きているからだよ」

 

 お父さんが頷いて、肩を優しく叩いてくれる。

 

()が、しのぶのことを助けようとしている。しのぶに死んでほしくないと願っている人が、たくさんいるんだ」

 

 あれ?

 その言葉、どこかで聞いたような・・・

 

「・・・しのぶ」

 

 お母さん。

 

「あなたにも、まだやり残したことがあるはずよ」

 

 やり残したこと。

 家族がいなくなって、仇を討っても、まだやり残していること。

 そうだ・・・あった。

 

「しのぶ?」

 

 私に言い聞かせるように、姉さんは笑って私の頭を撫でててくれる。

 

「しのぶを一人置いて、私も、お父さんも、お母さんもいなくなって・・・しのぶにはずっと悲しい思いをさせたわ」

 

 うん。

 寂しかった。辛かった。切なかった。悲しかった。何より、私の大好きな家族を奪った鬼が赦せなかった。

 だけど不思議と、私の中にはもう、そうした暗い気持ちはほとんどない。

 それは、仇を討てたから。

 そして、私のことを支えてくれる人がいたから。

 何より、私の中に新しい温かい気持ちが宿ったから。

 

「だからこそ、これから先は・・・幸せに生きなさい」

 

 あれだけ会いたかった姉さんが、父さんが、母さんが、すうっと姿が消えていく。

 けれど、行かないで、消えないでと泣いて縋る気持ちは起きなかった。

 

「強く、幸せに、永く生きて・・・しのぶ」

 

 桜の花びらが舞って、私の家族の姿が見えなくなる。

 だけど、姉さんの言葉は、ちゃんと受け止められた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 目の前の状況が、信じられなかった。

 確かに自分の目で見ているもののはずなのに、自分の意識ははっきりと覚醒しているはずなのに、今見ているものは夢か幻ではないかと疑ってしまうほどだ。

 けれどこれは、紛れもない現実。時は確実に進んでいる。

 

「・・・・・・」

 

 瞳が潤んで、視界が歪み始める。堪え切れない涙が頬を伝うけれど、拭う気も起きない。

 それぐらい、今目の前で起こっていることは、暁歩がずっと待ち望んできたことであり、嬉しいことだった。

 

「・・・暁歩、さん?」

 

 二か月もの間眠っていたしのぶが、目を覚ました。暁歩の顔を見て、確かにその名を呼んでくれた。

 

「・・・目が、覚めたんですね」

「・・・はい」

 

 涙ながらに話しかけると、しのぶは少しだけ笑みを浮かべて、頷いてくれた。

 暁歩は嬉しさのあまり、横になっていたしのぶの手を強く握る。その手をしのぶがゆっくりと握り返すと、いよいよもって感情を抑えることができなくなった。

 

「良かった・・・本当に、良かった・・・!」

 

 流れる涙と共に、心からの素直な気持ちをこぼす。自分がずっと抱いていた不安な気持ちが、言葉と涙であふれ出てくる。

 その姿にしのぶも、永い眠りで微睡んでいた心に温かい火が灯るのを感じる。自らも命の危険に晒されていたのに、自分のことを救おうとしてくれたこと、そして自分が目覚めたことをこうして喜んでくれているのが、たまらなく嬉しいから。

 やがて、カナヲ、アオイ、きよ、すみ、なほの三人もまた駆けつけてきた。そして、しのぶが起きたのを見て、しのぶを慕っている彼女たちもまた涙ながらに喜んだ。寝台へと駆け寄って、しのぶに声を掛ける。

 そして、自分のために泣いてくれている皆のことを、しのぶは優しい表情で眺めていた。

 

 落ち着いたところで、暁歩とアオイが改めてしのぶの容態を確認する。斬られた肺やあばらは、アオイが触診をする限りではほぼほぼ治っているらしい。その他の創傷や擦過傷なども完治し、骨の皹はあと少しだけ時間がかかりそうだ。二か月も眠っていたのは、身体の機能を、傷ついた部位を治す自然治癒力に集中させていたからだろう。

