結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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二期スタート
テーマは【私達は人間である】です

二万字超えなので注意


私達は人間である
老婆と友奈


 人は神より下でなければならない(・・・・・・・・・・・・・・・)

 ただ神の恩恵を授かる小人であれ。

 西暦という時代では人が世界の中心となっていたが、神世紀は違う。

 神なくして生きること能わず。

 神――神樹様の庇護のもと、当たり前な日々を謳歌せよ。一度領域外へ出ようものなら致死性のウイルスによって即座に死滅させられるだろう。

 だからこそ、神の業の下に人は在れる。

 ゆえに。

 神を汚してはならない。

 神を貶してはならない。

 神を疑ってはならない。

 恐れよ。崇めよ。平伏せよ。

 そしてゆめゆめ思うな。

 

 ……人が、神の業に辿り着こうなどと。

 

 ◆

 

 薄暗い研究室。無造作に並べられた机。その上には何枚も研究資料がばら撒かれている。

 友奈はたくさんある机のひとつの下に潜り込み、じっと息を殺しながらちらりと顔を覗かせた。

 視線はこちらに背を向けた小太りで中年よりな男に向けられる。一向にこちらに気づく気配はなく、なにやら機械いじりに熱中しているようだ。

 ハンドサインで三メートルほど離れた相棒に『クリア』と送ると、すぐさま『了解』と返ってきた。相棒でもあり、ライバルでもある。ならば意思疎通の速度と精度は言うまでもない。

 男の見た目からして運動……戦闘は不得意そうだ。これならば制圧は容易い。しかし慢心は禁物。大切なお役目を頂戴しているのだ、手を抜くことは許されない。

 友奈は腰のポーチからグレネードを手にとってピンを外した。そしてそれをボーリングの球を投げる感覚で男の足元へ転がした。

 

「ん?」

 

 硬質な音に気づいた男が作業を中断し、後ろを振り向いた。

 刹那、炸裂音が轟く。

 これは殺傷武器ではなく、甲高い音を爆発させ、相手の意識を掻き乱すもの。音爆弾だ。

 それが合図となり、友奈と相棒はバネに弾かれたように飛び出した。たたらを踏んだ男の懐に一瞬で潜り込み、友奈はその喉元に拳を叩き込む。

 

「げごっ!」

 

 押し潰された蛙のようなうめき声を漏らし、男は意識を白黒させる。そこを逃さず相棒は追撃として足を蹴り払う。重力に従って地面に倒れ込んだところを友奈がとどめの一撃と言わんばかりに馬乗りになって、その胸に拳撃を繰り出した。

 

「――ふっ!」

 

 分厚い皮下脂肪に包まれてはいたが、それでも友奈の鍛え抜かれた拳の一撃を防ぎ切ることはできなかった。内蔵を強く圧迫し、今度こそ男は気を失った。

 短く息を吐くと、友奈は「制圧完了」と呟く。

 だがまだこれですべてが終わったわけではない。友奈は新たにポーチから鉛筆サイズの棒を取り出すと、端の部分にあるボタンを押した。すると勢いよく棒が伸び、矢の形へと変形した。

 本来であれば弓に番えて……が正しい使用方法ではあるが、今回は比較的簡単に制圧できたため遠距離で射抜く必要はなかった。

 友奈は矢を握ると、男の胸に突き立てた。

 一般的な矢であれば心臓を貫いて死を与えるが、これは違う。物理的な干渉ではなく、精神的な干渉をするものである。矢が刺さった瞬間、男を中心に花びらが舞う。そしてそれらが螺旋状に一メートルほど上昇したあと、一気に朽ちて霧散する。

 この矢は神樹様の特別な力を宿している。これに射抜かれた者は永久に昏睡状態に陥る。そこから復帰できるかどうかは神樹様次第らしい。

 ともかくこれでようやくお役目の半分が完了だ。

 

「どう? あった?」

 

 顔を上げ、友奈は相棒に尋ねた。

 相棒はウェーブのかかった黒い長髪を艷やかに靡かせると、自信満々に鼻を鳴らした。

 

「ええ。きっとこれね。ここまで精密なドローンは見たことがないわ。でも弥勒ならもっと素晴らしいものを作れるわ」

 

 そう言って弥勒――弥勒蓮華が見せてきたのは、金属で作られた蜂だった。遠目から見るとまるで本物との違いがわからない。これに彩色されれば、手にとって凝視してもドローンだと気づけないだろう。

 作ったらアウトだよ、と心の中で諭しながら友奈は相棒と一緒に他に何かないか探そうとした。

 

「友奈、ちゃんと報告はしておいた?」

 

「……あ」

 

「これだから友奈は。弥勒が処理しておくから報告しなさい」

 

「わかったよレンち」

 

 そう言うと、友奈は耳に装着している通信機に触れて通信を開始した。

 

「シズ先輩。友奈です。対象人物の処置完了。現在捜索中で、目標物と思われるものを発見しました」

 

 すると通信ではあるあるのノイズが入ることもなく、滑らかな関西弁で返事が返ってきた。

 

『了解や。目標物は破壊して、関連資料もすべて焼却しといてな』

 

 シズ先輩なる人物は友奈と蓮華の一つ上、中学三年生だ。どうしてか、かつて存在した関西圏でよく使われていた方言で話す癖があり、その始まりは漫才が好きだかららしい。シズ……桐生静は後方で神樹様の力を祝詞によって付与させている所謂サポーター役だ。対してふたりはアタッカーというべきか。

 

「わかりました!」

 

『おん。あと、対象人物は一応誰かに発見されるところにおいといてな。流石に放置して死なれるのはあかんからな』

 

「もちろんわかってます」

 

 昏睡状態だからその場から男が動くことはない。放っておけば誰にも気づかれずにひっそりと死ぬだろう。

 だがそれは友奈たち【鏑矢】の意図しないものだ。

 これには死なせないという名目は当然として、見せしめという意味も含まれる。排除対象となった人間はこうなるぞという脅し。言い換えれば抑止とも言える。

「またすぐに連絡します」と言い残して通信を終了させた友奈は、蓮華が机の上に置いたドローンを拳で叩いて砕いた。もしかしたらどこかに量産されたものがあるかもと念入りに探してみたが、どうやら今のひとつだけらしい。恐らく試作品だったのか。

 

「……ふう。とりあえず資料はこれで全部ね。ふむ……完全自律型ドローン? 人による操作が不必要ってことね」

 

 興味深そうに蓮華が資料に目を通している。とはいっても大量にあるから速読のような感覚で読んでいるだけだ。それでも内容を僅かでも理解できるというのは流石としか言いようがない。友奈なら数字の羅列を読んだだけでお手上げだ。

 

「ドローンは破壊したよレンち。あとはそれを焼却して終わりだね」

 

「ええそうね。――平和を脅かす者を、弥勒たち【鏑矢】は許さない」

 

「……四国に平和を。永久の安寧を」

 

 蓮華が資料に火を放つと、勢いよく燃え上がった。パチパチと火の粉が爆ぜ、完全に燃え尽きて灰が残るまでふたりは無言でジッと見下ろしていた。最後にコンピューターを蓮華の蛇腹剣で破壊した後、男を地下の研究室から地上に運び出して、適当に脇道に横たわらせる。

 これで赤嶺友奈たちの今回のお役目は完了した。

 

 ◆

 

「いやーふたりともお疲れさん。大赦への報告はうちがしとくからシャワーでも浴びとき」

 

