結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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前回のあらすじ
想いよ――

これで最後。結構長いです。


結末

 夏凜は友奈たちとは違う。

 具体的には勇者としての想いがまるで違う。

 友奈たちはある日突然勇者に目覚めた女子中学生に過ぎない。対して夏凜はずっと前から勇者になるべく鍛錬に鍛錬を重ねる日々を送ってきた。

 ……年季が違うのだ。勇者になりたいと渇望し、努力してたったひとつの席を自力でもぎ取った実力者だ。誰もが認め……神樹様のお墨付きを頂けるというこの上ない名誉。

 だから夏凜は誰よりも胸を張って誇ってもいいのだ。

 私こそが本当の勇者なのだと。

 でも、それは間違いだった。確かに夏凜の在り方も勇者だったが、友奈たちが在ろうとする『勇者』は平凡で日常的ではあるものの……夏凜と同等以上に輝いていた。それを羨ましいとも思った。

 きっと、今もまだ戦えているのはそんな普通な動機なのだろう。

 

「勇者部、五箇条……ひと、つ。なるべく、あきらめ、ない……!」

 

 ゆっくりと立ち上がる。右脚が言うことを聞かないから上に伸びた根に背中を擦らせながらが精一杯だ。

 手に掴んだ刀を杖代わりにのろのろと歩く。果たしてこんな惨めな姿で助太刀できるのか。

 否。否。できる。

 先程からひっきりなしに聞こえる轟音が戦場を教えてくれる。灼熱の風が肌を撫で、ピリピリと痙攣する。

 三ノ輪銀に後を託された。

 ならば、それを最後まで守り通すことが託された者として……後輩としてやるべきことだ。

 それに、なんといっても……。

 

「この私が! あいつらに遅れを取るわけないんだから――ッ!!」

 

 聴覚を頼りに夏凜は飛び立つ。

 東郷と風の踏ん張る声が聞こえるから間違いなく戦場だ。左腕だけで刀を構え、大きく振りかぶった。もし邪魔な助太刀ならその時また指摘してくれるだろう。まずは一太刀!

 

「そこかーー!!」

 

 何を斬っているのかわからない。しかし熱くて巨大なものであるという認識はできた。それに直進運動をしている。斬るというより受け止めるだけで精一杯だ。

 

「夏凜⁉」

 

 風の驚く声がすぐ左隣から聞こえる。

 

「私はまだ戦えるわ!!」

 

 力を貸してください、神樹様!

 満開。

 追加武装を展開し、巨大なアームで最大出力を維持する。これまで生きてきた中で最も力を出していると確信できるほどだ。

 

「樹と友奈は⁉」

 

「樹ちゃんは隣! 友奈ちゃんは受け止めてる間に変身が解けたわ!」

 

 友奈は……頑張った。

 満開を繰り返し、勇者として何一つ恥のない戦いをした。ふたりでバーテックスに名乗りを上げる時、この上ない闘志を感じた。もし友奈以外の誰かだとこれほどのものではなかっただろう。

 

「押し返せッ! 勇者部――」

 

 風の雄叫びに三人が呼応する。

 

「「ファイトオォォォーーっ!!」」

 

 四人の力が限界を突破し、火球を包み込むほどの大きな花が咲き誇る。

 勇者となって身体強化が施されているものの骨が割れるほどの負荷を受け続け、夏凜たちは呻きを漏らす。やがて地面を大きく抉り取りながら火球の勢いを食い止めることに成功した。

 しかしやっと受け止めることができただけでそれ以上のことができない。誰かひとりでも火球の中の御霊を破壊しようと動けば……いや、誰かひとりが少しでも力が抜けたら均衡が崩れてしまう。

 

 誰か、あとひとり……!