 そして肝心とも言えるしのぶの体内にある毒は、暁歩が調合した解毒薬が上手く作用し、一か月でおよそ四割は解毒されていた。

 

「・・・そうですか、二か月も・・・」

「起きなかったらどうしようと、心配でした・・・」

 

 涙ぐんでアオイが話すと、しのぶは苦笑する。しのぶからしてみれば、あの異空間で意識が落ちてから今日目覚めるまでの記憶がないものだから、昨日の今日のような感覚だ。

 

「怪我をした、皆さんは・・・」

「大体が完治したり、症状が軽くなって、大半の方は屋敷を出てます」

「意識がなかったのは、しのぶさんだけでした・・・」

 

 きよとなほが涙を拭って答える。

 最後まで厳戒態勢で診ていたのは、この屋敷の主人であるしのぶだった。加えて、鬼殺隊の専門医でもあるのだから、少しばかりおかしな話だ。

 

「特に、暁歩さんとカナヲ様が心配していましたよ」

 

 すみが涙目で見ると、暁歩とカナヲは顔を見合わせて少しだけ笑う。

 童磨との戦いで、二人は初めて共闘した。命を賭しての戦いとは、時に絆を育むものでもある。最初にしのぶの応急手当てをした時にカナヲの本心を引っ張り出したことで、二人の距離も少し縮まったのだろう。

 それと、カナヲの表情がやはり目に見えて変わったようにしのぶは感じる。それは童磨との戦いでも顕著だったし、しのぶにとって嬉しいことだ。

 

「・・・心配だった・・・」

 

 横になっているしのぶの手を、カナヲが握る。

 

「・・・しのぶ、ずっと起きなかったから・・・」

 

 カナヲがしのぶの傍へと近づく。

 しのぶは、寝転がりながら、カナヲに向けて手をゆっくりと伸ばす。その手を、カナヲはそっと握り返す。

 

「心配を掛けましたね・・・ごめんなさい」

 

 まだ少し弱弱しいが、しのぶは笑みをカナヲに向ける。

 すると、カナヲはつぅっと一筋の涙を流した。 

 

「・・・本当に、目が覚めて良かったです・・・」

 

 心からの安堵の言葉を、暁歩も涙を滲ませて告げる。

 しのぶにとって、カナヲも暁歩も大切な人に変わりがないから、不安を掛けてしまったことを申し訳なく思う。

 同時に、二人がこうして喜んでくれるの見ると、目が覚めて本当に良かったと、しのぶは思った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 それから数日、しのぶは静養が続いた。

 暁歩も症状はようやく軽くなってきたが、まだ脚の腱に不安があるので力仕事ができず、病床の片づけはアオイたちが分担して行ってくれた。

 その中で変わったことと言えば、カナヲが積極的にアオイたちと話すようになって、掃除や食事の準備も自ら進んで行い始めたことだ。表情もコロコロ変わって、口数も増えてきて、暁歩がここに最初に来た時とは大違いだった。病床のしのぶも、カナヲが食事を運んでくることが多かったので、その変化を目にし嬉しい気持ちになっている。

 一方、しのぶの怪我も大分治り、点滴と輸血の必要もないと判断すると、少しずつ起き上がって行動の幅を広げることになる。だが、身体の骨に若干の皹も入っていたため、身体を動かすのも慎重でなければならない。

 

「本当に俺でいいんですか?」

「ええ、お願いします」

 

 だからまずは、誰かに支えられながら屋敷の中を移動するのだが、しのぶはその支える誰かに暁歩を指名してきた。しのぶは女性であるから、同じ女性であるアオイやカナヲに頼むものと思っていたので、とても意外だ。

 改めて確認したうえでしのぶが頷くと、暁歩はしのぶの背中に手を添えて、寝台から降りられるように手を握る。

 

「・・・では、行きましょう」

「・・・はい」

 

 お互いに手を握り握られることは、今までも度々あった。

 しかしながら、治療のためと分かっていても、どうしても意識してしまう。それは暁歩だけではなく、しのぶも同じなようで、手を握ったところでなぜか恥ずかしそうにその手を見つめてしまう。

 それはともかくとして、しのぶは暁歩の手を借りながら部屋の外へ出る。

 