 鏑矢としての役割を与えられた三人には寮が与えられている。

 二階構成で、一階は友奈と蓮華でシェアし、二階は静が独占している。静は今どきの日本人としてはなかなか見ない容姿で、白髪、黄金色を思わせる瞳。そして若干猫口なのが特徴的だ。

 大きく深呼吸をした友奈は机に乱雑にポーチなどを投げ置くと、側のソファーに身を投げた。

 

「はあ〜」

 

 とだらしない声を上げ、柔らかいソファーの恩恵を全力で堪能する。

 

「弥勒が先にシャワーを使わせてもらうわ。いいわね友奈?」

 

 蓮華がそう言うや否や、友奈の返事を待たずに身を包んでいたスーツを半脱ぎして上半身を晒した。このスーツは下着を着ずに裸の上に装備しているのがデフォルトだから、当然蓮華の上半身は裸だ。

 だが蓮華は恥ずかしがる素振りなど見せず、寧ろ「ハン!」と鼻を鳴らしてドヤ顔でこちらを見る。

 

「ロック……ちゃんと洗面所で着替えーなー。それに人前でぽんぽん裸になったらいかんで」

 

「心配は不要ですシズさん。弥勒の身体は誰に見せても恥ずかしくないので」

 

 蓮華は自信満々な表情を見せつけ、踵を返した。

 

「いやそういう問題ちゃうやろ……」

 

「そんなことよりシズ先輩、このスーツ、もっとこう……なんとかならないんですか?」

 

 先月くらいからお役目に従事するときはこれをデフォルトとするように言いつけられている。

 以前はダークカラーな学生服を思わせるもので、過激な運動にも適応していた。しかし新たな戦闘衣はぴっちりと身体に張り付くスーツで、そのせいで身体のラインがくっきり浮き上がってしまう。蓮華は先程の態度を見ればわかるが特に気にしている素振りはない。しかし友奈は違う。常日頃から鍛錬に励み、鍛え抜かれた肉体を有しているにしても、やはりどうしても年相応の恥ずかしさというものがある。さらにややSFチックなデザインが厨二心をくすぐる。

 スーツの端をつまみながらジト目で静を見た。

 

「機動力とかうんぬんを考慮した結果がそれらしいねん。うちもよう知らんけど特別な繊維で編み込まれてるからダメージもある程度吸収してくれるんやって」

 

「えー本当ですかー?」

 

 対人戦に特化しているとはいうものの、相手にする人間は全員鏑矢に敵うはずもなく、一方的に蹂躙されるだけだ。だからこれといって戦闘という戦闘はしたことがなく、もちろんダメージを実感したこともないからその効果はいまいち信じきれない。

 しかし汗をかいても中で蒸れたりしないのは友奈にとって唯一素晴らしいと思える点だ。

 

「……まあ、どっからどう見てもエ○ァンゲ○オンのプ○グ○ーツやけどな」

 

 ぼそりと静が呟いた言葉を友奈は聞き逃さなかった。

 

「○ラグスー○?」

 

「いやなんでもないで」

 

 しばらくするとシャワーの音が聞こえてきた。

 友奈も一刻もはやく汗を流したい、と切望したがだからといって蓮華のシャワーに乱入するのはきっと迷惑だ。……いや、もしかするとなんだかんだ蓮華は器の大きい人間だから「ふっ、この弥勒の完成された裸体を拝みに来たのね? いいわ。気が済むまで弥勒を見なさい?」なんて言いそうだ。そんな想像が鮮明に脳内再生された。

 鏑矢として選出され、この寮を与えられて一年と少しが経っている。初めの一年は戦闘訓練……その中でも対人に特化した訓練にひたすら励んでいた。しかもそれを見てくれるのは、バーテックスの初襲来の時、勇者となって最後まで戦い抜き、――今では終末戦争と呼ばれる――今も存命の乃木若葉様なのだ。もはや四国に生きる人間ならば子供から大人まで必ず全員が知っているほどの人間だ。

 つまりそれだけの重みを友奈たちは背負っているのだ。プレッシャーは常に背中に張り付いている。しかしそれでも最後までやり抜く。

 そう、友奈たちは誓ったのだ。

 だが鏑矢と聞こえは良いが、実際は平和を脅かす存在を裏で狩る、汚れ仕事専門の役職だ。勇者などといった、表の世界で凛と咲く花のような輝かしさは微塵もないドス黒い掃き溜めに過ぎない。

 しかも平和を脅かす方法はなにもひとつではない。様々なアプローチがあり、その尽くを鏑矢は排除しなければならない。

 

「あ、せや。ロックが戻ったらまた言うけど、明日は大赦の招集かかってるから行くで」

 

 ふと忘れ物を思い出したように、突然静が予定を入れてきた。

 裏の世界で暗躍する忍者と言ったほうが友奈たちの仕事を表現するには最も相応しい。

 なので大赦に呼ばれるとしても、送迎はもちろんご立派な歓迎もない。重鎮から直接お言葉を頂戴してそれで終わりだ。なんとも色の欠けるものだが、そういうものであると三人とも割り切っている。

 机の上に置かれた友奈の装備を凝視しながら静は言葉を続ける。

 

「そのプラグス……スーツの感想が聞きたいんやそうやで。言葉で伝えるだけでもええやろけど、製作者の人も来るらしいから実際に動いてるとこが見たいって言うてる」

 

 友奈は今一度自身の身体を見て振り返る。

 今回のお役目の途中でスーツ特有の皮膚との擦れを感じることがなかった。まるで全身を膜に覆われているような感覚で、ありのままの動きができたと思われる。

 ……服を着ていない、と言えば一番わかりやすい説明。身体の筋肉の伸縮に合わせた柔軟なスーツの伸びは目を見張るもので、まるで全裸で動き回っているのとは遜色ないレベルだ。

 静は猫のように小さく笑うと、台所に立った。

 

「ふたりとも今日は疲れたやろし、うちが今日は晩飯作るわ」

 

 普段は蓮華が料理を担当しているが、気まぐれで静が代わりにやることもある。しかしそうなるとほぼ絶対にウスターソースやらケチャップやらを使って味の濃い料理を作ろうとするのがややネックだ。

 街で焼きそばやたこ焼きを食べたことがあるが、静のつくるものはそれらの比ではない。『時々』だから許容できるが、『それなりの頻度で』となるとさすがに味覚が死んでしまう。

 しかし蓮華に負けじとも劣らず、静のつくる料理は普通に美味しい。

 友奈は勢いよくソファーから飛び上がると要求を口にした。

 

「はい! じゃあハンバーグでお願いします!」

 

 しかし冷蔵庫の中身をチェックした後、残念そうに首を振る。

 

「うーんそれは無理やな。材料足らん。でもキムチあるから豚キムチするわ」

 

「豚キムチですか? たぶんそれ初めてですよね?」

 

「ふたりに振る舞うんは確かにそやなー。まあ期待しとき。ロックほどではないにしろ、それなりの腕はあると思ってるから」

 

「そんなそんな! 料理を作ってくれるだけでもすごくありがたいですよ! 私なんて料理すらできないので……」

 

 激しく首を振り、友奈は下を向いた。

 筋肉に生き、筋肉を愛して生きてきた友奈にとって、食事とはエネルギー摂取以上の意味はない。最悪プロテインだけでも満足できてしまうほどやや中毒になってしまっているまである。

