結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

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前回のあらすじ
高嶋友奈
赤嶺友奈
結城友奈
集結
ゆゆゆ世界、加速


初めまして。さようなら

 天地が逆さになったのか?

 平衡感覚がかき乱されて地面に這いつくばっていた赤嶺は、二度目になってもやはり慣れない時間遡行に激しく喘いだ。ぐわんぐわんと頭が痛む。気分は……悪い。しかし前回と同じように吐き気までは催していない。

 目一杯呼吸をした後、力の入らない腕でなんとか身体を起こす。

 ここは……どこだろう。比較的はやく視界を取り戻した赤嶺は、狭い裏路地に投げ出されていることを理解した。過疎な場所で、周囲には目撃者はいない。それにここは人目にもつかず、出現した場所は幸運と言えるだろう。頭を横に傾けると、裏路地を抜けた先には道路が伸びていて、車が走っていることが確認できる。

 スーツの傷ついた部分からひんやりとした風が入り込み、身震いした。まだ夕方頃だというのにこの寒さというとこは、おそらく季節は秋……いや、冬だろう。

 すぐ側の壁に寄りかかり、途端、一緒について来てしまった高嶋の存在を思い出す。腕時計を外そうと尽くしてくれたのに、こんなことになってしまってとても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

「高嶋、ちゃん……」

 

 視界が不明瞭だ。

 それでもなんとか隣に倒れていた高嶋を発見して抱き寄せた。

 刺激を受けたからか、小さい呻き声とともに薄っすらと目を開けた。

 

「赤嶺ちゃん……? ここ、どこ?」

 

「……ここは神世紀三百年のどこか。高嶋ちゃんの時代から三百年先の未来だよ。……大丈夫? 気分はどう?」

 

 ゆっくりと周囲を見回した後、高嶋は赤嶺に身体を預けた。やや呼吸が荒く、顔色も悪い。

 

「ごめん、ちょっと悪いかも……。それに……寒い」

 

 高嶋にとってはこれが初の時間遡行だ。身体が慣れていないのだろう。すぐに平常に戻るはずだが、それでもバーテックスとの戦闘を終えて半日も経っていない。勇者の皆と一緒にお風呂には入ったものの、疲労が抜けたわけではない。

 奇想天外なことが起こりすぎて流石の赤嶺も疲れてしまった。だがここで眠りに落ちるのは駄目だ。スーツによってなんとか体温調節ができる赤嶺はいいが、高嶋は別だ。服装は夏服で、半袖で長い靴下を履いているわけでもない。

 高嶋は小刻みに身体を震わせ、なんとかして暖まろうとしている。

 

「移動しようか。どこか身体を暖められる場所に」

 

 すると、赤嶺に身を寄せていた高嶋が急に立ち上がった。

 まだ不調が治まっていないのに、と宥めようとしたが、それより先に高嶋が言った。

 

「……いや、それはダメだよ。そんな格好で外を歩いたら怪しまれることくらい、私にだってわかるもん」

 

「まあ……そうかも」

 

 どこぞのコスプレと勘違いされても仕方のないスーツ。それを中学生がしているところを目撃されれば間違いなく目に止まる。最悪通報でもされて警察に御用となることもあり得る。

 それはなるべく避けたいところ。問い詰められて、大昔の個人情報を話しても八方塞がりになるだけだ。

 

「私が服を買ってくるよ! お金もあるから! それまで赤嶺ちゃんはここで待っててくれる?」

 

 スカートのポケットから、可愛らしい花が刺繍された財布を見せつけながら高嶋が提案する。

 果たしてひとりで行かせていいのか考え込んでしまう。ここは遥か未来。さっき通り過ぎた車から察するに、文明レベルが飛躍的に進歩しているわけではなさそうだ。

 しかし高嶋友奈という人間はあまりに純粋すぎる。赤嶺の未来人であるという告白をなんの疑いもなく信じてしまうほどだ。千景が過保護気味になるのも仕方ない。老若葉の伝聞でも相当だが、過去に飛び、実際目にすると壮絶だった。

 

「……わかった。気をつけてね。変な人に絡まれないように」

 

「大丈夫! そういうのはぐんちゃんに口を酸っぱくして言われてるから!」

 

