評価を付けてくださったことと共に、本当にありがとうございます。
「暁歩さん」
雪も解けて、次第に暖かくなってきたある朝。
調剤室へ向かおうとする暁歩に、しのぶが声をかけた。『何ですか?』と答えながら振り返ると、しのぶの隣にはカナヲが立っている。その腰には、木刀を提げていた。
「裏山でカナヲに稽古をつけてきますので、何かあったらそちらまで来ていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい。分かりました」
承諾の返事をすると、しのぶはカナヲを連れて屋敷を出ていく。
こういったことは珍しくない。カナヲは、しのぶに次いでこの蝶屋敷の古参であり、しのぶが直々に稽古をつけている『継子』でもある。裏の山も蝶屋敷の敷地であり、しのぶ自身の鍛錬でも使うことが多いとのことだ。
ともかく、しのぶとカナヲが今は屋敷にいないことを留意して、暁歩は調剤室に入る。朝の問診時に持っていく薬を取るためだ。
「きよちゃん」
「はい?」
そして問診へ行く途中、見かけたきよに暁歩は声をかけた。
「今、しのぶさんとカナヲさんが裏山へ鍛錬に行ってるんだ。できる限り、こっちでできることはやろうと思うから、とりあえず何かあったら俺に言ってね」
「分かりました」
『何かあったら』としのぶは言っていたが、裏山へ行ってしのぶに報告するのは手間がかかる。それに、カナヲに稽古をつけているのは当然鬼殺隊に入るためのものだろうし、それを邪魔するわけにもいかない。
何よりも、しのぶに負担をかけたくない。暁歩だって蝶屋敷へきて半年以上が経過しているし、大体のことはできるようになっている。重症者の治療まではさすがに一人では難しいが、そこまで至らない場合は自分たちで対処したい。
鬼狩りの任務と、背負っているものの重さで心が疲れているしのぶに、頼りきりになってはならない。自分たちでできることは、自分たちでやるべきだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
幸いにも、昼近くまでしのぶの力を必要とするような事態にはならず、暁歩たちだけで対応することができた。
そして昼食の時間になると、なほが声をかけてくる。
「しのぶ様とカナヲ様、お昼ご飯はどうするんでしょうか・・・?」
「あ、それは聞いてなかった・・・」
こうして稽古をつける時は大体、昼になると一度戻ってくる。ただ、普段は出発する前に昼食をどうするか聞いていたのに、今日はそれを聞きそびれてしまった。そろそろいい時間だが、帰ってこないのでなほは疑問に思ったのだろう。そして、それを確認するのを怠ってしまったのは暁歩の責任だ。
「ちょっと聞いてくるね」
「すみません・・・」
手早く準備して、裏山へと向かう。道順は前に教わったことがあるので、迷うことはない。
行く途中で二人と出くわすこともなく、暁歩は裏山へとたどり着く。と言っても、そこまで高い山ではなく、登る際に息が上がる程度の標高ではない。
そうして上っていると、少し開けた場所にたどり着いた。
そこでは、カナヲが素早い動きで身体を捻り、しのぶと木刀で打ち合っていた。両者の木刀がぶつかり合うたびに小気味良い音が周囲に響き、お互いに身軽さを生かして縦横無尽に動き回っている。そして一瞬で間合いを詰め、木刀がぶつかり合うと再び距離を置く。
(すごい・・・)
少し離れたところから見ているが、二人の動きは目を凝らさなければ追いつけないほど速い。注視していると、しのぶの方が積極的に動き回り、カナヲはそれを目で追いつつも、しのぶが不意に仕掛ける攻撃を防ぐ。
カナヲはまだ、藤襲山の最終選別に参加しておらず、鬼殺隊ではない。
