結城友奈。赤嶺友奈。
衝突。
潮風が鼻腔を刺激する。
磯の香り。
海の香り。
すぐそこには海があって、その向こうには壁がある。さらにその向こうにはバーテックスが無限に闊歩する赤の世界がある。
そして、友奈はどうしてもそこに行かなければならない。
風たちと一刻も早く合流して、東郷を助けに行かなければ。
しかし。
目の前の硬い装甲に身を包んだ赤嶺を打倒しなければ、それは叶わない。
友奈は怪訝そうに喉を鳴らした。
「どうして、私の邪魔をするの?」
溢れんばかりの気迫を、極限まで押し殺した質問。
友奈には赤嶺に邪魔される理由に心当たりなんて微塵もない。そもそも赤嶺とはこれが初対面で、互いのことをよく知らないはずだ。ずっと寝込んでいた友奈が、赤嶺に果たして何ができたのか。
赤嶺は大きく深呼吸をし、胸を膨らませ、冷たく返す。
「あなたが神の業に手を出したから。人を超越し、神を脅かす存在だから」
「……ごめん、何を言ってるのかよくわからない」
神の業?
聞き覚えのない単語だ。それに脅かしたという覚えもない。
赤嶺の言っていることは的外れで、友奈には理解できないことだ。もしかしたら話し合いで分かりあえるかもしれないと思い、両手を上げて無抵抗をアピールしながら慎重に一歩進む。
しかし、赤嶺は拳を握り、戦闘の体制をとる。
……どうやら、話し合いはできないようだ。
「本当にわからない? あなた、二回もやってみせたんだよ? 病室であなたを見た瞬間、わかった。だって臭いがぷんぷんしてたもん。人ならざるものがね。具体的なことは知らないけど、初めはきっと、風さんが言ってた戦闘での時かな。それで次は……こうして目覚めた」
赤嶺の指摘に、友奈は言わんとしていることをなんとなく理解し始める。
皆を助けるため、勇者としての記憶を満開の代償として散華した友奈は、神樹のエネルギーを借りずに再び満開をした。
つまり、自分を消費して神に迫る力を得た。
それは明らかに人にはできない所業。それを神の業というのは誇張し過ぎだとは思うが、恐らくそのことを言っているのだろう。
「……そうだとして。赤嶺……ちゃんが私を邪魔する理由にはならないんじゃないかな?」
すると赤嶺は小さく笑い、やれやれとばかりに肩をすくめた。
「あなたたち勇者は光だ。民衆の前に立ち、諸人を魅せてやまない、いと尊き存在だろう。でも、光あるところ、影もある。私は……影だ。勇者がバーテックスという敵を討つのなら、私は人間という敵を討つ。それが、鏑矢の御役目」
……そうか。
つまり赤嶺友奈という人間は、友奈とは違って、裏の世界で暗躍する執行者というところか。
友奈はずっと、表の世界しか眼中になかった。それが普通で、せいぜい映画などでそういった裏の世界をテーマとしたものを観る程度だ。
いざ、その世界の人間が友奈の前に立ちはだかるとなると、その威圧感は凄まじいものである。
ただ愚直に外敵に立ち向かう勇者とは対極の存在。様々な思惑が入り乱れる、薄汚い暗闇で粛々と敵を討つ人間。
それが赤嶺友奈。
その肉体は対人にのみ鍛え抜かれ、今、友奈に全力が向けられようとしている。
……勝てるか?
