蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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後編:覚悟

 ややひんやりとした訓練場で、暁歩としのぶは対峙する。手には木刀が握られ、着ているのは漆黒の詰襟―――鬼殺隊の隊服だ。

 久方ぶりに隊服に袖を通してまですることはただ一つ、手合わせだった。

 

「・・・それでは、始めましょう」

「はい」

 

 しのぶが木刀を構えて切り出すと、暁歩も剣先をしのぶへ向ける。今だけは、相手が最愛の人ではなく、同じ元鬼殺隊の隊士だと自分に言い聞かせる。その心に迷いはなく、その目に怯えや畏怖もない。

 だが、ほんの一瞬で、しのぶは距離を詰めてきた。

 

(速い・・・けど・・・)

 

―――蟲の呼吸・蜂牙ノ舞

―――真靡き

 

 事前に言った通り呼吸法を使い、暁歩の喉元を突こうとしてくる。

 しかし暁歩は、距離を詰めてくる直前で攻撃の予感を得て、しのぶの木刀と垂直に自らの木刀を打ち込み、攻撃を()()()()()()()

 さらに暁歩は、その勢いのままに身体を捻ってしのぶの横に踏み込み、木刀を横に薙ぐ。それをしのぶは身軽に跳んで躱し、再び暁歩と向かいあう形になる。

 今度は、暁歩が呼吸を整えて攻撃を仕掛けた。

 

―――樹の呼吸・参ノ型

―――樅葉尖突

 

 自らの使う技の中でも最速の突き技で、しのぶに肉薄する。

 その動きをしのぶは見切り、横に避けるだけでなく、暁歩の脇腹に木刀を打ち込む。手加減したのか、それとも元々力がない故か、暁歩はさほど痛みを感じはしなかった。だが、攻撃を受けて勢いが落ち、暁歩は一先ず地に足を付けてしのぶの方を向く。

 だが、次の動きはしのぶの方が早かった。

 

―――蟲の呼吸・蜻蛉ノ舞

―――複眼六角(ふくがんろっかく)

 

 気付いたと同時に、木刀で何度も自分の胸の辺りを突かれる感覚に襲われる。前に聞いた話では、この連撃で確実に致死量の毒を鬼に打ち込むらしい。

 それはともかく、しのぶは刀を振るう力はあまりないものの、突きに関しては非常に力が強くまた速いため、攻撃を喰らった暁歩は口から空気が洩れるような声を出してしまう。意識まで手放しそうになるが、それを頭を振ってどうにか()()()()()()、体勢を立て直す。けれど、身体はズキズキと痛んだ。

 

「降参しますか?」

「いえ・・・まだです」

 

 しのぶに問われても、暁歩は首を横に振る。それは決して強がりではない。

 そして暁歩は、脚に力を籠めて一気に前へと駆けだす。

 

―――樹の呼吸・肆ノ型

―――落葉一閃

 

 『樅葉尖突』より速度は劣るが、攻撃範囲はこちらの方が広い。一気に距離を詰めて木刀を振るが、やはりしのぶは軽い身のこなしで上に跳び躱す。

 しかし暁歩は、踏み込んだ左脚を軸にして身体を回し、勢いを殺さずに、着地したしのぶに攻撃を仕掛ける。それは向こうにとっても想定外だったらしく、攻撃を防ぐ動作に若干の焦りが見えた。

 

「っ・・・」

 

 しのぶも木刀で防ぎ、鍔迫り合いが起きる。

 しかし、お互いほぼ同じ拍子に後ろへ下がり、一度距離を取る。

 

―――蟲の呼吸・蝶ノ舞

 

 先に呼吸を整えたのはしのぶ。だが、暁歩もまた木刀を構えつつ呼吸を整える。

 

―――樹の呼吸・玖ノ型

 

 さらに下半身に力を籠め、すぐに動けるように準備する。

 そして、しのぶの姿がほんのわずかに揺れた瞬間、暁歩も同時に前へ踏み出す。

 

―――戯れ

―――桜樹繚乱

 

 次の瞬間には、しのぶのいた場所に暁歩が、暁歩がいた場所にしのぶがそれぞれ立っていた。

 

「つっ・・・」

 

 だが、暁歩は手に痛みを覚え、木刀を手放してしまう。軽い木の音が訓練場に響いた。

 しのぶの『戯れ』は、本来目に見えない速さで相手に肉薄し、身体の至る所に毒を打ち込む技だ。今回は木刀なので毒はないにしろ、ただ身体を強く打たれるだけでも十分痛い。

 

「ここまで、ですね」

 

 振り返りながら、しのぶがそう告げる。

 しのぶは木刀を手放してはいなかったが、木刀を握る右の手を軽く擦っていた。『戯れ』と似た技である暁歩の『桜樹繚乱』が、ほんのわずかに()()()()()()()()()らしい。

 それを見た暁歩は、悲痛な表情を浮かべる。痛い思いをさせてしまったから、だけではない。

 

「・・・やはり、以前ほどの強さは無いですね・・・」

「それは仕方がありません。私の傷は相当に深かったのですから・・・」

 

 暁歩がしのぶと手合わせをするのは、今回が初めてではなかった。元々暁歩もしのぶも、鬼殺の剣士として身に付けた技術は衰えさせないように、鍛錬は続けている。手合わせはその一環だ。

 だが、自他ともにしのぶの強さは全盛期よりも落ちていると認識している。先の手合わせでも、暁歩はしのぶの攻撃を躱し、耐え、さらには攻撃まで掠めてしまった。本来の強さを持つしのぶ相手なら、絶対そうはならなかったと暁歩は思っている。最初の『真靡き』も避けられず、床に背をつけていただろう。

 そうならなかったのは、しのぶ自身の言う通り、無限城で受けた傷が深すぎたからだ。外傷は完治し、藤の花の毒も解毒は終わっている。けれどやはり、胸に受けた傷が肺を傷つけるほどに深すぎたせいで、力が完全には戻らないでいる。

 自らが治療に当たっていたからこそ、暁歩はしのぶの強さを元通りにできないのが悔しい。

 

「気に病まないでください」

 

 そんな暁歩の中の後悔を見透かすように、しのぶが声を掛ける。

 

「私は今、こうして命が繋がっているだけで十分ですから」

「・・・ですが」

 

 そう言われると、何も言い返せない。実際に死の淵に立っていたしのぶの言葉は、どうしても重みが全く違う。

 だが、それとは別の悔しさが、暁歩にはあった。

 

「・・・あなたの幸せを守りたい、なんて言ってもこれでは・・・」

 

 暁歩が自ら告げた決意。蝶屋敷で暮らす皆が穏やかに暮らせることが、しのぶの幸せの一つであり、暁歩はそれを守ると告げた。そのために何ができるかと考えて、最初に思い浮かんだのが、こうして鍛錬を続けて力をつけようということだ。

 しかしながら、全力を出し切れないしのぶ相手にも後れを取るようでは、それも険しい道だろう。

 自分の力量不足を目の当たりにして、唇を噛む暁歩。

 

「今の私の力は、せいぜい前の七割と言ったところでしょうか・・・。それでも暁歩さんは、大きな後れを取ることなく戦えたと私は思いますよ」

「・・・・・・」

「十分、力はついてきています」

 

 しのぶは褒めてくれるが、それでも暁歩は自分の力がまだ足りないと分かっている。暁歩は決して調子に乗る性質ではないから、ただ弱さを自覚するしかない。自分の手の痛みがぶり返してきて、思わず自分の手をさする。

 

「あぁ、ごめんなさい。やっぱり痛かったですよね」

 

 すると、しのぶがその暁歩の痛む右手を包み込むように握ってきた。そして、まるで労わるかのように優しく撫でる。

 

「気負い過ぎることもありませんよ。流石に以前ほどではありませんが、まだ私の腕も落ちてはいませんし」

「・・・・・・」

「あなたに任せきり、頼りきりでもいけないと思っていますから」

 

 暁歩と視線を合わせるしのぶ。

 しのぶだって、暁歩と話をして心が楽になっているのは確かだが、それで全てを支えてもらおうとは思っていない。頼りにすることはあっても、ただ自分だけが甘えるだけであってはならない。しのぶ自身の幸せを守るためには、もちろん自分もそうならないように努める必要があるから。

 

「それでも、俺は頑張りますよ」

「・・・はい」

 

 ただ、そうは言われても暁歩は努力を止める気はなかった。その意志を込めて、暁歩は自らの手をさするしのぶの手に、自分の手を重ねる。

 

