結城友奈は勇者ではない   作:mn_ver2

22 / 41
前回のあらすじ
東郷がいない。
友奈もいない。


覚醒

 ……いったいいつから東郷美森の消失に影響されていた?

 分厚いマフラーを首に巻き、大赦本部から出てきた園子は表情を曇らせる。

 風から連絡があったのは真夜中だ。グループチャットに書き込まれたある人の名前が、園子を初め、勇者部全員の記憶から呼び起こされた。

 いや違う。呼び起こされたのではない。例えるなら、『東郷美森のいない世界』として補完されていた記憶が強引に砕かれたような感覚に陥ったのだ。

 友奈はいつもひとりで登下校していたし、皆が平等に友奈と接していた。

『そう』記憶していたはずだ。そこに東郷という人間は片鱗も関わりを持たない。

 冷たい風に煽られ、思考が冴える。

 街を歩く園子は銀色のスーツケースを片手に、通りかかったタクシーを呼び止め、風と樹、そしてふたりの友奈の住むアパートへと運転してもらう。

 暖房の効いた後部座席に乗り込み、マフラーとコートを脱ぐ。かじかんだ指のせいでコートのボタンを外すのに少しだけ手間取ってしまった。

 東郷が消えたのは恐らく本当に昨日のことだ。なぜならドミノ状のように次々と思い出してくる記憶の中に、一昨日まで東郷がいたことが確認できているからだ。

 ……ならば。

 ならば、なぜ高嶋は気づけたのか?

 園子にはそれが最大の謎だった。園子自身、告白すると何もきっかけがなければ気づくことはできなかっただろう。二年前からずっと親友だったはずなのに、それがどうしようもなく悔しい。

 唇の端を強く噛み、血を滲ませる。

 同時に悲しくもある。

 なぜ、誰にも言わずに消えてしまったのか。勇者部ならば何が何でも引き止めるはずだ。

 だからこれはただの行方不明などではない。何らかの思惑が入り混じったものだ。そうでなければ東郷が存在しないものとして扱われるはずがないのだ。これは一種の記憶改竄。それも超大規模で、恐らく四国にいる人間全員に施されていると考えていい。

 そんなことができるのは大赦、そして神樹様くらいだ。

 でもその大赦も知らないと言う。今思えば彼らも記憶改竄の影響を受けていたのだ。となれば、知っているのは神樹様のみということになる。

 神樹様からは、信託という形で巫女と呼ばれる少女に、テレパシーのような感じで一方的に送られてくるという。だからこちらから逆に話しかけるといったことは不可能で、距離の遠さを実感させられる。

 そもそも勇者部に巫女はいない。大赦内に巫女は在中しているが、派遣されることはない。

 どちらにせよ、誰かに頼る、という選択肢はないものと考えるべきだ。

 アパート前に到着し、精算を済ませた園子はやや早足で犬吠埼姉妹の家に向かう。エレベーターで上昇し、インターホンを押す。

 数秒後、施錠されていたドアが開き、樹が顔を覗かせる。いつもは髪の左右を髪留めで留めているはずだが、今はしていないようだ。

 

「こんにちは〜いっつん」

 

「こんにちは、園子さん。夏凛さんももう来てます」

 

 樹に案内されてリビングに入ると、すでに勇者部が全員揃っている。しかし居候しているはずの高嶋と赤嶺がいない。

 

「あれ? たかしーと赤嶺ゆーゆは?」

 

 友奈に関することだ、いるだろうと思っていたが、どうやら見当違いだったようだ。

 

「ああ、高嶋は友奈のお見舞い。赤嶺は行きたいところがあるって出かけたわ」

 

 風はそう言うと園子の脱いだコートを受け取り、ハンガーにかける。

 そして椅子に座ると、重々しいため息を吐いた。

 

「……どうだった?」

 

 その質問は、全員に向けられたものだ。

 しかしそれぞれの顔色から返事は滲み出ている。

 誰も、東郷の痕跡を見つけることができなかったのだ。東郷の家に向かった夏凛は娘などいないということになっていて、学校に向かった風と樹は、学校に東郷という人間が在籍していないことも確認済みだ。さらには部室に飾られている記念写真などからも消え、不自然な空間ができていた。