けれど、その実力は柱であるしのぶの攻撃を躱し、受け切るほどに優れている。自分なんかとは比べ物にならないと、暁歩自身に力不足を嫌でも感じさせるほどだ。
だが、暁歩は不思議と、自分の弱さを感じても、落ち込んだり心が挫けそうにもならない。
その戦っているカナヲの姿に、なぜか自然と自分の心が昂り始めるのを感じた。劣等感からくるものかどうかは知らないが、自分もああなりたいと思うように気持ちが動いている。
「・・あら、暁歩さん。どうかしましたか?」
心の中でそんな風に高揚感を得ていると、不意にしのぶが声をかけてきた。カナヲも気づいていたのか、暁歩の方を見ている。
そこでようやく、ここに来た本来の意味を思い出す。
「ええと、もうすぐ昼食の時間ですので。どうするのかを確認したいのですが・・・」
「あら、もうそんな時間でしたか」
どうやら、時間を忘れるほどに集中していたらしい。しのぶが懐中時計を取り出して時間を見ると、驚いたように告げた。
「それじゃあ、続きは昼食の後でね」
しのぶがそう言うと、カナヲはぺこりと頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
蝶屋敷へ来て大分経つが、未だに暁歩はカナヲのことがよく分かっていない。
普段暁歩は隊士の治療や薬の調合で忙しいが、食事の時は同じ食卓を囲んでいるので顔を合わせる機会も多い。
だが、暁歩が見る限り、カナヲの表情にはほとんど変化がなく、いつもゆったりとした笑みを浮かべているだけだ。しのぶの浮かべている微笑とは少し違う感じのする笑みは、穏やかそうに見える一方、どこか儚いようにも見える。そして、そんな笑顔を見ていると、暁歩の頭が妙に疼いた。
加えてカナヲは、ほとんど喋らない。食卓はもちろん、顔を合わせて挨拶をしても、黙って会釈をする程度。暁歩はこの屋敷に来て、カナヲと言葉を交わしたことが一度もなかった。
けれど今日、しのぶに稽古をつけてもらっているところを見て、その実力はとても高いことが分かった。惚れ惚れするほどのその強さには、いったいどこから来るのか。疑問は尽きない。
「カナヲのことが気になりますか?」
「え?」
昼食を終えて廊下を歩いていると、突然背後から声をかけられた。
驚き振り返ると、しのぶが割と近い距離にいて、急に話しかけられたのとは別の意味で胸の鼓動が早くなる。一歩退いて距離を取るが、しのぶはにこにこと笑ったままだ。
「どうして急に、カナヲさんの名前が?」
「まあ、食事中にカナヲのことを見ている気がしましたからね。こう見えて、人の視線は割と気にしている方ですから」
自分の考えていることが分かったのが驚きだ。そして、無意識にカナヲの方を見ていたと悟られたのも、思いがけないことだった。けれど、暁歩は頷いて答える。
「・・・そうですね。ここへ来て随分と経ちますが、カナヲさんと話したことがないですし・・・今日の稽古で強いって分かりましたし」
暁歩が苦笑しながら言うと、しのぶも同じように眉を下げて笑う。
だが、その奥には悲しい気持ちが隠れているように暁歩には見える。
「あの子は・・・仕方ないんです。そうなってしまうのも」
「?」
立ち話も何だから、ということで調剤室にしのぶは入る。暁歩もそのあとに続いた。
「カナヲは、私と姉が一番最初に引き取った子ですが、家族や大切な人を鬼に殺されたわけではないんです」
鬼と関りがない。それだけで、暁歩の疑問はより強くなる。この蝶屋敷に暮らしている人は、皆鬼によって家族を喪ったと聞いていたから少し意外だ。それに、一番最初に引き取ったというのも気になる。
「・・・カナヲは、親によって女衒に売られていたんです」
―――――――――
しのぶとカナエが、カナヲに初めて出会ったのは、縄で繋がれ連れて行かれるところだ。