「こほん」

 

 そこへ、第三者の咳払いが入り込んでくる。それも、随分とわざとらしいものだ。

 暁歩としのぶが出所を見ると、訓練場の入り口にアオイが立っていた。その表情が訝しげなのは、客観的に見て暁歩としのぶの今の状況が、逢引きしているようにしか見えないからだろう。

 

「お邪魔なら出直しますが?」

「・・・すみません」

 

 不服そうなアオイの言葉に、暁歩は平謝りする。手はとっくに離していた。

 以前のことから、暁歩としのぶが親密な仲にあることはアオイも知っているので、その場では責めずに溜息を吐くに留めた。

 

「・・・皆さんいらっしゃいましたよ」

「あら。それでは行きましょうか」

「はい」

 

 来客の報告を聞き、暁歩は手早く木刀を片付けつつ軽く汗を拭き、しのぶ、アオイと共に訓練場を後にする。アオイによれば、客人は既に客間に通しており、今はカナヲやきよたちが話し相手になってくれているらしい。きよたちも、久しぶりに会う客人なのでとても嬉しがっていたようだ。

 

「こんにちは」

 

 客間に顔を見せると、先に待っていた客人たちが振り向いた。

 

「お久しぶりです。しのぶさん、暁歩さん」

 

 二人を見上げて挨拶をするのは、炭治郎だ。隣に座る禰豆子と善逸もぺこりと頭を下げる。向かい側に座る伊之助は、アオイたちが出した饅頭に夢中で見向きもしない。

 

「意外と早いお着きでしたね」

「伊之助の奴が滅茶苦茶急かしたんですよ。まったく、禰豆子ちゃんもいるってのに・・・」

「まぁまぁ。私も山育ちで軟じゃありませんから」

「ホント?禰豆子ちゃんがいいならそれでいいんだけど、俺はもし禰豆子ちゃんがうっかり怪我でもしちゃったらって思うと心配だったんだよ~!」

 

 ぶつぶつ文句を言う善逸だが、禰豆子が笑って何でもないように振舞うと、コロッと態度が変わってデレデレとしたにやけ顔になる。

 それにしても、以前カナヲとアオイが炭治郎たちの下へ向かった際、到着したのは夕方と聞いていたので、彼らもまた同じぐらいかと思った。しかし、伊之助のおかげで、夕方と言うには早い時間帯の今に到着できたらしい。

 

「アオイ、もっと饅頭もってこい!」

「駄目です、夕飯が入らなくなりますから!」

 

 その伊之助は、炭治郎たちの分の饅頭もすべて平らげ、さらにお替りを要求してきた。しかし、夕食前にあまり多く食べるのもよろしくないので、アオイの言う通りここは我慢してもらうことにした。

 すると伊之助は、強引にせがむことなく、大人しく引いた。この屋敷で治療をしていた頃も、アオイは厳しかったものだから頭が上がらないらしい。

 

「皆さんお変わりないようで」

「暁歩さんたちも元気そうで・・・よかったです」

 

 暁歩が呟くと、炭治郎も嬉しそうにそう返してくれる。彼は彼で、カナヲやきよたちと話をしていたらしい。

 

 今こうして炭治郎たちがいるのは、暁歩が彼らを招待したからだ。

 カナヲとアオイが炭治郎たちの家から戻った後、暁歩もまた炭治郎たちと手紙のやり取りを何度か交わした。その中で炭治郎が、久々に蝶屋敷へ行ってみたいという旨の手紙を送ってきたので、それならばと招待するに至ったのだ。無論、屋敷の主であるしのぶや同じく暮らすカナヲたちにも話をし、賛成を貰った上である。

 彼らが来ると決まって特に喜んだのは、きよ、すみ、なほの三人だ。炭治郎たちが蝶屋敷の世話になっていた頃は、修行の手伝いなどで接点が多く、特に炭治郎のことは兄のように慕っていた。屋敷を訪れた隊士の中でもとりわけ仲が良かった彼らの来訪は、とても嬉しいのだろう。

 そして、面にはそこまで出していないが、暁歩としのぶも同様に炭治郎たちが来たことは嬉しかった。二人にとっても彼らの存在は大きなもので、それぞれの考えや在り方に影響を及ぼした。それを差し引いても、親交が深いのに変わりはなかったので、またこうして元気な姿を見ることができて嬉しい。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 落ち着いたところで、念のために炭治郎と禰豆子の体調を、それぞれ暁歩としのぶが診ることになった。というのも、炭治郎は鬼舞辻無惨と直接戦い、大きな怪我を負っていた。禰豆子も人間に戻ったとはいえ、かつては鬼だったからこそ、身体に不安なところがあるからだ。

 

「炭治郎さんたちの家からウチまで大分あったと思いますが、大丈夫でしたか?」

「はい。これでも鬼殺隊で鍛えてましたから」

 

 診察の傍ら、緊張をほぐす意味もあって暁歩は炭治郎と軽く話をする。伊之助が急かしたとはいえ、炭治郎も元鬼殺隊の一員。長距離を歩いて移動するぐらいはわけもないらしい。

 

「・・・身体は、大丈夫そうですね」

「ありがとうございます」

 

 一通りの診察は終わった。

 失った右目や片腕など、特にひどい部分は暁歩の胸を痛ませたが、そこには言及できない。炭治郎本人が現状を受け入れているので、蒸し返すのも悪い気がした。

 それから診察の器具を片付け終えると、そのまま流れで軽く雑談をすることになった。

 

「暁歩さん、蝶屋敷に残ることになったんですね」

「ええ。しのぶさんがここを民間の診療所にするつもりですので、俺はそこで医者を、と」

「へぇ~。でも、俺は良いと思いますよ!暁歩さんもしのぶさんも、怪我の治療はとても上手でしたし」

 

 手紙で近況は報告していたし、暁歩も蝶屋敷に残っているという話はしていた。それでも、こうして面と向かって話をするのは、再会したからこそできることである。

 

「じゃあ、今も薬は作っているんですか?」

「はい。前ほどではないですけど・・・いつ何が起きるか分かりませんし、技術は落としたくないですから」

 

 人間とは難儀なもので、何の前触れもなく腹痛や頭痛などの病に侵されることが多々ある。それが自然に治まるに越したことはないが、そうならなかった場合に備えて薬は作っていた。それに、調剤は暁歩にとっての特殊技術の一つだからこそ、衰えさせたくはない。

 

「ところで・・・どうして隊服を着てるんですか?」

「あぁ、これは先刻までしのぶさんと手合わせをしていたんですよ」

 

 鬼殺隊が解隊されてもなお、暁歩が隊服を着ているのは不思議に見えたらしい。思えば、カナヲもアオイも隊服ではなく普段の服装だった。

 だが、手合わせしていたと聞いて炭治郎はぽかんとしていた。相手は元柱だし、ましてや鬼殺隊も解隊されたのだから。

 

「手合わせって・・・」

「俺から頼んだんですよ・・・強くなりたいから」

 

 幸せを守れるように、強くありたい。そのために自分の心と身体を鍛えていきたい。そのために自分から志願したことだ。例え、相手が力が落ちているとはいえ元柱であっても、無茶だと分かっていても、それだけは譲れない。

 その暁歩の言葉に、何か重みを感じたのか、炭治郎はそれ以上追究しようとはしなかった。

 

「あ、しのぶさんと言えばなんですけど・・・」

「?」

「暁歩さん、しのぶさんとお付き合いを始めたって本当ですか?」

「は?」

 

 だが、代わりとばかりに持ち出した炭治郎の質問に、暁歩の目が点になる。

 そして同時に、冷静に、これまでの炭治郎との手紙のやり取りを思い出す。言葉で話したことはもちろん、記憶している限りでは、炭治郎との手紙でそのことを書いた覚えはない。本来なら、炭治郎が暁歩としのぶのあれこれを知っているはずはないのだ。

 

「・・・あの、言いましたっけ。そのこと・・・」

「前にカナヲとアオイさんがウチに来た時、カナヲが話してくれたんですよ」

(カナヲさん・・・)

 

 無限城の最終決戦以降、感情豊かになってきたカナヲだが、ホイホイ他人に言っていいことと悪いことの区別は未だできていないらしい。自分たちの関係が気付かれるのは同居している以上仕方ないとはいえ、できればそれはあまり口外しないでほしかった。

 

「・・・まぁ、知っているのであれば隠しはしません。その通りです」

「わぁ、やっぱりそうだったんですかぁ~」

 

