この場を借りてお礼申し上げます。
今回は、後書きでもちらっとお話した番外編を投稿いたします。
番外編は、キメツ学園編2話、後日譚2話構成の予定ですので、
こちらもお付き合いいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
前編:毒姫と従者
中高一貫キメツ学園。
堂々とした佇まいのこの学園は、規模が大きいマンモス校。教員・生徒共に個性的な面々が多く集うものの、地域の住人からも愛されているごく普通の学園だ。
「髪黒く染めて来いって言っただろうが!」
「地毛ですってへぶぅ!!」
体罰が過ぎてPTA総会で毎度議題に上がる生徒指導の教師がいるが、至って普通だ。結果として校内には不品行な生徒がほとんどいないため、何も問題はない。
「花壇の花はひまわりとアサガオ、どっちがいい?」
「え?えーっと、そうですね・・・」
「判断が遅い!」
何故かいつも天狗のお面を被っている初老の校務員がいるが、至って普通だ。厳つい見た目とは裏腹に基本優しくて生徒からも好かれているので、何も問題はない。
「君は真田幸村だ!幸村になりきれ!」
「うりゃああああ!!」
「ここは上田城だー!徳川軍を迎え撃てー!!」
授業中に生徒に騎馬戦をやらせる歴史教師がいるが、至って普通だ。その授業に対する熱い姿勢から、学園の中で歴史が苦手な生徒もほとんどいないため、何も問題はない。
他にも『芸術は爆発だ!』と宣い週一で美術室を爆破する美術教師や、お囃子や長唄などの古典音楽しか教えない音楽教師、成績不振者を黒板に磔にしてペットボトルロケットを飛ばす化学教師など、いずれもユニークな顔ぶれだ。
生徒たちも、入学当初はそんな個性マシマシな教師陣に度肝を抜かれていたが、通い続ければ慣れてしまう。教師陣の奇行も、非日常的なトラブルも、もはや日常の一コマとしか思わなくなる。
生徒も教師も、全てが自分たちの学園生活を彩るスパイスと思っているからこそ、キメツ学園は今日もそれなりに平和だった。
―――――――――
そんなキメツ学園のある日のこと。
昼休みの到来を告げるチャイムが鳴ると、教壇に立つ教師が教材をまとめ始める。顔に大きな傷痕があり、目つきが鋭く、またシャツの襟も開けている柄が悪そうな青年だ。
「よォし、じゃァ今日はここまでなァ。宿題忘れんじゃねェぞォ」
数学教師・
「ふー・・・」
そんな生徒たちに混じって、
「大分、お疲れみたいだな」
「あぁ、
そんな暁歩の肩を後ろから叩いたのは、短い黒髪と恵まれた体格が特徴の男子・
「そりゃ、不死川先生の授業を受けたら、こうなるのも仕方ないって」
「皆もだけど、何がそんなに疲れるんだ?」
「・・・それを本気で言っているならすごいと思う」
クラスメイトたちの疲れ切った様を見て、狛治が不思議そうに呟く。武道を嗜む狛治からすれば、威圧感がある程度の実弥の授業など屁でもないらしい。その豪胆さを、暁歩は羨ましく思うと同時に呆れもした。
「まぁ、飯でも食べて元気出そうぜ」
「そうだなぁ・・・」
狛治に促され、暁歩は鞄から弁当箱を取り出して立ち上がる。狛治もまた連れ立って教室を出ようとするが、その手には弁当箱の類はない。
「狛治は昼は・・・いつも通り?」
「ああ」
キメツ学園には中等部・高等部共用の学食があり、そこで昼食を摂る生徒が多い。購買もあるのだが、昼休み開始直後には戦場と化すので今行っても無駄だろう。
だが、狛治の昼食は学食でも購買でもない。
「あの・・・狛治さん」
そして教室を出ると、横合いから声を掛けられる。
ドアの傍には、1人の女子が佇んでいた。制服の上からピンクのカーディガンを着て、雪の結晶を象った髪留めを綺麗な黒髪に付けている。その手には、弁当箱らしき包みもあった。
彼女を目にすると、狛治の雰囲気が少し柔らかくなったように暁歩は感じる。
「
「いえ。あまり狛治さんの負担になりたくはないですから、気にしないでください」
狛治の言葉に、1年生の
彼女の苗字は狛治と同じだが、兄妹ではなく、驚くべきことに2人は既婚済みの夫婦だ。元々2人は家が隣同士で、家族ぐるみで付き合いもあった。結婚するのは小さい頃からの約束らしく、互いの両親も公認と言う。
彼らの関係は法的に問題なく、まだ同棲には至っていない。しかし、学生の身分でここまで進展しているカップルなど、暁歩は他の例を知らなかった。
「お弁当、持ってきましたよ」
「ありがとう・・・。それじゃ、屋上で食べましょうか」
「はいっ」
弁当箱を受け取り、笑みをこぼす狛治。普段の狛治はやや血の気が多いが、恋雪を相手にすると丸くなる気がする。恋雪も、そんな狛治の言葉に微笑んでいた。
仲睦まじいこの2人には、学園の生徒からいつしか『狛治殿』と『姫』というあだ名がつけられている。恋雪に対しては穏やかな狛治と、どこか儚い雰囲気の恋雪にはもってこいではないかと思う。そんな2人を見て、暁歩もつい『ふっ』と笑ってしまった。
「何だよ」
「いや。仲良いなぁ、って」
狛治に問われて、暁歩は正直に答えてやる。すると、2人して照れくさそうに頬を紅く染めた。何をしてもお似合いに見えるので、嫉妬の念など微塵も抱かない。暁歩があまり嫉妬しない性格でもあるが。
「それならお前だって・・・」
「俺?」
反論するように狛治が暁歩のことを見るが、何のことやらと首を傾げると、後ろから誰かが暁歩の肩を叩いた。
「こんにちは、暁歩さん」
声を掛けられ振り向くと、にこにこと微笑む女子が立っていた。
蝶の髪飾りと、大きな菫色の瞳が特徴の彼女は、
「しのぶさん、どうしました?」
「よろしければ、お昼ご一緒にどうですか?」
「あぁ、はい。いいですよ」
花柄のナプキンに包まれた弁当箱をしのぶが掲げると、暁歩は頷く。暁歩も1人で食べようと思っていたところなので丁度良い。それに、しのぶの申し出であれば断るつもりもなかった。その答えに、しのぶはニコッと笑う。