ひどい有様だった。親から十分な世話もされず虐待を受けていたのか、身体は痩せこけていて、身体は傷と垢だらけ、髪も伸び放題でパサパサ。それどころか、親に名前すら付けてもらえなかったという。
そんな名前もない少女を―――半ば強引な形だが―――しのぶとカナエは引き取り、この屋敷へ連れてきた。そして、『カナヲ』という名前を付けたのだ。
しかしながら、カナヲの状態は思った以上に深刻だった。
度重なる虐待の末に心を閉ざし、自分の意思を持っていない。正確には、自分で何かを考えて決め、行動することができない。何かをするにしても、誰かに命令されなければ始められない。たとえ空腹で、目の前に食事が置いてあっても、食べるように言わなければ食べないほどだ。
それを知ったカナエは、『表』『裏』と書かれた硬貨を渡し、一人の時はこれを投げて決めればいいと伝えた。
それでもカナヲには、やはり感情の起伏が生じることはほとんどなかった。カナエが亡くなった時も、カナヲは涙を流さなかったという。
―――――――――
その境遇を聞いた途端、暁歩の疑問は晴れ、取って代わって胸がとても痛くなる。
この世で唯一の親に売られるなど、悲しいにもほどがある。暁歩も、しのぶも、優しい親の下に生まれたからこそ、その辛さは想像を絶するものだと理解できた。理不尽に虐げられたことで意思を持たなくなり、感情の起伏に乏しくなってしまったのも、感情を彩り豊かに表現できる人間に生まれたのだから、悲しいことだ。
「親に捨てられたと聞いて、胸が痛まずにはいられなかった・・・。喪いたくなかったのに親を奪われた私たちからすれば、親から捨てられたカナヲがとても気の毒で、救いたいと思わずにはいられませんでした」
しのぶは、心の痛みに苛まれていることだろう。声で分かる。
今も心に家族の姿を覚えているしのぶからすれば、ほんのわずかな愛情さえも与えられず、名前さえも付けてもらえないことが、どれだけ辛いことか。
そして暁歩もまた、同じ思いだ。それどころか、心の中でふつふつと怒りまで込み上げてくるのが分かる。
「成長するにつれて、カナヲも笑顔を覚えるようになりました。けれどそれは、私や姉、アオイたちの笑みを真似ているだけだと気づくのに、そう時間もかかりませんでした・・・」
心からの笑みを浮かべられず、誰かの笑みを真似ることでしか笑顔になれない。
楽しい、面白い、嬉しいといった心が温まるような感情を得られず、ただ張り付けるだけの笑顔は空しいだけだ。
カナヲが浮かべている笑みを思い浮かべて、暁歩は胸が詰まるようだった。あのゆったりとした笑顔を見て頭が妙に疼いたのは、その裏に辛い過去があると『予感』が訴えかけていたからなのか。
「けれど驚くことに・・・カナヲは私や姉の鍛錬を見て、見よう見まねで刀さばき、そして呼吸法まで身に付けたのです」
「見よう見まねって・・・すごいことじゃないですか?」
「ええ、本当に」
何かを始めるのには自分の意思が重要だ。そしてその次に、すでにある何かを模倣することで、前に進み出せる。
カナヲがなぜ、しのぶたちの鍛錬を真似しだしたのかは分からない。だが、真似しただけで鬼殺の剣士としての戦い方を学ぶのは、本当にすごいことなのだ。
「そして、柱の基本である全集中・常中まで会得したんです」
「それは、別の呼吸法ですか?」
「全集中の呼吸を四六時中・・・起きている時も、寝ている間も続けることですよ」
聞いただけで、暁歩の顔から血が引いていく。
暁歩も全集中の呼吸は身に付けている。だが、それを会得するまでの修業は死ぬほど厳しかったし、一時的に使うだけでも体力を要する。自分の呼吸を操作して、身体を無理矢理強化するのだから、反動もそれなりに大きいのだ。