 もし静や蓮華がおらず、友奈だけで寮生活と思うと身震いする。なんだかこの生活で自分が養われているような感覚に陥る。部屋の整理や家事全般などほぼすべてをこなしてくれる蓮華に、年上で事細かに世話を焼いてくる静。ふたりは友奈の保護者かなにかのようだ。

 ふと自分がふたりに何でもいいから貢献できているのだろうかと考え込んでしまう。

 するとフライパンで豚肉を炒めていた静が口を開いた。

 

「……ええんやで、アカナ。それが普通なんや」

 

「え……?」

 

 普段なら決して出さないような穏やかな声色に、驚愕とともに友奈は顔を上げた。

 

「キャラが濃いから圧倒されてるだけやと思う。なんやかんや世話好きなんよ、うちらは。せやから気にすることはなんっもあらへんで。それに、アカナにはアカナにしかできんことがあるしな」

 

「私にしか、できないこと……?」

 

 手慣れた動作でフライパンを傾け、絶妙な火加減で炒める。木ベラを素早くスライドさせ、具が混ざる。その様子はさながら厨房裏の料理人のようだ。

 そして出来上がった豚キムチを三人分の皿に盛り付けた。ついでに冷蔵庫からサラダを別の皿に移し、冷凍されていた白米を電子レンジに放り込む。

 友奈も何か手伝おうと台所に立った。とはいっても箸を用意する程度しかできない。

 

「せや。アカナは鏑矢のムードメーカーや。うちとロックだけやったら絶対ピースの凸凹が合わへん。さすがのお喋りなうちでも黙りこくってしまうかもしれん。でもアカナがいるから、ピースなんて関係なしにありのままでそれぞれ接することができるんやで」

 

「シズ先輩……」

 

 女子中学生がたった三人でシェアハウスをするというのはあまり聞かない話だ。

 疎外感やホームシックを感じたりというのはやはりどうしてもあり、ふとした時に考えてしまうものだ。親の温もりを直接この身に感じたい、と。

 だがお役目の真っ最中。そう簡単に実家にほいほいと帰ることはできない。

 だからこそこの三人で協力して生活しなければならないのだ。その中に友情を育み、その先に絆となる。

 

「どや? 今の結構先輩っぽかったやろ?」

 

 配膳しながら友奈は口をすぼめて答えた。

 すでにかいた汗はスーツの機能によって外に排出され、乾いている。

 

「今の一言がなければ。でも……ありがとうございます」

 

「アカナは大切な仲間やからな。いくらでも守ってやるで。……ってもいつも後方支援やけどな!」

 

 陽気にははは! と大声で笑い、盛り付けた皿を次々にテーブルに運んでくる。完成した豚キムチはとても食欲をそそる色合いで、友奈は思わずごくりと生唾を飲んだ。

 はやくシャワーを浴びたいという気持ちが一瞬で、はやく食べたい、に置き換わった。

 スーツ姿のままだが構わない。ちょうど都合のいいタイミングで友奈のお腹が鳴り、僅かに頬を赤らめながら椅子に座った。

 

「あとはロックやな。そろそろあがると思うけど……」

 

 向かい合って座った静が浴室の方を見ながらぽつりと呟くと、まさにジャストでドアが開いた。まさかのタイミングに静は「ワオ」と感嘆を漏らす。

 そして浴室から出てきた蓮華の姿はなぜかバスタオルを首に巻くだけで、他は生まれたままの姿だった。

 

「いい匂いがすると思ったら、シズさんが作ってくれたのですね。ありがとうございます」

 

「いやそれよりロック、着替えはどうしてん」

 

 すると蓮華は自身の裸体をまじまじと見下ろした後、

 

「問題ないわ!」

 

 と仁王立ちで自信満々に言った。

 静が「そうはならんやろ……」と悲壮感のある呟きを漏らし、友奈とともに長いため息を吐いた。

 

 ◆

 

 鏑矢は大赦の中でもある程度の地位の人間しか存在を知らない。ゆえに三人の大赦本部へ入る時は『見学』とか『学校の課外活動』などという適当な理由をつくっている。どうせ頻度も月に一度あるかないか程度だから、下位の役職の人間に不審がられることはないだろう。

 カバンを背負った友奈たちはラフな格好で正面ゲートを潜ると、大袈裟なほどだだっ広いエントランスに出た。大企業の一階に必ずいそうな受付嬢がカウンターの裏に立っているのが見える。その受付嬢はとびきりの美人で、メガネをかけた理知的な顔立ちをしている。

 大赦に属する人間が全員が全員あのよくわからない仮面をつけていると思われがちだが、大赦本部そのものの運営に携わっている人間はどうやらそうではないらしい。神樹様への信仰心が厚く、また四国の防衛に従事する人が仮面をつけている。だいたいこんな法則だと友奈はおおまかに理解している。

 

「こんにちは。どのようなご用件でしょうか?」

 

「うちら、『予約した』者です」

 

「わかりました。上に到着をお伝えしておきます」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 静の裏のある言葉を瞬時に理解した受付嬢は、にこやかな営業スマイルを向けた。

 何度も来たことがあるから行くべき場所はわかっている。静を先頭に三人は目的の場所へと足を運ぶ。

 スーツ姿の人とすれ違う度に二度見されるが特に気にする必要もない。大赦を見学することなどは付近の小中学校ではよくあることだ。そしてその目的は、大赦が四国の防衛や運営を行っていること、またそれらは神樹様の下で成り立っているという刷り込みのためである。神世紀になり、これらの教養が必修となったものだ。毎日用意された神棚を神樹様にみたてて拝をする徹底ぶり。

 結局のところ、神樹様は素晴らしい神様だ! ということを理解させたいのだ。

 友奈にとって昼前のこの時間はたいてい筋トレに勤しむ時間だ。いつも使っている重りの取っ手が金属製だからその部分が錆びてきて困っている。だから今日は錆取りの買い出しに行きたかったのだが……急な呼び出しとなれば仕方ない。

 友奈が短く嘆息していると、蓮華が子首を傾げながら口を開いた。

 

「友奈、寝癖治ってないわよ」

 

「え! うそ⁉ どこ⁉」

 

 慌てて頭を手で押さえるが、どこが寝癖になっているのか把握できない。人がたくさんいる場所でそんなものを見られていたとは顔から火が出る案件だ。

 お手洗いに駆け込もうと咄嗟に判断するが、それより先に素早い動作で蓮華が自分のカバンから櫛を取り出し、友奈の頭に添えた。

 

「まったく。仕方ないわね、友奈」

 

 やれやれと言わんばかりに肩をすくめると、あっという間に友奈の寝癖を治してみせた。

 

「ありがとうレンち」

 

「弥勒のライバルにはきちんとしてもらわないと困るわ」

 

 蓮華にライバルと認められている以上、それなりの格好というか、気品というものは兼ね備えなければならない。これまでそういうのには疎かった友奈は、蓮華によって矯正されているといえる。

 

「返す言葉もございません……」

 

 ワックスのかけられた木製の床は年季を思わせる色合いで、しかしながら老朽化しているようには見えない。その辺り、大赦という組織は隅々までしっかりしているのだとひしひしと感じる。

 和式の廊下を通路を進むこと数分、ようやく目的の部屋に到着する。

 そこはちょっとした庭が隣接していて、そこはよく巫女の舞の練習に使われる。三人が部屋に入ると、すでに役人が八名ほど待機していて、その内の代表のひとりがこちらに気づいた。

 

「鏑矢の皆様、お待ちしておりました。お迎えできなかったことを心から謝罪いたします」

 

