ところで文字数ってどれくらいが読みやすいんだろ
前回のあらすじ
それは、ありえない邂逅
ちなみに前回の補足を述べると、樹ちゃんの占いが正史と変わっています。
↑結構重要
お金は命より重い。
そんなフレーズをテレビで聞いたことがある。今更ながら、相違ないと釜玉うどんを啜る静は切に思った。
「はははは、まさか高級うどん店に本気で行くとでも思ったのか? お前の財布事情くらいだいたいは把握しているさ。まったく、大げさな奴め」
上機嫌に語る若葉のうどんはすでに空だ。まだ静を含め友奈、蓮華も半分ほどしか食べていないというのに。
昔からうどん好きとして有名だが、その話は真実だったようだ。麺のしこしこ感、だしの旨みなどをそれぞれ丁寧に評価しながら口に運ぶ様はまるで歴戦のうどん職人の如く。思わずその饒舌な解説に静たちの箸を持つ手が止まるほどだ。
静の財布からは代金として三枚の紙幣がさよならばいばいする。痛手といえば痛手だが、致命的というほどでもない。若葉の寛大深さに心から感謝するのだった。
「友奈、もっとちゃんと噛んで食べなさい」
「はんへる! はんへるはら!」
ハムスターのように麺を口いっぱいに含めても説得力はまるでない。時間をかけてゆっくり咀嚼した後、ニンマリとドヤ顔をしても無駄。蓮華にジト目で見つめられて大人しく観念する。
「ここのうどんはとても美味しいですね」
香川に住むのならうどん好きは必須。美味しいうどん屋一覧は静の脳内にリスト化されて保存されている。だがここは知らなかった。
「時々大赦から抜け出してこうやってうどん巡りをするのが趣味でな。それでここを見つけたんだ」
まあその後怒られるんだがな、と補足する。
今回はきちんとしたお出かけだからそういった心配はない。しかし若葉は偉大なる元勇者様、外には息のかかった人間が待機している。もしかすると、そのような閉塞感から解放されたくて抜け出したりしていたのかもしれない。
「そうだお前たち、学校はどうだ? ちゃんと過ごせているか?」
急カーブで投擲された話題になぜか友奈が顔をしかめた。
対して蓮華は得意顔で鼻を鳴らした。
「もちろんです。運動能力は当然、学業も弥勒は常にトップ。そうですよね? シズさん」
「せやな。たまに復習がてらうちもロックに教えてもろうてるしな。逆にアカナは……」
「……モ、モチロンダイジョウブデスヨ?」
妙に片言になった友奈はぶわりと冷や汗を吹き出して明後日の方向に目を向ける。必死なジェスチャーに鋭い眼光で若葉に睨まれると、急にしおらしくなった。
「友奈は問題ね。だってこの前の定期テスト、平均点ギリギリだったもの」
「あーんもうレンち! 言わないでよー!」
涙目で泣きつく友奈は犬のようで、頭をグリグリと胸に押し付ける。それを嫌がることなく真っ直ぐに受け止める蓮華に静は苦笑する。
「なに? 赤嶺はそんなに勉強が苦手なのか? 勉強は大事だぞ。将来に深く関わってくるからな」
正論のコンボを喰らった友奈はストレートでノックアウトする。
脳筋の友奈には物事を筋道を立てて論理的に考えることが苦手だ。感覚派、と言ったほうがしっくりくるかもしれない。だから数学や理科など、基礎を理解していなければならない科目では壊滅的な被害を受けてしまう。
「うう、わかってはいるんですけど……」
「赤嶺。鏑矢のお役目も大切だが、それが終わった後も人生は続くんだからな」
