蝶屋敷の薬剤師   作:プロッター

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第4話:弱虫の決意

 蝶屋敷に来て一週間が過ぎる。最初こそ委縮して低姿勢だった暁歩だが、ここの勝手にも少しずつ慣れてきている感じがした。

 ここへ来たのは薬剤師としてだが、最初にアオイからも言われた通り、現在は少しずつ怪我人の治療にも携わり始めている。今はまだ蝶屋敷の誰かしらが補助についているが、いずれは一人でやらなければならない。

 

「背中の痛みは如何ですか?」

「大分引いてきたんですけど・・・寝転がることが多くて少し怠く感じます・・・」

「それでしたら、機能回復訓練を受けてはいかがでしょう?鈍った身体の機能を取り戻せますので」

「分かりました・・・」

「それと、鎮痛剤の量は少し減らしましょうか」

 

 きよやアオイたちがそうしていたように、暁歩もまた病状の仔細を丁寧に訊く。薬を調合する時は、実際に患者から症状を聞いた方が、どのように調合すればよいかを自分で考えやすい。

 

「ほとんど問題なさそうですね」

「ありがとうございます」

 

 一通りの問診を終えて、そう評してくれるきよ。不安だったが評価してもらえてうれしく思う。

 

「これなら、独り立ちも近いかもです」

「本当ですか?それは嬉しいですね・・・」

 

 補助なしで大丈夫と言うのはそれだけ技量があるからだが、途端に独り立ちを言われると少し不安にもなった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 薬の調合に関しても、学ぶべきところはまだまだあった。特に毒にまつわる薬に関しては暁歩も知らないことばかりなので、調剤室にある資料を読んで勉強をしている。けれど、読むだけでは分からないし、中には聞いたこともない成分もある。これを記したであろうしのぶにも訊いてみるつもりだ。

 

「帰ってきたら聞かなきゃ・・・」

 

 そのしのぶは、昨日から任務に出ていて屋敷にいない。

 柱は鬼殺隊全体で九人しかおらず、各々担当している地域がある。その地域、または隣接する地域で強力な鬼の出没情報が出てきたら、そこへ急行する。任務が一日で終わるとは限らないので、こうして日を跨いで不在になることも珍しくないようだ。

 アオイたちもいつものことだから、何より強い柱であるからと、必要以上に心配はしていないらしい。だが、暁歩は素直に安心できなかった。

 それはやはり、しのぶの辛い過去を知ったから。それまでは暁歩も、柱とは強いから大丈夫、負けるはずはないと思っていた。けれど、あれだけの壮絶な過去を背負っていると知った今は、盲目的にそう信じられない。

 人の原動力は、体力はもちろん、精神・心にもある。

 悲しみや憎しみ、怒りは時として不退転の決意となり、大事を成すほどの力を生み出す。しかしそれは、諸刃の剣。その感情に耐えられなければ、どこかで心は押し潰されてしまうだろう。

 しのぶは柱になるまでに成長したから、心もちょっとやそっとでは壊れないのかもしれない。けれどこの先、そうならないという可能性もまた存在する。

 

「・・・・・・」

 

 資料をめくる手が止まり、無意識に力が入る。

 暁歩もまた、両親を鬼に殺された怒りと憎しみを胸に、鬼殺の剣士の道を選ぼうとした。そして、その感情に自分で押し潰されて、道を諦めた。

 けれど、しのぶは違う。怒りと憎しみ、そしてまだ壊されていない誰かの幸せを守りたいという姉の遺志を受け継いで、鬼を狩り続けている。その心は暁歩よりもはるかに強靭だろう。だから、自分なんかが『支えたい』『頼ってほしい』なんて言ったのは、間違いなのかもしれない。おこがましいことこの上ないだろう。

 

(・・・それでも、背は向けたくない)

 

 けれどそれは、あの言葉を伝える前から分かっていたことだ。自分のような新参者が力になるなどおこがましいと、承知の上だ。そして、あれほどの過去を聞いて何もしない平行な関係でいられるはずもない。

 だから、支えると言ったのだ。そこに今さら後悔しても、意味はない。

 そして今、暁歩が優先すべきことは、知識を深めてこの蝶屋敷に貢献できるようにし、しのぶの負担を少しでも減らすことだ。うじうじしていては何も起こせない。

 そう考えて、資料を見ながら薬を調合しようとすると。

 

「あ」

 

 目的の薬種が無かった。しかもそれは数種類あり、割と使用する頻度が多いものだった。

 薬種が切れた際にどうするかは、まだ教わっていない。薬種を扱う問屋に買いに行くにしろ、どこかしらに発注するにしろ、やり方を知らないため誰かに聞くほかなかった。

 仕方なく調剤室を出て人を探すと、丁度良くアオイを見かける。

 

「すみません、アオイさん」

「はい?」

「切らしてる薬種がいくつかあるんですけど、補充はどうすれば?」

「ああ、薬種は南の方にある街の問屋で買うんです」

 

 都度買いに行くことになっているらしい。

 よく考えてみれば、鬼殺隊は政府から認められていない組織だから、業者に発注するのも不可能な話だろう。

 それよりも、買いに行くのであればその役目は自分が負うべきだと暁歩はすぐに思った。

 

「でしたら、場所を教えていただければ買いに行きますよ」

「いえ、買いに行くと夕方の問診に遅れてしまいますので、暁歩さんはそちらに集中してください。薬種は私が買いに行きます」

 

 日は傾き始めており、時刻は五時に差し掛かろうとしている。言う通りで問診の時間が近く、街は少し離れているらしかった。

 

「問屋の場所はまた後日教えますので」

「分かりました」

 

 押し留められる形で暁歩が頷くと、アオイは踵を返して行ってしまった。

 暁歩は、未だアオイとはどうも打ち解けられた感じがしていない。元々彼女からは真面目できびきびとしている雰囲気が感じられ、同時にどこか一線を引いているような感じもした。

 

「警戒されてるんだろうなぁ・・・」

 

 暁歩はああいう性格の子が嫌いではないし、むしろ真面目な子には好印象を抱く。それでも警戒されると、暁歩も若干凹むし落ち込みもする。

 ただ、こればかりは時間が経つのを待ちつつ、暁歩の姿勢と態度で警戒するほどでもないことを認めてもらうしかない。家族同然、としのぶが言っていたように、暁歩もまたアオイとは今のような感じではなくもっと打ち解けた感じでいたかった。

