本当にありがとうございます。
暁歩もようやく解毒薬と毒に関する勉強が本格的に始まり、しのぶ指導の下で解毒薬の調合を始めるようになったのは、蝶屋敷に来てから二か月目のことだ。
しのぶ曰く、毒を使う鬼は珍しくなく、そのほとんどが即効性を持っていたり、肌に触れるだけで危険を伴う経皮毒、あるいは体組織の構造まで変えてしまう強力な毒らしい。
そんな時こそ、解毒薬がなくてはならない。
しのぶの作る解毒薬は、毒を中和して無力化し、毒の回るのを止めるか遅らせる。中には瞬く間に毒を中和・分解して、完全に回復させる優れ物もあるらしいが、それは相応の代償を伴う故に使う機会は選ばなければならないという。よく効く薬ほど反動も大きいという摂理には、さしものしのぶも逆らえないらしい。
そしてしのぶは、実際に現場で状況に合わせて、鬼の毒に確実に機能する解毒薬をその場で調合できる。その業は、迅速かつ的確な状況判断力と、毒に関する詳しい知識を持っていなければできない。この面が、他の柱と一線を画すところだ。
「鬼の使う毒は、基礎的な成分が同じであることが、調べていて分かりました。なので、私が作る解毒薬もまた、基準となる部分はどれも同じなんです」
「なるほど・・・」
しのぶは鬼を殺すための毒を研究する傍らで、同時に鬼が使う毒に関しても研究をしていた。その中で、鬼の使う毒の構造に共通の成分が含まれていることを突き止めたと言う。その気の遠くなりそうな研究の日々を想像すると、本当に驚嘆に値する。
「ですが、恐らく暁歩さんは現場に赴く機会もほとんどないでしょうから、屋敷に運び込まれた方に使う解毒薬を作ってくださればそれで充分です」
「分かりました」
「それと、『隠』の方々に持たせている簡易的なものも作れると良いですね」
毒に侵されている隊士が運び込まれることもある。その際は、しのぶが作り置いている解毒薬を投与して毒を無力化し、それから通常の薬で毒素をゆっくりと取り除いていく手筈だった。
だが、暁歩が状況に応じて解毒薬を調合できるようになれば、より早く解毒できるようになる。ひいては、回復するまでにかかる時間を少しでも短くできるかもしれない。
そこまで成長するには時間がかかるだろうが、それでも暁歩は頑張りたいと思う。
「頑張ります」
「その意気ですよ」
微笑みかけてくれるしのぶ。
期待に応えるためにも、毒に関する勉強は進めなければならない。もともと薬学には問題なかったが、毒となれば話は別だ。薬の延長線上にあると捉えれば気持ちは楽だが、それでも危険な物質を扱うから細心の注意を払わねばならない。
それでもなお、熱心に取り組もうと思うのは、しのぶの負担を減らしたいと考えているからだ。
□ □ □ □ □
そうして毒に関する勉強を続けつつ、通常の薬も作っているある日のこと。
「・・・無くなってる」
切らしてしまっている薬種があった。頻繁に使うものではないが、解毒薬を作るにあたって欠かせないもので、使う機会が少なくても重要なものだ。
(訊くしかないか)
暁歩はまだ、薬種をどこへ買いに行けばいいかを教わっていない。南にある街の問屋で買うのは知っているが、具体的な場所を知らなかった。なので、切れた際は誰かに付き添う形で教えてもらいたかったが、以前アオイが買いに行って以来薬種は切れなかった。
こうなると、誰かに頼むしかない。そしてできれば、暁歩が買いに行くのに付き添って今後一人でも買いに行けるようにするべきだ。
そう思ったところで、部屋の戸が叩かれる。
「はい」
「こんにちは」
戸を開けて入ってきたのはしのぶ。丁度いいと思ったが、しのぶも何か別の用があるのかもしれない。
「何かありましたか?」
「いえ、ただ様子を見に来ただけですよ。最近は暁歩さん、熱心に勉強していますから」