 認めざるを得ず肩を竦めると、炭治郎は心底嬉しそうに表情を綻ばせた。無邪気な視線を向けてくるのが、逆に辛い。

 

「でも、何だか納得しました」

「納得?」

「俺がここの世話になっていた頃、しのぶさんと話してる暁歩さんから、何だか優しい匂いがしてたんです。何と言うか、心が温まるというか・・・」

「・・・・・・」

 

 そう言えば炭治郎は、感情の起伏さえも嗅ぎ取れるほど嗅覚が優れていた。それに暁歩も、炭治郎が蝶屋敷の世話になっていた頃と言えば、しのぶと接しているだけで自分の中の慕情が自己主張をしていた頃でもある。それが炭治郎の言う『優しく心の温まるような匂い』の正体だとすれば、恥ずかしいことこの上ない。自分の恋愛感情が知らないうちに他人に知られていたなど、頭を抱えたくなる。

 

「でも、俺はいいと思いますよ。暁歩さんは穏やかな感じですし、しのぶさんの雰囲気とも合ってるんじゃないかなって」

「・・・・・・」

 

 さらに炭治郎が客観的な感想を言ってくれる。それが逆に、暁歩の心に割と深刻な恥を植え付けているとは塵芥ほども気づかず。曇りのない無垢な目で。

 

「・・・ところで、炭治郎くん」

「はい?」

 

 そこで暁歩は、良く言えば照れ隠し、悪く言えば仕返しを炭治郎に仕掛けることにした。もちろん、傷つけるつもりはない。

 

「カナヲさんとはどうなんですか?」

「はい!?」

 

 案の定、炭治郎は動揺した。ご丁寧に顔も真っ赤に染まっている。どうやら、彼と近しい禰豆子や善逸やにもそのことは言及されていないらしく、指摘されたのは初めてのようだ。

 

「どう、って言われても・・・」

「いえ、以前の戦いの後でですけどね。カナヲさんと親し気な炭治郎くんを見たんですよね。何だか前よりも近しいように見えまして、もしや付き合っているのでは?と思ったんですよ」

「・・・・・・」

 

 手紙には書かないでいた二人の印象を明かすと、面白いほどに炭治郎は縮こまる。

 そして、否定しようとしない。案の定、二人の関係については睨んだ通りらしい。唇が思わず緩む。

 

「まぁ、もしそうなら、お互い相手は大切にしましょう」

「・・・はい、もちろんです」

 

 揶揄うのもほどほどに、暁歩は炭治郎にそう告げる。

 炭治郎がどんな人となりをしているかは、屋敷の世話になっていた頃に見てきた暁歩も分かっているつもりだ。だから、想い人のカナヲに悲しい思いはさせないだろうと、ある種信頼を寄せている。それは当然、暁歩がしのぶに同じようなことをしないという決意も同じだ。

 その暁歩の言葉で、恥ずかしさも幾分か引いたのか、炭治郎は暁歩へと目を向ける。

 

「もしかしたら、暁歩さんたちのことを参考にさせてもらうかもしれませんね」

「それは止めてくれ」

 

 思わず素の口調で、炭治郎の言葉を封じる。暁歩としのぶの関係は、互いの過去や心情、さらに進展段階も含めて誰かの参考になるとは言い難い。

 それに炭治郎とカナヲも、誰かを参考にせずとも自然と穏やかで清い交際はできるだろうと思っている。なので、その意思を敬語を伴わない強い意思で告げさせてもらった。炭治郎は『そうですか・・・』とやや残念そうだったが。

 

◆ ◆

 

 時をほぼ同じくして、しのぶも禰豆子の身体を診終えた。鬼であった時は、至る所に傷を負い、時には四肢を斬られることもあったが、今となってはそんな傷痕も全くない。

 

「はい、大丈夫ですよ。特に異常はありません」

「ありがとうございます・・・」

 

 診察を終えると、禰豆子はしのぶに頭を下げる。

 前に炭治郎から聞いた話では、家族が存命だった頃は炭治郎と一緒に家族を支える良くできた妹で、町で評判の美人だったとのことだ。善逸がぞっこんになるのも、同じ女であるしのぶでも分かる気がする。

 だからこそ、そんな禰豆子が鬼になってしまったことが残念だし、こうして今は元の人間に戻れたことが嬉しく思う。

 

「・・・どうかしました?」

「・・・いえ、何でもないですよ」

 

 そんな風に、目の前にいる禰豆子に哀憐の情を抱きぼーっとしているのを見透かされたが、しのぶは笑って首を横に振る。

 

「けれど、安心しました。こうして人に戻って、身体の方も異常がないようで」

「それは兄からも言われました。それと・・・善逸さんからも」

 

 あの二人なら当たり前かな、としのぶは頭の隅で思う。炭治郎は兄として、善逸は想い人として。方向性は違うけれど、きっと禰豆子に対する愛情の深さは二人とも同じなのだろう。

 しかしふと気になったのが、禰豆子が善逸の名を告げる時、微妙に照れが混じったように見えたことだ。

 

「善逸くんのこと、悪く思っていないんでしょう?」

「それは・・・もちろんです。鬼だった頃の記憶は私の中では朧気ですが、それでも不思議と、善逸さんのことはよく覚えていました」

 

 夜には時折自分を連れ出して花畑に連れて行ってくれたり、自分が窮地に陥った時は守ろうとしてくれたり、いつも禰豆子の身を案じてくれていた。時折臆病なところを見せてはいたけれど、結果としてその禰豆子を思っての行動の記憶は、人間に戻ってからも引き継がれた。

 

「それで、私は善逸さんのこと・・・」

 

 その先は、言わずともしのぶには理解できた。それはしのぶ自身、禰豆子と似たような、あるいはその先に立っているような感じだからこそ分かる。自然と微笑ましい気持ちになった。

 しかし同時に思うのは、禰豆子の家族は炭治郎を除けば、皆この世を去っていることだ。そこに関しては、しのぶも思うところがある。自分もまた家族を鬼によって喪っている身であるから、悲しさは分かるつもりだ。

 けれど禰豆子には、炭治郎という実の兄がまだいる。それは、姉さえも喪ったしのぶとは違った。それについては、同情してほしいわけではなく、羨んでもいないから、口にはしない。

 

「・・・本当に、良かったですね。戻ることができて」

「・・・はい」

 

 だから言うべきは、今の禰豆子が幸せそうでいるのを祝う言葉。

 禰豆子は、疑う余地もなくにこっと笑ってくれた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 暁歩としのぶが、それぞれが診察した結果を報告し合い、その後少し時間が経ってから夕食の時間となった。

 蝶屋敷の面々と炭治郎たちが改めて一堂に会すると、食卓はどうしても手狭になってしまう。そのため、夕食は居間で摂ることとなった。

 

『いただきまーす』

 

 食卓の上にはてんぷら、山菜のおひたしや煮物、焼き魚と種類に富んだ料理が並んでいる。炭治郎たちが来るということで、少々奮発したものだ。

 

「炭治郎さんがタラの芽が好きって聞いたので、採ってきました!」

「ありがとう、すごく嬉しいよ~」

 

 きよたちが自分のために好物を採ってきてくれたことに、炭治郎は嬉しそうにお礼を伝える。そんな彼は片腕が使えないため、隣に座るカナヲに手を貸してもらう形で食事を楽しんでいた。

 

「すみません、何かお手伝いできればよかったのですが・・・」

「いえ、禰豆子さんたちはお客ですし、お疲れでしょうから気にしないでください」

 

 ただ、禰豆子は自分たちがもてなされるだけの状況に慣れていないらしい。とはいえ、皆を招待したのは蝶屋敷側なので、暁歩たちも禰豆子たちに手伝いを求めるわけにはいかなかった。根が素直な禰豆子は、暁歩がやんわりと厚意だけ受け取っても未だ納得できないようだが。

 

「まぁまぁ、禰豆子ちゃん。皆は禰豆子ちゃんのこと気遣ってくれたんだし、ここは甘えさせてもらおうよ」

「・・・そうですね」

 

 そこで善逸が肩をそっと撫でながら笑みを浮かべて告げると、禰豆子は笑みを浮かべて暁歩に頭を下げる。そして『この煮物美味しいよ!』と善逸が勧めると、それ以上の楽しそうな笑みを浮かべた。しのぶから聞いていたが、二人の仲も良好らしい。

 

「箸を使ってって言ったでしょう!」

「うるせぇ、こっちの方が食いやすいんだよ!」

 