 やることは多い、と思いながら暁歩も問診の準備をするためにその場を離れた。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 陽が山の向こうへと沈み、辺り一帯が暗くなる。

 暁歩はきよたちと一緒に夕方の問診や包帯の巻き直しなども行い、滞りなくこれを終わらせる。そして病床を後にすると、きよがぽつりと言った。

 

「アオイさん、大丈夫でしょうか・・・」

 

 歩きながらの言葉に、暁歩はきよの方を見る。

 

「心配なことが・・・?」

「もう日が沈んでしまいましたし、鬼が出たらどうしようって・・・」

 

 不安そうにすみが告げると、暁歩の中で不安が頭をもたげる。

 

「それと・・・南の街へ行く途中で、時折人がいなくなるって噂があったんです」

「それが鬼とも言い切れないんですけど・・・」

 

 鬼は基本的に、それぞれの狩場を持っている。そこから動くことは基本的にないが、一般人が鬼と出くわしたらまず間違いなく勝てない。

 アオイも隊服を着ていたから鬼殺隊の一員のはずだ。けれど、彼女が屋敷を出た時に、日輪刀を持って行った覚えがない。もしも丸腰で鬼と遭遇してしまったら、殊更危険だ。

 

「・・・っ」

 

 その時、暁歩の頭の隅でパチッと静電気のように痛みが走る。

 

「自分が見てきます。南に道なりに進めば、街があるんですよね?」

「はい、でも・・・」

「大丈夫です。これでも、鬼殺隊の端くれですから」

 

 心配そうにすみが見上げるが、暁歩は気丈に笑って見せる。

 心は震えあがっていたが、そんなところを見せれば三人には余計心配をさせてしまう。自分の頬を叩いて気合を入れた。

 暁歩は自分の部屋に戻り、日輪刀を取り出す。刀を一度鞘から抜いて、刃毀れや傷がないことを確認する。

 その刀の色は、普通の刀と変わらなかった。

 

◆ ◆

 

 陽もすっかり沈み、真っ暗な道をアオイは屋敷へ小走りに向かっていた。

 

(少し遅くなった・・・)

 

 足りない薬種は問題なく買えたが、帰り際に道に迷っていた老婆がいたので、道案内をした結果遅くなってしまった。

 

「気を付けないと・・・」

 

 空には満月が浮かんでいるが、人工的な明かりはなく、一町先が見えない。

 夜は人喰い鬼が活動する時間であり、しかもこの辺りは時折人がいなくなると噂になっている。ただ、星や月の明かりがあっても見にくいから、人の姿が見えず鬼の仕業と勘違いされる可能性もあった。

 何にせよ、警戒を怠らずにアオイは屋敷へ駆ける。

 その時だった。

 

 ボゴッ。

 

「?」

 

 何かを掘り起こすような、鈍い音が後ろから聞こえた気がする。

 足を止めて振り向くと、足下の地面が少し盛り上がっていた。たった今通りがかったが、最初はこんなものは無かったはずだ。モグラにしては大きすぎる。

 だとすれば。

 

「!」

 

 瞬間的に危機を察知して、アオイは後ろへ飛び退く。

 その直後、地面が急に盛り上がり、地中から何かが姿を現した。

 

「・・・惜しかったか」

 

 月明りに照らされたそれは、大柄な男だった。

 しかし、肌の色は普通の人間よりも黒ずんでいて、四肢が鍛え上げられたように太い。目は血走り、紅く光る瞳孔は盾に長く、極めつけに爪も牙も長い。

 鬼だ。

 

「へぇ、随分と肉付きのいい女だな」

「っ・・・」

 

 ねっとりと品定めするような鬼の目と口調に、アオイの喉が干上がる。

 身体がすくみ上り、腕から力が抜けて、薬種の入った袋が地面に落ちた。

 

「なんだ、ビビッて動けないか?」

 

 聳え立つ鬼を前に、アオイの歯が噛み合わずカチカチと音が鳴る。そんなアオイを見て、鬼の表情は愉悦に染まっていた。

 

(逃げないと・・・叫ばないと・・・)

 

 アオイは日輪刀を持っておらず、丸腰の状態。

 身体能力が高い鬼と戦うために、鬼殺隊は日輪刀を有している。けれど、その刀がなければ、鬼殺の隊士とて普通の人間と変わらない。鬼と戦っても致命傷を与えられないから、勝ち目が無い。

 だから今、戦う術を持たないアオイの最善策は逃げることだった。

 しかし、鬼を前にして、恐怖がアオイを雁字搦めに縛っている様に身体を動かせず、ついにはぺたんと尻を地についてしまう。

 そんなアオイに向けて、鬼がゆっくりと手を伸ばし始めてきて。

 

「伏せろ!」

 

 その時、鋭い言葉がアオイの耳に届く。

 誰が言ったのか、誰に向けたのか、など考える前に体を屈める。

 

―――樹の呼吸・弐ノ型

―――樫幹返(かしみきがえ)

 

 何かが上を通り抜けるような気配。

 そして、肉が裂ける音が聞こえた次の瞬間、鬼の右腕は地面に落ちていた。

 

「え?」

 

 アオイが疑問を呈したところで、誰かに襟首を掴まれて後ろへ引っ張られ、地面に転がる。

 ようやく恐怖の鎖から解放されて身体を起こすと、鬼と対峙する人の姿を見た。

 風に靡く草が描かれた若草色の羽織を着ている。『クゥゥゥ・・・』と独特の呼吸の音が聞こえるが、こんな風貌の人物は、アオイの記憶している限りでは一人しかいない。

 

「暁歩さん・・・?」

「逃げて!」

 

 名前をぽつりと呟くが、それに応えるように暁歩は叫ぶ。

 蝶屋敷とは違う声に驚きつつも、アオイは立ち上がって蝶屋敷に向かい駆け出す。その様子に、鬼は深追いしようとせず舌打ちした。

 

「邪魔してくれやがって・・・」

 

 不快そうな顔で暁歩を見下ろす鬼。先ほど切った右腕は、再生を終えていた。

 

「ん?」

 

 だが、鬼は暁歩の様子を改めて見る。

 刀を構えているのはいいが、その腕はよく見ると震えている。鬼を睨みつけるような目は、恐怖も含んでいるのか揺れていて、緊張からか息も荒い。極めつけに額から汗まで流していた。

 まるで、鬼を恐れているような、そんな状態。

 それを見て、鬼は『へっ』と笑う。

 

「女の子をカッコよく助けたくせして、自分もビビってんのか」

 