「それじゃあ、狛治。また後で」
「ああ」
そうして暁歩は、狛治に一言告げてからしのぶと並んでその場を去る。
そんな良き友人の後姿を見届けながら、狛治は。
「・・・頑張れよ」
ぽつりと、呟く。隣にいた恋雪は『何のことだろう』と小首を傾げるが、狛治は笑みを恋雪に向ける。
「では、俺たちも行きましょうか」
「はい」
2人が向かう屋上は、あまり人も来ない。静かに過ごしたい2人にとっては、もってこいの場所だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
この学園の教師にしてこの学園の生徒あり、と言うべきか、キメツ学園は生徒も個性的な面子が集っている。中等部にはフランスパンを丸ごと一本咥えた美人女子、プロ棋士間近の双子男子、あやとり大会優勝者などがいる。高等部には、金髪は地毛なのに体罰を喰らい続ける男子、イノシシに育てられた文字通りの野生児男子や、鋼鉄のバレーボールを常備する女子など、本当に十人十色で話題に事欠かない。
「「いただきます」」
そして今、中庭の芝生で暁歩の隣に座り弁当を食べるしのぶも、その『個性的な面子』に数えられる生徒だ。
しのぶのルックスは全学年で話題になるほど美しく、加えて成績は学年トップをキープ。フェンシング部では大会優勝経験もあるなど、まさしく才色兼備だ。
その一方で、きな臭い噂もある。本来所属する薬学研究部では無味無臭の怪しい薬を作っているとか、弱みを握られ頭が上がらない教師もいるとか、何人もの男子を手玉に取っているとか、一部の間でまことしやかに囁かれている。
そうしていつしか、しのぶにつけられた通称は『毒姫』。それが、彼女がこの学園の生徒らしい所以である。
「すみませんね、突然誘ったりして」
「いえ。俺も1人で食べようと思っていたところですから」
そのしのぶの隣に座る暁歩。保健委員を務め、しのぶと同じ薬学研究部に所属している。成績はしのぶに及ばずとも、上位を保つほどには頭が良い。さらに実家が薬局だからか、胃薬や頭痛薬など色々な薬を常備している。
そんな暁歩は、部活動だけでなく、今のように昼食や下校でしのぶと一緒にいる場面が幾度も目撃されていた。その様子は『友達』あるいは『恋人同士』のように周りからは見えている。
生徒の中には、しのぶが『毒姫』と呼ばれるのに対し、暁歩に羨望と嫉妬の念を表し『従者』または『下僕』と揶揄する人間もいる。だが、当人たちはどこ吹く風だ。
「また、美味しそうなお弁当ですね」
「それはどうも。自分で作ったものって、他人からどう見えるのか不安なんですけどね」
昼食を進める中で、暁歩がしのぶの弁当をちらっと見て呟くと、しのぶは笑みを暁歩に向けた。
お手製と聞いて暁歩は、弁当を彩る卵焼きやレンコンのはさみ揚げなどを丁寧に作っている姿を思い浮かべる。実に微笑ましい。
「よろしければ、1つ食べてみますか?」
「いや、それは流石に・・・申し訳ないですよ」
「いえいえ。今日の卵焼きは少し自信作ですから、味の感想を聞かせていただければと思いまして」
静止の声も流し、しのぶは暁歩の弁当箱に卵焼きを1つ載せる。ここまでされては返すわけにもいかず、暁歩は大人しくいただくことにした。
「・・・美味しいです」
「ありがとうございますね」
ほのかに甘い卵焼きの感想を素直に伝えると、しのぶは笑みを深めてくれる。
さて、これだけではただ貰った側である暁歩もどこか申し訳ないので、自分の弁当箱を差し出す。
「どれか食べたいのはありますか?」
「あら、いいのかしら?それでしたら、この煮物をいただきますね」
しのぶが箸で取ったのは、野菜の煮物。弁当を作ったのは暁歩の母だが、美味しそうに食べるのを見ると、少し嬉しくなる。
さて、友達同士で弁当のおかずを交換する程度なら、普通かもしれない。だが、そこにしのぶほどの人が絡むとなると事情は別で、男子からすればまさに値千金。遠巻きに様子を窺っていた男子から、嫉妬と羨望と殺意の混じった視線が暁歩に向けられた。
しかし、その視線に暁歩は気づきながらも無視する。強面の実弥を前に授業を受けるのに比べれば何ともないし、この程度の視線でいちいち気に病んでは、変人たちが跳梁跋扈するこのキメツ学園でやっていけない。
「ところで、なぜ今日は中庭で食べようと?」
校舎の間から見える空を見上げながら、暁歩は問う。普段昼食は弁当でも学食なので、中庭で食べるのは初めてな気もした。
気になって訊ねると、しのぶは箸を一度弁当箱の上に置く。
「・・・あまり、周りに人がいる中では話せないことがありまして」
「?」
先ほどまでとは違い、少しだけ真剣そうな声のトーン。それを聞いて、自然と暁歩も箸を止めた。
「先日、私が文化祭の実行委員長に就いたのはご存じでしょうか?」
「はい。適任かと思います」
「ありがとうございます」
中高一貫で開催されるキメツ学園の文化祭。開催期間はまだ先だが、学園の規模が大きいのに加え、行われる催事はどれも人気が高く、毎年多くの客が訪れる。まさにキメツ学園の一大イベントだ。そんな文化祭の実行委員長に抜擢されたのは、とても重要なことと言える。
そして、しのぶが選ばれたことに暁歩は驚かず、むしろ順当と思っている。彼女がいかに優秀な人かは知っているし、人望もある方だから人の上に立つ役目には最適と思った。
「それで今は、他の役員を探しているところなんです」
実行委員長は推薦や生徒の選挙などの要因で選ばれるが、それ以外の役員は委員長自らが見極め任命するのが基本らしい。
そして、このタイミングでその話を切り出されたことで、暁歩は察した。
「・・・つまり、俺に役員を任せたいと」
「話が早くて助かります」
「ちなみに、どの役割を?」
「副委員長。つまり私のサポートです」
笑ってしのぶが告げると、暁歩は口を閉ざす。