その全集中の呼吸を常時やっていれば、確かに理論上は肉体が強化されるだろうが、尋常ではない集中力が要るだろう。
「それと、全集中・常中の修業の際は瓢箪を吹かせるんですよ」
「瓢箪?」
言ってしのぶは、懐から小さな瓢箪を取り出した。水や調味料を入れるのに重宝されるのだが、これを吹くことが修業とはどういうことだろう。
「これを吹いて、内側から破裂させるんですよ」
「・・・破裂?」
「体内に空気を多く取り込み、それを吹いて内側に空気を送り続けて破裂させるんです。これを破裂させられれば、体内により多くの酸素を取り込めた証拠ですから」
「・・・それをやったんですか?カナヲさんが」
「はい」
そこまで至るには結構な時間がかかるらしいが、それ以前に、傍目に見てもあんな儚げなカナヲが瓢箪を破裂させるなんて絵面が思い浮かばない。
「・・・だからですか。しのぶさんと張り合えるほどに強いのは・・・」
基礎的な鍛錬は真似しただけで会得し、柱になるための修業さえもしている。まだ鬼殺隊に入っていないのにここまで成長しているとは、暁歩も驚きだった。
「・・・そうですね。カナヲは、強いと思います」
だが、言葉はカナヲの強さを喜ばしく思っているようなしのぶも、その語調はやや暗めだ。妹のような、弟子のようなカナヲの成長を、素直に喜んでいないように感じる。
「・・・何か気がかりなことが?」
暁歩が訊くと、ゆっくりと頷く。
「・・・カナヲがどうして、そこまでするのかは分かりません。あの子には、自分で考える力もないのに」
度重なる理不尽の末に、カナヲは自分で物事を考え決めることができない。では、なぜしのぶやカナエの行動を真似て、鬼殺の剣士としての戦い方を身に付けられたのか。何かを決める際に投げていたはずの硬貨も、その時は投げていなかったらしい。
「それはもしかしたら、カナヲさんが意思を抱き始めたのかもしれませんよ」
「そうだとしても・・・私にとっては不安です」
カナヲの強さを評価するのと同時に、不安も覚えている。
その複雑な心境を、暁歩は目線で話してほしいと促す。
「全集中の呼吸はもとより、常中まで会得したとなれば・・・鬼殺隊に入ることを望んでいるのやもしれません」
「・・・それは、しのぶさんからすれば」
「一概に良いこととは言い切れません」
自分から何かを始めたり、何かを望むのは、カナヲの変化の証だ。それは良い変化だとしのぶも思う。
だが、鬼殺隊に入れば、鬼との苛烈な戦いに身を投じることになる。最悪の場合は、カナエと同じ道を辿ってしまうかもしれない。それを考えると、しのぶはたとえカナヲが変わり始めているとはいえ、素直に背中を押せない。
「ではもし・・・カナヲさんが、自分から鬼殺隊に入りたい、と言ったらどうしますか?」
暁歩は、一つの可能性を示す。
それに対して、しのぶは少しだけ考える。
「カナヲが自分の心を持って動き始めるのは、姉の願いでもあったから、拒むわけにもいきません。けれど、鬼殺隊はいつ死ぬかもわからない戦いを強いられます。もしかしたら、カナヲも・・・」
その先を言葉にしない。
大好きだった姉の意思を取るか、『家族』に死んでほしくない自分の意思を優先するか。その二つの感情の板挟みになっているのは分かる。暁歩がしのぶと同じ立場だったら、同じように悩むはずだ。
そしてその答えを、今は暁歩にもしのぶにも出せない。
「・・・しのぶさん自身は、どうしたいですか?」
カナエの遺志は今だけ考えず、カナヲの行動理念も一旦置いておき、しのぶ自身の率直な気持ちだけを訊ねる。
一度しのぶは、窓の外を眺める。二羽の番いの鳥が、空を楽しげに飛んでいるのが見えた。
「・・・家族を喪う悲しみは、二度と味わいたくありません」
「・・・」
