暁歩は日中、問診や治療、その他蝶屋敷での家事を除けば基本的に調剤室にいる。そこで薬学に関する勉強をしたり、使用することが多い鎮痛剤や止血剤を作っているのだ。
一つの部屋に籠りきりとなると息が詰まりそうな印象だが、部屋には一応窓があるため換気できるし、薬種の香りを暁歩は気に入っているので苦でもない。
「いててて・・・」
しかし、長時間座っていると逆に体を痛めてしまうため、時折部屋から出て気分転換をすることもあった。
廊下を歩きながら背中を伸ばすと、身体の節々が伸びるような感触。少し心地よい。
南の縁側に出ると、穏やかな太陽の光が照っていて、身体が温かくなってくる。何もなければ、このまま縁側で団子と緑茶を楽しみたい気分だ。
するとそこで、草陰で何かが動くような音がする。
「?」
視線がそちらへ吸い寄せられる。一見すると変わったところはないが、よく見ると風もないのに草花が揺れている。
もっと近くで見ようとすると、ぴょこっと顔を出したのは。
「・・・猫?」
「みゃー」
拍子抜けするように呟くと、応えるように明るい茶色の猫は暢気に鳴く。無駄に力が入っていた暁歩は、力を抜くように息を吐いて庭へ下り猫に近づく。人慣れしているのか、近寄っても逃げようとしない。
試しに頭を撫でてやると、ふわっとした感触が伝わると同時に、猫が目を細める。首輪らしきものがないため、おそらくは野良猫だろう。
撫でていても全く抵抗しないので、試しに猫を抱き上げてみると、腕の中に収まった。
「よーしよし」
猫の温もりを感じながら、頭を優しく撫でてやる。甘えるように猫も体を丸めてすり寄ってくるので、暁歩の心も自然と癒された。
「暁歩さん?」
後ろからしのぶの声がしたので、猫を抱えたまま振り返って会釈をする。
すると当然ながら、猫もしのぶの視界に入ってきた。
「あら、そちらの猫は?」
猫を目にしても、しのぶは穏やかな笑みを崩さない。
しかしながら、その時一瞬、暁歩の頭が違和感を訴えかけてきた。
「そこの草陰にいたんです。野良猫みたいですが、人懐っこくて可愛いですよ」
「まぁ・・・竹垣に穴でも開いていたのでしょうか・・・?」
「多分・・・」
屋敷の周囲は竹垣で囲まれていて、たとえ猫のような小動物であっても入る隙間はないはずだ。とすれば、腐食か何かで穴が開いてしまった可能性が高い。それは放っておけないのでいずれ直す必要があるが、そんなことはお構いなしに猫は腕の中で甘えるように鳴く。
「しのぶさんも撫ででみますか?」
「いえ、私は結構です」
しのぶは暁歩の申し出に、笑みを崩さず拒否した。
少し強めの言葉で、普段とはまた違う感じがしたから、暁歩は首を傾げる。だが、腕の中の猫はしのぶに向ってまた『みゃあ』と鳴いた。
「・・・さて、私はちょっと用事を思い出したので失礼しますね」
「あ、はい・・・」
そしてしのぶは、そそくさとその場を離れて行ってしまった。
いつになく足早な感じがしたな、と思いながら暁歩は猫を放す。名残惜しそうに見上げて鳴くが、すぐに草陰に戻っていった。しのぶも言っていたが、穴の有無は後で見ておこうと思う。
暁歩は屋敷に上がろうとして自分の服を見て。
「・・・毛だらけだ」
猫の毛が抜けて隊服に纏わりついている。特に猫を抱えていた胸と腕の部分がひどい。
こんな状態で屋敷に上がっては駄目だと思い、しばらくの間隊服を叩いて毛を落とし、さらに自分の部屋で念入りに払うこととなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昼食と、昼の問診が終わり、アオイは新しく補充したガーゼや包帯などの医療用品を専用の物置へと持っていく。ここに運び込まれる隊士は基本的に重症なので、こうした用品もすぐ尽きてしまう。だから、こまめに買っているのだ。
南向きの縁側を通って物置へ向かうと、草陰で何かが動くような音が聞こえた。
「?」
アオイは足を止めて、そちらの方を見る。生き物だろうと察しが付くが、どこから入ってきたのだろう。竹垣に穴でも開いているのだろうか。
「みゃー」
そう考えていると、ぴょこっと茶色い猫が草陰から顔を出した。
「・・・」
その鳴き声を聞いて、アオイと猫の視線が交差する。
◆ ◆
「へぇ・・・猫さんがいたんですか?」
「うん、とっても人懐っこい子だった」
一方で暁歩は、きよ、すみ、なほの三人と、食卓で緑茶と煎餅で一息ついていた。そこで雑談の種に、暁歩が先ほど見た猫のことを話すと、きよが興味深げに反応を示した。
「野良猫でしょうか?」
「多分。けど、人慣れしてるし、誰かが餌をあげてるのかも」
暁歩が『いただきます』としょうゆ味の煎餅を齧る。程よい歯ごたえで美味しい。
なほもまた猫が気になるのか、暁歩に訊ねてくる。
「どんな猫さんでした?」