不意打ち気味に笑みを向けられて、照れくさくなる。『ありがとうございます』と口で答えるが、その実鼻の頭が痒い。
しかし、しのぶがあまり忙しそうではないのを見ると、暁歩は本題を切り出す。
「すみません、足りない薬種がいくつかあるんですけど・・・」
「あ、それは買いに行かなければなりませんね」
暁歩が、切れてしまった薬種を伝えると、しのぶは少し考えるような仕草を取ってから暁歩を見る。
「暁歩さんは、薬種を買いに行ったことは・・・」
「それが・・・一度もなくて」
「それでしたら良い機会ですし、一緒に買いに行きましょうか」
しのぶの提案は、まさに渡りに船だ。
現在蝶屋敷で治療中の隊士は、比較的症状が軽く、投薬の治療も必要としていないためアオイたちだけでも十分対処できる。
「ちょうど私も、気分転換を兼ねて出掛けるつもりでしたし」
気分転換。
思えば、しのぶは柱として普通の隊士よりも強力な鬼との戦いに身を投じており、それだけ凄惨な現場も見ていることだろう。だとすれば、それだけ心は知らず知らずのうちに疲弊し、悲しみや怒りは蓄積されていくに違いない。しのぶ自身の口からも、自分の中にそういった感情が溜まっていると聞いた。
過去に大きな傷を心に負っているからこそ、しのぶの心は不安定だろう。あの日話を聞いた時の、内面でとぐろを巻いている黒い気持ちが滲み出た言葉は忘れていない。その気持ちを必死に微笑みで隠そうとしていたのも、覚えている。
だからこそ、少しでも気持ちを和らげることは大切だ。
「・・・それでしたら、ご一緒させてください」
「はい」
頭を下げると、しのぶは快く頷いた。
そしてそれぞれ準備を整えてから出発することになり、その前にしのぶは手の空いていたなほに話しかけた。
「暁歩さんに薬を買う場所を教えがてら出掛けてきますね。何かありましたら、鎹鴉を飛ばしてください」
「分かりました!」
なほが返事をするとしのぶは頷き、暁歩も『よろしくね』と声をかけて玄関を出る。
その様子を見送っていると、後ろからアオイが話しかけてきた。
「しのぶ様と暁歩さんは、どちらへ?」
「暁歩さんに薬の問屋を教えがてら、少し出掛けるとのことです」
「へぇ・・・」
アオイはしばしの間、ちらっと見えたしのぶと暁歩のことを思い浮かべる。
少し前まで、蝶屋敷には運び込まれてくる隊士以外で男性などいなかった。だから、しのぶが男と二人で歩いているのを、アオイは随分と新鮮に思える。
「そういうことね。それじゃあなほ、二階の部屋の換気と掃除をしてもらってもいい?」
「はい!」
だが、自分たちは自分たちでできることをしようと思い、アオイはなほに指示を出す。
そしてそれぞれが、行動を開始した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
黙って並んで歩くのも何だったので、街へ行く道すがら、暁歩はしのぶに話しかける。
「しのぶさんは、街へよく行くことが?」
「ええ。薬種のお店もそうですが、甘露寺さんから教わった料理を作る際の食材もそこへ」
蝶屋敷に置かれている薬種は、最初はしのぶが直接買いに行っていたが、今はアオイやきよたちを連れて行くことが多いらしい。そして蜜璃から教わった料理の食材は、まだあまり一般に馴染みのない食材を使うことが多いため、食材が揃っている街の店の方で買っているとのことだ。
「それ以外にも行くんですか?」
「そうですねぇ・・・時間や予定にもよりますけど、たまに色々と見て回ります」
「それでしたら、今日はそういうところも回ります?気分転換というわけですし」
提案すると、しのぶは頷いた。
「・・・では、そうしましょうか」
「はい」
前に聞いていたが、その街は確かに蝶屋敷から少し遠かった。