「アオイたちにも、あなたにも。味わってほしくはない」
明確には言わずとも、しのぶの本心は伝わった。どうしたいのかも、暁歩には理解できた。
「・・・私には、継子が何人もいました」
「カナヲさんの他に・・・ですか」
「ええ・・・」
他にも継子がいたというのは初耳だ。
だが、今までその話を聞いたことがなく、しのぶの口からも聞かされず、何より今のしのぶの表情が落ち込んでいることからして、
「だからこそ・・・カナヲには、私たちとは違う、もっと女の子らしく生きてほしい。姉さんが私に言っていたような人生を、歩ませたい」
女の子としての幸せを手に入れること。
おばあちゃんになるまで永く生きること。
鬼殺隊に入れば、それとは正反対の人生を歩んでしまうことになるだろう。現にしのぶも、それが実現するかどうか曖昧な位置にいる。
だからこそしのぶは、カナヲが鬼殺隊に入ることを望んでいない。
「・・・カナヲさんのこと、大切に思っているんですね」
「ええ。私にとっては・・・妹のようですから」
しのぶの本心を聞けたこと、そしてカナヲがどういう人なのかを知って、暁歩は安心した。
まだどんな人かもわからなかったカナヲは、自分たちと同じように辛く悲しい過去を背負っていて、それでも自分なりに成長しようとしている。そしてしのぶからも、大切に思われているのだ。
「でも、しのぶさんがどう思われているかは、カナヲさんに言った方がいいですよ」
「・・・そうですね。ただ、まだカナヲが本当に最終選別に参加するかどうかも聞いていないので、あの子が『行く』と言った時に話すつもりですよ」
全てを話して安心したのか、しのぶの表情も幾分か明るくなっているように見えた。
そうしてしのぶは、立ち上がって調剤室を出ようとするが、そこではたと思い出したように暁歩を振り返る。
「まあ、カナヲには少しずつ意思が生まれつつあるのは確かかもしれませんね」
「?」
「この間の私の誕生日に、カナヲは椿油を贈ってくれたんですよ」
椿油は髪の手入れや、肌の保湿などによく用いられる。年頃の女性には重宝される代物だ。
「ああして自分から贈り物を買って私に渡すというのは・・・確かに自分の意思の表れなのかもしれませんね」
しのぶの誕生日の時、カナヲは何かをするつもりだと聞いていたが、今実際に何をしたのかを聞いて暁歩も安心したような感じだ。しのぶを祝おうという気持ちがカナヲにあるということだから。
「誕生日と言えば、何ですけど」
「?」
「私の部屋に、見覚えのない花瓶と花が置かれていたんですけど、何か心当たりがありませんか?」
だが、続けて問われた質問に、暁歩は口を閉ざす。
それは確かに暁歩が置いたものだが、それを正直に答えると少し面倒なことになる気がする。なぜなら、しのぶという年頃の女性の部屋に暁歩が本人の許可を取らず入ってしまったことが露見するからだ。
「暁歩さん、知っていることがあれば教えてもらえると嬉しいのですけれど?」
だが、こうして訊いてくるということは、暁歩に当たりを付けているのかもしれない。何だか妙にしのぶの笑顔に凄味というか威圧感があるし、優しく問いかけているのが逆に怖い。
「・・・すみません、俺が置きました」
そのことから、暁歩は早いうちに白状する。これは叱責の一つや二つが来てもおかしくないだろうと腹を括った。
「私は怒っているわけではないのですよ?ただ、どこから私の誕生日を知ったのか、とか、私の部屋に勝手に入ったのかとか、その辺りを聞きたいんです」
怒っていないように見せかけてきっちりと疑問点を明らかにしようとしている。
暁歩は、申し訳ない気持ちを抱きながら、誕生日はきよから教わったこと、そしてなほ監視の下でしのぶの部屋に入り、ささやかな誕生日祝いの花を置いたことを明かした。