確かに鏑矢を勤める具体的な期間は提示されていない。数年ほどだろうと友奈は勝手に想像していた。しかしながらその間にも勉強は学生の本分としてまとわりつく。いざご苦労様と言われて放り出された時、何もできない馬鹿な人間に生きる術などたかが知れる。
「善処します……」
普段から蓮華による家庭教師をしてもらっているが、これからはさらに頻度を増やしてもらうことを心に決めた。
ふと静が周りを見渡せば、客が誰一人いなくなっていることに気づいた。それもそうだ、誰もが知るあの若葉様がいるのだ。そこらのただの有名人ならばサインなどを求めに……なんてことがあるかもしれないが、若葉にはそれすら恐れ多い貫禄がある。それに外からの痛いほどの監視にも息苦しさを感じたのだろう。
店員たちも盲目的に作業台の整理をして緊張を紛らわそうとしているのがわかる。
静の心配を機敏に察知した若葉は、さすがに長居するのは迷惑だろうとさっさと店を出ることにした。
「ほら、赤嶺、蓮華。食べるのが遅いぞ。そろそろ帰ろう」
「それは乃木様がはやいだけでは……」
蓮華がやや腑に落ちない様子だ。しかし若葉は「何を言う」とおいてから、
「お前と赤嶺がイチャイチャしている間に静はすでに食べ終えているんだぞ」
と透かした顔でそう言った。
「イ、イチャイチャなんて……」
「……まさかお前たち、自覚してないのか?」
ふと食事中のことを振り返る。
特に……イチャイチャに該当するようなことをした覚えはない。ただ友奈が汁を零さないように注意したり、少なくなってきたお冷を入れてあげたり、口の周りに飛んだ汁を拭いてやったりしただけだ。
当然のことだ。
果たして何のことを言っているのか蓮華には理解できなかった。
「いや、まあそれはそれでいいが……静、会計に行くぞ。ふたりははやく食べておけよ」
よくわからない顔をするふたりを放って伝票を持った静を連れて会計に立つ。
素早くレジを打った店員に金額を告げられ、静が苦渋の思いで財布に手を伸ばそうとすると、なぜか若葉がそれを遮ってきたのだ。
「えっと……乃木様……?」
「これで。多い分は迷惑料だ。受け取ってくれ」
若葉がスッとトレイに置いたのは一万円札だ。提示された金額の倍以上。店員が目を丸くすると、有無を言わさず若葉は「では」と言い残して静の手を引いて店を出た。
高齢の老婆なのに、その姿にデート時の彼氏のような既視感を覚え、いつの間にか頬を仄かに朱色に染めてされるがままになってしまった。
「あの……なんでですか? うちが払う約束だったんじゃ……」
そうだ。だから静はちょっと憂鬱な気分になっていたのだ。しかし若葉と食事ができるというこの上ない喜びで帳消しにしていた。
「年下に、それも子供に本当に食事を奢ってもらうわけにはいかないからな。初めからこうするつもりだったんだよ」
「ありがとう……ございます」
「そうだ。子供は素直が一番だ」
そう言って若葉は静の頭をがしがしと撫でた。
外で待機していた人が車へ案内する。そこに遅れて友奈と蓮華が走って来た。
「友奈、ちゃんと飲み込みなさい」
「わはっへるよへんち。んっ、く」
よほど大急ぎで食べたのだろう、友奈の頬はまだ膨らんでいた。胸を数度叩いて飲み込むと満足そうに笑みを浮かべた。
「シズ先輩、ご馳走様でした!」
「お、おう」
真っ直ぐな感謝に、つい静は曖昧な反応をする。
「弥勒からも、ご馳走様でした」
少しむず痒い感じがして静は若葉を見たが、黙っておけと言わんばかりに小さく首を横に振った。
その後駐車場に停めていた車に乗り込んで発進する。付添人兼運転手、助手席に若葉、後部座席に三人が座っている。