 その二人の反対側では、素手でもりもり料理を食べる伊之助と、それにお冠なアオイ。自ら進んで伊之助の隣に座ったアオイの意図に、今更ながら暁歩は気づいた。

 しかし、言い合いをするアオイと伊之助からは剣呑な雰囲気は不思議なことに全くなく、ただただ『仲が良い』という印象しか感じない。『喧嘩するほど仲が良い』という言葉がよく似合う。

 それはさておき、ボロボロとこぼしながら食事をするのはさすがに看過できなかったのか、暁歩の隣に座るしのぶが無言で伊之助に笑みを向ける。その笑みから怒気を感じ取ったらしく、伊之助の食べる速度が少し遅くなった。隣の暁歩も怒気を感じ取り、お椀を持つ手が震える。

 

「アオイ、お替り」

「もうですか?」

 

 すると、早々にご飯を食べ終えた伊之助がアオイに茶碗を突き出す。アオイは呆れた様子で茶碗を受け取るが。

 

「しょうがねぇだろ。お前の作る飯がうめぇんだからよ」

「・・・・・・」

 

 同時に伊之助から言われた言葉に、アオイの顔が林檎のように赤く染まる。そして、せっせとお櫃からご飯を茶碗によそい、伊之助に無言で突き返す。どう見ても照れているのは明らかだ。

 しかし当の伊之助は、自分の発言がどれほど重いものかなど気付かず、『うめぇ!』と食事を続けている。対照的にアオイは、先の発言が嬉しいやら恥ずかしいやらで、もそもそと静かに食事を再開した。

 

(罪な子ですねぇ、伊之助くんも)

(絶対無自覚でしょうね・・・)

 

 その一部始終を正面から見ていたしのぶが、そっと暁歩に耳打ちする。ああも無自覚に、女性が意識せざるを得ないような発言をするとは。しかも伊之助自身、その言葉が異性に向けるとどれだけの威力があるのか全く分かっていないのが、伊之助のたらしぶりに拍車をかけていた。

 

(まぁ、あんなアオイさんを見るのは初めてですし、面白くはありますが)

(それは言えてますね)

 

 そこでぽろっと呟いた暁歩の言葉にしのぶは頷きはしたが、アオイにも聞こえていたらしく、鋭い視線を暁歩に向けた。それでも、暁歩は素知らぬ顔で食事を続ける。自分の面の皮も厚くなったものだと思う。ただ、アオイもそれで少し気分が楽になったらしく、小さく息を吐いた。

 

「って言うか伊之助、お前食いすぎ!いくらアオイちゃんのご飯が美味しいからって、皆のこと考えろよ!」

「いいですよ、伊之助さんが多めに食べることは分かってましたので、まだ余裕はありますから」

 

 そこで善逸が伊之助に注意するが、アオイは首を横に振る。

 すると今度は、伊之助がそのアオイの言葉に中てられたのか、『ほわほわ・・・』と虚ろに口走る。

 

「・・・とんでもねぇ二人だよ、まったく」

 

 そんな二人の様子に、呆れたように善逸がボソッと告げる。

 ああして、お互い意識せずに妙な雰囲気になってしまうのは、どうやら今回が初めてではないらしい。それを聞いて、暁歩も苦笑する。一見反りが合わないような二人が見せる仲の良さそうな一幕は、実に愉快なものだ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 時間が流れて、夜。

 調剤室で資料を読みふけっていた暁歩は、そろそろ床に就こうかと思い部屋を出ると、廊下の角にしのぶが立っているのに気付いた。それも、何かの様子を窺うかのように、突き当りの先に視線を向けている。

 

「?」

 

 あまり音を立ててはならない感じは伝わって来たので、足音を潜めて静かにしのぶの方へと近づく。するとしのぶは、暁歩の気配を察知したのか振り返り、口元に人差し指を当てて、静かにするようにと無言で伝える。頷きつつ、暁歩も何が起きているのか気になったので、しのぶと同じように彼女が見ていた方を窺う。

 

「へぇ~、夕飯のタラの芽、カナヲも採ってきてくれたんだ」

「うん・・・アオイが採り方を教えてくれた」

 

 見れば、月がよく見える縁側に、炭治郎とカナヲが並んで腰かけて、穏やかに談笑していた。しのぶはその様を気付かれないように、静かに見守っていたらしい。妹のように大切に思っているカナヲの恋の行方を知りたいのは、家族であり、同時にしのぶが年頃の女性だからだろうか。

 真意は分からないが、暁歩もあの二人の行く末は気になったので、しのぶと一緒にその様子を見守ることにする。もちろん、炭治郎たちからは見えない位置を保って。

 

「山菜採りに行ったの、初めてだった。だから、皆に教わりながらだったけど・・・」

「そうだったのか・・・でも、どうして今回は行こうと思ったんだ?」

 

 カナヲは、自分から山菜採りや買い出しに行こうとする性格ではなかった。大抵は屋敷で留守番しているか、しのぶやアオイに言われて同行する。だが今回、カナヲは自分から手伝いに行くと言ったのだ。それは初めてのことであり、暁歩自身も驚いた。

 とはいえ、それがどうしてなのかなど、カナヲを近くで見てきたしのぶはもちろん、暁歩も分かっていた。

 

「せっかく炭治郎が来てくれるから・・・好きなもの食べて欲しいなって」

「・・・そっか」

 

 小さく、照れるようなカナヲの言葉に、炭治郎は嬉しかったのか鼻を少し指で掻く。

 

「ありがとう、カナヲ。すごく嬉しいよ」

 

 まるで太陽のように温かい笑みを、炭治郎はカナヲに向ける。

 するとカナヲは、まるでそんな炭治郎に惹かれるかのように、静かにその肩に寄り掛かる。炭治郎も拒みはせず、ほんの少しだけカナヲに身体を預けた。

 その直後、しのぶと暁歩は一端その場を離れる。同時にしのぶは満足げに目を閉じて頷き、暁歩もグッと拳を握る。後は若い二人だけにしてやろうと、その先を見るのは忍びないと、二人で食卓まで移動する。

 

「元々それらしい感じはしてましたけど、今日のでハッキリしましたね」

「えぇ・・・安心しました」

 

 そこで暁歩が話しかけると、しのぶも感慨深そうに頷く。

 無限城の決戦の後、進展していたと思しき行動を見せていた二人だったが、先ほどの様子を見るにそれは間違いではなかったようだ。特にカナヲは、二人にとっても良い方向に変わったので、とても嬉しく思う。

 

「本当に・・・カナヲも変わりました」

「全くですね」

 

 しのぶとカナエが引き取ってから今日に至るまで、とても長い時間が経った。その間、ずっとカナヲを見てきたしのぶにとっては、先のような一人の普通の少女と見紛うことのない有様は、とても安心できるものだ。彼女と接した期間が屋敷でも短いが、それでも冷や冷やさせられることが多かった暁歩も、その気持ちはよく分かる。

 

「・・・では、後はあの二人に任せて、俺たちは休みましょうか」

「・・・そうですね」

 

 暁歩がそう告げると、しのぶも頷き、お互いにそれぞれの部屋へと向かった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 翌朝の朝食の準備は、禰豆子も手伝ってくれた。客人であっても、宿でもないのに食事を任せきりにしてしまうのは、どうも気が進まなかったらしい。

 かと言って、生真面目なアオイも客人に朝食を任せるわけにもいかなかったため、そこで意見の競合が発生。互いに譲歩した結果、副菜の一部を禰豆子が作り、それ以外はアオイが担当することになった。

 その末に、朝食の食卓には禰豆子の作ったおからと味噌汁が配膳されている。

 

「お口に合えばいいんですけど・・・」

「とっても美味しいですよ~」

「そうですね・・・美味しいです」

 

 蝶屋敷の皆に料理を振舞ったことがない禰豆子は少し自信なさげだったが、おからを食べたすみや暁歩たちの反応に、禰豆子も安心したようだ。

 そんな中で予想通りというべき反応を見せる人が約一名。

 

「大丈夫だって!どこで食べても禰豆子ちゃんの料理は天下一品の美味しさだからさ!」

「そう、でしょうか・・・」

「うんうん、自信もっていいんだよ~」

 

 デレデレと緩み切った笑みを隠そうともしない善逸。彼にしてみれば、禰豆子の作る料理にはずれなど、不味いものなどないらしい。禰豆子もずっと言われているだろうに、照れが表情に混じっている。

 