「なるほど、あの子たちが・・・」
「気を悪くされたのであれば、きよちゃんたちを責めないでください・・・」
暁歩が頭を下げるが、しのぶはふっと少し笑った。
「本当に、怒っているわけではありませんよ。なほが見ていたと分かりましたし、ささやかな形でも祝ってくれることは嬉しいですから」
しのぶは言い聞かせるようにそう告げた。
暁歩はそれで、罪悪感がほんの少しだけ薄れるが、それでも部屋に入ったことに関しては申し訳ないと再度頭を下げた。
□ □ □ □ □
結局、しのぶがカナヲに説得をすることはなかった。
その理由は、少しも喜ばしくない。
「いない?」
「はい。しのぶ様に呼ぶよう言われたんですけど・・・」
カナヲの境遇を聞いた数日後。
朝食を終えて調剤室へ向かおうとした矢先、きよに呼び止められて、カナヲがいなくなったと発覚した。
暁歩も確かに、朝食の時は食卓にいたのを覚えているし、そこにはしのぶもいたから見間違いではないはずだ。まだそれほど時間も経っていないのに、なぜ急にいなくなったのか。
「アオイさんたちは何て?」
「分からないって・・・すみちゃんとなほちゃんも・・・」
暁歩も少し考える。
カナヲがどんな人なのかはしのぶの話で少しだけ分かったが、誰にも何も知らせずに外出するのは流石にどうかと思う。特に、自分で考える意思がほとんどないカナヲが、自らどこかへ向かう時点で奇妙だ。
考えながら視線を動かすと、壁にかかった七曜表が目に入る。
そして今の時期と自分の記憶を鑑みて、嫌な『予感』がした。
「・・・しのぶさん、今どこにいる?」
「多分、居間か食卓ではないかと・・・」
きよが答えると、暁歩は『ありがとう』と告げて足早にその場を離れる。
もちろん、しのぶに話をするためだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「カナヲさんは恐らく・・・藤襲山へ行きました。最終選別へ・・・」
居間で、暁歩はしのぶの正面に座り告げる。
その瞬間、しのぶの顔から微笑みが消えた。
普段は自分の心を偽って微笑みを浮かべるしのぶだが、少し事情が違う暁歩相手だとこうして表情を変えることが多い。だが、今回に限っては暁歩相手でなくてもそんな表情になっていただろう。
「・・・もう、そんな時期でしたか」
「ええ・・・俺も今さっき、七曜表を見て気付きました」
藤襲山での最終選別は年に一回行われ、それは大体冬の終わり頃だ。暁歩やしのぶも、この時期に受けた記憶がある。
「ただ、確証はありません。鍛錬のために裏山へ行っているのかもしれませんし・・・」
「鍛錬に行く際は、私か屋敷の誰かに一言伝えておくように言ってあるんです。けれど、誰も知らないとなると・・・」
暁歩が示した可能性にも、しのぶは首を横に振る。いよいよもって信憑性が高まってくる。
同時に、お互いの心には、恐怖が蘇ってくる。最終選別の過酷さは互いに経験して身に染みているからこそ、カナヲのことが心配だった。
「・・・どうするんですか」
「どうもこうも。こうなってしまっては、どうしようもありません」
しのぶが説得する前に、カナヲは行ってしまった。
帰ってきたら、それは鬼殺隊への入隊を決めたことになり、辛い道を歩むことになる。帰ってこなければ、それは命を落とすことになる。どちらにせよ、しのぶが望む結末ではない。
「・・・私は姉と別々の時期に最終選別に参加しました」
「・・・?」
「姉が最終選別に参加すると言った時、私は心配で仕方がありませんでした」
しのぶとカナエは、それぞれ別々の育手の下で修業を積み、最終選別もしのぶの言った通り別々に受けた。育手を紹介したのは姉妹を助けた悲鳴嶼で、別々にしたのも彼だ。