目的地は友奈たちの寮だ。なんだか至れり尽くせりで申し訳ない気がするが、それを言うことこそ迷惑というものだろう。静は先程食べたうどんの感想を長々と語る若葉の話を聞きながらそう考えた。
そしてふと、あることに気づいた。
「あれ? 乃木様、その髪飾りって手作りやったりしますか?」
静が指摘したのは可愛らしい黄色の花の形をしたピンだ。後頭部に留められていたから今まで気づかなかったが、今になってようやく気づいた。
若葉は照れ臭そうに「あー」とピンに触れる。
「まあその通りだ。私にも時間ができたからな。こうした楽しみを見つけるのもいいだろう」
そう言うと若葉は後ろを振り返って友奈を見た。そして互いに笑顔を浮かべる。年老いてもやはり女の子。その笑みは純粋だった。
若葉は先日友奈と出かけてから、大赦の重役から数歩引いたポジションに就いた。これまでが多忙な日々だったから暇を持て余しているのだろう。
友奈との間に何かがあったのかと聞こうとしたが、それはふたりだけに留めさせておいたほうがいいと思って開きかけた口を閉じる。
そうこうしているうちに、あっという間に寮に着いた。低いエンジン音が止まり、一時停止のウィンカーがリズミカルに鳴る。
ドアがスライドし、三人が降りる。
「乃木様、今日はありがとうございました」
蓮華が丁寧に頭を下げる。それにふたりも続く。
「もとはといえば私が誘ったんだからな。それと……えー……これをお前たちにやろう」
いつもの堂々とした態度なんてまるで見る影もないほど恥ずかしげに差し出したのは、三つのミサンガだった。市販のものと比べるとどうしても見劣りはするが、それぞれ赤、青、白を基調とした丁寧な作り込みであることは容易にわかった。
「さっきのピンもそうだが、最近こういったものにハマってな。出来はあまり良くないが……どうか貰ってはくれないだろうか」
友奈たちは互いの顔を見合わせた。
これは……なんて素晴らしいものなのだろうか。これはどれだけお金を積んでも決して手に入れることのできないものだ。ミサンガそのものにそれほど価値はない。売っても大した額にはならない。だが、伝説の勇者様がわざわざ友奈たちのために手作りをしてくれたのだ。
それは信頼の証。年の差はあるものの、そんなものは関係ない。
手渡されたミサンガを手渡された三人はそのまま手首に結んだ。ちゃんとそれぞれのイメージカラーにまでしてくれて、感謝以外の言葉がない。
「……一生大事にします」
確かめるように指を手首に這わせ、友奈は静かに歓喜の震えを鎮めた。
なお一層鏑矢としてこれからも頑張ろうと心に強く決意した。
若葉はさらにもうひとつ黄色のミサンガを手にし、自身の手首に結んだ。
「これでお揃いだな」
手を空にかざしてそう言った。
同じように三人も手を上に伸ばした。そして笑い合う。
同時に日は完全に沈み、暗闇が空を覆い尽くした。……否、ただの暗闇ではない。
滑らかな質感をもった、静的な炎を宿す黒だった。無数の星が輝き、自己を主張し始める。
どこまでも広がる、無限の夜空。
この日は、絶対に忘れられない日になる。
そう友奈たちは確信した。
◆
深呼吸をして心を落ち着かせる。
スーツの感度は上々。先日の戦闘データを参考に、微調整されたことによってさらなるスーツとの一体感を得たのだ。それはつまりより服を着ていない感覚となるわけだが、この際容認する。
スーツを着て活動するということは……お役目だ。