「いやぁ、ここでも禰豆子ちゃんの手料理が食べられるなんて幸せだよ!極楽かな!?」

「善逸さん・・・それは言い過ぎですって・・・」

「いやいやそんなことないって!俺は禰豆子ちゃんの作るごはんが一番好きだから!」

 

 顔を真っ赤にしてまくしたてる善逸に、一層禰豆子は恥ずかしそうに縮こまる。他の面々は、何か言葉を挟むでもなく、最早苦笑するほかない。

 

「紋逸の野郎、炭治郎んトコでもあんな調子なんだよ。おかげでメシに集中できねぇったらありゃしねぇ」

 

 一方の伊之助は容赦ない評価を下す。食事の度に毎回のようにのろけられては、言う通り集中もできないだろう。事実、暁歩たちは中々味の方に意識を向けられなかった。

 

「・・・つくづく、暁歩さんとしのぶ様がああはならなくてよかったと思いますよ」

 

 伊之助のお替りをよそいながら、静かに呟くアオイ。

 それにきよとすみ、なほは同意するように頷いたが、当の暁歩としのぶは肩を竦め、聞こえないふりをすることにする。

 暁歩もしのぶの料理の美味しさは認めているが、善逸のように周りの目も気にせず褒めちぎったりはしていない。ただ、今回の善逸のことで、釘を刺されたことだけは理解できた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 その日、炭治郎とカナヲは街へ、善逸と禰豆子は握り飯を持って散歩へ、伊之助は裏山へ行きアオイはその付き添いと、それぞれが思い思いに過ごす日になった。

 なので、屋敷に残ったしのぶたちは、分担して家事をこなしていくことになる。

 しかしその最中、新たな来客がやって来た。

 

「こんにちは~」

 

 その来訪者の声を聞いて暁歩が玄関へ向かうと、久方ぶりに見る二人組がいた。しのぶと同じく、鬼殺隊の元柱・甘露寺蜜璃と伊黒小芭内だ。

 

「おや、お久しぶりです」

「うん、久しぶり~。お邪魔してもいいかな?」

「大丈夫ですよ。丁度しのぶさんもいますし」

 

 小芭内はともかく、蜜璃は元々ここを訪れることが多かったので、連絡もなく訪れること自体は特に驚きもしない。小芭内がいるのも、蜜璃がいるところに彼がいる、とでも言うべきか、一緒に来たところでさして問題もなかった。

 ただ、しのぶはきよたちと一緒に洗濯中だったので、すぐには呼び出せない。なので、蜜璃と小芭内を客間に通した後で、しのぶの下へ向かい話してみることにした。

 

「あら、お洗濯の途中なんですけど・・・どうしましょうか」

「洗濯は私たちでやっておきますよ」

 

 少し困ったような仕草を取るしのぶだったが、きよたちが洗濯を引き受けてくれた。背の低い彼女たちが干しにくい布団など大きなものはないので、後はきよたちに任せても問題無さそうだ。

 しのぶもそれを理解すると、客間へと向かう。暁歩は、蜜璃たちにお茶を用意するために、一度台所へと向かった。

 

「私が回復した時以来でしょうか?」

「そうだねぇ~。でも、しのぶちゃんが元気になったみたいで良かった!」

「ご心配をおかけしてすみませんね・・・もう大丈夫ですよ」

 

 そして、お茶とお茶菓子を運んでくると、既にしのぶと蜜璃で談笑を交わしているところだった。蜜璃の隣に陣取る小芭内は、こくこくと黙って頷きつつ二人の会話に耳を傾けているらしい。

 そこへ暁歩がお茶を置き、しのぶの隣に座ったところで、小芭内が話しかけてきた。

 

「お前の脚はどうなんだ。前来た時は治っていないようだったが」

「もう大丈夫です。普通に歩けますよ」

「そうか」

 

 暁歩の右脚は、腱が切れて歩くのもままならない時期があった。最後に小芭内たちと会った時もまだ、脚は完全に治っていなかったので、そのことを小芭内は指摘したのだろう。

 そんな彼は、暁歩の答えを聞くと『ふん』と鼻で息を吐く。それが果たして納得から来るものか、あるいは安心から来るものかは分からないが、小芭内の性格からしてきっと前者だろう。

 

「で、鬼殺隊が解隊されても、お前はここに残っているのか」

「ええ・・・俺にとっては、ここが家みたいなものですし」

 

 小芭内に問われると、暁歩の笑みがほんのわずかに暗くなる。そして、しのぶはゆっくりと頷いた。

 暁歩の実家の薬屋は両親が死んでから閉めており、さらに将来的なことを考えて、少し前に既に引き払っていた。誰も住まない家を長年放置するわけにはいかず、かと言って町の知り合いに管理を任せきりにするのも忍びなかった。なので実質、ここは暁歩にとって第二の実家とも言える。

 鬼殺隊には蜜璃やしのぶたちもそうだが、複雑かつ悲しい経緯を背負う隊員が多い。家族を鬼によって喪った暁歩もその一人だが、それを知っているのはこの場ではしのぶだけだ。それでも、蜜璃も小芭内も鬼殺隊の事情は知っていたので、それ以上は深く訊かないことにした。

 

「・・・あっ、そうだしのぶちゃん!気になったんだけどね」

「はい?」

 

 そこで、少し空気が沈みかけたのを持ち直そうとして、蜜璃が別の話題を持ち出そうとする。しのぶが蜜璃の方を向くと、その蜜璃の顔が少し赤らんでいるのに気付いた。

 

「暁歩くんとは、あの後何かあったの?」

 

 無邪気さと、恥じらいを兼ね添えているかのような表情。思えば、前に蜜璃たちが来た時も、しのぶの雰囲気が変わったことに敏く気付き、『もしかして』なんて想像をしていた。実際、今の暁歩としのぶの関係は、蜜璃の『もしかして』の関係であるのだが、友人であり昔の同僚であるが故に、素直に口に出すのも憚られる。

 だが、しのぶが言いあぐねていると、小芭内が色違いの目を暁歩に向ける。

 

「なんだ、一月以上進展していないのか?正直お前には失望したぞ」

「前から思ってたんですけど、伊黒さんはどういう立ち位置なんです?」

 

 糾弾される暁歩だが、小芭内がどの立場でものを言っているのか正直未だに掴めない。隣でしのぶと蜜璃が、暁歩と小芭内の小競り合いに笑いを堪えていることなど気付きもしない。

 それはさておき、小芭内の言葉にも暁歩は少しだけむっとする。たとえ相手が鬼殺隊最強の柱だったとしても、事実に反して自分がその辺りに関してかなり下に見られているような物言いだったから。

 

(どうします?)

(まぁ、言っても大丈夫だとは思いますけどね)

 

 そこで暁歩は、無言でしのぶの方を向き、目線で訊ねる。するとしのぶも、目線で返してきた。先ほどは言うべきかを迷っていたしのぶだが、改めて小芭内から挑発気味に問われると、だんまりを決め込むのも負けな気がした。

 

「・・・そうですね。しのぶさんとは・・・お付き合いをさせていただいてます」

 

 気恥ずかしそうに暁歩が告げると、『きゃーっ』と蜜璃は楽しそうに頬に手を当てる。

 すぐ隣に座るしのぶの顔色を少し窺ってみると、蜜璃の純粋な反応を見て微笑ましいのか、それともやはり恥ずかしさは感じたのか、深い笑みを浮かべている。

 

「おめでとうって言っていいのかな・・・でもよかったね!」

「ありがとうございます・・・」

 

 無邪気に笑って祝ってくれる蜜璃に、しのぶは軽く頭を下げる。蜜璃が陰ながらしのぶのことを心配していたのは暁歩も知っていた。しのぶの中にどす黒い感情が渦巻いているのにも気づいていたからこそ、人並みの幸せ(と暁歩が言っていいのかは分からないが)をしのぶが掴めたことが嬉しいようだ。

 その一方、小芭内はまさに意表を突かれたように、目をほんの少し見開いて暁歩を見ていた。

 

「それなりの度胸はあったわけか」

「それ、褒めてるんですか?」

「褒めてはいないが驚きはした。胡蝶とそういう仲になる輩などいないものと思ったからな」

 

 小芭内は以前、暁歩としのぶがそれなりに仲が良さそうとは思っていたが、男女の仲とまでは考えていなかった。それは、鬼殺隊最強である柱は、強さはもちろん、背負う覚悟や誇りなども含め、一隊員とは住む世界が違うからだ。

