蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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第3話:偲ぶ思い

 蝶屋敷での生活が始まってから、四日が経つ。

 隊士への問診や軽い手当はアオイたちから教わりつつ学び、その合間に薬も調合していく。

 そんな中で、毎日欠かさないのは洗濯だ。

 蝶屋敷で療養する隊士たちの治療用衣服は、全て蝶屋敷側で用意している。さらには使用する布団や手ぬぐいも同じで、それらはこまめに洗濯をしている。衛生面を考えれば、長期間使い回すのが不衛生だからだ。

 そしてその量はかなり多くかさばるため、何人かで協力して洗濯することになる。

 

「ありがとうございます、暁歩さん」

「いえ、これぐらいのこと・・・」

 

 洗濯物を運ぶのを引き受けると、すみがお礼を言ってくれる。後ろにはきよとなほも付いてきている。

 彼女たち三人とは、この数日で打ち解けられた気がした。三人とも人懐っこい性格をしているからか、新参者の暁歩にも親し気に話しかけてくれている。あまり堅かったり敬遠されると委縮するので、暁歩としてもそれはありがたい。それでもまだ、暁歩は彼女たちのことをさん付けで呼んでいるが。

 

「では、暁歩さんは布団をお願いしますね」

「分かりました」

 

 屋敷の南側にある物干し竿まで着くと、四人で分担して洗濯物を干し始める。特に布団は大きいため、背の高い暁歩の方が干しやすい。きよたちは手拭いや衣服などを分担して干す。今日はまだ少ない方で、多い時にはそれこそ蝶屋敷の人間が総出で協力することになるらしい。

 

「今日はお天気も良いですから、すぐ乾くと思いますよ~」

 

 空を見上げながらきよが呟く。雲が多少見えているが、確かに洗濯にはもってこいの日だ。軽く歌を歌いながらきよたちは洗濯物を干し、暁歩もそれを聞きながら笑みをこぼして布団を干す。

 

「あっ・・・!」

 

 だが、そんな中でなほが思わず声を上げる。干そうとしていた手拭いが風に飛ばされてしまったのだ。それはひらひらと宙を舞い、やがて屋敷の東側に落ちていく。

 

「取ってきますよ」

「ごめんなさい・・・」

 

 なほが謝るが、暁歩は首を横に振って落ちたであろう場所まで移動する。

 幸いにも屋敷の外までは飛ばなかった手拭いは、すぐに見つかった。縁側の踏み石の近くに落ちている。

 

「あー・・・洗い直しか・・・」

 

 だが、拾い上げて嘆息する。手拭いには砂利や埃がこびりついてしまっており、しかも洗い立てで水気を含んでいるため、払っても汚れが落ちない。このまま干しても汚いままなので、洗い直しだ。

 

「・・・?」

 

 仕方なく持ち帰ろうとしたところで、縁側の向こうにある部屋が目に入る。

 その部屋は、障子が少しだけ開けられていて、その隙間から漆で艶がついた黒檀の仏壇が見えた。

 

「・・・・・・」

 

 それを見た途端、その場に立ち尽くす。

 全体像が見えなくても、そこに置かれている黒檀を見ると、何か引き寄せられるような謎の雰囲気を感じ取る。

 同時になぜか、それを見ると悲しい気持ちが心の奥底から滲んでくるような感覚がした。

 

「暁歩さーん、見つかりましたか~?」

「見つかりました~!」

 

 そこで、時間がかかっているのを心配したのか、なほが南側から声高らかに呼んできた。

 暁歩は仏壇から意識を離して同じように声を上げて返事をし、足早に三人の下へと戻ることにする。

 しかしその後、暁歩の頭の片隅にはこの時見た仏壇のことが付いて離れなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 昨日は機能回復訓練が行われたが、今日は希望者がいなかったため訓練は無しとなる。結果として時間が少し空き、午後最初の問診の後は各々が待機を兼ねて自由時間となった。きよたちは自室で読書、アオイは備品の数を確認して時間を過ごすという。

 そんな中で暁歩は、一言断りを入れてから、先ほど見た仏壇が置いてある仏間へと向かう。初日にアオイから一通りの部屋を案内されたが、仏間は案内されていなかった。近くにしのぶたちの私室があるからだろうが、方角は把握していたので迷わずに目的の部屋の前に辿り着いた。

 静かに障子を開け、畳張りの部屋に足を踏み入れる。

 この部屋だけ、なぜか他の部屋と比べてやけに静かに感じた。外からは草木が風に揺られる音、鳥のさえずりも聞こえてくるが、それも遠い世界のものに聞こえる。置かれている仏壇が厳粛な雰囲気を醸し出しているから、この部屋の空気そのものが厳かに感じられた。