 あまり説得力のないセリフだが、そう言って高嶋は路地裏から飛び出た。その後ろ姿を心配そうに見つめる赤嶺は、待っている間、これからについて考えることにした。

 まず目的を明確に。

 目的は、もとの時代に帰ることだ。

 そのためには腕時計が必須で、これを本来の役割である通常モードから時間遡行をさせる――ドライブモードと呼称する――モードへと移行させなければならない。しかしその方法は不明で、何がトリガーとなるかわからない。一度目は腕時計に触れた時。二度目は本当に突然。【Time Limit!】とオーバーレイ表示されていたから、もしかすると別の時代に留まるのには時間制限があるかもしれない。この予測を今回にも適応するならば、また制限を迎えると勝手にドライブモードになるはずだ。

 今は完全に電源が落ちているようで、今なら外せるかと思って試しに弄ってみると、まさかのあっさりと外れてしまった。

 

「えぇ……嘘ぉ」

 

 確認しても円形の表面には特にこれといっまた細工はなく、普通の腕時計と構造は同じように見える。

 別に赤嶺は専門家ではないから詳しいことはわからない。だから今後機械に詳しい人と会うことがあれば、その時に訊けばいい。

 ひとまず第一にすることは、高嶋との情報の共有と、目的の一致だ。

 腕時計を腰のポーチにしまい、赤嶺はカラスたちが横切る赤い空を見上げるのだった。

 

 ◆

 

 東郷は友奈そっくりの少女の言葉に目を見開いた。落ち着いて高嶋友奈という人間を観察すると、違和感を覚える点はいくつかあった。

 まず服装だ。制服なのはわかるが、明らかに讃州中学のものではない。それに、纏う雰囲気も微妙に違う。

 どうやら人違いだったようだ。虚しさが胸の中をを支配し、熱が急速に冷めていくのを感じながら東郷は謝ろうとした。

 

「高嶋友奈…………え……? いやそんな……」

 

 その時、隣の園子がゆっくりと言葉を発した。これまで見せたことのない驚きの顔で高嶋を見つめる。

 

「あの……もしかして乃木を知ってますか……?」

 

「乃木? 若葉ちゃんのことですか? はい、知ってますよ!」

 

「――――」

 

 まず、神世紀において、初代勇者の名を呼ぶときは必ず『様』をつけるのが一般的だ。それを下の名前に『ちゃん』をつけ、まるで友達のように呼んでみせた。

 普通ならば失礼極まりないとなるはずだが、この少女にはそうはならない。

 なぜなら高嶋友奈とは西暦の末に生きた人物であり、

 

「――初代勇者様」

 

 であるからだ。

 ……いいや、もしかするとこれは園子の思い込みがすぎただけで、この推測は間違っているかもしれない。そもそも過去の人間がここにいるということはあり得ない。

 しかし友奈にあまりに似ている。西暦以降、産まれるときに特定の行為をした人間に『友奈』という名がつけられる。それは他ならぬ高嶋友奈の没後にできた慣習だ。だから特別な名を持つ結城と似ているというのは、これ以上にない証拠。

 それは、高嶋が未来へ飛んだ事実が確かならばという土台のもとに成り立つ。

 

「そうですかー。じゃあ乃木若葉様が初陣で敵に呑み込まれたって秘密、知ってますか?」

 

 だからカマをかけることにした。

 すると高嶋はおもろしろおかしく笑ったあと、

 

「あははは! そんなことはないよ! 若葉ちゃんは逆にバーテックスを食べたんだから!」

 

 と言った。

 ――間違いない。

 乃木若葉が初陣でバーテックスを食べるなどという怪行動は歴史には刻まれていない。それは勇者としてあまりよろしくないものだったからだ。その事実を知っているのは、当時一緒に戦っていた勇者たちと、現在まで言い伝えられた乃木家の人間だけだ。

 園子は確信と同時に困惑に支配された。

 これはどう考えても異常。大赦に感知されれば光の速さで大問題になることは火を見るより明らかだ。

 

「高嶋さん……高嶋様は西暦の人間ですよね?」

 

 園子の質問に、水を打ちつけたような静けさが流れた。

 突然確信をぶつけられ、高嶋は目に見えて困惑し始める。反応からみるに当たりだ。とても演技には見えない。

 