悲鳴嶼が姉妹を引き離した理由は、どちらかが庇い、どちらかが庇われることを防ぐためだったのだろう。それではお互いの成長につながらないから、姉妹の仲が良いのを分かったうえで別にさせた。
そして選別で心配になるのは分かる。どの鬼も本気で飛び掛かってくるし、不意打ちのように異形の鬼も存在する。あんな過酷な環境で七日間も生き延びるなど、軟な人間にはできない。だからこそしのぶは、たった一人の家族になってしまったカナエが無事に生き残れるかが不安だったのだ。
「そして今も・・・カナヲが帰ってくるかが心配でなりません」
大切な家族が参加している時に抱く不安を、しのぶはまた感じている。実際に参加して厳しさを分かっているからこそ、その不安は尽きない。暁歩も同様で、心がそわそわしていた。
「今は、カナヲさんが無事に帰ってくることを祈るしかありません」
「・・・・・・」
「しのぶさんも言った、カナヲさんの強さを信じるしかないです」
もはや止めることは不可能。時を巻き戻す術もない。
残されたしのぶたちにできることは、発ったカナヲの無事を祈ることだけ。任務に出ているしのぶを、屋敷で暁歩やなほたちがそうしていたように。
「・・・そうですね」
しのぶは笑みを取り戻そうとしてそう言ったが、暁歩の言葉が心にまで届いているかどうかは分からない。
□ □ □ □ □
それから七日間の間、蝶屋敷は妙に浮足立っている感じがした。
隊士が運び込まれた時はきちんとした対応を取っていたが、それでも心はどこか落ち着かない。無論、原因は最終選別に参加しているカナヲだ。特に、最終選別のなんたるかを知っていて、カナヲと付き合いがそれなりに長いアオイは、やけに動揺していた。
かくいう暁歩も、最終選別で心と身体に傷を負った身だから、同じようにカナヲのことが心配だ。まともに言葉を交わしたこともないが、蝶屋敷で共に暮らす『家族』であることに変わりはないから。
「・・・しのぶ様、大丈夫ですか?」
「・・・ええ、ありがとう」
そして、目に見えて動揺しているのはしのぶだった。
暁歩だけでなく、アオイやきよたちから見ても気が気でない様子は確かで、心配したきよやすみ、なほがお茶やお菓子をそっと置いていくぐらいだ。しのぶは普段と変わらないような笑みを浮かべてお礼を言ってくれるが、その笑みも心なしか暗い。
暁歩はともかく、アオイたちもこうなったしのぶを見るのは随分と久しい。最後にしのぶがこのように変わった様子を見せたのは、カナエの葬儀以来だ。つまりそれだけ、しのぶにとっても今のことは心配だということ。何せしのぶが、カナヲのことを『妹のようだ』というぐらいには、愛情を持っているのだから。
「・・・・・・」
だが、そんな心配をされていたと知ってか知らずか、カナヲは七日後に何事もなかったかのように玄関に立っていた。
一番最初に気付いたのはアオイで、『カナヲが帰ってきた!』と声を張り上げて言ったものだから、(怪我人を除いた)屋敷の誰もが一斉に玄関へと詰めかける。
カナヲの桃色の袴には汚れや返り血が微塵もついておらず、見える範囲に怪我もない。表情には疲れの色が一切なく、その肩には白い鞄を提げている。それは選別を突破した者に支給される隊服が入っているのだと、暁歩やアオイは瞬時に理解した。
「・・・カナヲ」
しのぶがカナヲの前に立つ。
カナヲの表情は変わらない。だが、しのぶの後ろに立つ暁歩やアオイ、きよたちは、七日もの間しのぶがどんな心境でいたのかは、あの見せていた落ち込みぶりで分かっていた。
「・・・おかえりなさい」
生きて帰ってくるか不安だっただろうに、無断で最終選別に参加したことを怒っているだろうに、しのぶは優しく静かにカナヲを抱き寄せた。
抱き締められた当のカナヲは、少しだけ目を細めてしのぶに身体を預ける。