 恋愛関係というものは相手の心の奥深くまで知る必要がある。故に、普通の隊員が柱の内面を全て受け止めきれるとは、小芭内も思っていない。以前の柱稽古の最中、休憩時間に男の隊士たちが脳内彼女を作っているなんて話をちらっと耳にし、しのぶや蜜璃を相手に設定していると聞いた時は、なんと愚かなものかと思った。

 だから、特殊な事情があって蝶屋敷の薬剤師を務めているのは知っていても、結局は柱ほどの強靭な身体や心を持たない(と思っている)暁歩が、こうしてしのぶとそういう関係になったことが驚きだった。

 

「暁歩くん、ちょっといい?」

「?分かりました」

 

 するとそこで、今度は蜜璃が暁歩に話があるらしく、客間から連れ出そうとした。それに暁歩は頷いたが、小芭内からは殺意混じりの視線を向けられ、しのぶからは普段と変わらないように見えて不機嫌そうな笑みを向けられた。自分はあまり信用されていないのかな、と少し自信が持てなくなる。

 

「暁歩くん、しのぶちゃんと付き合うようになったんだ?」

「ええ・・・まぁ・・・」

 

 そして、客間から離れた廊下で、蜜璃が暁歩に話しかける。いざ改めて問われると、答えるのは少しばかりの恥ずかしさが混じるものだ。相手が純情な蜜璃だからこそでもある。

 だが、次に暁歩に言葉を掛けた時は、蜜璃の表情が真剣味を帯びたものとなっていた。

 

「じゃあ・・・しのぶちゃんの黒い気持ちと向き合うって決めたんだ」

 

 暁歩の知っている限りでは、蜜璃はしのぶの過去に何があったかを大まかに、又聞きでしか知らないはずだ。それでも、しのぶの中に復讐心や深い悲しみなどが淀んでいることには気づいていた。そしてそのことは、暁歩に以前話している。

 

「・・・それは、元から覚悟していたことです」

「そうなんだ・・・」

「俺にできることは限られてますし、大それたこともできないとも思いますが・・・」

 

 どうあがいても、どれだけ努力を重ねても、元々自分は心身ともに弱いという事実は変わらない。そして、そのしのぶの感情と向き合っていくと決めても、それを完全に解消させることは、難しいだろうとも思っている。

 

「それでも、できる限りのことをして、向き合うことだけは止めたくないと思いますよ」

 

 だが、それは最初から決めていたことだ。しのぶの悲しい過去を聞いた時から、ずっと考えていたことだ。あの話を聞いた以上は、目を背けることは自分で許せない。その気持ちに寄り添っていくのだと、自分で決めている。初めて会った時からより親密な関係となった今は、それも強固な意志となっている。

 

「・・・そっか。後悔とかもないんだ」

「覚悟の上ですよ」

 

 最終確認のように蜜璃に問われても、答えは変わらない。

 すると蜜璃は、ニコッと笑って満足げに頷いた。

 

「しのぶちゃんのこと、お願いね。って、私が言うのもなんだかおかしいけど・・・」

 

 おどけるように笑みを浮かべる蜜璃に、暁歩も小さく笑い、二人で客間へと戻る。

 その後は戻るや否や小芭内から『甘露寺と何もなかっただろうな』『本当だろうな。本当に何もなかったんだろうな』と詰問、もとい尋問を受ける結果になったが、洗濯を終えたきよたちが合流したことで、あとは和やかな時間が過ぎることになった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「へぇ~、甘露寺さんたちが来たんですか」

 

 その日の夕食の席で、話題は午前に訪れた蜜璃と小芭内のことになった。しのぶが持ち出したその話題に反応を示した炭治郎は、蜜璃や小芭内とも面識があった。気難しい性格の小芭内とは、打ち解けた様子ではなかったらしいが。

 

「お元気そうでしたか?」

「ええ。帰る時は残念そうでしたが」

 

 蜜璃たちは、午前の内にお暇した。長居するのは悪いとのことで引き留めはしなかったが、蜜璃は炭治郎たちによろしく伝えてほしいと言っていたと同時に、残念そうにもしていた。炭治郎たちが帰って来たのは夕方頃なので、どうしても顔を見せる事はできなかったのだ。

 

「甘露寺さんかぁ・・・柱稽古で会ったことがあるけど、なんだか楽しそうな()の人だったな~。後可愛かったし」

 

 そこで善逸は、かつての地獄のような柱稽古の中で、癒しとも言えた彼女のことを思い出す。蜜璃の課した稽古自体は楽ではなかったが、休憩時間に紅茶やパンケーキを振舞うなど、他の面々と比べれば優しかった。教える役が綺麗な女性だったので、尚更。

 すると、その善逸の隣に座る禰豆子が若干むくれる。善逸のことを憎からず想っている彼女にとっては、善逸が他の女性のことを褒めたのが気に喰わないらしく、いわゆる嫉妬だろう。その様子を静かに見ていた暁歩も、今のは善逸の失言だなと、冷静に評価した。

 

「あいつの稽古なんて屁でもなかったぜ!」

 

 一方で伊之助は、蜜璃の稽古を思い出したのか、『ふふん』と鼻息を吐いて得意げだ。

 そこで、童磨との戦いで伊之助は、腕の関節を全て外して本来の間合いの外側にも斬撃を届かせるという、文字通り離れ業を見せていたのを暁歩とカナヲは思い出す。彼からすれば、柔軟を主体とする蜜璃の稽古は本当に大したことはなかったのかもしれない。

 

「伊黒さんも元気でしたか?」

「ええ、まあ・・・相変わらずでした」

 

 続く炭治郎の質問に、暁歩も苦笑気味に答える。すると、隣に座っていたしのぶが、ふふっと少しだけ笑った。暁歩の言い方が若干ツボにはまったらしい。

 

「なんでか俺・・・伊黒さんからの風当たりが結構強かったんですよ・・・」

「あー、それは・・・」

 

 その理由には思い当たる節がある。

 柱稽古で暁歩が小芭内の下へ薬を運んだ時、軽い雑談程度で聞いた話だ。蜜璃と文通をしている小芭内が、稽古を受けている炭治郎が蜜璃と親しくしているらしいと手紙で読んだという。まず間違いなく、それが原因だろう。

 ただ、これは炭治郎には何の非もない(と思う)し、素直に言うと小芭内の株が下がりかねないので、黙っておくことにした。

 

「まぁ、あの人も結構気難しいところがありますから」

「その気難しい伊黒さんと、割と友好的な暁歩さんも大したものとは思いますよ」

「友好的・・・あれでですか?」

「ええ。珍しいです」

 

 暁歩が炭治郎にそう告げると、隣のしのぶが差し挟む。同じ柱で、小芭内との交流はそれなりにあったしのぶからしてみても、彼の性格的に仲良くできる者は―――蜜璃はともかく―――ほとんどいないと思っていた。

 なので、そのしのぶから見て、ああして話ができる暁歩のような人間は実に珍しかった。その小芭内と接した当人さえ友好的と思っていないのは仕方ない。

 

「何でそう・・・友好的だったんでしょうね」

「さぁ、どうでしょうね」

 

 だが、どうしてそう友好的だったのかは、暁歩には分からない。

 それもしのぶは、お互いに親密な女性がいるという共通点からかもしれないと思っている。そう思うと、類は友を呼ぶという言葉も案外当てはまりそうだ。

 

「でも、皆元気そうでよかった・・・」

 

 しかし、近況を暁歩たちから聞くと、炭治郎は心底ほっとしたような表情を浮かべた。

 その言葉には、表面上からは感じ取れない思慮も含まれているように暁歩は思う。いや、暁歩だけでない他の面々もそれを感じ取ったらしい。伊之助でさえ、食を止めた。

 鬼殺隊の戦いで、特に最終決戦では多くの隊士が命を落としている。この場にいる者のほとんども、大怪我を負った。それが今、こうして快復して以前のような生活を送ることができている。自分もまた重傷だったから、炭治郎の安堵の気持ちも大きいのだ。

 その言葉に最初に反応したのは、カナヲだ。しかし、何か言葉を掛けるわけでもなく、炭治郎の空いた手に、自分の手をゆっくりと重ねたのだ。

 

「・・・・・・」

 

 炭治郎は、その不意のカナヲの行動に驚いたようだが、すぐに笑みを浮かべる。カナヲもまた、普段の感情の読めない笑みとは違う、喜びの笑みを浮かべた。

 

「オイオイオイ炭治郎、なーに飯の時間にいい雰囲気になってんだよ?」

「いや朝の善逸くんも大概でしたよ」

「へ?」

 