一瞬、そんな愚かなことを考えてしまった。
すぐにその甘い考えをくしゃくしゃにして投げ捨てる。
勝つ以外、ない。
頑張るとか、全力を尽くすとか、逃げ道を残すような言い方は不要だ。
勝つ。
必ず勝つ。
それが友奈に与えられた試練だ。
「やめてよ赤嶺ちゃん! 仲間同士でこんなことは駄目だよ!」
懸命に仲を取り繕うとするのは高嶋だった。
二人の間に割って入り、悲痛な表情で訴える。
「仲間……?」
しかし赤嶺は言葉を学んだロボットのように高嶋の言葉を反復した。そしてもう一度「仲間……」と呟くと、薄ら笑みを浮かべた。
「私の仲間はレンちとシズ先輩だけだよ? 別に成り行きでこうなっただけで、あなたを含め、この時代の人たちを仲間だなんて微塵も思っていない。……どうやら、根本的な認識のズレがあったようだね。もし私の邪魔をするのなら、高嶋ちゃん、あなたも黙らせないといけなくなる。別に処分対象ではないから、できればそれは避けたい」
バーテックスとの戦闘中にも見せたことのない、殺意の込められた視線に射抜かれ、高嶋は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。
所詮はこの程度だ。
光の人間に確固とした意志があるように、影にも意志がある。それは捻じれ、歪み、淀んだもの。その濃度は圧倒的だ。人の悪意に触れ、人の善意を疑う。
数度、抵抗しようと足を踏み留まらせようと身震いするが、高嶋にはどうやら耐えきれなかったようだ。非常にゆっくりとした動きで身を引き、ふたりから距離を取る。
「高嶋ちゃん、下がって。赤嶺ちゃんは私に用があるから。手出しはしないでね」
こくりと頷いた高嶋は、胸に手を当てる。
こんな……人間同士で争うことなんて許されるはずがない。西暦では皆が力を合わせ、バーテックスという脅威から逃れるべく力を尽くしていた。
……止めなければならない。高嶋の人間性なら絶対にそうしていた。喧嘩なんて……それも、見知った人同士の喧嘩なんて、絶対に見たくないからだ。
しかしこのふたりの喧嘩は、喧嘩ではない。
決闘だ。両者の想いをぶつけ合う戦い。
ふたりの目は本気だった。時を超え、本来なら出会うはずのない三人の友奈がここに集う。
『何か』が起こるだろうとは思っていた。でも、こうなるとは思わなかった。
だからこそ、高嶋はこの決闘の行く末を黙って見届ける決心をした。
どちらも全力で応援したい。しかしそれでは矛盾してしまう。
丸亀城に突然現れ、球子のうどんの器に虹を吐くというこれ以上のない印象深い登場を果たした赤嶺。
短い時間、たった一度の共闘だったが、高嶋たちのため、共に命を懸けてくれた。その在り方は、決して正しくないなんてことはない。
だって、一緒に人類を守るために戦った、仲間なのだから。
心神喪失状態だったが、大切な仲間を助けるために再び立ち上がった結城。
勇者として、ずっと頑張ってきたことを高嶋は知っている。実際に目にしたわけではないが、風と樹が熱心に語る人物像は、間違いなく勇者だった。
友奈が一歩を踏み出す。
今度は話し合いを求めにではない。
決闘に応じるためにだ。
友奈のスイッチが切り替わったことを肌で感じとった赤嶺は股を広げ、スーツの繊維が悲鳴を上げるほど力強く拳を握った。口の端から細く吸い込む呼吸音が、場の空気を黙らせる。
両者の視線が交差する。
長い時間見つめ合った後、友奈が先に口を開いた。
「私は……勇者、結城友奈。悪いけど、あなたがどんな気持ちでその御役目を果たしているかは知らない。もし私の前に立ちはだかるというのなら、押し通らせてもらうよ」
対する赤嶺は穏やかに肺に溜め込んだ空気を吐いた。
身体から熱気を漏らしながら、五秒後の爆発に備える。
「私は鏑矢、赤嶺友奈。四国に平和を。永久の安寧を。――火色舞うよ」
強い意志の籠もった声で、そう言った。
そして、爆発。
音も無く赤嶺は地面を蹴り上げた。
フェイントなどない、シンプルな突進。
分厚い装甲に覆われた赤嶺に衝突されては、さすがの勇者姿だろうとダメージは避けられない。
足首を捻り、急回転で身体の向きを変えて回避に徹する。
友奈のいたところを赤嶺が通り過ぎる。
その横っ腹に先制の一撃を喰らわせようと、左腕に力を込め――