 そう言うと役人たちは頭を床に擦りつけた。仮面をしているから表情がわからないが、どうせ仕方のないことなのだからわざわざ気に病む必要なんてないのに、と友奈は思った。

 

「あーいいですよそういうのは。それより本題に入りましょう」

 

 静は役人たちの顔を上げさせるとさっさと本題に移らせた。世辞や前座などが聞きたいわけではないという静の本音が垣間見える。

 

「はい。先日お伝えしたとおり、新武装での戦闘データを直接とらせていただきます。桐生様には祝詞による弥勒様と赤嶺様への力の付与をしていただき、また付与のない場合も同じように戦闘データとして頂戴します」

 

「わかりました。ほら、ふたりとも。着替えるで」

 

 役人の指示どおりに部屋の隅にある仕切りの向こう側に移動すると、そそくさと友奈たちは着替えた。

 友奈と蓮華は昨日も着たスーツに、静は通常の巫女装束だ。ふたりは軽く足踏みをしてスーツのズレがないかを確認した後、蓮華が役人から木刀を受け取り、庭に移動した。庭にはすでに鍛錬用の人形が少なくとも二十体以上、ランダムに設置されている。

 友奈の基本戦法は拳による超近接戦闘だが、蓮華は蛇腹剣を主に武器としている。一応備えとして持参してきてはいるものの、さすがに人形を斬られるのは困るのだろう。

 静が縁側に立ち、祝詞の詠唱を始める。これは神樹様の力を友奈たちに付与するために必要な工程だ。

 役人たちのデータ採取はすでに始まっている。ビデオカメラやパソコン、手書きのメモなど。様々な手法で絶え間なく仕事を始める。その真剣な空気への早変わりに、友奈も意識を切り替えた。

 しだいに力の流れが全身を帯び始める。生暖かいスライム状の液体が、うなじのあたりから広がる感覚。思わず身震いしてちらりと横目で蓮華を見た。蓮華は澄ました顔で落ち着いており、友奈の視線に気づき、微笑を浮かべた。

 

「弥勒に見惚れる気持ちはわかるけど、それはあとにしなさい」

 

「あ、うん」

 

 そうじゃないんだけどなー、というツッコミをゴミ箱に捨てて、力が十分に行き届いたことを確認した。

 数度ジャブを繰り出せば、通常時より明確に速度が上昇しているのがわかる。これも貴重なデータだ。見せつけるように動き回り、少し長めにウォーミングアップとした。

 蓮華も準備は万端のようで、いつでもいけるわ、と顔が主張していた。

 

「どのように動いてもらっても構いません。個別で動くも良し、連携して動くも良し。――では始めてください」

 

 開始の指示が下った瞬間、ふたりは力強く地面を蹴り上げた。

 常人の目に留まるかどうかのギリギリの速度。加速世界の中で、まず友奈は一番近い位置にある人形を目標とした。

 まるで重力を感じさせない軽やかな走りで肉迫すると、すでに作られている握り拳を突き出した。

 まずは一発! 本気の一撃――!

 ガンッ! と鋼鉄を叩く音が強く響いた。やはりと言うべきか、ただの人形ではなかった。限界まで強固にされた人形の右胸が深く沈む程度で、完全な破壊には至らなかった。なるべく破壊して欲しくはないだろうが……まあ許してくれるだろう。

 すぐさま次の目標に意識を変え、友奈は鋭く息を吐いて拳に力を集中させた。

 気持ちの良い打撃音が耳に届く。蓮華を一瞥すると、ヒットアンドアウェイで次々と恐るべきスピードで木刀を人形に叩き込んでいる。

 ……対抗心が燃えた。

 ……気づけば目につく人形のほとんどに木刀の打ち込まれた跡がある。この瞬間、友奈の中で己にひとつ、勝負を課した。

 それは、蓮華より多くの人形に攻撃すること。その方が断然やる気が上がる。

 身体も十分暖まった。ギアをひとつ上げ、稲妻の如く庭を疾走する。脳がスパークし、目に見えて反応速度が上がる。

 拳を人形の横腹に食い込ませる。そのまま一息つく間もなく頭を鷲掴みにしてアクロバティックに飛び上がり、少し離れた次の目標へ迫り、蹴りを入れようと――!

 

「――もらったわ!」

 

 そりより早く、蓮華の木刀が滑らかな軌跡を描いて人形に炸裂した。

 咄嗟に腰をひねって体勢を整え、友奈はすぐさま目標を変更する。

 ライバルを煩わしく思う暇があるのならば少しでも多く数を稼げ。それをもって勝つのだ。

 邪魔し、邪魔され、それでも圧倒的な速さでふたりは次々と人形たちに一撃を入れて回る。

 そしてほんの開始二分ですべてが破壊寸前にまで嬲られていた。連携なんてまるでなく、獰猛な獲物の奪い合いになっていたがスーツの動きを見るには十分なデータがとれた。

 相変わらず表情の読めない仮面だが、役人の声色からなんとなく嬉しそうではあることはわかった。

 

「とても素晴らしい動きでした。こちらとしても申し分ないほどのデータをとることができました。これらをもとにさらに高性能なものの開発に専念できます」

 

「その……あんなになっちゃたんですけどいいですか?」

 

 滅多打ちにされた人形たちを見て、友奈は濁しながら尋ねた。

 あれだけの強度があったのだ。一体一体のコストは決して低くはないはずだ。しかし役人は落ち込むどころか逆に嬉しそうだ。

 

「まったく問題ございません。四国の秩序を守るための出費と思えば安いものです。それでは次は桐生様の祝詞なしでの動きを見させていただきますが、その前に休息は必要でしょうか?」

 

「不要よ。友奈もいいわよね?」

 

 蓮華の即答に友奈も頷く。

 

「うん、そうだね。まだ全然動けるよ」

 

「……ちなみに」

 

「ん?」

 

 蓮華が後ろを振り向き、人形たちを指差してサムズアップする。

 

「今の勝負、弥勒の勝ちよ」

 

「ぐぬぬ」

 

 やはり蓮華もそのつもりだったか。友奈がそれを意識したのが遅かったため、その点で勝敗がついたと言っても過言ではない。何事も勝負事にしようとする蓮華の友奈に対するライバル心は並大抵のものではない。

 大人しく負けを認め、切り替えることにした。

 静による力の付与が解除され、ほう、と熱い息を吐く。肩をゆっくり回して僅かに溜まった疲労を抜き、次に備える。

 

「次も同じようにすればいいんですか?」

 

 友奈が尋ねると、役人は庭に転がる人形に顔を向け、むず痒そうに首を傾げた。

 

「そうですが……ここまで損傷したものをもう一度使うのは……」

 

 友奈たちの戦闘力は予想以上だったようだ。嬉しい誤算ではあるが、それはそれで問題で、用意されていたフローチャートとは異なってしまう。

 ならばいっそ模擬戦でどうですか、と提案しようと友奈が口を開いた瞬間、部屋にひとりの老婆が入って来た。

 黒の袴に身を包み、その辺りの一般人よりも美しく背筋を伸ばした姿勢はいっそ見惚れるほどだ。そして堂々とした足取りで縁側に立つ。すぐ側にいた静がその人物の顔を見るや否や目を丸くする。

 

「――ほう。元気そうで何よりだな、お前たち」

 

 それは威厳に満ちた、まるで衰えを感じさせない声だった。そのまま下駄を履いて庭に下りると、友奈はもちろん、普段から目上の人間だろうと決して敬意を払わない蓮華も素早く頭を下げた。