「・・・どこか痛いところはありませんか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

 

 暁歩は、状態をしのぶに訊ね、歩調を合わせて屋敷を歩く。しのぶも嘘はつかずに、問題がないことを暁歩に伝えて、一緒に歩く。

 

「しのぶちゃん!」

 

 階段を降りたところで、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。

 暁歩としのぶがそちらを見ると、右腕を吊った蜜璃がいた。そばには、やはりというか小芭内の姿もある。

 二人もまた、異空間での戦いに巻き込まれ、浅くない怪我を負って蝶屋敷に運び込まれていた。だが、一か月も経たずにある程度回復し、後は静養となったところで二人は屋敷を出たのだ。それは暁歩が目覚める前だったので、二人のことは言伝でしか聞いていない。

 さて、蜜璃はしのぶの姿を認めると、すぐに駆け寄り空いた左腕でしのぶを抱きしめた。

 

「よかったよぉ~・・・重体って聞いたから不安だったんだよ~・・・」

「心配をかけましたね・・・すみません・・・」

 

 しのぶを抱き寄せながら、蜜璃は歓喜の涙を流している。そんな蜜璃にしのぶも、やさしく声をかけて謝った。

 一方で小芭内は、暁歩に声をかける。

 

「お前も無事だったか」

「ええ、どうにか・・・」

 

 口に巻いた包帯や二色の眼、そして首に巻いた蛇は相変わらずの小芭内。暁歩が最後に小芭内と会ったのは柱稽古の時だったので、実に二か月ぶりとなる。しかも、怪我で眠っていた時期を含めて、随分と久しく感じた。

 

「一応は安心した」

「え?」

 

 小芭内が告げると、暁歩は驚いたように声を洩らす。普通ならば何の変哲もない言葉だが、疑り深い性格の小芭内からそう言われるのは暁歩も意外だった。

 

「俺がこの屋敷を出る時もお前は起きていなかったからな。寝覚めが悪かっただけで他意はない」

「はあ・・・」

 

 続くネチネチとした言葉を聞くと、やっぱりいつも通りだと暁歩はある意味安心したが。

 

「しのぶちゃん、怪我とか大丈夫?」

「ええ。もうほとんど治りましたよ」

 

 蜜璃に聞かれて、しのぶは笑みを浮かべて答える。するとそこで、蜜璃は『あれっ?』と首を傾げた。

 

「何だかしのぶちゃん・・・少し雰囲気変わった?」

 

 もともと周りに気を配っており、特にしのぶについては心配しているところもあった蜜璃。病み上がりとはまた違う意味で、しのぶの雰囲気が以前と少し変わっていることに、鋭敏に気付いたのだ。

 

「・・・どうでしょうねぇ」

 

 そう言ってしのぶは、隣に立つ暁歩を見る。だが、暁歩本人はどういう意味かを理解できずに、疑問の表情を浮かべる。

 それとは反対に、蜜璃は『えっ?えっ?もしかして?』と何を想像したのか顔を赤らめていた。

 

「行くぞ甘露寺。二人の無事が分かったのならいいだろう。あまり長居して邪魔するわけにもいかん」

「あ、そうですね」

 

 そこで小芭内は、蜜璃の左手を引いて屋敷を去ろうとする。

 だがその直前。

 

「お前は少しは女心を汲み取る努力をしろ」

 

 小芭内は暁歩の肩を叩いて、助言とも忠告ともとれるようなことをボソッと呟いた。けれど小芭内は、何事もなかったかのように、蜜璃を連れて行ってしまった。その間も、蜜璃はしのぶと暁歩に向かって『ばいばーい!』と元気に声をかけていたが。

 暁歩は、相変わらずあの人はよくわからないな、と思いながらしのぶを見る。

 

「・・・それでは、行きますか」

「はい」

 

 一方でしのぶは、何か意味を込めているような笑みを浮かべてはいたが、暁歩に促されてゆっくりと歩き始める。

 それからしのぶは、暁歩に支えられ通常の病室へと赴き、身体を休めていた伊之助と話をした。

 