恐るべき反応を見せたのは、なにも友奈だけではなかった。
あれだけ猛スピードだった勢いが、力強く踏みつけられた一歩によって急停止する。その力たるや、地面に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせるほど。
隙を晒すと先読みして回り込んだ友奈が晒す隙。まだ殴りのモーションにすら入っていない、柔らかい腹部のど真ん中に、鋼鉄の一撃が吸い込まれた。
「う、ブ……ッ!」
拳が友奈の腹に深く沈み込む。
素早く引き抜いた赤嶺は追撃を繰り出そうとするが、なんとか次に反応できた友奈のガードによって阻まれる。
カウンターを危惧した赤嶺はステップを踏んで友奈から離れた。
友奈は腹を押さえながら数歩よろめき、苦しそうに身悶えする。そしてついに我慢できなくなり、喉元まで込み上げていた胃の内容物を吐き出してしまう。
しかしそれは胃液だけ。酸味の効いた味が口内に広がり、喉が灼けそうになる。
勇者装束によるダメージ軽減がなければこの程度では済まなかった。
倦怠感を覚えつつも、友奈は再び構える。
今の一合で理解させられた。
赤嶺は、強い。
「普通なら、祝詞のない私では勇者に到底勝てない。……でも。今のあなたなら十分のようだね」
「…………っ」
アドバンテージは赤嶺の方が遥かに上。それに対人に特化した人間だ。
不利な相手。不利な状況。
一見友奈に勝ち目などないように思われる。
……実際、ない。ここからどうにかして赤嶺を打ち負かすビジョンが友奈にはどうしても浮かび上がらなかった。
思うように身体に力が入らない。歯を食い縛りながら『敵』を睨み上げる。
雷撃めいた速度で足蹴りが迫る。その狙いは友奈の左脚。立つことを奪うつもりだ。
咄嗟に跳躍することでこれを回避。そして、落下エネルギーを加算した一撃を真上から頭蓋に振り下ろす。
しかし、赤嶺は頭上で腕をクロスさせることでガードした。
衝突。
鈍い音を響かせ、装甲に小さな亀裂が走る。祝詞無しでも勇者の攻撃を防ぐことには成功したが、完封というわけではもなさそうだ。
見れば、右肩の装甲が一部、不自然にない。左の腹部も同じように少しだけ裏のスーツを剥き出しになっている。
友奈に立ちはだかる前、すでに一戦したのか?
……いや、そんなことはどうでもいい。友奈が唯一付け入る隙があるなら、そこだ。
友奈の視線に気づいた赤嶺は極めて静かに怒りを露わにした。御役目直後に時間遡行をし、さらに西暦の戦いに巻き込まれ、一度もスーツのメンテナンスをしてもらえなかった弊害。
それが、友奈に勝機を与えてしまった。
だが今更どうにかなることでもない。
ただ、目の前の『敵』を倒す。
それだけだ。
「――フッ!!」
赤嶺の姿がブレる。次に姿を現したのは、友奈の背後だった。なんとか反応できたが、そこまでだ。
「くッ、あ……!」
どん、と背中を押され、あっという間に両腕を羽交い締めにされる。
ギリギリと段階的に締め上げられ、友奈は脂汗を滲ませながら苦悶の声を漏らす。
赤嶺は艷やかな声で耳打ちした。
「病み上がりを襲うのは卑怯、なんて思わないでね? 私達鏑矢は敵を倒すためならあらゆる手段をとる。毒に人質。……それに拷問だってね。だからこんなに優しくしてあげるのは、同じ『友奈』だからなんだよ?」
「放、して……!」
「放さないよ? このまま両腕をへし折って、両脚も砕いて、それから眠らせてあげる。これがあなたへの罰」
さらに力が込められ、左腕の痛みが鋭く全身を巡る。
快調ではない友奈に赤嶺を振り払う力がない。ゆっくりとゆっくりと骨が嫌な音とともに軋むのを知覚しながら思考を加速させる。あえて右腕を折らせ、強引でも引き剥がそうかと脳裏をよぎった――その瞬間。
右腕に巻き付いていた枝木が、突然伸びた。
そして友奈の意志とは関係なく活動し、赤嶺に迫る。
「っ⁉」
その動きから対した威力があるとは到底思えなかった。しかし、そのあまりに想定外の動きに、赤嶺は戦慄を覚えた。
つい反射的に友奈を解放してしまう。
距離が開く。しかし今から急反転して迫っても十分届く距離だ。
「おおおおおッ!」
初めて明確に晒した赤嶺の隙!
これを逃がすことは、決してあってはならない!