 ピクッ、と暁歩の肩が震える。それは癪に障ったのではなく、図星だからだ。

 刹那、鬼の腕が暁歩を叩き潰そうと振り下ろされる。それを暁歩は後ろに跳んで回避するが、土煙が収まると鬼の姿が消えていた。

 

(待て、落ち着け・・・)

 

 緊張と恐怖で乱れていた息を落ち着かせる。刀を握る自分の右手を押さえつけて、震えを止めさせる。

 鬼の姿は消えたが、退くはずがない。

 ならば、次に鬼が姿を見せた時に即座に反応できるように、意識を研ぎ澄まし、呼吸を整える。

 その時、脳の右側を糸で引っ張られるような感覚。

 

「!」

 

 咄嗟に前に転がると、自分が立っていた場所に鬼が地面を突き破って飛び出してきた。突き上げられた右手は手刀を形作っており、あのままでいたら即死だったと認識する。

 この鬼は、どうやら地中を自在に移動でき、地上の状態も確認できるものらしい。異能の一種だ。

 そして暁歩は、体勢を立て直すと呼吸を整えて刀を構える。

 

―――樹の呼吸・壱ノ型

―――大樹倒斬(たいじゅとうざん)

 

 頸を狙って刀を横に薙ぐ。

 しかし狙いは外れて、胸を一文字に斬るだけになってしまった。鬼も、暁歩が狙いを外したと気づいたのか鼻で笑う。

 

「人を庇う割に、大した腕じゃないな」

 

 唇を噛む暁歩。

 鬼の胸に負わせた傷は見る見る治っていく。腕もそうだが、鬼の自然治癒力もまた人間の比ではない。それを暁歩は改めて思い知っている。

 

(・・・冷静になれ、落ち着け・・・)

 

 鬼を前にして、暁歩は恐れている。

 気を付けなければ、体から一気に力が抜け、心は脆く崩れ去ってしまいそうだ。それでも、自分の中のちっぽけな勇気を叩いて膨らませて、どうにかこの場に立っている。

 しかし、立ちはだかる鬼の視線を浴びて、昔の恐ろしい記憶が蘇ってくる。

 暗い山の中、恐怖に慄きながら駆けずり回り、滅多矢鱈に刀を振り回していた時の記憶。

 

「はぁ・・・はぁ・・・」

 

 呼吸が乱れだす。頭では余計なことを考えるなと分かっていても、それができない。

 

「弱虫のくせに人を守ろうとするなんざ、馬鹿な奴だ」

 

 鬼は、鋭い爪で暁歩の顔を突き刺そうとしてきた。しかもその動きは体格の割に速く、寸でのところで暁歩は首を傾けて攻撃をかわす。

 だが、完全には避けきれずに爪が頬を掠める。その部分を中心に顔が熱くなり、どろりとした熱い液体が垂れるのを感じ取る。見なくてもそれが自分の血だと分かった。

 

「オラ、オラ、オラ!」

 

 鬼はなおも殴り、蹴り、突いて暁歩を仕留めようとする。

 しかし、暁歩はジグザグに身を捻り、退いて攻撃をかわす。さらに鬼は土の中へと潜り、背後から奇襲をかけようとしてきたが、これも前転して避ける。

 突き技を見て分かっていたが、この鬼は体格に見合わず動きが俊敏だ。そのせいで反撃する暇もなく、一撃一撃で殺しにかかるのを避けるので精一杯だ。

 やがて痺れを切らしたのか、鬼が舌打ちをしてくる。

 

「弱いくせにすばしっこい奴め・・・次で殺してやる。さっき逃げた女も道連れだ」

 

 暁歩の体力は、まだ有り余っている。

 だが、鬼を前にして感じた恐怖が、殺意の籠った一撃を避け続ける間に増幅し、いよいよ限界に達しようとしていた。息は上がっており、呼吸を整えて技を使うことすらできなさそうだ。

 そんな暁歩を見て、限界が近いと悟ったのか鬼が嗤う。

 

「へっ、じゃあな」

 

 鬼がとどめの一撃を刺そうと腕を構える。

 まさにその時だった。

 

―――蟲の呼吸・蝶ノ舞

 

 鬼の背後に浮かぶ満月。

 その美しい月を背にするように跳ぶ、一人の剣士に暁歩は気づいた。

 

―――(たわむ)

 

 次の瞬間には、その人は暁歩のすぐそばにふわりと降り立ち、暁歩の傷ついた頬に布を押し当てていた。

 そして鬼の背中、肩、腕、胴体から血が噴き出す。

 

「あ・・・っ!?」

 

 鬼もあまりの出来事に一瞬何が起きたのかわからないようだったが、暁歩のそばに立っている人の仕業と理解すると『テメェ・・・』と怒りを露わにした言葉を口にする。

 

「・・・しのぶ、さん?」

 

 月明かりに照らされるその姿を見て、暁歩は呆けたように名を呼ぶ。それにしのぶは、微笑みを浮かべて頷いた。

 しのぶの手には、刀身が削がれた独特な形の日輪刀が握られている。どうやら鬼の体を斬ったというより、その刀で突いたようだ。

 

「次から次へと・・・」

 

 しかし鬼は、しのぶを前にしても強気な態度だ。『柱』という立場を知らないらしい。

 

「さっさと頸を斬ればよかっただろうが、そんな小さな体じゃこんな掠り傷しか無理だろうな」

 

 しのぶを指さして嘲笑う鬼だが、しのぶは何も発さない。

 そして暁歩は気付く。先ほどの暁歩が浴びせた傷はすぐ治ったのに、しのぶが付けた傷は一向に治る気配がない。

 

「こうなったらテメェらまとめて・・・ぇっ!?」

 

 そして鬼がゆっくりと迫ろうとしたところで、変化が起きた。

 しのぶが付けた傷口が、紫色に変色し始める。そして体の至る所に、同じような色の斑点が浮かび上がり、鬼が血反吐を吐いて苦しそうに呻きだす。

 

「・・・確かに私には、鬼の頸を斬るほどの力がありません」

 

 膝から崩れ落ち、苦しみに悶える鬼を前に、しのぶは微笑みを崩さないまま平坦な声で告げる。

 

「けれど、鬼を斃す方法は頸を斬るだけでは無いのですよ?」

 

 体を掻き毟り、喉を抑える鬼を前にしても、平然としている。

 

「たとえば私のように、鬼を殺す毒を使う人もいるのですから」

 