だが、そこは辿り着いてすぐに広いと分かるほど賑わいを見せていた。暁歩が昔住んでいたところよりもさらに広く、発展している。
まず第一に、当初の目的である薬種の問屋へと赴く。そこは、街の中心地より少し離れた場所にひっそりと居を構えていた。
「こんにちは」
「いらっしゃいまし」
戸を開けてしのぶが挨拶をすると、随分と痩せた老人が返事をした。しのぶが『店のご主人ですよ』と耳打ちすると、暁歩もしのぶと同じように挨拶をする。
店の中は、暁歩も慣れ親しんだ薬種の匂いが漂っている。ただ、明かりが少なくて若干薄暗い感じがした。入口から差し込む日の光でかろうじて明るくなっている程度だ。
「
「あいよ」
その横でしのぶは、あれこれと欲しい薬種を伝えていき、主人は腰を上げて言われた通りの薬種をそれぞれ袋に小分けに詰めていく。周りを気にしている場合じゃないと、暁歩はしのぶの様子を観察する。と言っても、ここは自分で欲しい薬種を探すのではなく、主人に欲しい薬種を伝えて取ってもらう方式のようだ。
「あんたらみたいな若いのが、こんなに薬種なんてどうするつもりなんかね」
代金を払い、薬種を受け取りながら聞いた主人の言葉に、暁歩はぐっと詰まる。
鬼殺隊の存在は大衆に広く認知されていない。一般人の中で鬼殺隊を知っているのは、命を助けられた『藤の花の家紋』の家や、実際に鬼狩りの現場に偶然居合わせた人ぐらいだ。鬼だなんだと言っても大体信じてもらえず、帯刀も禁止されているので説明のしようがない。当然蝶屋敷のことを話しても無駄だ。
「まあ、私たちでも使う機会は多いのですよ」
「ほーん・・・疚しいことには使うんじゃないよ」
適当にしのぶがはぐらかすが、主人は釘を刺してくる。
疚しいと言われて暁歩はむっとするが、傍から見てもしのぶと暁歩は若い。そんな二人が詳細も言わずに薬種を買うとなれば、怪訝になるものだ。
しのぶはにこやかに『ありがとうございます』とお礼を言って店を出て、暁歩もそれに続く。
「ごめんなさいね。ご主人、ちょっと偏屈なところがあるんですけど、根は良い人ですから」
「俺は・・・気にしてませんよ」
気を悪くしたと思われているようだが、そんなことはない。なまじ自分たちの素性が分からないうえにまだ若いから、疑われるのも仕方ないと思っている。
しのぶが持っていた薬種の袋を受け取って、風呂敷に包み暁歩が持つ。
これで第一の目的である薬種は手に入れたから、後は街で自由に時間を過ごすだけでいい。
「次は・・・どこへ行きます?」
「とりあえず、街の中心まで行きましょうか」
色々回ろうと提案した身で恥ずかしいが、暁歩はこの街のどこにどんな店があるのか知らない。結局はしのぶに任せることになったが、元は彼女の気分転換が目的だからその方がいいだろう。
まずは街の中心へ向かうために、一度大通りへ出る。その規模からかやはり人通りも多く、並ぶ商店も活気があった。
「結構賑わっていますね」
「ここは大きな街道が交わるところなので、来ると大体こんな感じなんですよ」
並んで街を歩きながら、しのぶと話を進める中で暁歩は気になることがあった。
普段のしのぶは、何をして過ごしているのだろうと。
知る限りでは、鬼殺隊の柱として任務を遂行し、薬学や鬼を殺す毒の研究を進めている。また、鍛錬も欠かさない。しかしそれ以外についてはどうだろうか。
「しのぶさんって、空いた時間はどう過ごしているんですか?」
「空いた時間、ですか?」
「鬼殺隊の任務とか研究以外・・・例えば、趣味とか」
訊いてみて、しのぶは歩きながら少し視線を上に向け、自分の普段を今一度思い返してみる。が、眉を下げてしのぶは笑った。
「あまり、これと言ったものは無いですね・・・」
「そうですか・・・」
しのぶの言葉に、暁歩は変なことを聞いてしまったと申し訳なくなる。