必死に手を伸ばし、胸の装甲の縁を掴んだ。そのまま力任せて引き千切る。
べぎャッ! と歪んだ音が響き、胸から臍辺りまでを一気に剥ぎ取った。
これで腹の防御はほぼなくなった。
「っ! このッ……!」
――拳が迫る。
頭だけはなんとしてでも守らなければならない。ただでさえ覚醒しきっていない頭への強打は致命傷だ。
霞み、消えそうな意識をかき集めて集中する。脳裏に電撃が走る。
既のところで攻撃を防ぎ、反撃とばかりに赤嶺のガラ空きの腹に渾身の一撃を叩き込んだ。
初めて明確な敵意を抱いて繰り出した人への攻撃。
「ふ――ぐ――!」
顔を一瞬だけ歪めるが、それでも赤嶺は攻撃を続けた。
目にも止まらぬ速さのラッシュ。
そのすべてを見切り、回避もしくはガードすることは不可能。大ダメージになりえるものだけを命懸けで守り、他は捨てる。
肩。喰らう。
頭。防ぐ。
腹。中央ではないから喰らう。
頭。防ぐ。
腹。中央だから防ぐ。
腕。喰らう。
苦し紛れの反撃は呆気なく躱されてしまう。その返礼として倍の拳が返ってくる。
繰り出される一発一発が鋭く、とてつもなく重い。気の遠くなるような猛攻に、ふっ、と意識が飛びかける。
――負けるな!!
覚醒する。
己を奮い立たせる。
赤嶺の指の背の金属が、日に照らされて鈍色に光沢を放つ。対して友奈が放ったのは、感覚の死んでいる右手だ。枝木がしなり、拳を強制させる。激突した衝撃で、地面が僅かにめくれ上がる。
同時、明らかに指の骨が破砕された軽い音が耳朶に聞こえた。
「「ぉぉぉおおおおオオオオ――ッ!!」」
ふたりの咆哮。
限界の限界。
シンプルな力勝負なら、勇者姿の友奈の方に軍配が上がるはず!
友奈の確信通り、ついに赤嶺の拳に打ち勝つ。その勢いで顔面にめり込ませようと意気込んだが――その通りになることはなかった。
赤嶺は自らの足を軸に、友奈の力を利用して時計回りに回転するというアクロバティックな動きをしてみせた。
目を剥く友奈。
一周し、ガラ空きの右脇腹、そこにありったけの力を込めて赤嶺が打ち抜く。
「ハアッ!!」
「は、ズ――!」
身体が数センチ持ち上げられ、後方に吹き飛ばされた。
背中を地面に強打し、肺に残っていた空気が強制的に吐き出され、仰向けに倒れる。
……痛い。とても……痛い。
目がチカチカする。身体中が擦り傷と打撲だらけだで、ズキズキと痛みが襲う。
僅かに鉄の匂いが鼻に届く。
久しぶりの激痛に、友奈はすぐに起き上がることができない。バーテックス戦でも、精霊が自動的にバリアを張ってくれたから痛みはそれほどでもなかった。
だから今の一撃は、とても、効いた。
冷たい空気が気管を容赦なく灼く。
朦朧とする意識。物体の輪郭がボヤケて見える。
……ああ、まずい。動けない。
身体の節々がこれ以上はやめておけと友奈に警告している。
でも、動かなければ。
「あなたのその枝木、すごく気持ち悪い。不愉快だ」
そう呟いた赤嶺は、汚物を見下すような目で友奈を見下ろす。
ひとりでに伸びていた枝木は、気味悪く友奈の身体の上を不規則に動き回って、首に張り付き、頬にまで伸びる。
「……これで終わりだよ」
腰のポーチからなにやら棒状のものを手に取る。そしてスイッチを押すと、その長さを倍以上に伸ばした。
いったい……何を持っている?
しかし、あれにやられたら終わると直感した。
棒を構えながら、敵が躙り寄ってくる。
本当にもう動かない。全身から力がみるみる抜けていく。もう呼吸をするだけで精一杯だ。指の先まで痺れて、上手く身体を動かせない。
そもそも無理な話だったのだ。あらゆる点で勝っている相手に勝つなんてことは。
――いや、違う。
――私は勇者、結城友奈。
――ならば、立ち上がれ。そして目の前の敵に……打ち勝て!