 それでも暁歩は、静かにゆっくりと仏壇の前に正座し、仏具の鈴を鳴らす。

 

「・・・」

 

 仏壇の前にいると、鈴を鳴らすと、余計なことが頭の中から消える。残るのは、亡くなった人を弔う気持ちだけだ。

 暁歩もまた、その気持ちを胸に抱きながら静かに手を合わせ、目を閉じ静かに手を合わせる。この仏壇が、誰を弔ってのものはかは分からないが、それでも暁歩は祈りを捧げずにはいられなかった。

 

(・・・安らかにお眠りください)

 

 黙祷を捧げ、心の中で告げて目を開く。

 そして、静かに立ち上がってその場を去ろうとすると。

 

「こんにちは」

 

 すぐ背後にしのぶが、微笑みを浮かべて立っていた。

 最初に会った時もそうだが、音もなく後ろに立つと非常に面食らうので心臓に悪い。

 

「・・・すみません。勝手に入ってしまって」

「いえ、謝ることはありませんよ」

 

 アオイには伝えていたが、しのぶの許可は不在で取れなかったので気を悪くさせてしまったかもしれない。思わず謝るが、しのぶは首を横に振って、先ほどの暁歩と同じように正座して鈴を鳴らし、黙祷を捧げる。

 

「この仏壇は、私の家族のものなんです」

 

 黙祷を終えたしのぶが、仏壇を向いたまま告げる。変らない優しい調子のその言葉に、暁歩の胸が苦しくなる。そして同時に、自分の頭の中で『嫌な予感』が働く。

 

「家族が亡くなったのはとても辛いですが、誰かが祈りを捧げてくれると、少し肩の荷が軽くなる気がします」

「・・・」

「悲しんでくれていると、一緒にその悲しみを背負ってくれているように感じるので・・・」

 

 肩の荷が下りる、とは言わない。人が亡くなったことに対する辛さ、悲しみは、完全に拭い去ることなどできない。身内を喪ったとなればなおさらだ。

 仏壇に向いたままのしのぶの言葉を聞いて、暁歩は自分がこの部屋まで来た理由を伝えなければならないと思う。

 

「洗濯の時間にこの仏壇を見てから・・・祈りを捧げずにはいられなかったんです」

 

 しのぶは暁歩のことを見上げ、暁歩は物言わぬ仏壇を見る。

 

「仏壇や墓地を見ると・・・どうしても亡くなった方のことを考えてしまい、胸が詰まるような気持ちになるんです」

「・・・」

「それに、こうして立派な仏壇が置かれているのを見るに、その人はそれだけ遺された方から慕われていて、大切な人だったのだろう・・・と」

 

 自分が今、悲しげな表情でいる自覚はある。それはしのぶにも見られているだろうが、一体どんな気持ちでこの言葉を聞いてくれているのだろう。

 

「先立たれた方のことを思うと、安らかな眠りを祈らずにはいられない。だから、祈りを捧げました」

 

 それでも、自分の偽りなき死者を弔いたいという気持ちは伝えた。拒絶されようとも、綺麗事と言われようとも、この主張だけは曲げたくない。

 

「・・・そうですか」

 

 心なしか、そのしのぶの言葉には少しばかりの安心が混じっている様に聞こえた。

 ゆっくりと、しのぶは立ち上がり暁歩の前に立つ。

 

「少し、お話を聞いてもらってもよろしいですか?」

 

 一も二もなく暁歩が頷くと隣の居間に移動し、机を挟んでしのぶの正面に座る。

 

「私たちとここで暮らす以上、いつか話すつもりではいましたが・・・」

 

 いつもの微笑みは鳴りを潜め、言葉には哀しみを帯びている。

 その表情と語調に、暁歩の胸は締め付けられるようだった。

 

「・・・私の家族は皆、鬼に喰われました」

 

 告げられた残酷な過去に、暁歩の唇は引き締まる。

 家族を鬼に殺されたという話は、これまで何度も聞いたし、自分もその経験はある。だが、しのぶのその言葉には、今までとは違う、どうしようもないほど深い悲しみが含まれているように聞こえた。

 

「両親はまだ、私が幼い頃に・・・姉はそれから数年の時が経ってから。その時のことを忘れることはできません」

 

 その時を思い出すかのように、しのぶはそっと目を閉じる。

 