 

 樹海を埋め尽くすほど大量の虹色の花びらが舞い上がる。

 勇者部は、最後の希望の名前を叫んだ。

 

 ◆

 

 聞き覚えのある誰かの声で名前を呼ばれた気がして、結城友奈は微かに目を開いた。

 風前の灯火。電池の切れかけた機械。

 死に体の友奈がそれでも目を開けたのは何かの奇跡だったのかもしれない。

 ……これは奇跡だ。

 針はもう時を刻まない。すでに役割を終え、灰となって消えているからだ。

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、が」

 

 熱を感じる。

 自己を情報焼却しようとしているのか、ゆっくりと全身を蝕み始める。

 何も動かせない。唯一動かせるはずの左腕、その指先一つすら動かせない。肉体が命令を受け入れず、意識が断線する。ほぼ完全に意識と肉体が乖離している状態だ。

 怖い、という感情があった。

 しかしなぜ、と一蹴する。

 自分という存在が小さくなってきている。すでに身体の大部分が自分のものではない無になっている。

 抵抗する苦悶さえ満足にあげられない。

 

「――――――――――あ、あ」

 

 この侵蝕を止める術を友奈は知らない。というよりそもそもそんな術はない。だからどうしようもない。

 じわじわと心までも犯され、初めから朦朧だった意識が希薄になってくる。

 

「――――――――――、あ、ぐ」

 

 駄目だ。

 もう無理だ。

 抵抗しようとする意志が失せる。

 痛みはない。あくまで穏やかな死。

 何かをしなければならないという使命があるはずなのに、それが思い出せない胸のつっかえ。

 そして結城友奈の物語はここで終わりなのだと一方的に告げられる。

 その通りだ。終わろう。すべて終わろう。

 ここからの大逆転劇? そんなものはない。人の人生は呆気なく終わることだってある。友奈がそのひとりだったに過ぎないのだ。

 結城友奈は諦めた。死を受け入れることにした。

 目を閉じ、儚い命が消えるのをじっと待つ。

 そして、この世では決して見ることのできない素晴らしい景色を目に焼き付けようとした、その瞬間。

 

「――助けて、友奈ちゃん!!」

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、ぁ」

 

 記憶の濁流が発生した。

 何かの後、病院の通路で交わしたふたりだけの約束。どれだけ記憶が灼かれても、間違いなく覚えている。

 東郷が助けを求めている。

 連なって仲間の呼ぶ声が友奈の奥底――魂に届いた。

 何を約束した。

 結城友奈は誰を守ると約束したんだ。

 

「っ――――ぐ、ふっ…………!」

 

 忘れていた呼吸を再開する。しかしそれにも毎回喉にナイフを突き立てるほどの覚悟が必要だ。というより友奈に呼吸など必要なのだろうか。酸素を肺いっぱいに取り込まなくても活動はできるかもしれない。しかしどちらにせよ生命活動はすでに終わっていて、この足掻きは誤差に過ぎない。

 白く溶ける。結城友奈を構成する何もかもが終わりつつある。それでも、まだすべてが終わってはいない。結城友奈は確かにここに存在している。

 あれはほんの数日前の出来事だったか。

 

「――ッ、あ……! ぐ――!」

 

 淡いオレンジ色の夕陽が射し込む通路。カラカラと車椅子を押す友奈に振り返った東郷の決意に満ちた表情は今でも鮮明に覚えている。

 なんだか懐かしいように気もする。

 ――冗談じゃない!

 ここで倒れない。まだ倒れてやらない。

 なんとしてでも動かなければ。

 大切な人が名前を呼んでいる。

 それに応えなければ。

 

「あ――――あ、あ」

 

 ……立ち上がれ。約束を守るために。

 誰かの涙を……見た気がしたんだ。

 

「ああ――、ああ、ああ――――」

 

 立ち上がれ。大切な人を守るために。

 誰かの慟哭を……聞いた気がしたんだ。

 友奈の知らないところで苦しみ、泣いていたのだ。どのくらい泣かせてきたのかも判らない。

 

「あ――ああ、あああっ、お」

 

 立ち上がれ――!

 ……そう。だからこそ、助けないと。

 ……また、友奈以外の人の前でも、心から笑えるように。

 

「ぁぁあああッ! あああぁぁぁ――――……!!」

 

 いつの間にか握り拳がつくられていた。

 再燃する。

 命を文字通り燃やし尽くせ。それでも足りないのなら、燃やして残った灰さえも使ってなお燃やせ。

 記憶を失った##は勇者に変身する方法を知らない。だから携帯の変身機能なんて知っているはずもなく、神樹様との接続を断っている状態だ。それでどうやって助けに行くのか。

 そんなもの、知るものか。助けるったら助ける! それが####だ!!

