蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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後編:一線のチョコ

 2月14日。またの名をバレンタインデー。

 その日は1年でも特別な意味を持つ日であり、親しい人や自分が好いている相手にチョコを渡すのが、この国では通説となっている。

 この日が近づくにつれて世間の雰囲気は浮ついたものとなり、それは個性的な面子が集うキメツ学園とて例外ではない。むしろキメツ学園だからこそ、こうしたイベントの日はひと悶着起こりうる。学園が推奨まではしないが、このようなイベントごとに生徒たちは舞い上がり、学園全体も雰囲気がふわふわした感じになるのだ。

 

―――――――――

 

 そんなバレンタインを翌日に控えた日の夕暮れ時。

 胡蝶家の台所には、カナヲがエプロンを着けて立っていた。傍にはしのぶもついている。

 

「こんな、感じ・・・?」

「そうね。後は少し時間を置いて、丁度いい温度にまで下がったら、ちゃんとした型にしましょう」

 

 チョコ作りの序盤にして一番手間のかかる湯煎を終えると、カナヲは一息つく。その背中をしのぶは優しく撫でて労い、自分もまた肩の力を抜いた。

 今日は学園全体で部活動が無い日で、しのぶはカナヲと一緒に帰ってきた。と言うのも、カナヲの方からお願いがあると切り出され、何かと思えば『チョコを作るのを手伝ってほしい』とのことだ。誰に、何のために、などわざわざ問うまでもないだろう。

 

(本当、ここまで変わるものなのね・・・)

 

 今のしのぶの心は、喜びや安心に満ちている。

 胡蝶家に引き取られた当初は感情の起伏に乏しかったカナヲが、こうして女の子らしく一途に恋をし、チョコを作って贈りたいと思うに至ったのだから。目に見える大きな成長に、しのぶの喜びもひとしおだ。

 

「ただいま~」

 

 すると、玄関からカナエの声が聞こえてきた。しのぶとカナヲは、その場で『お帰りなさい』と出迎えの声をかけた。

 

「何かいい香りがするわね~」

「カナヲがチョコを作ってるの」

 

 手洗いを終えてキッチンに顔を見せたカナエの表情は綻んでいる。チョコの香りはキッチンの外にまで広がっているらしい。

 

「チョコって・・・誰か本命でもいるのかしら?」

「・・・・・・」

 

 今更問うまでもないのに、笑ってカナエは訊ねる。するとカナヲはプイとそっぽを向いて、溶かしたチョコをぐるぐると回す。明らかな照れ隠しを、カナエは温かい目で見守る。

 

「しのぶが教えてるの?」

「ええ。作り方は知ってたから・・・」

 

 続いてしのぶに訊く。

 だが、しのぶが答えると、カナエの目が少し光った気がする。実に何か嫌な予感がした。

 

「・・・1つ思ったんだけど?」

「何?」

「なんでしのぶは、チョコの作り方を知ってたのかしら?」

 

 頬に手を当てながら問いかけられ、しのぶの笑みが凍る。カナヲも『そう言えば』と気付いたらしく、視線をチョコからしのぶに移した。

 

「・・・別に、元々料理は得意だし・・・知っていてもおかしくないでしょ?」

「まあそうなんだけどね?何かちょっと腑に落ちない、って言うかな。まさか、もう誰かに向けて作ったわけじゃあるまいし」

 

 カナエは何も責めているわけではなく、むしろ面白がっているのだ。しのぶは料理が得意なのも、手先が器用なのも分かっている。カナヲにチョコの作り方を教えていても、おかしな話ではない。

 しかしこの時期に、自分の可愛い妹で、ましてやいい感じの男子がいるとなれば、カナエとしても面白いことが起こっている予感がしてならなかった。

 だが、しのぶとて伊達に何年もカナエの妹をやってはいない。カナエが何を考えているかはお見通しだし、この状況も予想していたので、対策はしてある。

 

「・・・実は、姉さんとカナヲのためにチョコを作っておいたんだけどね」

「え?」

「今年は手作りに挑戦してみようかなって」

 

 言いながらしのぶは、包装された薄く四角い箱を冷蔵庫から取り出す。

 それを見て、しのぶの言葉を聞いて、カナエはぽかんと口を開けた。カナヲもそのチョコを注視する。

 

「あんまり揶揄うのなら渡すのやめようかしら・・・」

「ああ、待って待ってごめんなさい!からかうつもりじゃなかったの!ちょっと面白そうだからちょっかいかけてみようかなって思っただけなの~!」

「それをからかうっていうんじゃ・・・」

 

 カナエが血相を変えて必死に嘆願するも、カナヲが冷静にツッコむ。

 さて、カナエに一杯食わすことができて満足したしのぶは、『冗談よ』と嘆息してチョコを冷蔵庫に戻す。カナエは『ごめんね~』としのぶの髪を撫で、注目していたカナヲも疑念が晴れたのか、妙に鋭い視線を向けはしなかった。

 

(・・・危なかった)

 

 しかしながら、しのぶには隠し事がある。

 実は手作りのチョコは、もう1つある。それをカナエたちに言わないのは、バレればいじられることが必至と分かっているからだ。

 なぜそうなるのかは、渡す相手を考えれば当然だ。特に、しのぶとその相手の仲を揶揄いつつ見守るカナエは、まず間違いなく茶化す。先ほどの指摘の際の表情で、それは分かっていた。

 だからこそ、()()チョコを作っていたなんて知られれば、ただでは済まないだろう。故に、絶対に知られないために、しのぶはカナエとカナヲのために作ったチョコをカモフラージュとしたのだ。嘘はついていない。

 

(喜んでくれるでしょうか・・・)

 

 カナヲのチョコ作りが再開し、それを手伝いながらしのぶは考える。

 自分でも柄じゃないのは分かっている。こうして手作りのバレンタインチョコを作るのなんて、初めてのことだ。

 しかしながら、しのぶの中にどうしようもないほど大きな気持ちが宿っているのもまた事実。その気持ちを伝えるために、来るバレンタインデーはもってこいとも言えた。

 不安や期待を胸に、しのぶはカナヲの傍に立ってチョコ作りを手伝う。

 その表情は、いつものような微笑みだった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 迎えたバレンタインデー当日。