「私は乃木若葉の子孫、乃木園子といいます。もし本当に高嶋様が初代勇者様ならば、今のこの状況は看過できません。まずは状況を把握するために色々とお話を聞きたいのですが……」

 

「確かに若葉ちゃんの面影があるような……。で、でも知らない人の言葉をすぐに信じちゃ駄目ってさっきも釘を刺されて……!」

 

「それは誰にですか?」

 

「ひ、秘密。でも……子孫なのが本当なら、信じていいんですか?」

 

 懐疑的な物言いなのは仕方ない。突然東郷に抱きつかれ、友達の子孫と名乗る人に問いただされるなんて。

 いったいいつからこの時代にやって来たのかはわからないが、一刻も早く詳細を聞き出さなければならない。

 東郷はようやく直面している事態を理解できたらしく、目を丸めた。

 

「……そのっち」

 

「まず事実を受け止める。その後で経緯を考えるの。……じゃあ高嶋様。今困っていることはありませんか? その手伝いをさせてください。それで私達が信じられるかどうかを判断していただければ」

 

 絶対にこの場から高嶋を離してはならない。そんな焦燥に駆られた園子が食い下がる。

 差し出がましかったか? 少し強引に踏み込んでしったのではと口走った後でミスを悟った。園子らしからぬ言動に東郷は眉をピクリと上下させるが、無言を貫く。

 しかし、悪い方向には進まなかったようだ。

 

「じゃあちょっとだけ……でも私だけじゃ決められないのでついてきてもらっていいですか?」

 

 もちろんと園子は首肯した。

 高嶋に遭遇するまでは帰ろうと考えていたが、それはすでに吹き飛んでいる。

 

「わっしーはどうする? これ、すごく大事になると思うけど」

 

「ついていくわ。だって友奈ちゃんに似た人が困っているんだもの。それに私は勇者部だから、ね?」

 

 東郷の二つ返事を得た園子は高嶋にナビをお願いする。さきほどから手にぶら下げている洋服店の買い物袋が気になるが、それを追及するのはやぶ蛇だろう。

 夏服なのにふたりよりも元気に歩き始めた高嶋の後ろについていく。と、ここで唐突にいたいけな突風が吹き、高嶋のスカートの裾が優しく持ち上げられそうになった。その瞬間、恐るべきスピードで手で押さえつけたことにより、ラッキースケベが降臨することはなかった。

 

「見ました?」

 

「見てません」

 

 タイムラグなしに返す。

 初代勇者部様の下着を覗きこもうなどとあまりに恐れ多いことは流石の園子も自重できる。それ以外ならと問われると場合によると答える。

 やがて人の密集地帯から離れ、人がまばらに歩く歩道を進む。さらにそこを突き進んだ先に、裏世界へとつながっていそうな薄暗い路地裏へと案内された。

 髪を金色に染めた青年たちが、ガンを飛ばしながらのっそり姿を現すかと偏見の塊を抱いた東郷は思わず身構えてしまう。

 しかしそんなことはなく、路地裏に足を踏み入れると、ひとりの少女が壁にもたれて静かに佇んでいた。横顔しか見えないが、陶器のような小麦色の肌に、高嶋よりも彩度の低い髪色……桜色で、眉がつり上がっている。その容姿を評価するならば……『日焼けした結城友奈』が相応しい。

 そして、なにより気になるのはその格好だ。スクール水着のようなぴっちりスーツに身を包み、それでいて肩や胸などに装甲のようなものが張り付いている。どう見ても水泳用ではないことは明白だ。

 少女は三人の存在に気づくや否や、獣じみた反応速度で飛び上がって距離を取った。敵意の滲んだ鋭い眼差しをこちらに向け、いつでも攻撃できるぞと密かに告げている。

 

「誰?」

 

 ドスを効かせた声。

 園子と東郷は反射的に身構えた。

 一瞬にして場が邪険なものへと変化する。

 しかし。

 

「待って待って! 赤嶺ちゃんストップ!」

 

 両者の間に割り込んだ高嶋が両手を突き出して止めに入った。すると案外すんなりと赤嶺と呼ばれた少女は姿勢を崩した。だがいつでも攻勢に出られると言わんばかりの眼差しを向けてきている。