今回は前回とは変わって制圧する組織の規模が大きい。当然その分難易度は跳ね上がる。
朝露の濡れる雑草をかき分け、ほとんど誰も住まなくなった旧スラム街に出る。ここは昔、四国に逃げ込んできた外国人たちが居住する区域だった。しかし文化の違いや現地人のしがらみなどが原因で関係が拗れに拗れ、結果衝突の末にここら一帯は人の住みつかない廃墟と化した。
もし誰かがいたとしても、それは死体か廃人のどちらかだ。
だからこそ、ここを拠点としたのは敵にとっては最高で、友奈たちにとってもある意味最高だ。
崩壊した建物の下に下敷きになっている死体を見下ろす。圧に耐えられずに口から内蔵が飛び出している。眼球は飛び出し、乾燥しきっている。長い時間が経ったのだろう、皮膚はどろどろに溶けて気持ちの悪い汁を滲ませ、異臭を放つ。
思わず友奈は顔を歪ませるが、蓮華はそれを無視して歩を進める。
……そうだ、友奈たちがするべきことは目の前の死を嘆き、悲しむことではない。
鏑矢は人の善性を主としていない。神樹様の治める世に悪をもたらす者を粛々と始末する影だ。
物陰に身を潜め、友奈は手首のミサンガを確認して、スーツの伸縮を確かめながら口を開いた。
「……レンち、あれどう見る?」
視線の先には明らかに貧しそうには見えない、戦闘に特化した格好をしている男がふたり、学校の旧校舎の校門を守るかのように見回っている。
「ビンゴね」
「だよね。それになんとなくだけど……」
「ええ、弥勒にはわかっているわ。佇まいはそれほどだけど、纏っている雰囲気が違う。……精霊付きね」
蓮華が目を凝らして男たちを観察する。
精霊は本来ならば勇者にしか力を貸さないはずの機構もしくは超生命体だ。それを配備……しかもただの巡回にという事から組織の強大さを思い知らされる。
倒すことはそれほど困難ではないが、おそらく同クラスの人間が中にはうじゃうじゃいるだろう。強いとはいえ物量で襲われれば友奈たちでもひとたまりもない。
静によれば、この校舎の内部構造は把握しているものの、間違いなく改装されているだろうとのこと。確かに旧校舎で何かをするのは機材やら部屋割などといった問題が山積みのはずだ。
とにかく正面突破はするが、ゴリ押しは最善手ではなさそうだ。ここはステルスでいこうと蓮華と方針を固める。
物陰から無音で飛び出し、男たちの視界に入らないように素早く移動を繰り返す。飛び込んだのは物置小屋だ。ここからが最も男たちに近い場所だ。
息を殺して、機を窺う。
呼吸を最小限に留めて気配を限りなく殺す。
手汗を誤魔化すように拳を開閉する。
蓮華はいつでもいけそうだ。蛇腹剣を構えてすでに狙いを定めている。
ふたりが完全にこちらに背を向ける。
――今!
しかし、即座に無力化すべく地面を蹴ろうとした友奈の足が誰かの手に掴まれた。
絶対に蓮華ではない。では誰だ……!
血相を変えて振り向いた友奈の目に写ったのは、掠れた呼吸を繰り返す廃人の男だった。髪も顎髭も何年処理していないのか、顔が見えない。
気配のない友奈たち以上に気配のないこの男に、今の今まで気づくことができなかったのだ。
口元がもごもごと動くのを見た瞬間、友奈はなんの躊躇いもなく男の顔面を拳で殴りつけた。すると間もなくくぐもった声を漏らして倒れる。
……今ここで騒がれては困る。
「…………」
蓮華が無言で外を確認する。友奈の素早い対応によって気付かれずに済んだようだ。ほっ、と安堵のため息を付き、今度こそ飛び出した。
駆ける音に気づいても既に遅い。
目の前に迫った鏑矢の一撃――!