 

「そんなに畏まるな。私はお前たちがいると聞いて顔を出しに来ただけだ。顔を上げてくれ」

 

「……はい、乃木様」

 

 乃木――乃木若葉へ尊敬の眼差しを向けながら蓮華は顔を上げた。

 初代勇者、その唯一の生き残り。終末戦争の後も、四国防衛のための地盤を築く大赦に力を貸し続けた偉人。

 そして、友奈たちの師匠である人だ。

 若葉はふたりの間を通り過ぎ、その後ろの人形の山々に近づく。ひとつひとつ傷跡を見たあと、「ふむ」とだけ呟いた。

 

「お前たち、少し腕が鈍っているんじゃないか? 最近は比較的容易な戦闘ばかりしていると聞くぞ」

 

 若葉の目が届かなくても、お役目ややむを得ない事情がない限り、鏑矢として一日たりとも鍛錬を欠かしたことがない。寧ろ蓮華と競うように明け暮れるほどだ。

 だが指摘されたことは事実で、戦闘という戦闘を実戦として経験することはめっぽう少ない。だから知らず知らずのうちに腕が落ちていたのかもしれない。

 またそれを実際に見たわけではなく結果だけを見て気づくことのできる慧眼はやはりと言える。

 若葉は部屋に戻ると、記録したデータを顎に手を乗せながら眺める。

 伝説の勇者がいるだけでこの場の空気は変質している。先程までは苛烈な熱を帯びていたが、今ではそんなものは初めから無かったと錯覚しそうなほど冷たい針のような緊張感に満たされている。

 友奈はいつの間にか手汗を滲ませていた。蓮華も微動だにせず若葉を見据えている。

 

「そうかそうか。これは静の祝詞ありのデータか。それで今からなしでするのか……」

 

 数度視線を友奈たちとデータの間を往復させると、役人のひとりからメモ用のペンを借りてもう一度庭に下りた。その表情は楽しげで、何を考えているのか友奈にはすぐにわかってしまった。

 若葉は勇者時代、好戦的な勇者だったと聞く。それも敵を捕食するほどに。歴史上の偉人は頭のネジが数本抜けているとよくあるから、若葉もその一人であることは間違いないだろう。

 ペン先をこちらに向け、乃木は頬に皺を寄せながら言った。

 

「これでお前たちの相手をしてやろう。祝詞ありだと、さすがの私も下手をすると負けるからな(・・・・・・・・・・・・)

 

 やっぱりな、と友奈は口を横一文字に結んだ。

 しかし格好はどう見ても戦えるようなものではない。動きにくい服装に、下駄。武器はただのペンだ。どう考えても不利。さらにこちらはふたりだ。一般人ならば若葉が負けると一瞬で決めつけるだろう。

 だが、『これで』ちょうどいいハンデなのだ。

 何度も若葉の太刀筋を見て、もしくは身に受けているから知っている。洗練された剣技は蓮華ですらまったく真似できない。「これは……さすがの弥勒も困難よ」と音を上げるほど。軌跡など目で追うことすら不可能で、手元が僅かにブレる程度。全く動じていないように見えるのだ。だから蓮華との間で『朧斬り』なんて呼んでいる。

 つまり過剰と思える自信にはきちんとした背景があるのだ。

 友奈は身を引き締めた。

 

「すごい自信ですね。負けたら何をしてくれますか?」

 

 蓮華が試すように尋ねる。

 幾秒か考える素振りを見せ、「うどんを奢ってやろう」と言った。

 おお、と感嘆を漏らす友奈だが、すぐさま。

 

「私が勝ったら静の奢りでうどんを食べに行こう」

 

 と言った。

 

「ええええぇぇぇ⁉」

 

 庭に身を乗り出して静が狼狽える。まさか全く無関係のふたりの戦闘に自分が土俵に引きずり込まれるとは思っていなかったようだ。

 しかし「お前が鏑矢の中で一番偉いんだから当然だろう」と若葉の言葉に一蹴される。お財布事情にマリアナ海溝よりも深くため息を吐く姿に友奈は小さく吹き出した。

 

「さあさあ。静の財布が懸かっているぞ。これはやるしかないよな? 赤嶺。蓮華」

 

 リスクとリターンの重みが若葉と静ではまるで違うが、そこは目を瞑ろう。結局どれだけ言い繕っても戦闘狂な部分が隠しきれず、実際この駆け引きにそれほど意味はない。万が一若葉が負けたとしても、三人分のうどんを奢る金なんて小さじ一杯分にも満たないのだ。

 

「――なら、やるしかないですね」

 

「そうだ」

 

 物分りのいい蓮華の返事に、子供のように無邪気に若葉が応える。

 それと同時に蓮華は腰を低く落として木刀を構えた。

 

「友奈。わかってるとは思うけど、たとえ師匠だろうと勝つわよ」

 

「もちろん。どうせだからとびっきり美味しい高級うどんを奢ってもらおうね!」

 

 そうだ。それくらいでないと割に合わない。しかしそんなことを言ってしまうと逆に静が高級うどんを奢らなければならない可能性が浮上し……静の生気が抜ける顔が容易に想像できたからここで思考は彼方へ押しやった。

 無音が庭を支配する。三人が無言で剣気を纏う様に、役人たちは生唾を飲むことすら許されなかった。ただ、普通に生きていたら絶対にお目にかかれない戦闘が見られるのだという確信があった。

 風が止み、友奈は足先の角度を僅かに変えた。爆発的な加速で一気に若葉へ急接近する姿勢が取れたが、それに対する反応はない。

『よーいどん』なんて掛け声は不要で、すでに模擬戦は始まっているのだ。

 そうして睨み合いが十秒ほど経過した時、唐突に蓮華が動いた。

 若葉の武器はただのペン。蓮華の持つ木刀のほうが圧倒的にリーチが長い。故に優位に戦闘が進められると判断したのだ。若葉は半歩だけ下がり、ペンを構えた。

 下駄特有の硬い足音が短く響いた。

 祝詞によって身体強化がされていないとはいえ、ふたりの動きは洗練されている。下段からの斬り上げが若葉に迫った。

 ペンを前に出す。そして側面部分で受け止め……るのではなく、力の流れを絶妙な加減でズラし、最小限の力で初手を受け流した。

 躱されることなど百も承知。年老いても伝説の勇者様、一筋縄でいけるはずがないと理解している蓮華は息をつく間もなく苛烈に連撃を繰り出す。

 プラスチック製のペンに当たっているはずなのに、その打撃音が一向に聞こえない。ふたりの足運びの音が聞こえるだけの演舞のよう。

 

「ふっ!」

 

 若葉の背後に回った友奈はそのガラ空きの背中めがけて急接近する。

 だが、まるで後ろに目があるのではと疑いを抱いてしまうレベルで正確に把握され、寸前のところで横にシフトした。

 その結果蓮華と鉢合わせになり、正面衝突――。

 ……伊達に同じ釜の飯を食い、鍛錬に明け暮れたわけではない。

 言葉など不要。視線を交差させるだけで互いの考えを一致させる。

 咄嗟に友奈は反転し、勢いはそのままで身体を蓮華に投げた。蓮華は木刀を手離して友奈の背中を受け止め、全力で押し返す。

 

「ほう」

 

 若葉が短く唸った。かん高い下駄の音が鳴り、袴が大きく靡いた。

 その余裕ぶった顔を一変させてやる!