そこで、人の流れが一時的に切れて、暁歩としのぶの周囲に少し間が開くと。
「・・・鬼への恨みや憎しみが、強いものでしたから」
その一言が、胸を痛ませる。
しのぶを衝き動かす根底の感情は、家族を奪った鬼に対する強い憎悪だ。特に最愛の姉を奪った鬼は今も生きているようで、その仇を討つためにしのぶは今日まで己を磨き上げてきた。それ以外のものには、ほとんど目もくれず。
この前蜜璃が渡した料理の本は、そんなしのぶにとっては貴重な息抜きなのかもしれない。あの本を受け取った時は、心なしか嬉しそうだったから。
だが、それだけでは心もとない。
強い復讐心は時として強い力をつける。それでも、憎しみや怒り、悲しみで己を衝き動かす人を見るのは、暁歩には放っておけず、どうにかしたいと思う。
「ああ、でも」
「?」
そこでしのぶが何かを思い出すかのように声にする。
どうやら、趣味と言えるものがあったようで暁歩も少し安心する。
「寝る前に怪談話を読んだりはしますね」
「何で怪談話を・・・しかも寝る前に・・・」
だが、明かされた趣味(?)に暁歩は苦笑する。寝る前の怪談話なんて、思いつく限りでは最悪の取り合わせだ。
「俗信や迷信はあまり好まないのですけど、怪談話は好きな方で」
「寝る前に読むのはいいんですか?悪夢でも見そうですけど・・・」
「それは怪談を嫌うからではないでしょうか?私もですが、好きな人はそう言う夢もあまり見ないんですよ」
確かに苦手な人からすれば大して恐れないのだろうが、寝る前は勘弁してほしい。暁歩だったら間違いなく嫌な夢を見る自信があった。
「そう言う暁歩さんは、何か本を読んだり?」
「俺はまあ・・・普通の小説とかですね」
別に暁歩は本の虫と言うわけでもない。気晴らしに読む程度でどんな作家が好きなどもない。
「では、さっき暁歩さんが私にしたのと同じ質問を」
「?」
「暁歩さんは空いた時間はどう過ごしていますか?」
言った通りで、しのぶに訊いた質問を返された。
自分の普段の生活を顧みるが、やがて人のことは言えなかったと暁歩は苦笑する。
「そうですね・・・自分は鍛錬か薬の勉強ですね・・・」
「ああ、そう言えば朝に暁歩さんが鍛えているところを何度か見かけました」
「見ていたんですか・・・?」
「はい。きよたちも見ていましたよ」
見られて恥ずかしくはないが、いざ改めて『見ていた』と誰かに言われると無性に恥ずかしくなる。きよたちはともかく、柱のしのぶにまで見られたとなれば駄目出しを受けるかもしれない。
「鍛錬は、お師匠さんの下で修業していた時と同じことを?」
「はい。決して師匠から教わったことは無駄じゃないですし、少しでも身体を動かさないと鈍ってしまいますから」
蝶屋敷に来てからは、洗濯物を運んだり人に肩を貸す以外では力仕事らしい力仕事もない。二年もの修業で鍛えた身体を無駄にしたくないし、何より身体は鍛えるに越したことはなかった。
「それに、有事の際はすぐに動けるようにしておかないと」
以前、アオイを庇って鬼と戦った日のことを思い出す。あの日暁歩は、鬼に対する恐怖で上手く戦えなかったが、自信を取り戻して日輪刀にも色が付いたから、蝶屋敷の皆を守るとしのぶに告げた。
「・・・あの日、暁歩さんが一人で鬼と戦おうとした日」
「?」
「蝶屋敷の皆を守る、って暁歩さんが言った時、私はすごく安心したんです」
おもむろにしのぶが話し出す。だが、その視線は少し下に向いていた。
「蝶屋敷で暮らす皆のことを、私は本当の家族のように思っています。だから、任務で屋敷を留守にする時は心配でなりません」
「・・・」
「夜は欠かさず、藤の花の香を焚かせていますけどね」
「あ」
しのぶから指摘されて、今さら気づいた。