 これほど完璧な消失は、逆に信憑性が増す。

 

「……何よ、質の悪い虐めみたいじゃない」

 

 眉をひそめながら夏凛が苦しそうに囁く。

 ……これからなのに。

 友奈が目覚めないことを抜くと、ようやく、本当の平和が訪れたのだ。もう勇者として戦うことはない。満開して、これ以上傷つくことはない。外の世界のことはともかく、この小さな幸せを噛み締めながら過ごしたい。普通の女子中学生として。

 そう、願ったはずなのに。

 悔しい。とてつもなく、悔しい。

 でも、これをどこにぶつけたら良いのかすらわからない。

 

「クソッ……クソ」

 

 何かに当たり散らしたい衝動をグッと堪え、搾り出すように悪態をつく。

 行き詰まり。これが中学生にできる限界。

 しかし、ここには園子がいる。大赦において、絶大な権力をもつ乃木家の子孫が。

 先程から異様な徐ろに存在感を放っていたスーツケースをテーブルの上に置いた。気にしてはいたものの、園子が話題に持ち上げるまで触れないでいたせいか、一斉に注目を集めた。

 

「もう、これしかないようだね」

 

 留め具を外し、ケースを開ける。

 中に入っていたのは、形状記憶スポンジに丁寧に収められた、三台(・・)のスマホだ。

 

「――――え?」

 

 呆けた声を漏らしたのは、他でもない園子だった。

 三台? それはおかしい。四台のはずだ。大赦で神官から勇者システムの内蔵したスマホを徴収した時、間違いなく四台あったはずだ。それは事前にきちんとこの目で確認している。

 一度も目を外すことなく、常に手に持ってここまで慎重に運んできた。園子の知らない間に盗み出すなんて絶対不可能だ。

 

「……ゆーゆのが、ない」

 

「ありえないでしょ、そんなの」

 

 そう言いながらスマホを手に取った風は、すかさず勇者アプリを起動させて東郷と友奈の位置情報を探る。

 ……どちらも反応はなし。

 この場にいる四人分の点が集中しているだけだ。索敵範囲を広げても、やはりふたりの座標情報は現れない。咄嗟にスマホを切り替えて友奈のお見舞いに行った高嶋にメッセージを送る。

 高嶋のスマホは百年単位で昔のものだが、容量や処理速度は少し劣りはするものの、この時代でもそこまでの不自由もなく使うことができる。アプリもインストールできるし、Wi-Fiのある場所ならば普通に通信することだって可能だ。

 どちらかというと、西暦からあまり進歩していないというのが正しいだろう。

 程なく『結城ちゃんは寝てます』と返事が返ってくる。

 緊張から解かれた風は安堵の息を吐く。

 友奈の身に何かが起こるなんて最悪の出来事が起きていなくて本当に良かった。

 

「ゆーゆのスマホはあとで考えよう。それよりわっしーのほうが大事だからね」

 

 話題を切り替えた園子が指を鳴らすと、一体の精霊がしゃららん、と軽快なエフェクト音と共に姿を現した。

 つぶらな瞳、烏を思わせる力強い漆黒の翼。

 園子が複数体保有する精霊の一体、烏天狗だ。

 友奈はともかく、東郷が認識できないということは、人の認識外にいるということだ。

 つまり……。

 

「壁の外、ですか」

 

 ぽつりと樹が予測場所を口にする。

 その瞬間、風が目に見えて不機嫌になった。

 壁の外の現状を知っているのは何も風だけではない。しかしあの時、東郷に諭された絶望的な景色が脳裏にこびりついて離れないのだ。それに時々夢に見てしまう。

 またバーテックスが壁の結界を超えて襲いかかってくるのでは、と。そして勇者として再び立ち上がり、戦いに身を投じなければならない。その中で満開をし――。

 ……東郷の言っていたことは、正しい。

 でも、それを否定した風たちも正しい。

 結局は、正義のぶつかり合いだったのだ。

 あれは、勇者部の中での意見の食い違いから起こったもの。小さな問題が解決しただけで、根本的な問題解決には至っていない。

 まさに敵の群生地帯。そこに行くなんて、はっきり言うと、正気の沙汰ではない。

 