結城友奈が目覚めた理由。
それを、忘れるなッ!!
撃鉄が起こされ、友奈はガリッ! と下唇を噛んだ。
動け!
動け!
動け!
今動かなければ、絶対に負ける。
仲間を救いたいという思いを抱き、人を超えて目覚めたのに、それが無駄になってしまう。
冗談じゃない……!
友奈の想いを踏みにじるようなことは、絶対に許さない!
赤嶺はただ友奈を処分対象としか見ていない。鏑矢が具体的にどんな御役目なのかなんてどうでもいい。ただその在り方に従っているだけに過ぎない。
だが友奈は違う。友奈には必ずやり遂げなければならないことがある。
つまり。
赤嶺友奈の意志ではなく、結城友奈の意志が何よりも優先されるべきだ――!
ばぐん! と枝木が目に見えて膨らんだ。その変化は、友奈の傍らで片膝を付き、今まさに矢を振り下ろさんとした赤嶺の目にも映った。
枝木が強引に右半身を動かし、浅く上下する友奈の胸に矢が突き立てられる寸前から緊急離脱する。
「――――」
赤嶺は膝をついたまま、わなわなと肩を小刻みに震わせながら顔を俯かせる。
そして。
「――殺す」
と、小さな声でぼそりと呟いた。
ゆっくりとした動きでなんとか立ち上がった友奈をキッと赤嶺を睨みつける。
傷はまだ癒えない。殴られたところが痛み、絶え間なく意識を狩り取ろうとしてくる。
でも、立ち続ける。
それが勇者だ。
簡単には倒れない。
「……負ける、もんか。私は……皆に後押しされてこの領域に至った。だから、これを捨てるつもりは……ない。これは人間の可能、性……未来への希望だよ」
ぶわり。
赤嶺の怒りのオーラが押し寄せる。
どっと汗が吹き出したのを友奈は感じた。
「希望……? ふざけないでよ。そんなことを考える奴が湧いたから天の神に粛清された。人間に可能性なんていらない。人間は人間として生きて、死ぬべきだ。お前は――異端だ」
「……それでもいいよ。私は、これが正しいって、信じてるから」
今一度、闘志に火をつける。
いくら綺麗事を並べても、結局ここでものを言うのは純粋な力のみ。己の主張を張り通したければ、力を以て証明しろ。
立ち上がったはいいものの、状況は変わらない。こちらは満身創痍。向こうにはたった一発しかダメージを与えられていない。
もう一度装甲の剥げた赤嶺の腹に勇者パンチを喰らわせることができれば、きっと勝てる。
逆に、こっちは一度でも殴られたら今度こそ立ち上がれなくなる。意志力だけでは立ち上がれなくなってしまう。そこに追撃を受けて、負けて、終わる。
赤嶺も同じようなことを考えたのだろう。
殺伐とした目でこちらを睨みつけてくる。友奈も、負けじと眼光を鋭くする。
すでに友奈の視界には赤嶺しか存在しなかった。それ以外の情報はすべて排除されている。音も、風や海の音なぞ一切聞こえない。
赤嶺の荒い呼吸音だけが鼓膜を震わせている。
意識は奥深くに溶け込み、世界は静まり返る。
友奈は大きく息を吸い込み。
そして、全力で吼えた。
「負けない! 絶対負けないッ!! 人間の可能性を否定するような奴なんかに! 私は……負けないッッ!!」
「ここで死ね!! 結城友奈あああアアァァァッ!!」
肉迫。
刹那の間にふたりは目と鼻の先にまで急接近する。
これは、どちらが先に攻撃を与えられるかで勝敗が決まる。
そして。
友奈より先に拳を突き出したのは赤嶺だった。
どれだけ威勢良く吼えても、速度がほんの少しでも上がるわけではない。
狙いは胸の中央。あれだけ一方的に殴りつけ、傷つけた。友奈の呼吸のリズムも、とうに狂っている。
心臓の鼓動は間違いなく弱くなっている。目覚めてからなんのリハビリもせずに、これほど過激な戦闘。身体が耐えられるはずがないことは明白。
回避などという無駄な労力を一切排除した友奈はノーガード。その胸に、あっさりと鉄でコーティングされた拳が吸い込まれる。
「ぉぉおおオオッ!!」
耳障りのいい打撃音。
確実に命中した。
「――――――こ、フッ」
苦しげに顔を歪ませて呻く。
そして友奈の呼吸はそれを最後に止まり、心音も止まる。瞳孔が極限まで開かれる。
赤嶺は殺ったと確信を得る。
拳から心臓の完全な停止を感じ取る。
もし矢で眠りにつかせたとしても、必ず友奈は神の業によって再び目覚める。だから、根底から……生命を断つこと以外、できることはなかった。
力の抜けた身体がゆっくりと赤嶺に倒れてくる。これ以上骸を傷つけるのは、同じ顔だからか、夢見が悪い。
せめてもの慈悲として受け止めようと、両腕を広げる。
しかし。
友奈の右脚が、直前で踏みとどまった。
「は――⁉」
高嶋の介入⁉
いや違う!