「伊之助くん、暁歩さんやカナヲと協力していたみたいですね」

「おうよ!俺様がいなかったら、あのクソ野郎も斃せなかっただろうよ!」

「はい、本当に・・・ありがとうございます」

 

 しのぶに褒められて得意げになる伊之助。

 だが、確かに童磨に止めを刺そうとしたカナヲに力を貸したのは伊之助だから、本当に彼がいなかったら斃せなかったかもしれない。暁歩もそれは理解していたからこそ、お礼を伝えた。

 

「・・・ありがとう、伊之助くん」

「・・・・・・」

 

 しのぶからもお礼を告げられると、伊之助は急に大人しくなる。そして、『ほわほわ・・・』と何故か呟き始めた。

 

「禰豆子さんも、元通りになったようで・・・よかった」

「ありがとうございます・・・こちらでは兄がお世話になったようで・・・」

 

 そして、同じ病室で善逸と話をしていた禰豆子にも、しのぶは声をかける。鬼であったころの記憶は若干曖昧なのかもしれないが、どうやら炭治郎が度々この蝶屋敷に運び込まれていることは知っているらしい。

 一方でしのぶも、禰豆子が鬼であり、また普通の鬼とも違うと知っていたからこそ、心では人間に戻ることを願っていた。だからこうして、本当の人間の少女として普通に過ごせている姿を見て、ホッとしている。

 傍らで暁歩も、しのぶが喜びを抱いている様を見て、目を細めた。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「・・・大分、傷も癒えてきましたね。もう痛いところはありませんか?」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 しのぶの目が覚めてから一週間経った日の夜、診察を終えた暁歩はほっと一息つく。

 しのぶは元々柱で、身体も丈夫な方だった。深く傷ついた身体はほぼ快復し、心配だった骨の皹も今は問題ないほどになっている。食事も普通のものに戻っており、完治も間近だ。

 

「毒の方はもう少しかかりそうですね・・・」

「そうですね・・・。一時は私の身体が毒でできているようなものでしたから。やはり治すのにも、時間がかかります」

 

 身体に溜め込んだ毒は、その量がしのぶの全体重とほぼ同じだったので、やはり解毒には大分時間がかかっている。それでも解毒薬を定期的に投与しているので、徐々に毒は分解されていた。完全に解毒される日も近いだろう。

 暁歩は一息ついて、椅子に座る。

 

「・・・終わり、ですね」

「・・・ええ」

 

 しのぶの治療。

 童磨への復讐。

 鬼との戦い。

 それらが全て終わったことに、暁歩もしのぶも、気持ちが穏やかになる。

 特に鬼との戦いを終えるのには多大な犠牲を伴い、中には暁歩やしのぶと面識のある人まで命を落としてしまっている。その事実に、暁歩もしのぶも悲しい気持ちを抱いているが、それでもこの戦いの後の脱力感や達成感は、拭えない。

 歴史が大きく動いたと言っても過言ではないほどの出来事があったにもかかわらず、外はいつもと変わらず静かで、夜空には満月が浮かんでいる。

 

「月が綺麗ですねぇ」

「そうですね・・・」

 

 その月を見て、しのぶがいつかのような感じで呟く。それを聞くと、また前と同じような時間が戻って来たんだと暁歩は安心する。暁歩も同じように月を見ながら、そう返した。

 

「・・・本当に、良かった」

 

 改めて、言葉にする。

 

「あなたが死んだらどうしようと・・・考えるととても恐ろしかった。自分の死よりもずっと、考えるのが怖かった」

 

 藤襲山の最終選別で、自分の死に恐怖してがむしゃらに走り回っていた時なんか比べ物にならない。目の前でしのぶが衰弱し、死んでしまうのではと思った時の恐怖は、自分の死よりも遥かに強かった。

 

「あの時できる限りのことをして、命をつなぎとめるのに必死でした・・・。だから、こうして元気になって、本当に良かったです」

 

 安堵の笑みが、自然と浮かんでくる。

 そうしてしのぶのことを見て、頭を下げる。

 

「・・・無事でよかった」

 