 特に遅刻もせずキメツ学園の門をくぐった暁歩は、心がどうもむず痒い。周りを見ても、他の生徒・・・特に男子はどこか浮き立っているように思える。

 今日が何の日かを考えれば、自分も周りもそうなるのは頷けた。特に暁歩には、親しい間柄の女子がいる。思い上がっているわけではないが、年頃の男子に期待するなと言うのは難しい。

 しかし、臆面もなく『ください』なんて言えるはずもない。ましてや、暁歩は相手の負担になりたくないとも思っているから、ひたすら待ちの姿勢を貫くのみだ。と言うより『貰えたらいいな』ぐらいに考えておく。

 そんな妥協とも諦めとも取れる決意を胸に、暁歩は校舎に入る。昇降口で上履きに履き替えて、教室へ向かおうとすると、前方に見知った友人の姿を見つけた。

 

「おはよう、狛治」

「暁歩か。おはよう」

 

 狛治の肩を叩き挨拶をしたところで、暁歩は狛治が見慣れない小さな紙袋を持っているのに気付く。

 

「それ何?」

「・・・恋雪さんから」

「あー、なるほど」

 

 恋人を越えた妻帯者がいる狛治は、早くもチョコを貰ったらしい。恋雪の雰囲気からしておそらく手作りだろうが、そうでないにせよ仲睦まじいのに変わりはない。

 

「暁歩はどうなんだ?チョコ、貰えそうなのか?」

「そんなの分からんよ」

 

 絶対貰えるなんて確証は無いし、貰えないと言うのも自分で悲しくなる。結果、どっちつかずの答えを返すしかなかった。

 

「今まで貰ったことはあるのか?」

「義理チョコならいくつか」

 

 暁歩はモテるわけではない。この人生で貰ったチョコはいずれも義理チョコで、片手で数えられる程度だ。本命と思しき手作りのチョコとはとんと縁がなかった。

 

「誰から?」

「しのぶさんと、あと保健委員とか、別のクラスの仲いいやつとか」

「・・・驚いた。まさか、胡蝶さん以外からもチョコを貰ってたなんて」

「お前俺を何だと思ってるんだ・・・」

 

 あまりにも見当違いな気がしてならない評価に暁歩もげんなりする。

 ただ、自分では自覚していないが、暁歩の性格は比較的穏やかな方だ。困ってる人には手助けをするし、丁寧に接しようと心掛けている。そこに恋愛感情を抱かずとも、好感を持っている人はそこそこいるのだ。それもあって、義理チョコを獲得できるほどに信頼関係は築けている。

 

「でも、今年は胡蝶さんからのチョコは期待してもいいんじゃないか?」

「なんで?」

「だってお前、文化祭で副委員長だったろ?」

 

 キメツ学園を挙げての一大イベントである文化祭。しのぶが実行委員長で、暁歩は彼女をサポートする副委員長だったことを、クラスメイトの狛治は知っている。そんな学生の青春イベントで、元々仲が良かった2人は接近したのではないかと、狛治は期待を込めて訊いてみた。

 

「・・・文化祭、文化祭な・・・。うん・・・あれな・・・」

「?」

 

 だが、『文化祭』と聞いた途端、暁歩が遠い目を浮かべた。

 その達観したような反応は一体何だろう、と狛治は眉を顰める。

 

―――――――――

 

 件の文化祭、暁歩を含め実行委員会は、最初こそ活動は順調だったものだ。

 最終的な役員は、委員長がしのぶ、副委員長は暁歩とカナヲ、会計はアオイ。そして書記には、熱血歴史教師・煉獄(れんごく)杏寿郎(きょうじゅろう)の弟である中等部の千寿郎(せんじゅろう)が就任し、この5人を中心に準備活動は進められた。

 文化祭の予算案や、各部署との折衝、行程の管理、外部への依頼などやることは多岐に渡ったが、過去のマニュアルを参考にし、教師陣にアドバイスを求めたりして、大きなトラブルもなく準備は進めることができたのだ。

 

 しかし、大きな障害となったのは、炭治郎が参加すると言った『キメツ☆音祭』・・・というか炭治郎たちだ。

 

 彼は親友である我妻(あがつま)善逸(ぜんいつ)嘴平(はしびら)伊之助(いのすけ)、そして週一で美術室を爆破する派手な美術教師・宇髄(うずい)天元(てんげん)と共に『ハイカラバンカラデモクラシー』なるバンドを結成、音祭に参加を申し込んだ。メンバーはともかく、炭治郎が参加するつもりでいたのは暁歩も知っていたので、さして驚きはしなかった。それに、音祭も基本申請をすれば参加可能なので、それについては問題ない。

 問題だったのは、彼らの演奏だ。

 

「なんでお前に彼女がいて俺にいない♪何が悪かった~~~前世か?なんか罪犯したか~~~♪」

「――――――――――!?」

「ヒヅメで蹴られたって、ブーンと飛んで逃げられたって、全然平気~~頭悪いから~~~♪」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ヴォーカルの炭治郎は破滅的な音痴、善逸の三味線は怨念が上乗せ、伊之助の太鼓はテンポ完全無視、とどめに天元の爆音ハーモニカ。

 申し込みの際の試奏でその歌を聴いた暁歩は胃の中身が逆流しそうになり、しのぶに至っては途中で顔を押さえたまま気を失った。後にも先にも、しのぶがこんな有様になったのは一度だけである。

 ともかく、彼らの地獄のハーモニーで、聴いた人は頭痛・めまい・吐き気・気絶に襲われてしまう。そんな演奏をする彼らを、観客が大勢集まる『キメツ☆音祭』に参加させるわけにはいかない。もしそうなれば、『キメツ☆音祭』始まって以来の災厄は避けられないからだ。

 かと言って出場を拒否するのは、キメツ学園の『何人にも平等に、生徒の自主性を重んじる』という理念に反し、教師が一枚噛んでいるため簡単にはいかない。

 そして、前年度の出場者の人気ぶりを考えると、外部からの集客も考えて音祭そのものの中止も不可能だった。

 