「――行くしかないわよ」

 

 そう言い放ったのは、静かに目を閉じていた夏凛だった。

 

「もし友奈がいたら、絶対に助けに行くって言う。だから私は行く。友奈が目覚めた時に東郷がいなかったら、きっと悲しむと思うし」

 

 目を細め、小さく笑った夏凛はスマホに手を伸ばす。しかし、その手首を掴んで止めたのは風だった。

 

「待って。今の私達は無知じゃない。部長として、おいそれとあんたたちを戦わせるのはいかないの。だから、ちゃんと考えて」

 

 以前は何も知らなかったから憂いなく背中を叩けた。だが今は違う。きちんと覚悟を抱かなければ勇者になることは部長が許さない。

 甘い覚悟のせいで死ぬより酷い後悔をしてほしくないという情けでもある。

 それでも、夏凛は食い下がった。優しく風の手を払いのけると、今度こそスマホを手に取る。

 

「覚悟はできているわ。私は、勇者になる」

 

 その目に迷いといった類のものはなかった。もしあれば無理矢理にでも取り上げるつもりだったが、どうやらそんなことはせずに済みそうだ。

 続いて樹が。

 

「私も行きます。勇者部は、誰一人欠けちゃ駄目なんです。それに……東郷先輩のぼた餅、また食べたいですから」

 

 と優しく微笑んでスマホを取る。

 

「わっしーとは唯一無二の大親友。それ以上の理由は、いらないよ」

 

 皆、覚悟は揺るがなかった。

 本当のところはわかっていたが、たとえ結論が変わらなくても、前置きとして風の問いかけはどうしても必要だった。

 しかし、そのおかげでより一層覚悟は深まったようだ。

 それぞれの面持ちをしっかりと目に焼き付けた風は、やれやれとばかりに肩をすくめた。

 

「仕方ないわねぇ。私も行くわ。それでちゃんと、東郷を連れ戻すわよ!」

 

 風の掛け声に合わせて勇者部は拳を上に掲げる。

 友奈は当然不参加。もし目覚めていたら、真っ先に助けに向かおうと躍起になるだろう。その溢れんばかりの想いは、東郷を連れ戻すことで確実に繋いでみけよう。

 風は自分に固く誓った。

 

 ◆

 

 一度行ったことのある病院だから道もだいたいは把握している。

 少し迷子になりかけたが、なんとか辿り着いた高嶋は受付のロビーで手続きを交わし、こうして友奈のお見舞いに来ている。

 友奈の親戚というポジションで来るのも見苦しい気もするが、馬鹿正直に血縁関係にはないなんて言えない。

 眠気に誘われそうな温かい空気に、高嶋はひとつ、大きくあくびをした。

 それに反応した牛鬼が同じ動作をする。

 短い通知音が鳴り、ふと卓上を見やると、『東郷を助けに壁の外に行く』と風のメッセージがバナー表示されている。

 眠気が吹き飛ぶ。

 一回目をギュッと瞑った後、メッセージを開いて『待ってます』と素早く指をスワイプして入力、送り返した。そしてスリープ状態にすると、穏やかな寝息を立てて眠っている友奈に視線を落とした。

 見れば見るほど自分に似ている。双子の姉妹だと言われても違和感がない。

 

「結城友奈、か……」

 

 高嶋は友奈のことを何も知らない。

 風から聞いたこと以外、何も知らない。人間性などはなんとなく想像できているが、実際に面と向かって話したことがないのに、果たして何がわかるというのだろうか。

 高島の中で絶対的に不変のもの。それは、

 

 結城友奈は勇者である。

 

 ということ。

 昏睡状態になってからもう二ヶ月を迎えようとしているらしい。腕に刺さっている針先から点滴で栄養を摂っているだけの身体は痩せ細っていく一方。腕なんて棒のようだ。右手首の黒ずんだミサンガなんて、結び目を解く必要もなく簡単にすり抜けそうだ。