 歯をキリキリと鳴らす。歯の間から空気を吐き出し、友奈は全身の力を拳に込めた。

 その瞬間、若葉の表情が明らかに変わった。驚愕といったものではなく、哀愁のような……どこか懐かしさを感じさせる表情の機微は友奈にはわからなかった。

 

「ぁ――」

 

 と漏らした掠れ声が聞こえた。

 しかし友奈はそれを無視してそのまま拳を突き出した。肺に溜めた空気を一気に吐き出す。

 だがそれは人間業とは思えない滑らかな動きで紙一重で回避される。だからといって大人しく引き下がる友奈ではない。

 鋭く空気を吸い、泥臭く喰らいつく。力強く地面を踏みしめ、重心を投げ出してまで急激な方向転換をする。

 その勢いを殺さず、追撃の一撃を放った。

 

「はぁッ!」

 

 回避の直後に晒す無防備な隙。その刹那に一撃をねじ込む――!

 若葉が目を細める。

 心臓にまで透かして届きそうなその眼力に、拳の軌跡が歪められた気さえした。

 さらに背後にまわった蓮華の木刀が振り下ろされている。切っ先が首筋をなぞる。絶対不可避の挟み撃ち。

 ……やはりというべきか、まだ緊迫したこの状況でも動いた。何度も一歩、いや二歩先をいかれる。

 若葉がペンを逆手に持ち替え、右腕を後ろに回す。先程と同じように剣筋を逸らし、左手で友奈の拳を受け止める。

 前からの追撃。後ろからの奇襲。全力で放ったふたりの攻撃を若葉は防ぎきってみせた。

 

 ――これすらも防ぎきるか……!

 

 友奈は目を剥いて若葉を睨む。

 なんという化け物じみた反応速度。そして正確さ。

 だがこれこそが勇者。

 肉体が衰えてもなおその技量が衰えているようにはまるで思えない。

 全盛期だったらと考えるだけで身震いする。

 だがまだ終わっていない。次の一手を今すぐ打たなければならない。

 友奈と若葉はこれ以上にないほど無防備となった。

 対して蓮華はまだ動ける。風を切り、間合いに潜り込む。それでも、もしここでさらに木刀を振ったとしても若葉はきっと反応するはずだ。逆の信頼。だからこそ、友奈は限界の身体をなお動かす。それは重心を倒して若葉に衝突する。

 蓮華の攻撃に備えようとしていた若葉のバランスが崩れ、今度こそ避けようのない完全な隙を晒した。

 

 ――とった!

 

 友奈と蓮華は確信する。

 刹那、若葉の右腕がブレた。

 友奈が瞬きをして。次に目を開くと、蓮華の手元に木刀はなかった。手首から痺れが足先まで伝わり、蓮華は顔を歪める。

 蓮華の振る速度が音速ならば。

 若葉の振る速度は、光速。

 少し遅れて木刀が上から落下し、乾いた音が静まり返った庭に響いた。

 

 ――是、朧斬り。

 

 まさに不可視の一撃と言わずになんと言う。まるで反応できなかった蓮華が状況に追いつく頃にはすでに遅く。一息ついた若葉はしがみつく友奈を背負い投げ、武器を失った蓮華の腹に拳をめり込ませた。

 時間にして三秒にも満たなかった。

 

「私の勝ちだな」

 

 そう言って、若葉は毅然たる態度で若葉は袴についた土埃を払った。

 

「連携は良かった。だがそれだけだ」

 

 淡々とふたりを評価する若葉の言葉は機械的で、だからこそ身に染みて己の未熟さを思い知らされる。

 

「「乃木様、ありがとうございました!」」

 

 友奈と蓮華が頭を下げる。

 若葉が直接戦闘の指南をしてくれることは今後ほぼないと思っていい。もう歳は八十後半。それでいて四国のために様々な活動をしているのだ。もうゆっくり余生を楽しんでもいいというのに。

 その辺りは真面目な性格が滲み出ているのだろう。

 下駄を脱いで部屋に上がった若葉が振り返った。

 

「ああ。あと約束通りうどんは静の奢りだ。明日の昼、迎えを送るから待っていてくれ。楽しみにしているからな、静。はははは!」

 

 魂の抜けた静の肩を叩き、愉快そうに笑いながら部屋を出ていった。

 友奈は後で神樹様に静の財布の無事を願おうと心に固く誓った。

 

 ◆

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 リビングでブリッジしそうな勢いで転がりまわっているのは静だ。寮に戻ってきてからずっとこんな調子だ。

 ソファーの上でひとつの氷嚢を共有しながらテレビを見る友奈と蓮華はちらりと先輩を見下ろす。

 

「あかんンンンンンッ! うち、一文無しになるわああああああああっ!! 高級うどん店⁉ んなとこ行ってみ!! 財布がぱーどころかマイナスになるで⁉」

 

 完全に被害者な静に申し訳なさを感じるふたりだが、何か優しい言葉をかけようものなら逆に火に油を注ぐことになってしまいかねない。だから静が落ち着くまでこうして静観するしか道を選んだ。

 

「――いや待てよ? 乃木家、その頭領様のためにうちの財布がさよならバイバイするんやったら本望ちゃうか?」

 

 何やらマズい悟りを開き始めた静はもう見ていられなくて、つい友奈は口を出してしまった。

 

「シズ先輩、私達のお金も使っていいですから……。私達が負けたんですし……」

 

 親の世話が介入しない寮生活では、友奈たちの資金源は鏑矢として大赦から得られる給料だ。中学生が給料を得るのは法的によろしくないと思われがちだが、大赦は超法規組織だ。だからその辺りは問題ない。しかしながら中学生であるということは事実。多額の金を与えるのはいささか問題があるため、ある程度は大赦によって保管されている。それが与えられるのは鏑矢を引退した時だ。水道代や光熱費などは大赦が負担してはくれるが、逆にそれら以外はすべて友奈たちでやりくりしなければならない。

 切実なお金事情の結果、いつも手元に残るのは世間一般と比べたらまあまあ多いお小遣いレベルだ。静の嘆きは察するにあまりある。

 

「いやここは先輩として……! って言いたいけど、正直そんな余裕ないからなあ……お言葉に甘えさせてもらおかな」

 

「ふっ。心配には及びませんシズさん。弥勒家が全力で援助しますので」

 

 友奈に氷嚢を太ももに当ててもらいながらだとなかなかに痛快だ。

 蓮華の家は比較的裕福である。静の負担をすべて受け持っても痛くも痒くもないだろう。

 

「いや、そこまでいったら恩返しとか言ってごっつい要求されそうな気ぃするからほどほどでええよ」

 

 一定のリズムで氷嚢を押し付け合うふたりを眺めていると、もうどうにでもなれ、と投げやりな気持ちになってしまった。節約に節約を重ね、さらに友奈の中毒レベルのプロテイン摂取を控えさせればいいだけだ。友奈は涙目になるだろうが、背に腹は変えられない。

 ふと、インターホンの音が鳴った。

 誰か来たようだ。

 

「友奈、行きなさい」

 

「ええ〜。今冷やしてるんだからレンちが行ってよ」

 

「…………」

 

「……ならばこれね」

 

 無言で蓮華が手を差し出すと、友奈も同じようにして応じた。

 じゃんけんだ。

 

「「さいしょはグー、じゃんけんぽい」」

 

 軍配は蓮華に上がったようだ。鼻を鳴らして氷嚢を独占する。静は(将来の)精神的ダメージが大きくて立ち上がれない。友奈はしぶしぶとソファーから立つとモニターをチェックした。映り込むのは白い仮面だ。枝が何本も伸びる大樹を模したシンボルがデザインされていて、すぐに大赦関連だとわかった。

 しかしこんな夕暮れ時に何の用だろう。うどんの件は明日だったはずだが。

 

「誰やったん?」

 

「大赦の人っぽいです」

 

「ひえっ」

 

 咄嗟に財布を大事そうに抱える静を尻目に友奈はリビングを出る。

 

「私が出ますね」

 

 玄関のドアを開けると、寮の前には高級そうな黒塗りの車が停められていた。

 

「えっと……こんばんは。なんのご用件でしょうか?」

 

「はい。赤嶺様に乃木若葉様が対話をご所望です」

 

 男はそう言うと深々と頭を下げる。

 どうやらうどんの話ではないようだ。それについ数時間前会ったばかりなのにもう一度……?