それなりに地位の高い役職で、故に責任も生じやすい。しのぶからの頼みは極力断りたくない暁歩だが、安請け合いするのも難しいところだ。
「・・・どうして俺なんですか?他にも優秀そうな人はいると思いますけど」
「私の目で見て、暁歩さんが信頼できると思ったんですよ。あなたの人となりはよく知っているつもりですから」
真っすぐな目を向けられて、暁歩の中にある葛藤も消える。
しのぶとは高等部1年生からの仲で、暁歩もしのぶがどんな人かはそれなりに分かっているつもりだ。
それと同様に、しのぶもまた暁歩の人物像をある程度理解し、その上で『信頼しているから』と副委員長を任せたい。
しのぶの意図を理解し、さらにそこまで言われて、断るなんて冷淡な選択は暁歩にはできなかった。
「・・・分かりました。俺でよければ引き受けます」
「ありがとうございます」
了承の返事を返すと、しのぶは頭を下げてくれる。それから顔を上げたところで、暁歩が問いかける。
「ほかの役員は、決めているんですか?」
「もう1人の副委員長にはカナヲ、会計にはアオイをと思いまして。書記はおいおい決めようかと」
しのぶが挙げた2人の候補に、暁歩は頷く。
会計候補の
「では、アオイさんには俺から話を通しておきますよ」
「助かります」
同じ委員会に所属するのもあり、暁歩の方がアオイに会うことが多い。その際に話をしておけば効率がいいし、しのぶの負担も少しでも減るだろう。そう思い提案すると、しのぶはふわりと笑ってお礼を言ってくれた。
話が落ち着くと、昼食を再開する。主題は実行委員会への誘いだったようで、その後の話は他愛もない雑談となった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「と言うことで、クラスの行事への参加は難しいんですが・・・」
放課後、暁歩は担任の下を訪れて、実行委員の副委員長に任命されたことを伝える。暁歩としては心苦しいが、クラスの出し物と実行委員の仕事の両立は難しいと判断し、それを報告しようと思ったのだ。
「そうかそうか。つまりお前はクラスで協力することよりも自分の仕事を優先するというわけか」
「いや、その言い方は・・・」
だが、その担任は実にねちっこい口調で暁歩に言葉を投げてくる。
化学教師の
「委員会の足を引っ張らないようにせいぜい精進することだな。俺は期待していないが」
そしてこの教師、こんな感じで粘着質な話し方が特徴的だと生徒の間で話題になっている。仮にも教育者なのだから、もうちょっとその辺りはどうにかしてくれないかと思わなくもない。
「・・・ところで、伊黒先生」
「何だ」
そんな彼に対して、本当に雑談程度の調子で、暁歩がまた別の話題を切り出す。
「町の定食屋に、時折変な電話がかかって来るって話を聞きましてね」
「・・・・・・」
それを言った途端に小芭内の雰囲気が少し暗くなる。
「何でも、『ピンクのグラデーションがかかった三つ編みの女性が来ていないか』としきりに訊いてくるとか」
「・・・・・・」
「その人、食堂にも来るので声が同じだと言ってたんですけど、いつもお茶しか頼まないようで」
作り話ではない。その定食屋『あおぞら』の一人娘であるアオイから前に聞いた話だ。その奇妙な電話には若干迷惑していると言う。
また、話に挙がった『ピンクのグラデーションの三つ編みの女』については、暁歩も噂で聞いたことがあった。キメツ学園で3年間学園三大美女に選ばれ、現在は近くの美大に通っているらしい。彼女も『あおぞら』の常連だが、大食いのあまり食材を全て食い尽くすことが度々あり、出禁も視野だと言う。
そんな話をやや愚痴っぽくアオイから聞かされた暁歩は、気の毒に思った。しかもその片方は、自分もよく知る人間故に、何とかしたいとさえ思っている。
「伊黒先生、何かご存じだったりしませんか?」
それらの事情を踏まえて、暁歩は笑みを浮かべて小芭内に問いかける。
一方で小芭内は、暁歩が気付いていると分かっていた。
「・・・他言無用にしろ」
沈黙の末、小芭内は声を潜めて暁歩に告げる。
暁歩は別に、小芭内を貶めたいわけではない。ただ、先の小芭内の発言に多少の不服を抱いていたがための、ほんのささやかな仕返しのつもりだ。なので、小芭内の言葉には頷いておく。
「もちろんです。ただ、店に電話を入れるのはやめた方がいいと思いますけどね」
暁歩も声を潜め、アドバイスはさせてもらった。あんな内容の電話を店に掛け続けるのは、ストーカーの二歩手前ぐらいの所業だ。
小芭内もそんな自覚が薄々あったのか、目を伏せる。首に巻いた蛇が、小芭内の方をじっと見ていた。
「・・・委員会の活動に、期待しておく」
「ありがとうございます」
さっきと言っていることが180度変わった。
小芭内の心境が分からなくもない暁歩は、一先ずお礼だけ言って職員室を後にした。なんだかんだで暁歩も、キメツ学園の生徒らしく強かなところがあるのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
副委員長になったからと言って、その日から仕事が始まるわけでもない。まだ委員会の役員は揃っておらず、そもそも文化祭もまだ当面先だからだ。
なので暁歩は、職員室の次は薬学研究部の部室を訪れた。
「すみません、遅くなりました」
「大丈夫ですよ」
部室では、既にしのぶが活動を始めていた。机の上に薬種や器具などを用意し、何かの薬を試しに作ろうとしている。
だが、それに触れるより先に報告することがあったので、暁歩は荷物を下ろしながら話しかけた。
「しのぶさん。アオイさんに会計を任せる件なんですけど・・・」
「?」
「来る途中で華道部に寄りまして。話をしたところ、快諾してくれました」
「そうですか・・・よかった。ありがとうございます」
休み時間などでは顔を合わせなかったので、来る途中に部室が近い華道部に立ち寄って確認してみた。すると運よくアオイがいたので話をしたところ、OKしてくれたのだ。なるべく重要な話は早めに決めておきたかったので、しのぶとしてもありがたい。