 東郷を助けに皆、行ってしまった。

 友奈のことを誰よりも大切にしている少女。もしかすると、高嶋に対する千景のようなポジションなのかもしれない。

 いつも隣にいてくれた人。どんな時でも一緒にいてくれて、支えてくれた人。苦しみも、悲しみも、共に分かち合える人。

 ふと向けられた優しい笑顔に、どれだけ助けられたことか。それはきっと、友奈にも当てはまることのはずだ。

 勇者部は友奈の覚醒をずっと待っている。どれほど深い絆で結ばれているかなんて知らない。ほんの数日前に転がり込んできた部外者にはその深さを測ることなんてできない。

 若葉や球子、杏にひなた、そして千景。ようやく少し親睦が深まった程度だが、これからなのだ。これから絆を育み、バーテックスに負けない屈強さを手にするのだ。

 西暦には西暦の絆が。

 神世紀には神世紀の絆が。

 だから、『勇者は全員が揃ってこそ』なのだ。

 

「起きて……結城友奈。皆があなたを、待ってるよ」

 

 ありったけの願いを込めて、高嶋友奈は結城友奈に囁いた。

 

 ◆

 

 誰かに肩を軽く揺さぶられたような気がして、##は薄っすらと目を開けた。

 どうやら自室の勉強机でうたた寝をしていたようだ。それにしても、なんだか随分と長い間、眠りに落ちていたような気がする。

 でもその内容がどうしても思い出せない。まるで水を掴もうとするもどかしさに似ている。

 ##は口元の涎を拭い、まだ解けていなかった最後の一問をさっさと解く。これで宿題は終わりだ。

 

「これでよしっと」

 

 ふと時刻を確認すると、夕方を迎えたくらいだった。

 勉強中はスマホを見ない。だが終わった今なら大丈夫。電源を入れると、数件のメッセージが届いていた。開くと、風が明日の部活のことを連絡していた。

 すでに樹、園子、夏凛の順で了解の返事が返ってきている。##も了解の可愛らしい猫のスタンプを送ると、椅子から立ち上がる。

 

「おっとっと」

 

 どうやら長時間座っていたせいで、ちょっとして立ちくらみが来たようだ。

 たたらを踏み、頭を振る。

 そして次に目に飛び込んできたものは、どういうわけか樹海だった。

 突風が前髪を揺らし、突発的に吹いてきた方向を見る。すると風と樹が勇者装束を纏ってバーテックスと戦っている姿が遠くに見えた。

 これは……そうだ。初めてのバーテックスとの戦闘だ。

 記憶がチクチクと刺激される。

 何も考えず、反射的に勇者に変身しようと下顎に力を入れた瞬間、視界の端にちらりと一人の影が映り込んだ。

 車椅子に座っている誰か。全体像が霞がかって、特徴が掴めない。

 どうしてここに? という疑問を振り払って##は声を張った。

 

「そこの人、逃げて!」

 

 瞬間、水墨画のように友奈を取り囲む景色が溶け、ある場所を象った。

 仄かに眩しいオレンジ色の陽射しに##は思わず顔を手で覆う。左手の窓から差し込んでいるのは夕焼けだ。

 そして自分の両手に何かゴムっぽいものを掴んでいる。視線を手元に落とすと、車椅子のグリップを掴んで押しているようだ。車椅子の主は前を向いている。

 やはり姿はよく見えない。目を凝らしても、同じように霞のせいで、この人が誰なのかがわからない。

 不意に、自分の口から滑らかにその人物に話しかけた。意志とは関係なく、まるで自分ではない誰かを演じているかのよう。

 

「私に嫌なことがあったら……私のこと、助けてくれる?」

 

 すると、その人はこちらを振り向いた。

 途端、激しいノイズが全身を駆け巡った。身体中の血管がぶつんと千切れるような不快感にえづく。

 

「もちろんよ」

 

 そう優しげに答えた人の顔は、やはり##にはどうしてもしっかり視認することができない。

 また景色が消え失せ、樹海に戻ってくる。しかし先程とは違って、壁に大穴が開けられている。そこから無数のバーテックスが雪崩込み、状況は切迫している。

 いつの間にか勇者に変身していたようだ。枝木がギチギチと##の右半身を締め上げる。

 頭の中がぐちゃぐちゃだ。脳みそをミキサーでかき回されているよう。これ以上の思考……行動……生命活動を終わらせるべきだと訴えかけられている。すでに##の限界は超えていて、人としての限界を大きく上回っている。