 

「うオオオおおおォォぉぉ――ッ!!」

 

 が魂の雄叫びをあげると、両脇から満開用の追加武装が姿を現す。

 身体の中身がぐちゃぐちゃになり、##は全能感と共にそれ以上の喪失感を覚えた。

 ボロボロと『####』という人物概念まで崩壊する。鋭い破砕音が脳裏に響いた。心臓の音はとうに聞こえなくなっているのに、何がこの身体を突き動かしているのかすら不明。

 

 ――これ即ち、自分自身のエネルギーを由来とした満開。

 

 身体も意識もはっきりと認識できる。

 なんのためにここにいるのか。

 知らない。

 なんのためにこうなったのか。

 知らない。

 それでも。

 今##がすべきことは明確に判っている。

 

「――助ける!!」

 

 ダンッ! とアームを地面に叩きつけて高く飛び上がる。制服姿だった##は瞬く間に戦闘衣へと変化し、弾丸の如く火球へと飛翔する。

 

「私は! 讃州中学勇者部!! 勇者、####――!!」

 

 誰かの為になることをする。それこそが勇者の本質であり、##の願いでもある。

 枝木が軋む。ぶちぶちと筋肉組織が千切れそうになるほど力強く絡みついた腕を突き出し、その中央を撃ち抜いた。

 

「勇者――パーンチ!」

 

 豪炎がぶわりと高く巻き上がった。

 その衝撃は樹海全体を叩き、付近の根を穿つ。

 そのまま内部に侵入し、吹き荒れる熱風の中を##はものともせず突き進んだ。

 秒速百メートル以上の豪風が容赦なく押し出そうとしてくる。しかし負けてはいられない。そもそもこの火球がどういったもので、なぜ東郷たちが必死に食い止めているのかなんて知らない。しかし必死に助けを求めていた。ならばそれ以上の理由なんて必要ない。

 ずっと遠方にある金属質な四角錐。あれが何なのかわからないが、重要な部位……コアかなにかであることは直感的に理解できた。

 顎に力が入る。

 歯をギリギリと鳴らした。

 身を削る豪風に、限界を迎えた装備がついに壊れる。勇者姿が解除され、また制服姿に戻ってしまう。途端、今までカバーされていた衝撃が##を襲った。

 

「グ――――ア――――ッ」

 

 呻く。

 圧倒的な力の前にこれまでの勢いが一瞬にして殺される。

 今にも押し潰されそうだ。頭蓋を割る風。全身を灼く風。四肢を砕く風。眼球が乾ききりそうだ。

 容赦なく吹き付ける風に人程度の抵抗など、敵うはずもない。だからここまでだ。そう言って諦めることもできる。

 だがそうはしない。

 

 勇者部五箇条、その一。

『なるべく諦めない』

 

 だからまだ諦めない!

 前へ。

 それでも前へ――!

 

「ぉ、ぉ、ぉぉおおおおおおお――ッッ!!」

 

 負けるな! 必ず打ち勝て! これは##だけの戦いではない。皆の救いのための戦いだ!

 喉の奥底から声を出し、泥臭く##は進む。四肢は左腕しか動かせない。懸命に腕を伸ばし、コアを目指す。それ以外の思考はすべて灼けた。それ以外に割けるリソースもない。生死を超越し、ただ真っ直ぐに進む一筋の光となる。

 限界の限界、その先まで。

 あと少し、もう少し!

 声が聞こえる。それが誰の声で、誰のことを言っているのかわからなくなった。しかし、鼓舞されているのはわかった。

 突風を掻き分け、確実に距離を詰める。

 届け! 届け! 届け!

 そしてついに到達する。

 人ならざる、人の範疇を超えた業によって立ち上がってここまで至った##の手がついに届く。

 ……その果てに、人差し指がコアに触れ

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 

 ◆

 

 授業の終了を告げるチャイムが鳴った。

 一日の授業が終わったことからの解放感か、教室ががやがやし始める。

 東郷はいそいそとペンやら消しゴムやらを筆箱にしまうと、ふと隣に首を振った。

 そこには水筒のお茶を飲んでいる友奈がいて、喉の上下をぼんやり眺めていると、視線に気づいて小首を傾げながら訊いてきた。

 

「ん? どうしたの東郷さん?」

 

「いつも可愛いなって、思って」

 

「もう。東郷さんのほうこそだよ。ほら、部室に行こ?」

 