高嶋はずっとこちらを黙って見守っているだけだ!
ならば、これは、どういうことだ……⁉
確実に、絶対的に、不可逆的に殺したはず。なのに! なぜ!
「――牛、鬼!!」
狼狽し、急いで離れようとする赤嶺の懐に潜り込んだ友奈が濁った声で精霊の名を叫ぶ。
するとどこからともなく現れた牛鬼が友奈の右手に浸透し、宿る。
眩い光を放ち、満開ゲージがひとつ、飛び散った。
轟ッ!
燃え盛る炎を赤嶺は瞳の奥に灼きつける。それと同時に、焔に炙られても燃えない、薄汚れた黄色いミサンガが映り込んだ。
「――――――――――――――――ぁ」
そのミサンガ――
私――
知ってる――
「勇者……パアアアアアァァァァンチ!!」
あらゆる動作が停止した赤嶺の身体に、死を超越した友奈の渾身の一撃が打ち込まれた。
その瞬間、桜色の波動がひときわ大きく轟き、絶大な規模の爆発が遥か天まで駆け上った。
それに巻き込まれた赤嶺は海辺にまで吹き飛ばされ、どさりと落下した。
数秒待つが、起き上がってくる様子はない。どうやら気絶したようだ。
勝った。
そう確信した友奈はついにその場に崩れ落ちる。心臓の再鼓動に、服に皺ができるほど胸を抑える。
駆け寄ってきた高嶋に肩を借りながら、なんとか立ち上がる。
「……お疲れ様、結城ちゃん」
荒い呼吸を繰り返し、ようやく身体を落ち着かせた友奈は絞り出すように言った。
「うん……ありがとう。でも、まだ、やることが……あるから」
そう。
これが本命ではない。ただ障害を退けたに過ぎず、これから友奈は東郷を助けに行かなければならない。
本当ならここで強引にでも押し留めて病院に帰らせることができる。今のボロボロの友奈なら、高嶋でも容易だ。
でも、ここは背中を押すべきだ。止めるのは、友奈を侮辱することと同義。
「赤嶺ちゃんは、私に任せて」
こくりと無言で頷いた友奈は、ふらりと高嶋から離れると壁の方角へと向かって跳躍し、みるみる姿が豆粒ほどの大きさになる。
後には、仄かに光を放つ炎の残り火が、揺らぎ、消えるだけだった。
◆
高嶋が海辺に赤嶺を探しにやってくると、すでに赤嶺は起き上がっていた。
友奈が消えた水平線の向こうをぼんやりと見つめ、足元に届いた漣を足先で叩いて遊んでいる。
「赤嶺ちゃん」
ぴたりと遊んでいた足を止める。そして後ろを振り返った赤嶺の顔は、負けたとは思えないほど清々しいものだった。
その理由が高嶋にはわからなかった。「手を貸そうか?」と尋ねると、「お願い」と素直な返事が返ってくる。
肩を貸すと、装甲が身体にあたって少し痛かった。でもそれを口にせずに高嶋はさっきまでいた場所へと運んだ。
「うん、もう大丈夫だよ」
そう言った赤嶺はとことこと後ろへ……英霊碑へと歩を進める。
「ちょっと……来てくれる?」
やはり何がしたいのかはわからなかったが、敵意や害意といったものは特に感じられない。寧ろ本当に心の底からお願いしているように聞こえた。高嶋はにこやかに笑顔を向けると、
「うん、いいよ」
と答えた。
そこは高嶋が知らない場所だった。墓石のように整然と並ぶ石碑には、人の名前が深々と刻まれている。
赤嶺はまるで初めから目的地があるようにずんずん進む。高嶋はその後ろを着いていく。
ぱっとすぐ真横に立つ石碑に視線を振ると、
『三ノ輪銀』
とある。
そしてついに赤嶺の足が止まる。そこにある六つの石碑は隅の方にひっそりと佇んでいるが、隠しきれていない存在感が高嶋の無意識を刺激した。赤嶺が腰を落として愛おしそうに眺める石碑には、高嶋のよく知っている人たちの名が刻まれている。それだけではない。どういうわけか、自分の名前もあるのだ。