「カナヲさんはテニス部の助っ人に行ってていませんでしたが・・・」
「あら・・・それでは、カナヲには私から話をしておきますね」
「お願いします」
カナヲは本来華道部に所属しているが、運動神経が抜群なので多くの運動部の助っ人に駆り出されることが多い。そのせいで、華道部の活動にあまり参加できないのが悩みの種だと、しのぶから聞いている。
そんな話をしながら、暁歩は鞄から緑茶のペットボトルを取り出す。来る途中の自動販売機で買ったものだ。そしてそれを、しのぶの傍に置く。
「どうぞ」
「・・・ありがとうございます」
暁歩はこうして、しのぶに差し入れをすることが度々ある。差し入れは緑茶やお菓子と様々だが、しのぶの方から特に何かを頼んだわけではない。
そして、暁歩が何もなくこうして差し入れをする具体的な理由を、しのぶは聞いたことがない。何故だか、それを深く訊ねるのは野暮なような気もしたから。
「ところで、何作ってるんですか?」
「ああ、これはストレス用の漢方薬ですよ」
そこで暁歩の視線は、しのぶの前に広げられている資料や薬種、器具に移る。問われたしのぶは、読んでいた資料を見せた。
薬学研究部の主な活動は、漢方薬をはじめ薬の研究や調合を練習し、レポートを作成することだ。しかし、しのぶと暁歩はお互いに興味関心が強すぎるため、薬の調合はプロレベルに達している。今のように資料を読みながらであれば、ちゃんと作用する薬が作れる腕になっていた。
「ストレス・・・何か悩み事でも?」
「いえ、同じクラスの方から頼まれたんですよ。受験勉強に疲れてると言うことで」
「・・・見返りは?」
「購買のサンドイッチで」
しのぶがここで薬を作っているのは周知の事実。薬学研究部の活動内容も知られているから、こうして頼まれることも多い。今日に限らず、過去にも何度かあった話だ。
「そう言えば・・・そのクラスメイトから訊かれたんですよ。『惚れ薬って作れないのかな』と」
「惚れ薬・・・」
雑談のように切り出された話題に、首を傾げる暁歩。
アニメやファンタジーの世界でよくある薬。飲んだ相手に恋愛感情を芽生えさせて、飲ませた相手を惚れさせるとか言うものだ。そんな薬は、暁歩も現実では聞いたことがない。
「流石に暁歩さんもご存じないですよね」
「そうですね・・・見たことも聞いたこともないです」
暁歩の答えは分かりきっていたのか、しのぶも苦笑する。
「私も知らなかったので断ったのですが、どうやら私なら作れると思っていたみたいで」
「・・・
思わず苦笑いしか出ない。とは言え、しのぶの薬の調合レベルを知っている暁歩からすれば、そう頼みたくなる気持ちも分からなくはなかったが。
「きっと彼女には振り向かせたい人がいたのかもしれませんね」
「まあ、惚れ薬なんて使いたいぐらいでしょうし」
薬種を潰す手を止めて、そう語るしのぶ。
そこで、暁歩はしのぶの空気が少し変わったように感じ、視線をそちらへ向ける。しのぶは、寂しそうな笑みを乳鉢に向けていた。
「仮に作れたとしても、私は使うことをあまりおススメしないですね」
「それは・・・どうしてですか?」
しのぶの意味ありげな言葉に訊き返す。
すると、しのぶは視線を暁歩に移して口を開いた。
「薬を使って感情を自分に向けさせるなんて、私からすれば空しいだけですから」
いつものような微笑みはなく、愁いが混じる表情。それは何か、しのぶ自身にとっても
「・・・まあ、分かります」
ただ、しのぶの言葉には同意見だ。自分への好意とは薬なんかで作っても嬉しくはないし、その気持ちは純粋であればあるほど伝わりやすいし嬉しくもなる。
そんな暁歩の答えを聞いて、しのぶは少しだけ意外そうな表情になった。
「分かってもらえますか」
「ええ」
「・・・もしかして、暁歩さんにも今そういう人が?」
すると、いつもの微笑みを取り戻したしのぶが口元に手をやって訊ねてくる。仕草と語調が明らかに揶揄っている風で、暁歩は小さく息を吐く。
「・・・今のところは。そう言うしのぶさんは?」
「さて、どうでしょうねぇ」
問い返すと、しのぶも含みのある答えを返す。どちらとも取れない言葉に、暁歩もこれ以上は聞いてもしょうがない、と苦笑した。
だが、しのぶの調子はまた普段と同じように戻ったらしく、一先ずは安心だ。それを確認した暁歩は、資料を取り出して自分もまた漢方薬の作成を始めることにする。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
部活動を終えた暁歩としのぶは、一緒に下校することになった。
今日に限らず、2人はほぼ毎日一緒に下校しており、こうして連れ立っているところが誰かに目撃されることもままある。この点が、『毒姫と従者』などと揶揄されるところだ。
「近頃は不審者や詐欺師なんかもうろついてるみたいですし。気を付けないといけませんね」
「ご心配どうも。けれど私、自分で言うのも何ですが結構腕が立つ方ですから」
暁歩が心配そうに告げると、しのぶはボクシングよろしくシッシッと笑顔で腕を振る。確かに、フェンシングの大会で優勝するほどにはしのぶも強い。ちょっとやそっとの不審者程度なら返り討ちにするなど造作もないだろう。
それは暁歩も分かっているが、それでも首を横に振る。
「どれだけ強くても、俺はしのぶさんのことが心配ですから・・」
「・・・そうですか」
しのぶがタフなのは事実だが、1人の少女であることにも変わりない。加えて、彼女の心には
「暁歩先輩、しのぶ先輩!」
その時、後ろから声を掛けられた。元気そうな声に振り返ると、そこには2人の生徒がいた。
「
「こんばんは」
1年生の
炭治郎は町のパン屋の長男で、町内会の会合で顔を合わせることが多く暁歩と仲が良い。しのぶも、カナヲと仲が良い炭治郎のことは知っていた。