 満開した##は、壁を開けた犯人の戦艦に乗り込んだ。

 咄嗟に展開したドローンの迎撃を華麗な身のこなしで回避し、間合いを詰め、『誰か』の懐に潜り込む。そして、手加減なしの拳撃を顔にめり込ませた。

 すると、ずっと覆っていたモヤが一気に晴れた。

 青を基調とした勇者装束。吸い込まれるほど美しい黒髪の少女。

 目を真っ赤に泣き腫らしながらこちらを見上げる少女を、それでも##は思い出せなかった。

 ようやく見ることができたのに、少女が誰なのかまったくわからない。

 わなわなと肩を震わせた##は。

 

「あなたは……誰?」

 

 と漏らした。

 またもや景色が消え、ついに完全な暗闇に包まれる。

 あらゆる感覚が消え失せ、擬似的な死亡状態になる。水銀の底でたゆたう##。

 ……あれは、何だったのだろう。

 記憶が。

 思い出が。

 ゆっくりと蝕まれる。

 どうしても思い出せない。

 絶対に忘れないと誓ったこと。

 それを忘れてしまうのなら、もう……##に意味はない。

 自分が誰だったのかも、とうに忘れ去った。

 では、私は、何だ?

 自身を構成しているのは、果たして、何だ?

 この存在は、何だ?

 急速に自身に対して意味消失が行われる。

 自己を問い、自己を疑う究極の自問自答。自己破壊のアポトーシス。不可逆的な自滅衝動。

 いなくなろう。消えよう。一刻も早く、##は失せなければならない。

 ないはずの拳を振りかざす。これは、デストルドーの意志力が生み出した、死の一撃。

 それを大きく振りかぶり――

 自身に降ろそうと――

 

 ◆

 

「――――!!」

 

 友奈がぴくりと眉を動かした。

 それに、少しずつ、少しずつ、肌に血の色味が戻ってきている。モニタリング装置が、体温が上昇中であることを示している。

 鋭く息を呑んだ高嶋は友奈の手を力強く握った。それを額に押し当て、今までで一度もないくらい強く願いを込める。

 

「お願い……起きて……!!」

 

 先程から明らかに反応を見せている。

 静かだった寝息がしだいに大きくなり、唇を小さく震わせる。

 微弱だった心音も、正常に戻ろうと激しく躍動している。

 ……しかし、そこまでだ。

 数分間覚醒状態が続いたが、ただの気まぐれだったのか、それが収まり始める。反応がしだいに小さくなり、高嶋は慌てて叫んだ。

 

「待って! 待って!! 駄目! 今起きないと!」

 

 手に脂汗を滲ませながら根気強く友奈に語りかける。しかし高嶋の声は届かず、友奈の熱が冷めていくばかりだ。握る手がゆっくりと死人のような冷たさに戻りつつある。

 今、目覚めるか否かの瀬戸際に友奈はいるのだ。そこから引き上げるのが、この場にいる者の役割!

 高嶋にできることはこうして必死に呼びかけることだけ。これが本当に届いているかわからない。でも、この熱烈な気持ちはなんとしてでも伝えなければならない。

 何度も語りかける。我を忘れ、何度も声援を送る。

 それでもやはり熱は急速に失われていく。

 だが己の無力を嘆く暇なんてない。本当に最後の最後まで諦めない。諦めてたまるものか――!