しかし、瞬時に姿を現した精霊が緑色の正六角形のバリアを展開する。精霊の外見はどちらも同じ、九尾に酷似していて、闇色の焔がメラメラと揺らいでいる。
……なるほど、量産型か。さらにどう見ても正規のものではない。ねっとりとした水臭い匂いが急激に強くなる。
まったく、人工的なのがぷんぷんする。
しかしこの程度では友奈たちの敵ではない。所詮は劣化品の量産型。ふたりの奇襲を防ぐほどの防御力が足りず、いとも簡単にバリアを破壊される。そのまま追撃してふたりを黙らせる。そして誰にも見られないような場所に適当に移動させる。
ここからは時間の勝負だ。校門を守る門番だからおそらく定期連絡などがあるはずだ。そこで必ず異変に気づかれる。それまでに今回の目標人物と目標物を処分しなければならない。人物は頭の中に入っているが、校舎に偽造したこと施設が何をしているのかまでは把握できていないのが辛いところ。具体的に何がアウトなのかがわからないからだ。
巧妙なカモフラージュで神樹様による直接的な監視をも歪める技術を持つ……。一筋縄ではいかなさそうだ。
「行くわよ友奈」
「うん」
稲妻の如く校舎に侵入する。
ぶぉぉぉん、と低い唸り音が校舎内を満たしている。
たとえ監視カメラなどでその姿が映ったとしても、はっきりと捕捉されることはない。ただ赤と青が映り込むだけだ。
身を隠すための遮蔽物などは特に見当たらない。小綺麗にされた通路、ちょっと未来感を想起させる純白に友奈はつい呼吸が止まる。
壁にプリントされている部屋割りを通り過ぎる刹那の間に見た。地上二階から地下鉄二階までの構造で、瞬時に目的地を変更した。
「レンち、下に行くよ」
「わかったわ」
友奈は蓮華と顔を見合わせる。
ここまで敵と一度も遭遇していない。果たしてこれが幸運なのかどうかはわからないが、女の勘というのは悪い意味でよく当たる。そうではないことを願いつつ、唯一地下に降りられるエレベーターに乗り込んだ。地下二階のボタンをタップすると静かな駆動音が鳴って下降を始める。そして同時に規則正しく電子音が鳴る。
その間にそれぞれのスーツの状態を確認する。一度静に連絡を入れようとするが、ジャミングが放たれているのか、通信機の感度が良くない。
「なんだか順調だね、レンち」
この調子だとスムーズにお役目を全うできそうだ。
蓮華はわずかに口角を上げると当然とばかりに鼻を鳴らした。
「この弥勒がいるのよ? 順調じゃないわけがないわ。……それよりこの音、なんだか耳障りね」
蓮華が気にしたのは、先程から静かに時を刻むように鳴る電子音だ。人間が無意識に嫌がる音、というものがあるらしく、おそらくそれに該当するであろう音だ。
「どうにかして止められないかしら」と呟いて音源を探り始める。そして目に止まったのは、隅の方に転がっていた可愛らしい熊の人形だった。音はその中から聞こえる。
人形に耳を当てて確信を得た蓮華が背中のチャックを開いて中からあるものを取り出した。
……それは小さなデジタル式の目覚まし時計だった。表示されているものは時刻ではなく、カウントダウン。残り十秒ほど。
戦慄を覚えて蓮華が咄嗟に裏を向けると、びっしりと爆薬が詰め込まれていた。
普段から冷静な蓮華が激しく瞬きし、喉をつまらせて喘いだ。
「――レンち!!」
叫ぶ。
友奈の呼び声に我に返った蓮華は爆弾を投げ捨て、蛇腹剣でふたりの足元を切り裂いた。
ふたりは自由落下を始め、間もなく頭上で爆発が起きた。爆音と爆風がふたりの落下速度を後押しする。
ふたりともなんとか手を伸ばしてロープに掴むことに成功する。だが勢いはまだ止まりそうにない。しゅうううう! と熱い煙を手から生じるのを見て友奈は改めてスーツの素晴らしさを実感した。通常の手袋などだったら摩擦によって掌の皮はもちろん、肉すら抉れてしまっていただろう。
爆破された残骸が上から降り注ぐ。底までは十メートルもない。さすがに底に降りて残骸のすべてから逃れる術はない。
今すぐにこの状況を打開しなければならない!