ちなみに炭治郎は、校則で装飾品が禁止されているにもかかわらず、耳にピアスをつけている。父の形見だからと言って頑として外さず、風紀委員や鬼の生徒指導に対しても頭を下げて付け続けているので、彼には『礼儀正しく校則を破っている』と問題児なのかどうなのかよく分からない評価が付けられていた。
「先輩たちは部活ですか?」
「ええ。炭治郎くんも?」
「いえ。カナヲがテニス部に助っ人に行ってて、一緒に帰りたいって言うので」
炭治郎がしのぶの問いに答えると、傍にいるカナヲの頬がぽっと紅くなる。
その変化にいち早く気付いたしのぶと暁歩は、思わず唇が緩んでしまいそうになる。カナヲの炭治郎に対する好意は2人とも知っているので、実にいじらしい。尤も、当の炭治郎がそこに気付いている様子がないのでやきもきもするが。
「2人とも割と一緒に帰ること多いですよね」
毎日と言うほどでもないが、炭治郎たちが一緒に帰っているのはそれなりに見かける。なので、それとなく暁歩が訊いてみると、カナヲはこくこくと頷く。炭治郎も『そうですねぇ』と洩らした。
「2人は・・・もしかして付き合ってるのかしら?」
(あ、訊いちゃった)
暁歩が遠回しに訊こうとしたのに、しのぶは平然とそのまま訊いた。空気を読まないのか、敢えて訊いているのか。多分後者なんだろうなと暁歩は思う。
そして、そう訊かれたカナヲは明確に頷いたり否定したりはせず、さらに顔が紅くなるだけで返事をしない。
「いえいえ、俺とカナヲは友達ですよ」
一方で炭治郎は、若干照れ臭そうにしつつも否定する。曇りなき眼で言ってくるあたり照れ隠しでもなんでもない本心らしく、何て無自覚なんだと、暁歩としのぶは内心で嘆息した。カナヲもこれにはショックらしく、しゅんと表情が落ち込んでいる。
そんなカナヲが見るに堪えず、しのぶと暁歩はせめて2人きりにさせてやりたくなる。だが、しのぶとカナヲが一緒に暮らしている以上、また二組に別れるのも違和感があるので、仕方なく4人で帰ることになった。
「そういえばしのぶ先輩、この前文化祭の実行委員長に選ばれましたよね」
そこで炭治郎が、歩きながら世間話のような調子で切り出す。
「頑張ってくださいね」
「ありがとう、炭治郎くん。でも、強力な助っ人もいますから大丈夫ですよ」
そう言ってしのぶが暁歩を見ると、暁歩は頭を掻く。
「今日付で・・・副委員長になりました」
「そうだったんですか?」
「はい」
暁歩が明かすと、炭治郎が素直に感心したように声をあげる。カナヲも意外そうな目を暁歩に向けた。暁歩は『どうも』と首肯しながら、今度はしのぶに訊く。
「しのぶさん、副委員長の件は今言ってもいいのでは?」
「ああ、そうですね」
しのぶは、暁歩の言葉を受けてカナヲの方を見る。小首を傾げたカナヲだが、そこへしのぶは言葉を投げかける。
「カナヲに、もう1人の副委員長を頼んでもいいかしら?」
「え・・・?」
その申し出に、カナヲの綺麗な目が見開かれる。急な話なのはしのぶも分かっているし、責任もそれなりに生じる立場だからこそ躊躇うのも予想できている。
「なんで、私に・・・?」
「カナヲは副委員長を任せるのに十分な力量があると私は思うの。それに、色々と学べるものも多いと思うからよ」
孤児として胡蝶家に引き取られるまでは苦労も多かっただろうし、それからも色々と苦難があった。
だが、炭治郎に仄かな想いを寄せるのも含め、今のカナヲは大分心を開き変わってきたとしのぶは判断している。今回のことも、さらなる成長のきっかけになるかもしれないと思ってのことだ。
「もちろん、カナヲがやりたくないのならそう言ってくれていいわよ?」
「・・・ちょっと、考えさせてほしい」
悩んだ末の答えは保留。急に言われて面食らっただろうが、慕っている姉からの頼みを無下にすることもできないのだろう。それも想定の内だったので、しのぶは『焦らないでいいからね』と優しく告げる。炭治郎も、『カナヲならきっと大丈夫だよ』と背中を押すように声をかけた。
そして、暁歩は炭治郎に話しかける。
「炭治郎くんもどうですか?まだ書記の枠が空いているんですけど」
ピアス以外では特に問題はない炭治郎。成績が壊滅的という噂も聞いたことがないし、正義感の強い彼ならば職務を全うできるだろうと思い、暁歩は勧誘する。だが、炭治郎は首を横に振った。
「ええと俺は・・・ちょっと文化祭でやることがあるので。すみません」
「ああ、そう言うことでしたら大丈夫ですよ」
何か炭治郎の方で優先すべきことがあるのなら、それを優先してほしい。そういう事情があるのならば、暁歩も無理強いはしない。
「あら、みんな?」
そこへまた、別の誰かの声がかけられる。
その声は、この場にいる4人全員が知っている声で、特にしのぶとカナヲは忘れるはずもない声だ。
「胡蝶先生、こんばんは」
「こんばんは!」
「はい、こんばんは~」
先んじて暁歩と炭治郎が挨拶をしたのは、キメツ学園の生物教師・
しのぶとカナヲの姉で、彼女もまたキメツ学園のOGだ。綺麗な瞳と長い黒髪、おっとりした声が特徴で、在学中はキメツ学園三大美女にも選ばれていたほど容姿端麗である。彼女の美貌は男女問わずえげつない人気を誇り、強面で知られる実弥でさえも見惚れてしまったとか。
そんな彼女は、しのぶやカナヲの姉だからとでも言うべきか、成績も非常に優秀だったらしく、こちらも才色兼備。しかも就任当初、キメツ学園に伝わる美術室の妖怪や廊下を這いずる幽霊などを祓ったなどの武勇伝まである。
「胡蝶先生は、お買い物ですか?」
「ええ」
暁歩が問うと、カナエは微笑む。彼女は今日は休日だったらしく、服装はオフィスカジュアルとも違うシックな雰囲気の私服で、手には食材が詰まっているエコバッグがあった。
「佐薙くんと竈門くんは、2人を送ってくれたのかしら?」
「はい。もう夜も遅いので」