 ここが病院であることなんてどうでもよくなった高嶋は、スタッフに聞かれて怒られることなんて気にせずに、あらん限りの声量で、もう一度叫んだ。

 

「あなたが私と同じ、友奈なら! 勇者、友奈なら! 立ち上がってみせてよ――!!」

 

 ピッ。ピッ。ピッ。

 その音は、ずっとリズミカルに鳴っていたモニタリング映像。それに変化はない。

 ……現実は非情で、友奈にそれ以上の変化が起きることはなかった。手首を掴みながら膝から崩れ落ちる。

 これでも駄目だったか。自分の力不足に高嶋は嗚咽を漏らした。

 

 だが。

 

 高嶋の呼び声に、さっきまでずっと友奈の頭上でホバリングしていた牛鬼がなぜか反応を示した。

 高嶋の顔の横に飛ぶと、慰めるように頬ずりをしてくる。

 

「牛鬼……?」

 

 牛鬼は高嶋に背を向けて再び友奈の頭上に飛び上がると、今度は降下を始める。友奈と接触すると思われた瞬間、激しく桜色の燐光を散らしながら、友奈の体にゆっくりと溶けて沈んでいく。

 その超常的な光景に、高嶋はただ圧倒されるしかなかった。

 完全に身体が呑み込まれる寸前、こちらを見る牛鬼のいつもと変わらない瞳は、

 

 ――任せて。

 

 と言っていた。

 

 ◆

 

「……起きて、結城友奈」

 

 それは、力強くて温かい声だった。

 途端、消滅せんと迫った拳が幻のように消え失せる。

 胸が猛烈に熱くなるのを感じた。

 しかし火傷などといったものは一切なく、寧ろ心地良いものだった。気づけば、何でもなかった存在に、肉体が与えられている。

 自身を見下ろし、試しに少し身体を動かしていると、驚くほど馴染む。

 

「……起きて、結城友奈」

 

 もう一度、声が投げかけられる。

 上からだ。上から声が聞こえる。##が虚ろな顔を持ち上げると、微かな光が差していている。手を伸ばしてみるが、距離は気が遠くなり程離れていて、届かない。

 でも、あそこから聞こえる。この薄暗い虚無の空間から抜け出すには、あそこを目指さなければならないと本能的に悟る。

 

「……起きて、結城友奈」

 

 その声は、自分の声に瓜二つだった。

 まるで自分に鼓舞されているようだ。身体に血が巡り、青白かった肉体は瞬く間に健康的な色味を取り戻す。世界に色彩が宿り、先ほどから差していた光が桜色だと認識する。

 

「――皆が、待ってるよ」

 

 記憶が付与される。

 知らない情報までが、海馬に投射される。これは##のものではない。しかし、鮮明な記憶が##の崩壊寸前の記憶を驚くべき速度で補っていく。

 健気で弱気だけど、いざというときは身体を張る子。

 食べることが大好きで、包容力がある子。

 常に自分に自信を持ち、引っ張ってくれる子。

 ふわふわしていて、どんな時でも明るい子。

 ふたりの友奈。

 そして。

 忘れないと誓い合った、黒髪の子。

 静止していた心臓が静かに脈を打ち始める。全身に力が入り、##は生の実感を得る。

 

「私は……誰?」

 

 久方ぶりに言葉を紡ぐ。

 

「あなたは讃州中学勇者部、結城友奈」

 

 光は速やかに返事を返す。

 

「何のために私は立ち上がるの?」

 

「誓いを守るために。東郷さんを、救い出すために」

 

「私は……讃州中学勇者部、結城友奈……?」

 

「そう。忘れないで。あなたが大切にしていた人たちを」

 

 行かなければ。

 起きなければ。

 友奈はもう、自分を忘れない。友を忘れない

 たとえ神が仲を引き裂こうとしても、決して千切れない強い繋がりをここに。

 上昇する。

 水銀の重みなどものともせずに友奈は水面へ向かう。

 両手で懸命にかきわけ、光に向かう。

 その先に、誰かがいた。

 真っ白いシルエットが発光していて、誰かまではわからない。でも友奈に手を指し伸ばしている。

 もうすぐで届く。

 こちらも手を伸ばしながら距離を詰める。

 そしてついに、友奈の手が――

 

 ◆

 

 牛鬼が唐突に友奈の身体から弾かれたように飛び出した。

 慌てて受け止めた高嶋は、急にこの病室を満たした異様な空気に肩を震わせた。

 急いで友奈の元に戻り、変化に気づいた。

 昨日の、生気のない骸のような雰囲気とは打って変わって、明らかに魂が宿っている。失われる寸前だった熱が再燃し、肌は完全に赤みを取り戻している。

 