 事切れたように、鬼は動かなくなる。

 頸を斬らずに、毒で鬼を殺した。

 しのぶの実力は噂には聞いていたが、実際にその瞬間を見たのは暁歩も初めてだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

 しのぶは、暁歩の方を振り向く。その笑みは、変わらぬ優しい微笑み。

 案ずるような言葉だが、暁歩は少し視線をそらして『はい』と力なく答えるしかない。頬の傷も痛みも、考えられなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 後始末は、『(かくし)』という鬼殺隊の後処理部隊に任せて、しのぶは暁歩と共に蝶屋敷へと戻った。

 真っ先に出迎えたのはアオイで、暁歩の頬に傷があるのを見ると、すぐにアオイが傷の手当てをしてくれた。さらに、事の顛末をアオイから聞いたきよ、すみ、なほの三人も、暁歩のことを心配してくれる。カナヲだけは、相変わらず表情の読めない笑みを浮かべていたが。

 その様子をしのぶは傍から見ていたが、暁歩がアオイのお礼の言葉に対し力なく笑うことしかなかったのには、疑問を抱いた。

 

「・・・こんばんは」

 

 それから少し経って、しのぶは暁歩に声をかける。

 暁歩は、屋敷の南側の縁側に腰掛けて、夜空を見上げていた。傍らには、鞘に納められた日輪刀が置いてある。

 しのぶの挨拶に、暁歩はどこか悲しみが混じる笑みを返した。

 

「月が綺麗ですねぇ」

「・・・そうですね」

 

 しのぶが暁歩の隣に腰掛ける。暁歩の視線は夜空に、月に向いたままだ。

 暁歩は何かを胸の内に抱えている、としのぶにはすぐに気づいた。

 

「落ち込んでいるようですけど、何かありましたか?」

「・・・少し、前のことを思い出していたんです」

 

 分かっていて、しのぶは敢えて問う。親しい間柄の人が、何かに悩んでいるのを見て見過ごすこともできない。

 暁歩も聞かれることが分かっていたのか、視線を逸らさずに答えた。

 

「・・・さっき戦った鬼に、『弱虫』って言われて。本当に心が弱かった以前のことを思い出してしまって」

「鬼の言葉に惑わされては駄目ですよ。鬼はいつでも平気で嘘を重ね、利己的な欲求しか持たず、人間を嘲笑うのですから」

 

 しのぶの言葉に、僅かながらに怒りが籠っているのは今の暁歩でも分かる。

 けれど、今回に限っては、鬼の言葉もあながち嘘ではないと思っていた。

 

「でも、実際俺は弱かったんです」

 

 そこで初めて、しのぶの顔を見る。微笑みはなく、話してほしいとしのぶは無言で求めていた。

 

「まだ話してませんでしたね・・・。俺がここに来るまでのこと・・・」

 

―――――――――

 

 暁歩は、ある町の薬屋の一人息子として育てられた。

 その薬屋は、町の人に信頼されている店で、暁歩が生まれた時には祝いの言葉をかけてもらったらしい。

 裕福とまではいかなかったが、生活は安定していた。お客一人一人に合わせて薬を調合する父の姿を見て育ち、母はそんな父を静かに見守り支えていた。

 暁歩も物心ついた時には、そんな両親を見て薬に興味を持つようになり、店の手伝いをしつつ父の指導で薬の勉強も始めた。歳が十二に至る頃には、簡単な薬の調合までできるようになった。その成長に、親や常連はとても喜んだ。

 けれど、その幸せも長くは続かなかった。

 暁歩が十五歳の頃、風邪をひいて寝込んでいたある日の夜。

 両親は、足の不自由なお得意様の家まで薬を届けに行っていた。けれど、風邪をひいた暁歩は家で留守番をしている間、脳を無理やり引っ張られるような嫌な予感に苛まれていた。

 その嫌な予感は的中し、両親は帰り道で誰かに襲われ殺された。骨や肉が抉られ、見るに堪えない状態だったと最初に発見した人が言っていたのを覚えている。

 朝になって、両親の死を知らされた時、風邪の辛さも忘れて暁歩は泣き叫んだ。葬儀の時も泣き通しだったと、参列していた人は言っていたと思う。

 

『可哀想に・・・』

『辛い話だろうねぇ・・・』

『まったくひでぇ話だよ』

 

 よくお店に来てくれた人は、暁歩を気の毒に思って言葉をかけてくれた。

 それでも、最愛の両親を理不尽に喪った悲しみは、本当に理解できていない。結局は他人なんだ、と暁歩は人との距離を置くようになった。薬屋など、親が死んだその日から閉めている。

 だが、両親が死んで少し経ったある日に家から出ると、一人の男が立っていた。

 顔立ちからして六十歳に届きそうだが、町の老人とは顔なじみの暁歩でもその厳つい顔立ちは見覚えがない。そして、姿勢が薬局に来ていた老人とは全然違いとてもしっかりしている。

 白と水色の袴の上に、雲の模様が入った白い羽織を着たその男は、名を『空見(そらみ)』と名乗って、告げる。

 

「お前の両親を殺めたのは、鬼だ」

 

 表向き、暁歩の両親の死は『猟奇的な殺人事件』と処理されている。

 しかし、いきなり姿を現した空見が『鬼』と言った時、暁歩は『新手の宗教か』と相手にしようとはしなかった。

 

「『人喰い鬼』『鬼狩り様』の話は、聞いたことがないか?」

 

 だが、空見の挙げた二つの言葉には、暁歩も心当たりがあった。

 店を訪れていた老人たちが、御伽噺のように語っていた存在。幼い時分は興味深く聞いていて、成長してからは空想だとしか思わなかったもの。

 けれど、暁歩はそこで、まさか実在するのかと驚く。

 

「お前の親だけではない。今、この国には鬼によって命を奪われる人間が多く存在する」

「・・・」

「人喰い鬼は実在する。そして、鬼狩り様もまた同様にな」

 

 空見からは、年齢の割に強い闘気のような雰囲気を感じた。暁歩をだまくらかそうとしているようには到底見えない。

 立ち去ろうとした暁歩も、空見の目を見る。

 

「ワシは、鬼を滅する組織『鬼殺隊』を志す者に稽古をつける育手(そだて)だ」

 

 素性が明かされたところで、暁歩の前に姿を現した理由がようやく分かった。

 そして同時に、暁歩の中で、『鬼』に対する怒りや憎しみがふつふつと湧き上がってくる。

 

「佐薙暁歩。お前は、自分の親を殺めた鬼が憎いと思うか」

「・・・はい」

 