カナエは、暁歩と炭治郎のことはもちろん覚えている。生徒だからと言うだけでなく、それぞれしのぶ、カナヲと一緒にいることが特に多いからだ。そして、それぞれの仲が良好そうなのを確認して目を細める。
「送ってくれてありがとう。家はもう近いし、親御さんも心配するから、2人は私に任せてくれていいからね」
「分かりました」
カナエがにこっと、花が咲くような笑みを浮かべる。並大抵の男なら惚れてしまいそうなものだったが、暁歩と炭治郎はそうした感情の揺れもなく頷いた。
「それではしのぶさん、また明日」
「じゃあね、カナヲ」
それぞれ軽く手を振ると、しのぶは頷き、カナヲも控えめに手を横に振った。カナエもニコニコと見送り、暁歩と炭治郎は並んで自分たちの家へと向かう。2人の家がある方向は同じなのだ。
「暁歩先輩、実行委員ってやったことがあるんですか?」
「いえ、今年が初めてです。昼休みに任せたいと頼まれて、OKしたんですよ」
「随分急な話だったんですね・・・」
帰りがけに話すことは、先ほど話題に上がっていた実行委員の話だ。炭治郎としても、今日急に話が出たものだから、やはり気になるらしい。
「でも、急に頼まれて不安じゃありませんでした?」
「まあ正直。けど、断る気は最初からありませんでしたよ」
「え?」
歩きながらの暁歩の言葉に、炭治郎は小首を傾げる。
暁歩は小さく笑みを浮かべて、電柱に取り付けられた蛍光灯を見上げた。
「あの人が力を貸してほしいと思うのであれば、俺は力になりたいと思ってますから」
―――――――――
暁歩としのぶの仲は、1年生の時は部活で顔を合わせる知り合い程度だった。
「佐薙さんは、どうしてこの部活に入ろうと?」
「実家が薬局なのもありますが・・・少し気になったんです。中等部には珍しかったですし」
「あぁ、なるほど・・・」
初めて言葉を交わしたのも部室で、その時はまだ他人行儀な感じが強かった。けれど、薬学研究部は比較的規模が小さいため、次第に話す機会も増えていったのだ。
『ねぇ、誰あの子?』
『すっげー可愛いんだけど・・・』
そして外部入学のしのぶは、1年生の頃から注目の的だった。すごい可愛い子が入学したとかで話題になり、おまけに頭もいいとなれば人気が出ないはずもない。人気のあまり、しのぶに嫉妬する生徒も一部いるほどだ。
だが、暁歩は取り立てて騒いだり、馴れ馴れしく接したりもしなかった。当初からしのぶがどんな人かはそこそこ知っていたが、注目され始めてから急に態度を変えるのも妙だと思いったからだ。
だから、いつも通りに部活動で一緒に活動し、活動外でもたまに挨拶をするぐらいでいいと、自分に言い聞かせていた。
しかし、そんなある日。暁歩が薬学研究部の部室を訪れると。
しのぶは窓際の椅子に腰かけ、憂鬱そうに溜息を吐いて外を眺めていた。
暁歩は、普段のしのぶの姿を知らない。
いつも部室で会う時のしのぶは、微笑みを浮かべて、熱心に資料を読んだり漢方薬を試しに調合したりと、意欲的な姿勢を見せていた。
しかし知っているのはそこまで。だから、もしかしたら、暁歩も初めて見た今のしのぶが、『普段』『ありのまま』の姿かもしれない。
「・・・はぁ」
けれどその姿は、辟易しているようにも見えた。
それは恐らく、周りから持て囃され、時には嫉妬されているからかもしれない。そんな中にいて、きっと心が疲れてしまったのだろう。
その姿を見て、暁歩の中に『何かしてあげたい』という気持ちが宿った。
「・・・こんにちは、胡蝶さん」
「・・・ああ、佐薙さん。どうも」
そんなしのぶに声をかけると、思い出したようにいつもの微笑みを浮かべた。だが、暁歩の脳裏には先ほどのしのぶの雰囲気が克明に刻まれている。
暁歩は鞄を机に置くと、自動販売機で買ったペットボトルの紅茶を取り出し、それをしのぶに渡した。
「これ、よろしかったらどうぞ」
「あら・・・急にどうしたんですか?」
「少々お疲れのように見えましたので・・・。まだ蓋は開けていませんから、ご安心を」
差し出されたペットボトルを、どうするか迷った末にしのぶは受け取る。けれど、すぐにキャップを開けようとはしない。
「嬉しいですけど、私紅茶よりも緑茶派なんですよね」
「では、今度は緑茶を差し上げますよ」
しのぶの苦笑を交えた皮肉のような言葉に、暁歩は小さな笑みを浮かべ告げる。
差し入れがこれっきりのつもりはない。毎日は財布事情的に厳しいが、次に渡す機会があったらそれを留意しておくだけだ。
だがそう言った直後、しのぶの空気が少し変わったような気がした。
「・・・ありがとうございます」
ただ、その表情はいつものような微笑みに戻り、気のせいかと暁歩は考えるのを止める。
その横で、しのぶは紅茶を一口飲んだ。
それ以降、暁歩はしのぶとの接点が部活動以外で増えるようになった。どちらから接してきたのかは記憶が曖昧だが、しのぶから話しかけてくれたと暁歩は思う。
「
「いいですよ、
いつしかお互い名前で呼び合うようになり、昼食や下校が一緒になることが増えた。暁歩にも断る理由が無く、それに応じて一緒にいる時間が長くなったのだ。
自分との交流が、周りからの目を集めるのと同様に負担にならないか不安だったが、それ以来暁歩はしのぶが憂鬱そうな感じでいるのを見なくなった。
―――――――――
「暁歩先輩・・・?」
「・・・すみません、ちょっと考え事をしてました」
炭治郎に話しかけられて、一度思考を切り離す暁歩。心配には及ばないと、首を横に振った。
ともかく、あの時部室でしのぶの違う一面を見た時から、『何かしてあげたい』『力になりたい』と思うようになった。だから、イエスマンというわけではないが、しのぶからのお願いや頼み事は、力になれるのであれば極力頷いている。今回の実行委員会の件も、それに起因するものだ。
「1つ気になったんですけど・・・」
「はい?」
「暁歩先輩としのぶ先輩って、付き合ってるんですか?」