「あ――」

 

 高嶋の口から掠れ声が漏れる。

 目頭が熱くなるのを感じた。

 そして。

 友奈の口が僅かに開き、閉じ、開きを繰り返し。

 ゆっくりと。ゆっくりと瞼が持ち上げられた。

 照明に照らされた友奈の瞳にまだ意志の光はまだ見えない。しかし、生まれたばかりの赤ん坊が手足を伸ばすような、ゆっくりとした速度で光が宿る。

 喉を上下させ、呼吸音が口から漏れる。しんと静まり返った病室を、友奈の第一声が震わせる。

 

「…………ぁ、あ」

 

 続いて宝石を思わせる瞳がぐるりと周囲を見回し、高嶋と目が合う。

 なんと声をかければいいかわからない高嶋は口をぱくぱくと開閉させる。

 それを見る友奈は緩やかに口角を上げた。

 

「あなたが私を呼んでくれたんだね……ありがとう」

 

 牛鬼は嬉しそうに大きく翼を羽ばたかせて友奈の膝上に乗り、主の帰りを待っていた犬のように執拗に頭をぐりぐりとお腹に擦り付ける。

 

「うん……うん。牛鬼もだね。ありがとう」

 

 するとよほど嬉しかったのか、牛鬼はその場でホバリングして宙返りをした。

 そしてどこからともなく現したスマホをごとんと友奈の上に落とした。

 友奈はそれを左手で受け取る。

 満開システムによる散華、完治を確認。

 右半身の麻痺は満開によるものではないため完治せず。

 高嶋は友奈が眠っている間の出来事を知らないため、記憶の欠落あり。補われたのは、髙嶋友奈が勇者部と接触してからの記憶のみ。

 東郷の消失。勇者部による捜索が瞬時にインプットされる。

 冷静に状況を理解した友奈は高嶋に向けて言った。

 

「高嶋ちゃん」

 

「は、はい!」

 

 思わず裏返りかけた声が出てしまった。

 遥かに年上っぽく感じられる佇まいに、つい高嶋は敬語で反応してしまう。覚醒したばかりだから仕方ないとはいえ、だとしても友奈の纏う雰囲気は、言葉にできない畏敬に近いものを孕んでいた。

 

「東郷さんを……助けに行ってくる。ごめんね、色々お話したいけど、またあとで」

 

「あ、うん。でも……大丈夫?」

 

 まだ覚醒して数分も経っていない。それにどう見ても健康体とは言えない。自力で身体を動かすことすら容易ではないはずだ。

 

「ありがとう。でも大丈夫。私は絶対に東郷さんを助ける。……高嶋ちゃんも一緒に来る? 途中までだけど。ここに来て日は浅いけど、近くで帰りを待つくらいは良いはずだよ」

 

 付与された記憶を頼りに友奈は語りかける。

 東郷を助けたいという思いはその強さに限らず高嶋にもある。ならば待つ資格は十分にある。

 

「じゃあ……お願いしようかな」

 

「うん、任せて」

 

 すでに牛鬼が寄越したスマホの画面には、変身ボタンが表示されている。友奈はそれを痩せ細い指でタップする。

 途端、友奈を中心に花弁が舞い、懐かしい勇者装束を身に纏った。遅れて右半身を補助する枝木が伸びて手足に巻き付く。

 何度か右手を握っては開いてを繰り返して正常を確認した友奈はベッドから降り、側の窓を勢いよく開けた。

 そして高嶋に近づくと、膝の裏に手を伸ばして後ろに倒れさせる。

 

「きゃっ」

 

 もう片方の手で上半身を受け止め、俗に言うお姫様抱っこで高嶋を抱えた。

 そのまま窓から顔を覗かせると、勢いよく飛び出した。なるべく人目につかないように背の高い建物を中継して大ジャンプを繰り返す。絶好調ではない友奈でも、あっという間に病院から遠ざかっていく。