 そこで善逸が妬ましそうに炭治郎に告げるが、今朝の禰豆子にデレデレだった善逸も大概だと思ったので、暁歩が冷静にツッコむ。すると、禰豆子が思わず吹き出してしまい、場の雰囲気が弛緩した。炭治郎とカナヲは、今頃恥ずかしくなったのか手を離して食事に集中する。

 そうして、また賑やかな食事の時間が再開された。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 食事を終えて片づけの後、暁歩としのぶは屋敷の裏手にある花畑に足を運んでいた。ここは普段から手入れをしている場所ではなく、自然に多くの花が自生している。善逸が度々禰豆子と一緒に出向くのも分かるほど、綺麗に花が咲く場所だ。

 そんな花畑を、静かに歩く二人。普段から屋敷では必要以上に引っ付くことはないが、それでも二人だけの時間が欲しいとは思わなくもない。そんな時の過ごし方は、縁側で月を眺めたり、腰を下ろして静かにお茶を楽しんだりと様々だ。こうして二人で夜の散歩に出かけるのも、初めてではない。

 

「綺麗に咲いていますねぇ」

「そうですね・・・昼間にも見てみましたけど、この時期は確かに綺麗に咲きますね」

 

 明るい時間に見る花も確かに綺麗だが、今のような暗い時間帯で見る花も乙なものだ。星や月の光の下に咲く花は、昼の花とは違い落ち着いた印象を抱かせる。自然と、見ている暁歩たちの心も落ち着くようだ。

 

「甘露寺さんたちもきっと、気に入ったことでしょう」

 

 蜜璃と小芭内の帰り際、きよたちがこの花畑を見てきてはどうかと、蜜璃に話していたのを思い出す。それを聞いた蜜璃は嬉しそうだったし、花が好きとも言っていたので、きっとこの花畑を見て気に入ったに違いない。小芭内も恐らくは、そんな風に花を楽しむ蜜璃を見て内心は心地よかっただろう。

 

「入れ違いで炭治郎くんたちが帰ってきたのは少し惜しかったですが」

「そうですね・・・ただ、伊黒さんはあまり炭治郎くんのことが好きじゃなさそうでしたから、その点は幸いかもしれませんが」

 

 そうして話している内に、しのぶの歩調が遅くなってくる。

 やがて、花畑のほぼ中心でしのぶは足を止めた。そして、おもむろに屈んで、足元に咲く秋桜(コスモス)の花を愛おしむかのように指でそっと撫でる。

 そこで暁歩の脳裏に、焙るような痛みが浮かび始める。その痛みの正体が『嫌な予感』だと気づくのに、そこまで時間は要さなかった。

 

「・・・少し、よろしいですか?」

 

 そしてしのぶは、秋桜に視線を向けたまま、そう声に出す。

 これから口にするだろう話は、決して良い話ではないことは暁歩にも分かる。かと言って拒絶するつもりもないので、『何でしょうか』と物腰柔らかく答えながら、しのぶの横に暁歩は立つ。

 返事をしてくれたこと、そして隣に暁歩がいることで安心したのか、しのぶは口を開く。

 

「昨日、炭治郎くんの身体を診たと思うのですが・・・何か異常などはありませんでしたか?」

「異常・・・ですか?いえ、傷ついた箇所以外は特に・・・」

 

 いきなり炭治郎のことを持ち出されて面食らうが、正直に答える。ここで嘘を吐いてしまえば、以前のようにしのぶから笑顔で説教を喰らいかねない。それ以前に、そもそも本当に異常がなかったものだから、そう答えるほかなかった。

 

「・・・やはり、何事もないようだったんですね」

「・・・それが何か、問題でも・・・?」

 

 しかし、しのぶの言葉はもったいぶるようでいて、何の問題もないと言っても少しも嬉しそうではない。

 綺麗な花畑の真ん中にいるはずなのに、空気が重くなるような感覚を覚える。

するとしのぶは、『少々残酷な話ですが・・・』と前置きをして、続ける。

 

「炭治郎くんの額あたりに、痣があるのは知っていますよね」

「ああ・・・確か、最初は火鉢をぶつけたって聞きましたけど・・・違うんですか?」

「ええ。あの痣は、ただの痣ではありません」

 

 しのぶが言うには、鬼殺隊のごく一部の人間は、炭治郎と同じように『痣』が発現したと言う。それは今の鬼殺隊の世代に限った話ではなく、過去にも何度も、何人も、同じように痣が出ることがあったらしい。

 その痣が発現すると、体温が急激に上がるのと同時に、身体能力が全集中・常中を会得した時とは比べ物にならないほど向上するのだ。そこで暁歩は、以前炭治郎の体温だけが高くなるという異変を思い出した。

 

「その暁歩さんが診ていた症状も、痣によるものです」

「・・・・・・」

「痣は、鬼殺の剣士の力を引き出すものだったんですよ」

 

 暁歩は、痣の話は今回が初耳だった。なので、齎される情報はしのぶの口から説明されることがすべてだ。

 それでいて、今までの話だけを聞けば、『痣』とは力を引き出す素晴らしいものという印象が強いが、それならなぜこの話をするしのぶの語調は暗いのか。

 

「・・・しかしこの痣を発現させた方は・・・」

「?」

()()()()()()()()・・・二十五歳を迎える前に亡くなります」

「は?」

 

 そして告げられた、あまりにも唐突で、残酷な事実に暁歩の口がぽかんと開く。

 確かに痣を発現させた者は、自分の力を最大限引き出すことができるようになるが、所詮それは寿命の前借でしかないというのだ。痣が発現すれば、男も女も関係なく、二十五歳を迎える前に死ぬ。それは病の類ではない、言ってしまえば『摂理』だ。故にどんな治療をしても止められず、薬だって何の効果もない。

 これまでに痣を発現させた人間は十人にも満たないが、大半は無限城での最終決戦で亡くなり、残酷なのはそのほとんどが暁歩も面識のある人だ。中には炭治郎や、蜜璃までいる。

 

「・・・・・・」

「・・・きっと、そういう表情をすると思いましたから、今まで言ってきませんでした」

 

 しのぶの表情も言葉も、悲痛そのもの。痣の話を聞いた時から、その宿命を憂いていたのは想像に難くない。

 そしてしのぶがそう言うということは、暁歩の顔も同じように悲しみに染まっているのだろう。自分の親しい人が近いうちに必ず死んでしまうと知って、平静を保っていられるほど図太くもなかった。

 そして新たに、暁歩の中に不安が生まれる。

 今自分の目の前にいるしのぶもまた、痣が発現したのではないか?

 

「幸か不幸か・・・私には痣は現れませんでした」

 

 悲しげな笑みでしのぶが告げる。

 痣を発現させるのは簡単ではないが、しのぶだって柱になるまでに、そして柱になっても鍛錬は欠かさなかったつもりだ。それでもやはり、どう頑張ってもその努力の証である痣が発現しなかったのは、しのぶを複雑な気持ちにさせるものだろう。

 そして、しのぶが痣者ではないという事実に、早くに死ぬことはない事実に安堵している暁歩がいる。自分勝手とも取れる思考に、自己嫌悪に陥りそうだ。

 

「・・・そして、炭治郎くんに痣が発現したとなれば」

「・・・カナヲさんや禰豆子さんたちも、当然悲しむでしょうね」

 

 今は皆が眠っているであろう屋敷の方を向いてしのぶが告げると、暁歩もその意図に気付く。

 カナヲにとって炭治郎は初めての想い人であり、禰豆子にとっては唯一の肉親。善逸と伊之助にとっても唯一無二の親友だ。皆の仲が良いことは今回の来訪に限らず、鬼殺隊が解体される前の蝶屋敷での生活で分かっていた。

 そして、暁歩やしのぶとしても、悲しまないはずもない。暁歩は炭治郎との交流を経て、自分から全集中・常中の修行に励むようになり、それだけでなく友人のような関係にまで発展した。しのぶも、炭治郎に亡き姉の『鬼と仲良くなる』という思いを託そうとするほどには、炭治郎のことを理解もしていた。だからこそ、その炭治郎が必ず若くして死ぬことが、それが分かっていてもどうにもできないことが歯がゆくて、そして何より辛い。

 

「・・・どうして今、それを俺に教えたんですか?」

「・・・耐えきれなかった、というのが本音ですね」

 

 立ち上がるしのぶだが、それでも視線は暁歩に向けようとしない。

 