炭治郎が投げかけた、素朴な疑問。先ほど、しのぶが炭治郎とカナヲにぶつけた質問だ。大方、暁歩としのぶも連れ立っていることが多いので、炭治郎も少し気になったのだろう。
そして、それを聞いた暁歩は、少し瞬きをしたものの即座に笑みを返す。
「違いますよ。あくまで友人です」
「そうですか・・・すみませんでした」
「いえいえ」
炭治郎が素直に謝ってくるので、暁歩はすぐに手を振って謝罪を受け入れる。
ただ、あまりこの話題を続けるのも、今この場にいないしのぶに悪いので、少し話題を変えることにした。
「ところで炭治郎くんは・・・文化祭で何かやることがあると言ってましたね」
「ああ、はい。実は、俺の友達と一緒に『キメツ☆音祭』に出ようと思ってるんです」
『キメツ☆音祭』は、毎年文化祭で行われている目玉イベント。出場者がそれぞれ得意な楽曲を披露するものだ。優勝賞品が豪華なのと、出場者の人気が高いのもあって学園内外問わず多くの人が訪れる。そこに炭治郎も参加すると言う。
「なるほど・・・ちなみに炭治郎くんは何か楽器を?」
「いえ、俺はボーカルです。ちょっと歌には自信がある方なので、頑張ります!」
炭治郎の曇りなき瞳を見て、暁歩もふっと笑う。よもや、そんな炭治郎の歌声のせいで、自分たちが命の危険に晒されるなど、今の暁歩は微塵も思わない。
「応援しますね」
「はい!暁歩先輩も、実行委員、頑張ってください!」
「ありがとうございます」
そんな話を炭治郎と交わしながら、『実行委員』と聞いて自分の立場を思い出す。
初めてのことだが、自分は実質ナンバー2にあたるのだ。自分から引き受けたのだから責任は重大である。あまり悠長に構えることもできない。
そこで、しのぶの姿が脳裏にちらつき、先ほどの炭治郎の言葉を思い出す。
―――暁歩先輩としのぶ先輩って、付き合ってるんですか?
この答えは、先ほどの言葉通り、否だ。
確かに暁歩自身、しのぶと一緒にいる時間は長いと思っている。だが、他人にどう見えようと、自分たちは恋愛関係とは言えない。そういう先入観を抱いてしまうのは、若い学生ならではと言える。
自らの根幹にあるのは、しのぶを気遣う気持ちだ。周りがしのぶを持ち上げるのに対し、暁歩はせめて自分だけは負担にならないように接しようと思っている。だから、飲み物を差し入れたり、
それでも。
(・・・気づかれたらダメなんだよな)
暁歩とて年頃の男子高校生。しのぶのような可憐な女子と長い間接して、微塵も感情が動かないほどの朴念仁でもない。容姿だけではない性格、仕草、言葉などを近くで目にする内に、暁歩もしのぶのことを大分意識してしまっていた。
だが、それはしのぶに悟られてはならないとも思っている。
本当にそうなのかは分からないが、暁歩は校内で数少ない、しのぶが心を許している存在である。だからこそ、その暁歩から好意を向けられるのは、しのぶにとっても迷惑でしかないだろう。
心を許しているであろう暁歩が負担を掛けては、頼りたい存在がいなくなってしまう。
だから、自分の中に宿る気持ちを押さえつけるように、暁歩は息を吐いた。
◆ ◆
ところ変わって、胡蝶家の食卓。
「―――で、2人とも。彼氏とはどんな感じなのかしら?」
それまで穏やかだった雰囲気の食卓に投げ込まれた、カナエの爆弾発言。
カナヲは表情が凍り付き、次第に顔が赤く染まっていく。一方でしのぶは、小さく息を吐いてカナエを見た。
「あのね、姉さん。カナヲはともかく、私と暁歩さんはそういう関係じゃないのよ」
「あら、そうなの?何度か彼と一緒に帰ったり、お昼を一緒にしたりすることがあるからそうだと思ったんだけどな~?」
「それだけで彼氏って決めつけないでよ・・・」
姉の言葉に嘆息しながら、しのぶはカナエ謹製肉じゃがを食べる。悔しいことに美味い。
キメツ学園の教師であるカナエだが、こうした話は流石に校内では話題に出さない。その点は教師と生徒という立場を弁えていた。
なので、こんな風に妹たちに話しかけるのは、家族水入らずで過ごす時だけ。自分の妹たちが可愛いと信じて疑わないからこそ、色恋の話を持ち出すことが多いのだ。
「第一、私とじゃ暁歩さんも迷惑がるだろうし」
「そうかしら?私には結構お似合いに見えるけど・・・?」
しのぶの言葉に、カナエは頬に手を当てて困ったような笑みを浮かべる。その言葉に、しのぶの箸が一瞬止まるが、すぐに食事を再開する。
「ところで、『カナヲはともかく』って言ってたけど、カナヲは本当に付き合ってるのかしら?」
そこでカナエが話題を移すと、油断していたのかカナヲが肩を震わせて漬物を飲み込んだ。わたわたと手を動かして否定しようとするので、慌てているのは目に見える。
「えっと、炭治郎とはそういうのじゃ・・・」
顔を赤らめて、違うと明言できずにまごつくカナヲ。その様子に、カナエはもちろんしのぶも心が温まる。何というか、小さな動物のような可愛らしさまで抱いてしまう。
「お父さんとお母さんもきっと喜ぶわよ~?可愛い娘2人に春が来たなんて、ね」
「絶対言わないでよ」
カナエが味噌汁を啜って笑って告げると、しのぶがくぎを刺す。
胡蝶家は現在、両親と三姉妹が分かれて暮らしている。家族関係の亀裂から来るものではなく、実家がキメツ学園より少し離れているからで、カナエがキメツ学園に就任したことで近くに一緒に住むことになったのだ。だから、妹たちの浮いた話は親も知らない。
「というか、私たちより姉さんがそろそろ身を固めた方がいいんじゃない?」
「私は妹2人の晴れ姿を見るまで結婚しないって決めてるのよ」
皮肉気味にしのぶが返すが、カナエは意にも介さず謎の理論を展開。妹の贔屓目を除いても、カナエは美人だし文武両道、おまけに料理も上手い。引く手あまただろうにそんなことを宣うとは、妹バカも極まれりかとしのぶは内心呆れつつご飯を食べる。
しかし、妹のことが絡むとカナエから突飛な発言が出てくるのもいつものことだ。完全無欠と思われるカナエにも、このような短所(?)が存在するのである。