 

「大丈夫、この人たちは悪い人じゃないよ。乃木……園子さんだっけ? その人が若葉ちゃんの子孫っていうの」

 

 すると赤嶺は限界まで肩を上げると、とてつもなく長いため息を吐いた。十秒ほど続くレベルの驚くべき肺活量。

 まだ警戒は解いていないようだ。

 

「そんなご都合展開、本当にあると思ってるの? だとしたら相当おめでたいよ?」

 

「むぅ。ちゃんと私も考えたもん! 考えた上で、連れてきたんだから! それにほら、私たちここに来て少ししか経ってないし」

 

 頬を膨らませて主張する高嶋を酸っぱい顔で聞く。さっそくこちらから情報を与えてしまっているんだよなあ、とひとりで行かせたことを後悔しつつ東郷と園子を一瞥した。

 

「まあ……ブロンズヘアの子が乃木園子なのかな? じゃあ、あなたは誰?」

 

 腕を組んで壁にもたれかかる。横目で睨むように東郷を見る。

 園子と同じように初代勇者の子孫……というわけではなさそうだ。若干ひなたに似ているかと思ったが、纏っている静かなオーラのベクトルが異なる。

 

「私は東郷美森です。そのっちと同じ部活に入っています。あなたのお名前を伺っても?」

 

「……赤嶺友奈だよ」

 

「赤嶺……友奈……」

 

 ひと目見たときから、そうである可能性はあっただろう。

 上の名前は違うが、下は同じ。

 結城友奈。

 高嶋友奈。

 そして赤嶺友奈。

 ふと隣の園子のほうを見やると、難しそうな顔で赤嶺を観察していた。

 

「そのっちは赤嶺さんのこと知ってる?」

 

 赤嶺家は東郷でも知っている。大赦の中でも乃木家などには及ばないものの、力のある家系だ。さらに、園子のほうが東郷よりも遥かに知識があるはず。しかしいまいちピンときていないようで、首を傾げたままだ。

 

「うーん、赤嶺友奈という人間なら知ってるよ。でも、どんなことをした人なのかはわからない。私も大赦の中ではある程度の地位はあるけど、それでも知らないこととか普通にあるしね」

 

「それはそうだよ。そういう御役目に就いているからね。教えてって言われても言わないよ。あ、高嶋ちゃんには言ったけど、それは初代勇者様だから。ふたりには絶対に教えないでね」

 

 正直にふとした時に口走ってしまいそうな危惧はあるが、忠告するしないでも大きく心持ちが異なる。

 

「それで? どうしてこのふたりを連れてきたの?」

 

「助けてほしいからだよ。このままじゃ私たち、野宿だし……」

 

 二度目の長いため息。

 悪意なく情報を垂れ流しているのはわかっている。指摘されたことが事実であることもわかっている。しかしタイミングだ。

 これ以上話させると不都合が生じると判断した赤嶺は高嶋の手を掴んでこちらに引き寄せた。

 

「……まあ、今言われたとおりだよ。私たちは本当についさっきここに飛ばされたばかりで右も左もわからない状態。そんなのでも助けてくれるの?」

 

 園子と東郷を赤の他人と思っているように、高嶋、赤嶺も赤の他人と思われている。懸命に媚びてすらいないのに助ける理由がないはずだ。

 ふたりの口元を見る。視線の動きを見る。些細な指の動作まで見る。そこから機微を感じ取り、嘘を見抜こうと目を凝らす。

 一歩前に出たのは東郷だ。僅かに表情を曇らせたが、すぐに改める。

 

「もちろん助けます。だってそれが勇者部ですから。でもそれとは別に……どうしてもあなたたちが友奈ちゃんに重なってしまってしまうという理由もあります」

 

「ふむふむ……この時代にも『友奈』がいるんだね?」

 

 すると東郷の反応は明らかに変化した。

 

「ええ、勇者結城友奈が」

 

 それは決してブレない、芯の強い言葉だった。観察しても嘘偽りを疑わせる素振りはまるでない。

 