「「彼らを参加できないようにしましょう」」

 

 しのぶと暁歩は、外的要因で出場を阻止する方針で意見が一致。

 そして、情報を実行委員会で情報を共有し、何とかして彼らの出場を阻止できないものかと色々と画策した。

 

「ちょっとどういうこと!?あたしとお兄ちゃんがトリじゃないって!」

「申し訳ございませんが、急遽順番が変更となりまして」

「ハイカラバンカラデモクラシーと言うグループです。宇髄先生や竈門炭治郎くんたちのバンドでして、彼らのたっての希望でした」

「はあああ?宇髄っつったらあの美女3人も侍らせてるクソ妬ましい野郎じゃねぇかああ・・・あんな奴らに俺たちの舞台が邪魔されるってのかぁぁ?」

「もしよろしければ、彼らと直接話し合いをしてみてはいかがでしょう?丁度音楽室で練習中ですし」

 

 まずは、キメツ学園でも札付きの不良兄妹・謝花(しゃばな)妓夫太郎(ぎゅうたろう)謝花(しゃばな)(うめ)をけしかけた。それも、学生時代ブイブイ言わせていた天元に一方的に叩きのめさせ責任問題に発展させ、芋づる式に炭治郎たちも出場不能にさせるという、しのぶの作戦だ(この作戦を聞いた暁歩以外の役員はドン引きしたが)。

 

「謝花兄妹は、激しい嘔吐と震え、眩暈に襲われたそうです。搬送時は泡を吹いていたと」

「・・・侮ってましたね。炭治郎くんたちの演奏」

「・・・ええ」

 

 ところが謝花兄妹は、音楽室の戸を開けた直後にあの演奏を聴き、取っ組み合いになる前に病院送りになって失敗に終わった。

 

「お忙しいところすみません、煉獄先生」

「構わん!生徒の悩みや相談に乗るのが教師の役目!それで、どうした?」

「実は、かくかくしかじかで」

「なるほど!その不快且つ人体に有害な演奏を止めてくればいいのだな!学園の平和と、人命を守るために!」

(兄上、その言い方はあんまりかと・・・)

 

 続いて、もう少し穏便にやってみようと暁歩が提案したのは、熱血快活歴史教師・煉獄杏寿郎に彼らの説得をしてもらう作戦。杏寿郎の言い分はなまじ正論なので何も反論できないが、大人としてもう少しオブラートに包んでほしいと思わなくもない。

 ともあれ、生徒・教師からの信頼も厚い彼なら大丈夫なはずだと、信じていた。

 

「彼らの情熱を止めることなど、俺にはできん!それでもやれと言うのなら、俺は腹を切る!」

 

 しかし、彼らのメジャーデビューの夢(演奏を知っている人からすれば悪夢)と熱意を一杯のラーメンと共に聞き逆に絆されてしまった杏寿郎は、説得を拒否。またも失敗。

 

「冨岡先生、校則違反者です」

「誰だ」

「竈門炭治郎くん、我妻善逸くん、嘴平伊之助くん、宇髄天元先生です。彼らは、校内において著しく他者に迷惑をかける行為をしてはならない、他者の心身を害してはならない、と言う校則に反しております」

「すぐに行く」

 

 さらに、キメツ学園の誇る最終兵器教師・冨岡(とみおか)義勇(ぎゆう)へのチクりも試みた。泣く子も黙る(と言うかむしろ泣かせる)彼ならば、流石の炭治郎たちも言うことを聞くだろうと思ってのことだった。

 

「・・・あれほど心に沁みる歌詞を、俺は生まれて初めて聞いた」

 

 ところが、義勇は彼らの破滅的なはずの演奏に感銘を受け、一筋の涙を流し寝返ってしまい、失敗に終わってしまう。

 斯くして、『ハイカラバンカラデモクラシー』の出場は止められず、当日を迎えてしまう。

 結果、『キメツ☆音祭』で彼らの演奏が始まると同時、半数の観客は体育館から逃げ出し、もう半分はその場でノックアウト。保健委員と実行委員会役員が総出で被害者の救護に当たった。

 演奏中にバタバタと人が倒れ、体育倉庫を改造した急ごしらえの医務室に病人を運び入れ、その間も炭治郎たちの呪詛じみた演奏が続くあの光景は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図と評すに相応しかった。

 

―――――――――

 

 といった具合で、文化祭実行委員会での活動は、無駄に疲れた。

 狛治が詳細を知らないのは、一緒にいた恋雪が人の多い場所が少し苦手だったため、それに合わせて音祭を観ずに校舎内の出店を見て回っていたからだ。夫婦仲の良さが幸いした。

 とにかく、あんな惨事が起きては、いかに学生の青春を彩る一大イベントであろうとも、縮まる距離も縮まりはしない。

 そして、月日が流れた今になっても、暁歩の心にはあの時の惨劇が脳裏から離れないでいる。

 

「・・・なんか、ごめんな」

「・・・いいよ、別に」

 

 暁歩の表情で何かを察した狛治は、労うように肩をポンと叩く。暁歩は泣きそうな笑みを浮かべながら、首を横に振った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 昼休み前の授業は生物。カナエの教え方はとても分かりやすく、美貌も併せて男女問わずほとんどのクラスメイトはカナエに釘付けだった。

 クラスの男子の中には、そのカナエから義理であってもチョコがもらえるのではないかとワンチャンスを狙う輩もいた。だが、教師と生徒と言う関係がある以上、カナエもその辺りはしっかりしているようで、チョコを用意している様子はなく、授業もつつがなく終わり昼休みになる(一部男子は落胆していた)。

 

「暁歩さん、お昼一緒にいかがですか?」

「いいですよ」

 

 そして暁歩は、いつものようにしのぶから昼食に誘われた。暁歩は首肯して弁当を持ち、しのぶと一緒に食堂へと向かう。一方でしのぶの手には、いつもの花柄ナプキンに包まれた弁当箱があり、それ以外のものはないらしい。

 やがて食堂に着くが、相も変わらず昼休みは賑わっている。加えて、今日がバレンタインデーと言うこともあり、妙に男女の組み合わせが目立つような気もした。

 