 頭を下げている中で、しのぶが布団から起き上がるような衣擦れの音が聞こえてきた。

 もう一度顔を上げると、しのぶは布団に腰掛けて暁歩と向かい合うような姿勢を取っている。

 

「私もですよ。暁歩さんがあの戦いで生きていて、本当に良かったです」

 

 もう、憎しみや怒りを隠すようなものではない。ありのままの自分の笑みを、暁歩に向けている。

 

「あの戦いで、私を死なせないと必死だった暁歩さんのことはよく覚えています」

 

 手当てをしてくれたことは忘れてはいない。その時の気迫や手付きは真剣そのものであり、絶対に助けるという強い意志を感じるものだった。自分のことを大切に思っていたからこその行動に、しのぶも微笑む。不快な感情などない。

 

「暁歩さん、あの戦いで私の日輪刀を使ってましたよね?あれはどうしてでしょうか・・・?」

「あれは・・・毒を打ち込む範囲を広げるためでした。それに、しのぶさんにとっても憎い仇を討つためでもあります」

「そうですか・・・」

 

 あの時は説明する間もなく借りてしまったが、理由はその二点。斬る場所を少しでも多くして、毒が回るのを早くするため。そして、しのぶをずっと苦しめていた存在を斃すために、あの日輪刀を使いたかった。

 その言葉、暁歩の意思を聞いて、しのぶは暁歩のことを見る。

 

「覚えていますか?あの戦いで、暁歩さんが言っていたこと」

「?」

「あなたは、『身体に刻まれた傷を治して、心の傷に寄り添い、癒し、重荷を一緒に背負うことが()()こと』と言っていましたよね?」

 

 童磨が、『人を喰って苦しみや痛みから解放することこそが救い』と語った時、激昂した暁歩が告げた自分の考え。それをしのぶは、瀕死の重傷で横たわりながらもしかと聞いていた。心に浮かんだ感情を、自分の信念をそのまま口にした荒削りの暁歩の言葉だったが、それでも十分伝わった。

 

「あの言葉は、私もその通りだと思います。だからこそ、私もあなたに救われているんですよ」

「え?」

「暁歩さんは、家族を喪って、心に悲しみや怒りが渦巻いていた私を支え、それにこうして私の傷を治して命を繋ごうとしてくれた」

 

 自分の胸に手をやるしのぶ。

 暁歩は、自分の膝の上で拳を強く握る。

 

「その結果・・・私はこうして今も生きていて、暁歩さんやカナヲ、アオイたちとまた言葉を交わせています」

 

 そうして、にこりと笑う。

 

「仇を討つために自分で命を投げ出そうとしましたが・・・あなたに救われて、これから先もまた、生きていくことができるようになった・・・。暁歩さんは、私に生きる道を示してくれました」

「・・・・・・」

「本当に、ありがとう」

 

 涙が溢れそうになるのを、歯を食いしばって必死に堪える。

 その言葉の嬉しさは、しのぶが目覚めたことと同等のものだ。

 

「・・・しのぶさん」

 

 そして、今だからこそ伝えたい。

 

「俺は・・・ずっと、あなたに伝えたい言葉がありました」

 

 涙を堪えそうになる顔を、できる限りの笑顔にする。

 

「最初に会った時は、あなたのことを優しい人だと思っていました。ですが、それでも自分の中に抱えきれないほどの辛く悲しい気持ちを背負っているのを見て、支えたいと強く俺は思ったんです」

 

 泣くのを我慢しているせいで滑稽な顔になっているかもしれない。

 けれど、今から伝える気持ちは、泣きながら伝えるべきではないものだ。

 

「だけど次第に、その支えたいって気持ちは・・・心に傷を負っているからだけじゃなくて、あなたに強く惹かれたからでもあったんだと、気付きました」

 

 しのぶは待ってくれている。

 一度、暁歩は息を整えて気持ちを落ち着かせる。

 そうしてから、しのぶの顔をじっと見て、口を開く。

 

 

 

「しのぶさん。俺は、あなたのことが好きです。あなたを愛しています」

 

 

 

 言葉は届いただろう、聞こえただろう。

 暁歩の本心を、しのぶは初めて知ったはずだ。

 