 腕に抱かれた高嶋は素直に景色を見下ろす勇気がなくて、小さく蹲っている。

 数分もしないうちに、大橋まで辿り着いた。内陸側には白いドーム上の建物。その中には英霊の名前が連なる慰霊碑がある。壁への最短距離を通った結果だ。

 さすがに壁の外まで連れていくわけにはいかないため、ここで髙嶋をおろした。強風に煽られたせいで少しだけ髪型が崩れてしまっている。髪飾りがなければもっと荒れていただろう。

 慰霊碑の横を通り過ぎ、潮の香りが強くなるのを感じながら友奈は大きく呼吸を整える。

 じゃあ、行ってくると伝えた友奈は脚に力を込めようとした。

 すると、右手前方、約十メートルほど離れた位置にある盛り上がった岩石の上に膝を立てて座り込んでいる一人の少女が目に入った。

 そして向こうもこちらに気づいたのか、滑らかな動きで高さ三メートルはあろう岩から素早く降りて、こちらに歩いてきた。

 ……奇妙な格好だ。

 赤黒いスーツ。肩や膝、肘などに装甲が張り付けられていて、普通のスーツとは思えない。

 その色は闇夜に紛れるのに相応しそうだ。しかし今は昼下り。こうして堂々と友奈たちの前に姿を現した少女は穏やかに微笑みかけた。

 

「赤嶺、ちゃん……? なんでそんな格好してるの……?」

 

 高嶋の問いに少女――赤嶺は答えない。

 代わりに丁寧に挨拶をしてきた。

 

「始めまして、結城友奈さん。あなたを信じて待ってたよ。私は赤嶺友奈。あなたの先輩にあたるね」

 

「うん。初めまして。赤嶺ちゃんのことは、ある程度なら知ってるよ。でもごめんね。話したいことがたくさんあるけど、今は急いでるから後でいいかな?」

 

 このまま直線で大ジャンプをすると赤嶺にぶつかってしまう。

 それを避けるために、友奈は三歩ほど右に移動した。

 すると、赤嶺も同じように移動する。

 友奈が首を傾げる。

 ……ああ、こういうのはよくあることだ。歩道で通行人とぶつかりそうな時、横に避けたら相手も同じ方向に避けてしまう現象。

 今の赤嶺のはきっとそれだ。

 もう一度友奈は右に動く。

 そして、赤嶺も右に動いた。

 赤嶺の表情が改められる。

 

「…………」

 

「…………ちょっと、退いてもらえないかな?」

 

 赤嶺は満面の笑みを向けると、

 

「もちろん、嫌だよ♪」

 

 と抑揚よく言い放った。

 瞬間。

 場の空気が一転し、地獄にも負けない灼熱の炎が息巻いた。

 高嶋はその変化の度合いについていけない。胸の内に重い鉛が落とされたような感覚に短く喘ぐ。

 目の前の小麦色の少女は、敵だ。

 友奈の目が変わったのをいち早く察知した赤嶺は態度を急変させ、目を剥き、視線だけで殺せるほどの眼力で友奈を睨みつける。

 赤嶺が両肩を大きく震わせると、数段構造になっている肩の装甲がじゃりいいん! と鈍い金属音を奏でてズレ、両腕を覆う。膝も同じように、脚全体を装甲が覆う。

 胸部装甲も展開され、腹部ほぼ全域を黄金色が埋め尽くす。

 手首の膨らんだ部分を握りつぶすと、手の部分に液体金属が流れ、指の背の部分にたどり着くと、板状に凝固する。

 これは、スーツの機能を攻勢を極限まで解放したもの。

 西暦組との共闘でも見せなかった、赤嶺の本気。

 高嶋が鋭く息を呑んだ音が聞こえる。

 

「――結城友奈。目覚めて早々で悪いけど、もう一度眠りについてもらうよ」

 

 敵意を剥き出しにした赤嶺は、ドスの効かせた声でそう言った。

 

 




この章で初めに語られた言葉、覚えていますか?
樹ちゃんの占い、覚えていますか?

それではまた次回!

【Infomation】
▼高嶋友奈による明確な干渉を観測
▼征矢に辞令、高嶋友奈及び赤嶺友奈の処分
▼Error! 征矢の整備が未完了。残り13%
▼整備完了次第派遣
▼終了
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。