 頷く。

 優しかった自分の両親を殺した鬼のことが、どうしようもなく憎い。

 

「人の命を選別なく奪う鬼を滅ぼしたいと思うか」

「・・・はい」

 

 躊躇わずに、頷く。

 何の罪もない人々の命を奪い、自分と同じように深く傷つき悲しむ人を増やす鬼を、滅ぼしたい。

 

「・・・荷物をまとめて、ワシに付いて来い」

 

―――――――――

 

「それから俺は、町の人に『少し旅に出る』って言って、町を去りました。空見さん・・・師匠に付いて行って、北東にある山で鬼殺隊に入るための修業を始めたんです」

 

 育手は全国に多数いて、ほとんどが引退した元柱や、階級の高かった元隊員だ。それぞれが、それぞれの場所とやり方で修業をつけ、鬼殺隊を志す者を育てる。空見は、鬼殺隊の中でも柱の次に高い『(きのえ)』階級だったらしい。

 

「俺の親を殺した鬼は別の隊士が倒したと言っていましたが・・・それでも俺は鬼という種が許せません」

「・・・」

「だから、鬼に一矢報いるために。他の誰かに自分と同じ悲しい思いをさせないために、鬼殺隊に入る決意をしました」

 

 しのぶは頷く。

 以前にしのぶの過去を話した時、暁歩は『家族を喪うことの辛さは分かる』と言っていた。その時は詳しい経緯は知らなかったが、暁歩もまた幸せな暮らしを理不尽に壊された人なのだと知って、胸が痛む。

 

「けれど修業は、正直辛かったです。何せ、刀なんて握ったこともないし、体力だって人並み程度でしたから・・・。師匠も容赦なかったし」

 

 苦笑して告げると、しのぶの表情も少し綻ぶ。

 走り込みだったり柔軟だったり、ある時は崖際の木に逆さ吊りにされ、呼吸を使い血の流れを整えるなんて修業もあった。あの時は一瞬死の淵を見た気がする。

 

「けれど、太刀筋は悪くないって褒められて・・・それと、自分の『予感』のことにも気付いてもらえました」

「予感?」

 

 この蝶屋敷に来てからも時折働いた、暁歩の『予感』。

 元々暁歩は、何か先のことを読んだり考えることが得意であり、言うなれば洞察力が優れていた。それが、無意識のうちに先のことを予測する『予感』という形で目覚めたのだ。

 だが、この『予感』というものは厄介な性質だった。嘘や隠し事、敵意、他人の怪我や死などの悪い出来事しか感じ取れず、しかも具体的に何が起きるのかまでは分からない。

 それでも空見は、それを知ると『敵と戦う時にきっと役立つ』と言ってくれた。

 

「師匠の下で二年修業して、全集中の呼吸もどうにか会得して・・・師匠から認められて最終選別に参加しました」

 

 その二年もの間、暁歩を突き動かしていたのは、心の中で滾っている怒りと憎しみ、そして他人を悲しませないという使命感に近い気持ちだった。

 

「けど・・・藤襲山(ふじかさねやま)で、俺は自分の弱さを知ったんです」

 

―――――――――

 

 藤襲山で七日間生き延びる。それが、鬼殺隊に入るための最後の試練。

 この山は、麓から中腹にかけて鬼の嫌う藤の花が年中咲いているため、鬼は外から入れず、出ることもできない。しかし、中腹より先には藤の花が咲いていないため、鬼が棲息している。加えてこの山は普段人が出入りしないため、最終選別に参加する入隊希望者は鬼からすれば久々の食糧。故に鬼も本気で襲い掛かるため、参加する人は数十人いても突破するのは毎年二桁に届かないらしい。

 その話を聞いた時、暁歩は過酷さに息を呑んだ。だが、こんなところで死んでたまるかと自分を奮い立たせる。大切な人を奪い、悲しませる鬼を根絶するために、ここまで来たのだ。何としても生き残ると、心に決めた。

 

「うわああああああああっ!」

 

 そして今、暁歩は息を殺して茂みに隠れ、聞こえてくる悲鳴に思わず涙を浮かべる。

 葉の隙間から様子を窺うと、異形の鬼がいた。鬼は、人の背丈の数倍ほどの大きさで、無数の腕が体に巻き付くように生えている。

 そんな鬼に、暁歩と同じ程度の歳の青年が足を掴まれ宙吊りにされている。そして、そのま抵抗もできず、悲鳴を上げ、絶望の表情で涙を流しながら、鬼が開けた巨大な口に飲み込まれてしまった。

 

「ッ!!!」

 

 肉を引きちぎり、すり潰し、骨を砕く音が聞こえてくる。

 生きながらに喰い殺された人を目の当たりにし、唇を強く噛んで泣き叫びたくなるのを押さえる。ここに来る直前、嫌な『予感』が働いて茂みに隠れていなければ、喰われていたのは自分の方だったかもしれない。

 

「くひひひ・・・威勢のいいガキだったなぁ」

 

 内臓を舐めるような不快極まる愉悦の声を洩らす異形の鬼。

 

「さぁて・・・鱗滝(うろこだき)の弟子のガキは今年も来てるかなぁ?あいつの弟子は絶対殺してやるんだ・・・ひひひ」

 

 咀嚼を終えた異形の鬼は、ぬめるような笑い声をあげながら、その場を離れようとする。

 暁歩は予感に頼るまでもなく、この鬼は危険と判断した。

 そして、このまま静かに距離を取ろうとする。今も距離は少し離れているから、まだ向こうは気づいていないはずだ。

 だが、咄嗟に隠れたせいで周囲の地形を把握しきれていなかった。そのせいで、足を滑らせ急斜面から転がり落ちてしまう。

 

「――――――――――ッ!!」

 

 しかし、叫ばない。声を押し殺す。斜面の下が見えない恐怖があっても、声を上げまいと口元を押さえつける。あの異形の鬼に見つからなければそれでいい。

 やがて、地面に落ちる。受け身を取る訓練をしていたから、大事には至っていない。

 

「いてぇ・・・」

 

 右足の部分が少し腫れていて、じりじりと痛む。少々高いところから落ちた故に、変に捻ってしまったらしい。身体の他の部分に問題はない。日輪刀も無事だ。

 だが、このままじっとしていると、鬼が近づいてくるかもしれない。手当は後にして、まずは移動しようと思い立ち上がる。

 すると。

 

「人間のガキだ!」

「久々の食糧だぜぇ・・・!」

 