鬼が行動するのは基本夜だし、夜間は屋敷でも鬼の嫌がる藤の花の香を焚いている。それで鬼の進入を防いでいるのだから、守るも何もなかった。
ちぐはぐな自分の発言を取り消したい衝動に駆られるが、それもしのぶが口を開いたことで思い止まる。
「それでもやはり、心強いですよ。『家族を守る』と言ってくれる人がいるのは」
暁歩を見てしのぶは微笑む。
その微笑みと真っすぐな瞳に、暁歩は視線を逸らす。そうした言葉をかけられたり、優し気な目や表情を向けられることに慣れていないから。加えて、しのぶの綺麗な顔立ちを前にすると尚更直視できない。
「・・・それは、どうもです」
そう返事をするのが精一杯だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
街をぶらぶらと散策し、昼食はうどん屋で摂ることになった。しのぶがこの街へ来る時はいつも賑わっており、しのぶが入ったことがないと言っていたので入ってみる。
気になるその味の方は。
「ん、美味い」
「本当、美味しいですね」
繁盛するのも分かるほど美味しかった。麺のコシは程よく、つゆも味が濃すぎない良い塩梅だ。ちなみに暁歩は山かけうどん、しのぶは大根おろしうどんだ。
「うどんは屋敷では作れないですからねぇ」
「まあ、手間がかかりますし」
表情を綻ばせながらうどんを啜るしのぶ。確かに、麺から作るのは少し大変なので、こうして外でしか食べる機会もないだろう。
「この後はどうしますか?」
「では、甘露寺さんから教わった料理の食材でも買いに行きましょうか」
「良いですね」
折角街まで来たので、教わったハイカラな料理の食材を買うことが決まった。どういう料理ができるのだろう、と暁歩の中で期待が膨らむ。味についての心配はしていない。
するとそこで、暁歩はあることに気付く。
「あ、しのぶさん。ちょっと」
「はい?」
そして暁歩は、ハンカチを取り出してしのぶの頬をそっと拭く。
突然のその行動に、驚くしのぶ。
「すみません、大根おろしが付いていて気になっていたものですから」
軽率な行動を暁歩は謝りながら、ハンカチを畳み懐に仕舞う。指摘すると恥ずかしい思いをさせてしまうかもしれないから、先に行動に出てしまった。
少しだけキョトンとしていたしのぶだが、ふっと小さく息を吐いて、またいつものような笑みを浮かべる。
「ありがとうございますね」
その声に若干の照れが混じっているように聞こえたのは、暁歩の気のせいだろうか。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
うどん屋を出た後は、また散策をする。
呉服屋や食器店を気ままに見て回るが、しのぶは見て楽しむに留めておき、財布を出して会計にまでは至らない。暁歩も別に入用のものは無かったので、しのぶに合わせている。
そうして街を歩いていると、目を引く髪の色の人を見かけた。
「あれ、甘露寺さんですかね?」
「恐らく」
薄い緑と桃色の髪の人など、暁歩もしのぶも一人しか思い当たらない。
そしてそんな彼女だが、誰かと一緒に歩いていた。白と黒の縞模様の羽織を着て、肩に届く程度の黒髪の人は、雰囲気からして男に見える。後は、首周りに蛇のような白く細い何かが巻かれていた。
「あれは伊黒さんですね」
「お知り合いですか」
しかししのぶは、その縞模様の羽織の人と知り合いらしい。
そしてその呟きが聞こえたのか、その二人が暁歩たちの方を振り返ってきた。
「あ、しのぶちゃん!暁歩くん!」
案の定、女性の方は蜜璃だった。振り向いてしのぶと暁歩の姿を認めると、溌溂とした笑顔で手を振ってくれている。
その隣にいた男も振り返るが、その瞳は左右で色が違っていた。そして口元が包帯で覆われており、首に巻いていた『蛇のようなもの』は本物の蛇だ。それと何故か暁歩に対して猛烈な殺意を籠めた視線を向けてくる。びりっと、暁歩の中で『嫌な予感』がした。