 

「私だけですか? レン……弥勒さんや桐生さんは?」

 

 男は首を横に振った。

 ついでに後部座席の窓が開く。なんと中には若葉がいて、こちらに手招きしている。とはいってもさすがにそのまま乗り込むのは良くない。ホウ・レン・ソウだ。

 

「すみません、すぐ戻ります!」

 

 踵を返して玄関に戻り、大声をあげた。

 

「私、ちょっとでかけてくるー!」

 

 わかったわ、と蓮華の返事がリビングから返ってきた。今の友奈は部屋着だが、別に外に出ても恥ずかしくない格好だ。

 携帯のバッテリーを確認した後、大急ぎで外に出る。男に促されるがままに乗り込み、車は静かに発進した。

 すぐ隣に若葉がいるという状況に緊張が隠せず、もじもじと身じろぎする。そんな様子を感じ取った若葉は微笑を浮かべた。

 

「緊張しすぎだぞ赤嶺。別にとって食ったりするわけではないぞ。ただちょっと付き合ってほしいところがあってな」

 

「どこですか?」

 

「ちょっと……な」

 

 どうも歯切れの悪い返答だ。

 外を眺める若葉の瞳は、なんだか陰鬱だった。勇者様でもこのような顔をするのかと思いつつ、これ以上の詮索は止めておいた。

 若葉が口を開くのはそれきりで、目的地につくまで誰かが話すことは最後までなかった。友奈はこの閉鎖空間でどうしようもない沈黙に爆発しそうだった。

 車を停め、運転手が到着したことを知らせた時には、喉に刺さった魚の骨が取れたような解放感を得た。

 そこはドーム型の小さな白い施設だった。大きさはおよそ学校のグラウンドより少し小さいくらい。若葉が無言で降り、友奈もそれに続いた。運転手は車内に残るようだ。

 誰でも入ることのできる施設で、ドアといったものもない。周囲を囲うように柱が立ち、見下ろし型のステージのように、段差が中心部に向かって何段も連続している。

 

 ――五つの石碑が寄り添うように、隅の方にぽつんと並んでいた。

 

 ひとつひとつのサイズはたいしたことはない。高さは一メートルもないほど。しかしそれらの存在感は決して無視できないものだった。

 若葉の足は迷うことなく石碑へと向かった。一段一段ゆっくりと段差を下り、その前に立つ。

 背面だからわからなかったが、いざ正面から石碑を見て、友奈は思わず息を呑んだ。

 

『土居球子』

『伊予島杏』

『郡千景』

『高嶋友奈』

『上里ひなた』

 

「――――これ、は」

 

 若葉と共に戦ったという勇者様たちの名前。

 全員が全員、今後永遠に英雄として語り継がれる人物の名だ。

 そして思う。

 これはもしかして――。

 

「――ああ。今お前が思っているので間違いない。ここは……そういう場所だ。骨はそれぞれの家族のところに納められている。ここにはない」

 

「――――――」

 

 若葉が重い言葉を吐き出す。

 友奈はそれに反応することができなかった。いや、どう反応すればいいのかわからなかった、が正しい。

 

「赤嶺。鏑矢のこと、どう思っている?」

 

 唐突な質問だった。

 友奈は目をぱちくりさせる。

 

「どう、とは……?」

 

「……ああ、聞き方が悪かったな。すまない。――お前は鏑矢のお役目に胸を張れるか?」

 

 失礼ながら、何を馬鹿な、と思った。

 鏑矢は誇りあるお役目だ。神樹様に選ばれるというこの上ない栄誉。それに四国のために必要とされることが嬉しかった。だから友奈はこれを快諾したのだ。そのおかげでキャラは濃いものの、弥勒蓮華と桐生静というかけがえのない仲間も得ることができた。どこも不安要素なんてない。

 

「はい! 張れます!」

 

「そうか。そうか」

 

 それに対して若葉の返事には含みのあるように感じられた。

 

「では赤嶺。どうして西暦からまったく文明が発展していないか、わかるか?」

 

 神世紀が幕を開けて七十年と少し。確かに昔に比べて文明が発展しているとは言い難い。せいぜい携帯の容量が増えたり、テレビ画面の質が向上したりはしているものの、明確な人類の発展と言えるわけではない。

 

「いえ……わからないです」

 

 首を横に振る。すると若葉は気難しそうに唇を歪めた。

 

「それはな、我々人間が神樹様と同じステージに立つことを恐れているからだ」

 

「神樹様が?」

 

「そうだ。もし文明の発展がいくところまでいけば、神樹様のエネルギーを完全に解明する未来が来るかもしれない。そうなると人類が自らそれを模倣し、独自に生きようとするだろう。また違った発展だと、勇者システム以上の力を生み出す未来が来るかもしれない。そうなると神樹様の力なしに壁の外のバーテックスどもを蹂躙し、逆にこちらから攻め入ることができるだろう」

 

 希望的観測であることは否めないが、真っ向から否定できるわけでもない。若葉の言う未来は可能性としては決してゼロではない。遠い未来……それこそ百年単位で先の話なら、実現できる可能性はある。

 

「神樹様は我々に従順な生き方をしてほしいんだ。だからこれを脅かすものを排除したいと考えている。例えばテロまがいなことはもちろん、過度な文明の発展に繫がる技術進歩。それらの排除を代行するのがお前たち鏑矢だ。どれだけ美麗美句を並べても、この根底は覆らない」

 

 昨日のお役目は研究資料の破棄、研究者の処分だった。これは若葉の言葉を借りると、紛れもなく過度な発展に繋がるものだ。それに使いようによっては、自律型ドローン、それも超小型だから誰の目にも留まらずに壁の外へも飛んでいける。そうすると真実を知ってしまう。

 これまで友奈はお役目ごとの意義までは考えたことがなかった。結果論だけに着目し、その意義を知ろうとしなかった。

 頼られているということに喜びを感じ、上手く駒として操られていたのだ。そこはまだ人生経験の浅い女子中学生だから仕方ないところも多少ある。

 鏑矢が汚れ仕事であることは重々理解している。一度引き受けた以上、後戻りはできない。それに先程答えたとおり、この仕事に胸を張れる。

 友奈は力強く答えた。

 

「それでも、私はやります」

 

「……そうか」

 

 若葉の顔が晴れた。

 手を伸ばして友奈の頭に乗せると、わしわしと撫でた。

 

「でも赤嶺。よく覚えておいてほしい。私達は人間だ。決して愛玩動物などではない。だからこそ、人間だけが持つ唯一無二のもの――可能性があるということを頭に入れておいてくれ」