 朱色に頬を染めながら友奈は白い歯を見せつけてくる。

 東郷はかばんに荷物を丁寧に入れた後、手慣れた手付きで車椅子の車輪のロックを解除した。友奈は後ろにまわるとグリップを握り、教室を出た。

 放課後ということもあり、教室に残って談笑にふける人や一目散に帰ろうと陸上選手並みの速さで廊下を駆ける人、部活の用意を持って、仲間たちとじゃれあいながらグラウンドへ向かう人と様々だ。

 

「そうだ、東郷さんは昨日のテレビ観た? 動物の可愛い映像がたくさんある番組だったんだけど」

 

 やや興奮気味に話す友奈の様子に、東郷はくすりと笑った。

 

「うんうん。猫の水浴びとか可愛かったね」

 

「そうそう! あれすっごく可愛かったよね! 犬みたいにぶるぶるってする仕草とか!」

 

 そう言って頭を振って真似をしてみせたが、勢い余って桜の形を模した髪飾りが飛んでいってしまう。

 

「あわわわ!」

 

 慌てて飛んだ髪飾りを拾い上げると恥ずかしそうにえへへと舌を出した。

 それが東郷の理性を木っ端微塵に吹き飛ばしかけた。猫よりも何万倍可愛い仕草は、東郷にだけ向けられたもの!! そう、不特定多数にでもなく、勇者部の皆にでもなく。東郷ただひとりに!!

 今サーモグラフィーで観測されたら身体は赤色を超えて驚きの白色を映すことだろう。

 咄嗟に鼻に触れて鼻血が出ていないかを確認した後、平然を装って話しかけた。しかし開ききった瞳孔が落ち着けていない何よりの証拠だ。

 

「変な友奈ちゃんだね」

 

「そうかも。お、着いた着いた」

 

 家庭準備室を借りて東郷たちの所属する勇者部は活動している。

 友奈が勢いよくドアを開けると、何も考えずに椅子に座って煮干しをちびちびと齧っていた夏凜が驚いて、持っていた袋を落として中身をすべて床に広げてしまった。

 

「ああっ! 私の煮干しが⁉」

 

「あーっと……。さようならー!」

 

「こら、友奈! 逃げるなあっ!」

 

 友奈が逃げ出す前にはすでに動き出していて、あっさりと夏凜に捕まって部室へ連行される。

 樹が机の上にタロットカードを広げると、あまりよろしくない結果が出たようで、「友奈さん、大人しく諦めましょう」とため息交じりに告げた。

 

「許して夏凜ちゃんんんん……!! 煮干し代は弁償するからああぁぁ……」

 

 頭を拳でぐりぐりされ、友奈が若干涙目になる。

 

「そっちは心配ないわ。カバンの中にあと三袋あるし。ふう、すっきりした」

 

「ぐべっ」

 

 解放された友奈はその場にぐったりと崩れ落ちた。

 そして奥から顔を僅かに覗かせた風から号令がかかり、皆はいつもの黒板の前に用意されていた椅子に腰掛けた。

 風が腕組みをすると、できる秘書っぽい仕草でない眼鏡をくいっと指で押し上げて紙を読み上げた。

 

「えー、今日の活動を発表するわ。夏凜に剣道部から依頼が来てるから行ってもらって……あら、友奈もね。うんじゃあふたりはそゆことで。東郷は溜まってきてる事務の処理。あたしと樹はいくつかの教室の備え付けの箒とかの掃除道具がボロくなってきてるらしいからその買い出しね」

 

「りょーかいです風先輩! 行こう夏凜ちゃん!」

 

「はいはいっと」

 

 ビシッと敬礼をした友奈が夏凜の手を握って颯爽と部室から出て行こうとする。

 東郷はそれを見てじぇらしーを感じた。

 

「ま、待って! 荷物とか色々用意してないでしょーが!」

 

 ドア目前のすんでのところで立ち止まった夏凜が友奈を宥める。

 

「……東郷、ステイステイ」

 

 風の耳打ちに東郷は我に返る。

 

「大丈夫ですよ風先輩」

 

「いやいや、大丈夫じゃないでしょ。どう見ても目つきが飢えた狼のそれだったわよ。友奈が好きなのはわかるけど、静かに見守ってやりなさいな。まあ子離れみたいな感じ?」

 