「両親はとても優しくて、心強くて、周りからも慕われていました。そんな両親の下に生まれて、私は幸せでした」

「・・・」

「けれど、ずっと続くと思っていたその幸せは、鬼によって突然奪われてしまい・・・」

 

 幼い頃、と言うには恐らく歳も十に満たない辺りだろう。まだ年端も行かない、物心ついた時期にそのような残酷な出来事を経験するなんて、ひどく痛ましい。暁歩の表情も暗くなってしまう。

 

「目の前で両親は、私と姉を庇うように鬼に殺されました。その鬼も悲鳴嶼(ひめじま)さん・・・今の岩柱が斃して助けてくれました。けれど・・・」

 

 けれど、に続く言葉をしのぶは出さない。

 自分たちが生き残り、両親は死んだ。その事実は今でも忘れていないし、悲しさと辛さは今も癒えていないのだろう。その事実を言葉にするのに、その悲しみと鬼に対する怒りが躊躇させる。

 

「私と姉は、悲鳴嶼さんの下へ向かい、鬼殺隊に入れてほしいと頼みました。私たちのような悲しい思いをさせないために」

「・・・」

「まだ壊されていない、誰かの幸せを守る為に。そして・・・鬼を助け、仲良くなるために」

「鬼を・・・助ける?」

 

 その理由には、聞き返さざるを得ない。

 自分たちの最愛の両親を殺めたのも同じ鬼であるならば、鬼を憎んだり恨んだりすることはあるだろうが、『助ける』『仲良くなる』とはどういう料簡なのか。

 

「姉は、鬼は元々私達と同じ人間であると知り、人を殺めなければ生きていけず、明るい日の下を歩けなくなった悲しい存在だと言っていました。その鬼を救い、仲良くなりたいと考えていたんです」

「・・・」

「これを最初に聞いた時、悲鳴嶼さんは『正気の沙汰ではない』と言っていましたし、私自身もそう思いました」

 

 鬼殺隊として鬼を滅してきただろう悲鳴嶼の気持ちも、幼い時分に両親を失った当時のしのぶの気持ちも、暁歩には分かる。

 

「それでも私は、唯一の肉親である姉の意思がそれならば、と自分を納得させました。姉は元々優しい人だから、そう考えるのも無理はないと、半ば諦める形でもありましたが」

 

 ただ一人の自分の家族で、しのぶも大好きだった姉のカナエ。その意思を否定すると、それこそしのぶは孤独になってしまうから、納得をするしかなかったのだ。しのぶの本心では鬼をどう思っているのかは分からない。けれど、怒りが籠められているだろうことは想像がつく。

 

「例えその先に暗い未来があるとしても、姉の覚悟と意思は変わりませんでした。最終選別を突破し、鬼殺隊に入隊して、そして柱となっても」

 

 柱であるしのぶの姉もまた同じ柱だったと聞いて、暁歩は驚く。姉妹で柱になったとは、素質は十分にあったのかと。

 けれど、鬼を滅することが本分の鬼殺隊において、鬼を助けたい、鬼と仲良くなりたいなんて思想を掲げて戦うカナエやしのぶは異端視されていただろう。

 

「姉もまた、優しかった。いつもニコニコと微笑んでいて、傷ついていたり困っている人を放ってはおけず、誰かを憎んだりもしない・・・怒ったところなんて見たことが無かった」

 

 しのぶの目には、在りし日のカナエの姿が映っているのだろう。いつも浮かべているような微笑みをしのぶは浮かべて、声音にも懐かしむような色が混じっている。

 だが、暁歩の頭にはチリチリと焼き付くような痛みがある。その笑みが、心からのものではないと訴えかけているような、そんな『予感』が働いている。

 

「貧しくて劣悪な環境から身売りされそうだったカナヲや、鬼によって家族を喪ったアオイ、きよたちを保護したのも、救える人を救いたいと願う姉の気持ちの表れでした」

 

 蝶屋敷で暮らす皆の表情が、暁歩の脳裏に浮かぶ。

 彼女たちも、暗い過去を背負っている。人懐こいきよたちや、テキパキとしているアオイも、その心に暗い影が落ちていると思うと、なお胸が苦しくなる。

 

「そして姉は・・・鬼に手を掛けられて死ぬ間際にも、鬼を憐れんでいました」

 

 しのぶの声が震えている。それでも表情は、無理にでも微笑みを保とうとしている。

 想像を絶するしのぶの過去に、暁歩もたまらず目を閉じる。

 

「最愛の両親を失い、最愛にして唯一の姉も喪って・・・後には私と、カナヲたちだけが残りました」

「・・・」

「そして私には、どうしようもない怒りと悲しみ、そして鬼に対する憎しみだけが残りました」

 