「・・・暁歩さん」

 

 優しい声音に誘われて、引き寄せられるようにしのぶを見る。

 どんな感情から来るものか分からない涙を浮かべて、しのぶは微笑んでいる。思えば、しのぶが涙を流しているのは、初めて見た気がする。

 

「ありがとう・・・そんな気持ちを告げられたのは、初めてだったもので」

 

 暁歩の気持ち、言葉を噛みしめるように目を閉じる。

 けれど、しのぶの胸の高鳴りは収まらず、心の芯は温もりに満ちている。

 

「・・・でも、あなたへの私の答えは決まっていました」

 

 指先で涙を拭い、しのぶもまた暁歩のことを真っすぐに見て、口を開く。

 

 

 

「私も、暁歩さんのことが好きです。あなたを・・・愛しています」

 

 

 

 心が弛緩し、表情が綻ぶ。

 暁歩もまた、静かに俯いて嬉しさを噛みしめる。

 

「・・・ありがとう、しのぶさん」

 

 椅子から立ち上がった暁歩は、ゆっくりとしのぶの下へ歩み寄り、手をそっと握る。

 

「どうかこの先、俺と・・・一緒にいてくれますか?」

「・・・はい。私でよろしければ、喜んで」

 

 未来を約束して、しのぶが手を重ねてくれる。

  女の子としての幸せを手に入れて、永い時を生きること。

 心に深い悲しみと怒り、復讐心を溜め込んでいたしのぶにとっては、いずれも考えられなかったことだ。

 けれど暁歩と出逢い、時と思い出を重ね、身も心も救われたことで、それを考えることができるようになった。

 そして、それに気付かせてくれた暁歩を、自分が初めて恋心を抱いた暁歩を離すなんてことは、しのぶにとっては考えられない。

 自然と、暁歩としのぶの距離が、互いに惹かれ合うように縮んて行く。ここまでくれば、何をしようとしているかなどお互いに理解して、言葉も不要と何も言わない。

 やがて、月明りに照らされながら、二人の唇はほんの少しの間触れ合った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 死力を尽くした戦いの後は、どうも心が緩みがちになる。

 けれど、それを責める者は今ここにはいなかった。

 

「・・・大分、上手く行っているようですね」

「・・・ええ、そのようで」

 

 暁歩としのぶが陰から見守っているのは、庭で一緒にシャボン玉を吹いているカナヲと炭治郎だ。

 心なしか二人の距離は以前と比べると近い様に感じており、そしてお互いがお互いに向ける表情もまた、友人・知人に向けるそれとは違うようにも見える。

 順調に仲が進展したようで、しのぶと暁歩はまるで我が子の成長を実感するような謎の安心感を抱いている。

 

「ねーずこちゃ~ん、裏の花畑に綺麗な花が咲いてるから一緒に見に行こう?」

「あら、本当ですか。それでしたら、ぜひ!」

 

 完治した善逸も、禰豆子の手を引いて歩きだす。

 怪我人の治療を手伝っていた時も思ったが、本当に禰豆子は優しくて良い子である。善逸が惚れこむ理由も分かる気がした。

 そんな炭治郎や善逸たちと仲の良い伊之助は、今も裏山でさらに鍛錬をしているらしい。今頃はアオイが連れ戻しに行っている頃合いだろう。

 

「皆さん仲がよろしいようで」

「まったくです」

 

 そんな感じで若干浮ついている屋敷の現状をしのぶと暁歩は笑って呟くが、他人のことは言えないのかもしれない、と二人は内心でそう思う。

 

「裏の花畑、後で見に行きませんか?」

「いいですね。正直、ここへ来てからあまり行ってないので気になりますし」

 

 善逸たちに触発されたのか、しのぶが誘ってくる。暁歩も気になったし、何よりもしのぶの誘いを断りたくなかったので、頷いて受け入れた。

 ただし、行くのは善逸たちが戻ってきてからだ。今あの二人が行っている以上、同じ場所に行くのも無粋だから。しのぶもそれは分かっているらしい。

 それから暁歩としのぶは、日当たりの良い南側の縁側に並んで座って、お茶を静かに楽しむ。二人きりで、ゆっくりと静かに過ごすのだが、気まずい空気はない。暁歩もしのぶも、ただ自分の愛している人が隣にいてくれるだけで今は十分なのだ。