 今ここに銃があれば迷うことなく友奈を唆す(東郷判断)煮干し中毒者を撃ち抜いていただろう。

 

「子、子離れって……⁉ いや、まあ友奈ちゃんは私にとって子のような存在でもありますけどやっぱりそれ以上の……」

 

「はい、惚気話はまた今度ねー」

 

「惚気話ではありません⁉ ただ友奈ちゃんについて語っているんです!」

 

「語るのならあたしが樹について先に語らせて。六時間でいいわ」

 

 さも当然のように、残念だけどこれだけで勘弁してあげるわ、といったニュアンスでさらっととんでもないことを言ってのけた。

 

「はい、そういうのはまた今度ねーお姉ちゃん」

 

 しかしそれは第三者の登場によって阻まれた。

 今から愛しの妹が如何に愛くるしくて可愛いのかを語ろうとしていた風の興奮が一瞬にして吹き飛んだ。

 

「……あい」

 

 力ない返事をして妹に連れて行かれる姉のどれだけ滑稽なことか。「じゃあ行ってきますね」と樹が言い残して部室を後にする。

 そしてようやく用意ができた友奈と夏凜は、運動着を詰め込んだカバンを背負った。

 

「先に行ってるわよ」

 

 そう言って夏凜が部室を出て行く。

 

「待って夏凜ちゃん! ――じゃあ行ってくるね、東郷さん!」

 

 これも東郷だけに向けられた笑顔。その喜びを精一杯噛み締めながら手を振った。

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 そして友奈も出て行き、東郷一人が残った。

 

 ◇

 

「…………」

 

 ゆっくりと瞼を上げる。大きな欠伸をすると、透明な滴が頬を伝うのを東郷は感じた。うす暗い室内を照らすため、ベッドから降りて立ち上がり、壁に手を当ててのろのろと歩いて引き戸を開けた。すると朝日が差し込み、つい手で顔を覆う。

 あれは……夢、か。

 あれは理想の世界。大赦やバーテックスが存在しない世界。そこで東郷たちは何気ない毎日を享受するのだ。

 とても……とても幸せな夢だった。

 結局あの後友奈は見事火球を破壊し、神樹様の危機は脱した。そして東郷たちは神樹様から解放され、勇者としての力を失った。それと同時に満開時に捧げた供物……人間性が返還され、これからは供物を求めることはなくなったという。身体に馴染むまではまだもう少し時間がかかるだろう。東郷たちの努力は無駄ではなくて、変えられたこともあったのだ。

 涙を袖で拭った東郷は私服に着換え、朝食を食べ、お見舞いのぼた餅をタッパに詰めて自分の足で病院へ向かった。

 手すりにしがみつきながら通路を歩き、ようやく目当ての病室の前に立つ。コンコン、と二回ノックをしてスライドドアを開ける。

 すると中には一台のベッドがぽつんとあって、その上で身体を起こしてぼんやりと窓の外を眺める友奈の姿があった。

 

「友奈ちゃん、お見舞いに来たよ」

 

 反応はない。

 側の椅子に座り、ゆっくりと手を握っても一切の反応を示さなかった。それに伝わってくる温度も生きているのか疑いを抱いてしまうほど冷たい。まるで燃え尽きた灰のようだ。

 虚ろな瞳は恐らく外を見ているだけで『見てはいない』。口は力無く開かれ、だらだらと涎を垂らしている。

 何が友奈に起こったのかは誰にもわからない。ただ植物人間のように倒れ伏せている状況があの日からずっと続いている。

 布巾で友奈の口元をそっと拭いながら東郷は心の中で嘆いた。

 どうして私たちは健全を戻りつつあるのに、友奈だけ一向に意識を取り戻す気配すらないのか、と。そしてこれは差し出がましい我儘でもあるが、どうして友奈の右半身の麻痺も治してくれなかったのだと。医者によると麻痺は治っていないという。これまでずっと世界を守るために戦い抜いたのだ。だから少しくらい褒美のようなものをくれてもいいのではないか。

 ……後味の悪い結末。

 悔しい。

 どうしようもなく悔しい。

 でも泣かない。泣かないって、勇者部の皆で決めた。誰も悪くないし、誰も自分を責める必要なんてないと。

 でも、それでも、どうして東郷は考えてしまうのだ。

 あんなことをしなければ、と。

 後悔と悔恨が入り混じった表情を浮かべながら友奈の身体を抱きしめた。しかし、やはり限りなく実物に近い人形のような抱き心地に東郷の心は重くなるばかり。

 