「「いただきます」」

 

 だが、暁歩もしのぶもそれには気づきつつも言及せず、食堂で向かい合って座る。

 

「・・・・・・」

 

 その間に暁歩は、ちらっとしのぶの様子を窺う。彼女は変わらない微笑みを浮かべて、今日も手作りと思しき弁当を食べている。いかに今日が特別な日であっても、特に変わった様子は見られなかった。

 そんないつも通りのしのぶの様子に、暁歩は少しばかり気落ちする。

 あくまで期待に留める程度でいたが、やはりしのぶは暁歩にとって親しい友人であり、同時に秘かな想い人でもある。チョコを貰える様子が無いと分かると、どうにも落胆してしまう。

 

「そうだ、暁歩さん」

「はい?」

 

 唐突に、しのぶに話しかけられる。暁歩は『感づかれたか』と不安になったが、心を静めてしのぶの視線に応える。

 

「今日、薬研の見学希望の子たちの対応をお願いしてもよろしいですか?」

「あぁ、はい。大丈夫ですよ」

 

 元々特異な部活なので、興味本位で見学に来る下級生はそこそこいる。暁歩が入部したのも、ほんの少し物珍しさを抱いたからだ。

 そして今日来る見学希望者は、何度も来ている生徒と事前に知っている。そこまで肩肘張る必要もなかった。

 

「後もう1つなんですけど・・・」

「?」

「部活の後、少しお時間をいただいてもよろしいですか?」

 

 しのぶのお願い事に、暁歩は『おや?』と思う。

 暁歩はしのぶと一緒に帰ることが多く、その際に『時間が欲しい』と言われたことは一度もない。なので、改まってそう言われることが初めてで、気になった。

 そこで今日が何の日かを思い出して、『まさか』なんて予想が浮かび上がるが、それは即座に否定する。もしかしたら、何か真剣な話かもしれないので、変な期待はしないでおこうと心に言い聞かせ、頷く。

 

「・・・分かりました」

「では・・・よろしくお願いしますね」

 

 そう言ってしのぶは、また柔らかい笑みを浮かべる。

 その時の表情は、暁歩の気のせいかもしれないが、何か緊張や嬉しさが入り混じっているようにも見えた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その日の放課後、暁歩が薬学研究部の部室を開けると、既にしのぶが待っていた。しかし、机の上には見慣れない紙袋が置いてある。

 

「それ、何ですか?」

「友人や同級生、後輩からチョコをいただきまして」

 

 挨拶をしてから訊ねると、しのぶは紙袋の中をちらっと見せる。クッキーやマシュマロなどが、それぞれ包装された袋に詰まっていた。中には、チョコと思しきものもある。

 

「よろしければ、1ついかがです?」

「いや・・・それはしのぶさん宛のものですし、俺が食べるのも何か申し訳ないですよ。せめてカナヲさんや胡蝶先生と食べては?」

「そうですか・・・」

 

 しのぶの申し出は丁重に断らせてもらった。仕方ないと眉を下げて、しのぶは紙袋を下げる。何であれ、誰かがしのぶに贈ったチョコを、縁もゆかりもない暁歩が食べるのは違うと思った。

 それにしても、と暁歩は思う。

 

「やはりしのぶさんも、人気なんですね」

 

 あれだけのチョコをもらっているのを見て、しのぶがどれだけの人かを改めて思い知らされる。男子だけでない、女子に対しても有効なカリスマ性や人間的な魅力を持っているのだと、友達として妙に嬉しくなる。

 

「人気者というのも、窮屈なものですよ」

「それは・・・分かりますけど」

 

 ただ、周りからあまり褒めそやされるのも気分が悪いだろうし、注目が多すぎると逆に自分が思い通りに動けない。常に周りからの評価や視線を感じ続けるというのは、確かに窮屈だ。

 暁歩が頷くと、しのぶは意外そうな目を向ける。

 

「・・・分かるんですか?」

「俺はそういう経験が無いですが、そんな感じの方を見ていると『苦労が多そうだ』と思うことは」

 

 芸能人のスキャンダルなどでよく思わされるが、今暁歩が話すしのぶだってそうだ。憂鬱そうなしのぶを見て、暁歩の中で何かが変わったあの時から、それを強く思っていた。だからこそ、今日まで暁歩はしのぶの身を案じ、彼女との交友関係が続いているともいえる。

 

「・・・暁歩さん―――」

 

 だが、そこでしのぶが何かを言おうとする前に、部室の戸がノックされた。

 

「どうぞ」

『失礼します~』

 

 暁歩が答えると、3人分の女子の声が戸の向こうから聞こえてきた。

 そして、戸を開けて姿を見せたのは、揃って目が小さく、顔つきの似ている中等部の制服を着た女子たち。おかっぱの子が寺内(てらうち)きよ、三つ編みの子が高田(たかだ)なほ、おさげの子が中原(なかはら)すみだ。

 彼女たちは中等部に薬学研究部を設立したいらしく、ここを参考にしたいと言う。過去にも何度か訪れており、今となっては暁歩もしのぶも彼女たちとは知り合いだ。

 

「こんにちは~!」

「はい、こんにちは」

 

 きよが元気よく挨拶をすると、しのぶが挨拶を返し、暁歩も笑みを浮かべる。決してロリコンではないが、小さな子供のあどけない表情とは、自然と心が和らぐものだ。

 さて、見学者にすることと言えば、簡単な資料の説明や漢方薬の調合を体験、大まかに部活動の説明をするぐらいだ。きよたちは既に何度も訪れているので、今日の予定は指導の下での調合である。

 だが、その前になほが、もじもじとしながら暁歩に紙袋を差し出してくる。

 

「これ・・・よろしかったらどうぞ」

「おや、いいんですか?」

 

 暁歩が確認すると、なほは頷く。

 静かに受け取り、中身を取り出してみる。中にあった小さな袋には、クッキーが詰まっていた。

 

「今日はバレンタインですし、いつもお世話になっていますので、そのお礼にどうぞ!」

「ありがとう・・・いただきますね」

 