「二人とも揃ってどうしたの?」
「暁歩さんに薬種の店を教えるついでに、少し気分転換を」
蜜璃は普段の調子でしのぶと話をしている。
必然的に暁歩はその殺意の視線を浴びせる男と向き合うことになったが、鬼殺隊の隊服を着ているため同僚と思い、挨拶はしなければダメだと思った。
「初めまして。蝶屋敷の薬剤師、佐薙暁歩です」
「・・・
名乗ったら、やや憮然とした態度で名乗り返される。
そして、またしても柱だと知って暁歩の心が凍結する。鬼殺隊最高峰の強さを誇る柱三人と顔を合わせるとは、普通の隊士でも滅多にないことだろう。
それにしても、蜜璃と小芭内の柱二人で連れ立っているとは、何かの任務だったりするのだろうか。
「伊黒さんと甘露寺さんは、今日は?」
「ちょっと二人でお出かけしてるところだよ~」
暁歩が訊ねると、蜜璃がにこにこと笑って答える。すると、なぜか誇らしげに小芭内が鼻で息を吐いてきた。
「あら、それはお邪魔だったでしょうか?」
しのぶが少し揶揄うように微笑むと、蜜璃は『そんなことないよ~』と頬を赤らめながら否定するが、隣にいた小芭内は。
「邪魔だと思っているなら俺たちは行かせてもらうぞ。暇なお前たちの相手をしている暇など無いからな」
妙に粘着質な感じで話す小芭内。首にゆったりと巻き付いている蛇が、小芭内に同意するようにちろっと舌を出した。
「行くぞ、甘露寺」
「あ、はい。それじゃあね~!」
そして小芭内は、蜜璃の手を引いてせかせかと行ってしまった。
その様子を、少しの間立ち止まって見届けるしのぶと暁歩。
「お邪魔だったみたいですね」
「はあ・・・」
「少し距離を開けましょうか」
時間を置いて、また鉢合わせる可能性を少なくしようと、しのぶが近くにあるお茶屋に足を運ぶ。自分たちは特に急いでいるわけでもなかったので、暁歩も後に続いた。
席に着いて、二人分の団子を頼むと、しのぶは待っている間に蜜璃と小芭内のことを教えてくれる。
「あのお二人、一緒にいることが多いんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。甘露寺さんは誰とでも仲良くなれる方ですし、伊黒さんは気難しいところがありますけど、甘露寺さんには心を開いているようで」
「へぇ・・・」
蜜璃に対する印象は、最初に会った時も同じことを暁歩は考えていた。
そしてしのぶから、柱同士の人間関係を少しだけ教えてもらって、『柱』に興味が湧いてくる。
「意外と・・・柱の皆さんも仲良くしていらっしゃるんですね。師匠も『柱はすごい人たちばかりだ』って言ってたので、ちょっと想像できなかったんですけど・・・」
「ええと、あの二人はちょっと例外と言いますか・・・」
柱同士は仲良しこよしと言うほどでもなく、かと言ってピリピリもしていない。強力な鬼を相手にすれば共闘もするし、蜜璃と小芭内のように一緒に出掛ける関係性の人もいる。中には互いに鍛錬をして技を競い合う者もいた。協調性がない人もいるけれど、としのぶはとある水柱のことを思い浮かべる。
「でも・・・最初は『威圧感がすごそう』って印象がありまして。しのぶさんや甘露寺さんと話してみると、親しみやすい人もいるんだって分かりました」
お茶を飲みながら、伊黒さんは分からないですけど、と付け足す。
一方でしのぶは、これまで自分と会った隊士の反応を振り返る。ほとんどの隊員は、柱であるしのぶを前にすると平身低頭を貫き、機嫌を損ねてはならないと必死で取り繕っていた気がする。
「威圧感云々は人によりますが、私達も同じ鬼殺隊の一員ですからね。ただ、階級や強さは意図しない溝を作ってしまいがちですが」
「実際会って話してみれば、その印象も変わると思うんですけど・・・」