「…………散歩、しよっか。友奈ちゃん」

 

 車椅子を近くに寄せて、友奈の身体を抱き上げる。自発的な食事を取ることもないから体重は落ちる一方。今や木の葉にも劣らないほどだ。

 これまでは友奈に車椅子を押してもらっていたが、それが今となってはポジションが逆転し、複雑な心境なのは否めない。

 無言で病院が保有する外の広場へ出た。そこには友奈と同じように入院している患者たちが日向ぼっこをしたり、遊んだりととても賑やかな様子だった。

 東郷は木陰になっているベンチまで移動し、車椅子の車輪をロックする。

 

「どう? 友奈ちゃん。外、ぽかぽかするでしょ」

 

「…………」

 

 普段の友奈なら嬉しそうにはしゃぎまわる姿が容易に想像できるのに、無反応という反応が何よりも残酷だった。

 

「ぼた餅……つくってきたんだ。だから食べてくれるかな?」

 

 タッパを開き、食べやすいように一口サイズに整えたぼた餅を摘んで口元に運んだ。

 しかし予想通りと言っていいものかわからないが、自ら口に含もうとする仕草は見られない。試しにぐいっと唇に触れさせても変化はなかった。

 

「そっか……美味しくつくれたと思ったのに……残念だな…………っ」

 

 代わりに東郷がぼた餅を食べると、僅かにしょっぱい味がした。

 いったい、いつまでこんな鉛のような日々が続くのだろうか。勇者部は誰一人欠けてはならないのだ。五人がいなければ成立せず、満足に機能しない。

 擦り切れる思いで目覚めをじっと待つことしかできない。それでも、何日、何ヶ月……いや、何年だろうと待ち続けよう。

 

「おーい東郷!」

 

 ふと顔を上げると、風がこちらに手を振っていた。その傍らには樹と夏凜もいる。

 三人ともまだ完治とはいかないものの、着実に以前の身体を取り戻しつつあるのが見てわかる。

 

「こんにちは」

 

「うむ」

 

 三人は友奈を取り囲むように立ち、樹がポケットから押し花で作られた緑色の栞を優しく友奈の手に持たせた。

 

「友奈、さん……これ、押し花……」

 

 まだぎこちない声色だが、しっかりと言葉を発している。しかし眼前の樹なんてまるで見ていないといった風で、その様子を苦しげに感じた夏凜が顔を背けながら「……畜生」と悪態をつく。

 粘性のある重苦しい空気が流れ、誰もが口を閉ざしてしまった。

 その時、ひとりの男性が下駄の音をカツカツと鳴らしながら近づいてきた。灰色の袴を羽織り、明らかに広場の人々から浮いている男性だ。頬が痩せこけていて、その視線は間違いなくこちらに向いている。

 

「やあ、こんにちは」

 

 それは、外見とは裏腹にとても優しげな声だった。

 

「こ、こんにちは……?」

 

 風が代表として疑問混じりの返事をする。病院の私有地だから変な人ではないと思われるが、風の中ではその境界線を全力で反復横飛びしている状況だ。

 男は僅かに眉を上げ、微妙に剃り残っている顎髭を擦った。

 

「君たちは結城さんのお友達かな?」

 

「はい、そうですけど……」

 

「そうか……君たちが結城さんの言っていた友達か」

 

 男は目を細め、四人をゆっくりと見回す。

 

「友奈と知り合いなんですか?」

 

「少しだけね。数回話をしたくらいさ。この前話していたら突然いなくなってしまって、それはもう驚いたよ。魔法か何かかと思った」

 

 きっと樹海化の影響だろう。その瞬間、神樹様に認められた者以外の時間が静止するから、さながら瞬間移動のように感じてしまったのだろう。

 

「ところで結城さんはどうしてそんなにぼんやりしているんだい?」

 

 男は先程から微動だにしない友奈を見ながら疑問を口にした。

 

「それは、ですね…………」

 

 風は言い淀む。

 それは自分たちへの現状の再認識であり、とても辛いことだ。

 何度も口を開こうとしては閉じるを繰り返す風を見て、男はある単語を言い放った。

 