 心の臓を突き刺された気分だ。

 微笑みを浮かべるしのぶを、暁歩は最初心が広く優しい人だとしか思っていなかった。けれどその裏には深く悲しい過去を背負っている。穏やかな微笑みで、常人ならば耐えがたいほどの壮絶な思いを隠していた。そのことに気付けず、ただ『優しい人』としか思わなかった自分が馬鹿に見える。

 

「姉は、今際の時で私に鬼殺隊を辞めるよう訴えかけました。この悲しく辛い鬼との戦いから身を引き、普通の女の子としての幸せを手に入れて、永く生きてほしいと」

「・・・」

「けれど私は、その時初めて姉の意思に背きました。両親に加えて姉まで鬼に殺されたのに、そんな鬼から背を向けるなんて・・・人並みの幸せを掴むなんて、できないと。必ず、私から大切な人を奪った鬼を葬ると、決意したんです」

 

 何も言えない。

 しのぶは、暁歩と同じ程度の歳であるにもかかわらず、背負うものも、胸にある決意の強さも、全然違う。そして自分以上に苦しんでいる事実に暁歩は打ちのめされ、同時に心の中にふつふつと悲しみと怒りが湧き上がってくるのを感じる。

 

「・・・あなたが祈りを捧げてくれたことを、私は嬉しく思っています。優しかった私の家族もきっと・・・同じだと思います」

 

 仏壇の方を見て、しのぶはまた微笑みを浮かべる。

 そして、今一度暁歩に向き直る。

 

「顔も名前も知らない誰かを偲ぶ、あなたの気持ちを」

 

 柔らかい笑みだが、しのぶの過去を知った今ではその笑みも見ていて悲しくなってしまう。辛く悲しい過去と優しい表情に、押し潰されそうになる。

 

「・・・話してくださって、ありがとうございます」

 

 言葉が、喉を通って声に出た。

 あれだけの過去を聞かされて、何事もなく今後しのぶと接するなんて、暁歩にはできそうにない。

 だから、自分の思う言葉をかけたい。

 

「・・・家族を喪うことの辛さは、分かるつもりです」

「・・・?」

「同列に語るのもおこがましいですが、自分の両親も鬼に殺されました。その時の悲しさや辛さは忘れられませんし、この先一生消えることもないと思います」

 

 しのぶと違い、暁歩に兄弟姉妹はいない。

 だが、親は鬼に喰われた。それも自分がいないところで鬼に喰われ、朝になって両親は死んだと知らされた。目の前で殺されるのとはまた違う、悔しさも込められた悲しさがある。

 

「けれど、胡蝶様の背負っているものは、自分なんかとは比べ物にならないと、話を聞いて思いました」

 

 最愛の両親を目の前で喪い、新しい決意を胸に戦う中で唯一の肉親の姉まで喪う。それはとても、苦しいだろう、悲しいだろう、辛いだろうと分かる。いや、その程度の言葉でまとめられないほどだ。

 そんなしのぶに対して暁歩は、自分が何か慰めの言葉をかけたところで何の意味も持たないことは分かっている。そんな言葉など、しのぶはこれまでたくさん聞いてきたはずだ。そして時として、そういう言葉は逆に傷つけてしまう。

 だから今言うべきことは、慰めとは少し違う言葉だ。

 

「でも、悔しさや悲しさを知っているからこそ、支えて力になり、寄り添うことはできます」

 

 しのぶの表情が、瞬きを交えてわずかに変わる。暁歩のその言葉を、意外に思ったようだ。

 

「胡蝶様は鬼殺隊の柱で、この屋敷の主で・・・一人で多くのものを抱えてきたことかと思います。そしてそんな立場だからこそ・・・吐き出せない気持ちや本音があるのかもしれない」

 

 暁歩は、正座する自分の腿の上に置かれた手を、強く握る。

 

「だから、ここに来て日も浅い自分が言うのも何ですが、何か悲しい気持ちや辛い思いがあるようでしたら、自分が聞いて受け止め、支えます」

 

 しのぶから、微笑が消える。

 それは意表を突かれたから思わず、と言った形らしい。失意や落胆とはまた違う。

 

「どうか・・・頼ってください」

 

 目を閉じて、頭を下げる。

 その暁歩の姿勢、そして言葉に、しのぶは昔自分が聞いた言葉を思い出す。

 

 ―――重い荷に苦しんでいる人がいたら半分背負い、悩んでいる人がいれば一緒に考え、悲しんでいる人がいたらその心に寄り添ってあげなさい

 