 着地の際の音が聞こえたのか、何体もの鬼が近づいてきていた。

 痩せ細った鬼、異様に舌が長い鬼や獣のように唸る鬼など、見ていて嫌悪感を催す鬼が何体もいる。もしかしたら十に届くのではないかと思うほど。

 考えてみれば、暁歩は今まで鬼と対峙したことなど一度もない。両親は暁歩の知らないところで鬼に喰われ、空見の修業中でも話でしか聞いたことがない。

 

「・・・・・・」

 

 足音を立てて死が近づいてきているような感じがした。

 恐ろしくなる。先ほど見た異形の鬼と比べれば体の大きさは大したことがないが、人間を喰らうおぞましい種であることに変わりはない。

 暁歩は、鬼に対する復讐心と怒りを糧にしてここまでやってきた。

 だが、先ほど異形の鬼に生きながら殺された人の悲鳴、肉を潰され骨が砕かれる音が頭の中で蘇る。

 夜の闇に光る鬼共のいくつもの眼が自分に向けられていて、足が竦んで動かなくなる。

 ただ挫いただけの足が、骨折したと思うほどの激痛になる。怪我に気を取られると気弱になってしまうのは分かっていても、心はどうにもならず震えだす。

 今この瞬間、暁歩の中の復讐心は、恐怖で上書きされた。

 

「テメェ、アレは俺が先に見つけたんだぞ!」

「うるせぇ!俺が一番あいつに近い。アレは俺の獲物だ!」

 

 鬼同士で何かいがみ合っているが、その言葉も耳に届かない。

 逃げなければ死ぬと脳が必死に訴えかけているが、身体は氷漬けにされたようにびくともしない。

 獲物を前にする獰猛な鬼の視線が、暁歩の身体に纏わりつくようで、呼吸が乱れる。

 鬼の口から垂れる涎を見て、自分の骨が砕かれ、腸が引き裂かれ、肉が潰れる末路が頭に浮かぶ。

 刀を抜こうと思っても、腕が動かない。

 

「なんだ、抵抗しねぇのか?」

「こんな弱っちい奴なら簡単に喰える!」

 

 ついに、鬼が飛びかかってきた。

 眼前に鬼が迫ってきたところで、全身に電気が走ったように、身体の機能が復活する。

 

「っ」

 

 その直後、修業中よりも遥かに速く刀を抜いて横一文字に薙ぐ。

 刹那、飛びかかろうとしていた鬼共は、胸のあたりで真っ二つになり、失速して地面に落ちる。

 頸を斬ったかどうかの確認もせず、今だけは足の痛みも忘れて、暁歩はその場から逃げ出した。

 

「てめえぇ・・・待ちやがれ・・・!いてぇ・・・」

 

 体を両断された鬼は、恨みがましい声と視線を暁歩に投げかける。雑魚鬼だったのか、身体を斬っても再生が遅いのが幸いだった。

 

「ああ、あああ・・・!」

 

 しかし、そんなことは気にも留めず、暁歩は無我夢中で走り続けた。

 複数の鬼を前にした恐怖が、全集中の呼吸で酸素が身体に行き渡るのと同じように、暁歩の身体に染み渡って消えない。

 初めて本物の鬼を前にして、親を殺されたことに対する怒りよりも、死への恐怖が勝ってしまった。

 その恐怖から逃げるように、足を動かし走り続ける。捻ったところの腫れが悪化しているように感じるが、どうでもよかった。

 具体的な策や方針も考えず、がむしゃらに走り続ける。

 別の鬼に出くわすと、自分が死にたくないという気持ちにしかなれず、刀を振り回して鬼の身体を斬って動きを鈍らせ、ただ逃げた。

 鬼は日中活動できない、という基本的なことも忘れて、昼夜神経を尖らせ続けた。

 草木の揺れるわずかな音にも驚いて、心の休まる暇なんて片時もなかった。

 

「・・・・・・」

 

 そんな調子で、気付けば七日経っていた。

 お神酒徳利のような二人の少女から説明を受けた場所には、暁歩を除けば二人しかいない。その二人も、やけに疲弊している暁歩の姿を見て目を丸くしていた。七日間ろくに休みもせず、ただただ走って逃げていたのだから、それはひどい有様だったのだろう。

 隊服の採寸も、玉鋼選びも、階級を示す術を施された時も、半ば放心状態だった。

 そして藤襲山を下りて、空見の下へと帰ってきた直後、暁歩は極度の疲労と緊張の連続による反動で気を失った。

 

―――――――――

 

「目を覚ましたのは、それから二週間後でした。起きたら師匠と、日輪刀を打ってくれた刀鍛冶の人がいました」

 

 夜空に浮かぶ月は、相変わらず輝いている。それを見上げる暁歩は、懐かしむような笑みを浮かべていた。

 しかし、しのぶにはその笑みが作られたものだと見抜いた。その時抱いた恐怖を隠そうとしていると、ずっと笑顔を作っているしのぶには分かる。

 

「師匠は、俺が最終選別を突破したことを喜んでいましたけど、俺は喜べませんでした」

「それは・・・なぜ?」

「確かに俺は生き延びました。けど、死への恐怖で山を駆けずり回り、我を忘れて無茶苦茶に刀を振りまくって・・・鬼を倒せなかった自分は、本当に鬼殺隊として相応しいのか?鬼殺隊で鬼と戦えるのか?と、自分に自信が持てなくなったんです」

 

 両親が鬼に殺されたと知って、最初は怒りや憎しみを抱き、修業中もそれを忘れなかった。

 けれど、最終選別で恐怖がそれらを上回り、その時の記憶が脳裏にこびりついて離れない。そんな自分が情けなくて、鬼を滅ぼすと思うのは単なる思い上がりではないかと、自分に自信が持てなくなった。

 

「・・・剣士として戦えないと、その場で言ってしまいました」

 

 膝の上で、強く拳を握る。自分の力不足が嘆かわしくて、自分の意志が弱かったのが馬鹿らしくて、不甲斐ない。

 

「どうしてかを師匠に聞かれた時、復讐心ではなく恐怖心が勝ってしまったと、本音を伝えました」

「・・・」

「申し訳ない気持ちと悔しい気持ち、死にたくないという気持ちで頭が一杯でした。鬼に一矢報いるつもりだったのに、鬼を実際前にしたら動けなくなって、本当に自分の心は弱いって思い知らされました」

 