「――散華、かな?」

 

「どうしてそれを……⁉」

 

 目の前の男はどう見ても一般人だ。

 勇者ではないし、大赦の人間でもないはず。それなのになぜつい最近まで風たちすら知らなかったことを知っているのか。

 

「同業者とでも思ってほしい。結城さんは勇者って言ってたから君たちも恐らく勇者なんだろう? なら僕には言わなければならないことがある」

 

 すると男は風たちに対して深く頭を下げたのだ。

 その意味がまるでわからず、風を含めて全員がその姿を目に焼き付けた。なんだかこれほど卓越したお辞儀を初めて見た。

 

「僕たちの知らない間に世界を守ってくれてありがとう。君たちのおかげで、僕たちは今を生きていられる」

 

「――――」

 

 その言葉はなんだか、様々なものが込められているのを感じられた。四人の胸の奥が熱くなる。

 これまで文字通り全てを捧げて戦ってきたことに意味があったのだと。絶望と後悔しかなくとも、こんなにちっぽけな感謝がどれだけ絶大であるのかと。

 頬に熱いものを感じながら東郷は友奈に囁いた。

 

「友奈ちゃん……私、他の人なんて関係ないって言ったの……間違いだったよ……!!」

 

 ぎゅっと友奈の服を掴み、甘える子供のように啜り泣き始めた。

 

「あとこれも言っておかないと。この前結城さんに最後まで言えなかった言葉を。……たとえ自分のことが信じられなくなっても、今まで君のしてきたことを知っている人たちは君を信じてくれるはずだよ。だから何度でも立ち上がれるはずだ。……それが、勇者っていうものなんじゃないかな」

 

 友奈の耳に届いているかわからない。はっきり言うと届いていないだろう。

 それでも、この言葉が勇者たちの魂に届いてくれますように。もちろん、友奈の魂にも。

 友奈は見ての通り心あらずといった様子だが、いつまででも待ってくれる人がいる。だからこそ、いつか必ずそれに応えてくれるはずだ。

 それこそが、友奈の掲げた勇者像なのだから。

 

「おーい親父! こんなところにいたのかよ……」

 

 ひとりの青年が肩で息をしながらこちらにやって来た。日本人にしては珍しい赤毛のツンツン頭で、一瞬外国人かと思ってしまいそうだ。年は恐らく風より上の高校生くらいだろう。

 

「すまない、知り合いと話してたんだよ」

 

「知り合い? この子達のことか?」

 

 そう言ってまじまじと見つめた後、少し申し訳なさそうにぽりぽりと頭をかきながら言った。

 

「ありがとう、親父の相手をしてくれて。また今度会うことがあったらその時はまたお願いしていいか?」

 

「私達で良ければ……」

 

「あれだ、親父が変なこと言い出したら遠慮なくガツンと言ってくれていいからな」

 

「いえいえ、そんなそんな!」

 

 風が僅かに頬を紅潮させながら慌てて手を振る。

 そして最後に好青年なオーラたっぷりに笑顔を向けると、「ほら、帰るぞ親父!」と男を連れて帰っていった。

 

「……ところで、今日の夕飯は揚げ出し豆腐がいいな」

 

「家に豆腐あったっけな……このままスーパーに寄って買うか。あとついでにあの子も呼ぼう。たぶん食べたことないだろうし。メイドがふたりついてくるだろうからその分も」

 

「それならもうどうせだからあそこの姉妹も呼んだらどうだい?」

 

「いいけど……そしたらあいつが来て小言を言われるんだろうなぁ……。あ、腹ペコ王様の相手させていればいっか」

 

 そんな他愛のない話をしながら、ふたりは向こうへと消えていった。

 なんだかとても幸せそうな家族で。姿が見えなくなっても、風はいつまでもその背中を見届けていた。

 

 ◆

 

 来る日も来る日も勇者部は友奈のお見舞いに来た。どんな僅かなことでもいい。友奈が目覚めるきっかけになりたいという痛切な願い。

 その度に己の無力さを痛感する。病室を出る直前は頑張って友奈に笑顔を向けるが、直後は暗く沈んでしまう。

 とうに夏が終わり、秋を迎えようとしている。窓から見える外の風景も一変し、緑色から黄緑色が目立つようになった。

 ……文化祭も近い。勇者部は劇をすることになったが、四人だけではどうしてもしまりが悪い。友奈の分の役はキープしているものの、いつ目を覚ますかなんて誰にもわからない。