舌が痺れ、どんな反応をすればいいかわからないところに赤嶺が口を開いた。
「ここはね、四国を守った英霊たちが集う場所だよ。ここに骨はないけど、想いが詰まってる。世代が変わり、担う人が変わった。想いは継がれ、今に至る」
「…………」
さっと顔を動かす。
友奈との戦闘の時の覇気迫る顔とは打って変わって、とても穏やかだった。
「私ね、ここで乃木様……若葉ちゃんに言われたんだ。人間の可能性を忘れるな……って。それを、あの瞬間、思い出したの」
自分の手首を見下ろしながらぽつぽつと言葉を紡ぐ。そこには老若葉からもらった赤色のミサンガが結ばれている。
友奈の手首にもあった黄色いミサンガは汚れていたが、間違いなく老若葉のものだった。
どういった経緯で友奈の手に渡ったのから知らないが、途方もないほど長い年月が過ぎても、しっかりと現代の勇者へと引き継がれていたのだ。
「若葉ちゃんがそれを?」
手芸なんて細かい作業、高嶋には全く想像できない。若葉がそんなことをしようものなら保護者ひなたが手とり足取り、それこそおんぶにだっこレベルになるはず。
なんだか面白くて、くすりと笑った。
「うん。私とレンち、シズ先輩に作ってくれてね。すごく大切なモノなんだ」
赤嶺は桜色の髪を軽く揺らした。
そして真面目だった顔から一転して、小さく笑ってみせた。
「でも……あーあ、初めて御役目失敗しちゃったなぁ。レンちが知ったらなんて言われるんだろ……」
ライバル宣言されている蓮華から「フッ! 駄目ね友奈」と勝ち誇った顔で言う姿が簡単に想像できる。
今のこのスーツだって、蓮華が見たら目を丸くするだろう。早くメンテナンスに出しなさいって怒られて、お風呂に入りなさいと言われてなぜかわからないが、背中まで流されて、しまいにはベッドで子守唄まで歌ってくれそうまである。
そしてふと。
帰りたいなぁ、なんてことを考えてしまった。
「赤嶺ちゃんは私のことを仲間じゃないって言ったけど……私は赤嶺ちゃんのこと、仲間だと思ってるからね。それは若葉ちゃんたちも同じことを思ってるはずだよ」
それは、赤嶺にはない、とても純粋な言葉だった。高嶋は少し寂しげな笑顔を浮かべ、自分の石碑、その名前の部分をなぞる様に撫でる。
蓮華と静は違う。仲間としての方向性が違う。強固な絆で結ばれているが、それは人目に入らない暗い底で培われたもの。
高嶋の言う仲間とは一風変わっている。
「私は影だよ? 勇者様と本当に仲間になんて……」
「そんなの関係ないよ。わかりあえる。絶対にね。だって、私達は人間だから」
「――――」
真剣な物言いに、否定を重ねようとした赤嶺は息を呑んだ。
その言葉にも、聞き覚えがある。
あの情景が脳裏に色鮮やかに蘇る。赤嶺に語り聞かせた老若葉の目には、期待というか、希望というか、そういった前向きな想いが込められていた。
あの瞬間、老若葉は赤嶺に託したのだ。
これからを生きる者へ、これからの未来を。
それに、たった今気づいた。
顔が急激に熱くなる。
眩しかった。
隣に立つ勇者様は、これほど眩しい存在だったのか。赤嶺はポロポロと大粒の雫を落としながら高嶋を見上げる。
「あ、赤嶺ちゃん⁉」
慌てて駆け寄った高嶋に介抱されながら赤嶺は立ち上がるが、すすり泣きが止まらない。
「そっか……この時代がすべての人間にとって、人生の転換点……ターニングポイントってことなんだね……」