「ふーん、この時代にも友奈も、勇者もいるんだ。でも正直理由なんてどうでもいいよ。助けてくれるなら遠慮なく助けてもらう。それで? どうやって?」

 

 東郷はポケットからスマホを手に取ると、画面を手慣れた速さでスワイプさせる。

 

「友達を呼びます。『悩んだら相談』。ですから」

 

 それから十分ほど後、やって来たのは夏凛と風だった。寒さのせいでふたりとも鼻の先が赤い。暖まろうと手に吹きかけた息が白くなる。

 もう夜だ。空はすっかり暗くなり、骨をも凍らせそうな寒風が寂しい音を奏でながら静かに吹いている。

 おーさみさみ、と率直な感想を述べた風はマフラーに鼻まで埋める。裏路地に入る角で東郷と園子を見つけると、夏凛と並んで小走りで近寄ってきた。

 

「待たせたわね東郷。ごめん、樹はもう遅いから家に置いてきたわ」

 

「いえいえ、こちらこそ遅い時間にすみません。風先輩」

 

「なーんか人気のないところね」

 

 夏凛が辺りを見回しながらそんなことを言った。

 

「んで? どしたの?」

 

 飄々とした物言いの風を、園子は口を結びながら真剣な眼差しで見つめた。たったそれだけで『ちょっとしたこと』ではないと悟り、すぐに態度が変わった。

 

「どうしたの? 部長に話してみなさい」

 

 園子と東郷は互いに顔を見合わせるとひとつ頷き、踵を返した。

 

「ふーみん先輩、にぼっしー。これから見せるものはとんでもないことだから、心の用意をしてね」

 

「とんでもないって……まあ、わかったわ。あとにぼっしー言うな」

 

 裏路地への角を曲がる。するとそこには購入した私服に着替えていたふたりの友奈が待ち構えていた。

 東郷は目を見開く二人を見ながら、高嶋を見た瞬間の自分もこんな感じだったのかと客観的に見せつけられる。

 

「「――――――」」

 

 ふたりを見た風と夏凛が完全にフリーズする。解けたかと思いきや、懸命に言葉を発しようとしてもできず、ぎこちない動作で指先を動かすだけだった。

 

「友、奈……? あんた、目が覚めたのならはやく言いなさいよ……」

 

 風が震える足取りで一歩前に踏み出すと、速やかに高嶋の前に赤嶺が立ちはだかった。

 

「……なるほどね。あなたたちはよほど結城友奈という人間に思い入れがあるようだ。でも残念。この子は結城友奈ではないよ」

 

「は……? いや、どう見ても友奈でしょ。それにあんたも……友奈……?」

 

「私は神世紀七十二年からやって来た赤嶺友奈。こっちは西暦からやって来た高嶋友奈――初代勇者様だよ」

 

「ちょ、ちょっと待って……追いつかない……乃木、どうなの?」

 

 額に手を当てて後退った風が振り返って園子に真偽を確かめようとする。

 

「全部本当だよ。方法は知らないけど、ふたりは過去から未来に来てしまったそうなの」

 

「そんなことってSFとか映画だけの話でしょ……? 初代勇者様? 話が飛躍しすぎて……」

 

「――あっそ。だいたいわかったわ。どう対応したらいいのかわからなくて私達を呼んだのね」

 

 夏凛は風とは違ってかなりドライな反応だった。

 

「いい判断よ。で、私たちにどうして欲しいの?」

 

 東郷はもちろん、園子もあまりの順応ぶりに驚愕する。

 これは予想しておらず、宥めるのに少し時間を要すると考えていた。風は感情の突起が激しい人物だから、狼狽するのは予想できていた。夏凛はマシな方かと流していたが、新たな性格の一端が見られた。

 

「ふたりの保護を。それも大赦には知らせず、なるべく私達で」

 

 園子の端的な回答に、夏凛が少し考え込む。

 

「……園子の家はどう考えても無理。東郷は親に迷惑がかかる。対して私と風は……ってことか。なるほどね」

 

 驚くほどの頭の回転の速さに勇者部からの夏凛への評価が上がる。

 

「でも高嶋と赤嶺? はいいの? 見ず知らずの私たちの家に入るとか」

 