「良かったですぅ・・・」
「急にいなくなったから心配しましたぁ・・・」
「不安だったんですよぉ~・・・」
きよ、すみ、なほの三人も、涙を浮かべてカナヲの帰還を喜んでいた。
「・・・良かった」
アオイも、安堵の気持ちが表情に少し出てきていて、声も普段のきびきびしたものと比べて幾分か柔らかく、安心しているようだった。
「・・・・・・」
暁歩はカナヲが無事に帰ってきたことに、内心ほっとしている。
けれど、ただ一つだけ胸に引っかかりを覚えていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「・・・カナヲさん。少し話があるので来てください」
その日の夕食の時間が終わる際に、暁歩はカナヲにそう言った。
こうして暁歩がカナヲを呼び出すのは、蝶屋敷に来て以来初めてのことだったから、その場にいたカナヲを除く全員が驚いたものだ。そして暁歩自身も、こうした時の自分の行動力に驚いている。
「・・・何故、何も言わずに選別に参加したんですか?」
そして、呼び出した理由はこれに尽きる。
無断で最終選別に参加したことで、蝶屋敷の皆に心配を掛けた。特に、カナヲのことを妹のように思い可愛がっているしのぶにも、あれだけ不安を抱かせたのだ。いくら自分の意思がほとんどなく、選別に参加した行動原理が分からなくても、看過せずにはいられない。もし、悪いことと思っていなかったのであれば、今ここでそれはいけないことだと教える。
「・・・・・・」
だが、カナヲは暁歩の問いかけが聞こえているだろうに、何も答えない。暁歩の表情や語調からして、安穏とした話ではないとは認識しているのか、表情は微笑んではいないが。
ここで暁歩は、カナヲは硬貨を投げるか誰かに指示されなければ何もできないのを思い出す。
「・・・選別に参加した理由を、教えてくれますか?」
子供にやさしく言い聞かせるように、丁寧にそう訊ねる。
するとカナヲは、視線をわずかに右に逸らしながら、口を開いた。
「・・・他の皆と違って、何もできないから」
「?」
「・・・家事も、手当ても、できないから」
多分初めて聞いた、ちゃんとしたカナヲの声。
だが、暁歩はその言葉を聞いて気付いた。この屋敷に来てから暁歩は、一度もカナヲが病室で傷の手当てをしたり、洗濯や炊事などをこなしているところを見たことがない。手伝っている時さえなかった。
「・・・何か、皆の力になりたかったから」
しのぶは、カナヲには自分で何かを考える意思がないと言っていた。何をするにしても自分で決められないと、確かにそう言っていたはずだ。
だが、カナヲの告げた『力になりたかった』という言葉は、紛れもなくカナヲの意思の表れだ。自分の意思がないなんてことは無い。
心を閉ざしていたカナヲが、しのぶの言った通り変わり始めている。
無表情と思っていたカナヲの顔に、『皆の力になりたい』という意思が籠められている様に見えてくる。
「・・・・・・」
それ以上を追求することが、できなくなった。
蝶屋敷の皆に心配を掛けたカナヲに対して、暁歩の中で燻ぶっていた憤懣が消え去る。
「・・・そうですか」
そして、ようやっと、心の底から安心できた。
自分の意思を持ち始めたカナヲが無事に帰ってきたこと。そして、蝶屋敷の力になりたいと思っていたこと。
カナヲが変わり始めていることに安心し、同時に嬉しく思っている。
「・・・でも、もう二度と・・・皆を不安にさせてはいけません」
「・・・」
「俺もそうですが、しのぶさんも、アオイさんたちも、心配だったんですからね?」
あやすように告げると、カナヲはこくりと控えめに頷く。
そして最後に、暁歩はふっと笑った。
「・・・無事でよかったです」