 その時、刀鍛冶の人はひどく落ち込んでいた。ひょっとこのお面で顔は見えなかったが、肩を落としていたのは覚えている。せっかく打った刀の持ち主が、刀を渡す前に鬼殺の道を諦めると言ったのだから、骨折り損もいいところだろう。

 

「死ぬのが怖いと思うのは、恥じることじゃないと師匠は言ってくれました。それは生き物としての『生きたい』と思う本能の裏返しなのだから、と」

「・・・」

「それでも自分には、戦う意欲は湧いてきませんでした」

 

 暁歩の師匠は、無理に『戦え』とは言わなかった。これまでの弟子の中には、暁歩と同じように怖気づいてしまう人や、鬼との戦いで心が疲れ刀を置いてしまう人がいたから、暁歩の気持ちが分かったのだ。

 そして、暁歩が元薬屋の息子で、薬学にも詳しいことを知っていた空見が、鎹鴉を通して鬼殺隊に話をした。結果、暁歩はこの蝶屋敷に『剣士』としてではなく、『薬剤師』として着任した。

 

「だから、鬼が俺のことを『弱い』って言ったのは間違いじゃないんです」

「・・・」

「そんな俺がしのぶさんみたいな強い人に『頼ってください』なんて、ちゃんちゃらおかしいですよね・・・。すみません」

 

 自らを嘲り、頭を下げる暁歩。

 呆れてるだろうなと、心の中で達観する。あんな大口叩いたくせに、自分の正体は単なる弱虫、臆病者だと知ったのだから。次顔を上げたら軽蔑の視線で見られるかもしれない。

 

「暁歩さん」

 

 呼ばれて、暁歩は諦めるように頭を上げる。

 だが、しのぶの表情に軽蔑の色はなく、あの作った微笑とも違う、慈しむような笑みが浮かんでいた。

 

「一つお聞きしたいのですが・・・あなたはなぜ、この屋敷に来ようと決めたのですか?」

 

 暁歩の処遇をどうにかしてほしいと話を鬼殺隊に通したのは、空見だ。

 そして、この蝶屋敷に来ることを決めたのは、暁歩自身の意思。それを決めるに至った理由を、しのぶは確かめたい。

 暁歩は問われると、視線をしのぶから、庭に拵えられた池へと移す。

 

「最終選別で、鬼という種に復讐したいと思う気持ちは恐怖で上書きされてしまいました」

「・・・」

「けど、それでも・・・何か力になりたいと思ったんです。自分が戦えなくても、鬼と戦い続ける誰かを支えたり、鬼によって傷つけられた人を救いたいと願って」

 

 鬼に復讐するという意思は打ち砕かれた。

 けれど、自分が身に着けた鬼や薬に関する経験と知識は残っている。そして、鬼殺隊を志したもう一つの理由である、他の誰かに自分と同じ悲しい思いをさせないという気持ちも残っている。

 これらのことを併せ持っている自分には、他に何かできないかと暁歩は思った。その結果が、今この蝶屋敷で自分の知識を生かし、人々の幸せを護るために戦い続ける隊士を治療し、支えることだ。

 

「やっぱり」

 

 聞き終えると、しのぶが相槌を打つ。だが、その相槌が少し変な気がして、今一度暁歩はしのぶのことを見る。

 

「暁歩さんのお師匠さんからの手紙にも、書いてありましたよ。その暁歩さんの気持ちが」

「え?」

 

 しのぶは、暁歩がここへ来る前に空見から手紙を受け取っていた。

 その手紙には、暁歩の受け入れを決めたことに対する感謝の気持ちと、よろしく頼みたいという気持ちが綴られていた。

 

「『剣士としての腕は乏しいですが、それでも力になりたいと考えて、鬼と戦う人々を支えたいと強く願う男です。薬学に傾倒しており、必ずや皆様のお役に立てると思います。手前勝手な願いとは承知しておりますが、何卒ご容赦を』と」

「・・・」

「暁歩さんの事情は、大まかではありますが、その手紙が来る前に鬼殺隊の本部から伝えられていました。私は素直に受け入れたいと思いましたし、アオイたちも賛成していましたよ」

 

 空見が、鬼殺隊に身の上話や薬学云々についての話は通すだろうと思っていたが、しのぶ宛に手紙を書いていたことまでは知らない。しかもそこに、暁歩が空見に明かした気持ちも書いてくれているとも思わなかった。

 何より、しのぶたちが自分のような者を受け入れることに前向きだったということが驚きだ。自分は軟弱者だとしか思っていなかったから、なおさら。

 

「あなたは自分をただ弱い人と思っているようですが、『何か力になりたい』『鬼と戦う人を支えたい』という芯の通った意志は失わずにここまで来ました。それは間違いなくあなたが自ら動いた結果であり、決してただの心が弱い人にできることではありません」

 

 本当に心が弱い、鬼が言う『弱虫』ならば、鬼殺の剣士の道を諦め、鬼という存在からも遠ざかろうとしただろう。おめおめと自分の家に戻って、一人でひっそりと過ごしていただろう。

 しかし今、暁歩は自分の中にある決意を抱いて、この蝶屋敷にいる。

 

「そしてさっき・・・あなたはアオイを庇って鬼と戦った。それもまた、誰かに悲しい思いをさせたくない、守りたいと思うあなたの強い意思の表れですよ」

 

 しのぶの手が、そっと暁歩の肩に添えられる。

 

「あなたは、弱くなんてありません」

 

 暁歩の表情が、はっとする。

 しのぶの言葉で、自分の心に雲のように纏わりついていた苦悩が晴れてきた。

 そして、その苦悩によって塗りつぶされていた、空見の言葉を思い出す。

 

―――――――――

 

「この刀と隊服は持っておけ」

 

 二週間の眠りから覚め、自分の弱い気持ちを曝け出した日。

 空見は、暁歩に支給されるはずだった日輪刀と隊服を差し出してきた。

 

「けど、これは・・・」

 

 その二つを暁歩は素直に受け取れない。

 これは、鬼と戦う人のために支給された装備だ。戦えなくなった暁歩にとってはただのお荷物であり、役に立たないだろう。

 

「確かに、剣士の道を歩めないお前にとっては無用の長物かもしれん」

 

 空見の厳しい言葉に、暁歩も肩を落とす。自覚していたが、いざ他人から言われると結構傷つく。

 

「しかしこの二つは、お前が曲がりなりにも藤襲山で過酷な日々を生き延びた証。それ以前に、ワシの厳しい修行にも音を上げずについてきた、いわばお前の自信の証だ」

 