「春とかだったら野宿で凌ぐのもありだと思ったんだけどね。でも冬だし。それに私も高嶋ちゃんも疲労しているから休む場所が欲しい。対価はもちろん払う。『友奈』という名前があなたたちに効果があるのならそれに乗っかるしかない。背に腹は変えられないからね」

 

「あんた、絶対友奈より頭良いわ」

 

 冷静に状況を分析し、またそこから脱しようとするために最適な方法を模索する論理的思考力。友奈にもこれくらいしっかりしていればな、なんて心の中で淡く笑った。

 

「いいんじゃない? どうする風? 離れ離れで泊めるのはあまり良くないでしょうから、どっちかの家にってことになるけど」

 

 ようやく落ち着きを取り戻した風は肩を脱力させると、重々しいため息をついた。

 部長として冷静に対応しなければならない場面を、ひとつ下の夏凛にすべて肩代わりさせてしまった。樹がいたら、幻滅されていたかもしれないという自嘲を含ませる。

 結城友奈は目覚めていない。そこは決して違えてはならない事実だ。そこに瓜二つの少女が現れればそれは『そう』考えてしまうだろう。

 改めて己の認識の甘さを恥じた。

 園子も言ったはずだ。そう簡単な話ではない。

 

「とりあえずあたしの家に来なさいな。ここは年長者に任せておきな……あ、ふたりはたぶん中学生よね? 何年?」

 

「「二年」」

 

 学年を確認した風は軽く咳払いをした。

 

「こほんこほん、ではもう一度。とりあえずあたしの家に来なさいな。ここは年長者に任せておきなさい!」

 

 胸を張って風は威勢よく言いきった。

 樹には突然で悪いが、きちんと説明すればわかってもらえるはずだ。それに人数が多いほどきっと楽しいはずだ。

 部屋は少し窮屈にはなるが……まあどうとでもなるだろう。

 

「じゃあそういうことでいいわね? 私は犬吠埼風よ。えー、高嶋と赤嶺だっけ? ついてきて!」

 

 ◆

 

 翌日、友奈の病室には東郷が訪れていた。

 ぼた餅の入ったタッパを手に、友奈の横たわるベッドの横に立つ。それを側の棚に置くと、鉄パイプの椅子を手繰り寄せて腰を下ろした。

 

「…………」

 

 これまでずっと、ほぼ毎日語りかけた。聞こいてくれているという保証はない。それでも語り続けた。

 

「昨日ね、私の家に大赦の人が来たの」

 

 赤嶺と高嶋を連れた風と別れ、夏凛と園子とも別れ、ずいぶんと遅い帰宅を待っていたのは両親だけではなかった。

 

「遠い所に行ってくる。もう、戻ってこれないくらい、遠い所へ」

 

 友奈の顔に優しく触れた。

 相変わらず生気の感じさせない冷たさに思わず歯噛みする。そもそも友奈をこのような目に遭わせたのは東郷だ。

 だから、償いをしなければならない。風の気遣いは、あまりにも東郷には残酷だった。

 皆は……優しすぎる。本当はあの時責めてくれてよかったのだ。……寧ろ責めてほしかった。そうすればこのやるせない気持ちも少しは楽になっていたかもしれない。

 それが今になって機会を与えられた。これに応えなければならない。ならないのだ。

 目にかかった前髪を払いのけ、東郷は顔を近づけた。

 

「……さようなら友奈ちゃん。せめて、あなたがいつか目覚めますように」

 

 そして、キスを友奈の額に落とした。

 ……甘い甘い果実の味がした。これまでの人生で味わった中で極上のものだった。

 最期の別れにはもったいないほどで、東郷は様々な感情が混じり合いながらも踵を返し、病室を出ようとドアに――

 

「――ぁ。あ、ぁ――――」

 

「――――!?」

 

 突然聞こえた掠れ声に、東郷は息を呑んだ。

 振り返ると、友奈がこちらに手を伸ばし、顔を向けていた。

 濁った目からは大粒の涙を止まることなく流し、何度も何度も意味をなさない音を発していた。その姿はまるで、東郷を引き止めるかのようだった。

 

「……ッ! 友奈、ちゃん……!」

 

 思わず戻ろうと衝動的に身体が友奈の方に向いたが、奥歯が割れるほど強く噛み締める。

 もう決まったことだ。東郷はもう二度とここには戻ってこない。

 そう、決めたのだ。

 