 そんな二人が見上げる天気はとても晴れやかで、穏やかに雲が青空を流れている。

 

「・・・不思議ですね」

「?」

 

 湯呑を持って、そんな空を見上げながら暁歩が呟くと、しのぶは視線を向けてくる。

 

「同じ景色のはずなんですけど、どうにも新鮮な気持ちと言うか・・・妙に気持ちが軽やかな感じがして」

「鬼との戦いも終わりましたからね・・・自然と、暁歩さんの心の負担もなくなったからなのでしょう」

 

 しのぶの言葉に、確かにそうかと暁歩も思う。

 まだ鬼との戦いが続いていたころは、無意識に心の中に緊張や不安などの負担があったのだ。それが、戦いが終わったことでこその心も軽くなり、見るものすべてが新鮮な感じがしているのだろう。

 

「・・・まあそれは、私も同じですけどね」

 

 緑茶を啜って、しのぶは微笑む。彼女は彼女で、暁歩以上に心に背負っていたものがあったからこそ、それが払拭された今は、より新鮮な気持ちでいるのだろう。

 暁歩も一口お茶を飲んで、小さく息を吐く。

 

「しのぶさんの身体は、ほとんど大丈夫ですけど・・・少しの間、心も休ませた方がいいでしょう」

「?」

「色々なものを背負って戦ってきたからこそ、傷ついて、緊張していた心を休ませるべきですから」

 

 家族を喪って傷つき、自らの死まで覚悟していたのだ。嫌でも心は張りつめていただろうし、負担も大きかったに違いない。

 暁歩と想いが通じ合ったとはいえ、その面には未だ不安も残っている。だからこそ、身体が治った後は心も癒すべきだ。

 

「・・・そうですね」

 

 そう言いながら、しのぶは傍らに湯呑を置く。

 そしてもう片方の手を、暁歩の手に重ねてくる。一瞬暁歩の身体が震えるが、しのぶも穏やかな笑みを浮かべているので、暁歩も小さく笑うに留めておいた。

 こうすることで、しのぶの心が癒されるのであれば、暁歩は拒んだりなどしない。それに、こうして頼り、接してくれることを暁歩も嬉しく思う。

 

「ところで、暁歩さん」

「?」

 

 そんな中で、しのぶが暁歩に問いかける。

 

「鬼殺隊も解隊となりますが、暁歩さんはこれからどうしますか?」

 

 しのぶとの未来とは少し違うが、暁歩にとっても重要なこと。

 しかしそれは、既に考えている。暁歩はお茶をもう一口飲んでから、傍らに湯呑を置く。

 

「俺は・・・そうですね。医者を目指そうかと」

「ほう」

「ここで学んだことはこの先も生かしたいですし、薬の知識もありますから」

 

 薬屋の息子として学んだこと、そしてこの蝶屋敷で身に付けた医療に関する知識は、この先決して無駄にはならないと思うし、無駄にしたくない。どちらも自分を構成するとても重要なことだから。

 

「それでしたら、ここに一つ良い場所がありますよ?」

 

 そう言ってしのぶは、屋敷を指差す。

 そのしのぶの仕草の意味を、暁歩はすぐに理解することができた。

 

「ここを民間の診療所にしようかと思っていまして」

 

 朗らかに笑ってしのぶが告げる。それが、解隊された後のしのぶの身の振り方だ。

 だが、悪くないと思う。ここは医療に関する器具や設備が一通り揃っているし、しのぶの医者としての知識も申し分ない。それを有効活用しない手はないだろう。

 

「ですので、そうなった暁にはぜひここで」

「もちろんですよ」

 

 しのぶの言葉に、暁歩は迷うことなく強く頷く。

 それを聞いて、しのぶはそっと暁歩に身体を寄せた。

 

「・・・よかった」

 