頼んでいた二人分のみたらし団子がやって来た。それぞれ一本ずつ手に取り、もちもちとした食感と和やかな味を楽しむ。
「けれど鬼殺隊は、鬼を倒すことが全てですから」
鬼殺隊は鬼の殲滅がすべてだ。隊内の上下関係の厳しさや、柱の印象だの階級だのはそれと比べれば大した問題ではない。
しのぶの言い分も分かるが、暁歩はみたらし団子を食べながら考える。自分がどう見られているのかが気になる性質で、誰かがどう思われているのかもまた気になる性格だから、やはりそのまま忘れることができない。
「あ、暁歩さん」
「?」
何かに気付いたように、しのぶが話しかける。しのぶを見ると、すぐさまその細い指が暁歩の口元に伸びて少し触れた。
「ついてましたよ」
どうやら、団子のたれが付いてしまっていたらしい。うどん屋とは逆の立場で恥ずかしい。
あまつさえしのぶは、拭き取ったたれをどうするか迷った末に、自分で舐めてしまったのだ。
「・・・」
それを見届けてしまった暁歩は、顔が熱くなってきたのを紛らわせるためにお茶を啜る。
少なくとも暁歩からすれば、しのぶは緊張せずに接することができる優しい人だと思う。隣で静かに団子を楽しむ姿を見ていると、そこまで肩肘張る必要もないんだよな、と。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
お茶屋を出た後は、その蜜璃から教わった料理を作るための食材を買いに行き、無事に確保することができた。だが、やはり馴染みのない食材だからこそ代金もそれなりにかかったが、しのぶは動揺することなくそれを買う。
鬼殺隊の給金はそれなりに高く、隊士の中には給金目当てで入隊する者もいるという。そして上の階級になればなるほどその額も上がり、柱は何と欲しいだけ、つまり無制限になる。それを聞いた暁歩は、目の玉が飛び出そうになった。
そんな柱の経済事情に仰天しつつも帰路に就く。だが、その途中で見た小間物屋を目にすると、しのぶの足が止まった。
「・・・少し、寄ってもいいですか?」
しのぶが暁歩に訊ねてくる。
その時暁歩は、しのぶの声に昔を思い出すような色がほんの少しだけ混じっている様に聞こえた。だが、それには触れずに頷いて、しのぶと一緒にその店へ入る。
並べられているのは簪や髪飾り、飾り紐など装飾品の類で、男の暁歩にはあまり馴染みのないものばかりだ。
だが、しのぶはその並べられた品々をゆったりと眺めている。どれも欲しくて目移りする、という風ではなく、まるで懐かしいものを見ているかのようだった。
「・・・何か気になるものでもありましたか?」
「いえ、ちょっと・・・」
しのぶは多くを語らずに、曖昧な答えを返すだけだ。
そして、視線が固定されたのは、髪飾りの棚。雪の結晶、雨の雫、花などを模した錫製の髪飾りが並べられていて、繊細かつ綺麗な色使いに暁歩も感心する。その中には、蝶屋敷で皆が着けている髪飾りと似たようなものがあった。
「・・・」
しのぶはそこを、食い入るように見つめている。
けれど、しのぶの瞳は揺れていて、特段何かが欲しいようにも見えず、結局この小間物屋でも何も買わずに終わった。
そうして店を出るが、妙な沈黙がお互いの間に漂う。陽も傾き始め、人通りも少し増えてきて周りの喧騒もより大きく聞こえてくるから、対照的にこの沈黙が痛く感じる。
「・・・不意に、昔を思い出したんです」
その沈黙を破るかのように、しのぶがそう話してくれる。
暁歩はしのぶを横目に見つつ、話に耳を傾けた。
「・・・ずっと昔、両親も生きていた頃、私と姉さんのために髪飾りを買ってくれたんです」
「・・・」
「丁度、さっき寄ったようなお店で。それでつい、その時のことを思い出して、足が向いたんですよね」