下顎に力が入る。
ふと、反対側の壁にある地下二階の乗場戸が視界に入った。頭の中でスパークが発生し、一瞬で次の行動を身体にインプットさせる。
「レンち、続いて!!」
ロープから手を放して壁に飛び移る。両の足をしっかり接触させて膝を曲げる。弾丸のような速度で乗場戸に接近し、拳を握りしめた。
「ふッッ!」
拳撃。
ひしゃげた乗場戸から中に飛び込む。続いて蓮華もギリギリのタイミングで友奈の隣に転がってきた。
一拍おいて、背後で大爆発。
「助かったわ、友奈」
「……いや、それはまだだよ」
顔を煤を拭いながら言った友奈の言葉の意味がわからなかった蓮華だが、乱れた髪をたくし上げながら顔を上げると「ああ、なるほどね」と囁いた。
地下二階に到達することはできた。しかし目の前に広がるのは敵、敵、敵。
数十は軽く超えるだろう。数えるのが嫌になるほどだ。外で黙らせた門番とは明らかに強そうな奴らがこんなに。
友奈は乾いた笑いを漏らした。
「どうしたの、友奈」
不思議そうに蓮華が尋ねる。
「いやぁ別にね? こういうの、久しぶりだなぁって思ってさ」
若葉の言葉を思い出す。
『お前たち、腕が鈍っているんじゃないか?』という現実を突きつけるシンプルな言葉の羅列。確かにここ最近、特に困難なことはなかった。
だからこそ、このような背水の陣のような状況を無意識に望んでいたのかもしれない。力を持ち余している友奈はどこかで本気で暴れてみたいという願望があった。
つまり、これは好機なのだ。
「必ず突破するわよ、友奈」
「もちろん」
意識を戦闘用に切り替える。
友奈たちの雰囲気が変わったことを機敏に察知した敵が構える。
骨までしゃぶりつくしそうな獰猛な笑みを浮かべ、友奈は自身のスイッチを入れる一節を口にした。
「――火色舞うよ」
ぶわり。
覇気を纏う。
一直線に敵のど真ん中へと共に飛び込む。四方から迫る攻撃のすべてを蓮華が弾き、友奈がその空間を縫って拳撃を繰り出す。それだけでは留まらず、拳によって巻き起こされた風が後方の敵までをも吹き飛ばした。しかし敵も一筋縄ではいかない。精霊の力で強化された膂力は決して無視できない。
ばたばたと敵が倒れる中、見るからに只者ではない男が爆発めいた速度で友奈に肉迫した。固く握りしめる拳に精霊の力のブーストがかかり、炎が宿る。
「くッ……!」
咄嗟の判断で友奈は上半身を逸らした。男の拳はギリギリの届かず友奈の首筋を激しく撫でるだけに終わった。溢れた火花が空中に軌跡となって眩く描く。
凍えるほどの冷や汗とともに男を見上げる。身長は二メートルに迫り、今の攻撃といい、単純な力比べだとこちらが劣勢だろう。
蓮華の援護は望めそうにない。雑魚を蹴散らすのに精一杯で、とても余裕があるようには見えない。
深くため息を吐く。友奈はこの興奮を抑えられそうにない。
それに……。
「鏑矢にも、精霊とか……欲しいなぁッ!」
勇者しか使えない精霊を使っているのはズルい。
そんな子供じみた嫉妬っぽい何か。幼い子供がカッコイイ、もしくは可愛いものに魅入られ、欲しがる感覚と全く同一のもの。
二条の線が交差する。
互いの拳が激しく衝突し、大量の火花が放射状に撒き散らされる。豪風が空気を叩きつけた。
直後、手首から肩にかけてばぐん! とスーツが少しだけ膨らんだ。耐久値を上回る力にスーツが自動的に反応したのだ。だがそれでも足りなかった。腕に無数の裂傷が走り、鮮血が噴き出す。
劇的な痛みに眉を顰めるが、ここで押し負けるわけにはいかない。
……なんだろう、楽しいのだ。
これほど本気でやり合うというのが久しぶりで、この高揚感をついぞ忘れていた。
自然と友奈は笑っていた。
男はそんな友奈の気味の悪さに反射的に距離を取った。
「なんで今離れたの? 私はもっとあなたとやり合いたいのに」
今度はこっちが押し切ってやる……!