それにはしのぶもカナヲも、最初こそ辟易したものだが、それが何度も繰り返されれば、それは食卓を彩る1つのピースになる。何より、カナエも家族のことが好きだからこそ、こうして話題にするのだ。しのぶとカナヲもそれは分かっているので、最後には2人も笑顔になれる。
なんだかんだで、こうして家族で過ごす時間が、しのぶもカナヲも好きだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
しのぶは、自分がどんな人間なのかを理解しているつもりだ。性格はもとより、容姿も周りが囃し立てる程度には良いのだろうと思っている。キメツ学園に入学してから周囲に褒めちぎられ、街へ行けば芸能事務所にスカウトされることもざらにあるので、強く自覚するようになった。
しかし、そうなれば、容姿目当てで自分に近づかれることも、妬まれることも増えてくる。そこに邪な感情が挟まってくるのは、仕方のないことだろう。
そして、秀でた容姿を謙遜しては、嫌味と捉えられ余計に周りからの風当たりは悪くなる。
だからしのぶは、敢えて堂々とし、自分の容姿を利用してこれまで上手く立ち回っていた。最近で言えば、風紀委員を辞めたがっていた
それでも、自分の容姿について周囲が持て囃し注目を集めていることに、しのぶは心が疲れていたとも言える。それを少しでも軽くするために、自分の美貌を利用した。これを快く思わない人間はいるだろうし、狡猾と評されても反論はできない。容姿とは持って生まれたものだからこそ、やり場のない蟠りが心の中に燻っていたのも事実だ。
―――少々お疲れのようでしたので
だからこそ、あの時純粋に気遣おうと紅茶を差し入れた暁歩のことが、とても意外だった。同じ部活動に入った時から、下心をもって接するわけではなく、人気を博すことに嫉妬するでもなく、ただしのぶと対等に向き合ってくれている。
―――嬉しいですけど、私紅茶よりも緑茶派なんですよね
―――では、今度は緑茶を差し上げますよ
しのぶの皮肉じみた言葉にも、彼は嫌な顔一つせずにそう返した。そして数日後には、本当に緑茶を持ってきてくれたのだ。特にしのぶから何か言ったりやったりしたわけでもないのに、暁歩は『疲れているようだから』と、気遣ってくれた。
それ以降、味を占めたつもりはないが、周りとは違う接し方をする暁歩と親交が増えた。肩肘張らない、嫉妬や下心など打算も絡まない、等身大のしのぶを見せられる『友達』のような関係でいることが、しのぶにとってはとても心地よい。
だからこれまでも、一緒に昼食を摂ったり下校したりと行動を共にすることが多かった。今日の文化祭実行委員会の副委員長に任命したのも、優秀なだけでなく、こうした気持ちが少なからず絡んでいる。
「・・・はぁ」
風呂上がりのしのぶは、パジャマに着替えるとベッドに寝転がる。明かりの消えた天井が、いやに鮮明に見えるような気がする。
―――私には結構お似合いに見えるけど・・・?
食卓でのカナエの言葉が、頭を過る。
正直な話、しのぶは暁歩のことを異性として意識したことは
だが、カナエから先のようなことを言われると、どうにも気になってしまう。
暁歩は二枚目と言うほどでもない、容姿だけは普通の男子だ。けれど、将来は薬剤師を目指しており、頭はしのぶに及ばずとも良い方だ。それを差し引いても、気遣いができる優しい人であり、しのぶ自身が一緒にいて心地良いと思える人。
(・・・暁歩さんか)
目を閉じて、実際に付き合ったらどんな感じなんだろうと思い浮かべる。人目も憚らずイチャつきたいとは思わない。だけど、今のように穏やかな関係が続けばいいな、とは思う。
だが、こうして暁歩のことを意識している間、しのぶ自身の表情が穏やかなものとなっていることに、自分自身では気付いていない。
そして、それだけ意識しているのは、暁歩が好きだからと気付くのは、もう少し先のことだ。
≪設定≫
・佐薙暁歩
3年烏帽子組。保健委員、薬学研究部に所属。
実家は町の薬局で、色々な薬(合法)を持ち歩いている。しのぶと仲が良さげなところが多々目撃され、他の男子から嫉妬及び殺意を向けられている。ただししのぶと付き合っているわけではなく、それでもしのぶのことを意識はしている。結構強か。
・胡蝶しのぶ
3年蓬組。薬学研究部に加えフェンシング部を掛け持ちしている。
才色兼備で男女からの人気が非常に高いが、きな臭い噂も。暁歩との仲は良好であるかのように周りからは見られ、それぞれに『毒姫』『従者』と通称がつけられた。暁歩と恋愛関係にあるわけではないものの、気持ちが動きつつある。内面は少し弱い。
・胡蝶カナエ
元学園三大美女の一角である生物教師。華道部顧問。
おっとり優しい性格で、男女問わずえげつない人気を誇っている。しのぶとカナヲそれぞれの恋路を静かに見守っており、その相手である暁歩・炭治郎のことは『任せられる良い子』と認識している。外では才色兼備で通っているが家ではとんだ妹バカ。
・竈門炭治郎
1年筍組。礼儀正しく校則違反(ピアス着用)を続ける男子。
実家は町のパン屋で、同じ商店の長男つながりで暁歩と仲が良い。学年を問わず交友関係が広く、時には正義感の強さもあってトラブルに巻き込まれることも。一般科目は平均以上だが、音楽、美術など芸術に関しては教師を泣かせるほどに悪い。鈍感。
・栗花落カナヲ
2年菫組。華道部所属だが運動部の助っ人に駆り出されがち。
学園三大美女の1人で根強い人気があるが、当人は興味を示さない。街で道に迷っていたところを炭治郎に助けられ、以降交友関係に発展し慕情を抱くに至る。しのぶ、カナエとは本当の姉妹のように仲が良い。小動物的な可愛らしさをいじられることも。
本編と比べて暁歩としのぶの関係はあまり堅苦しくない感じにしてみました。また本作独自の解釈もありましたが、お楽しみいただければ幸いです。