「ああ――、ぁぁあ――」

 

「……ごめんね。それでも行かないといけないの」

 

 握った拳から血が流れる。

 小さく頭を振った東郷は、顔をくしゃくしゃにしたまま、今度こそ病室をあとにした。

 ……安置されていた友奈のスマホが淡く発光する。数か月放置されているからもちろん充電は切れているはずだ。花弁を撒き散らしながらスマホから出現したのは牛鬼だった。ぱたぱたと小さな翼を羽ばたかせながら友奈の頭上を三周ほど飛び回ると、友奈を見下ろす形でその場でホバリングする。

 その表情からは何を考えているのかは誰にも分らない。

 すると唐突に牛鬼は友奈に背を向けた。そのまま壁をすり抜け、どこかへ飛び去ってしまった。

 何を考えているかはわからないが、明確な目的地があるような、迷いのない去り方だった。

 

 ◆

 

 結城友奈を……返して。

 

 ……これは欠片だとか、残滓だとかそのような形のあるものではない。

 燃やしても燃やしても。

 斬っても斬っても。

 絶対に残ってしまう『何か』。名前のないそれは、もはや人の認識を超えている。

 ##は底をたゆたう。

 生きたいと願った。でも、駄目だった。

 結城友奈の肉体は終わり、こうして『何か』は人から剥離され、囚われる。

 視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。

 その全てが感じられない。擬似的な死の状態で、ずっと……ずっと##は在る。

 壊れそうだった。果たして自分が何であるかすら忘れそう。

 だからこそ、強く願うのだ。

 

 結城友奈を、返して。

 

 これが唯一自我を保つ方法。

 結城友奈。その名前は、讃州中学の二年生で、勇者部に所属する勇者である人物の名前……のはずだ。

 忘れるな。忘れるな。

 ##が忘れてはならないものは他にもある。

 約束を……した。それが誰とのものだったのか、ふやけて思い出せない。でも、とても大切であることは覚えている。

 

 ――削ぎ落とされる。

 

 より人らしさ……人間性が削られていく。氷が溶けるようにじわじわと。あとに残るのは何だろう。それが##にとってはあまりにも恐ろしいことだった。

 この水銀の底に沈んでからずっと、自問自答を繰り返す。

 私は何だ?

 結城友奈とは誰のことだ?

 他に何を、覚えている?

 

 ……不意に、妙な喪失感を覚えた。

 

 それは、初めて##に届いた人間的な感覚だった。

 同時に、今、目覚めなければならないことを理解した。

 なんとしてでも、絶対に。

『何か』に対して必死に鞭を振るい、行動を起こさせる。

 上昇する。

 しかし幾重にもフィルタリングされたようにまったく思うように進めない。だが諦めない。

 上昇するたびに人間性が恐ろしい速度で削られていく。しだいに、なぜ無理をしてまで底から這い上がろうとしていたのかまで忘れそうになってくる。

 ……馬鹿らしくなった。意味を見いだせなくなった。やっぱりもうやめよう。

 

 ……いや、違う!

 結城友奈は諦めない人間のはずだ!

 ここに至ったのならば必ず理由がある! だから、それを完遂させるのが今の自分がやるべきことだ――!

 

 上へ。ひたすら上へ。あとどれくらいなのかわからない。

 気合を入れろ。根性を見せろ。

 だが、##の力ではついに到達することができなかった。もう、本当に動かせるものがどこにもない。

 ……それでも、もう少しだったという直感があった。

 つまりここが##の限界だ。どれだけ足掻いてもここ止まり。ひとりの力では絶対に無理であることがわかってしまった。

 

 でも、もし##を上から引き上げてくれる『誰か』がいたら――

 ##に結城友奈を与えてくれる『誰か』がいたら――

 人の可能性が##を超越させ――

 もしかすると、もう一度戻ってこられるかもしれない――

 

 そのような人物に心当たりなんてない。

 それでも、奇跡が起きるのならば――

 そんな淡い希望を抱きながら、##は再び底へと沈んでいった。




誰か――!
####を救い出してくれる、誰か――!!

それではまた次回!

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