 今日は東郷だけが見舞いに来た。

 毎回ぼた餅を手に希望を抱くが、一度もそれが叶ったことはない。食べてもらえないのに腕だけが上達するばかりだ。樹が友奈に倣って始めた押し花も、両手に一杯になるほどたくさんになった。これまではシンプルなものしかできなかったが、今では多少複雑なものもできるようになった。

 もうすでに友奈を除く全員が以前の身体を取り戻した。それなのにまだ……。

 今日は劇の台本も持ってきた。

 文化祭まであまり時間がない。最悪、友奈を抜きにして進めなければならない。それはなんとしてでも避けたいのが勇者部の総意。

 いつも通り広場に連れ出し、いつも通りベンチに腰掛ける。そして台本を広げると、音読を始めた。

 

「勇者はどれだけ傷ついても、決して諦めませんでした。すべての人が諦めてしまったら、それこそこの世のすべてが閉ざされてしまうからです」

 

 よくある物語だ。

 テンプレ。量産型。コピー。そう思われても仕方のない物語。でも、誰でも知っているような物語だからこそ人々の心に訴えかけることができる。

 

「自分が挫けないことが何よりの励ましになるのだと信じていました。それを馬鹿にする人がいました。意味が無いと言う人もいました。しかし勇者は明るく笑い、へこたれることはありませんでした」

 

 しだいに想いを重ねてゆく。

 東郷の隣にいる勇者は文字通り何度も立ち上がった。きっと、勇者部の誰もがこの少女こそが一番の勇者であると口を揃えて言うことだろう。

 この少女を起点として勇者部はここまで頑張ってこれた。バーテックスを倒し、世界を救う。

 これがよくある王道の物語と言わずしてなんと言えよう。

 

「皆が次々と魔王に屈し。気がつけば、勇者は独りになっていました。それでも勇者は戦うことを諦めませんでした。諦めない限りっ、希望が終わることは……ないからっ……です!」

 

 我慢の限界だった。

 嗚咽を含み始め、後半は上手く言葉にすることができなかった。

 友奈は勇者であって、東郷も勇者だ。だから決して諦めない。

 友奈の帰還を。

 

「何を失っても……それ、でも……! それでも私はっ! 一番大切な友達を、失いたくない……ッ!!」

 

 意志とは反して涙が止まらない。視界が淡くぼやける。

 ぽたぽたと台本の上に落ち、文字が滲んでしまう。諦めないとしても。いつまでも待ち続けるにしても。

 この孤独は。この後悔はずっと付き纏う。

 勇者であっても、それ以前に人間なのだ。この胸の苦しみに耐えられる強さを東郷は持ち合わせていなかった。

 男に感謝を告げられた。その言葉を東郷たちにではなく、誰よりもこの勇者にきちんと聞かせてやりたかった……!

 

「嫌だ……! 嫌だよぉ……っ! 寂しくても! 辛くても! ずっと私といてくれるっていったじゃない――!!」

 

 くしゃくしゃになった台本に顔を埋め、東郷はこれまでにないくらい泣いた。

 殴り合って、想いを伝え合って。それで約束を交わしたのに。真っ先に破るなんてずるい……!

 胸が苦しい。この張り裂けそうな痛みをどうすればいいのかわからない。

 あの笑顔を。何気ない表情を。元気な姿を見たい。ただそれ一心で東郷はひたすら願った。

 ……そよ風が吹き、地面に落ちた枯れ葉が舞い上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、東郷の声に応えることはなく、友奈が目覚めることはなかった。

 秋が過ぎ、文化祭が終わり、冬を迎えても。

 それでも友奈が目覚めることはなかった。

 それでも呼び声に応えられない。

 それでも友奈の魂には届かない。

 

 ……それでも、暗い水銀の底から這い上がれない。




溺死End?

私はテーマ通りきちんと物語を書くことができたでしょうか?
ちなみに文中にある『それでも』は単なる接続詞ではなく、重みというか、意味を持たせています。

これにて一期中盤以降は終了。十数話程度しか投稿しませんでしたがそれは文量で補ったからヨシ! 反響があれば続くかも。
それではお疲れさまでしたー!
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