嗚咽を含みながら赤嶺は今更になって気づいた事実を吐露する。
新しい時代を切り開くために、古い時代の者が障害として立ちはだかる。それが、今の決闘だったのだ。
あらゆる時代において、先を行こうとする者は古い考えを持つ者たちに阻まれてきた。それでも乗り越え、登りつめ、『今』がある。
「私は……乃木様の言葉を、今、真に理解したよ。だから……ありがとう、高嶋ちゃん――初代勇者様」
「……赤嶺ちゃんの未来でどんなことがあるのかは知らない。でも、そう言ってもらえるなら、私達が命懸けで戦った意味はあったんだね。その証拠として――ね?」
そう言って辺りを見回す高嶋。
その中に、『赤嶺友奈』の名前も確認できた。教えてあげようと口を開きかけたが、赤嶺はすでにその石碑に視線を向けていた。
その表情には複雑な感情が入り混じっていて、とても横から何かを言うことはできそうになかった。
ここに名前のある人物ひとりひとりがそれぞれ、想いを受け継ぎ、全うし、そして次世代に託した。その営みこそが、何よりも美しく、大切であることを忘れてはならない。
いずれは赤嶺も鏑矢を引退し、次の人間へと未来を託す。そうして歴史は刻まれていくのだ。
「……さて。そろそろ行こっかな」
涙はすでに止まった。
元気よくそう言った赤嶺は、ボロボロになった装甲をそれぞれに収納させて背を向ける。
「行くって、どこに?」
「さあ? 負けたとはいえ、本気で殺そうとしちゃったからね。もうあそこにはいられないよ」
いちおう風の家から出るときに着替えとして高嶋が買ってくれた私服と、風からもらったお金がある。それらはバッグに詰め込んでこの建物の外に置いてある。
コンビニとかがあることは確認しているから食いつなぐことに問題はないだろう。あるとすれば、夜になるとぐっと冷え込む外で寝ることだ。
それはスーツを着ればなんとか凌げるはず。
「そんなことしなくていいんだよ? ちゃんと謝ろう? 私も一緒にごめんなさいしてあげるから」
しかし赤嶺はかぶりを振った。
「御役目に失敗した人間に意味なんてないよ」
それ以上の慰めは受け付けないとばかりに赤嶺はカツカツと足音を響かせながら建物から去っていく。
「あ、でも結城ちゃんには悪かったって伝えておいてくれる?」
「もちろんだよ」
その背中は少し寂しそうで、つい反射的に高嶋は声を投げかけた。
「待ってるから! また戻ってくるって、信じてるから――っ!」
返事はなかった。
振り向きはしなかったものの、代わりに軽く手を振ってくれた。そして階段を登り、脇にあったバッグを片腕で背負う。
振り向こうかと一瞬だけその仕草を見せるが、途中でやめた。
そして丘を登っていき、樹木の影へと姿を消した。
……今はこれでいい。
高嶋は赤嶺のいなくなった方向をじっと見つめる。
本来なら出会うはずのない人間同士の戦いは、赤嶺よりさらに未来の人間の勝利に終わった。
だが、ここから本来の正史が始まる。
この決闘の傷が、歴史に影響しなければいいのだが……。
そんな不安を、高嶋は感じずにはいられなかった。
ゆゆゆいでも決闘シーンはあったけど、もっとガチ感が欲しいという歪な願望から今回の構想が生まれたよ
久しぶりに挿絵使ったけど、あと数枚は頑張って描きあげたい
応援よろしくね!
障害を乗り越え、理由を果たす
それではまた次回!
【Infomation】
▼赤嶺友奈の歴史干渉を観測
▼征矢の整備、終了
▼辞令。赤嶺友奈、高嶋友奈を処分せよ
▼終了