 どうやらこれは3人で選んだものらしい。すみの言葉に、きよとなほも頷いた。ありがたかったが、流石にこの場で食べるのも少し行儀が悪いような気もしたので、暁歩は家でゆっくりと楽しもうと思う。

 だがその時、不意に背中に視線を感じた。

 

「・・・・・・」

 

 窺うように振り返ると、しのぶが笑みを浮かべながらこちらを眺めていた。

 だが、その表情にはわずかに寂しさのような気持ちが混じり、純粋な笑顔には見えない。何か、心に蟠りを残すような、そんな顔。

 

「しのぶ先輩にもクッキー持ってきましたよ~」

「あら、ありがとうございますね」

 

 だが、きよが同じくクッキーの詰まった袋を渡すと、その表情もいつもの様子に戻る。

 それでも暁歩の頭からは、先のしのぶの笑みが離れなかった。あの日見た憂鬱そうな表情とはまた違って、それでも克明に刻み付けられるようなものだ。

 

「暁歩先輩?」

「どうかしましたか・・・?」

「・・・いえ、何でもないです」

 

 すると今度は、暁歩がすみとなほに訊かれてしまった。呆けたように考え事をしていたのを悟られてしまったらしい。

 暁歩は、ひとまずはこの見学に来た3人に部の説明や調合の指導をしなければ、と意識を正して笑みを無理やりにでも浮かべる。

 

「それでは、調合を始めていきましょうか」

「「「はい!」」」

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 きよたち3人は、部活動の終了15分前ぐらいまで見学をし、それから帰宅となった。調合から器具の片付けまで一通り教えるため、いつもこれぐらいの時間になってしまう。

 指導する側にいる暁歩やしのぶも、この立場には慣れてしまった。自分の得意とする分野であるし、部活動、それも相手は数人程度と小規模なので全く緊張しないで済む。この日もまた、難なく見学対応を終えることができた。

 

「ありがとうございました~!」

「中等部、頑張ってくださいね」

 

 部室を出るきよたちを、暁歩としのぶは笑顔で見送る。彼女たちの目標である、中等部での薬学研究部設立は全面的に応援したい。

 

「・・・暁歩さん」

「はい?」

「ふと、気になったんですけどね?」

 

 そして3人を見送った後、後片付けを始めようとする暁歩にしのぶが声をかけた。

 

「今まで暁歩さんは、バレンタインにチョコをもらったことって、あるんですか?」

 

 今日が何の日かを考え、先ほどなほたちから貰ったからこそ芽生えたであろう、至って普通の疑問。

 そのはずなのに、背中が緊張で固まり、器具を戸棚に戻そうとした手が止まる。

 しのぶの口調は責めるようなものではないし、そういうつもりの質問でもないはずだ。けれど、何故か言い知れぬ不安や恐怖が上乗せされているように聞こえる。暁歩の視線は戸棚に向き、しのぶには背中を見せている今、振り向くことを理性が止める。

 

「・・・ありますけど・・・それが何か・・・?」

 

 けれど質問には、正直に答える。義理チョコしか経験はないが、見栄でもないそれを聞いたしのぶは今、どんな顔をしているのだろう。

 

「深い意味はありませんよ。ただ、珍しいなと思っただけで」

 

 先ほどのきよたちから貰ったクッキー。あれも恐らく義理チョコの類だろう。

 しかし、しのぶは暁歩がそう言ったものに縁遠いと思っているらしい。見下されている感じはしないが、自分がしのぶからどう思われているのかを垣間見た気もする。

 

「・・・狛治にも似たようなことを言われました。俺がしのぶさん以外から貰っているのが、意外だって」

 

 今朝も同じようなことを言われたから、暁歩はまた切なくなる。

 自分としのぶが一緒にいることが多いからそう思うのだろう。だが、まるでしのぶ以外に知り合いがいないような扱いだ。甚だ心外である。

 

「どうにも、俺がしのぶさんといることが多いみたいで、それで早とちりしたようですよ」

 

 苦笑しながら、余った薬種を棚にしまう。

 そんな暁歩の言葉に、しのぶは資料を閉じる。

 

「・・・私と暁歩さんって、周りからどう見られてるんでしょうね」

 

 問われて、言葉に詰まる。

 過不足の無い評価を付けるとすれば、『友達』だろうかと真っ先に思う。一部では『恋人ではないか』『付き合ってないのか』など疑われているが、それは違う。また一方で『毒姫と従者(または下僕)』なんて呼ばれているが、それもイメージがあまり良くない。

 

「友達じゃないですか?」

「・・・そうですよね。それが一番自然ですよね」

 

 だから事実を伝えると、しのぶも安心したように呟いて、資料を棚にしまう。

 そこで暁歩が時計を見ると、もうすぐ下校時刻になろうとしている。しのぶも片付けを終えたところなので、そろそろ引き上げようと思った。

 

「では、そろそろ帰りましょうか」

「あ、その前によろしいですか?」

 

 だが、暁歩が呼びかけると、しのぶは少し手を挙げて待ったをかける。

 そこで暁歩は、しのぶが部活の後で時間が少し欲しいと言っていたのを思い出した。

 

「・・・すみません、何かお話があるんでしたよね」

「はい。とりあえず、座っていただけますか?」

 

 しのぶが着席を促すので、暁歩も大人しくそれに従いしのぶの正面の椅子に着く。

 そこで暁歩は、しのぶの空気がわずかに緊張を含んでいることに敏く気付いた。

 

「どうしたんですか?改まって・・・」

「・・・まあ、私も初めてのことで緊張していると言いますか・・・」

 

 座ってから訊ねると、しのぶはいつになく歯切れの悪い様子を見せる。彼女も何をしようとしているのかは分からないが、気持ちが穏やかではないようだ。

 それでも、すぐに『こほん』と小さく咳払いをすると、自分の表情とまとう空気をいつものように戻す。

 

「今日はまあ、知っての通りバレンタインですよね」

「・・・ええ、そうですね」

 

 改めて切り出された話題に、暁歩の緊張の度合いが増す。先ほどまでその話をしていたのだが、面と向かって話を持ち出されるのはまた違う。

 