しのぶの両親が良い人なのは聞いているし、しのぶがそんな親のことを大好きだったのも分かる。だからこそ、余計その思い出は忘れられないし、不意に思い出してしまうこともある。
「・・・家族を殺めた鬼への復讐を胸に鬼殺隊で戦っていますが、ふと昔のことを思い出すと、どうにも悲しい気持ちが溢れ出そうになるんですよ」
「・・・」
「未練がまだまだ深いみたいですね、私は・・・」
しのぶはまた、いつものように笑みを浮かべるが、今はそれが力無いような儚い印象がある。
悲しい気持ち、と聞いて暁歩は、放っておけないと即座に思った。やはりしのぶも、心の根底は人並みに脆くて、そして家族との思い出を今でも鮮明に思い出せるほどに、家族に対する愛情が深い。だからこそ、過去の記憶を思い出して心をぐらつかせている。
そう理解した時、暁歩は空いた手でしのぶの手をそっと握った。
「・・・」
ためらいがちに握られたその手をしのぶは見て、そして暁歩のことも見る。
その視線を感じながら、暁歩は口を開く。
「家族との思い出を覚えているのは、それだけしのぶさんが、家族が大好きだったということですよ。それは未練とは違う、抱いて当然の感情です」
前を向いて歩きながら、暁歩は続ける。
「復讐心は、鬼と戦う純粋な原動力になります。けれど、その復讐心を生み出す心まで折れたら、しのぶさんはそれこそ本当に戦えなくなってしまうでしょう」
「・・・」
「そのしのぶさんの心を支えたいと、俺は思っています。だから・・・」
折れないように、悲しみで押し潰されないように、支えるためにその手を握った。
「・・・もし、迷惑だったらごめんなさい」
話しているうちに、自分は何かとんでもないことをしてしまったのではないか、いやしていると自信がなくなってきた暁歩。
だが、しのぶは気を悪くした様子もなく、まるで縋るようにその手をそっと握り返してきた。
「・・・もう少しだけ、こうさせてください」
「・・・分かりました」
しのぶの手は、男の暁歩と比べると小さくて、少しだけ冷たくて、そして何より柔らかい。何気にこうして異性と手を繋いだことなど初めてだったから、そこに意識が向いて仕方がない。
鼓動が早まってきて、血液が沸騰している様にも錯覚する。さらに顔にまで熱が伝わってきて、暁歩は必死に『落ち着け』と自分に言い聞かせる。
「暁歩さん、顔赤くありません?」
「・・・夕日のせいです」
しのぶが顔を覗き込んで訊いてくるが、暁歩は白を切る。
その苦しい返事に、しのぶは小さく笑って。
「では、そう言うことにしておきましょうか」
照れていることはお見通しらしい。
敵わないな、と暁歩は思いながら二人で蝶屋敷への道を歩く。
その手はしばらくの間、離すことは無かった。
≪おまけ≫
しのぶと暁歩から離れた小芭内は、蜜璃の手を引いてせかせかと歩き、定食屋に入って腰を下ろす。蜜璃がゆうに十人分を超すほどの料理を注文すると、頬杖をついて小芭内のことを見る。
「でもすごい偶然だったなぁ。しのぶちゃんと暁歩くんに会うなんて」
「・・・そうか」
小芭内は腕を組んで考える。
鬼殺隊の任務以外で、普段どう過ごしているかも分からない隊員と鉢合わせることはあまりない。多忙な柱となればなおさらだ。
だから先ほど、小芭内はしのぶたちとばったり会ったことには確かに驚いたが、問題はそこではない。
(あの佐薙とかいう男、妙に甘露寺と親しげだったな・・・)
目測では、暁歩の年齢はしのぶと同程度に見えた。つまり蜜璃よりも年下だから名前で呼ばれていたのだし、蜜璃の社交的な性格もあって仲良くなったのは予想ができる。
それでもやはり、名前で呼んでもらって、さらに仲良さげなのを見ると釈然としない。
(佐薙暁歩・・・覚えたぞ、お前の面)
暁歩は知らないところで妙な恨みを買われた。