 暁歩が空見に弟子入りした時、他にも弟子は何人かいた。だが、空見の修業が厳しかったため、弱音を吐いたり愚痴をこぼしたりし、残った弟子は暁歩だけだった。

 その暁歩を衝き動かしていたのは、今はなくなってしまった深い怒りと憎しみ。

 それが今はなくても、暁歩が空見の修業に最後まで耐え抜いたことに偽りも無駄もない。

 そう言っていることに気づいた時、目元が熱くなってきた。

 

「暁歩」

 

 涙に震えて、体をかがめる暁歩の背に、空見はそっと手をのせる。

 その時空見は、出会ってから修業を通して今日に至るまで一度も笑わなかった空見は、暁歩を優しく見守るように笑みを向けて。

 

「お前は弱くなどない、強い男だ。それを忘れないために、この二つを手放すな」

 

―――――――――

 

 自分の隊服を掴む。傍らに置いてある日輪刀を見る。

 鬼への恐怖で塗りつぶされてしまっていた、ほんのわずかだが大切な空見との会話。それを、しのぶは思い出させてくれた。

 

「・・・刀、抜いてみませんか?」

「え?」

 

 唐突にしのぶが、置いてある日輪刀を指差す。

 

「今の暁歩さん、良い表情をしていますよ?先ほど自信を失くしていた時とは、全然違います」

「でも・・・」

「もしかしたら、色が変わるかもしれませんよ?」

 

 日輪刀は、別名『色変わりの刀』。持ち主の特性や流派によって色が変わるが、剣の腕が未熟だったり、意思が弱かったりすると普通の色のままになる。

 暁歩の刀も、貰ったその日に試しに抜いてみたが色は変わらなかった。先ほどの戦いでしのぶも刀を見ただろうから、色が普通なのを分かっている。

 しかし、かつての師匠の言葉を思い出し、しのぶと話したことで自信を取り戻しつつある今刀を抜くと、どうなるだろうか。

 

「・・・分かりました」

 

 刀を手に持ち、立ち上がる。

 そして、月明かりに照らされる中で、鞘から刀を抜いた。

 その色は、普通の刀と同じ浅葱鼠色。鞘を腰に差して柄を両手で握っても、色は変わらない。

 

 ―――お前は弱くなどない、強い男だ

 

 空見の言葉を思い出し、柄を握る手に力が籠る。

 

 ―――あなたは、弱くなんてありません

 

「・・・っ」

 

 しのぶの言葉が心の中で響き、さらに手に力が籠る。

 その直後、刀身の色が根元から変わり始めた。じわじわと、浸透するように先端にかけて明るい色へと変わっていく。

 

「・・・綺麗な色ですね」

 

 その色は、淡い花萌葱。

 見る人を安心させるような、穏やかな色に染まった刀身を見て、しのぶが感じ入るように声を洩らす。暁歩もまた、初めて色が変わった自分の刀を、少しだけ笑って眺めた。

 

「・・・暁歩さん」

 

 そう思っていたところで、不意に声をかけられた。

 暁歩が刀を鞘に戻しながら、しのぶとも違う声の主を振り返ると、縁側にアオイが立っている。

 

「どうかしましたか?」

「いえ、その・・・」

 

 声をかけると、アオイは何かを言い淀むように視線をわずかに逸らす。普段は真面目にきびきびしている印象が強いから、らしくない。

 ただ自分とアオイの間に最近起きた出来事を考えれば、おのずと何が言いたいのかは把握できた。

 

「・・・さっきのことでしたら、心配しないでください。俺は大丈夫ですし、アオイさんにも怪我がないようで何よりですから」

「いえ、それもあるのですが・・・」

 

 怪我の心配をしてくれているのかと思ったが、どうも違うらしい。

 

「さっきはありがとうございました。駆けつけて、逃がしてくれて・・・」

 

 頭を下げるアオイ。さっきは暁歩が自信を失くしていて暗かったから、また改めてお礼を言いに来たのだろう。

 だが、暁歩は照れたりできない。自分なんかが恐れ多い、と慌てて手を横に振って否定する。

 

「結局しのぶさんが鬼を斬ってくれたので・・・俺だけじゃどうにもなりませんでしたし」

 

 確かにアオイを庇いはしたが、暁歩は鬼と戦う中で段々と恐怖していた。最終的にとどめを刺したのはしのぶだし、お礼を言われるのは少し違うと思う。

 だが、なおもアオイは暁歩に頭を下げる。

 

「でもあの時、暁歩さんが助けに来なかったら・・・今頃私はここにいませんでした。本当に、ありがとうございます」

 

 ひたむきに、感謝の気持ちを伝えられると、暁歩の弁明したい気持ちも抑えられる。

 誰かの命の危機を救うことなど、暁歩にとってはこれが初めてだ。だからこういう時、どう返せばいいのかわからずについしのぶの方を見てしまう。

 だが、しのぶはにっこり笑って頷くだけ。暁歩自身の言葉を返せ、という意味か。

 

「・・・どういたしまして。アオイさんも無事でよかったです」

 

 そう返すと、アオイは顔を上げる。表情こそいつものようにきりっとしていたが、雰囲気は少し柔らかいように見える。そしてアオイは、『それでは、おやすみなさい』と告げてその場を後にした。

 

「・・・良かったですね」

「・・・ええ」

 

 今のアオイからのお礼の言葉も、暁歩の自信につながる。しのぶはそれを見通していた。

 

「それにしても、暁歩さんの刀も色が変わりましたね」

「?」

「どうです?自信もついたことですし、これを機に改めて鬼殺の隊士になるのは」

 

 にこやかに訊いてくるしのぶ。

 だが、暁歩は苦笑して首を横に振った。

 

「・・・俺は、ここに残りますよ。鬼に対する恐怖はまだ残ってますし・・・自分の経験と知識を生かせるここで、傷ついた皆さんを救いたいですから」

「あら、そうですか」

「ただ」

 

 もう一度、暁歩はさやから刀を抜く。淡い朝萌葱の刀身が月明かりに照らされて、輝きを放つ。

 

「今日のようなことがまた起きるかもしれないですから。その時俺が皆を守れるように、ここにいます」

 

 月を背に、暁歩はしのぶに向けて笑いかける。

 その顔には、明確な自信が取り戻せていた。

 

「・・・お願いしますね」

 

 そんな暁歩を見て、しのぶは心が温かくなるのを感じながらも、笑みを返した。




今後とも感想、評価お待ちしております。
次回から、蝶屋敷外の面々もちょくちょく登場させる予定です
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