その男以外、眼中になかった。間に割って入ってくる雑魚を殴り、受け止め、蹴り、障害をすべて排除する。
細い右腕を突き上げ、血が滲むほど拳を強く握りしめた。
男も覚悟を決めたのか、鋭い呼吸に切り替え、ステップを踏んで数度空打ちする。たったそれだけで五メートルほど離れた位置の友奈に風圧が届いた。ビリビリと身体が震えるのを感じながら、それ以上の興奮を覚える。
男は全身に炎を纏い、ゆらりゆらりと肩を上下させると空間も同じように揺らいだ。
目を細め、男を見据える。
飛び出したのは同時だった。
男は赤い流星を、友奈は紅の直線を描いた。
互いの拳を打ち合わせる。
激突。
瞬間、地下全体を揺るがすほどの大きな衝撃が発生し、天井に並べられた青白の蛍光灯のほぼ全てが割れ、落下した。
「ぉぉオオオッ!!」
腹の底から声を発し、友奈は目を剥く。
スーツの肩の装甲がついに耐えきれずに粉々に砕け散る。それでも友奈は決して力を抜かなかった。負けじとさらに出力を上乗せし、耳朶に響くのは己の心音だけになった。
視界が赤に染まる。肺が酸素を求めて暴れている。しかし、まだだ。まだこの拮抗は続いている。しだいに指先の感覚が無くなっていく。腕、肩と伸びて――。
……あ、マズい。
と思った瞬間、男の首が緩やかに横にスライドし、ぼとりと床に落ちた。
「あ、え?」
状況がつかめない友奈の隣に息を切らした蓮華が着地する。
「よくやったわ。友奈があいつを引き受けてくれたおかげで弥勒は雑魚を全部始末できたわ」
「あ、うん」
なんだか呆気ない終わりだった。というのも友奈が夢中になっていたからで、その間に蓮華が有象無象の相手をしてくれていたのだ。そして最大の隙を晒していた男の首を刎ねた。ただそれだけだ。
最後までやりたかったという気持ちがなくもないが、恐らくあのままだと押し負けていたかもしれなかった。
「ありがとうレンち」
「ふんっ! 当然よ。ほら、行くわよ」
血糊を綺麗に拭き取った蓮華が蛇腹剣を鞘に収める。
地下二階はまだここだけではない。蛍光灯がほぼ無くなったせいで薄暗くなってしまったが、まだ奥に続く通路が確かにある。罠などがないか、友奈がその辺の残骸を投げ入れてみるが、特にこれといった反応はない。
通信機の光を強くして床を照らす。誰の気配もない通路を二人は歩き、ついに行き止まりに行き着いた。そこには古臭いドアがポツンとあった。
蓮華が錆びついたドアノブに触れ、ドアを開いた。
……中はたった七畳ほどの小部屋だった。
壁、天井とところ狭しに数式やらデータやらを記した紙が貼り付けられている。そしてその先に、安楽椅子に座った年老いた男性がいた。
すぐ隣に友奈たちが立つまで気が付かなかったようだ。冬眠から覚める動物のようにゆっくりと頭を持ち上げると、柔らかい笑みを零した。
「……やあ、こんにちは」
酷く弱々しい声だった。
声色からして瀕死であることは明白だ。きっと数日のうちに絶命するだろう。白髪の老爺は小さく欠伸をすると、思い出すように語り始めた。
「……なるほど、君たちが執行者なのか。どんな恐い人が来るのかと思っていたら、これは驚いた。こんなべっぴんさんが来るなんて」
「それは……どうも」
友奈が歯切れの悪い返事をする。
なんだか肩透かしを食らった気分だ。これまでだとここまで追い詰められれば必死の抵抗をしてきたのだが、この老爺にその素振りはまるでない。
「さあ、煮るなり焼くなり好きにするといい……この勝負は、ほんのちょっぴり早かった君たちの勝ちだ。……でも、最後にひとつだけ言わせておくれ」
達観した目でふたりを見つめた。