 しのぶは、小さくつぶやく。

 暁歩からはしのぶの顔が見えなかったが、代わりにその艶やかな髪を静かに撫でた。

 

「俺はずっと、しのぶさんと一緒にいますから」

 

 未来を誓ってから、ずっとそう決めていた。

 これまで悲しい思いを幾度となく抱いてきたしのぶを、もう悲しませない。自分の傍で幸せにすると、強く誓う。

 

「・・・これからも、末永くよろしくお願いします」

 

 その小さな体を、暁歩はそっと抱き締めた。

 

「はい」

 

 暁歩の腕の中で、しのぶは頷く。

 やはり温かくて、心地よい気持ちになれる。

 

「・・・暁歩さん」

「?」

 

 その服を、きゅっと静かに指先で掴む。

 

「これから先・・・思い出を、たくさん作りましょうね」

「・・・はい」

 

 暁歩がしのぶを抱き留める力が、少し強くなる。しのぶもまた、静かに抱擁を受け入れる。

 ここで忘れてはならないのだが、二人は今蝶屋敷にいて、しかもそこは結構人通りの多い南の縁側。段階を踏んだとはいえ、成り行きで抱き合っているが、今の二人はそれを深く考えてはいなかった。

 つまり、今この瞬間は他の誰かにも目撃されやすい。

 

「「「・・・・・・」」」

 

 そんなわけで、きよ、すみ、なほの三人に今の暁歩としのぶの状態が見られてしまった。

 先に気付いたのは、しのぶを抱き留める側にいる暁歩。視線に気づいた時には時すでに遅し、三人とも真っ赤な顔でこちらを見つめていた。

 そこで暁歩は、しのぶの肩をトントンと指で軽く叩き、注意を引き付ける。

 

「・・・あ」

 

 そこでしのぶもようやく気付いて、羞恥からか頬が仄かに赤く染まる。

 

「・・・えと、お幸せに・・・」

 

 総意らしき言葉をきよが告げると、三人は恥ずかしそうにその場を去っていった。

 二人してその後ろ姿を見届けるが、姿が見えなくなったところで、観念したように暁歩は小さく笑う。

 それにつられるように、暁歩の腕の中で可笑しそうに笑顔を浮かべる。

 

 その笑みは、心に負っていた苦しさや悲しさから解放されたような、しのぶにとっては本当の、晴れやかな笑みだった。




これにて『蝶屋敷の薬剤師』は完結でございます。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。

少々長くなりますが、あとがきになります。


今回私は、『鬼滅の刃』の作品に触れ、その中で『胡蝶しのぶ』と強くもありどこか儚い人物を知り、彼女の物語を書きたいと思い今回の作品を書き始めました。
もし彼女に、一人でも心中を知ってくれている人がいたら、心から信頼できる人がいたら結末も変わっていたのではないか、とふと思ったのが今回の話を書くことになったきっかけです。

しのぶのことを書く上では、蝶屋敷のことも書く必要があったため、蝶屋敷でどういったことが起こっていたのか、という点も書かせていただきました。
そこでアオイや、きよ・すみ・なほの三人娘、カナヲ、運び込まれてくる炭治郎たちなど、多くのキャラクターも書きました。特に炭治郎は、主人公である暁歩とも結構関りがあったため出番も多く、楽しく書かせていただきました。

鬼滅の刃で、テーマに『恋』、そして柱をヒロインに据えたので、自然と恋柱の蜜璃を登場させました。それと同様に小芭内も登場させ、二人の関係を少しでも進展させる役回りになりました。この二人も書いていてとても楽しかったです。
蜜璃と小芭内も、取り上げた以上は幸せになってほしいと思い、最後の話にも登場させました。

今回の話で、少しでも多くの読まれた方が面白かったと思っていただければ、それ以上に筆者にとって嬉しく、幸せなことはありません。

最後になりますが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。多くの感想・評価を下さり、とても嬉しく思います。
もしかしたら番外編などを書くことになるかもしれませんが、また別の作品でお会いすることになるかもしれません。
その時がありましたら、応援していただけると大変嬉しいです。

それではまた、どこかでお会いする機会がありましたら。
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