「なので・・・暁歩さんのためにチョコを用意してきました」

「あ、本当ですか?ありがとうございます・・・」

 

 だが、そんな緊張を裏切るように、包装された小さな箱をしのぶが取り出す。

 それを見た暁歩は、口では冷静を取り繕うものの、内心では飛び跳ねて喜んでる。当初は過度な期待はしないでいたので、その反動はとても大きい。

 そんな暁歩の前に、しのぶは箱を差し出す。迷わずに暁歩は受け取った。

 

「ありがとうございます・・・とても、嬉しいです」

「できれば今、開けてもらってもよろしいですか?」

「・・・?分かりました」

 

 せっかくのチョコなので、家でゆっくり味わおうとしたが、今食べるよう促され違和感が生じる。ただ、その真意は分からないが、一先ず包み紙を外すことにした。

 包装紙の下には白い箱があり、その蓋を開けると菱形のチョコレートが姿を見せる。歪んだり崩れたりもしていない、とても綺麗な形のそれは、『美味しそう』と言うより『美しい』と形容したくなる。

 

「・・・綺麗なチョコですね」

「ありがとうございます」

「でも、去年までとは少し違うような・・・」

 

 あまりに丁寧なもので面食らったが、今までに貰ったものとは一線を画すものだ。以前は袋に詰められたクッキーや、個別包装のチョコなど市販と思しきものばかりだったから。こうして1つの箱に収まっている1つのチョコと言うのが、新鮮だった。

 

「実は、私が作ったものなんですよ」

「・・・本当ですか?」

「ええ。ぜひ、ご賞味ください」

 

 初めての、しのぶの手作りのチョコという事実に、驚きと喜びが収まらない。

 そんな暁歩の内心など知らずに、しのぶは『さぁさぁ』と手で促してくる。

 感動を胸に、暁歩はチョコを慎重に手に取り一口齧る。瞬間、調和のとれたほろ苦さと甘みが口に広がり、唇が自然と緩んでしまうのを抑えられない。

 

「・・・美味しい。何というか、とても好きな味です」

「それはよかった・・・」

 

 嘘偽りのない感想に、ニコッと可愛らしく笑うしのぶ。

 このままここで全て食べたいところだが、暁歩が視線を上げるとしのぶはまた別の話が自分にあると雰囲気で察する。なので、チョコは一先ず仕舞っておくことにした。

 

「実は、こうして作ったチョコを渡すなんて・・・私にとっては初めてなんです」

 

 それを聞いて、思わず暁歩の視線がしのぶへと吸い寄せられる。

 はにかむような、照れているようなその表情は、初めて見た。

 

「これまでは、それなりに良い市販の品を渡していました。けれど今年は、あなたにだけは、ちゃんと自分で作ったものを渡したいと思ったんです」

「・・・・・・」

「そんなチョコが・・・義理と思いますか?」

 

 しのぶの言葉に、その裏の意味を知ろうとして、暁歩の心臓がドクンと跳ねる。

 

「暁歩さんは、私がこの学校でどういう人か知っていても、気負うこともなく接してくれていますよね?」

「・・・・・・」

「私にとっては、それがとても嬉しいんですよ。私自身のことを外見や他人の評価だけで判断せず、ちゃんと私のことを真摯に見てくれているようで」

 

 しのぶが校内で高い人気を誇っているのは周知の事実。だが、本来のしのぶの姿を知っている人は、どれだけいるか分からない。

 そんな中で暁歩は、しのぶの近くで実際にその姿を見ていたから、周囲の評価を気にしていない。そして今日まで仲良くしているのも、単なる容姿目当てではなく、ただ傍で支えてあげたいと願っていたからだ。

 

「暁歩さんは、たまに私に差し入れを持ってきますよね。あれは、何か理由があったのでしょうか?」

 

 今までは、しのぶが野暮だと思って訊かなかった理由。それを今が訊いたのは、自分の中にある決断を下す前に確かめたかったからだ。問われた暁歩も、今の状況が普通と違うことに気付いていたため、隠さずに話すことにする。

 

「最初は、しのぶさんが少し疲れていたように見えたんです。きっと、周りから注目を集めていることに、心が少し疲れてるんじゃないかって、思いまして・・・」

 

 言うと、しのぶは小さく頷く。まるで納得するかのように。思い出しているのは、最初に紅茶のペットボトルを渡したあの時のことだろう。

 

「・・・俺は、何かしのぶさんの力になれるのなら、力になりたいと思ったんです。それで思いついたのが、ああした差し入れでした。少しでも、疲れが取れれば、癒されればと」

 

 聞き終えると、しのぶの笑みには嬉しさや喜びの色が濃くなった。

 

「その理由を聞けて、安心しました。暁歩さんは、とても優しい人です」

 

 無意識に、暁歩の膝の上で手が握られる。

 対してしのぶは、頬を少しだけ赤らめて、暁歩から視線を外そうとはしない。

 そして、しのぶは口を開いた。

 

 

 

「・・・そんな暁歩さんのことが、私は好きです」

 

 

 

 静かな部室で、その言葉は確かに暁歩の耳に届いた。

 そして、心にしのぶの言葉がストンと落ちた時、暁歩の顔がどんどん熱を帯び始める。多分、自分の顔は赤くなってしまっているのだろう。

 

「・・・・・・」

 

 告白したしのぶは、まるで暁歩の返事を待っているかのように、それ以上のことは何も言おうとしない。ただし、言って少し恥ずかしかったのか、頬がわずかに朱に染まっている。

 ここで何も言わないのは、男としてどうかと思う。心の昂ぶりは静まらないが、自分の率直な気持ちは伝えなければと、自分に言い聞かせた。

 

「・・・俺は、しのぶさんの負担にならないようにしようと思ってました」

「?」

「しのぶさんが、この学園でどんな立ち位置にいるのかは理解しているつもりでしたし、周りから持ち上げられて少し疲れているようにも見えましたから・・・」

 

 暁歩は、ずっとそれを考えていたし、負担にならないようにと自分を律し、しのぶと接していた。だからある意味、自分が『毒姫』であるしのぶの『従者』と言われるのは、正しいのかもしれない。