「君たちはこの歴史を受け止めているか? バーテックスとやらのせいで我々人類は前に進めていない。私には……四国を取り囲む壁が檻のように見えるよ。……一度でも、こんな歴史を変えたいと思ったことはないかな?」
老爺の眼差しは真剣なものだった。
あまりに唐突な話で、ふたりはすぐに返答を用意することができなかった。
うろたえる様子を見て「は、は、は」と力なく笑う。そして涙を流し始めた。
「…………ああ、僕はここまでのようだ。ごめん、よ……お前を助けて、独り占めしようなんて、僕は……なんて………浅はかだったのだろう……」
それきり、老爺の胸が上下することはなかった。
果たして誰のことを言っていたのかはふたりに知る由もない。だが、熱烈な想いを抱いていたことは間違いなかった。
友奈が目元の涙を拭き取り、開いた目を閉じてやった。
「――目標人物の死亡を確認。続いて目標物の捜索を開始。レンち、シズ先輩に報告お願い」
事務的に告げ、友奈は心を殺して部屋の捜索を始めた。
比較的狭い部屋だから、それっぽいものがきっと当たりなのだろう。しかし探せども探せどもなかなか『それっぽいもの』は見当たらない。
机の上にはノートやペン、消しゴムがあるだけ。床に転がる何かの残骸もヒットしそうではない。
最終手段は全て燃やしてしまうことだが、目標物がそれでも焼け残ってしまうことはあってはならない。だからできれば先に見つけておきたい。
「報告終わったわ友奈。それで? あった?」
「いや、全然わかんない。戸棚とかも全部調べたけどそれっぽいのはないね」
結構部屋が荒れてしまった。老爺に少し罪悪感を抱くが、捜索を止めるわけにはいかない。
「一旦燃やす? その後でもう一回来て、焼け残ったのを砕くとか」
「そうだね、そうしよっか」
この人どうしようか、と蓮華に訊くために友奈は老爺に近づいた。そしてある違和感に気づいた。
左の手首にしている腕時計だ。アンティークなデザインながら、秒針分針などがデジタル表示された一見すると奇妙な腕時計。
不意に、興味が湧いた。普段からそんなものを持ち歩かない友奈はそのデザインに魅了された。犬や猫に触れるのと同じ感覚で手を伸ばし、ついに触れた。
瞬間、腕時計がひとりでに動き出した。老爺の手首から離れ、蜘蛛のようにカサカサと友奈の腕に移ると、勝手に手首に巻き付いた。
「ひゃっ⁉ な、何これ!」
ただ触れただけなのに、そこから自動的に手順が踏まれてゆく。
続いて友奈を包み込むように数字のインデックスが無数に出現した。それらは仄かに白い光沢を放ち、じわじわと友奈の身体を分解し始める。
偽装していたと思われるディスプレイにはすでに針などは表示されておらず、神世紀七十二年と表示が切り替わり、さらにその年から恐るべきスピードで数字が減少し始める。
これは、マズイ。そう直感的に悟った。
「友奈!!」
「レンち!!」
異変に気づいた蓮華が手を伸ばすが、どう頑張っても届かない。
そしてついに数字がゼロを下回り、チン、と軽快な音が鳴った。
ちらりと友奈の目に入った時計のディスプレイには、
――A.D.2018 丸亀城
とだけ表示されていた。
時間遡行。過去の改竄。
この友奈ちゃんはちょっと戦闘狂。
それではまた次回!
【Infomation】※Caution!
▼この物語に揺らぎを観測
▼正史からの大きな乖離を確認
▼不確定要素が多く、B、H、Nのいずれにも収束されないことを確認
▼対処法を思考中……思考中……
▼該当する対処法、特殊な事例であるため、なし
▼静観を選択。ただし明確な介入を観測次第、処分
▼執行者を検索中……該当者あり
▼対象者:赤嶺友奈
▼執行者:
▼終了