「明るい茶色の猫だったよ。毛並みも結構綺麗だった」
「へぇ~」
すみが興味ありげに相槌を打っている。彼女たちは、猫などの動物が好きなのかもしれなかった。
その反応を見ると、思い出すのはさっきのしのぶのことだ。
「・・・そういえば、しのぶさんはあまり興味がなさそうだったかな・・・」
ぽつりと疑問を呈すると、すみが『ええと』と申し訳なさそうに話しかけてきた。
「しのぶ様は・・・猫が苦手なんです」
「あ、そうなんだ」
「はい。犬もちょっと・・・という感じで」
意外だ、と暁歩は思う。動物などに苦手意識を持っていなさそうなイメージがあったが、そんな一面があったとは。
しかしこれで、先ほど抱いた小さな違和感の正体に気づいた。苦手だったから、あの時は強めに拒否したのだろうと。悪いことをしてしまったと思う。
「あ、でもアオイさんはそういう動物が気になっているみたいでした」
「アオイさんが?」
「はい。この前街へ出た時も、お店にいたり飼われていたりする犬や猫をちらちらと見ていましたから」
真面目な感じのアオイが逆に動物に興味があるというのも、また面白い。その様子を思い浮かべると、彼女もやはり年頃の女の子らしいなと思った。
そこで、なほが訊ねてくる
「暁歩さんが見た猫さん、まだお庭にいますかね?」
「どうだろう・・・分からないけど、見てみる?」
「はい!」
「それじゃ、行ってみようか」
三人とも猫を見たいらしいので、暁歩は煎餅を口に放り込んで噛み砕き、席を立つ。
そして四人で南の縁側へ向かう。
「ただ、衛生面を考えると野良猫を入れるのはあまりよくないんだけどね」
「ですよね・・・」
「可哀想だけど、竹垣に穴でも開いていたら塞がないと」
ちゃんと家で飼われているならまだしも、野良猫は雑菌や病気を持っているかもしれないので、医療施設に自由に出入りさせるわけにはいかない。それは三人も分かっているようだが、それでも残念そうだ。
「しかし、意外だなぁ。アオイさんが動物好きとは」
暗くなってしまった空気を変えようと、暁歩が先ほど上がった話を切り出す。
「あ、でも本当に好きかは分かりませんよ?町で見ていたのも、ちょっと気になっていただけかもしれませんし・・・」
「逆に苦手なのかも・・・」
きよとなほの言葉ももっともだ。
視線を向けていたのは『好き』とまではいかない単なる興味の対象だからかもしれないし、逆に苦手だったからかもしれない。現に、動物が苦手なしのぶの例もある。
「まあどちらにせよ、猫がいることは注意喚起も込めて伝えた方がいいか・・・」
そうして話しているうちに、南の縁側が近づいてくる。暁歩はどのあたりで猫を見かけたんだっけと思い出しながら、きよたちはかわいい猫の姿を思い浮かべながら、それぞれ足を進める。
「えっと、確かあのあたりに・・・」
そして四人が縁側に着き、暁歩が猫を見かけた草陰を指さそうとすると。
「はわぁぁぁぁぁぁ・・・」
恍惚とした表情で猫を抱きかかえ頬ずりをするアオイの姿がそこにあった。
『・・・・・・』
暁歩たち四人は、固まった。
比較的新参者の暁歩はもちろん、彼女と付き合いの長いきよ、すみ、なほの三人でさえも、あんな表情のアオイは見たことがない。普段の真面目さの欠片もないほど、緩みきって、愛おしそうな表情など。
そんな様子を見れば、アオイがああいう動物が大好きなのは誰でも理解できた。
「・・・あっ」
そしてようやく、アオイが我に返った。
暁歩たちの視線がアオイに向いているのに気づき、先ほどまでの自分の行動を思い出して、今度は恥ずかしさで顔が赤く染まっていく。
「こ、これは違うんです!どこから入ってきたんだろうって近づいたら、この子が物欲しそうな顔で見上げてきて!そしたら急に抱き着いてきて!それで―――」
「みゃぁ」
「はぅ・・・・・・」
必死で弁明しようとするも、未だ胸の中にいる猫が一つ鳴くと、骨抜きにされたような声を洩らすアオイ。
その様子に、暁歩ときよたち四人は顔を合わせて頷き、
『ごゆっくりどうぞ・・・』
その場をそそくさと離れることにした。
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そして、その日アオイが見せたあどけない表情は、しばらくの間蝶屋敷で話題となり、そのたびにアオイは赤面して黙りこくってしまったとか。
≪おまけ≫
その日の夕食の時間。
「いいですか!?あんな可愛い猫相手にしたら誰でもあんな顔になっちゃいますよ!わかります!?」
「いや、それは・・・」
顔を真っ赤にしたアオイに問い詰められる暁歩は、残りの人に視線を向ける。
きよ、すみ、なほは意図的に視線を逸らして救援が望めない。
カナヲは黙々とご飯を食べている。
そしてしのぶは、ニコニコと笑みを返すだけだった。
「・・・どうでしょうかね」
「何でですか!」