 

「だからこそ、しのぶさんとは友達の関係でいたいと・・・そう思っていました」

「・・・・・・」

「多分しのぶさんにとって俺は、学園で自分のことを理解している人と思ったから。そんな俺との関係が拗れたら、しのぶさんがどうなるかを考え、恐れたから・・・」

 

 友達、と聞いてしのぶの唇が少しだけ動く。暗に暁歩が、しのぶの告白を蹴っているものと思い込んでしまったらしい。だが、それは間違いだと、暁歩は笑みで伝える。

 

「ですが・・・こうして一緒にいることが多いと、あなたの内面を知る機会も増えますし、そこに俺も惹かれていました」

 

 そう伝えると、しのぶの表情に変化が現れる。驚きや意外、といった具合に。

 暁歩は一度、息を吐いてしのぶの顔を見据える。

 

 

 

「俺もしのぶさんのことが好きです」

 

 

 

 精一杯の気持ちを込めて、暁歩は伝える。

 その瞬間、しのぶの笑みが一段と深くなった。そこからは、『嬉しい』と言う純粋な感情が強く読み取れる。

 

「・・・良かった」

 

 おもむろに、しのぶが口を開く。

 

「私も、少し怖かったんですよ。私が想いを告げたら、今のような暁歩さんとのつながりが途絶えてしまうのではないか、と」

 

 自分が告白してしまえば、しのぶと同じ目線にいた暁歩との関係がなくなってしまうと、恐れていた。その点は、暁歩の懸念していたことと、一致している。

 結果として、そうはならなかった。

 

「けれど・・・私たちは」

「同じ気持ちだった、と」

 

 しのぶの言葉に暁歩が続くと、お互いに小さく笑みを浮かべる。

 そしてしのぶは、机の上で暁歩に向けて手をゆっくりと伸ばす。

 

「・・・私と、付き合ってくれますか?」

 

 その手に、暁歩は重ねるように手を伸ばす。

 

「・・・はい。ぜひとも」

 

 傾いた陽の光が照らす部室で、お互いの手をゆっくりと重ね合わせる。

 今だけは言葉がなくても、心地よい気持ちでいられた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その後は、下校時刻が差し迫っていることに気付き、そそくさと部室を後にした。ほんの少しだけ手を重ねていただけで、それ以上のことは起きていない。

 部室を閉めて、並んで校門へ向かう暁歩としのぶ。腕を組んだり手をつないだりはしない。お互いに普段とさして変わらない立ち位置だが、内面は違う。

 

「暁歩さん。次の日曜、よろしければ一緒に出掛けませんか?」

「いいですよ、もちろん」

 

 そうしてしのぶから切り出された、外出の話。関係が変わった今は、それも『デート』に当たるのだろう。当然の如く、暁歩に断るという選択肢はない。

 それにしてもそれにしても、ついさっき告白し、告白されたと言うのに、関係が変わったことに対する緊張感や照れなどがあまりない。それは、長い間自分たちの中にあったしこりのようなものが取り除かれ、心が落ち着いているからだ。

 

「なんだか、変わりませんね。付き合うことになっても」

「俺はそれでも十分嬉しいですよ。しのぶさんの近くにいられるってことが」

 

 それでも暁歩は、言った通りでしのぶと付き合えるということが嬉しいのだ。

 そして、付き合っている以上、()()()のこともちゃんと考えている。だからこそ今は、こうして2人で付き合えるだけで十分気持ちは満たされていた。

 

「では・・・これからもお願いしますね」

「もちろんです」

 

 しのぶも嬉しいのは同じだったらしく、暁歩の言葉に少しだけはにかむように口元を緩める。

 そして校門を抜けると、冷たい北風が少し吹いた。

 

「・・・寒いですね」

「まぁ、まだ2月ですし・・・」

 

 暖かくなる春の訪れは、まだ少し先だ。今もまだ冷たい空気が纏わりつくようである。

 そこで、何の気なしに横を見た暁歩としのぶの視線がぶつかり合う。そして次に、両者の視線はお互いの空いている手に落ちる。

 

「「・・・・・・」」

 

 今一度、2人の目が合い、しのぶが試すように微笑んで小首を傾げる。何の意図があってかは今更聞くに及ばず、暁歩も笑みを浮かべてその手を繋ごうとする。

 だがそこで。

 

「・・・何か後ろから視線を感じるんですが」

「・・・奇遇ですね。私もです」

 

 小さな違和感を揃って抱き、小声で言葉を話す。

 そして、同時に後ろを振り向くと。

 

「「「あっ」」」

 

 3人分の声。植え込みの陰にいたのは、カナエ、カナヲ、そして炭治郎だった。見知った面々に暁歩は苦笑し、しのぶはため息を吐く。

 

「・・・姉さんまで一緒になって、どうしたの?」

「2人並んでるところが見えたから、面白そうだし眺めてみようかしらって」

 

 しのぶが訊ねると、悪びれもなくカナエがにこやかに答える。既に学校の敷地は出たので、教師であるカナエのことをしのぶは『姉さん』と呼ぶ。まだ敷地内なら先生と呼んでいた。

 一方で、カナエの横にいたカナヲはもじもじとし、炭治郎は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

 

「すみません・・・。俺はやめておこうかと思ったんですけど、先生に『いいからいいから』って・・・」

「まあ・・・別に悪いことでは、うん・・・」

 

 その時の炭治郎の困惑した表情が、暁歩としのぶの脳裏にありありと浮かんでくる。そして、しのぶの姉のカナエ公認となれば、覗き見が悪いことと断言できなくなる。ちなみに暁歩は、しのぶの話でカナエは元々お茶目な性格だと知っていた。

 一方、カナヲがしのぶと暁歩の視線を受けると、申し訳なさそうに炭治郎の後ろに隠れる。それを見た暁歩としのぶは、『あれ?』と思う。怒られるのを恐れているようではなく、それどころか炭治郎との距離が普段より少し近い感じがした。

 

「ところで炭治郎くんは、カナヲからチョコを貰ったのかしら?」

 