 

「……わかりました」

 

「頼んだぞ」

 

 肩の荷が下りたような安堵の表情を浮かべた若葉は『上里ひなた』の前で腰を落とした。

 愛おしそうにひとつひとつを見つめ、柔らかい笑みを零す。

 

「ここはつい最近完成したばかりでな。……まあ皆をきちんとした形で弔いたいという私の我儘なんだがな」

 

 若葉は持ち寄ってきていたカバンからフードパックに入った骨付鳥を手に取ると、下にそっと置き、石碑を水気のないしわしわの指で優しく撫でる。

 

「……今日はな、ひなたの命日なんだ」

 

 独り言のように話を切り出した。

 

「そう、ですか……」

 

 上里ひなたという人物は、自称若葉の保護者だったらしい。過保護に過保護を重ね、ついには若葉は私が育てたと宣言したほどという。

 なかなかに強烈な巫女と聞いている。

 

「あいつ、誰よりもはやく逝ったんだ。まだ欠陥の多い勇者システム、その補助に身体が耐えられなくてな。戦いが終わって一月もしない内に逝ってしまった」

 

 声は僅かに震えている。

 今若葉はどんな記憶が頭をよぎっているのだろうか。上里ひなたとの何気ない日常だろうか。それとも亡くなる直前だろうか。

 

「よく『私がいなくなったら誰が若葉ちゃんを……』って言いながらぼろぼろの身体を起こそうとしたんだ。ははは……。まったく……どれだけひなたは……世話好きなんだろうな……」

 

「…………」

 

「……………………………………………………ひな、た」

 

 無限に思える沈黙のあと、それを突き破れないほど弱々しい声で名前を呼んだ。

 ゆっくりと膝から崩れ落ち、顔を俯かせる。

 

「わたし、私、は……お前がいなくても、ひとりで身の回りのことができるようになったんだぞ……。服を自分で選べるようになったし、朝もちゃんとひとりで起きられるようになった……。お前の子守唄がなくても眠れるようになって、耳掃除も自分でできるようになった……。どうだ……? すごいだろう? お前がいなくても、私は生きていけるんだ……。それに、お前が経験していないこともたくさんした。殿方と契りを交わし、夜を明かし、子を成して、子育てをした。今では孫に囲まれるまでになった。今の私をお前が見たら……間違いなくショックで倒れるだろうなぁ……。私、頑張ったんだぞ……? 今までずっとずっと、頑張ったんだぞ? だから、よく頑張ったですねって……お疲れ様ですって、褒めてくれたっていいんじゃないか…………? なあ頼む。お願いだ……。いっぱい褒めてくれよ、ひなたぁ……」

 

 嗚咽を含む声は、海の方から吹き込んでくる潮風によって掻き消される。ポロポロと大粒の涙を流す。石碑に泥臭くしがみつき、火がついたように泣き喚く。

 その慟哭に、友奈は目頭が熱くなるのを感じた。

 そこに勇者、乃木若葉という人間はいなかった。

 旧友の死を嘆き、子供みたいに感情を爆発させる老婆がいた。

 友奈はただその姿をじっと見下ろすことしかできなかった。なんて声をかければいいのかわからず、若葉が収まるまでじっと待った。

 五分ほど泣き続けたあと、ようやく立ち上がった若葉は友奈に向き直った。その顔は真っ赤に腫れ上がり、涙の跡が皺と皺の隙間に残っている。

 

「少しお願いがあるんだが、いいか?」

 

「……なんでも言ってください」

 

「今だけ……私のことを、若葉ちゃんと呼んでくれないか?」

 

 断る理由なんてどこにもなかった。

 きっと、このために友奈をここまで連れ出したのだろう。

 違和感は蓮華との模擬戦の時、ふと見せた複雑な表情だった。そこできっと、若葉はある人物を友奈を通して見てしまったのだろう。

 ならばやることは決まっている。

 両腕を広げ、笑みを浮かべる。

 そして。

 

「若葉ちゃん」

 

 と語りかけた。

 

「――――――――――ああ」

 

 ひび割れた声が若葉の口から溢れた。

 

「ああ…………友奈」

 

 若者以上の生気が瞳に宿る。目は見開き、ひいていた涙が再び流れ始める。

 だらしなく口を開けたまま友奈に躙り寄り、腕を背中に回して抱きしめた。

 

「友奈……友奈……」

 

 なんて細い身体なのだろう。鼻の先が熱くなった友奈はしっかりと抱き返しながら思った。

 肉は削げ落ち、皮と骨だけだと勘違いしてしまいそうだ。

 

「皆……皆、逝ってしまった。戦いが終わってすぐに衰弱して逝ってしまった。どうして私だけ生き残ってしまったんだろう。そんなことばかり考えてしまって、それでお前たちに会うのが怖くなって、足が震えて、今まで一度も墓に行けなかった。こんなに苦しい思いをするのなら、私もお前たちと一緒に逝きたかった……!」

 

 若葉が生き残ったのは偶然か必然かなんて誰にもわからない。しかし若葉にとってこれは幸せそうなことではなく、寧ろ呪い……枷でしかなかった。

 七十年としばらく。気の遠くなるような月日。孤独ではないが、孤独な日々を悲しみとともに送ってきた。誰もが若葉を敬う日々。だが、対等の立場で見てくれる人間は誰ひとりとしていなかった。それが何よりも苦しかった。辛かった。

 歳のせいだろう。こんなにも弱気になってしまっているのは。もうきっと命も長くはない。数年のうちに人生の幕が閉じるだろう。

 

「不甲斐ない私を許してくれ。このような場を設けないと満足にお前たちを弔うことすらできない、どうしようもなく馬鹿で、愚かで、弱い私を許してくれ……!」

 

 肩が涙と鼻水でぐちゃぐちゃに濡れてしまった。しかし友奈はそんなことは気にかけずに若葉の背中をあやすように撫でた。

 

「大丈夫だよ若葉ちゃん。許す。ぜーんぶ許す。私も、皆も、若葉ちゃんには幸せに生きてほしいって願っているから。安心して。私たちはずっと昔から、側にいるよ」

 

「いいのか……? 私は幸せになっても、いいのか……?」

 

「もちろんだよ。もう、若葉ちゃんはドが付くほど真面目だから、誰かに言ってもらわないと止まらないしね」

 

 友奈の知らないところで、それこそ友奈の生まれるずっと前からこの老婆は四国のために奔走していたのだ。その心労は簡単に『わかる』なんて言ってやれない。乃木家は大赦の中でも絶大な権力を有する家系へとのし上がった。これも老婆のおかげ。永遠かどうかはわからないが、末永い繁栄は約束された。だからもう、安息が与えられるべきだ。普通の老人が過ごす、穏やかな日々が与えられるべきなのだ。

 

「そうか……そうか……っ! ありがとう……! ありがとう……っ!」

 

 号泣のスイッチが入った老婆はずっと泣き続けた。

 その悲しみをすべて受け止めよう。

 その苦しみをすべて癒やそう。

 そして。

 その後悔をすべて許そう。

 友奈は『友奈』ではないけれど。

 せめて、その老いた心が救われますように。

 いつまでも友奈は背中を撫で続ける。やがてすすり泣きが止まり、泣き疲れて眠りに落ちるまで、いつまでも……いつまでも…………。




のわゆのストーリーは知らないから許してネ

――####に救いが欲しいですか? 欲しくないですか?

それではまた次回
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