 しのぶの父の言葉。よく、そう言っていた。姉のカナエもその意思を汲んで、しのぶや多くの人に告げていた。

 その言葉を初めて聞いた時、しのぶは『うん』と頷いた記憶がある。優しい父の言葉だから、そして自分もそうありたいと思ったから、その言葉は今日まで忘れていない。カナエも同じだったからこそ、アオイたちを引き取り、その悲しみに寄り添い本当の家族のように接してきた。

 けれど、しのぶ自身はどうだろう。アオイやカナヲ、きよたちなど誰かの悲しみに寄り添うことはあっても、自分の悲しみに誰かが寄り添ってくれたことはない気がする。いや、誰かがそう思うことはあっただろうが、暁歩のように言葉で表してくれたことは、なかったはずだ。

 

「・・・ありがとう」

 

 だからこそ、その言葉はしのぶの心に響いた。

 過去を語り、自分の中で渦巻き始めた蟠りが、払われていくような感覚。

 

「あなたのその気持ちと言葉・・・とても嬉しく思います。そうした言葉をかけられたり、誰かを頼ることがとんとなくて」

 

 声に悲しみや怒りは帯びていない。けれど語調は優しいままで、暁歩に話しかけてくれる。

 

「・・・そうですね」

「?」

「あなたがよろしければ、少し頼らせてもらおうかなと思います」

 

 その時浮かべた笑みは、暁歩が妙な『予感』を抱いていたものとはまた違う、優しい笑顔。

 その笑みを見た途端に、暁歩の鼓動が高鳴り、顔が熱くなってくる。

 けれど、それがしのぶの素の笑顔なのではないかと暁歩は思った。

 

「・・・少し、違う笑顔ですね。さっきとは」

 

 湧き上がる謎の照れ臭さに背を向けるように伝えると、しのぶは困ったような笑みを浮かべる。

 

「・・・姉は、私の笑ってる顔が大好きだと言ってくれましたから・・・その遺志を無駄にしないように、ずっと笑顔でいようとしていました」

 

 暁歩は、初めて出会った時からしのぶに・・・しのぶの微笑みに感じていた『嫌な予感』の正体に、ようやく気付けた。

 しのぶの微笑みは、本心からのものではなく作ったものだと。

 

「けれどこれからは・・・」

 

 しのぶは自らの胸に手を置き、暁歩のことを見る。

 

「・・・少し、本当の自分を出せそうです」

 

 本当の自分を押し殺したまま過ごすなんて、息が詰まるようだ。しのぶはどれだけ辛くても、姉が好きだと言っていた微笑みを浮かべて自分の気持ちを隠し通していた。だから、少しずつでもしのぶが素の自分でいられるようになるのなら、それはとても喜ばしい。

 少し、暁歩は安心した。

 

「さて、それではそろそろ戻りましょうか」

「あ、はい」

 

 壁に掛けられた時計を見上げて、しのぶが言う。

 話し込んでいて、少し時間が経ってしまっていた。暁歩も断りを入れたとはいえ、そろそろ戻らなければならないだろう。しのぶにも自分のやるべきことはある。

 

「ああ、ところで」

 

 立ち上がり、居間を出ようとしたところで、しのぶが暁歩を振り返る。

 

「ここで暮らしている身ですから、私のことは名前で呼んでくださって構いませんよ?」

「はい?」

「私は、この屋敷にいるカナヲやアオイたちのことを本当の家族のように思っていますから。苗字で呼ぶのは他人行儀な気がしますし」

 

 ふと思い出すのは、ここへ来た初日にきよたちから名前で呼ばれたことだ。人懐っこい性格だから自分のことを名前で呼んでいたのだろうと思ったが、あの時から三人は暁歩のことを新しい家族と思ってくれていたのだ。

 

「だからアオイたちのことも、私のことも、名前でお願いしますね。()()()()?」

 

 笑って、試すようにそう呼ぶしのぶ。

 それで暁歩も、踏ん切りがついた。

 しのぶの顔を見て、できる限りの笑みを浮かべて伝える。

 

「・・・こちらこそ、よろしくお願いします。()()()()()

「はい」

 

 満足したのか、頷いてしのぶは笑う。

 そうして仏間を後にすると、きよが駆け寄ってきた。

 

「あ、暁歩さん!脚の骨を折った方の包帯を巻き直すので、手伝ってもらいたいのですが・・・」

「分かりました」

 

 暁歩は頷いて、きよに続き病床へと向かう。

 しのぶは、そんな暁歩の後ろ姿を見届けてから自分の部屋へと戻っていった。

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