 そこでしのぶは、尾行の報復にカナヲの目の前で炭治郎に直球の質問を投げた。なんと酷な、と隣に立つ暁歩は内心でカナヲに同情する。

 すると案の定、カナヲは恥ずかしさのあまり死んでしまいそうになるほど顔を赤らめる。

 

「・・・ええ、はい。貰いました」

 

 だが、炭治郎の反応は少し意外だった。以前のように無自覚な反応を示すのではなく、しっかりとカナヲのことを意識しているかのように、少しはにかみつつ嬉しそうな目をカナヲに向けている。その目は、を愛おしむかのようでもあり、友達に向けるそれとはまた違う。さらにカナヲは、炭治郎のことは恥ずかしがりもせずに見つめ返す。

 

((あ、進展があったな))

 

 暁歩としのぶは、察した。同時に抱く、親近感。

 しかしながら、自分たちに向けられているカナエの視線は未だに興味津々なものだった。

 

「で、2人はどこまで行ったのかしら?」

 

 カナエが訊ねて、暁歩もしのぶも言葉に詰まる。

 カナエは微笑ましそうな目を、カナヲは興味深そうな目を、炭治郎は曇りなき目を向けてくる。3人とも、(根柢の感情は違えど)暁歩としのぶの関係性について興味があるらしい。

 一方で暁歩としのぶも、自分たちのことを誰かに言いふらすことには抵抗がある。お互いが付き合っていることはそれぞれ嬉しいと思っているし、元々信頼関係が築けていたからこそ何も後ろめたいことはない。それでも、たとえ相手が親しい人であっても、おいそれと口にするのは憚られた。

 

「・・・その反応からして、2人も付き合い始めたみたいね」

 

 だが、答えに戸惑っていると、カナエが見通したようにさらりと明かした。瞬間、カナヲと炭治郎は揃って驚いたように口を開け、しのぶの笑みが若干引きつる。

 一方暁歩は、いたたまれない気持ちだ。カナエからしてみれば、自分の可愛い妹を取られたようなものなのだから。兄弟がいない暁歩でも、その寂しさはわずかでも理解できるので、つい頭を下げてしまう。

 

「何か、すみません」

「謝ることはないわ。ダメな男にしのぶが引っかかるよりもずっといいし、それに君はとても信用できる子だから」

 

 私としても安心よ、と続けられて、この場で初めて暁歩の表情に照れが混じる。唇まで緩んでしまうが、言外に『しのぶを任せられる』と言われたのだから、嬉しくないはずもない。

 その横にいるしのぶだが、思いがけない場所で交際が明らかになり、姉にも認められたことが、恥ずかしいやら嬉しいやらだ。

 

「しのぶのこと、お願いね?」

「・・・任せてください」

 

 だが、カナエの言葉に、暁歩は力強く返す。

 その暁歩の態度は、絶対に曲がることはないと信じられるような行動と言葉だ。それを目の当たりにして、しのぶも心が温かくなる。そして、その反応を見たカナエもまた、改めてその意志の強さを再確認したか、小さく頷いた。

 

「炭治郎くんも、カナヲのことをよろしく頼むわね」

「はい!」

 

 同様に炭治郎も、カナヲのことを任せられると快活な返事をする。カナヲもまた、嬉しそうに微笑んだ。

 そんな2人の様子を見つつ、暁歩としのぶは顔を見合わせて、ほんの少し笑った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 数日後の日曜日。

 暁歩としのぶは、約束通りのデートを果たすために、街を訪れていた。

 

「時間ぴったりですね」

「初めてのデートに遅刻するわけにもいきませんから」

 

 駅前の待ち合わせ場所にしのぶが着くと、そこには既に暁歩が待っていた。

 こうして休日に顔を合わせるのは初めてだし、お互いの私服を見るのは初めてだ。なので、暁歩はついしのぶの新鮮な姿に目を奪われてしまう。

 

「何か?」

「いえ、しのぶさんのイメージ通りだなぁと」

 

 しのぶは、クリーム色のセーターにグリーンのフレアスカートと、柔らかな印象を抱かせる。自分の体格や顔立ち、印象などを把握しているから、それに合う服を選ぶことは容易いのだろう。全く違和感がない。

 

「それは褒めているのでしょうか?」

 

 だが、どちらともとれる暁歩の言葉に、しのぶは少し距離を詰めて問う。

 それでも暁歩は怯まずに、その目を逸らさず真っすぐに答える。

 

「もちろん。とても似合ってますよ」

「・・・ありがとうございます」

 

 すると、しのぶも照れるように笑む。こうした素直な反応も、以前はあまり見られないものだった。

 何というか、私服もそうだが、こうして普段は見られない表情を見られるのも、自分がしのぶにとっての大切な存在となれたからだろう。

 けれど、今をただ楽しむだけではない。しのぶのことを気にかけて、いつでも支えられるようにしなければならない。

 

「・・・それじゃ、行きましょうか」

 

 どんな時でも、しのぶの傍にいて、支えたい。

 そんな気持ちを示すように、暁歩は手を差し出す。

 

「・・・・・・」

 

 しのぶは、暁歩が自分のことをただ支えたいと願い、自分から離れず対等な存在でいてくれたことを、とても嬉しく思っている。そんな彼のことがしのぶは好きだし、その上でこうして付き合えているのだから、なおのこと嬉しい。

 そして、そんな暁歩とずっと一緒にいたいと思えるほどに、しのぶの心は温かく染まっている。

 

「・・・はい」

 

 だから、しのぶはゆっくりとその手を取る。初めて握った暁歩の手は、しのぶの手よりも大きくて、とても温かい。

 そうして2人は、手を繋いで街へと繰り出した。




これにて番外編(キメツ学園編)は完結です。
あくまで番外編なので、前後編に分ける短い2話構成としました。
文化祭のお話は、大部分がノベライズ版の『片羽の蝶』収録の話をなぞる形になってしまうため、その部分はダイジェストで書かせていただきました。
本編とはまた違う形の2人の様子を楽しんでいただければ幸いです。

本編の後日譚ですが、少し時間を置いてからの投稿とさせていただきます。
しばしの間お待ちいただければと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。
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