「今日、甘露寺さんがここへ来て、私や暁歩さん、きよたちと楽しそうに話しているのを見て・・・炭治郎くんたちが来て、皆と仲が良さそうな姿を見て」

「・・・・・・」

「・・・その先にある悲しい最期を思うと」

 

 しのぶが恐れているのは、今の幸せを突然喪ってしまうこと。

 だが、今が幸せだとしても近いうちに必ずその幸せが喪われると分かっているのは、心を押し潰すような不安な気持ちにさせられる。それに耐えきれない。

 

「それと、痣のことを最初に知った頃は、まだ正直・・・全てを教えると暁歩さんも耐えられないだろうと思いました」

 

 柱稽古が始まる前の緊急柱合会議。そこでしのぶは、他の柱と同じく産屋敷あまねから痣についてのことを聞いた。その時の暁歩はと言えば、まだ負傷した隊士の治療と薬の調合に専念し、心身ともまだそこまで成長はしていなかったとしのぶは思っていたのだ。

 

「けれど今、暁歩さんは強くなったと考え・・・教えようと思ったのです」

 

 しのぶの目から見れば、暁歩が本当に変わったと思うのは、童磨との戦い。しのぶの死を直前で防ぎ、命を繋ぎとめ、カナヲや伊之助と共に童磨を斃した。あの時明確に、暁歩は変わったと感じ取ったのだ。

 

「痣を発現した人は、誰もがその覚悟を背負っている。炭治郎くんも例外ではありません」

「・・・・・・」

「かつての暁歩さんがそれを聞けば、きっと・・・心が曲がってしまうかもしれませんでしたから」

 

 暁歩は、病を和らげる薬を調合する技術がある。そして、蝶屋敷で生活する中で、怪我を治す技術も身に付いた。

 だが、それらをもってしても絶対に救えない命がある。しかも、自分の身近な場所に。

 それを、かつての自分が知ったらどうなっていたか。おそらくしのぶの言う通りで、決して良い結果を生みはしなかっただろう。

 

「・・・確かに、前までの俺だったら・・・心が折れていたかもしれません」

「・・・・・・」

「だけど今は、痣が出た皆さんの未来が決まっているのであれば、その時まではできる限りのことをして、力を貸そうと思います」

 

 どうあがいても死ぬ未来が決まっているのであれば、当人たちが覚悟を決めているのであれば、もはや多くを言わない。覚悟を背負った人ではない、その事情を聞いただけの人が落ち込むのは滑稽だ。

 ただし心に決めるのは、その最期の時を迎えるまで生きられるように、影ながらでも見守り、支えること。それしかできないのはもどかしいが、それが最大限できることだとすれば、それは必ず遂げてみせる。

 

「・・・そうですか」

 

 その言葉と覚悟に、一瞬だけしのぶの雰囲気が和らいだように感じた。

 

「・・・本当、強くなりましたね。暁歩さんも」

「強くなった・・・というか、ものの見方が変わっただけかもしれませんけど」

「それも簡単にはできないことですよ。自分の中の考え方とは、自分のことのはずなのに思うように変えるのが難しいですから」

 

 それを実体験のように語るしのぶ。

 かつてはしのぶも、自分の両親を殺した『鬼』との和解を目指したカナエについていこうとした。しのぶだって鬼が憎いと思っていただろうに、その姉の意志に従おうとしたのも簡単とは言えなかった。そうした過去があるから、しのぶの言葉にも芯が通っている。

 

「そして私は・・・そんな心が強くなった暁歩さんを頼ってしまうことが多いと、自分でも思います」

「・・・・・・」

「いけませんよね、それでは」

 

 悲しい思いを口にせず、心に溜め込んでおくことは、一見簡単なようで難しい。それには強い心が必要だった。しのぶも自分はそういう心を持っていると自負していたからこそ、暁歩に出会ってから打ち解けるまで、ずっとそうしていた。

 けれど今は、暁歩に身も心も許しているからこそ、その悲しい思いを簡単に吐露できてしまう。それは普通に考えれば特に問題はないはずだが、頼れる人ができるとすぐにこうして口にし、頼りきりになってしまう。

 手合わせの時も思ったが、ただそれだけでは駄目だというのに、そうしてしまう。

 

「しのぶさんは、今までずっと一人で多くを抱え込んできたんですから・・・もうこれ以上、無理にそういう気持ちを我慢することはありませんよ」

「・・・・・・」

「それに俺は、しのぶさんがただただ暗い気持ちを自分の中に抑え込んで苦しんでいるのを見るのは、一番辛いですから」

 

 しのぶの手を、暁歩は静かに、優しく握る。

 

「そして、初めてあなたの話を聞いた時から、俺はあなたのことを支えたいと思っていました。それは今も変わりません。だから、こうして頼られることを俺は全く不快とは思っていませんよ」

 

 しのぶの大きな菫色の瞳は、暁歩の顔を見据えている。

 

「もちろん、あなたがそうした不安や悩みを抱えているのなら、俺はそれと向き合い、一緒に背負う覚悟だってしています。それこそ・・・死ぬまで」

 

 しのぶの小さな手は、確実に暁歩の手を握り返している。

 

「この先、俺はあなたのそばに居続けます。幸せを守り、あなたの心の重荷を一緒に背負い、心を癒すために」

 

 しのぶの頬は、暗くても朱に染まっているのが分かる。

 そんな彼女から、暁歩は決して目を離そうとはしない。

 

「だから・・・しのぶさん」

 

 自分の中で固めていた決意。口にするのは難しいことではないはずだが、いざ言おうとすると心臓が大きく跳ねる。

 しかししのぶは、まるで暁歩が何を言おうとしているかを分かっているかように、そして待っているかのように、何も言わずに笑みを浮かべたままでいる。

 それで踏ん切りがついた暁歩は、ほんの少しの間口と目を閉じてから、自分の中の緊張を抑え込んで言葉にする。

 

 

 

「俺と・・・夫婦になってくれませんか」

 

 

 

 それは、この先の生涯をかけて、しのぶを支える暁歩の覚悟の言葉。

 また、しのぶを愛している暁歩の願いでもある。こうして真っすぐな言葉を投げかけたことは、初めてだ。

 

「・・・私で、本当にいいんですか?」

「はい。俺には、あなたと共にいる未来しか、考えられません」

 

 しのぶも、そう問い返したのは嫌だったからではない。暁歩とそうなることを望み、考えていたから、お互いの意志が同じであることを確かめたかった。

 そして暁歩の返事を聞いて、しのぶもまた自らの中にある心からの願いを、口にする。

 

「暁歩さん」

「はい」

 

 瞳から涙が溢れ出たのは、どちらだっただろうか。

 

 

 

「・・・私をずっと、傍に置いてください」

「・・・はい」

「私の傍に・・・ずっといていください」

「・・・はい」

 

 

 

 その手を握り合ったまま、誓い合う。

 そしてお互い握る手に力がゆっくりと籠っていき、やがて惹かれ合うように抱擁を交わす。自分の最愛の人が傍に居ることを確かめるように、愛情を示し合うように。

 暁歩もしのぶも、度合いが違っても、お互いに理不尽に幸せを喪った者同士だ。だから、漠然と幸せが続くとは思えないし、今感じている幸せさえも喪ってしまうのではないかと、恐れを抱いてもいる。

 けれど、お互いに今ある幸せを決して喪わないように、自分ができることを最大限にやり遂げる。力をつけ、知識をつけ、幸せが続くようにしていく。

 それは分かっていても、今だけはこうして、愛情を確かめ合いたい。

 夜空に浮かぶ綺麗な月だけが、そんな二人のことを見守るように輝いていた。




これにて、『蝶屋敷の薬剤師』は本当に完結でございます。
長期に渡る連載となりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

筆者は単行本派ということもあり、本誌で最終話まで読んだ方からは、話の展開や生存するキャラについて『少し違う』というご意見もいただきましたが、
こちらの作品はあくまで『あったかもしれない可能性のお話』と捉えていただければ幸いでございます。

筆者が初めて手掛けた鬼滅の刃の二次創作ですが、『胡蝶しのぶという人物にほんの少しでも救いを』という思いから書き始めた本作が、こうして多くの方の目に留まったこと、多くの方から評価や感想をいただいたこと、とても嬉しく思います。

重ね重ねとなりますが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。評価をしてくださった方も、感想を書いてくださった方もまた、感謝の念に堪えません。本作での経験を糧に、今後も執筆に励む所存でございます。

それではまた、どこかの場でお会いする時がございましたら、
その時はまた応援していただけると幸いです。
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